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第10章 亡霊
芸術家
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そして下校後、舞奈と明日香は【機関】支部にやって来た。
件のテレビに映った男と滓田妖一の関係を調べるためだ。
だが舞奈は無意識に、カウンターの奥の壁に設えた掲示板を見やる。
(ったく、まだこんなもの貼ってやがるのか……)
そこには、ずっと以前から1枚のポスターが貼られている。
3人のピクシオンが描かれた注意喚起のポスターだ。
エンペラー亡き今、そのポスターを残しておく実務的な意味はない。
だがエンペラー幹部も、彼らと抗争を繰り広げていたピクシオンも強すぎた。
だから当時を知る者――特に大人の一般職員の心の平穏のために、ピクシオンの似姿が描かれたポスターが必要なのだ。
このポスターを剥すと地獄の底からエンペラーの一味が蘇るのではと不安になる。
魔道士や異能力者を擁する組織がオカルトじみたことをと笑うなかれ。
術や異能を使えない一般職員が藁にもすがりたいと思うのは自然なことだ。
術などなく怪異に対抗する手段もない昔には皆がそうだったのだから。だが今回は、
「なにやってるんだ? おまえら」
そのポスターの横に、ちょっとした人だかりができていた。
サチに奈良坂に紅葉。
わりと珍しい組み合わせだ。
「あ、舞奈さん。エヘヘ……」
尋ねた舞奈に、だらしない笑みを浮かべて答えたのは奈良坂だった。
「舞奈ちゃん、明日香ちゃん、見て見て。奈良坂さんが描いたんですって」
サチが指さした先には、件のポスターの横に新しく貼られたポスター。
描かれているのは1匹の犬だ。
漫画チックな涙を浮かべてこちらを見やっている。
どことなく猫じみた情けなさそうな表情は、いつかコンクールで金賞をとった例の絵とよく似ている。
ポスターの上半分にはでかでかと『捨てないで』の文字。
どうやら捨て犬防止のポスターらしい。
その側で、珍しく奈良坂が誇らしげな笑みを浮かべる。
なるほど彼女はコンクールで入賞した。
だから表の保健所から是非にと頼まれるのも自然なことだ。
皆は、そのポスターを囲んで和んでいたらしい。
奈良坂の絵は同じコンクールで銀賞に選ばれた楓の作品ほど芸術的ではないが、描き手の素朴さと素直さを感じさせる画風は、こういった用途にはむしろ向いている。
正直なところ、奈良坂は粗忽で戦闘ではあまり頼りにならない。
だが、こうして手に職を持っていたりして、将来性はあるのかもしれない。
そんなことを考えながら舞奈もいっしょに和んでいると、
「舞奈ちゃ~ん、ちょっとお使いを頼まれてくれなぁ~い?」
カウンターの受付嬢が、甘い声で呼びかけてきた。
「ソーちゃんに急いで届けてほしいものがあるんだけどぉ~」
しなを作ってニッコリ笑う。
舞奈も笑う。だが、
「出入口はここしかないんだから、帰りに通るんじゃないのか?」
届けてやりたいのは山々だ。
だが今日の舞奈には別の用事がある。
「これなんだけどなぁ~」
それでも嬢は気にせず、胸の谷間から封筒を取り出した。
何かコツがあるのだろう、ふくよかな胸がいつも以上にぷるるんとゆれた。
舞奈の視線も一緒にゆれる。
「えへへ、しょうがないなあ~」
だから舞奈は思わず封筒を受け取った。
明日香はやれやれと肩をすくめる。
「ソーってのは、占術士の何とかさんのことだよな?」
「諜報部の中川ソォナムよ」
「ああ、そう言おうとしたんだ。諜報部の事務室でいいのか?」
「あ、小夜子ちゃんが大事な用事だっーて資料室に行ったから、ソーもそっちかも」
「おっ、さんきゅ」
ポスターから顔を上げて口を挟んできたサチに、笑顔で返事する。
「大事な用事なら、九杖さんは行かなくていいんですか……?」
「ま、奴さんは諜報部のエースだ、ついでに例のことを聞いてみるのも悪くないだろ」
面倒くさがる明日香を連れて、舞奈は資料室に行くことにした。
巣黒支部の歴史が詰まった資料室は、諜報部の事務所とは反対方向にある。
だが奥まった場所にある事務所より、資料室のほうがちょっと近い。
そんな人気のない部屋で、
「――あら、こんな頃のものまで記録してくださっていたんですね」
机に資料を並べて見ていたのは小夜子と楓だった。
支部の部屋はどこも物々しい打ちっぱなしコンクリートでできている。
そんな中でも立てつけの悪い鉄のドアで外界と隔てられた資料室は、ファイルの詰まったキャビネットと高い本棚が所狭しと並んだ重々しい知識の迷路だ。
その中央に設置された机の前には、小夜子と楓の2人しかいない。
こちらも珍しい組み合わせではある。
「……諜報部の大事な用事があるんじゃなかったのか?」
言った舞奈の横で明日香も肩をすくめる。
「あら舞奈さん。それに明日香さん、丁度いいところにいらっしゃいました」
楓が2人を(というか明日香を)見やり、にこやかに言った。
「小夜子さんに昔の写真を見せていただいてたんですよ。ご一緒にどうですか?」
「はあ」
「写真だと?」
アルバムだろうか?
