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第10章 亡霊
戦闘3-2 ~銃技&戦闘魔術vs完全体
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「野郎、大魔法を使う気だ!」
舞奈は舌打ちする。
キムの四方には4匹の脂虫。
執行人がヤニ狩りでするように、四肢を切断された状態で転がっている。
そいつらを贄にして何かの術を使うつもりだろう。
舞奈は2丁の拳銃を構えながら走る。
だが、その前に滓田と巨漢が立ちふさがる。
両手の銃口をそれぞれ滓田と巨漢に向け、メノラーの引鉄を引く。
凄まじい光線が2人の男めがけてほとばしる。
即ち【硫黄の火】。
だが同時に滓田は符を取り出し、炎の衣――【火行・防衣】を身にまとう。
巨漢は岩石の盾――【土行・岩盾】を構える。
先程より細く弱い2条の光は、炎と岩の防御魔法に阻まれて消えた。
「さっきので魔力切れか」
舌打ちする。
そこに仕返しとばかり、滓田は新たな符を、巨漢は符の束を放る。
符は燃え盛る火球――【火行・炸球】と化し、舞奈を襲う。
符の束は石つぶての雨――【土行・多石矢】となって降り注ぐ。
舞奈は回避しようと明日香に向き直る。だが、
――我に防御を命じよ。
「ああ、防御を頼む!」
声に従い拳銃を後ろ手に構えながら、それでも明日香を構えて跳ぶ。
だが、その必要はなかった。
舞奈の背後――銃口の先に、光り輝く六芒星が出現したのだ。
大きさは人が完全に隠れられるほど。
輝く光の文様に阻まれた石つぶては地に落ち、火球は爆発する。
六芒星は爆炎すら通さない。
そして2つの攻撃魔法を防いで用を果たし、溶けるように消えた。
「そっちは【ダビデの盾】!」
素早く立ち上がりつつ明日香は驚く。
側で、それより速く構えていた舞奈も笑う。
なるほど魔道士による魔道士の為の組織が支給した魔道具は、攻防を兼ね備えた理想の武具だ。
だが攻防の間に、キムは獣のように叫んで施術を締めくくった。
術の完成を許してしまったらしい。
舌打ちする舞奈の目前で、脂虫たちが苦悶にうめきながら黒い塵と化して崩壊する。
そして穢れた塵に汚されるように、ゆっくりと世界が黒ずんでいく。
「【大尸来臨郷】ね」
「戦術結界か」
舞奈と明日香は油断なく得物を構える。
動揺はない。
他の致命的な大魔法に比べれば、閉じこめられる程度で済んだのは幸運だ。
そう思える程度には、2人とも修羅場をくぐってきた。
だがさらに、結界の端から湧き出るように無数の人影があらわれた。
一様に錆びたカタナや鉄パイプを構え、ボロを着こんでいる。
そして溶け落ちたような顔をしている。
「泥人間だ。……ったく、どっから湧いて出やがった!」
思わず罵る。
だが心当たりがなくもない。
この数日、新開発区で泥人間に出くわすことが多すぎた。
あれらは決して偶然ではなく、彼らによって呼び集められていたのだ。
一方、明日香も手をこまねいていた訳ではない。
号令によって式神を展開させていた。
2人の前に機関銃が2体。
後ろに機関砲が1体。
普段は魔力と制御限界のバランスから複数種類の、しかも重火器の式神を同時展開することはない。だが【組合】からのバックアップを受けた今は別だ。
「射線を開けて!」
叫びに応じて飛び退った舞奈の背後で、機関砲が唸りをあげる。
狙いはキム。
豪雨の如く掃射される超大口径ライフル弾が、キムの周囲の泥人間を飛沫に変える。
だがキム本人は数多の火の玉を操り、砲弾の嵐を受け止める。
戦車をも撃ち抜く超大口径ライフル弾の群を、爆発によって勢いを殺して防御する。
即ち【火行・防盾】。
その間に滓田と巨漢、キムは泥人間の渦の中に逃げこむ。
群れなす手下をけしかけて、数で圧倒する算段か。
だが明日香はクロークの内側から小振りな錫杖を取り出す。
「ハヌッセン・文観」
偉人の名を唱えると錫杖の柄がひとりでにのび、背丈ほどの長さになる。
先端には髑髏。髑髏を囲う輪形に通された16個の遊環が、シャランと鳴る。
即ち双徳神杖。
戦闘魔術師が用いる聖なる杖。
切り札のひとつであるドッグタグを使い切ってしまったから、高度な魔術を行使するには、それ自体が魔力を発生させる錫杖が必要だ。
そして明日香は素早く大自在天の咒を紡ぐ。
舞奈たちに襲いかかろうとしていた泥人間どもに、双徳神杖を突きつける。
そして「放射」と唱える。
すると杖の先端から、氷塊の混じった吹雪が放たれる。
即ち【冷気放射】。人口の吹雪を放つ魔術だ。
恐るべき冷気の奔流は泥人間どもの足元を凍りつかせ、動きを止める。
身動きのとれぬまま凍てつく冷風に晒され、やがて全身が凍りつく。
そんな犠牲者たちを、吹雪に混じった氷塊が次々に砕く。
さらに電気ノコギリに似た異音が響く。
明日香の両サイドの式神が2丁の機関銃を掃射する音だ。
式神が放った弾丸の奔流が泥人間どもを切断する。
掃射に耐える【装甲硬化】は、舞奈が拳銃で片づける。
相手が泥人間なら【装甲硬化】で守られていない剥き出しの部位を撃ち抜けばいい。 小口径弾で十分だ。だが、
「何故、我々を殺す!?」
