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第9章 そこに『奴』がいた頃

それぞれの明日へ2

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 テロリストによる襲撃、そして滓田妖一と4人の息子の死が報じられてから数日後。

「諸君らに上層部からの辞令を交付する」
 会議室より少し豪華な執務室で、フィクサーは普段と変わらぬ口調で言った。
 サングラスが冷徹に光る。

 その前に居並ぶ7人は、いずれも【機関】巣黒すぐろ支部が誇るAランクだ。
 黒衣のフェンリル、巨漢のグルゴーガン、半裸のプロートニク、糸目のニュットに陰気な小夜子、そして舞奈と明日香。
 例によってSランクはいないが、何らかの手段で見ているはずだ。

「まずはデスメーカーの転属願いが受理された。明日づけで諜報部所属となる」
「ありがとうございます」
 小夜子は事務的に一礼する。

 心の拠り所を失った小夜子は、今まで在籍していた執行部を離れることを選んだ。
 諜報部は、陽介が配属されるはずだった部署でもある。

 だが他のAランクたちによって、それは同僚の部署移動以上の意味を持たない。
 なのでフィクサーも、構わず次の辞令を伝える。

「プロートニクとグルゴーガンは他県への移動が決定した。詳細は追って指示する」
「こりゃまたヴドルーク突然な話デース」
「ま、巣黒の戦力が他と比べて充実しすぎてるのは事実だしな。たしか転勤先は群馬だっけか、ベリアルとヘルビーストだけじゃ治めるにも限界があるだろう」
「しょうがないデスねー」
 移動の指示に、半裸美女と大女が頷いてみせる。
 そんな2人を、明日香は見やる。

 彼女らの急な配置移動は、明日香が大佐と呼んだ上層部メンバーの仕業だ。
 明日香に言われるがまま滓田の排除に加担した彼だが、同じネタで強請ゆすられないよう策を弄したのだろう。巣黒の戦力を削ぐという形で。

 それにより、今、この場所にいる7人のうち3人が人事移動によっていなくなる。
 ニュットが他部署、舞奈と明日香が仕事人トラブルシューターであることを考慮すれば、残る執行部の戦力は実質的にフェンリルとSランクだけだ。

 にも拘らず、Aランクたちの間にそれ程の動揺はない。
 無論、彼女らの肝が据わっているということもある。
 この場所にいるのは、銃弾と魔術が飛び交う戦場で、もっと様々なものを失い、あるいは破壊してきた者ばかりだ。だが、それ以上に、

「そして――」
 ここにいる誰もが各々の手段によって、この後に下される指示を知っていた。
 それに比べれば人事異動など些事だ。

「――舞奈君、ここに」
「ああ」
 呼ばれた舞奈はフィクサーの前に立つ。

 ニュットが指を鳴らすと蛍光灯の明かりが消え、ひとりでにカーテンが閉まる。
 そして舞奈を囲むように、床に輝く魔方陣があらわれる。
 天井にも巨大な光の文様が描かれる。

 残るAランクたちは舞奈を囲む。
 そして支部最強の一角を担うはずの面々は、うやうやしく膝をつき首を垂れる。

「この日、この時より我々は天に新たな太陽を頂く」
 フィクサーは高らかに唱える。

「「我等は太陽の加護の元、民に仇成す悪鬼を討ち、世に仇成す闇を祓う――」」
 他の面子は厳かに後を引き継ぐ。

 その様子を、中心に立つ舞奈は超然と見守る。
 Sランクを任命するためのセレモニーは、予想通りに下らなかった。

 元より【機関】は超常現象に対処するための組織だ。
 なので魔道士メイジによる儀式も日常的に行われている。

 だが、それは業務の一環であり、意思決定の場に持ちこまれることはない。
 超法規的とはいえ、あくまで【機関】は近代的な組織だからだ。
 意思決定は理論と情報に基づいてなされ、そこにオカルトの出番はない。

 その例外が今回の儀式だ。
 そもそも通常の組織的行動では対処できない懸案に対して個人による完璧な対処を目的として投入されるというSランクの存在自体が、近代的でも組織的でもない。

 けど舞奈は、太陽を頂くというフレーズだけは気に入った。それが、あたたかな太陽を思わせる彼から、何らかの要素を継ぐことのように思えたから。
 だから――

「――我等はここに、志門舞奈をSランクへと任命する」
 舞奈は支部における真の最強である、Sランクになった。

 その様子を、部屋の片隅のキャビネットの上から、短足猫のマンチカンが見ていた。

 余談だが、Aランク執行人エージェントの移動に加えたSランク仕事人トラブルシューターの誕生により、巣黒支部における正規と非正規の戦力バランスが崩れることになった。
 その事実は後日、上層部によって問題視されることになる。