この2人が懐かしむような写真なんて何時の間に撮ったんだろうか?
思いつつ、呼ばれた明日香の後から、机に広げられた何かを覗きこむ。だが、
「……なんじゃこりゃ」
そこに並んでいた写真には、どれも不吉な色のサインが映っていた。
『memento mori』
『memento mori』
『memento mori』
・
・
・
それは楓と紅葉の姉妹が脂虫連続殺害犯『メメント・モリ』だった頃、屠った脂虫の体液で現場に書き残していたサインだ。
舞奈たちはそれを頼りに姿なき犯人を捜し、見つけ、対決し、今に至る。
まああれから時間は経ったし、懐かしいと言えば懐かしいのかもしれない。
だが写真を眺めて昔話に花を咲かせるような代物だろうか?
……否、この2人にとってはそうなのだろう。
彼女たちは、かつて脂虫に大切なものを奪われた。
小夜子は幼馴染を。
楓は弟を。
だから2人は復讐者になった。
そして人間社会に紛れた人間の敵である脂虫を狩り立て人々から賞賛されるうち、2人のそれは生きる目的ではなく趣味になった。
このサインのひとつひとつが、楓が脂虫を屠った記録であり、勲章だ。
……と、綺麗にまとめてみたものの、ヤニ臭い体液で書かれたサインを並べてニヤニヤしながら眺めるのが趣味悪いという事実は変わらない。
小夜子がサチを連れてこなかった理由は明白だ。
こんな猟奇的な趣味を純粋な彼女にはとても見せられないからだ。
そして、ふと思いだす。
「ってことは、ここにソォナムちゃんはいないのか?」
「……なんでこんなところにソーがいるのよ?」
冷ややかな声で、当然みたいな口調で小夜子が言った。
明日香が横目で舞奈を睨む。
舞奈は口をへの字に曲げる。
「……じゃあ諜報部の事務室でいいのか?」
「ええ、先ほどそちらで見かけましたから」
「今もそうだといいけどな」
楓の返事に肩をすくめつつ、明日香を連れて部屋を出る。
だが他に心当たりがないのも事実なので、大人しく来た廊下を戻ることになる。
諜報部の事務所は、ここから受付を挟んだ反対側だ……。
それでもまあ、2人して愚痴りながらも支部ビルを横断し、
「やあ、舞奈ちゃん、明日香ちゃん」
「奇遇でござるなあ」
事務所で出迎えたのは、野暮ったい執行人の少年たちだった。
部屋の隅のサイドテーブルの前に連なって、何やらしていたようだ。
「せっかくだから、舞奈ちゃんたちにもコメントを貰うでござるよ」
「おお、それはいい考えだ。舞奈ちゃんこっちこっち~」
「うおっ、なんだなんだ?」
わけもわからぬまま押しやられた先は、皆がたむろってたサイドテーブル。
その上には、どことなしに見覚えのある屋台の模型。
皆は連なってこれを見ていたようだ。
青と紫のツートンカラーの屋台車。
紫色の部分には苦悶する顔が幾つも描かれている。
そして緑で雑に書かれた『メメソト・モリの元気の出る水素水』の文字。
楓と紅葉が脂虫殺害犯だった頃、舞奈たちが彼女らをおびき出すべく設えた屋台。
その模型が、公園に見立てた台座の上に佇んでいる。
側には売り子に扮して紙袋をかぶったミニサイズの舞奈。
明日香と小夜子、通りがかった奈良坂や桜たちもいる。
結構リアルで、遠目に見ると実物がそのまま小さくなったようだ。
「事件の資料を元に作ったんだ。技術担当官が写真とかいろいろ残してくれたから」
小太りの少年が、満面の笑みを浮かべて言った。
「……ったく、才能を余分なところに使いやがって」
舞奈はジト目で見返す。