叫びとともに、何処からか放たれた火球が機関銃の式神に命中して爆発した。
本体の奇襲だ。
無数の泥人間で形成された壁の陰から【火行・炸球】を撃ちこまれたのだ。
直撃を受けた式神は塵と化して消える。
もう1体の機関銃が反撃する。
だが泥人間がまとめて粉砕された跡に襲撃者はいない。
別の群の中に逃げこんだらしい。
「……セッコい真似しやがって」
舌打ちする。
泥人間の群を利用したゲリラ戦術だ。
人型の怪異の群にまぎれれば、空気の流れを読める舞奈にも、魔力を察知できる明日香にも居場所を悟られずに済む。
先ほどドッグタグを使い切ってしまったのが悔やまれる。
あるいはメノラーの魔力を温存していれば一掃できたかもしれない。
だが後悔は無意味だ。
舞奈は逆手の拳銃を仕舞って短機関銃を抜く。
短機関銃と拳銃の両手持ちで泥人間どもを牽制する。
機関砲は超強力だが、デタラメにばら撒く砲弾にも限りがある。
これ以上の無駄撃ちは避けたい。
そして機関銃の1体だけでは泥人間どもを抑えることはできない。
明日香の【冷気放射】も無限には続かない。
「私たちが何の悪を成したというのかね!?」
再び滓田妖一の声。
舞奈は拳銃を構えて耳を澄ます。
だが結界が声を反響させるのか滓田の居場所はわからない。
そういえば彼は1年前にも、戦闘の最中にこうやって身勝手な問いかけをした。
だが脂虫に人の心はない。
ヤニを摂取して魂を捨て去った怪異だから、平気で他者を傷つけ、欺く。
おおかた舞奈の油断を誘う算段なのだろう。
だから、あの時は問いを建前ではぐらかし、代りに銃弾で答えた。
だが同時に、当時の舞奈は彼の問いに対する自分なりの答えを持っていなかったのではないのだろうかと、ふと思う。
なぜなら1年前、舞奈はただ彼を殺したかった。
友達だった陽介を、彼らが殺したから。
舞奈は明日香を手で制して【冷気放射】を止めさせる。
巨漢とキムが手出ししてこない。
今回、奴は本当に答えを聞きたいのかもしれない。
それに、このまま防戦を続けていてもジリ貧だ。
「君は分不相応な力で、人を殺すのを楽しんでいるのではないのかね!? 違うか!」
「――あんたは仕事を嫌々するのか? そんなんじゃ上手くいかんだろう」
叫ぶ滓田に、静かに答える。
脂虫も泥人間も人じゃないだろう、というわかりきった言葉は飲みこんだ。
それでも彼は気に入らなかったのだろう。
結界の空気を憤怒が揺らす。
「人殺しの仕事をかね!?」
何処からか放たれた火球が、ひょいと避けた舞奈の小さなツインテールを焦がす。
火球はそのまま虚空で爆ぜる。
「君のような子供が、仕事で我々を殺したというのかね!?」
再度の火球は、飛来する途中で光の粉になって消える。
明日香の【対抗魔術・弐式】――魔法消去だ。
相手が術に不慣れな滓田なら反撃の心配はないとふんだか。
そうする間にも、式神の機関銃が泥人間の群を牽制している。
電気ノコギリに似た発射音にかき消されぬよう、けど叫ぶことなく、舞奈は答える。
微笑みながら。
「あたしには仲間がいる。頭がいい奴に悪い奴、明るい奴、暗い奴、器用な奴に不器用な奴に、金のある奴とない奴、白い奴黒い奴、美味い飯を作れる奴……」
語りながら、舞奈の脳裏を友人たちの顔がよぎる。
無口なテックに意味不明なみゃー子。
ほがらかなサチと陰気な小夜子。
エヘヘと笑う奈良坂に、桂木姉妹に桜、クリス、ベティ、張にスミス。
学校のみんな、【機関】の仲間、【組合】の友人。
他にもいっぱい、いっぱい。
舞奈には、たくさんの仲間がいる。
「それぞれみんな、自分のするべきことをやってるんだ。だから世界は回ってる」
語りながら、笑う。
テックは誰も知らない情報をキーボード片手に調べてみせる。
サチや小夜子は魔法を使える。
他の皆だって自分の得意な何かで、他の誰かに役立つことができる。
「それに、そばにいるだけであったかくて、気持ちよくしてくれる奴」
いつしか舞奈は戦闘時の不敵な笑みではなく、常時の柔らかな笑みを浮かべていた。
その脳裏に浮かぶのは屈託のないチャビーの笑顔。
心優しいシスターの微笑み。
無邪気なリコ。
そして照れたような園香の笑顔。
その笑顔を、何より舞奈は守りたい。
「奴らは奴らの仕事をしてくれている。あたしだけじゃなくて皆のために。あたしはただ、そいつらから少しずついろんなものを貰ってるだけだ。けど――」
舞奈は拳銃と短機関銃を真正面へ向ける。そして、
「――あんたたちは誰とも協力しない。ただ奪うだけだ。だから皆を守るために、あたしはあたしの仕事をする。糞ったれの化け物を退治するっていう大事な仕事をな!」
柄にもなく、話すうちに思わず高揚した。だから、
「そのためなら、ちょっとくらい臭くて後味が悪いくらい屁でもねぇ!!」
感情のままに撃ちまくる。
小口径弾が数匹の頭を正確に射貫き、小口径弾が蜂の巣にする。
その銃弾が、言葉が、この1年で見つけた舞奈の答えだ。
舞奈が戦う理由だ。
同じ方向めがけて機関砲が火を噴き、泥人間の壁の一角を吹き飛ばす。
さすがは砲撃。拳銃弾の掃射が意味ないくらいの大破壊だ。
その中心に、爆発する火球を連続生成して超大口径ライフル弾の嵐を凌ぐキム。
その背後に庇われた滓田妖一。
「何故、私の居場所が!?」
