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第10章 亡霊

試射

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「エヘヘ、すいませんねえ、おごってもらうなんて」
「いいってことよ。手伝ってくれたお礼だ」
 相好を崩す奈良坂の、尻に自然に手をのばす。
 そして舞奈もニヤリと笑う。

 おごるのはスミスだし。

 花畑に屋根をかけた後、舞奈は奈良坂を連れて旧市街地へと戻ってきた。
 そして派手なネオン看板の店を訪れた。
 看板の『画廊・ケリー』のネオンは、相変わらず『ケ』の横線が消えかけている。
 ここに寄ったのは奈良坂を労うという理由ももちろんある。

 だが本来の目的は、雨の間の弾薬の確保だ。管理人の話によると今年の雨は去年より短いらしいが、その間の備えは万全にしておきたい。
 無論、差し迫って銃を使う用事はない。
 それでも生死を占っている最中の奴――滓田妖一の動向が気にかかる。

「あ~ら、いらっしゃい!」
「しもんだ! メガネのおねえちゃんもだ!」
「ようリコ」
「エヘヘ、こんにちは」
 身をかがめて挨拶する奈良坂の横で、舞奈はリコの頭をなでる。

「ちょうどハッシュドビーフを作ってたところなんだけど、食べていかない?」
「お、待ってました!」
 スミスの言葉に、舞奈は当然のように商談用の丸テーブルの椅子に座る。
 その正面にリコが座る。
 2人そろって、床に足が届かずにブラブラする。

「すいませんねぇ」
 奈良坂も手近に置いてあった椅子を勝手に持ってきて、空いている場所に腰かけた。
 ……あれ以降も、この店に何度か来ているようだ。

 そんな彼女の足はきちんと地面についている。
 こんなでも奈良坂は高校生だ。

 そうするうちに、目の前に皿と鍋が置かれた。

「こいつは美味そうだ」
 鍋から濃厚なデミグラスソースの匂いが溢れる。

 リコと奈良坂は笑顔で鍋を覗きこむ。
 舞奈も舌なめずりする。
 一仕事終えた舞奈も奈良坂も、良い感じに腹が減っていた。

「はい、アツアツのうちに召し上がれ。奈良坂ちゃんも遠慮なく食べてね」
 スミスは手製のハッシュドビーフを皿に盛る。
 鼻孔を刺激する芳香に、舞奈は辛抱たまらずスプーンをひったくる。
 そしてテーブルマナーもお構いなしに、口にスープをかき入れる。

 う・ま・い!

 多種の野菜が溶けこんだデミグラスソースに、むっちりしたマッシュルームの食感。
 じっくり煮こんだやわらかビーフの舌触りがたまらない。

 リコも真似して犬のようにがつく。
 奈良坂もそこまで人間辞めてないものの、言葉通りにお代わりする。
 わりと遠慮はない。

 かつて園香は舞奈を『ごはんを美味しそうに食べるので作り甲斐がある』と評した。
 舞奈はそれを、世話好きな園香の方便だと思っていた。
 だがニコニコと無心に食べる奈良坂を見てると、その言葉の意味が分かるような気がした。

「なあ、しもん。大きいテーブルはださないのか?」
 リコはふと、口の周りをソースでベタベタにしながら言った。

「テーブル?」
「……ああ。昔使ってたんだ」
 首をかしげる奈良坂に、舞奈は何気を装って答える。

 3年前、美佳と一樹と、幼い舞奈と、今よりずっと小さかったリコ。
 商談用のテーブルでは皆が座りきれないので、食事の際には店の奥からテーブルを出していた。
 4人は大きなテーブルを囲んで、スミスの料理を堪能した。
 舞奈がピクシオンだった頃の話だ。

 確かに今、商談用の丸テーブルに3人分の食事が並ぶと少しばかり手狭だ。
 けどテーブルを囲むにはまだ人数が足りない気がして、

「ま、そのうちな」
 誤魔化すように答えた。

 そんな一幕があったものの、鍋は瞬く間に空になった。
 スミスは手早く鍋と皿を片づける。
 腹が膨れたからか、リコはちょっと眠そうだ。

「そういやスミス。今年も雨のシーズンなんで旧市街地に泊まるんだ」
 いい気分で舞奈は言った。

「あら、もうそんな時期なのね」
「まあな。その間に持ってくものを選ばせてもらいに来た」
 奥に行こうと立ち上がった舞奈を、だがスミスは呼び止めた。

「それなら、これも持っていきなさいな」
「表の店で広げていいのか? ……って、なんだこりゃ?」
 スミスが差し出したのは、武骨なタクティカルグローブだ。
 しかも左だけ。