 その問題を解消するため、上層部は巣黒支部のBランク→Aランクへの昇格基準を大幅に下げることにより帳簿上でだけバランスを是正しようとした。
 結果、明らかに実力不足なAランク執行人エージェントが大量に誕生した。

 そしてその大半は、三剣悟との戦闘で失われた。
 ある意味【雷徒人愚】は上層部の政治ゲームの被害者ともいえる。

 そして儀式の後日。
 支部の一角にある諜報部の事務室で、

「今日づけで諜報部に配属になりました、【デスメーカー】如月小夜子です」
 小夜子は新たな職場の、新たな仲間に一礼した。

 異能力者の少年たちが、野暮ったく礼を返す。
 弱気で人見知りな小夜子は、知らない場所が知らないという理由で不安だ。

「【心眼】中川ソォナムです。今後ともよろしくお願いします」
 固く結んだおさげ髪を左右に伸ばしたチベット人の少女が、元気に挨拶を返す。

「【思兼】九杖サチです。よろしくね」
 ソォナムの隣で、おっとりした雰囲気の巫女が朗らかに挨拶する。
 ふんわりボブカットがゆれる。
 サチは小夜子の不安を和らげようとするように、やわらかく笑う。そして、

「……って、あなた、あのときの!」
 小夜子を見やって可愛らしく声をあげた。
 小夜子もサチを見やって思い出す。

 先日の脂虫殲滅作戦の際に、小夜子はサチの危機一髪を救った。
 そして今回が、2度目の出会いだった。

 あの時、陽介を失って半ば自棄になった小夜子のために祈ってくれた少女のあたたかな笑みは、小夜子が失った陽介のそれに少し似ていた。

 だから小夜子も、ぎこちなく笑った。

 そして同じ頃。
 市内の高級マンションの一室で、

「お父さまはそれで納得したんですか!? お母さまも!!」
「事を荒立てたところで、瑞葉が帰ってくるわけじゃないだろう」
「そんなことが……!?」
 許されてなるものですか。
 そう言っても無駄だと、桂木楓は押し黙った。
 そのまま両親に背を向けて自室に向かう。

「そんなことより自分の将来のことを考えなさい!」
 背中に向かって父の言葉がぶつけられる。

「医学部を受験するなら今から準備しても早すぎることはないわ! 学業に――」
「――わかっていますとも!」
 母の言葉を遮るように、自室の扉越しに怒鳴り返す。そして、

「……ええ、良く学び、鍛錬にはげみますとも」
 暗い笑みを浮かべた。

 その笑みは奇しくも、あの作戦の日に脂虫を屠った小夜子の笑みに似ていた。
 そんな彼女を、妹の紅葉が不安げに見ていた。

 楓の手には1冊の書物が携えられていた。
 それは、この世のどんな動物のそれとも似つかぬ何かの革で装丁されていた。
 それは生命を司る魔術について記された魔導書グリモワールだった。

 楓は後に、異例の速さで魔術を修め、ウアブ魔術師となる。
 紅葉も星々の声を聴き、ウアブ呪術を習得する。
 弟の死の真相を暴き、その復讐を果たすために。
 そして脂虫連続殺害犯『メメント・モリ』として、舞奈たちと相対することになる。

 だが、ひとまず舞台は【機関】支部の一角へと戻る。

「やっぱり行っちゃうんですね……」
「そりゃま、辞令に逆らうわけにもいかんからなあ」
 不安げな【鹿】こと奈良坂に、グルゴーガンは困ったように答えた。

 奈良坂は仏術士の後輩であり、同門の弟弟子でもある。
 粗忽な彼女を、グルゴーガンは何度も庇い、守ってきた。
 そんな彼女が、頼りにしていた先輩の突然の辞令に戸惑うのも無理はない。

「しゃあねぇ、可愛い後輩に、この世界で生き残るコツを教えてやろう」
「は、はひっ! お願いします!」
 緊張感を削ぐ返事を聞いて、ちょっと不安になる。
 本人は緊張のあまり声が上ずってこんなになってるのだが。
 グルゴーガンは気を取り直し、

「あたしの他に魔道士メイジの友達を作って、そいつのケツの後ろにくっついてろ。言っとくが魔道士メイジだぞ。強い異能力者じゃない。あいつら弱いクセに口ばかりデカいからな」
 そう言って豪快に笑う。

