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第11章 HAPPY HAPPY FAIRY DAY
戦闘2-1 ~ナワリ呪術&古神術vs肉人壺
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伊或町の一角に建つ、造りは新しいのに小汚い家。
周囲には焦げた糞尿のような悪臭が漂う。
玄関先に駐められた、これまた薄汚い色の乗用車。
その影で、くわえ煙草の団塊男が子猫の後足を握って逆さに持ち上げていた。
狂った猿のように目を血走らせ、禿げ上がった下品な男だ。
子猫は救いを求めるようにか細く鳴く。だが、
「へ……へ……へ……。これでお前はもうニャーニャー鳴けねぇなぁ……」
猿男は口元に薄気味悪い笑みを浮かべる。
か弱く可憐な生き物の苦痛は、醜く邪悪な怪異にとっての喜びだ。
「俺の大事な車のボンネットを汚せねぇなぁ……」
猿男は笑う。
――次の瞬間、ヤニで歪んだ額に穴が開いた。
猿は薄汚い色の体液をまき散らしながら吹き飛ぶ。
即ち【砕く石】。
大地の一部を弾丸にして放つナワリ呪術。
子猫は薄汚い脂虫の手から逃れ、感謝の鳴き声をあげながら逃げる。
無事な子猫の姿を見やり、家の前の路地に立った2人が微笑む。
戦闘セーラー服を着こみ、手首に施術用の注連縄を巻いたサチ。
そして同じセーラー服と注連縄、頭に猫耳カチューシャをつけた小夜子。
先ほどの【砕く石】は彼女の術だ。そして、
「命と命を繋げ、皮を剥かれた王」
小夜子の呼びかけに応じ、びっこを引いていた子猫が魔法の光に包まれる。
その歩みが正常に戻る。
同時に猿男の不格好な足が、小気味のいい音を立ててへし折れる。
生贄の理論を逆転させて傷を転移させ、対象を癒す【命の譲渡】。
今回はいたぶられた子猫の傷を、猿男に移植したのだ。
この術は両者が別種の生物であっても効果を発揮する。
つまり子猫を、生物を名乗るのもおこがましい脂虫を使って癒すこともできる。
まさに因果応報。
小夜子は醜い猿男の悪行を、文字通り己が身で償わせたのだ。
救われた子猫を、隣家の陰から見守っていた母猫がくわえて安全圏まで運び去る。
小夜子は、そんな様子を見て笑う。
数日前、小夜子はエリコと共に、目前の猿男とその息子の豚を狩った。ヤニ狩りだ。
だが奴らは隠し持った肉人壺により復活していた。
そして恥知らずの豚男は、双葉あずさへの襲撃を予告した。
だから警備員と鷹乃は2人のあずさのひとり、支倉美穂の自宅を警護した。
舞奈たちはコンサート会場の警備をしている。
そして小夜子はサチと共に、再びこの悪魔の家を訪れた。
肉人壺を破壊し、今度こそ薄汚い脂虫の親子をこの世から完全に消し去るために。
小夜子は猿男を一瞥する。
なぜなら【命の譲渡】は治療対象と贄の双方が生きていなくては使えない。
つまり猿男は生きているということだ。
脳天を撃ち抜かれ、薄汚い壁に叩きつけられて足を折られた猿は苦痛にうめく。
「なっ、何を……何をしやがる!」
猿男はヤニで歪んだ顔を、怒りでさらに歪めて立ち上がる。
禿頭の額からは蛾のような不気味な触覚。
その手に握られた、頭蓋と毛で装飾された不気味な槍。
方天画戟――使用者の人間性と引き換えに、身体を再生させる宝貝。
「この俺の楽しみを邪魔しやがって!」
猿のように叫びつつ、男は槍で小夜子を突く。
だがサチが短い祝詞を唱えた途端、2人は見えざる障壁に包まれる。
即ち【護身神法】。
2人の手首にはめられた注連縄がゆれる。
次元断層による強固な壁が、不潔な猿男を弾き飛ばす。
猿は軒先に駐められた車に背中からぶつかる。
薄汚い車体がへこむ。
猿男はヤニで歪んだ身体を車から引きはがし、叫ぶ。
「クソッ!! テメェ、どこの学校の――」
「――【機関】の執行人よ。害虫を駆除しに来たわ」
言いつつ小夜子は集中し、周囲に散らばる無数の小石を浮かび上がらせる。
