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第10章 亡霊
戦闘2-1 ~ウアブ魔術&呪術vs道術
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――キム君! エヘヘ、今日もお話ししに来たよ!
――あれ、キム君はどこ?
――あなたたちは誰?
そうやって4人の男に拉致され、ネコポチの飼い主は連れ去られた。
それをネコポチは、近くで様子を窺っていた野良猫からネットワーク経由で知った。
ネコポチはすぐさま家を飛び出した。
家人は子猫が脱走しないよう戸締りを気を付けてくれていたが、大能力で重力を操れるネコポチにとって窓の鍵を開けるくらいは造作ない。
そして同じネットワークを通じ、友猫であるバーストに救援を求めた。
以前に『太賢飯店』の猫用メニューのことを教えた恩があるせいか、バーストはすぐさま主人である桂木紅葉に非常事態を伝えてくれた。
バーストの飼い主である紅葉は猫と会話できる呪術師、その姉の楓は魔術師だ。
だから2人はバーストが言っていた『気持ちの良いクッションの使い魔』メジェドに乗って、ネコポチの前にあらわれた。
そして飼い主を探すべく跳び上がった矢先、紅葉の携帯が鳴った。
見やった紅葉は首をかしげる。
どうやら知らぬ間に、他人の携帯のGPSを追跡するアプリがインストールされていたらしい。……まったく不用心だ。
だが追跡対象の携帯の名義は、日比野千佳。ネコポチの飼い主の名だった!
楓はすぐさまメジェドに命じ、携帯が示す場所へと飛んだ。
ネコポチは与り知らぬことだが、それはキムが転送用の魔道具によって執行人の追撃を逃れた直後のことだった。
だから2人と1匹は、執行人らが突入した賃貸ビルとは別の場所に向かって飛んだ。
遠くでみゃー子が遠吠えした。
2人はアプリの誘導に従い、迷うことなくキムが潜む廃ビルを見つけて突入した。
そこは旧市街地の外れの倉庫街にある廃ビル。
一年前に執行人たちが罠にはめられ、贄となった場所だった。
そして楓が魔力を感知し、チャビーを手にかけようとしていたキムを発見した。
楓は瞬時に【創水の言葉】を発動させた。ビルの中に水はない。
創造された水を用い、紅葉は【水の斬撃】を行使した。
そして今まさに少女を貫かんとしていた刃を砕いた。
「え?」
キムは柄だけになった短剣を見やる。
そして自身の手元までのびた、細い水刃を目で追う。
「……へえ、君はそうやって瑞葉を――」
「――弟を殺したのですね」
紅葉の、楓の瞳が剣呑に光る。
その口元は嗜虐の笑みに歪んでいた。
2人は弟の仇を討つために、1年足らずという異例の早さで魔術を、呪術を修めた。
だが瑞葉たち執行人を手にかけた実行犯は、とうに【機関】が討ち滅ぼしていた。
そのはずだった。
刃を形成していた水が形を失い、床にぶちまけられる。
動き出したのはキムより紅葉が先だった。
小さく呪文を唱えながら、祭壇に横たえられた少女めがけて走る。
コンクリートの床に浸みず不自然に溜まった水の上を、滑るように進む。
即ち水上を疾走する【爆水走】。
そして大気の力を借りて加速する【爆風走】。
楓の魔術によって作られた水。
それを紅葉はチャビーの危機一髪を救う刃と成した。
そしてさらに高速移動の布石とした。
ウアブ魔術はエレメントを創造し、ウアブ呪術はエレメントを操る。
2人の術者が力を合わせれば戦術は無限。
だが最初の目的はキムじゃない。
姉妹にとって、キムは弟の仇だ。
諦めていた、この手で奴を葬り去る機会が訪れたことに歓喜した。
だが紅葉はネコポチと約束した。
飼い主を必ず救いだすと。
姉妹にとっても、あの中華料理屋で夕食を共にしたチャビーは他人ではない。
なにより、これ以上に誰かが彼の犠牲になることは姉妹の敗北を意味する気がした。
1年前の絶望を、喪失を、どうしようもない怒りと悲しみを埋め合わせるために、今度こそ何も失うことのない完璧な勝利が欲しかった。