滓田は驚く。
舞奈はプロだ。
自分語りをしながらだって仕事はする。
手下の陰に隠れたつもりで感情を高ぶらせる滓田の居場所を見抜くくらいは。
「父上! キム!」
巨漢の叫び。
同時に背後から巨大な石の刃が飛来して機関砲をぶった切る。
式神は塵と化して消える。
その隙にキムと滓田は残る泥人間の群の中に逃げこむ。
「野郎!? 性懲りもなく――」
「――さっきの【ダビデの盾】、もう1回使える?」
怒る舞奈に、再び双徳神杖を構えた明日香が静かに問う。
「多分な」
短く答える。
同時に冷静さを取り戻す。
恒久的に効果を発揮する魔道具は、その性質上、式神のように魔力を循環させ、使っていないときに自動回復させる。
先ほど明日香に【冷気放射】を止めさせたのも、杖の魔力を回復させるためだ。
メノラーが同じものかは知らない。
だが、連続行使した直後の先ほどより状況はマシなはずだ。
おそらく【硫黄と火の杖】は無理だが、【ダビデの盾】ならいける。
「次に撃たれたら使って。ちょっと遠目に」
「了解」
言ったはなから火球。
最後に残った機関銃も消える。
「……野郎!」
盾の展開は間に合わなかった。
頼みの綱を失ったのは痛いが、それでも反撃すべく銃口を向ける。だが、
「使って! 速く!」
「!?」
急き立てられるように、引鉄を引く代わりに(盾よ!)と念じる。
銃口の先、舞奈の目前に六芒星が出現する。
だがその盾が何かを防ぐことはないだろう。奴らはゲリラ戦をしたがっている。
それでも明日香は、六芒星に双徳神杖を突きつけ「情報」と唱える。
途端、杖の先から放電する稲妻が放たれた。
稲妻は手近な泥人間を穿ち、軌道を変えて別の獲物めがけて突き進む。そうやって次々に飛び火しながら怪異どもを消し炭に変える。
明日香が多用する【鎖雷】である。
だが魔力を供給し火炎放射すら可能とする双徳神杖を使って行使された術により、誘導する雷撃は杖の先から連続発射される。
しかも六芒星を通り抜けた雷撃は、その輝きと威力を信じられないほど増していた!
どうやら六芒星の盾は術者を守るだけでなく、術を強化する効果もあるらしい。
なるほど【組合】の魔術師が、魔道具に焼きつけて後生大事に持ち歩く訳だ。
つまり明日香が放ったのは、強化され誘導される無数の雷弾。
それが舞奈たちの前方はおろか、周囲の泥人間すら蹂躙する。
圧倒的な電撃のエネルギーの前に【装甲硬化】すら一瞬で消滅する。
その威力は機関砲と同等か、それ以上。
あるいは【雷嵐】をさらにえげつなくした感じか。
雷弾の掃射が怪異の壁をみるみる削る。
だが泥人間は相当量が残っている。
……どうやら部屋の外から補充されているようだ。
舞奈は周囲を警戒する。
残りの群に身を潜めた男たちが、起死回生を狙って跳び出してくるのは明白だ。
再び火球。
六芒星が爆炎を防ぎ、消える。
だが舞奈は背後を見やる。
まだ比較的厚い怪異の壁の陰に、ちらりと流麗な少年が見えた。
「見つけたぞ! キムだ!」
振り向きながら叫ぶ。
予想通り。
奇襲をしていたのは、火行を操る滓田妖一。
だが奴らの要はキムだ、
奴が結界と泥人間の群を維持している。
一方、明日香は既に真言を唱え始めていた。
雷撃の嵐に対して思わず使った防御魔法の魔力を感知したのだろう。
舞奈も取り急ぎ、撃ち尽くした短機関銃を捨て拳銃も仕舞う。
そして先ほど仕舞った方の拳銃を素早く抜く。
泥人間の影に隠れたキムの脳天に片手で狙いを定める。
そして引鉄を引く。まずはメノラー。
万全ではないものの回復した魔力によって、レーザー光線が折り重なる怪異の身体に次々に風穴を開けながらキムめがけて突き進む。
「く……!?」
だがキムは寸でのところで符を水の盾に変えて防いだ。
それでも咄嗟の防御魔法が用を果たして解けた次の瞬間、小口径弾が顔面を穿つ。
そのまま連射し、残弾すべてをぶちこむ。
泥人間にレーザーが穿った穴を数多の弾丸が通り、秀麗な少年の顔を引き裂く。
次の瞬間、撃ち抜かれた少年は光に包まれた。
そして釣鐘型の頭をした銀色の屈強な肉体へと転化する。
完全体だ。
同時に明日香は乾闥婆の咒を唱え終え、「欺瞞」と締める。
途端、キムの正面の空気が揺らいで異形の何かがあらわれる。
人に似た四肢を持つ、だが何処となく、けど決定的に人とは異なる容姿をした何か。
舞奈はそれを、召喚魔法だと思った。
だが空気の流れを読み取る舞奈の感覚では、そこにいるものを察知できない。
それは光を操作して形作られた幻影だった。
明日香が行使したのは、幻を作りだす【虚像】の魔術だったのだ。
そして、そこにあらわれたものの正体は――
「――小夜子さん、怒るんじゃないか?」
舞奈は思わず目を丸くする。
それは子供の落書きのような、出来そこないのポリゴンのような小夜子であった。
以前に滓田の髪を描いたときもそうなのだが、明日香の絵心の無さは半端ない。
現に目前の小夜子(仮)も、衣服は色合いでセーラー服だとわかるものの、肌色をした手足の長さは左右まちまち、猫耳と一緒に髪は逆立ち、両目は釣り上がり、身体強化のカギ爪は手からも足からも生えている。
大昔の壁画に描かれた悪魔の絵、といっても通用する。
明日香は何をするつもりなんだ?
