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第10章 亡霊
百合たち ~スコップvs異能力
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園香の買い物を手伝いながら、舞奈も半額セールのモヤシをいっぱい買った。
ふと気づくと他の幼児といっしょに子供用コーナーの駄菓子に釘付けになっていたチャビーをなだめすかせて売り場から引きはがすというトラブルもあったりはしたが。
だが園香は思いのほか材料を買いすぎてしまったらしい。
持つのも大変そうだ。
なので舞奈は、それを運ぶのを手伝った。
そして、その後、何だかんだで夕食をご馳走になった。
その際に、舞奈もいちおう料理を手伝おうとした。
だが園香と園香母の手際の良さの前に手も足も出ず、大人しく皿とフォークを並べていた。まるで戦闘時の奈良坂だ……。
その後(園香と園香母が)片づけを済ませ、園香の部屋で少し食休みしていってはどうかと誘われた。そして、
「マイちゃん、早く……」
「焦ることはないさ、雨の間は一晩中だってできるんだ」
園香の部屋の大きめなベッドに腰かけて、園香と舞奈は笑みを交わす。
舞奈は普段通りの不敵な笑みを。
園香は恥じらうように頬を染めて。
舞奈と向かい合って、園香はしとやかに微笑む。
無論、園香は昼間に街中で話した誰かさんとは違って着衣している。
だがワンピースに覆われた豊満なふくらみは、全裸よりはるかに艶めかしく感じる。
ハニエルと名乗った彼女は、どうもそこらへんの理解が足らないようだ。
「でも、パパがマイちゃんが泊まること、許してくれてよかった」
「まったく本当だよ。園香が説得してくれたおかげさ」
「ううん、マイちゃんだって、ネコポチちゃんを探してくれたりとかしてくれたし」
園香はやわらかく笑う。
舞奈も笑う。
料理中はご両親の前で園香の尻を触るわけにもいかず、手持無沙汰だった。
園香も園香で、夕方にハニエルと会っていた舞奈を見てから少し様子が違う。
具体的には普段より距離が近い。だから、
「雨の間、よろしくな」
言いつつ舞奈は園香の肩を抱き寄せる。
「うん、よろしくね。マイちゃん」
園香は頬を赤らめながらも身を委ねる。
2人の笑みが、ゆっくりと近づいていく。そして、
「園香、舞奈君、母さんがケーキを用意してくれたので食べなさ――」
ドアが開いて園香父があらわれた。
舞奈が園香の肩を抱いて、不自然に顔を近づけたまま、2人は硬直した。
舞奈は反射的に窓から跳び出して逃げようかと思った。
だが、ここで逃げたら二度と園香に会えない気がして、思い止まった。
そして翌日。
ホームルーム前の教室で、
「……てなわけで、園香の家に泊めてもらう話はお釈迦になったんだ」
椅子に横向きに座った舞奈は、言ってがっくりとうなだれた。
「あと今後は真神家の敷居をまたぐの禁止だって」
「ごめんねマイちゃん」
側の園香が申し訳なさそうに目じりを下げた。
「自業自得じゃない」
非情な明日香は凹む舞奈をジト目で見やって肩をすくめる。
「よかったわね、鷹乃さんの占いが完全に当たったわよ」
「うるせぇ」
面白くもなさそうに言った明日香に、舞奈も同じ調子で返す。
明日香も鷹乃にライバル意識があるらしい。
「一昨年みたいに教会に泊めてもらえば?」
明日香は仕方ないといった調子で代案を出してくれた。
だが舞奈は首を横にふる。
「いやな、シスター、他のことはともかく泊まるのだけは良い顔しなくて……」
「あのシスターが難色を示すような何をしたのよ?」
「ナニってその、風呂場でちょっと……」
舞奈はごにょごにょと言葉を濁す。
肩をすくめる明日香の隣で園香も考え、