だから紅葉は、楓は、心に決めていた。
今度こそ、この手でキムを殺す。
そして今度こそ、キムの魔の手から命を守る。絶対に。
「させない!」
キムは床に符を投げる。
「紅葉ちゃん避けて!」
「ああ!」
紅葉は跳ぶ。
その直後、床を砕いて鋭く尖った巨大な刃が飛び出した。
ギラリと輝く金属の刃が、辛くも避けた紅葉の残像を裂いてのびる。
即ち【金行・鉄刃】。
「土生金!? 気をつけて! 奴は土から金属を生み出せるわ!」
「了解!」
楓の警告に答えつつ、紅葉はキムめがけて走る。
(なるほど、風化しかけたコンクリートは魔法的には大地と見なされるのか)
これは使える。
ほくそ笑む紅葉の側に、4つの岩塊が並走する。
操っているのはウアス杖を携え、ネコポチを抱えた楓だ。
修練の結果、楓は4つの【石の盾】を同時に操れるようになっていた。
そして紅葉の身体は【屈強なる身体】によって強化され、呪術の腕も上がっている。
高速移動の術を操り、瞬く間にキムとチャビーに肉薄する。
「くそっ! ちょこまかと!」
秀麗な顔を焦りと怒りで歪め、キムは2枚の符を放つ。
再び【金行・鉄刃】。
だが今度の刃は先ほどより大きく、紅葉の目前で行く手を阻むように交差する。
まるで鋭く巨大な鉄の壁だ。
「紅葉ちゃん!?」
背後の楓が叫ぶ。だが、
――ッエ! ッエ! ッエ!
紅葉の脳裏を、いつか聞いた少女の奇声がよぎった。
(……!!)
次の瞬間、紅葉はビクリと反射的に跳び上がる。
そのまま勢いにまかせ、手近なコンクリート塊を蹴って宙を舞う。
気づくと紅葉は、鋭い巨刃の壁を、天井すれすれまでジャンプして跳び越えていた。
舞奈のクラスメートだという謎の少女がいつかそうしたように。
「紅葉ちゃんが飛んだ!?」
楓が驚愕する。
「何!?」
キムは驚き、符を構える。
紅葉は素早く、ゲブ神を奉ずる呪文を唱える。
すると床から、天井から、紅葉を守る石の盾から、続けざまに石つぶてが放たれる。
即ち【地の矢】。大地から石の矢を放つ術。
崩れかけたコンクリートを土生金に使えるのなら、地の呪術で操ることも可能だ。
石つぶてはキムを全方位から襲う。
キムは新たな符を取り出し、口訣とともに樹木の盾と化して身を守る。
即ち【木行・材盾】。
だが紅葉の狙いはキムじゃない。
周囲と同様に朽ちかけた石の台座に横たえられた、無垢な少女に向き直る。
呪術を操る紅葉に風が伝える微かな吐息。
間一髪だった彼女だが、幸運にも怪我は無いようだ。
紅葉は安堵した。だが、
――キエェ――――――!!
今にも彼女が跳ね上がりそうな気がして、そんなはずないのに焦って跳びかかった。
そしてチャビーに跳びつき抱えこんだたまま、勢い余って祭壇の反対側に転がる。
――その残像を、巨大な刃が祭壇ごと両断した。
一挙動で立ち上がった紅葉は、一瞬遅れて総毛立つ。
跳ぶのが一瞬遅れたらチャビーが、跳ぶ勢いが弱ければ紅葉本人がそうなっていた。
あの舞奈の意味不明な友人が残した何かに、紅葉はまたしても救われた。
「くそ! くそぉ! このボクをコケにして!」
キムは叫びながら、チャビーを抱えた紅葉に追いすがる。
我に返った紅葉は距離をとりつつ、小さな木の棒を投げつける。
呪文を唱える。奉ずる神はオシリス。
途端、投げられた棒のすべてが蠢き、その姿を蛇へと変える。
即ち【ヘビの杖】の呪術。
数多の毒蛇はキムめがけて一斉に襲いかかる。
キムは口訣を唱え、木盾を炎の剣に変える。
即ち【火行・作炎】。
そして炎剣を振るって蛇を払う。
だが次の瞬間、いきなり虚空から二条の光が放たれてキムを撃った。
レーザー光線を照射する【力ある光の矢】の魔術。
同時に射点からメジェドがあらわれる。
もう片方の射点からは、ウアス杖を構えた楓。
彼女は【消失のヴェール】と【力ある秘匿のヴェール】を組み合わせた二段構えの隠形術を駆使してキムに忍び寄っていたのだ。