舞奈が呆然と見やる前で、
「小夜子ちゃん!? 何故……!? いやだ……!?」
それでもキムは幻を見やって怯えた。
舞奈が訝しむ側で、明日香は素早く吉祥天の咒を唱える。
そして「欺瞞」と締める。
確か【洗脳】という名の術だったはずだ。
認識阻害と同様に相手の精神に直接介入して誤情報を流しこむ魔術だ。
それにより幻覚を見せたり、上手く使えば相手の思考を操ることすらできる。
そしてキムは次の瞬間、絶叫した。
「……そういうことか!」
合点がいった。
舞奈は以前、二段構えの隠形術を脅威だと感じた。
空気の流れで存在は察せても、姿は見れない。
距離があるならそれすらできないので、気づきようがない。
明日香がしたのも同じことだ。
幻による偽の視覚情報が、洗脳による幻覚の効果を増強する。
そして幻覚による恐怖をフィードバックさせ、幻影にリアリティを与える。
相手に幻覚を見せる術はウアブ魔術にも存在する。
しかも本来は対物用の【物品と機械装置の操作と魔力付与】を応用して相手の意識にイメージを押しつける【洗脳】は、【高度な生命操作】により人間の脳をおかしくするウアブの術より精度は劣る。
本来は魔道士相手に通用する代物じゃない。
幻影のほうは精度とかそういう次元ですらない。
だが、それらを組み合わせた二段構えの幻術の効果はこれだ。
「やめて……小夜子ちゃん……やめて……」
キムは小夜子の幻覚に、小夜子の記憶に怯える。
それに応じて幻影の小夜子は大きくなり、更に真に迫った凶悪な容姿になる。
1年前、キムを倒したのは小夜子だと聞いた。
サチのおかげで最近はマシになったものの破滅的でネガティブな彼女が、心の支えだった陽介に手を下した彼をどのようにして屠ったか。
舞奈はそれを小夜子から聞いていない。
聞きたくないからだ。
そんな情報は、平穏な日々を暮らすために不要だと思った。
だが、キムはそれを知っている。
文字通り、身をもって。
「やめ……痛! ……痛い……やめ……やめ……」
キムのイメージのをフィードバックした小夜子(仮)の腕は、カギ爪を生やした毛むくじゃらの猛獣のような何かへと変化する。
そして、悪い魔法のように腕をのばして完全体の銀色の身体をつかむ。
「小夜子ちゃ……痛い……痛! ……痛! ……痛! ……やめ……」
完全体と化したはずのキムは痙攣しながら、徐々に削れてゆく。
それにあわせて、泥人間の統率がゆらぐ。
「ええい! キム! 何をしておる!」
泥人間の群の中から滓田の声。
舞奈は拳銃を持ち替えて撃つ。
怪異の壁に阻まれ銃弾は滓田に届かない。だが、
「ひいっ!? ……小夜子ちゃん……やめ……何を!?」
キムは怯え、崩壊の速度を早める。
銃声もダメか?
まるで重度のPTSDだ。
ふと舞奈は思いだす。
かつてピクシオンの仲間だった一樹は、魔法かそれに比類する超攻撃でしか倒せないはずの式神を、ごく普通のナイフだけで殺すことができた。
式神は魔力を循環し、自身を五体満足の状態へ変化させることで自己再生する。
そこに苦痛と恐怖を与え続けて絶望させ、『破壊された状態』へと再生させるのだ。
明日香が魔術を使ってしているのも、おそらく同じことだ。
大規模魔術でしか倒せない至高の強度を持つはずの完全体が、自分自身の恐怖と絶望によって徐々に崩壊していく。
それに応じて幻影はさらに凶悪な姿に変化する。
そうやって、キムは自分自身の弱さに負けて自壊するのだ。
だが明日香はキムに駆け寄りながら、次なる真言を唱える。
奉ずる仏は帝釈天。
そして「魔弾」と締める。
かざした掌から、目もくらむばかりに放電する稲妻の奔流が放たれる。
即ち【雷弾・弐式】。
明日香が修めた戦闘魔術の、最も初歩の攻撃魔法。
そして彼女が陽介の前で使った、初めての魔術。
至近距離から放たれたそれは、キムへの止めとなった。
完全体は粉々に砕け、塵になって消えた。
明日香は生粋の戦闘魔術師だ。
魔術師であり、兵士だ。
だから敵を倒せるチャンスを逃さない。
苦痛を長引かせるために生き永らえさせることもない。
そして明日香は常に成長する。
現に今しがた放った雷弾の威力すら、以前の術のそれを凌駕していた。
太陽のように激しく輝くそれは、まるで大魔法かと思うほどだ。
キムが作った結界は消え、周囲は元の廃ビルへと戻る。
結界の中であらわれた泥人間も、何処かへと逃げ去った。
明日香がキムを倒したからだ。
当の明日香は、塵と化して消えるキムを見やって笑っていた。
守りたい、人がいる。
かつて明日香は、普通の家庭に生まれて健全に暮らすチャビーたちクラスメートたちに自分との共通点を見出せなかった。
明日香は彼女らを、自分とは縁のない遠い世界の住人だと思っていた。
その考えは今でも変わらない。
だが、その他人でしかない彼女らとの日常は、明日香に力を与えていた。
その事実に、ようやく気づいた。
先ほど舞奈が滓田に語った言葉で、気づいた。
テックの生真面目さと繊細さが心地よかった。
園香の心優しさに癒されたことがないといえば嘘になる。
みゃー子もまあ、いないよりいた方が楽しいと今は思える。
そして、チャビーの無邪気さが愛おしい。
子猫に似た屈託のない彼女の笑み、何も考えていないと思えるほど無垢で奔放で、なのに他者が傷つくことを無意識に避けようとする純粋さ。