何故この状況をジオラマにしたのか。そう思う。
それでも、この精巧でどうしようもないジオラマから目を離せないのも事実だ。
ガラスケースの中に小さく精巧に再現されたそれが、紛れもなく舞奈が仲間たちと過ごした日々の一幕だからだ。
「……あ。そこの小室さん、違ってますよ」
明日香が早速、警察よろしく粗探しをし始めた。
「ケータイで写真撮ってる子だっけ? むむっ、機種まで調べたのに不覚」
「諜報部の技術まで使ったのか……」
「そうじゃなくてポーズ。このとき小室さんは自撮り棒を使って逆立ちして、足で写真を撮ってたんですよ」
明日香はすごいドヤ顔で解説する。
「ええっ!? じゃあ、あの話の通りだったのかい!?」
少年は驚き、そして凹む。
まあ、あれは目の前で見ていないと、そして普段からみゃー子の奇行を見ていないと信じられないだろう。
かく云う舞奈も、状況を知らずに先ほどの明日香の話だけ聞いたら、たぶん笑う。
「じゃあ、彼女だけ作り直すよ。他の子は大丈夫?」
「――いや、そのままでいいよ」
ジオラマを覆うケースに手をのばす少年を、舞奈はボソリと制した。
「よくできてるじゃないか、桜の間抜け面もそっくりだ」
言って笑う。
当時そこであった真実が、そのままの形で伝わることなんてない。
夜闇に紛れて怪異を狩る仕事を生業にする舞奈だから、よくわかる。
正直なところ、ミニミニサイズの人形に顔が描いてあるのか怪しいものだ。
だが、こちらは当時を正確に再現したポーズを見ていると、自己陶酔した桜の表情が脳裏に浮かぶ。
明日香も笑う。
別に出来に不満があるわけではなく、重箱の隅を突きたいだけだったからだ。
「じゃ、舞奈ちゃん公認ということで」
少年たちも笑う。
「公認ってそういうわけじゃ……いや、それでいいや」
そんな風に皆でわいわいとジオラマを見ていると、
「あ、舞奈さん。こちらにいらっしゃったんですね」
舞奈たちが入ってきたドアが開き、褐色の肌の少女があらわれた。
固く結んだおさげ髪を左右にのばし、額には控えめなペイントを施している。
彼女が諜報部のエースこと【心眼】中川ソォナムだ。
「……なんであんたが外から来るんだ?」
舞奈は低い声で問いかける。
「【組合】から荷物を送付したと連絡があったので、受け取りに行ってたんですよ」
言ってソォナムは舞奈が手にした封筒を見やり、
「でも、行き違いになっちゃったみたいですね」
ニッコリ笑う。
彼女の笑みに他意はない。
さすがは聖者と言ったところか。
仏術の本場であるチベット王国からの留学生は、なるほど噂通り善意が人の形をとったような礼儀正しく快活な少女だ。
だが明日香は舞奈をジト目で見ていた。
こちらは別に聖者ではない。
「……あたしのせいじゃないだろ」
舞奈は苦笑しつつ、ソォナムに封筒を渡して頼まれごとを完遂する。そして、
「出会えたついでに、ひとつ頼まれちゃくれないかい?」
「ええ、なんでしょう?」
にこやかに答えたソォナムを見やる。
ふと、彼女が小夜子といっしょにいなくて、かえって良かったのかなと思う。
あの事件において、小夜子は大事なものを失った。
サチも小夜子に共感している。あの事件の残滓など見るのも嫌だろう。
だがソォナムだけは、あの事件で何も失っていない。そのはずだ。
そんなことを考える舞奈を、ソォナムは満面の笑みを浮かべて見ている。
舞奈はそれを、話の先をうながしているのだと判断した。だから何食わぬ顔で、
「一年前に、滓田妖一って奴がいたのを覚えてるか?」