 重厚な皮に似たケブラー製の手袋の、甲には平たい金具が仕込まれている。
 そのせいかずっしりと重い。
 ナックルガードにしてもやりすぎではないだろうか。
 訝しむ舞奈に向かってスミスは笑う。

「海兵隊が使ってたグローブピストルって知ってる?」
「ん? ……まあな」
 見たことはないが、手の甲に拳銃を仕込んだグローブだと聞いたことがある。
 パンチの要領で相手に押しつけて撃つらしい。

 それが重い金具の正体だということか。
 そのつもりでよくよく見やると、確かに銃口らしき孔や引鉄らしいレバーも見える。

「けど、んなもん何に使うんだ? 誰かを暗殺しに行く用事はないんだが」
 言った直後に滓田妖一の顔が脳裏に浮かぶ。

 だが現実的ではない。
 葬ったはずの奴が再びあらわれるのが問題なのだ。
 もう一度殺せば済むという話でもないだろう。

 それに、そもそも子供の背丈では急所に銃口を押し当てられない。
 身体能力の問題ではなく手が届かないのだ。
 だから跳びかかって無理矢理にということになるが、そのくらいなら直接に首をへし折るか、普通の拳銃を使うなり狙撃したほうがマシだ。だが、

「ふふ、小口径弾22LRを使ってワイヤーを撃ち出すワイヤーガンなのよ」
 言ってスミスはニヤリと笑った。

「名づけてワイヤーショット」
「ワイヤーショットねぇ……」
 思わず舞奈は手袋を受け取り、銃口の先からのびる金具を見やる。
 奈良坂も物珍しそうに覗きこむ。
 撃ち出された弾頭に、ワイヤーが繋がった金具を引っかけて射出するらしい。

「ピクシオンのエクスタシーストリングみたいなものか……」
 ひとりごちる。

 ピクシオンの魔法のドレスには、手の甲から細い糸を放つ武装が内蔵されていた。
 身体能力に秀でた一樹は絞殺するのに使っていた。
 美佳はそれをエイリアニストの【混沌変化】によって敵の周囲に張り巡らせた。
 敵は自身を囲む鋭利なワイヤーに怯え、美佳はその恐怖を魔力に変えてワイヤーの切れ味を強化する、最凶最悪の攻撃手段だ。

 だが当時は勘が良いだけの子供だった舞奈は、それを使いこなせずにいた。

 だが今の舞奈なら何かに使うこともできるだろう。
 まあ、何に使うのかはそのうち考えることにして。

「ほら、志門ちゃんったら、空飛ぶ魔獣から落ちそうになったって聞いたし」
「マンティコアから落ちる機会が2度も3度もあってたまるか」
 口をへの字に歪めつつ、そう言う使い方もあったなと気づく。

 あの時、とっさにワイヤーを射出して魔獣の足に指にでも絡ませることができたならば、ひとまず高高度からの落下だけは免れた。

 それこそ魔術で転移できる美佳や、ドレスの身体強化を加味した跳躍力で普通に跳び上がれる一樹には必要ない使い方だ。
 だが今の舞奈にとっては有用だ。
 そのことに、舞奈より先にスミスが気づいてくれた。だから、

「ちょっと試し撃ちをするから、裏を借りるぞ」
 舞奈は笑った。

「ええ。屋根も使っていいわよ」
 スミスもニヤリと笑った。
 リコも目が覚めたのか、ワクワクした顔で舞奈を見やっていた。

 そして、

「おー! しもんが高いぞ!」
「流石です舞奈さん!」
「いや、このくらいで驚かれてもなあ」
 スミスの家の、ネオンの切れた看板の横で、見上げるリコと奈良坂を見やって笑う。

 以前にスミスが落ちてきた屋根への登はんも、舞奈の身体能力なら簡単だ。
 ……というか、奈良坂にはこのくらい普通にしてほしいのだが。

「あら、相変わらずやることが速いわね!」
 舞奈が苦笑していると、屋根の下にスミスの禿頭が出てきた。

引鉄トリガーは銃身の右側よ! 弾薬とフック付きワイヤーは別々に収まってるから、1回使う毎にそれぞれ交換して!」
「了解!」
 答えつつワイヤーショットの銃身を見やる。
 確かに金具の横から引鉄のおもちゃみたいなのがのびている。

