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第13章 神話怪盗ウィアードテールズ

公安零課2

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「アイヤー! 舞奈ちゃん。いらっしゃいアル」
 赤いペンキが剥げかけた横開きのドアを開けると、丸々と太った張が出迎えた。

 明日香とえり子が謎の行者について話していたのと同じ頃。
 舞奈は帰りがてら繁華街に赴き、『太賢飯店』を訪れていた。

「よう張、相変わらず人いないなあ」
 軽口に、張の表情が渋くなる。
 だが舞奈は気にせずカウンターのいつもの席にどっかと座る。

「注文は何にするアルか?」
「ん……担々麺と餃子」
 生返事のように返しつつメニューを斜め読み、

「いや待て。餃子の代わりに、この麻婆飯ってのを貰おうか」
「どういう風の吹き回しアルか?」
 いつもと違うメニューを選んでみる。
 普段より少しリッチな組み合わせだ。

「懐具合が変わると、気分も変わるのさ」
 軽い口調で言って笑う。

 先日に食ったカレーの代金は謎の女のおごりによってチャラになった。
 だから気分も一食分リッチだ。
 その金で、今日はニコニコ現金払いするつもりで来店したのだ。
 そんな舞奈を見やった張も、

「なら、とっておきの麻婆をご馳走するアルよ」
 破顔しながら料理の準備を始める。

「ミニ丼でいいアルか?」
「普通のサイズで頼む」
「そうくると思ったアルよ」
 聞いておきながら最初から手にしていた普通サイズの丼と椀を並べる。
 そんな張の、首の見えない背中を眺めつつ、

「なあ、張。公安の魔道士メイジに知り合いはいるか?」
 舞奈は何食わぬ顔で問いかける。

 張は麺をゆで始める。
 鍋から立ち昇る湯気の匂いを嗅ぎながら、舞奈は足をぶらぶらさせる。

 舞奈の背丈は標準的な小5だから、カウンターの椅子に座ると足がつかない。
 それでもSランクの舞奈は鋭敏な感覚を持ち、鼻も良い。
 だから張の料理を味と香りで堪能する至福の時間はもう始まっている。

「舞奈ちゃん、今度は何をやらかしたアルか?」
「今度はってなんだよ。信用ないなあ」
 慣れた調子で豆腐を刻む張を見やりつつ、舞奈は口をとがらせる。

 最強無敵の舞奈の周りは、たしかに厄介事でいっぱいだ。
 だが舞奈自身が原因のトラブルなんてめったにないと思うのだが。

「ちゃんと信用してるアルよ」
 言いつつ張は笑ってみせる。

 そして隣の中華鍋で豆板醤を炒める。

「Sランクのすることなら、余程のことでも【機関】がもみ消してくれるアルからね」
「そういうのは信用とは言わんだろう」
 舞奈はやれやれと苦笑して、

「ウィアードテールっているだろ?」
 問いかける。

 張は豆板醤に手早く挽き肉をあわせる。
 鍋から広がる甘辛い湯気が、麻婆飯への期待を否が応でもかきたてる。

「奴を真似て予告状を出したら、目をつけられた」
「……やらかしてるじゃないアルか」
 平然と言い放つ舞奈に、張は冷たい視線を向けた。

「公安の術者をいつもの調子で強行突破したら、怪盗じゃなくて強盗アルよ」
「こっちにも事情があるんだよ」
 言って舞奈はむくれる。

 日曜日のライブ前に、怪盗に仮装して委員長を連れ出そうと計画する舞奈たち。
 その前に立ちふさがるであろう、公安からの刺客。
 大見得を切ってはみたが、チャビーや桜を守りながらの応戦は一筋縄ではいかないだろう。何より舞奈は相手が何者かすら知らないのだ。

 だが、そんな理由で矛を収める舞奈ではない。
 今までだって舞奈たちは、数多くの話の分かる奴や話の分からない奴と戦って、勝利してきた。今回も同じだ。
 何故なら今の舞奈には、偽ウィアードテールとしてやりたいことがある。