空気を操る呪術【蠢く風】。そして、
「貫き砕け、山の心臓!」
神々へ【砕く石】の成就を呼びかける。
無数の小石が銃弾のように猿男を撃つ。
「グォ! グォ! グォ! グォ! グフッ!!」
猿は再び車に叩きつけられ、そのまま石弾の嵐に全身を穿たれて悲鳴をあげる。
汚らしいヤニ色の体液が全身から飛び散る。
死にはしないが身動きも取れない。
その隙に世界が変容する。
古びた街並みが、現実味を欠いた幽玄と化す。
平屋の家屋の上から仏像が顔を覗かせ、般若心経の細い調べが静かに流れる。
時空との対話により地蔵菩薩の加護を得る【地蔵結界法】。
この妖術によって張り巡らされた戦術結界は、範囲内の空間を周囲から遮断することで仏敵の魔力を遮断する。
サチは虚空に微笑みかける。
神術士であるサチも戦術結界を形成できる。
だが小夜子のサポートに専念するため、その役目は奈良坂に譲った。
仏術士である奈良坂は、事前の計画通りに戦術結界を形成してくれた。
だが今回、術者である奈良坂は結界の外にいる。
だから結界の中にいるのはサチと小夜子。
そして悪魔の家と、その住人である脂虫だけだ。
小夜子は【ジャガーの戦士】の身体強化にまかせ、猿との距離を一気に詰める。
両手の指からのびる【霊の鉤爪】で車ごとぶった斬り、醜い肉と鉄が入り混じったオブジェへと変える。その時、
『――怪異ノ奇襲ニ警戒セヨ!』
「俺の親父ニィィ! 何しやがル!!」
小夜子にしか聞こえぬ煙立つ鏡の警告とともに、悪魔の家の玄関が開いた。
そして豚のように醜く肥えた新手が躍り出る。
前回のヤニ狩りの時と同じ状況だ。
だが以前と違って小夜子たち十分な準備をしており、油断していなかった。
だから小夜子は動じない。
側の車に混ざり合って蠢く痩せ細った怪異――父子の父親役の腹を裂く。
その中に腕をねじ入れ、新たな得物を引きずり出す。
贄を裂いて扉と化し物品を取り出す【供物の蔵】の呪術。
そして脂虫の腹から取り出したのは、平べったい独特の容姿をした長物。
AA-12。
散弾をフルオートで発射可能な軍用ショットガンだ。
「親父ィィィィィ!!」
豚男は槍を手にして小夜子に跳びかかる。
「方天画戟が2本!?」
サチが驚く。
この厄介な宝貝を、敵はいくつも用意しているらしい。
「……丁度いいわ」
それでも小夜子は動じない。
素早く豚にショットガンを向け、発砲。フルオート。
反動は身体強化による腕力で無理矢理に耐える。
至近距離から8発の散弾をくらった豚男の腹はミンチになる。
ヤニ色の飛沫と臓物が周囲一面に飛び散り、障壁に阻まれて地を汚す。
だが小夜子は容赦しない。
「貪り喰らえ、トルコ石の蛇!」
さらに【捕食する火】で空気を火に変え、槍を手にしてもがく豚を焼きつくす。
負荷に耐えかねた方天画戟が根元からへし折れ、塵と化して消える。
小夜子は空になったボックスマガジンを落とす。
そして小賢しく再生しようとしていた猿男を使って再び【供物の蔵】を行使。
腐肉の門と化した猿から新たな弾倉を取り出す。
落とした弾倉より装弾数の多い、32連ドラムマガジンだ。
それをショットガンにセットして、当の猿男を少し撃つ。
AA-12にセミオート機能はない。
だから数発だけ撃つ場合は引鉄にこめる力で加減する。
至近距離から放たれた3発の散弾は、猿男の頭から腹をズタズタに引き裂く。
汚い色のぼろきれが、獣のような悲鳴をあげる。
小夜子は再び【捕食する火】を行使し、薄汚い父親役を車と一緒に焼き尽す。
こちらの方天画戟もへし折れ、塵と化して消えた。
悪の魔道具とも言うべき宝貝は、怪異と似た物質で形作られているらしい。
だが小夜子たちの仕事は終わりではない。
彼女らが悪魔の家を訪れた本来の目的は、屋内にあるはずの肉人壺の捜索と破壊。
復活の効果を持つ宝貝をこの世から消し去り、父子の復活を永遠に阻止するためだ。
だが小夜子は眉をしかめる。
豚男は己が醜い欲望を満たすため、双葉あずさを襲撃するのではなかったか?