「あ、そうだ。サチさんの家は泊めてもらえないの?」
思いついて問いかけた。
サチは園香にとって包容力のあるやさしい年上だ。だが、
「それを頼もうとすると、何故か後に小夜子さんがいるんだよ……」
舞奈は凹む。
その状態でサチに泊めてくれと頼む勇気はない。
無論、それも舞奈の自業自得だが。
「じゃ、どうするのよ?」
「いっそ学校にでも忍びこむか……」
「許さないわよ」
学校の警備を任された民間警備会社の娘は冷酷に言い放つ。
舞奈は困る。そのとき、
「あ、マイだ! マイー!」
チャビーが元気にやってきた。
「マイ、ゾマの家に泊めてもらえなくなっちゃったって、ホント?」
さすがはチャビー。
言いにくいことを笑顔でズバズバ口に出す。
「ああ、そうだよ……」
舞奈はしょんぼり答える。
だがチャビーは笑顔のまま、
「だからパパがね、家に泊めてあげてもいいって言ってくれたの!」
「お! そいつはありがたい」
舞奈の表情も一変、ニッコリ笑顔になる。現金なものだ。
過去に舞奈はチャビーのピンチを何度か救った。
最近はネコポチを探したりもしたから、親御さんの受けもいい。
それに幼児体型な彼女とは別段なにもないので、出入り禁止にもならない。
だから泊めてもらえる条件はバッチリだ。だが、
「日比野さんはいいの?」
明日香がぼそりと問いかけた。
1年前、同じように酸性雨に締め出された舞奈は日比野邸に泊まった。
そして、その夜、チャビーは最愛の兄を失った。
同じように舞奈が泊まることで、彼女はあの日を思い出したりしないだろうか?
舞奈もそう思って彼女の家に泊まることは考慮しなかったのだ。だが、
「だいじょうぶだよ!」
チャビーは答えた。
「それでね! ゾマと安倍さんと小夜子さんと、それにサチさんも呼んで、みんなで泊まって、晩御飯を食べよう!」
ニッコリ笑顔でそう言った。
舞奈は一瞬、虚を突かれ、そして笑う。
園香も、明日香も笑う。
この無邪気な少女は、あの喪失の日と自身の意思で向き合おうとしている。だから、
「それじゃあ、お邪魔するね」
「そっか、園香も一緒に泊まるんなら――」
「(日比野さんの前で許すわけないでしょ)」
「(ちぇっ)」
3人もそれぞれ笑顔で答えた。
そして、その後は何事もなく数日が過ぎた。
トラブルもないが、逆に言うと占術の結果も出ていない。
舞奈たちが日々を楽しく過ごすうちに、時間だけが過ぎて行った。
そして酸性雨の日を明日に控えた日曜日。
「じゃーおっちゃん、行ってくるよ!」
「行ってこい! 先方に迷惑かけるんじゃないぞ!」
管理人室の窓から、ハンチング帽を目深にかぶった髭面が舞奈を見送る。
アパートの管理人だ。
「わかってるって!」
舞奈も管理人に挨拶を返す。
手には着替えと非常時のための諸々が詰まったトートバッグ。
そして授業で使う教科書やノートが入った学生鞄。
「そういやあ、今年は屋根を作らねぇのか!?」
管理人は思い出したように問いかける。
舞奈は一瞬、口ごもり、
「ああ!」
すぐ口元に何食わぬ笑みを浮かべて答える。
「だいたい、一昨年は野ざらしだっただろう!?」
「おう! そうか!」
管理人の返事を背に聞きつつ、玄関の横に自生している百合たちを一瞥する。
花弁の先に小さな光が、氷結晶がまたたく。
まるで舞奈の視線に答えるように。
新開発区に咲く百合は、異能力者と同じように一輪にひとつの異能を持つ。
去年は彼と百合を見ながら、語らった。
だが花の命は1年も持たないから、あのとき咲いていた百合は今はもうない。
ぜんぶ新しい花に生え変わっている。
だからカラフルな異能の光に混じり、いくつか赤い光もままたいている。
今年は【火霊武器】の百合も普通に咲いたらしい。
舞奈は口元に乾いた笑みを浮かべる。