ひとつは1柱しかいないメジェドの火力を補うため。もうひとつは――
「姉さん頼む!」
「ええ! 紅葉ちゃん!」
紅葉からチャビーを受け取り、ネコポチと一緒に抱きかかえる。
紅葉はチャビーを救いだすのに適任だが、そのまま抱えて全力では戦えない。
対して楓はどちらにせよ身体を使った戦闘は無理だ。
そして防御魔法で自分ひとり守るのも、抱えたチャビーと一緒に守るのも同じだ。
「『太陽』を返せ! そいつはボクのだ! ボクが手に入れたんだ!!」
キムは身勝手に叫びながら追いすがる。
手には岩石の盾。
とっさに剣を盾に変えて身を守ったのだろう。だが、
「渡さないよ! おまえにだけはね!」
紅葉は背後の楓をかばいつつ【地の矢】の石つぶてを連続で放って迎撃する。
楓はチャビーとネコポチを抱えたまま後ろに下がる。
同時に岩石の盾を操り、2つをキムの顔面めがけて突撃させる。
避けたキムの盾を、残る2つで叩き落とす。
「ぐあっ!」
キムは怯む。
その隙に、紅葉は【地の刃】の呪術で床の一部を剣へと変える。
岩石の剣を握りしめる。
そして得物を失ったキムめがけて突撃する。
紅葉の口元に酷薄な笑みが浮かぶ。
キムは【虎気功】で、紅葉は【屈強なる身体】で肉体を強化している。
ならば勝敗を決めるのは素の身体能力。
スポーツと武術で鍛えた紅葉が有利だ。
今度こそ、この手でキムに報いを受けさせる。
奴は何も得ることなく、敵に何ら傷を負わせることなく、無為に死ぬのだ。
神速で肉薄した紅葉は、キムを両断しようと岩石の剣を振りあげる。
だがキムは飛び退きつつ、符を束で取り出してばら撒く。
符のそれぞれは鋭く尖った木の葉と化して紅葉めがけて飛来する。
即ち【木行・多叶矢】。
紅葉は素早く【地の守護】を行使し、岩石の壁を生み出して防ぐ。
だが木剋土。木の葉は岩壁を容易に剋する。
数多の葉刃は岩壁に食いこみ、岩石を盾にしている魔力を吸い尽くす。
それはまるで機関銃の、あるいはショットガンの接射だ。
「ぐぁ……!?」
刃の群は岩壁を砕き、そのまま紅葉を斬り刻んで吹き飛ばした。
流れ弾は楓を覆った水のドーム――【水の盾】がはじき返す。
だが、少し離れた場所にドサリと落ちた紅葉の全身からは赤いものが流れ出る。
「紅葉ちゃん――!?」
楓は怒りを破壊のイメージに変えて、素早く呪文を唱える。
そして水のドームに新たに創った水を加えて巨大な水の塊を創造する。
即ち【大水球】。
水塊は術者の命に応じてキムの目前に躍り出る。
そのまま鋭い刃と化して襲いかかる。
「ちぃ!」
キムは葉刃のひとひらを火球の盾に変えて防ぐ。
木生火。木は火を生む。
即ち【火行・防盾】。
だがしかし水剋火。火は水に剋される。
巨刃は火盾の爆発もものともせずにキムを薙ぐ。
キムの次なる防御魔法は間に合わない。
両腕をクロスさせた防御が攻撃魔法に通用する訳もなく、キムは向かいの壁まで吹き飛ばされた。
楓が十分に集中していれば今ので胴を両断することも可能だった。
だが今はそれどころではない。
「紅葉ちゃん平気!?」
楓は杖をつきチャビーを抱えたまま、紅葉に駆け寄る。
前回のミノタウロス戦で妹を失いかけた恐怖が、脳裏をよぎる。だが、
「すまない、なんとか大丈夫だよ」
一挙動で立ち上がった紅葉の、斬り裂かれたセーラー服の下の肌は無傷。
楓がキムを倒す間に回復魔法で応急処置していたのだ。
身体強化にも用いられる擬似生命で傷をふさぐ【かりそめの治癒】。
紅葉だって呪術の腕は上がっている。
「お……のれ……」
キムはゆっくりと立ち上がる。
鋭く重い水の刃を受けてなお、キムはまだ動けるらしい。
だが楓も紅葉も、その隙を逃さない。
紅葉の次なる【地の刃】により、キムの足元の床が巨大な刃と化して襲いかかる。
キムは素早く跳び退る。
着地しながら符を取り出し、仕返しとばかりに床に叩きつける。
同時に床から【金行・鉄刃】――巨大な金属の刃が跳び出す。
その目標は楓とチャビー!