 その言葉はいつか舞奈が陽介に言った言葉と似ていた。
 だが、こういう仕事をしている先輩が後輩に贈る言葉は、そうは変わらない。

 迂闊で気弱な奈良坂は、その言葉を脳に染み渡らせようとするかのようにコクコクとうなずく。野暮ったいセミロングの髪がゆれる。

「なあに、心配するなって。おまえはおっちょこちょいだが妖術の腕は本物だ。それに何より素直だ。可愛がってくれる魔道士メイジのひとりやふたり、すぐに見つかるさ」
 そう言って巨大な手で、奈良坂の頭をぽんぽんと叩く。

 ふとグルゴーガンの脳裏を、魔道士メイジどころか異能力すら持たぬ最強の顔がよぎった。
 だが、内気な彼女にいきなりSランクと仲良くなれというのも無茶ぶりな気がした。
 なので、あえてその件については触れなかった。

 だが、如何なる魔道士メイジも未来を正確に見通すことなどできない。

 奈良坂は後に志門舞奈と出会い、絆を結び、大いに庇われ守られることになる。

――――――――――――――――――――

 張の店での夕食会を終えた後。

 小夜子はチャビーたち家族の、サチは園香たち家族の車で帰路へ着いていた。
 1年前に大事なものを失ったチャビーと小夜子は互いを慰めながら、何も失っていない園香とサチは世間話に花を咲かせながら、移動の間の僅かな時間を楽しんだ。

 そして真神家の車は九杖邸(元三剣邸)を経由して我が家に戻った。
 日比野家の車も無事に帰宅し、小夜子は隣にある自分の家に帰った。

 自室に戻ったチャビーはネコポチを部屋に放し、隣の部屋を訪れた。
 かつて兄が使っていた部屋のカーテンを開く。
 すると向かいの窓のカーテンも開いて、小夜子が控えめに微笑んだ。

 1年という時間、そして仲間たちとの絆は、2人に慰めをもたらしていた。

 同じ頃。

 楓と紅葉はマンション高層階にある自分たちの部屋に帰ってきた。
 途端、若い灰色の猫が走ってきて「ナァー」と鳴いた。
 猫同士の霊的なコミュニティーを通じて、ネコポチから張の店の猫用料理の話を聞いていたのだ。

「安心して、バーストの分も貰って来てあげたから」
 猫と会話ができる紅葉がなだめながら、バッグからごちそうを取り出す。

 舞奈たちとの邂逅によって復讐を忘れ、バーストとの出会いによって慰めを得た2人もまた、今は平穏を手にしていた。

 そして皆と別れた舞奈と明日香は、夜の商店街を訪れていた。

「……閉まってるな」
 舞奈はシロネンのシャッターを見ながらひとりごちる。

「なんで開いてると思ったのよ」
 明日香はやれやれと肩をすくめる。

 あのときと同じように問答無用に閉まったシャッターには、あのときと同じように可愛らしいマスコットが描かれている。
 アニメチックな3頭身の女の子だ。
 プリンアラモードの帽子をかぶって、ケーキの服を着ている。
 彼女の名前はシロネンちゃんと言うのだと、今の舞奈は知っている。

 もうすっかり平気になったと思っていたのに、感傷的になっているのは張の店で彼と過ごした僅かな日々に思いを巡らせてしまったからだろう。

 失ってから3年経った美佳と一樹のことですら今だに思い出すのだ。
 つい1年前の彼との出会いと別れを、忘れられないのも無理はない。
 彼を想うのはチャビーと小夜子の役目だという意識があって、喪失ときちんと向かい合っていなかったという理由も、少しある。

「……また今度、ケーキ買って日比野さんの家に遊びに行きましょう」
「ブルジョワ様は言うことが違うな」
 気を利かせた明日香の言葉に軽口を返す。

 このケーキ屋、店内のメニューですら舞奈の感覚からすると高めだ。
 なのに持ち帰りできる贈答用は桁が違うのだという。
 妹のためとはいえ、彼はよくそんなものを買って帰ろうと思ったなと今でも思う。

 そんなことを考えていた舞奈は、不意に顔をしかめた。

 何処からか異臭がする。糞尿が焦げるような悪臭の元は近くの路地だ。
 そして、かすかに聞こえる物騒な物音。

「……やれやれ。ま、腹ごなしには丁度いいか」
 路地裏で何が起きているのか知らないが、それが荒事ならば舞奈の出番だ。
 そう思って路地を覗きこんだ途端、

「あら、エリコじゃない」
「……ああ、あの時にビルの前にいたあんたか」
 そこには、つば付きの帽子を目深にかぶった少女がいた。
 年頃は舞奈たちよりひとつ下。
 それは1年前、陽介の危機に駆けつけた舞奈たちを案内した執行人エージェントだ。