そして百合たちに背を向け、歩き出す。
管理人にああ答えたのは、たぶん彼と花を見ながら語ったあの日々の記憶を胸の中に留めておきたかったからだろう。
そもそも一緒に屋根を乗せる相手もいない。
あの板はひとりで運ぶには大きすぎる。
そう思った、そのとき、
「――ぁーすーけーてーくーだーさーい!!」
素っ頓狂な悲鳴が走ってきた。
同時に何かがズザザザザ――ッ! っと、頭から舞奈の前に滑りこむ。
「うわっ!? なんだなんだ!?」
瓦礫が散乱する地面を削り、野暮ったいセミロングの後ろ頭がズザーと滑っていく。
凄まじく痛そうだ。
だがそれより、
「……馬鹿野郎、なに連れてきてやがる」
少女と同じ方向から2匹の泥人間が走ってきた。
雄叫びをあげながら、錆の浮いた日本刀を振り回している。
彼女は奴らに追われていたのだ。
「この前といい、泥人間って、こんな昼間から出るものだっけ……?」
言って舞奈は首をかしげる。
同時に百合のいくつかが蠢いて、泥人間の方向を向く。
そして魔法の光を放った。
泥人間は怯み、苦しみだす。
新開発区の百合は怪異と同様に、一輪にひとつの異能を持つ。
そして脂虫を爆発させる【断罪発破】は、他の怪異を苦しめる効果を兼ね備える。
それを複数の百合が連続で行使しているのだ。
だが異能の乱射が途切れた隙に、泥人間たちは体勢を立て直す。
手にした日本刀を振り上げ、手近にいた舞奈めがけて襲いかかる。
錆の浮いた切っ先が、陽光を浴びてまだらに光る。
「おおっと」
鈍い刃が風を切り、退いた舞奈の前髪を散らす。
放り投げられたバッグと鞄が花畑の手前に落ちる。
「【虎爪気功】か」
普通の泥人間より大柄なそれは、同族より少しばかり太刀筋も鋭い。
だが舞奈は笑う。
無茶苦茶に振り回される太刀に合わせ、リズムを刻んで跳び退る。
次いで放たれた渾身の振り下ろしを、大きく跳んで避ける。
着地しながら、転がっていた園芸用スコップの柄の端を踏みつける。
てこの要領で回転しながら跳ね上がったそれを手に収める。
そして大振りを避けられ体勢を崩した敵に足払い。
たまらず倒れこんだ首元に、鋭く尖ったスコップの縁を突きつける。
そのまま相手の体重を使って喉をかき斬る。
淀んだ魔力から生まれた怪異は断末魔の悲鳴をあげ、泥に還って溶け落ちた。
手からこぼれた日本刀が地を転がる。
同時に残る1匹が雄叫びをあげながら走り来る。
自身より背の低い舞奈を相手に、手にした刀を横に薙ぐ、薙ぐ、薙ぐ。
だが舞奈はのらりくらりと苦も無く避ける。
そして幾度目かの斬撃の後、泥人間は嗜虐的に笑った。
なぜなら背後は壁。
跳び退るうちに向かいの廃ビルまで追いこまれたのだ。
それでもスコップ片手に舞奈は笑う。
斜めに振られた大振りを、信じられないような跳躍で避ける。
常日頃から鍛え続けている舞奈だから、脚力だって人外レベルだ。
そのまま崩れた壁から突き出していた鉄骨をつかみ、腕力だけで跳び上がる。だが、
「うおっっと」
鉄骨は舞奈が乗った直後に崩れ落ちた。
錆喰い虫が跋扈する新開発区の金属は劣化も早い。
それでも崩れる直前に跳躍した舞奈は、泥人間の背後に着地する。
鉄骨に気を取られた怪異の脇腹を、容赦なく突く。
だが鋭いスコップの穂先は薄いシャツに阻まれる。
「ったく、【装甲硬化】か」
舌打ちする。
それは身に着けた防具を強化する異能の名だ。
だが次の瞬間、弾丸のような勢いでタックル。
敵が振り返る間もなく突き飛ばす。
無敵の防具も衝撃までは防げない。
舞奈は泥人間が体勢を立て直すより早く跳びかかり、渾身の力でスコップを振り下ろして脳天をカチ割る。
2匹目の泥人間も溶け落ちて消えた。
背後の百合たちが、拍手のように異能の光をまたたかせる。
舞奈は笑う。