小夜子たちは、その隙に手薄になった肉人壺を破壊する段取りだったはずだ。
あるいは預言やそれに類する手段によって肉人壺の危機を察し、襲撃を中止したか?
どちらにせよ、小夜子たちがすべきことは変わらない。だから、
「……行くわよ」
「ええ」
小夜子とサチは家の前に置かれた廃車を避け、玄関に近づく。
住人と同じく薄汚れた小さな家の玄関の錠にショットガンをつきつける。発砲。
薄汚いドアの気味悪い錠が吹き飛ぶ。
小夜子は身体強化の脚力にまかせてドアを強引に蹴破る。
悪魔の家の玄関口は外観と同じく、来訪者を拒むように狭く見苦しい。
何より、ここが忌まわしい怪異の根城であると証明するように、吐き気がするようなヤニの悪臭が立ちこめている。
小夜子は罠を警戒して下駄箱を【霊の鉤爪】で引き裂いてから進む。
下品な色の玄関マットを戦闘ローファーが踏みしめる。
玄関の目前には登り階段。
隣には奥に向かって廊下がのびている。
そして左右にドア。
ひとまず2階は後回しにして左右どちらから捜索するかと躊躇した瞬間――
『――前方カラ奇襲ダ!』
ショットガンの平たくのっぺりとした側面に、煙立つ鏡の現身である影が映った。
「えっ!?」
警告と同時に階段の陰から歪に肥えた人影が跳び出す。
小夜子は反射的に2発撃ってミンチにする。
先ほどの豚男だ。
だが幸いにも方天画戟は持っていないらしい。
穴だらけの体液まみれになって薄汚い廊下の隅に転がったまま動かない。
「同じ個体が2匹いる?」
「……肉人壺にそういう使い方があるってことかしら」
珍しく不快そうな小夜子の問いに、サチも顔をしかめて答える。
神術士に彼女にとって、これは生命に対する冒涜だ。
「肉人壺の場所はわかる?」
『邪悪ノ最タル宝貝ハ、此処ヨリ地ニ近イ場所ニアル』
ショットガンの側面に映った影が揺れる。
「地に近い……? 地下かしら」
煙立つ鏡からの答えを解釈しつつ、ひとりごちる。
側でサチがうなずく。
こちらも同様の術によって啓示を得たのだろう。
おそらく結果も同じだ。だから、
「見張ってて」
「うん」
サチに奥と階段の監視を任せ、左のドアを蹴破る。
部屋には脂虫らしい悪趣味なセンスの調度品以外は特に何もない。
なので【捕食する火】で焼き払う。
右の部屋も同じようにクリアする。
こちらにも地下への通路はなし。
「残るは奥ね」
2階への階段を避け、廊下を歩く。
先ほどの襲撃もここからだった。
それに邪悪な再生を司る宝貝を、玄関から最も遠い場所に置くのは妥当な判断だ。
廊下の突き当り、階段で隠れる位置にドア。
玄関と同じように蝶番を破壊してドアを蹴破り――
――気配に後押しされるように撃つ。3発。
『警戒セヨ――』
声より先に手ごたえ。
先ほどと同じ豚男だった。
ドアの向こうは部屋ではなく、下へと続く石造りの階段になっていた。
よくよく考えれば家の大きさからして奥に部屋があるはずもない。
技術担当官あたりが同行していれば気がついたのかもしれないが、いないものはしかたがない。それに目的の場所は見つけたのだから問題はない。
2人はショットガンを構えた小夜子を先頭にして階段を降りる。
そこは地上の部屋をいくつも集めたほど大きな広間だった。
ヤニの悪臭に加え、立ちこめる血と腐敗の臭いに吐き気を覚える。
そんな不快な広間の中央には、人ひとりがすっぽり入れそうなほど大きな壺。
『汝ガ求メル宝貝ダ』
声に言われるまでもない。
肉人壺だ。