「はい、例の事件の元凶だった男ですね。……貴女が打ち倒した」
「あたしひとりで殺ったわけじゃないよ」
言って口元に笑みを浮かべる。
1年前の、あの感情を表にあらわさないように。
「そいつが今、どうなってるか知りたい。墓の下ならそいつを確かめてくれればいい」
その台詞を聞いたソォナムは一瞬だけ、驚く。だが、
「何故それを調べようと思われたのですか?」
にこやかな笑みが、今度は何かを覆い隠す。
同じことをいつもしている舞奈だからわかる。
だが彼女が隠そうとしたものが何なのかまでは読めなかった。
「奴にそっくりな奴がニュースに出てた。ただ似てるだけじゃなくて、皮の中身も全部が奴と同じらしい」
「見抜いたのは明日香さんということですか。流石です」
ソゥナムは混じりけのない尊敬のまなざしで微笑みかける。
明日香はうなずく。
人の顔を見て骨格から血縁や同一性を見極めるなどという変態的な洞察ができる人間を、舞奈は明日香のほかに知らない。
「わかりました。他の仕事もあるのですぐにとはいきませんが、占っておきましょう」
「恩に着る。埋め合わせはいつかするよ」
言いつつ舞奈は一瞬だけソォナムの手元を見やった。
空気の流れを通じて筋肉の動きを読むなんて芸当を、してのけるのは舞奈くらいだ。
その技術によって、ソォナムが封筒を持つ手に力を入れたことに気づいたからだ。
彼女宛に【組合】から届けられたという封筒を。
件のテレビに映った男と滓田妖一の関係を調べるためだ。
だが舞奈は無意識に、カウンターの奥の壁に設えた掲示板を見やる。
(ったく、まだこんなもの貼ってやがるのか……)
そこには、ずっと以前から1枚のポスターが貼られている。
3人のピクシオンが描かれた注意喚起のポスターだ。
エンペラー亡き今、そのポスターを残しておく実務的な意味はない。
だがエンペラー幹部も、彼らと抗争を繰り広げていたピクシオンも強すぎた。
だから当時を知る者――特に大人の一般職員の心の平穏のために、ピクシオンの似姿が描かれたポスターが必要なのだ。
このポスターを剥すと地獄の底からエンペラーの一味が蘇るのではと不安になる。
魔道士や異能力者を擁する組織がオカルトじみたことをと笑うなかれ。
術や異能を使えない一般職員が藁にもすがりたいと思うのは自然なことだ。
術などなく怪異に対抗する手段もない昔には皆がそうだったのだから。だが今回は、
「なにやってるんだ? おまえら」
そのポスターの横に、ちょっとした人だかりができていた。
サチに奈良坂に紅葉。
わりと珍しい組み合わせだ。
「あ、舞奈さん。エヘヘ……」
尋ねた舞奈に、だらしない笑みを浮かべて答えたのは奈良坂だった。
「舞奈ちゃん、明日香ちゃん、見て見て。奈良坂さんが描いたんですって」
サチが指さした先には、件のポスターの横に新しく貼られたポスター。
描かれているのは1匹の犬だ。
漫画チックな涙を浮かべてこちらを見やっている。
どことなく猫じみた情けなさそうな表情は、いつかコンクールで金賞をとった例の絵とよく似ている。
ポスターの上半分にはでかでかと『捨てないで』の文字。
どうやら捨て犬防止のポスターらしい。
その側で、珍しく奈良坂が誇らしげな笑みを浮かべる。
なるほど彼女はコンクールで入賞した。
だから表の保健所から是非にと頼まれるのも自然なことだ。
皆は、そのポスターを囲んで和んでいたらしい。
奈良坂の絵は同じコンクールで銀賞に選ばれた楓の作品ほど芸術的ではないが、描き手の素朴さと素直さを感じさせる画風は、こういった用途にはむしろ向いている。