「姉さん!?」
だが楓の足元に出現した4つの火球が、巨刃を受け止めて爆発する。
即ち【火の盾】。
ラーと同じく太陽に宿り、陽光の熱を統べる炎神セクメトの防盾。
火剋金の理に従い、魔術の爆発は鋼鉄の刃を溶かして砕く。
身体能力に劣る楓が、攻撃魔法飛び交う戦場で生き残るために選んだ道。
それは他流派を含むあらゆる術を学び、的確に防御魔法を行使することだった。
五行相生や相剋の影響を受けるのは道術、陰陽術の【五行のエレメントの変換】による術だけだが、その弱点を突くのは他の流派でも可能だ。
楓の号令により、残った火球がキムめがけて飛来する。
即席のファイヤーボールだ。
キムは符を取り出し、水のドームを創って防ぐ。
即ち【水行・防盾】。
その目前に紅葉が躍り出て、火の粉をつかんで拳にまとってキムを打つ。
即ち【火の手】。
キムはドームを収束させて水の盾にして受け止める。
次いで気合いと共に放たれた、喉元を狙った手刀を避ける。
だが火球も炎拳も牽制。
楓は新たな呪文を唱え終えていた。
「ひっ!? 何がっ……!?」
キムが驚愕する。
足元に出現した岩石の枷が足を縛めたのだ。
岩石の枷を創り出す【石の障礙】の魔術。
さらに紅葉の素早い呪文。
床を裂いて巨大な手が出現してキムをつかむ。
地面を手にして拘束する【地の拘束】の呪術。
岩石の枷と大地の手は融合し、不動の檻と化してキムを床に縫い止める。
魔術師と呪術師の姉妹が協力することによる、かつて魔獣をも拘束せしめた拘束具。
さらに、
「紅葉ちゃん、いくわよ!」
「ああ!」
姉妹は手を繋いで呪文を唱える。
奉ずる神は、大地を統べるゲブ神。
崩れかけた床から、天井から、巨大な槍が無数に突き出てキムめがけて襲いかかる。
即ち【地の刃の氾濫】。
大地から数多の石刃を隆起させて広範囲をめった刺しにする術。
ただし今は、上にも下にも『大地』がある。
「な……!?」
天上と床からのびた鋭く巨大な数多の巨槍は、互いに干渉することなく、キムの逃げ場を奪いながら上と下から串刺しにする。
朽ちたコンクリートが奏でる轟音に、キムの絶叫が混じる。
巨大な岩の剣山は、そのままの勢いでキムを貫き、押しつぶした。
まるでギザギザの立体パズルに挟まれたようなものだ。
崩れかけた床が急速に変形したため、キムがいたフロアの一角が陥没する。
そんな様を、姉妹はじっと見守っていた。
……だが、
「どうしたの? 姉さん」
「キムの魔力が消えていない……?」
「どういうこと?」
「……むしろ強くなっている!? 紅葉ちゃん気をつけて!」
叫んだ瞬間、陥没した床から何かが跳び出した。
そして紅葉と、チャビーを抱えて一歩引いた楓の前に降り立った。
「な……!?」
「これは……」
紅葉と楓は驚愕する。
目の前のそれが、あまりにも異様な姿をしていたから。
銀色に輝く逞しい男性の身体。
だが、その上にあるのは人の頭ではない。
首まで覆う釣鐘状のヘルメットのような、巨大な銃弾のような、異様な物体だった。
「ククク……。今回の転生で、どうやらボクは完全体になれたみたいだ。しなやかで屈強で金属の硬さを持つ理想の肉体!」
口もないのに、何らかの手段でキムは語った。
眼鼻もないのに、その表情が笑っているように思えた。
「この無敵の身体で、おまえたちを殺してやる! そしてボクが『太陽』の力を手に入れるんだ!」
――あれ、キム君はどこ?