この程度は造作もない。
そして他に怪異の気配がないのを確かめながらトートバッグと鞄を拾いあげる。
バッグの中が無事か確かめる。
底に拳銃が入っていたのだが、使うまでもなかった。
そうするうちに、セミロングの少女がのろのろと起き上がった。
ああ、そういえば。
「ううっ、ひどい目にあいました……」
少女は涙目で言いつつ眼鏡を直す。
「……奈良坂さんじゃないか」
思わず疲れたような、呆れたような声が出た。
「んなことしてると、また眼鏡が壊れるぞ……」
苦笑する。
奈良坂はこれでも執行人で、身体強化を得手とする仏術士だ。
スペックだけなら泥人間の2匹くらい自力で倒せそうなものだ。
それでも逃げてくるあたりが彼女らしいと言えなくもない。
「だいたい、こんなところに何しに来たんだ?」
「いや、実はですね。諜報部のソォナムさんが、新開発区に酸性雨が降ることを預言しまして、舞奈さんにも伝えてほしいと言われまして……」
奈良坂はあわあわと事情を話す。
呪われた新開発区では、特有の電波障害のせいで通常の電話はつながらない。
特別に調整された【機関】の通信機があれば可能だが、作戦中でもないのに舞奈が持ってるわけがない。
なので舞奈に連絡する手段は伝令しかない。だが、
「……なんで地元のあたしが、それを知らないと思ったんだ?」
「ううっ、そんなあ……」
奈良坂は思わず涙ぐむ。
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
「だいたいソォナムちゃんも、なんでそんなことに気づかないんだ……?」
彼女も奈良坂と同じ仏術士だが馬鹿じゃない。
そもそも奈良坂と同じノリで占術士なんかされたら【機関】もたまらんだろう。
そう思って苦笑して、ふとソォナムが奈良坂を遣わした本当の理由に気づいた。
数ある探知魔法の中でも、預言は特殊な術とされる。
魔力によって時空を歪ませ自身の意思を世界に強制する諸々の術とは逆に、預言――情報の召喚とは、細やかな時空の歪みを読み取る技術だからだ。
時空の歪み。
それは森羅万象、過去と未来のすべてが雑多に収められた、世界の資料室だ。
テックはそれを、情報クラウドのようなものと評した。
なるほど世界の知識を余さず仕舞いこんだ蔵や井戸ということか。
その情報の蔵から望む答えを探し出す術に長けた者が、占術士と呼ばれる。
だから資料室で調べ物をしたり、ネットで検索するときのように、近い未来に大きな見出しのついた大事件の予定があると、術者の意識はそちらに引き寄せられる。
舞奈について調べた鷹乃が舞奈が寝所を失うと言い当てたのも、その原理だ。
ソォナムも同様に、酸性雨の情報を得たのだろう。
そして、もうひとつ。
辞書の引き方や検索のキーワードに個人のクセがあるように、時空の歪みから引き出しやすい情報にも個人差がある。
ネガティブな小夜子は煙立つ鏡を通じ、死や危険に関連する情報を優先的に得る。
純粋で心優しいサチは、身近な人を守るために必要な情報を得やすい。
そしてチベットの聖人であるソォナムは滓田妖一について調べる過程で、彼が引き起こした事件の犠牲者について情報を得たのだろう。
あの事件で失われた命のことを。
大切な誰かを失った人々のことを。
その中には、あの雨の夜に彼を失った舞奈も含まれていたのだろう。
だからソォナムはあの時の同じ雨の日の前に、あのささやかな語らいを再現するように奈良坂を遣わした。
園香やシスターは、他者の痛みを感じ取って癒してくれる。
それをソォナムは預言まで駆使してやってのけたのだ。
(ったく、余計な気を使いやがって)
口元をへの字に曲げようとしたが、上手くいかなかった。
だから百合たちを見やり、奈良坂を見やり、