 だから舞奈は相手の手札を知るために、顔の広い張を頼った。

 張は中華鍋に甜麺醤と、鶏ガラのスープを加える。
 豆腐も加える。
 甘辛い湯気に再び鼻孔をくすぐられ、舞奈は思わず笑顔になる。

「そこで、だ。公安の……なんつったっけ、公安零課? って奴らについて知りたい」
「仕方ないアルねぇ……」
 張はやれやれと苦笑する。

 慣れた手つきで湯切りした麺を椀に移し、スープを注いで具を盛りつける。
 別の丼には白米を盛って、とろりと香る豆腐たっぷりなタレを盛る。
 そして出来立ての担々麺と麻婆飯をトレイに乗せて、カウンターの隅へと消える。

 売り場に出てきた張は、舞奈の前に熱々の担々麺と麻婆飯を並べる。

「こいつは美味そうだ!」
 舞奈はレンゲを持つが早いか、麻婆飯を貪り始める。その側で、

「正式名称は警視庁公安部、公安第零課」
 張はいつもと変わらぬ調子で語り始める。
 それでも飯にがっつりとりかかる舞奈を見やって微笑む。

「警視庁直下の公安部には、第一から第四までの課があるアル」
 張の言葉に、舞奈は無言で先をうながす。

「第零課は、表向きには存在しない公安部の一部門アルね」
「つまり怪人や、人間に化けた怪異を相手するための部署ってわけか」
 たとえば【機関】の正式名称である【第三機関】が、警察、自衛隊と並ぶ第三の、そして表向きには存在しない執行機関であることを示すように。

 ひとまず麻婆飯を堪能した舞奈は、満面の笑みを浮かべて顔をあげる。

 とろみのついたタレの甘辛さ。
 やわらかい豆腐と肉肉しい挽き肉の食感。
 そして、やさしい白米の食感が、口の中で見事なアンサンブルを奏でる。
 ふりかけられたピリリと辛い山椒も、味にアクセントを加えて食欲を促進する。

 そんな絶品を堪能しつつも話は聞いていられたのは、戦場の集中力の成せる業だ。

「そうアル」
 物騒な会話の中でも満ち足りた舞奈の表情に破顔しつつ、張は言葉を続ける。

「中でもウィアードテールを専属で追っているのは福神ふくがみ晴人はると警部。異能力者アルよ」
「大人の異能力者? 術者じゃなくてか?」
「そうアル。【機関】も公安も、魔道士メイジを幹部にはしないアルよ。専門性の高い技術者には人を使うより大事な仕事があるアルからね」
 張の言葉に、今度は担々麺に取りかかりつつ舞奈はうなずく。

 それでも魔力を用いた技芸が皆無では現場指揮すらおぼつかないのだろう。
 その折衷案が、術者ほど技術に傾倒していないが魔力を扱える異能力者だ。

 それにしても大人の異能力者というのも珍しい。
 異能力は若い男にしか発現せず、年を食うと消えるのだと聞いていた。

「何の異能だ?」
 舞奈は問う。

「【自陣警備パラディンガード】アル。戦術結界を形成する能力アルよ」
「異能力で結界だと?」
 張の返事に、思わず担々麺をすする手を止めて訝しむ。

 結界の創造は大魔法インヴォケーションに相当する高度な技術だ。
 それを再現する異能力なんて聞いたことがない。

 だが信頼できる識者である彼の言葉を疑う理由はない。
 むしろ結界を張れる異能力なんてものを初見で相手せずに済んだことに感謝だ。

「……ってことは、部下はそれより強いってことか」
「そうアル。全員が魔道士メイジアルよ」
 少し声色の変わった舞奈に、張も真面目な顔で答える。

「中でも特に腕が立つ術者は2人アル」
 その言葉に、舞奈の口元に笑みが浮かぶ。
 相手の手誰が2人というなら、両方が今回の騒動に動員されたとしても舞奈と明日香でそれぞれ相手できる。丁度いい。
 張は構わず言葉を続ける。

「ひとりは神社庁から派遣されたフランシーヌ草薙」
「……服は着てるんだろうな、そいつ」
 舞奈はやれやれと苦笑する。
 名前の響きだけでハニエル山崎やシスター・アイオスの同類だと判断したのだ。

「それより厄介なのは、もうひとりの方アル」
 だが張としては、彼女より問題なのは次らしい。
 少しばかり硬い声色で言葉を続ける。
 まるで、その誰かが何処かで噂話を聞いてやしないかと恐れるように。