――あなたたちは誰?
そうやって4人の男に拉致され、ネコポチの飼い主は連れ去られた。
それをネコポチは、近くで様子を窺っていた野良猫からネットワーク経由で知った。
ネコポチはすぐさま家を飛び出した。
家人は子猫が脱走しないよう戸締りを気を付けてくれていたが、大能力で重力を操れるネコポチにとって窓の鍵を開けるくらいは造作ない。
そして同じネットワークを通じ、友猫であるバーストに救援を求めた。
以前に『太賢飯店』の猫用メニューのことを教えた恩があるせいか、バーストはすぐさま主人である桂木紅葉に非常事態を伝えてくれた。
バーストの飼い主である紅葉は猫と会話できる呪術師、その姉の楓は魔術師だ。
だから2人はバーストが言っていた『気持ちの良いクッションの使い魔』メジェドに乗って、ネコポチの前にあらわれた。
そして飼い主を探すべく跳び上がった矢先、紅葉の携帯が鳴った。
見やった紅葉は首をかしげる。
どうやら知らぬ間に、他人の携帯のGPSを追跡するアプリがインストールされていたらしい。……まったく不用心だ。
だが追跡対象の携帯の名義は、日比野千佳。ネコポチの飼い主の名だった!
楓はすぐさまメジェドに命じ、携帯が示す場所へと飛んだ。
ネコポチは与り知らぬことだが、それはキムが転送用の魔道具によって執行人の追撃を逃れた直後のことだった。
だから2人と1匹は、執行人らが突入した賃貸ビルとは別の場所に向かって飛んだ。
遠くでみゃー子が遠吠えした。
2人はアプリの誘導に従い、迷うことなくキムが潜む廃ビルを見つけて突入した。
そこは旧市街地の外れの倉庫街にある廃ビル。
一年前に執行人たちが罠にはめられ、贄となった場所だった。
そして楓が魔力を感知し、チャビーを手にかけようとしていたキムを発見した。
楓は瞬時に【創水の言葉】を発動させた。ビルの中に水はない。
創造された水を用い、紅葉は【水の斬撃】を行使した。
そして今まさに少女を貫かんとしていた刃を砕いた。
「え?」
キムは柄だけになった短剣を見やる。
そして自身の手元までのびた、細い水刃を目で追う。
「……へえ、君はそうやって瑞葉を――」
「――弟を殺したのですね」
紅葉の、楓の瞳が剣呑に光る。
その口元は嗜虐の笑みに歪んでいた。
2人は弟の仇を討つために、1年足らずという異例の早さで魔術を、呪術を修めた。
だが瑞葉たち執行人を手にかけた実行犯は、とうに【機関】が討ち滅ぼしていた。
そのはずだった。
刃を形成していた水が形を失い、床にぶちまけられる。
動き出したのはキムより紅葉が先だった。
小さく呪文を唱えながら、祭壇に横たえられた少女めがけて走る。
コンクリートの床に浸みず不自然に溜まった水の上を、滑るように進む。
即ち水上を疾走する【爆水走】。
そして大気の力を借りて加速する【爆風走】。
楓の魔術によって作られた水。
それを紅葉はチャビーの危機一髪を救う刃と成した。
そしてさらに高速移動の布石とした。
ウアブ魔術はエレメントを創造し、ウアブ呪術はエレメントを操る。
2人の術者が力を合わせれば戦術は無限。
だが最初の目的はキムじゃない。
姉妹にとって、キムは弟の仇だ。
諦めていた、この手で奴を葬り去る機会が訪れたことに歓喜した。
だが紅葉はネコポチと約束した。
飼い主を必ず救いだすと。
姉妹にとっても、あの中華料理屋で夕食を共にしたチャビーは他人ではない。
なにより、これ以上に誰かが彼の犠牲になることは姉妹の敗北を意味する気がした。
1年前の絶望を、喪失を、どうしようもない怒りと悲しみを埋め合わせるために、今度こそ何も失うことのない完璧な勝利が欲しかった。
だから紅葉は、楓は、心に決めていた。
今度こそ、この手でキムを殺す。
そして今度こそ、キムの魔の手から命を守る。絶対に。
「させない!」
キムは床に符を投げる。