「ちょっと手伝ってくれないか?」
自然な笑みのまま言った。
たしか去年に使った装甲板の残骸は、母屋の裏にあったはずだ。
ふと気づくと他の幼児といっしょに子供用コーナーの駄菓子に釘付けになっていたチャビーをなだめすかせて売り場から引きはがすというトラブルもあったりはしたが。
だが園香は思いのほか材料を買いすぎてしまったらしい。
持つのも大変そうだ。
なので舞奈は、それを運ぶのを手伝った。
そして、その後、何だかんだで夕食をご馳走になった。
その際に、舞奈もいちおう料理を手伝おうとした。
だが園香と園香母の手際の良さの前に手も足も出ず、大人しく皿とフォークを並べていた。まるで戦闘時の奈良坂だ……。
その後(園香と園香母が)片づけを済ませ、園香の部屋で少し食休みしていってはどうかと誘われた。そして、
「マイちゃん、早く……」
「焦ることはないさ、雨の間は一晩中だってできるんだ」
園香の部屋の大きめなベッドに腰かけて、園香と舞奈は笑みを交わす。
舞奈は普段通りの不敵な笑みを。
園香は恥じらうように頬を染めて。
舞奈と向かい合って、園香はしとやかに微笑む。
無論、園香は昼間に街中で話した誰かさんとは違って着衣している。
だがワンピースに覆われた豊満なふくらみは、全裸よりはるかに艶めかしく感じる。
ハニエルと名乗った彼女は、どうもそこらへんの理解が足らないようだ。
「でも、パパがマイちゃんが泊まること、許してくれてよかった」
「まったく本当だよ。園香が説得してくれたおかげさ」
「ううん、マイちゃんだって、ネコポチちゃんを探してくれたりとかしてくれたし」
園香はやわらかく笑う。
舞奈も笑う。
料理中はご両親の前で園香の尻を触るわけにもいかず、手持無沙汰だった。
園香も園香で、夕方にハニエルと会っていた舞奈を見てから少し様子が違う。
具体的には普段より距離が近い。だから、
「雨の間、よろしくな」
言いつつ舞奈は園香の肩を抱き寄せる。
「うん、よろしくね。マイちゃん」
園香は頬を赤らめながらも身を委ねる。
2人の笑みが、ゆっくりと近づいていく。そして、
「園香、舞奈君、母さんがケーキを用意してくれたので食べなさ――」
ドアが開いて園香父があらわれた。
舞奈が園香の肩を抱いて、不自然に顔を近づけたまま、2人は硬直した。
舞奈は反射的に窓から跳び出して逃げようかと思った。
だが、ここで逃げたら二度と園香に会えない気がして、思い止まった。
そして翌日。
ホームルーム前の教室で、
「……てなわけで、園香の家に泊めてもらう話はお釈迦になったんだ」
椅子に横向きに座った舞奈は、言ってがっくりとうなだれた。
「あと今後は真神家の敷居をまたぐの禁止だって」
「ごめんねマイちゃん」
側の園香が申し訳なさそうに目じりを下げた。
「自業自得じゃない」
非情な明日香は凹む舞奈をジト目で見やって肩をすくめる。
「よかったわね、鷹乃さんの占いが完全に当たったわよ」
「うるせぇ」
面白くもなさそうに言った明日香に、舞奈も同じ調子で返す。
明日香も鷹乃にライバル意識があるらしい。
「一昨年みたいに教会に泊めてもらえば?」
明日香は仕方ないといった調子で代案を出してくれた。
だが舞奈は首を横にふる。
「いやな、シスター、他のことはともかく泊まるのだけは良い顔しなくて……」
「あのシスターが難色を示すような何をしたのよ?」
「ナニってその、風呂場でちょっと……」
舞奈はごにょごにょと言葉を濁す。
肩をすくめる明日香の隣で園香も考え、
「あ、そうだ。サチさんの家は泊めてもらえないの?」
思いついて問いかけた。
サチは園香にとって包容力のあるやさしい年上だ。だが、
「それを頼もうとすると、何故か後に小夜子さんがいるんだよ……」
舞奈は凹む。