 一方、金具の前方には尖ったフックらしい代物が付いている。
 これが発射されるのだ。
 手を広げて撃つと指を撃ち抜きそうだ。
 だが、それについてスミスは特に何も言わなかった。

 それと手の甲に付けられる程度の大きさのフックは引っかけてもすぐ取れそうだ。
 重りだと思った方がいいだろう。

 小さな仕込み拳銃は異能力や魔法と違って万能じゃない。
 それでもスミスがこしらえてくれた新たな力を見やり、口元に笑みを浮かべる。
 舞奈はリコほど幼くはないが、思いがけないプレゼントはワクワクするし、嬉しい。

「行くぞー」
 言いつつ左手の銃口で向かいの廃ビルの柱の端を捉える。
 そして銃身の横に仕込まれた引鉄を右手で引く。

 軽い銃声。
 小口径弾22LRの衝撃を手の平ではなく甲で受け止める。
 同時に銃身からフックに引かれたワイヤーが放たれる。

 そして狙い通りに向かいのビルの柱に巻きつく。

「あーら、初めてなのに上手いじゃない!」
 屋根の下からスミスが笑う。

「ま、このくらいはな!」
 舞奈も笑う。

「ワイヤーは金属製で、すごく細いから素手で触っちゃダメよ!」
「見ればわかるよ」
 子供じゃないんだから、と苦笑する。

「グローブの内側が握りになってるから、ぶら下がるときはそこにつかまって!」
「ああ、そのための輪っかか」
 言われた通り、手袋の内側にはメリケンサック状の金具になっている。
 握り心地も丁度いい。
 少しばかり左手を握り辛いが、銃に添えるくらいなら支障はない。

 それより人ひとりの重量を支えるためか、けっこう硬くて頑丈だ。
 非常時にはこっちで掌底打ちできるなあ、と、現場の人間っぽいことを考えてみる。

 そしてそのまま宙に身を躍らせる。

「おー! しもんがとんだ!」
「おおっ! スゴイです!」
「ヒュー! こいつは爽快だ!」
 地上のリコと奈良坂と一緒に叫びながら、ワイヤーに身をまかせて空を舞う。

 そういえば、撃ったときに空薬莢が排出されなかった。
 後で自力で取り出して次の薬莢と入れ替えなければならないのだろう。
 こいつは必要最低限の機能をコンパクトに収めた、緊急用だ。

 それでも、こうして空中移動するのは楽しい。
 自力で飛行できる術者や【鷲翼気功ビーストウィング】は、いつもこんな風に風を感じているのだろうかと、ふと思った。

 そのまま向かいのビルの、派手に崩れた窓のへりに着地する。

「巻き取りはどうするんだー?」
「使い終わったら切り離して! 反対側のレバーよ!」
「……ほんとうに緊急用なんだな」
 苦笑しつつ、言われた通りワイヤーを切り離す。
 側の柱に巻きついたワイヤーを、折角だからほどいてみる。
 素手で触るなと言いたくなるのも納得できる細さなのは、射出機構と合わせて手の甲に収まるくらいコンパクトにまとめるためか。
 これで強度があるのだから、美佳や一樹のような使い方も十分に可能だ。

 それはともかく、細いワイヤーを手袋をした左手だけでほどくのは意外に面倒だ。
 舞奈はいちおう右利きなのだ。
 それでもピクシオンとして魔法の2丁拳銃ハーモニウム・ショットを撃っていた頃に、両手を自在に使えるよう訓練を受けた。なんとかならない難易度じゃない。

 それに、この手袋、厚手のわりに指の動きを妨げない気がする。

「なあスミス! この手袋、何でできてるんだ?」
「【機関】の戦闘タクティカルセーラー服と同じ新素材よ! 握りの金具は特殊鋼!」
「……よくそんなもの使えたな」
 ひとりごち、まじまじと手袋を見やる。

 1年前にはなかった、3年前には使いこなせなかった、新たな力。
 それがここにあるという事実が、舞奈がささやかながらも成長している証のようにも思えた。だから、

「さんきゅー、スミス! 有効に使わせてもらうよ!」
 眼下に向かってそう言って、笑った。
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