「紅葉ちゃん避けて!」
「ああ!」
紅葉は跳ぶ。
その直後、床を砕いて鋭く尖った巨大な刃が飛び出した。
ギラリと輝く金属の刃が、辛くも避けた紅葉の残像を裂いてのびる。
即ち【金行・鉄刃】。
「土生金!? 気をつけて! 奴は土から金属を生み出せるわ!」
「了解!」
楓の警告に答えつつ、紅葉はキムめがけて走る。
(なるほど、風化しかけたコンクリートは魔法的には大地と見なされるのか)
これは使える。
ほくそ笑む紅葉の側に、4つの岩塊が並走する。
操っているのはウアス杖を携え、ネコポチを抱えた楓だ。
修練の結果、楓は4つの【石の盾】を同時に操れるようになっていた。
そして紅葉の身体は【屈強なる身体】によって強化され、呪術の腕も上がっている。
高速移動の術を操り、瞬く間にキムとチャビーに肉薄する。
「くそっ! ちょこまかと!」
秀麗な顔を焦りと怒りで歪め、キムは2枚の符を放つ。
再び【金行・鉄刃】。
だが今度の刃は先ほどより大きく、紅葉の目前で行く手を阻むように交差する。
まるで鋭く巨大な鉄の壁だ。
「紅葉ちゃん!?」
背後の楓が叫ぶ。だが、
――ッエ! ッエ! ッエ!
紅葉の脳裏を、いつか聞いた少女の奇声がよぎった。
(……!!)
次の瞬間、紅葉はビクリと反射的に跳び上がる。
そのまま勢いにまかせ、手近なコンクリート塊を蹴って宙を舞う。
気づくと紅葉は、鋭い巨刃の壁を、天井すれすれまでジャンプして跳び越えていた。
舞奈のクラスメートだという謎の少女がいつかそうしたように。
「紅葉ちゃんが飛んだ!?」
楓が驚愕する。
「何!?」
キムは驚き、符を構える。
紅葉は素早く、ゲブ神を奉ずる呪文を唱える。
すると床から、天井から、紅葉を守る石の盾から、続けざまに石つぶてが放たれる。
即ち【地の矢】。大地から石の矢を放つ術。
崩れかけたコンクリートを土生金に使えるのなら、地の呪術で操ることも可能だ。
石つぶてはキムを全方位から襲う。
キムは新たな符を取り出し、口訣とともに樹木の盾と化して身を守る。
即ち【木行・材盾】。
だが紅葉の狙いはキムじゃない。
周囲と同様に朽ちかけた石の台座に横たえられた、無垢な少女に向き直る。
呪術を操る紅葉に風が伝える微かな吐息。
間一髪だった彼女だが、幸運にも怪我は無いようだ。
紅葉は安堵した。だが、
――キエェ――――――!!
今にも彼女が跳ね上がりそうな気がして、そんなはずないのに焦って跳びかかった。
そしてチャビーに跳びつき抱えこんだたまま、勢い余って祭壇の反対側に転がる。
――その残像を、巨大な刃が祭壇ごと両断した。
一挙動で立ち上がった紅葉は、一瞬遅れて総毛立つ。
跳ぶのが一瞬遅れたらチャビーが、跳ぶ勢いが弱ければ紅葉本人がそうなっていた。
あの舞奈の意味不明な友人が残した何かに、紅葉はまたしても救われた。
「くそ! くそぉ! このボクをコケにして!」
キムは叫びながら、チャビーを抱えた紅葉に追いすがる。
我に返った紅葉は距離をとりつつ、小さな木の棒を投げつける。
呪文を唱える。奉ずる神はオシリス。
途端、投げられた棒のすべてが蠢き、その姿を蛇へと変える。
即ち【ヘビの杖】の呪術。
数多の毒蛇はキムめがけて一斉に襲いかかる。
キムは口訣を唱え、木盾を炎の剣に変える。
即ち【火行・作炎】。
そして炎剣を振るって蛇を払う。
だが次の瞬間、いきなり虚空から二条の光が放たれてキムを撃った。
レーザー光線を照射する【力ある光の矢】の魔術。
同時に射点からメジェドがあらわれる。
もう片方の射点からは、ウアス杖を構えた楓。
彼女は【消失のヴェール】と【力ある秘匿のヴェール】を組み合わせた二段構えの隠形術を駆使してキムに忍び寄っていたのだ。
ひとつは1柱しかいないメジェドの火力を補うため。もうひとつは――
「姉さん頼む!」
「ええ! 紅葉ちゃん!」