その状態でサチに泊めてくれと頼む勇気はない。
無論、それも舞奈の自業自得だが。
「じゃ、どうするのよ?」
「いっそ学校にでも忍びこむか……」
「許さないわよ」
学校の警備を任された民間警備会社の娘は冷酷に言い放つ。
舞奈は困る。そのとき、
「あ、マイだ! マイー!」
チャビーが元気にやってきた。
「マイ、ゾマの家に泊めてもらえなくなっちゃったって、ホント?」
さすがはチャビー。
言いにくいことを笑顔でズバズバ口に出す。
「ああ、そうだよ……」
舞奈はしょんぼり答える。
だがチャビーは笑顔のまま、
「だからパパがね、家に泊めてあげてもいいって言ってくれたの!」
「お! そいつはありがたい」
舞奈の表情も一変、ニッコリ笑顔になる。現金なものだ。
過去に舞奈はチャビーのピンチを何度か救った。
最近はネコポチを探したりもしたから、親御さんの受けもいい。
それに幼児体型な彼女とは別段なにもないので、出入り禁止にもならない。
だから泊めてもらえる条件はバッチリだ。だが、
「日比野さんはいいの?」
明日香がぼそりと問いかけた。
1年前、同じように酸性雨に締め出された舞奈は日比野邸に泊まった。
そして、その夜、チャビーは最愛の兄を失った。
同じように舞奈が泊まることで、彼女はあの日を思い出したりしないだろうか?
舞奈もそう思って彼女の家に泊まることは考慮しなかったのだ。だが、
「だいじょうぶだよ!」
チャビーは答えた。
「それでね! ゾマと安倍さんと小夜子さんと、それにサチさんも呼んで、みんなで泊まって、晩御飯を食べよう!」
ニッコリ笑顔でそう言った。
舞奈は一瞬、虚を突かれ、そして笑う。
園香も、明日香も笑う。
この無邪気な少女は、あの喪失の日と自身の意思で向き合おうとしている。だから、
「それじゃあ、お邪魔するね」
「そっか、園香も一緒に泊まるんなら――」
「(日比野さんの前で許すわけないでしょ)」
「(ちぇっ)」
3人もそれぞれ笑顔で答えた。
そして、その後は何事もなく数日が過ぎた。
トラブルもないが、逆に言うと占術の結果も出ていない。
舞奈たちが日々を楽しく過ごすうちに、時間だけが過ぎて行った。
そして酸性雨の日を明日に控えた日曜日。
「じゃーおっちゃん、行ってくるよ!」
「行ってこい! 先方に迷惑かけるんじゃないぞ!」
管理人室の窓から、ハンチング帽を目深にかぶった髭面が舞奈を見送る。
アパートの管理人だ。
「わかってるって!」
舞奈も管理人に挨拶を返す。
手には着替えと非常時のための諸々が詰まったトートバッグ。
そして授業で使う教科書やノートが入った学生鞄。
「そういやあ、今年は屋根を作らねぇのか!?」
管理人は思い出したように問いかける。
舞奈は一瞬、口ごもり、
「ああ!」
すぐ口元に何食わぬ笑みを浮かべて答える。
「だいたい、一昨年は野ざらしだっただろう!?」
「おう! そうか!」
管理人の返事を背に聞きつつ、玄関の横に自生している百合たちを一瞥する。
花弁の先に小さな光が、氷結晶がまたたく。
まるで舞奈の視線に答えるように。
新開発区に咲く百合は、異能力者と同じように一輪にひとつの異能を持つ。
去年は彼と百合を見ながら、語らった。
だが花の命は1年も持たないから、あのとき咲いていた百合は今はもうない。
ぜんぶ新しい花に生え変わっている。
だからカラフルな異能の光に混じり、いくつか赤い光もままたいている。
今年は【火霊武器】の百合も普通に咲いたらしい。
舞奈は口元に乾いた笑みを浮かべる。
そして百合たちに背を向け、歩き出す。
管理人にああ答えたのは、たぶん彼と花を見ながら語ったあの日々の記憶を胸の中に留めておきたかったからだろう。
そもそも一緒に屋根を乗せる相手もいない。
あの板はひとりで運ぶには大きすぎる。