部屋の床には腐肉と骨が散乱している。
壁に貼りつけられているのは、鎖に繋がれたいくつもの犬の死体。
この家の呪われた父子が肉人壺に捧げ続けてきた生贄だろう。
そして、年配の女性とおぼしき人間の亡骸。
おそらく猿男の妻であり、豚男の母である女性。
哀れで、そして不運な女性。
悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者は、自ら人であることを辞め怪異と化した脂虫だ。
人の姿と名を持つ奴らは、だが人ではない。
人の心を持たず、人に仇成す害畜だ。
そんな人間型の怪異に、彼女はそそのかされて子をはらまされた。
その呪われた子供も脂虫になった。
そして2匹の怪異は共謀し、彼女を他の動物たちと同じように殺して贄にした。
自身の邪悪な命を長らえさせるために。
脂虫に関わった人間にとって、それはよくある末路だ。
悪臭と犯罪をまき散らす脂虫は、人の世に仇成す害悪だから。
それが家族であったのなら人間側には滅びしかない。
怪異の同類として取りこまれるか、怪異に殺されるしかない。
あるいは怪異――邪悪な喫煙者を殺すしかない。
自身で怪異に抗う術に目覚めたエリコが特別なのだ。
あるいは第三者に救われた梓が幸運なのだ。
目の前の壁に吊られて朽ち果てた彼女は、そのどちらでもなかった。
サチと出会う前、小夜子を支えていてくれた幼馴染もそうだった。
肉人壺の周囲に、いくつもの影が幽霊のように湧き出る。
1階にあらわれた複数匹の豚男は、こうして作られたのかと納得する。
側のサチが身をこわばらせる。
呪われた宝貝は、己が身を守るために粗悪な複製品を乱造していたのだ。
影は耳障りな雄叫びをあげながら、豚男の姿をとる。
父親役の方を複製しないのは、若い彼の方が強靭だからか、低コストだからか。
どちらにせよ、醜く肥えた豚顔を喫煙でさらに歪ませた奴らすべてが脂虫だ。
セーラー服の胸元で、黒曜石の鏡をはめこまれたペンダントが輝く。
小夜子の幼馴染の形見だ。
小夜子には、脂虫を殺す理由がある。
奴らが喫煙者であるからというだけで焼き払い、くびり殺す正当な理由がある。
「殲滅するわよ!」
小夜子はショットガンを掃射する。
数多の散弾が、何匹もの豚男を粉砕する。
「斬り刻め! 羽毛ある蛇!」
撃ち漏らした数匹を【切断する風】の大気の刃で両断する。
うち1匹の土手っ腹に穴を開け、【供物の蔵】で新たなドラムマガジンを取り出す。
どの脂虫も、臭いヤニ色の肉片になって飛び散って消えた。
そして守るもののいなくなった肉人壺にショットガンを向ける。だが、
「な……!?」
小夜子とサチの目前で、肉人壺の周囲に先ほどの数倍する影があらわれた。
広間を埋め尽くす勢いで出現したそれは、正に無数。
そして、そのすべてが、ゆっくりと豚男の姿をとった。
周囲には焦げた糞尿のような悪臭が漂う。
玄関先に駐められた、これまた薄汚い色の乗用車。
その影で、くわえ煙草の団塊男が子猫の後足を握って逆さに持ち上げていた。
狂った猿のように目を血走らせ、禿げ上がった下品な男だ。
子猫は救いを求めるようにか細く鳴く。だが、
「へ……へ……へ……。これでお前はもうニャーニャー鳴けねぇなぁ……」
猿男は口元に薄気味悪い笑みを浮かべる。
か弱く可憐な生き物の苦痛は、醜く邪悪な怪異にとっての喜びだ。
「俺の大事な車のボンネットを汚せねぇなぁ……」
猿男は笑う。
――次の瞬間、ヤニで歪んだ額に穴が開いた。