猫島ねこしま朱音あかね。元【機関】神奈川支部の執行人エージェントアルよ」
 張の言葉に、今度は舞奈が無言で続きをうながす。

「彼女は生真面目で、それはもう正義感が強かったアル。だから実質的に犯罪者の隠れ蓑になってた地元警察とは折り合いが悪くて、もめ事も絶えなかったアル」
「噂が他県に広まるくらいってことか」
「笑い事じゃないアルよ。表沙汰の事件になりかけたことも一度や二度じゃないアル」
「そりゃ大事だ」
 困り顔の張に対して舞奈の口元は穏やかだ。
 その楽しそうな姓の誰かに、共感を抱いたからだ。

 相手が悪い奴なら何処の誰だろうともぶちのめす、という生き方には好感が持てる。
 舞奈だってそうしたい。
 悪党がのさばっていたら叩きのめしたいし、善人が困っていたら力になりたい。

 だが、組織の中でそういう生き方が難しいことも知っている。
 それが【機関】のように強大でしがらみの多い職場ならばなおらさだ。

 にも関わらず猫島朱音は【機関】を辞めた後、公務員になった。
 つまり組織人として問題のある素行を差し引いて余りある実力があるということだ。
 立場は違えど闇の世界で戦う魔道士メイジにとって、実力とはすなわち強さだ。

 そう。彼女は強い。
 噂話を聞きかじっただけの張が畏怖するほどに。
 そんな彼女の――

「――流派は何だ?」
 何食わぬ調子で張に問う。

 それでも舞奈に怯んでいる暇はない。
 舞奈は友人のために、公安の術者である彼女と戦わなければならない。
 正義感あふれる彼女が地元警察と戦っていたように。

「梵術アルよ」
「……梵術?」
 聞きなれない答えに、舞奈は思わず張を見やる。

「梵術は南アジア発祥の流派アル。踊りと呪文で諸仏のイメージを喚起するアルよ」
「諸仏……ってことは、仏術の亜流か?」
「ちょっと違うアル。イメージするのは仏アルが、それを媒体にして操るのは森羅万象に宿る自然の力アル」
呪術師ウォーロックってことか」
「そうアル」
 張は頷き、説明を続ける。

 梵術士が修めた梵術もまた、他の流派と同じく3種の術を内包する。
 周囲の魔力を媒介し、その源である火水風地を操る【エレメントの変成】。
 魔力をプラーナとして自身に取りこむ【心身の強化】。
 世界との対話により物品や情報を得る【実在の召喚】。

 なるほど、確かに仏術がそのまま呪術になった感じだ。だが、

「……強いのか? それ」
 素直な印象を告げる。

 聞いた限りでは奈良坂の仏術と、サチの古神術の合いの子だ。
 魔術師ウィザードのような致命的な魔術や絶大な火力とは無縁に思える。

 まあ張が厄介と言った術者を侮るつもりはないが、対策が立てられないのは困る。
 そんな舞奈の胸中を察したか、

呪術師ウォーロック攻撃魔法エヴォケーションは、扱う術者によって強度に雲泥の差が出るアル」
「……それもそうか」
 張の言葉に舞奈はうなずく。

 たしかに同じ呪術師ウォーロックでも、小夜子の攻撃魔法エヴォケーション魔術師ウィザードに匹敵する。
 かつてシスター・アイオスは明日香と互角の戦いをしてみせたらしい。
 萩山光は召喚魔法コンジュアレーションを併用して舞奈たちに苦戦を強いた。
 それが学生とは比べ物にならない時間を修練に費やしたであろう大人の術者によるものとなれば、どれほどの威力となるか。

「加えて梵術士が奉ずる梵天ブラフマーは、魔力による創造を司る仏アル」
「魔力で何かを直接、創れるっていうのか? 操るんでなしに」
 舞奈は思わず首をかしげる。

 張は先ほど、梵術士は仏を幻視して森羅万象を操ると言った。
 創りだすのではない。それは呪術師ウォーロックではなく魔術師ウィザードの手管だ。
 どちらを相手取るかで対策も心構えも異なる。

「もちろん無から有を生み出すことはないアル。けどエレメントや身体への操作を、創造した魔力で補佐することができるアル」
「術のスケールを誤魔化せるってことか。小さな火を、巨大な火の玉にするみたいに」
「まあ、そんな感じアルね」
 張の説明に頷き、