紅葉からチャビーを受け取り、ネコポチと一緒に抱きかかえる。
紅葉はチャビーを救いだすのに適任だが、そのまま抱えて全力では戦えない。
対して楓はどちらにせよ身体を使った戦闘は無理だ。
そして防御魔法で自分ひとり守るのも、抱えたチャビーと一緒に守るのも同じだ。
「『太陽』を返せ! そいつはボクのだ! ボクが手に入れたんだ!!」
キムは身勝手に叫びながら追いすがる。
手には岩石の盾。
とっさに剣を盾に変えて身を守ったのだろう。だが、
「渡さないよ! おまえにだけはね!」
紅葉は背後の楓をかばいつつ【地の矢】の石つぶてを連続で放って迎撃する。
楓はチャビーとネコポチを抱えたまま後ろに下がる。
同時に岩石の盾を操り、2つをキムの顔面めがけて突撃させる。
避けたキムの盾を、残る2つで叩き落とす。
「ぐあっ!」
キムは怯む。
その隙に、紅葉は【地の刃】の呪術で床の一部を剣へと変える。
岩石の剣を握りしめる。
そして得物を失ったキムめがけて突撃する。
紅葉の口元に酷薄な笑みが浮かぶ。
キムは【虎気功】で、紅葉は【屈強なる身体】で肉体を強化している。
ならば勝敗を決めるのは素の身体能力。
スポーツと武術で鍛えた紅葉が有利だ。
今度こそ、この手でキムに報いを受けさせる。
奴は何も得ることなく、敵に何ら傷を負わせることなく、無為に死ぬのだ。
神速で肉薄した紅葉は、キムを両断しようと岩石の剣を振りあげる。
だがキムは飛び退きつつ、符を束で取り出してばら撒く。
符のそれぞれは鋭く尖った木の葉と化して紅葉めがけて飛来する。
即ち【木行・多叶矢】。
紅葉は素早く【地の守護】を行使し、岩石の壁を生み出して防ぐ。
だが木剋土。木の葉は岩壁を容易に剋する。
数多の葉刃は岩壁に食いこみ、岩石を盾にしている魔力を吸い尽くす。
それはまるで機関銃の、あるいはショットガンの接射だ。
「ぐぁ……!?」
刃の群は岩壁を砕き、そのまま紅葉を斬り刻んで吹き飛ばした。
流れ弾は楓を覆った水のドーム――【水の盾】がはじき返す。
だが、少し離れた場所にドサリと落ちた紅葉の全身からは赤いものが流れ出る。
「紅葉ちゃん――!?」
楓は怒りを破壊のイメージに変えて、素早く呪文を唱える。
そして水のドームに新たに創った水を加えて巨大な水の塊を創造する。
即ち【大水球】。
水塊は術者の命に応じてキムの目前に躍り出る。
そのまま鋭い刃と化して襲いかかる。
「ちぃ!」
キムは葉刃のひとひらを火球の盾に変えて防ぐ。
木生火。木は火を生む。
即ち【火行・防盾】。
だがしかし水剋火。火は水に剋される。
巨刃は火盾の爆発もものともせずにキムを薙ぐ。
キムの次なる防御魔法は間に合わない。
両腕をクロスさせた防御が攻撃魔法に通用する訳もなく、キムは向かいの壁まで吹き飛ばされた。
楓が十分に集中していれば今ので胴を両断することも可能だった。
だが今はそれどころではない。
「紅葉ちゃん平気!?」
楓は杖をつきチャビーを抱えたまま、紅葉に駆け寄る。
前回のミノタウロス戦で妹を失いかけた恐怖が、脳裏をよぎる。だが、
「すまない、なんとか大丈夫だよ」
一挙動で立ち上がった紅葉の、斬り裂かれたセーラー服の下の肌は無傷。
楓がキムを倒す間に回復魔法で応急処置していたのだ。
身体強化にも用いられる擬似生命で傷をふさぐ【かりそめの治癒】。
紅葉だって呪術の腕は上がっている。
「お……のれ……」
キムはゆっくりと立ち上がる。
鋭く重い水の刃を受けてなお、キムはまだ動けるらしい。
だが楓も紅葉も、その隙を逃さない。
紅葉の次なる【地の刃】により、キムの足元の床が巨大な刃と化して襲いかかる。
キムは素早く跳び退る。
着地しながら符を取り出し、仕返しとばかりに床に叩きつける。
同時に床から【金行・鉄刃】――巨大な金属の刃が跳び出す。
その目標は楓とチャビー!