猿は薄汚い色の体液をまき散らしながら吹き飛ぶ。
即ち【砕く石】。
大地の一部を弾丸にして放つナワリ呪術。
子猫は薄汚い脂虫の手から逃れ、感謝の鳴き声をあげながら逃げる。
無事な子猫の姿を見やり、家の前の路地に立った2人が微笑む。
戦闘セーラー服を着こみ、手首に施術用の注連縄を巻いたサチ。
そして同じセーラー服と注連縄、頭に猫耳カチューシャをつけた小夜子。
先ほどの【砕く石】は彼女の術だ。そして、
「命と命を繋げ、皮を剥かれた王」
小夜子の呼びかけに応じ、びっこを引いていた子猫が魔法の光に包まれる。
その歩みが正常に戻る。
同時に猿男の不格好な足が、小気味のいい音を立ててへし折れる。
生贄の理論を逆転させて傷を転移させ、対象を癒す【命の譲渡】。
今回はいたぶられた子猫の傷を、猿男に移植したのだ。
この術は両者が別種の生物であっても効果を発揮する。
つまり子猫を、生物を名乗るのもおこがましい脂虫を使って癒すこともできる。
まさに因果応報。
小夜子は醜い猿男の悪行を、文字通り己が身で償わせたのだ。
救われた子猫を、隣家の陰から見守っていた母猫がくわえて安全圏まで運び去る。
小夜子は、そんな様子を見て笑う。
数日前、小夜子はエリコと共に、目前の猿男とその息子の豚を狩った。ヤニ狩りだ。
だが奴らは隠し持った肉人壺により復活していた。
そして恥知らずの豚男は、双葉あずさへの襲撃を予告した。
だから警備員と鷹乃は2人のあずさのひとり、支倉美穂の自宅を警護した。
舞奈たちはコンサート会場の警備をしている。
そして小夜子はサチと共に、再びこの悪魔の家を訪れた。
肉人壺を破壊し、今度こそ薄汚い脂虫の親子をこの世から完全に消し去るために。
小夜子は猿男を一瞥する。
なぜなら【命の譲渡】は治療対象と贄の双方が生きていなくては使えない。
つまり猿男は生きているということだ。
脳天を撃ち抜かれ、薄汚い壁に叩きつけられて足を折られた猿は苦痛にうめく。
「なっ、何を……何をしやがる!」
猿男はヤニで歪んだ顔を、怒りでさらに歪めて立ち上がる。
禿頭の額からは蛾のような不気味な触覚。
その手に握られた、頭蓋と毛で装飾された不気味な槍。
方天画戟――使用者の人間性と引き換えに、身体を再生させる宝貝。
「この俺の楽しみを邪魔しやがって!」
猿のように叫びつつ、男は槍で小夜子を突く。
だがサチが短い祝詞を唱えた途端、2人は見えざる障壁に包まれる。
即ち【護身神法】。
2人の手首にはめられた注連縄がゆれる。
次元断層による強固な壁が、不潔な猿男を弾き飛ばす。
猿は軒先に駐められた車に背中からぶつかる。
薄汚い車体がへこむ。
猿男はヤニで歪んだ身体を車から引きはがし、叫ぶ。
「クソッ!! テメェ、どこの学校の――」
「――【機関】の執行人よ。害虫を駆除しに来たわ」
言いつつ小夜子は集中し、周囲に散らばる無数の小石を浮かび上がらせる。
空気を操る呪術【蠢く風】。そして、
「貫き砕け、山の心臓!」
神々へ【砕く石】の成就を呼びかける。
無数の小石が銃弾のように猿男を撃つ。
「グォ! グォ! グォ! グォ! グフッ!!」
猿は再び車に叩きつけられ、そのまま石弾の嵐に全身を穿たれて悲鳴をあげる。
汚らしいヤニ色の体液が全身から飛び散る。
死にはしないが身動きも取れない。
その隙に世界が変容する。
古びた街並みが、現実味を欠いた幽玄と化す。
平屋の家屋の上から仏像が顔を覗かせ、般若心経の細い調べが静かに流れる。