そう思った、そのとき、
「――ぁーすーけーてーくーだーさーい!!」
素っ頓狂な悲鳴が走ってきた。
同時に何かがズザザザザ――ッ! っと、頭から舞奈の前に滑りこむ。
「うわっ!? なんだなんだ!?」
瓦礫が散乱する地面を削り、野暮ったいセミロングの後ろ頭がズザーと滑っていく。
凄まじく痛そうだ。
だがそれより、
「……馬鹿野郎、なに連れてきてやがる」
少女と同じ方向から2匹の泥人間が走ってきた。
雄叫びをあげながら、錆の浮いた日本刀を振り回している。
彼女は奴らに追われていたのだ。
「この前といい、泥人間って、こんな昼間から出るものだっけ……?」
言って舞奈は首をかしげる。
同時に百合のいくつかが蠢いて、泥人間の方向を向く。
そして魔法の光を放った。
泥人間は怯み、苦しみだす。
新開発区の百合は怪異と同様に、一輪にひとつの異能を持つ。
そして脂虫を爆発させる【断罪発破】は、他の怪異を苦しめる効果を兼ね備える。
それを複数の百合が連続で行使しているのだ。
だが異能の乱射が途切れた隙に、泥人間たちは体勢を立て直す。
手にした日本刀を振り上げ、手近にいた舞奈めがけて襲いかかる。
錆の浮いた切っ先が、陽光を浴びてまだらに光る。
「おおっと」
鈍い刃が風を切り、退いた舞奈の前髪を散らす。
放り投げられたバッグと鞄が花畑の手前に落ちる。
「【虎爪気功】か」
普通の泥人間より大柄なそれは、同族より少しばかり太刀筋も鋭い。
だが舞奈は笑う。
無茶苦茶に振り回される太刀に合わせ、リズムを刻んで跳び退る。
次いで放たれた渾身の振り下ろしを、大きく跳んで避ける。
着地しながら、転がっていた園芸用スコップの柄の端を踏みつける。
てこの要領で回転しながら跳ね上がったそれを手に収める。
そして大振りを避けられ体勢を崩した敵に足払い。
たまらず倒れこんだ首元に、鋭く尖ったスコップの縁を突きつける。
そのまま相手の体重を使って喉をかき斬る。
淀んだ魔力から生まれた怪異は断末魔の悲鳴をあげ、泥に還って溶け落ちた。
手からこぼれた日本刀が地を転がる。
同時に残る1匹が雄叫びをあげながら走り来る。
自身より背の低い舞奈を相手に、手にした刀を横に薙ぐ、薙ぐ、薙ぐ。
だが舞奈はのらりくらりと苦も無く避ける。
そして幾度目かの斬撃の後、泥人間は嗜虐的に笑った。
なぜなら背後は壁。
跳び退るうちに向かいの廃ビルまで追いこまれたのだ。
それでもスコップ片手に舞奈は笑う。
斜めに振られた大振りを、信じられないような跳躍で避ける。
常日頃から鍛え続けている舞奈だから、脚力だって人外レベルだ。
そのまま崩れた壁から突き出していた鉄骨をつかみ、腕力だけで跳び上がる。だが、
「うおっっと」
鉄骨は舞奈が乗った直後に崩れ落ちた。
錆喰い虫が跋扈する新開発区の金属は劣化も早い。
それでも崩れる直前に跳躍した舞奈は、泥人間の背後に着地する。
鉄骨に気を取られた怪異の脇腹を、容赦なく突く。
だが鋭いスコップの穂先は薄いシャツに阻まれる。
「ったく、【装甲硬化】か」
舌打ちする。
それは身に着けた防具を強化する異能の名だ。
だが次の瞬間、弾丸のような勢いでタックル。
敵が振り返る間もなく突き飛ばす。
無敵の防具も衝撃までは防げない。
舞奈は泥人間が体勢を立て直すより早く跳びかかり、渾身の力でスコップを振り下ろして脳天をカチ割る。
2匹目の泥人間も溶け落ちて消えた。
背後の百合たちが、拍手のように異能の光をまたたかせる。
舞奈は笑う。
この程度は造作もない。
そして他に怪異の気配がないのを確かめながらトートバッグと鞄を拾いあげる。
バッグの中が無事か確かめる。
底に拳銃が入っていたのだが、使うまでもなかった。
そうするうちに、セミロングの少女がのろのろと起き上がった。