それは明日香が明日香であるために捨ててしまったもの。
そう、それこそが明日香にとっての、ウィツロポチトリの――
「――避けろ明日香!」
舞奈が叫んだ。
次の瞬間、滓田妖一が放った火球が明日香に着弾、爆発した。
爆炎が収まった後、そこに明日香はいなかった。
かつて明日香がいた場所に、焼け焦げた4枚のルーンが落ちて、砕けた。
舞奈は舌打ちする。
キムの四方には4匹の脂虫。
執行人がヤニ狩りでするように、四肢を切断された状態で転がっている。
そいつらを贄にして何かの術を使うつもりだろう。
舞奈は2丁の拳銃を構えながら走る。
だが、その前に滓田と巨漢が立ちふさがる。
両手の銃口をそれぞれ滓田と巨漢に向け、メノラーの引鉄を引く。
凄まじい光線が2人の男めがけてほとばしる。
即ち【硫黄の火】。
だが同時に滓田は符を取り出し、炎の衣――【火行・防衣】を身にまとう。
巨漢は岩石の盾――【土行・岩盾】を構える。
先程より細く弱い2条の光は、炎と岩の防御魔法に阻まれて消えた。
「さっきので魔力切れか」
舌打ちする。
そこに仕返しとばかり、滓田は新たな符を、巨漢は符の束を放る。
符は燃え盛る火球――【火行・炸球】と化し、舞奈を襲う。
符の束は石つぶての雨――【土行・多石矢】となって降り注ぐ。
舞奈は回避しようと明日香に向き直る。だが、
――我に防御を命じよ。
「ああ、防御を頼む!」
声に従い拳銃を後ろ手に構えながら、それでも明日香を構えて跳ぶ。
だが、その必要はなかった。
舞奈の背後――銃口の先に、光り輝く六芒星が出現したのだ。
大きさは人が完全に隠れられるほど。
輝く光の文様に阻まれた石つぶては地に落ち、火球は爆発する。
六芒星は爆炎すら通さない。
そして2つの攻撃魔法を防いで用を果たし、溶けるように消えた。
「そっちは【ダビデの盾】!」
素早く立ち上がりつつ明日香は驚く。
側で、それより速く構えていた舞奈も笑う。
なるほど魔道士による魔道士の為の組織が支給した魔道具は、攻防を兼ね備えた理想の武具だ。
だが攻防の間に、キムは獣のように叫んで施術を締めくくった。
術の完成を許してしまったらしい。
舌打ちする舞奈の目前で、脂虫たちが苦悶にうめきながら黒い塵と化して崩壊する。
そして穢れた塵に汚されるように、ゆっくりと世界が黒ずんでいく。
「【大尸来臨郷】ね」
「戦術結界か」
舞奈と明日香は油断なく得物を構える。
動揺はない。
他の致命的な大魔法に比べれば、閉じこめられる程度で済んだのは幸運だ。
そう思える程度には、2人とも修羅場をくぐってきた。
だがさらに、結界の端から湧き出るように無数の人影があらわれた。
一様に錆びたカタナや鉄パイプを構え、ボロを着こんでいる。
そして溶け落ちたような顔をしている。
「泥人間だ。……ったく、どっから湧いて出やがった!」
思わず罵る。
だが心当たりがなくもない。
この数日、新開発区で泥人間に出くわすことが多すぎた。
あれらは決して偶然ではなく、彼らによって呼び集められていたのだ。
一方、明日香も手をこまねいていた訳ではない。
号令によって式神を展開させていた。
2人の前に機関銃が2体。
後ろに機関砲が1体。
普段は魔力と制御限界のバランスから複数種類の、しかも重火器の式神を同時展開することはない。だが【組合】からのバックアップを受けた今は別だ。
「射線を開けて!」
叫びに応じて飛び退った舞奈の背後で、機関砲が唸りをあげる。
狙いはキム。
豪雨の如く掃射される超大口径ライフル弾が、キムの周囲の泥人間を飛沫に変える。
だがキム本人は数多の火の玉を操り、砲弾の嵐を受け止める。
戦車をも撃ち抜く超大口径ライフル弾の群を、爆発によって勢いを殺して防御する。
即ち【火行・防盾】。
その間に滓田と巨漢、キムは泥人間の渦の中に逃げこむ。
群れなす手下をけしかけて、数で圧倒する算段か。
だが明日香はクロークの内側から小振りな錫杖を取り出す。
「ハヌッセン・文観」
偉人の名を唱えると錫杖の柄がひとりでにのび、背丈ほどの長さになる。
先端には髑髏。髑髏を囲う輪形に通された16個の遊環が、シャランと鳴る。
即ち双徳神杖。
戦闘魔術師が用いる聖なる杖。
切り札のひとつであるドッグタグを使い切ってしまったから、高度な魔術を行使するには、それ自体が魔力を発生させる錫杖が必要だ。
そして明日香は素早く大自在天の咒を紡ぐ。
舞奈たちに襲いかかろうとしていた泥人間どもに、双徳神杖を突きつける。
そして「放射」と唱える。
すると杖の先端から、氷塊の混じった吹雪が放たれる。
即ち【冷気放射】。人口の吹雪を放つ魔術だ。
恐るべき冷気の奔流は泥人間どもの足元を凍りつかせ、動きを止める。
身動きのとれぬまま凍てつく冷風に晒され、やがて全身が凍りつく。
そんな犠牲者たちを、吹雪に混じった氷塊が次々に砕く。
さらに電気ノコギリに似た異音が響く。
明日香の両サイドの式神が2丁の機関銃を掃射する音だ。
式神が放った弾丸の奔流が泥人間どもを切断する。
掃射に耐える【装甲硬化】は、舞奈が拳銃で片づける。
相手が泥人間なら【装甲硬化】で守られていない剥き出しの部位を撃ち抜けばいい。 小口径弾で十分だ。だが、