時空との対話により地蔵菩薩の加護を得る【地蔵結界法】。
この妖術によって張り巡らされた戦術結界は、範囲内の空間を周囲から遮断することで仏敵の魔力を遮断する。
サチは虚空に微笑みかける。
神術士であるサチも戦術結界を形成できる。
だが小夜子のサポートに専念するため、その役目は奈良坂に譲った。
仏術士である奈良坂は、事前の計画通りに戦術結界を形成してくれた。
だが今回、術者である奈良坂は結界の外にいる。
だから結界の中にいるのはサチと小夜子。
そして悪魔の家と、その住人である脂虫だけだ。
小夜子は【ジャガーの戦士】の身体強化にまかせ、猿との距離を一気に詰める。
両手の指からのびる【霊の鉤爪】で車ごとぶった斬り、醜い肉と鉄が入り混じったオブジェへと変える。その時、
『――怪異ノ奇襲ニ警戒セヨ!』
「俺の親父ニィィ! 何しやがル!!」
小夜子にしか聞こえぬ煙立つ鏡の警告とともに、悪魔の家の玄関が開いた。
そして豚のように醜く肥えた新手が躍り出る。
前回のヤニ狩りの時と同じ状況だ。
だが以前と違って小夜子たち十分な準備をしており、油断していなかった。
だから小夜子は動じない。
側の車に混ざり合って蠢く痩せ細った怪異――父子の父親役の腹を裂く。
その中に腕をねじ入れ、新たな得物を引きずり出す。
贄を裂いて扉と化し物品を取り出す【供物の蔵】の呪術。
そして脂虫の腹から取り出したのは、平べったい独特の容姿をした長物。
AA-12。
散弾をフルオートで発射可能な軍用ショットガンだ。
「親父ィィィィィ!!」
豚男は槍を手にして小夜子に跳びかかる。
「方天画戟が2本!?」
サチが驚く。
この厄介な宝貝を、敵はいくつも用意しているらしい。
「……丁度いいわ」
それでも小夜子は動じない。
素早く豚にショットガンを向け、発砲。フルオート。
反動は身体強化による腕力で無理矢理に耐える。
至近距離から8発の散弾をくらった豚男の腹はミンチになる。
ヤニ色の飛沫と臓物が周囲一面に飛び散り、障壁に阻まれて地を汚す。
だが小夜子は容赦しない。
「貪り喰らえ、トルコ石の蛇!」
さらに【捕食する火】で空気を火に変え、槍を手にしてもがく豚を焼きつくす。
負荷に耐えかねた方天画戟が根元からへし折れ、塵と化して消える。
小夜子は空になったボックスマガジンを落とす。
そして小賢しく再生しようとしていた猿男を使って再び【供物の蔵】を行使。
腐肉の門と化した猿から新たな弾倉を取り出す。
落とした弾倉より装弾数の多い、32連ドラムマガジンだ。
それをショットガンにセットして、当の猿男を少し撃つ。
AA-12にセミオート機能はない。
だから数発だけ撃つ場合は引鉄にこめる力で加減する。
至近距離から放たれた3発の散弾は、猿男の頭から腹をズタズタに引き裂く。
汚い色のぼろきれが、獣のような悲鳴をあげる。
小夜子は再び【捕食する火】を行使し、薄汚い父親役を車と一緒に焼き尽す。
こちらの方天画戟もへし折れ、塵と化して消えた。
悪の魔道具とも言うべき宝貝は、怪異と似た物質で形作られているらしい。
だが小夜子たちの仕事は終わりではない。
彼女らが悪魔の家を訪れた本来の目的は、屋内にあるはずの肉人壺の捜索と破壊。
復活の効果を持つ宝貝をこの世から消し去り、父子の復活を永遠に阻止するためだ。
だが小夜子は眉をしかめる。
豚男は己が醜い欲望を満たすため、双葉あずさを襲撃するのではなかったか?