ああ、そういえば。
「ううっ、ひどい目にあいました……」
少女は涙目で言いつつ眼鏡を直す。
「……奈良坂さんじゃないか」
思わず疲れたような、呆れたような声が出た。
「んなことしてると、また眼鏡が壊れるぞ……」
苦笑する。
奈良坂はこれでも執行人で、身体強化を得手とする仏術士だ。
スペックだけなら泥人間の2匹くらい自力で倒せそうなものだ。
それでも逃げてくるあたりが彼女らしいと言えなくもない。
「だいたい、こんなところに何しに来たんだ?」
「いや、実はですね。諜報部のソォナムさんが、新開発区に酸性雨が降ることを預言しまして、舞奈さんにも伝えてほしいと言われまして……」
奈良坂はあわあわと事情を話す。
呪われた新開発区では、特有の電波障害のせいで通常の電話はつながらない。
特別に調整された【機関】の通信機があれば可能だが、作戦中でもないのに舞奈が持ってるわけがない。
なので舞奈に連絡する手段は伝令しかない。だが、
「……なんで地元のあたしが、それを知らないと思ったんだ?」
「ううっ、そんなあ……」
奈良坂は思わず涙ぐむ。
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
「だいたいソォナムちゃんも、なんでそんなことに気づかないんだ……?」
彼女も奈良坂と同じ仏術士だが馬鹿じゃない。
そもそも奈良坂と同じノリで占術士なんかされたら【機関】もたまらんだろう。
そう思って苦笑して、ふとソォナムが奈良坂を遣わした本当の理由に気づいた。
数ある探知魔法の中でも、預言は特殊な術とされる。
魔力によって時空を歪ませ自身の意思を世界に強制する諸々の術とは逆に、預言――情報の召喚とは、細やかな時空の歪みを読み取る技術だからだ。
時空の歪み。
それは森羅万象、過去と未来のすべてが雑多に収められた、世界の資料室だ。
テックはそれを、情報クラウドのようなものと評した。
なるほど世界の知識を余さず仕舞いこんだ蔵や井戸ということか。
その情報の蔵から望む答えを探し出す術に長けた者が、占術士と呼ばれる。
だから資料室で調べ物をしたり、ネットで検索するときのように、近い未来に大きな見出しのついた大事件の予定があると、術者の意識はそちらに引き寄せられる。
舞奈について調べた鷹乃が舞奈が寝所を失うと言い当てたのも、その原理だ。
ソォナムも同様に、酸性雨の情報を得たのだろう。
そして、もうひとつ。
辞書の引き方や検索のキーワードに個人のクセがあるように、時空の歪みから引き出しやすい情報にも個人差がある。
ネガティブな小夜子は煙立つ鏡を通じ、死や危険に関連する情報を優先的に得る。
純粋で心優しいサチは、身近な人を守るために必要な情報を得やすい。
そしてチベットの聖人であるソォナムは滓田妖一について調べる過程で、彼が引き起こした事件の犠牲者について情報を得たのだろう。
あの事件で失われた命のことを。
大切な誰かを失った人々のことを。
その中には、あの雨の夜に彼を失った舞奈も含まれていたのだろう。
だからソォナムはあの時の同じ雨の日の前に、あのささやかな語らいを再現するように奈良坂を遣わした。
園香やシスターは、他者の痛みを感じ取って癒してくれる。
それをソォナムは預言まで駆使してやってのけたのだ。
(ったく、余計な気を使いやがって)
口元をへの字に曲げようとしたが、上手くいかなかった。
だから百合たちを見やり、奈良坂を見やり、
「ちょっと手伝ってくれないか?」
自然な笑みのまま言った。
たしか去年に使った装甲板の残骸は、母屋の裏にあったはずだ。
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