「……ってことは、楓さんと紅葉さんみたいなこともできるのか」
 ふと疑問を投げかけてみる。

 楓が修めたウアブ魔術と、紅葉が操るウアブ呪術。
 2人は力を合わせ、地面を丸ごと岩石の槍ぶすまに変えることができる。
 即ち【地の刃の氾濫ヌィ・デムト・ター】。
 呪術による大地の操作を、魔術によって大幅に補強するのだ。

 その御業を個人で使えるのだとしたら、厄介にも程がある。
 その脅威の有無を確認しようとした舞奈だが、

「なにより朱音は――」
「おい待て、まだ何かあるのか」
 張はさらなる脅威をほのめかした。

「――どんな相手に対しても最大の威力で攻撃魔法エヴォケーションを撃てるアル」
「お、おい、ヤバイ奴なのか? そいつは」
 流石の舞奈も、それには慌てる。

 常に手加減無用な暴れ牛のような女だということだろうか?
 そんな狂犬みたいな相手との戦闘にチャビーと桜を連れて行ったら本気でヤバイ。
 それだけを理由に計画の変更を考え始めた舞奈に、

「そういう意味じゃないアルよ」
 苦笑交じりに張は言った。

「彼女は公安の術者に伝わる妙技によって攻撃魔法エヴォケーションにプログラムを施し、自動的に拘束用の補助魔法オルターレーションに組み替えアル。つまり人を傷つけずに無力化する攻撃魔法エヴォケーションアルね」
 敵の御業を、張は語る。

「朱音が放つインドラの矢は、他のすべてを貫くが人だけは無傷で痺れさせるアル。降らせるシヴァ神の雹は、万物を砕くが人だけは無傷で拘束するアル」
「それで全力ってわけか」
 そう言って、舞奈は残り少なくなった担々麺を、味わうようにすする。

 なるほど合理的な公安の妙技だ。
 人間社会の裏側に潜む怪異に対し、常に全力で挑むための技術。
 それは【機関】や魔術結社ほど魔法戦力を持たない公安が、守るべく市民を傷つけることなく怪異を滅するために編み出した技術なのだろう。

「しかも朱音は施術にカバディの動作を組み入れているから、隙も無いアル」
「そいつは確かに厄介だ」
 舞奈は口元を歪めてみせる。

 あるいは明日香が魔術師ウィザードとして更なる高みに達した先が、彼女なのかもしれない。
 強力無比な攻撃魔法エヴォケーションを更に強化し、便利にし、詠唱の隙まで無くす。

 そんな公安と、舞奈は戦わなければならない。
 委員長にとって、あるいは自分にとって大事なことを確かめるために。

 かつて萩山を相手に、明日香は攻めあぐねた。
 強力無比な攻撃魔法エヴォケーションが相手を傷つける可能性を恐れたからだ。
 だから魔法戦に不慣れな萩山にすら、再三の逆襲と逃亡を許した。

 今回だって、その制限は変わらない。
 敵対するとはいえ公安の術者を傷つけるわけにはいかないからだ。

 しかも今度の敵は熟練のプロで、しかも全力だ。
 熟達した魔力と技で全力で舞奈たちと戦い、拘束するつもりだ。それでも、

「向こうさんは首都圏のエースなんだ、そのくらいしてもらわなきゃな」
 舞奈は笑う。

 これまでだって、舞奈たちは倒したくない敵を何度も無力化し、保護してきた。
 もちろん相手は全力で抵抗してきた。
 魔力を暴走させた萩山も、魔獣と化したネコポチも、ベティだってそうだ。

 今度の敵だって同じだ。

 真正面から戦って、無傷で倒す。敵も、味方も。
 なぜなら舞奈は、戦略的な無理難題を個人の力で解決可能なSランクなのだから。

「最高に美味かったぜ、張。勘定を頼む」
 すっかり料理を堪能した舞奈は、ポケットの中身を張の前に並べる。だが、

「舞奈ちゃん、足りないアルよ……」
「あ、あれ……?」
 舞奈は慌ててポケットをまさぐる。
 だがカウンターに並べた以上の小銭はない。

 たしかに先日、カレーの代金はチャラになった。
 だが手持ちが増えたわけじゃない。
 なのに普段より高い食事をしたら、足が出るのは当然だ。

「……ツケにしておくアルよ」
 しょんぼり凹んだ張に、舞奈も小声で「……すまん」と答えた。
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