小夜子たちは、その隙に手薄になった肉人壺を破壊する段取りだったはずだ。
あるいは預言やそれに類する手段によって肉人壺の危機を察し、襲撃を中止したか?
どちらにせよ、小夜子たちがすべきことは変わらない。だから、
「……行くわよ」
「ええ」
小夜子とサチは家の前に置かれた廃車を避け、玄関に近づく。
住人と同じく薄汚れた小さな家の玄関の錠にショットガンをつきつける。発砲。
薄汚いドアの気味悪い錠が吹き飛ぶ。
小夜子は身体強化の脚力にまかせてドアを強引に蹴破る。
悪魔の家の玄関口は外観と同じく、来訪者を拒むように狭く見苦しい。
何より、ここが忌まわしい怪異の根城であると証明するように、吐き気がするようなヤニの悪臭が立ちこめている。
小夜子は罠を警戒して下駄箱を【霊の鉤爪】で引き裂いてから進む。
下品な色の玄関マットを戦闘ローファーが踏みしめる。
玄関の目前には登り階段。
隣には奥に向かって廊下がのびている。
そして左右にドア。
ひとまず2階は後回しにして左右どちらから捜索するかと躊躇した瞬間――
『――前方カラ奇襲ダ!』
ショットガンの平たくのっぺりとした側面に、煙立つ鏡の現身である影が映った。
「えっ!?」
警告と同時に階段の陰から歪に肥えた人影が跳び出す。
小夜子は反射的に2発撃ってミンチにする。
先ほどの豚男だ。
だが幸いにも方天画戟は持っていないらしい。
穴だらけの体液まみれになって薄汚い廊下の隅に転がったまま動かない。
「同じ個体が2匹いる?」
「……肉人壺にそういう使い方があるってことかしら」
珍しく不快そうな小夜子の問いに、サチも顔をしかめて答える。
神術士に彼女にとって、これは生命に対する冒涜だ。
「肉人壺の場所はわかる?」
『邪悪ノ最タル宝貝ハ、此処ヨリ地ニ近イ場所ニアル』
ショットガンの側面に映った影が揺れる。
「地に近い……? 地下かしら」
煙立つ鏡からの答えを解釈しつつ、ひとりごちる。
側でサチがうなずく。
こちらも同様の術によって啓示を得たのだろう。
おそらく結果も同じだ。だから、
「見張ってて」
「うん」
サチに奥と階段の監視を任せ、左のドアを蹴破る。
部屋には脂虫らしい悪趣味なセンスの調度品以外は特に何もない。
なので【捕食する火】で焼き払う。
右の部屋も同じようにクリアする。
こちらにも地下への通路はなし。
「残るは奥ね」
2階への階段を避け、廊下を歩く。
先ほどの襲撃もここからだった。
それに邪悪な再生を司る宝貝を、玄関から最も遠い場所に置くのは妥当な判断だ。
廊下の突き当り、階段で隠れる位置にドア。
玄関と同じように蝶番を破壊してドアを蹴破り――
――気配に後押しされるように撃つ。3発。
『警戒セヨ――』
声より先に手ごたえ。
先ほどと同じ豚男だった。
ドアの向こうは部屋ではなく、下へと続く石造りの階段になっていた。
よくよく考えれば家の大きさからして奥に部屋があるはずもない。
技術担当官あたりが同行していれば気がついたのかもしれないが、いないものはしかたがない。それに目的の場所は見つけたのだから問題はない。
2人はショットガンを構えた小夜子を先頭にして階段を降りる。
そこは地上の部屋をいくつも集めたほど大きな広間だった。