「何故、我々を殺す!?」
叫びとともに、何処からか放たれた火球が機関銃の式神に命中して爆発した。
本体の奇襲だ。
無数の泥人間で形成された壁の陰から【火行・炸球】を撃ちこまれたのだ。
直撃を受けた式神は塵と化して消える。
もう1体の機関銃が反撃する。
だが泥人間がまとめて粉砕された跡に襲撃者はいない。
別の群の中に逃げこんだらしい。
「……セッコい真似しやがって」
舌打ちする。
泥人間の群を利用したゲリラ戦術だ。
人型の怪異の群にまぎれれば、空気の流れを読める舞奈にも、魔力を察知できる明日香にも居場所を悟られずに済む。
先ほどドッグタグを使い切ってしまったのが悔やまれる。
あるいはメノラーの魔力を温存していれば一掃できたかもしれない。
だが後悔は無意味だ。
舞奈は逆手の拳銃を仕舞って短機関銃を抜く。
短機関銃と拳銃の両手持ちで泥人間どもを牽制する。
機関砲は超強力だが、デタラメにばら撒く砲弾にも限りがある。
これ以上の無駄撃ちは避けたい。
そして機関銃の1体だけでは泥人間どもを抑えることはできない。
明日香の【冷気放射】も無限には続かない。
「私たちが何の悪を成したというのかね!?」
再び滓田妖一の声。
舞奈は拳銃を構えて耳を澄ます。
だが結界が声を反響させるのか滓田の居場所はわからない。
そういえば彼は1年前にも、戦闘の最中にこうやって身勝手な問いかけをした。
だが脂虫に人の心はない。
ヤニを摂取して魂を捨て去った怪異だから、平気で他者を傷つけ、欺く。
おおかた舞奈の油断を誘う算段なのだろう。
だから、あの時は問いを建前ではぐらかし、代りに銃弾で答えた。
だが同時に、当時の舞奈は彼の問いに対する自分なりの答えを持っていなかったのではないのだろうかと、ふと思う。
なぜなら1年前、舞奈はただ彼を殺したかった。
友達だった陽介を、彼らが殺したから。
舞奈は明日香を手で制して【冷気放射】を止めさせる。
巨漢とキムが手出ししてこない。
今回、奴は本当に答えを聞きたいのかもしれない。
それに、このまま防戦を続けていてもジリ貧だ。
「君は分不相応な力で、人を殺すのを楽しんでいるのではないのかね!? 違うか!」
「――あんたは仕事を嫌々するのか? そんなんじゃ上手くいかんだろう」
叫ぶ滓田に、静かに答える。
脂虫も泥人間も人じゃないだろう、というわかりきった言葉は飲みこんだ。
それでも彼は気に入らなかったのだろう。
結界の空気を憤怒が揺らす。
「人殺しの仕事をかね!?」
何処からか放たれた火球が、ひょいと避けた舞奈の小さなツインテールを焦がす。
火球はそのまま虚空で爆ぜる。
「君のような子供が、仕事で我々を殺したというのかね!?」
再度の火球は、飛来する途中で光の粉になって消える。
明日香の【対抗魔術・弐式】――魔法消去だ。
相手が術に不慣れな滓田なら反撃の心配はないとふんだか。
そうする間にも、式神の機関銃が泥人間の群を牽制している。
電気ノコギリに似た発射音にかき消されぬよう、けど叫ぶことなく、舞奈は答える。
微笑みながら。
「あたしには仲間がいる。頭がいい奴に悪い奴、明るい奴、暗い奴、器用な奴に不器用な奴に、金のある奴とない奴、白い奴黒い奴、美味い飯を作れる奴……」
語りながら、舞奈の脳裏を友人たちの顔がよぎる。
無口なテックに意味不明なみゃー子。
ほがらかなサチと陰気な小夜子。
エヘヘと笑う奈良坂に、桂木姉妹に桜、クリス、ベティ、張にスミス。
学校のみんな、【機関】の仲間、【組合】の友人。
他にもいっぱい、いっぱい。
舞奈には、たくさんの仲間がいる。
「それぞれみんな、自分のするべきことをやってるんだ。だから世界は回ってる」
語りながら、笑う。
テックは誰も知らない情報をキーボード片手に調べてみせる。
サチや小夜子は魔法を使える。
他の皆だって自分の得意な何かで、他の誰かに役立つことができる。
「それに、そばにいるだけであったかくて、気持ちよくしてくれる奴」
いつしか舞奈は戦闘時の不敵な笑みではなく、常時の柔らかな笑みを浮かべていた。
その脳裏に浮かぶのは屈託のないチャビーの笑顔。
心優しいシスターの微笑み。
無邪気なリコ。
そして照れたような園香の笑顔。
その笑顔を、何より舞奈は守りたい。
「奴らは奴らの仕事をしてくれている。あたしだけじゃなくて皆のために。あたしはただ、そいつらから少しずついろんなものを貰ってるだけだ。けど――」
舞奈は拳銃と短機関銃を真正面へ向ける。そして、
「――あんたたちは誰とも協力しない。ただ奪うだけだ。だから皆を守るために、あたしはあたしの仕事をする。糞ったれの化け物を退治するっていう大事な仕事をな!」
柄にもなく、話すうちに思わず高揚した。だから、
「そのためなら、ちょっとくらい臭くて後味が悪いくらい屁でもねぇ!!」
感情のままに撃ちまくる。
小口径弾が数匹の頭を正確に射貫き、小口径弾が蜂の巣にする。
その銃弾が、言葉が、この1年で見つけた舞奈の答えだ。
舞奈が戦う理由だ。
同じ方向めがけて機関砲が火を噴き、泥人間の壁の一角を吹き飛ばす。
さすがは砲撃。拳銃弾の掃射が意味ないくらいの大破壊だ。
その中心に、爆発する火球を連続生成して超大口径ライフル弾の嵐を凌ぐキム。
その背後に庇われた滓田妖一。