「姉さん!?」
だが楓の足元に出現した4つの火球が、巨刃を受け止めて爆発する。
即ち【火の盾】。
ラーと同じく太陽に宿り、陽光の熱を統べる炎神セクメトの防盾。
火剋金の理に従い、魔術の爆発は鋼鉄の刃を溶かして砕く。
身体能力に劣る楓が、攻撃魔法飛び交う戦場で生き残るために選んだ道。
それは他流派を含むあらゆる術を学び、的確に防御魔法を行使することだった。
五行相生や相剋の影響を受けるのは道術、陰陽術の【五行のエレメントの変換】による術だけだが、その弱点を突くのは他の流派でも可能だ。
楓の号令により、残った火球がキムめがけて飛来する。
即席のファイヤーボールだ。
キムは符を取り出し、水のドームを創って防ぐ。
即ち【水行・防盾】。
その目前に紅葉が躍り出て、火の粉をつかんで拳にまとってキムを打つ。
即ち【火の手】。
キムはドームを収束させて水の盾にして受け止める。
次いで気合いと共に放たれた、喉元を狙った手刀を避ける。
だが火球も炎拳も牽制。
楓は新たな呪文を唱え終えていた。
「ひっ!? 何がっ……!?」
キムが驚愕する。
足元に出現した岩石の枷が足を縛めたのだ。
岩石の枷を創り出す【石の障礙】の魔術。
さらに紅葉の素早い呪文。
床を裂いて巨大な手が出現してキムをつかむ。
地面を手にして拘束する【地の拘束】の呪術。
岩石の枷と大地の手は融合し、不動の檻と化してキムを床に縫い止める。
魔術師と呪術師の姉妹が協力することによる、かつて魔獣をも拘束せしめた拘束具。
さらに、
「紅葉ちゃん、いくわよ!」
「ああ!」
姉妹は手を繋いで呪文を唱える。
奉ずる神は、大地を統べるゲブ神。
崩れかけた床から、天井から、巨大な槍が無数に突き出てキムめがけて襲いかかる。
即ち【地の刃の氾濫】。
大地から数多の石刃を隆起させて広範囲をめった刺しにする術。
ただし今は、上にも下にも『大地』がある。
「な……!?」
天上と床からのびた鋭く巨大な数多の巨槍は、互いに干渉することなく、キムの逃げ場を奪いながら上と下から串刺しにする。
朽ちたコンクリートが奏でる轟音に、キムの絶叫が混じる。
巨大な岩の剣山は、そのままの勢いでキムを貫き、押しつぶした。
まるでギザギザの立体パズルに挟まれたようなものだ。
崩れかけた床が急速に変形したため、キムがいたフロアの一角が陥没する。
そんな様を、姉妹はじっと見守っていた。
……だが、
「どうしたの? 姉さん」
「キムの魔力が消えていない……?」
「どういうこと?」
「……むしろ強くなっている!? 紅葉ちゃん気をつけて!」
叫んだ瞬間、陥没した床から何かが跳び出した。
そして紅葉と、チャビーを抱えて一歩引いた楓の前に降り立った。
「な……!?」
「これは……」
紅葉と楓は驚愕する。
目の前のそれが、あまりにも異様な姿をしていたから。
銀色に輝く逞しい男性の身体。
だが、その上にあるのは人の頭ではない。
首まで覆う釣鐘状のヘルメットのような、巨大な銃弾のような、異様な物体だった。
「ククク……。今回の転生で、どうやらボクは完全体になれたみたいだ。しなやかで屈強で金属の硬さを持つ理想の肉体!」
口もないのに、何らかの手段でキムは語った。
眼鼻もないのに、その表情が笑っているように思えた。
「この無敵の身体で、おまえたちを殺してやる! そしてボクが『太陽』の力を手に入れるんだ!」
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