ヤニの悪臭に加え、立ちこめる血と腐敗の臭いに吐き気を覚える。
そんな不快な広間の中央には、人ひとりがすっぽり入れそうなほど大きな壺。
『汝ガ求メル宝貝ダ』
声に言われるまでもない。
肉人壺だ。
部屋の床には腐肉と骨が散乱している。
壁に貼りつけられているのは、鎖に繋がれたいくつもの犬の死体。
この家の呪われた父子が肉人壺に捧げ続けてきた生贄だろう。
そして、年配の女性とおぼしき人間の亡骸。
おそらく猿男の妻であり、豚男の母である女性。
哀れで、そして不運な女性。
悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者は、自ら人であることを辞め怪異と化した脂虫だ。
人の姿と名を持つ奴らは、だが人ではない。
人の心を持たず、人に仇成す害畜だ。
そんな人間型の怪異に、彼女はそそのかされて子をはらまされた。
その呪われた子供も脂虫になった。
そして2匹の怪異は共謀し、彼女を他の動物たちと同じように殺して贄にした。
自身の邪悪な命を長らえさせるために。
脂虫に関わった人間にとって、それはよくある末路だ。
悪臭と犯罪をまき散らす脂虫は、人の世に仇成す害悪だから。
それが家族であったのなら人間側には滅びしかない。
怪異の同類として取りこまれるか、怪異に殺されるしかない。
あるいは怪異――邪悪な喫煙者を殺すしかない。
自身で怪異に抗う術に目覚めたエリコが特別なのだ。
あるいは第三者に救われた梓が幸運なのだ。
目の前の壁に吊られて朽ち果てた彼女は、そのどちらでもなかった。
サチと出会う前、小夜子を支えていてくれた幼馴染もそうだった。
肉人壺の周囲に、いくつもの影が幽霊のように湧き出る。
1階にあらわれた複数匹の豚男は、こうして作られたのかと納得する。
側のサチが身をこわばらせる。
呪われた宝貝は、己が身を守るために粗悪な複製品を乱造していたのだ。
影は耳障りな雄叫びをあげながら、豚男の姿をとる。
父親役の方を複製しないのは、若い彼の方が強靭だからか、低コストだからか。
どちらにせよ、醜く肥えた豚顔を喫煙でさらに歪ませた奴らすべてが脂虫だ。
セーラー服の胸元で、黒曜石の鏡をはめこまれたペンダントが輝く。
小夜子の幼馴染の形見だ。
小夜子には、脂虫を殺す理由がある。
奴らが喫煙者であるからというだけで焼き払い、くびり殺す正当な理由がある。
「殲滅するわよ!」
小夜子はショットガンを掃射する。
数多の散弾が、何匹もの豚男を粉砕する。
「斬り刻め! 羽毛ある蛇!」
撃ち漏らした数匹を【切断する風】の大気の刃で両断する。
うち1匹の土手っ腹に穴を開け、【供物の蔵】で新たなドラムマガジンを取り出す。
どの脂虫も、臭いヤニ色の肉片になって飛び散って消えた。
そして守るもののいなくなった肉人壺にショットガンを向ける。だが、
「な……!?」
小夜子とサチの目前で、肉人壺の周囲に先ほどの数倍する影があらわれた。
広間を埋め尽くす勢いで出現したそれは、正に無数。
そして、そのすべてが、ゆっくりと豚男の姿をとった。
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