「何故、私の居場所が!?」
滓田は驚く。
舞奈はプロだ。
自分語りをしながらだって仕事はする。
手下の陰に隠れたつもりで感情を高ぶらせる滓田の居場所を見抜くくらいは。
「父上! キム!」
巨漢の叫び。
同時に背後から巨大な石の刃が飛来して機関砲をぶった切る。
式神は塵と化して消える。
その隙にキムと滓田は残る泥人間の群の中に逃げこむ。
「野郎!? 性懲りもなく――」
「――さっきの【ダビデの盾】、もう1回使える?」
怒る舞奈に、再び双徳神杖を構えた明日香が静かに問う。
「多分な」
短く答える。
同時に冷静さを取り戻す。
恒久的に効果を発揮する魔道具は、その性質上、式神のように魔力を循環させ、使っていないときに自動回復させる。
先ほど明日香に【冷気放射】を止めさせたのも、杖の魔力を回復させるためだ。
メノラーが同じものかは知らない。
だが、連続行使した直後の先ほどより状況はマシなはずだ。
おそらく【硫黄と火の杖】は無理だが、【ダビデの盾】ならいける。
「次に撃たれたら使って。ちょっと遠目に」
「了解」
言ったはなから火球。
最後に残った機関銃も消える。
「……野郎!」
盾の展開は間に合わなかった。
頼みの綱を失ったのは痛いが、それでも反撃すべく銃口を向ける。だが、
「使って! 速く!」
「!?」
急き立てられるように、引鉄を引く代わりに(盾よ!)と念じる。
銃口の先、舞奈の目前に六芒星が出現する。
だがその盾が何かを防ぐことはないだろう。奴らはゲリラ戦をしたがっている。
それでも明日香は、六芒星に双徳神杖を突きつけ「情報」と唱える。
途端、杖の先から放電する稲妻が放たれた。
稲妻は手近な泥人間を穿ち、軌道を変えて別の獲物めがけて突き進む。そうやって次々に飛び火しながら怪異どもを消し炭に変える。
明日香が多用する【鎖雷】である。
だが魔力を供給し火炎放射すら可能とする双徳神杖を使って行使された術により、誘導する雷撃は杖の先から連続発射される。
しかも六芒星を通り抜けた雷撃は、その輝きと威力を信じられないほど増していた!
どうやら六芒星の盾は術者を守るだけでなく、術を強化する効果もあるらしい。
なるほど【組合】の魔術師が、魔道具に焼きつけて後生大事に持ち歩く訳だ。
つまり明日香が放ったのは、強化され誘導される無数の雷弾。
それが舞奈たちの前方はおろか、周囲の泥人間すら蹂躙する。
圧倒的な電撃のエネルギーの前に【装甲硬化】すら一瞬で消滅する。
その威力は機関砲と同等か、それ以上。
あるいは【雷嵐】をさらにえげつなくした感じか。
雷弾の掃射が怪異の壁をみるみる削る。
だが泥人間は相当量が残っている。
……どうやら部屋の外から補充されているようだ。
舞奈は周囲を警戒する。
残りの群に身を潜めた男たちが、起死回生を狙って跳び出してくるのは明白だ。
再び火球。
六芒星が爆炎を防ぎ、消える。
だが舞奈は背後を見やる。
まだ比較的厚い怪異の壁の陰に、ちらりと流麗な少年が見えた。
「見つけたぞ! キムだ!」
振り向きながら叫ぶ。
予想通り。
奇襲をしていたのは、火行を操る滓田妖一。
だが奴らの要はキムだ、
奴が結界と泥人間の群を維持している。
一方、明日香は既に真言を唱え始めていた。
雷撃の嵐に対して思わず使った防御魔法の魔力を感知したのだろう。
舞奈も取り急ぎ、撃ち尽くした短機関銃を捨て拳銃も仕舞う。
そして先ほど仕舞った方の拳銃を素早く抜く。
泥人間の影に隠れたキムの脳天に片手で狙いを定める。
そして引鉄を引く。まずはメノラー。
万全ではないものの回復した魔力によって、レーザー光線が折り重なる怪異の身体に次々に風穴を開けながらキムめがけて突き進む。
「く……!?」
だがキムは寸でのところで符を水の盾に変えて防いだ。
それでも咄嗟の防御魔法が用を果たして解けた次の瞬間、小口径弾が顔面を穿つ。
そのまま連射し、残弾すべてをぶちこむ。
泥人間にレーザーが穿った穴を数多の弾丸が通り、秀麗な少年の顔を引き裂く。
次の瞬間、撃ち抜かれた少年は光に包まれた。
そして釣鐘型の頭をした銀色の屈強な肉体へと転化する。
完全体だ。
同時に明日香は乾闥婆の咒を唱え終え、「欺瞞」と締める。
途端、キムの正面の空気が揺らいで異形の何かがあらわれる。
人に似た四肢を持つ、だが何処となく、けど決定的に人とは異なる容姿をした何か。
舞奈はそれを、召喚魔法だと思った。
だが空気の流れを読み取る舞奈の感覚では、そこにいるものを察知できない。
それは光を操作して形作られた幻影だった。
明日香が行使したのは、幻を作りだす【虚像】の魔術だったのだ。
そして、そこにあらわれたものの正体は――
「――小夜子さん、怒るんじゃないか?」
舞奈は思わず目を丸くする。
それは子供の落書きのような、出来そこないのポリゴンのような小夜子であった。
以前に滓田の髪を描いたときもそうなのだが、明日香の絵心の無さは半端ない。
現に目前の小夜子(仮)も、衣服は色合いでセーラー服だとわかるものの、肌色をした手足の長さは左右まちまち、猫耳と一緒に髪は逆立ち、両目は釣り上がり、身体強化のカギ爪は手からも足からも生えている。
大昔の壁画に描かれた悪魔の絵、といっても通用する。
明日香は何をするつもりなんだ?