正直なところ、奈良坂は粗忽で戦闘ではあまり頼りにならない。
だが、こうして手に職を持っていたりして、将来性はあるのかもしれない。
そんなことを考えながら舞奈もいっしょに和んでいると、
「舞奈ちゃ~ん、ちょっとお使いを頼まれてくれなぁ~い?」
カウンターの受付嬢が、甘い声で呼びかけてきた。
「ソーちゃんに急いで届けてほしいものがあるんだけどぉ~」
しなを作ってニッコリ笑う。
舞奈も笑う。だが、
「出入口はここしかないんだから、帰りに通るんじゃないのか?」
届けてやりたいのは山々だ。
だが今日の舞奈には別の用事がある。
「これなんだけどなぁ~」
それでも嬢は気にせず、胸の谷間から封筒を取り出した。
何かコツがあるのだろう、ふくよかな胸がいつも以上にぷるるんとゆれた。
舞奈の視線も一緒にゆれる。
「えへへ、しょうがないなあ~」
だから舞奈は思わず封筒を受け取った。
明日香はやれやれと肩をすくめる。
「ソーってのは、占術士の何とかさんのことだよな?」
「諜報部の中川ソォナムよ」
「ああ、そう言おうとしたんだ。諜報部の事務室でいいのか?」
「あ、小夜子ちゃんが大事な用事だっーて資料室に行ったから、ソーもそっちかも」
「おっ、さんきゅ」
ポスターから顔を上げて口を挟んできたサチに、笑顔で返事する。
「大事な用事なら、九杖さんは行かなくていいんですか……?」
「ま、奴さんは諜報部のエースだ、ついでに例のことを聞いてみるのも悪くないだろ」
面倒くさがる明日香を連れて、舞奈は資料室に行くことにした。
巣黒支部の歴史が詰まった資料室は、諜報部の事務所とは反対方向にある。
だが奥まった場所にある事務所より、資料室のほうがちょっと近い。
そんな人気のない部屋で、
「――あら、こんな頃のものまで記録してくださっていたんですね」
机に資料を並べて見ていたのは小夜子と楓だった。
支部の部屋はどこも物々しい打ちっぱなしコンクリートでできている。
そんな中でも立てつけの悪い鉄のドアで外界と隔てられた資料室は、ファイルの詰まったキャビネットと高い本棚が所狭しと並んだ重々しい知識の迷路だ。
その中央に設置された机の前には、小夜子と楓の2人しかいない。
こちらも珍しい組み合わせではある。
「……諜報部の大事な用事があるんじゃなかったのか?」
言った舞奈の横で明日香も肩をすくめる。
「あら舞奈さん。それに明日香さん、丁度いいところにいらっしゃいました」
楓が2人を(というか明日香を)見やり、にこやかに言った。
「小夜子さんに昔の写真を見せていただいてたんですよ。ご一緒にどうですか?」
「はあ」
「写真だと?」
アルバムだろうか?
この2人が懐かしむような写真なんて何時の間に撮ったんだろうか?
思いつつ、呼ばれた明日香の後から、机に広げられた何かを覗きこむ。だが、
「……なんじゃこりゃ」
そこに並んでいた写真には、どれも不吉な色のサインが映っていた。
『memento mori』
『memento mori』
『memento mori』
・
・
・
それは楓と紅葉の姉妹が脂虫連続殺害犯『メメント・モリ』だった頃、屠った脂虫の体液で現場に書き残していたサインだ。
舞奈たちはそれを頼りに姿なき犯人を捜し、見つけ、対決し、今に至る。
まああれから時間は経ったし、懐かしいと言えば懐かしいのかもしれない。
だが写真を眺めて昔話に花を咲かせるような代物だろうか?
……否、この2人にとってはそうなのだろう。
彼女たちは、かつて脂虫に大切なものを奪われた。
小夜子は幼馴染を。
楓は弟を。
だから2人は復讐者になった。
そして人間社会に紛れた人間の敵である脂虫を狩り立て人々から賞賛されるうち、2人のそれは生きる目的ではなく趣味になった。
このサインのひとつひとつが、楓が脂虫を屠った記録であり、勲章だ。
……と、綺麗にまとめてみたものの、ヤニ臭い体液で書かれたサインを並べてニヤニヤしながら眺めるのが趣味悪いという事実は変わらない。
小夜子がサチを連れてこなかった理由は明白だ。
こんな猟奇的な趣味を純粋な彼女にはとても見せられないからだ。
そして、ふと思いだす。
「ってことは、ここにソォナムちゃんはいないのか?」
「……なんでこんなところにソーがいるのよ?」
冷ややかな声で、当然みたいな口調で小夜子が言った。
明日香が横目で舞奈を睨む。
舞奈は口をへの字に曲げる。
「……じゃあ諜報部の事務室でいいのか?」
「ええ、先ほどそちらで見かけましたから」
「今もそうだといいけどな」
楓の返事に肩をすくめつつ、明日香を連れて部屋を出る。
だが他に心当たりがないのも事実なので、大人しく来た廊下を戻ることになる。
諜報部の事務所は、ここから受付を挟んだ反対側だ……。
それでもまあ、2人して愚痴りながらも支部ビルを横断し、
「やあ、舞奈ちゃん、明日香ちゃん」
「奇遇でござるなあ」
事務所で出迎えたのは、野暮ったい執行人の少年たちだった。
部屋の隅のサイドテーブルの前に連なって、何やらしていたようだ。
「せっかくだから、舞奈ちゃんたちにもコメントを貰うでござるよ」
「おお、それはいい考えだ。舞奈ちゃんこっちこっち~」
「うおっ、なんだなんだ?」
わけもわからぬまま押しやられた先は、皆がたむろってたサイドテーブル。
その上には、どことなしに見覚えのある屋台の模型。
皆は連なってこれを見ていたようだ。
青と紫のツートンカラーの屋台車。
紫色の部分には苦悶する顔が幾つも描かれている。
そして緑で雑に書かれた『メメソト・モリの元気の出る水素水』の文字。
楓と紅葉が脂虫殺害犯だった頃、舞奈たちが彼女らをおびき出すべく設えた屋台。
その模型が、公園に見立てた台座の上に佇んでいる。
側には売り子に扮して紙袋をかぶったミニサイズの舞奈。
明日香と小夜子、通りがかった奈良坂や桜たちもいる。
結構リアルで、遠目に見ると実物がそのまま小さくなったようだ。
「事件の資料を元に作ったんだ。技術担当官が写真とかいろいろ残してくれたから」
小太りの少年が、満面の笑みを浮かべて言った。
「……ったく、才能を余分なところに使いやがって」
舞奈はジト目で見返す。
何故この状況をジオラマにしたのか。そう思う。
それでも、この精巧でどうしようもないジオラマから目を離せないのも事実だ。
ガラスケースの中に小さく精巧に再現されたそれが、紛れもなく舞奈が仲間たちと過ごした日々の一幕だからだ。
「……あ。そこの小室さん、違ってますよ」
明日香が早速、警察よろしく粗探しをし始めた。
「ケータイで写真撮ってる子だっけ? むむっ、機種まで調べたのに不覚」
「諜報部の技術まで使ったのか……」
「そうじゃなくてポーズ。このとき小室さんは自撮り棒を使って逆立ちして、足で写真を撮ってたんですよ」
明日香はすごいドヤ顔で解説する。
「ええっ!? じゃあ、あの話の通りだったのかい!?」
少年は驚き、そして凹む。
まあ、あれは目の前で見ていないと、そして普段からみゃー子の奇行を見ていないと信じられないだろう。
かく云う舞奈も、状況を知らずに先ほどの明日香の話だけ聞いたら、たぶん笑う。
「じゃあ、彼女だけ作り直すよ。他の子は大丈夫?」
「――いや、そのままでいいよ」
ジオラマを覆うケースに手をのばす少年を、舞奈はボソリと制した。
「よくできてるじゃないか、桜の間抜け面もそっくりだ」
言って笑う。
当時そこであった真実が、そのままの形で伝わることなんてない。