舞奈が呆然と見やる前で、
「小夜子ちゃん!? 何故……!? いやだ……!?」
それでもキムは幻を見やって怯えた。
舞奈が訝しむ側で、明日香は素早く吉祥天の咒を唱える。
そして「欺瞞」と締める。
確か【洗脳】という名の術だったはずだ。
認識阻害と同様に相手の精神に直接介入して誤情報を流しこむ魔術だ。
それにより幻覚を見せたり、上手く使えば相手の思考を操ることすらできる。
そしてキムは次の瞬間、絶叫した。
「……そういうことか!」
合点がいった。
舞奈は以前、二段構えの隠形術を脅威だと感じた。
空気の流れで存在は察せても、姿は見れない。
距離があるならそれすらできないので、気づきようがない。
明日香がしたのも同じことだ。
幻による偽の視覚情報が、洗脳による幻覚の効果を増強する。
そして幻覚による恐怖をフィードバックさせ、幻影にリアリティを与える。
相手に幻覚を見せる術はウアブ魔術にも存在する。
しかも本来は対物用の【物品と機械装置の操作と魔力付与】を応用して相手の意識にイメージを押しつける【洗脳】は、【高度な生命操作】により人間の脳をおかしくするウアブの術より精度は劣る。
本来は魔道士相手に通用する代物じゃない。
幻影のほうは精度とかそういう次元ですらない。
だが、それらを組み合わせた二段構えの幻術の効果はこれだ。
「やめて……小夜子ちゃん……やめて……」
キムは小夜子の幻覚に、小夜子の記憶に怯える。
それに応じて幻影の小夜子は大きくなり、更に真に迫った凶悪な容姿になる。
1年前、キムを倒したのは小夜子だと聞いた。
サチのおかげで最近はマシになったものの破滅的でネガティブな彼女が、心の支えだった陽介に手を下した彼をどのようにして屠ったか。
舞奈はそれを小夜子から聞いていない。
聞きたくないからだ。
そんな情報は、平穏な日々を暮らすために不要だと思った。
だが、キムはそれを知っている。
文字通り、身をもって。
「やめ……痛! ……痛い……やめ……やめ……」
キムのイメージのをフィードバックした小夜子(仮)の腕は、カギ爪を生やした毛むくじゃらの猛獣のような何かへと変化する。
そして、悪い魔法のように腕をのばして完全体の銀色の身体をつかむ。
「小夜子ちゃ……痛い……痛! ……痛! ……痛! ……やめ……」
完全体と化したはずのキムは痙攣しながら、徐々に削れてゆく。
それにあわせて、泥人間の統率がゆらぐ。
「ええい! キム! 何をしておる!」
泥人間の群の中から滓田の声。
舞奈は拳銃を持ち替えて撃つ。
怪異の壁に阻まれ銃弾は滓田に届かない。だが、
「ひいっ!? ……小夜子ちゃん……やめ……何を!?」
キムは怯え、崩壊の速度を早める。
銃声もダメか?
まるで重度のPTSDだ。
ふと舞奈は思いだす。
かつてピクシオンの仲間だった一樹は、魔法かそれに比類する超攻撃でしか倒せないはずの式神を、ごく普通のナイフだけで殺すことができた。
式神は魔力を循環し、自身を五体満足の状態へ変化させることで自己再生する。
そこに苦痛と恐怖を与え続けて絶望させ、『破壊された状態』へと再生させるのだ。
明日香が魔術を使ってしているのも、おそらく同じことだ。
大規模魔術でしか倒せない至高の強度を持つはずの完全体が、自分自身の恐怖と絶望によって徐々に崩壊していく。
それに応じて幻影はさらに凶悪な姿に変化する。
そうやって、キムは自分自身の弱さに負けて自壊するのだ。
だが明日香はキムに駆け寄りながら、次なる真言を唱える。
奉ずる仏は帝釈天。
そして「魔弾」と締める。
かざした掌から、目もくらむばかりに放電する稲妻の奔流が放たれる。
即ち【雷弾・弐式】。
明日香が修めた戦闘魔術の、最も初歩の攻撃魔法。
そして彼女が陽介の前で使った、初めての魔術。
至近距離から放たれたそれは、キムへの止めとなった。
完全体は粉々に砕け、塵になって消えた。
明日香は生粋の戦闘魔術師だ。
魔術師であり、兵士だ。
だから敵を倒せるチャンスを逃さない。
苦痛を長引かせるために生き永らえさせることもない。
そして明日香は常に成長する。
現に今しがた放った雷弾の威力すら、以前の術のそれを凌駕していた。
太陽のように激しく輝くそれは、まるで大魔法かと思うほどだ。
キムが作った結界は消え、周囲は元の廃ビルへと戻る。
結界の中であらわれた泥人間も、何処かへと逃げ去った。
明日香がキムを倒したからだ。
当の明日香は、塵と化して消えるキムを見やって笑っていた。
守りたい、人がいる。
かつて明日香は、普通の家庭に生まれて健全に暮らすチャビーたちクラスメートたちに自分との共通点を見出せなかった。
明日香は彼女らを、自分とは縁のない遠い世界の住人だと思っていた。
その考えは今でも変わらない。
だが、その他人でしかない彼女らとの日常は、明日香に力を与えていた。
その事実に、ようやく気づいた。
先ほど舞奈が滓田に語った言葉で、気づいた。
テックの生真面目さと繊細さが心地よかった。
園香の心優しさに癒されたことがないといえば嘘になる。
みゃー子もまあ、いないよりいた方が楽しいと今は思える。
そして、チャビーの無邪気さが愛おしい。
子猫に似た屈託のない彼女の笑み、何も考えていないと思えるほど無垢で奔放で、なのに他者が傷つくことを無意識に避けようとする純粋さ。
それは明日香が明日香であるために捨ててしまったもの。
そう、それこそが明日香にとっての、ウィツロポチトリの――
「――避けろ明日香!」
舞奈が叫んだ。
次の瞬間、滓田妖一が放った火球が明日香に着弾、爆発した。
爆炎が収まった後、そこに明日香はいなかった。
かつて明日香がいた場所に、焼け焦げた4枚のルーンが落ちて、砕けた。
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