夜闇に紛れて怪異を狩る仕事を生業にする舞奈だから、よくわかる。
正直なところ、ミニミニサイズの人形に顔が描いてあるのか怪しいものだ。
だが、こちらは当時を正確に再現したポーズを見ていると、自己陶酔した桜の表情が脳裏に浮かぶ。
明日香も笑う。
別に出来に不満があるわけではなく、重箱の隅を突きたいだけだったからだ。
「じゃ、舞奈ちゃん公認ということで」
少年たちも笑う。
「公認ってそういうわけじゃ……いや、それでいいや」
そんな風に皆でわいわいとジオラマを見ていると、
「あ、舞奈さん。こちらにいらっしゃったんですね」
舞奈たちが入ってきたドアが開き、褐色の肌の少女があらわれた。
固く結んだおさげ髪を左右にのばし、額には控えめなペイントを施している。
彼女が諜報部のエースこと【心眼】中川ソォナムだ。
「……なんであんたが外から来るんだ?」
舞奈は低い声で問いかける。
「【組合】から荷物を送付したと連絡があったので、受け取りに行ってたんですよ」
言ってソォナムは舞奈が手にした封筒を見やり、
「でも、行き違いになっちゃったみたいですね」
ニッコリ笑う。
彼女の笑みに他意はない。
さすがは聖者と言ったところか。
仏術の本場であるチベット王国からの留学生は、なるほど噂通り善意が人の形をとったような礼儀正しく快活な少女だ。
だが明日香は舞奈をジト目で見ていた。
こちらは別に聖者ではない。
「……あたしのせいじゃないだろ」
舞奈は苦笑しつつ、ソォナムに封筒を渡して頼まれごとを完遂する。そして、
「出会えたついでに、ひとつ頼まれちゃくれないかい?」
「ええ、なんでしょう?」
にこやかに答えたソォナムを見やる。
ふと、彼女が小夜子といっしょにいなくて、かえって良かったのかなと思う。
あの事件において、小夜子は大事なものを失った。
サチも小夜子に共感している。あの事件の残滓など見るのも嫌だろう。
だがソォナムだけは、あの事件で何も失っていない。そのはずだ。
そんなことを考える舞奈を、ソォナムは満面の笑みを浮かべて見ている。
舞奈はそれを、話の先をうながしているのだと判断した。だから何食わぬ顔で、
「一年前に、滓田妖一って奴がいたのを覚えてるか?」
「はい、例の事件の元凶だった男ですね。……貴女が打ち倒した」
「あたしひとりで殺ったわけじゃないよ」
言って口元に笑みを浮かべる。
1年前の、あの感情を表にあらわさないように。
「そいつが今、どうなってるか知りたい。墓の下ならそいつを確かめてくれればいい」
その台詞を聞いたソォナムは一瞬だけ、驚く。だが、
「何故それを調べようと思われたのですか?」
にこやかな笑みが、今度は何かを覆い隠す。
同じことをいつもしている舞奈だからわかる。
だが彼女が隠そうとしたものが何なのかまでは読めなかった。
「奴にそっくりな奴がニュースに出てた。ただ似てるだけじゃなくて、皮の中身も全部が奴と同じらしい」
「見抜いたのは明日香さんということですか。流石です」
ソゥナムは混じりけのない尊敬のまなざしで微笑みかける。
明日香はうなずく。
人の顔を見て骨格から血縁や同一性を見極めるなどという変態的な洞察ができる人間を、舞奈は明日香のほかに知らない。
「わかりました。他の仕事もあるのですぐにとはいきませんが、占っておきましょう」
「恩に着る。埋め合わせはいつかするよ」
言いつつ舞奈は一瞬だけソォナムの手元を見やった。
空気の流れを通じて筋肉の動きを読むなんて芸当を、してのけるのは舞奈くらいだ。
その技術によって、ソォナムが封筒を持つ手に力を入れたことに気づいたからだ。
彼女宛に【組合】から届けられたという封筒を。
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投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
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