 そう言えば、あのとき以来、彼女と顔を合わせる機会はなかった。
 なので話すのも1年ぶりだ。

「【掃除屋】……? なんでこんなところに」
「あんたこそ、こんな夜半に何してるんだ?」
「ヤニ狩りよ」
 ぶっきらぼうに言ったエリコの足元には、指に煙草をはさんだ脂虫の腕。
 切断面はきちんと焼き潰してある。

 エリコは舞奈の視線に気づき、煙草を手首ごと踏み消す。
 そんな彼女の気遣いに思わず微笑み、ふと気づく。

「……あれ? 今週のノルマは終わったっつってなかったか?」
「ノルマ……? ああ、諜報部のノルマとは別よ。こっちはボーナスが出るの」
「そっか、執行人エージェントも大変だな」
 苦笑する。

 1年前のあの事件の後、【機関】巣黒すぐろ支部は脂虫の排除に積極的になった。
 諜報部はノルマを設定して脂虫を狩り、小夜子が儀式に使っている。
 他部署でもいろいろやっているらしい。
 そうすることで、1年前の悲劇を繰り返さないようにしているのだ。

 おかげで街を徘徊する脂虫が減り、路地は小奇麗になって治安も良くなった。

「こっちに構わず続けてくれ」
「別にあなたたちのために作業を中断したわけじゃないわ。天使にやらせてるの」
「彼女は祓魔師エクソシストよ」
 明日香の補足に、便利なものだとエリコを見やる。

 祓魔師エクソシストは光の攻撃魔法エヴォケーションと天使を操る。
 ビームで四肢を焼き切って天使に作業させるからヤニ狩りもひとりで楽ちんだ。

 1年前は【屍鬼の処刑エグゼキュシオン・デ・モール・ヴィヴァン】以外の術をほとんど知らず、そのため何もできなかった悔しさをバネに、彼女がここ1年で大きく成長したことを舞奈は知らない。

 代わりに思いだすのは、同じく祓魔師エクソシストの金髪美女、シスター・アイオスのことだ。
 エリコと同じ祓魔師エクソシストである彼女とは三種の神器にまつわる一連の事件で敵対し、共闘し、そして最後には敵として倒した。

 感傷に浸った後だからだろうか。
 悟、刀也、【雷徒人愚】の連中、あの事件で失った知人の顔が脳裏をよぎり――

「ちょっと待て、天使ってお前……!?」
 アイオスが使っていた天使を思いだして焦る。

 あんなものを舞奈より小さな子供が使うのは、さすがに問題がありすぎだろう。
 教育上好ましくないなんてもんじゃない。
 なにせ全裸美女なのだ。だが、

「……なんだブタか」
 路地の奥を見やると、羽根を生やしたブタを象ったマスコットが作業していた。
 天使の形状は術者によって違うらしい。
 舞奈はほっとして苦笑し、

「っていうか、おまえ、手の甲どうしたよ?」
 ふと気づいた。

「ちょっと引っ掻かれたの」
「ちょっとっつったって、手当くらいしろよ」
「私の技量じゃ【天使の召喚アンヴァカシオン・デュヌ・アンジュ】と【いつわりの治癒プスド・ソワン】を両立できないから」
「天使で傷口をふさぐ術か。……じゃなくてな」
「あっ」
 舞奈はエリコの手を取って、傷口を舐めて消毒する。
 そして絆創膏を取り出して貼りつける。

 絆創膏にはあの頃に使っていたのと同じキャラクターが描かれている。
 名前すら知らないのだが、同じ絵面のものを探して買っている。
 あの時、陽介の指に巻いてやったのと同じ柄のものを探して。

 舞奈が絆創膏を張り終わるのと同時に、ブタの天使も脂虫の袋詰めを終えたようだ。
 エリコはこれから、こいつを支部に届けに行くのだろう。

 ――ねえ、君。よかったら支部まで送って行こうか?
 ――兄ちゃん、いくらなんでも、妹より小さい低学年に手を出すってのはどうよ?
 ――ええっ!? そんなつもりで言ったんじゃないよ!

 そんな、もう交わされることもない会話が脳裏をよぎる。
 舞奈が一樹のように強く超然としているのは、美佳のように優しくなろうとしているのは、2人を忘れたくないからかもしれない。だから、

「支部まで一緒に行くか? あたしらもそっちに帰るし」
「あら、とうとう年下にまで手を出すつもりになったのね」
「なんでそうなる」
 軽口を叩く明日香をジト目で見やる。

 そんな舞奈の側で、エリコは天使から袋を受け取る。
 聖句を唱えて天使を解除し、その魔力を流用して身体を強化する。そして、

「お駄賃はないわよ。……ボーナスは家に入れたいから」
「んなもん期待してないよ。それより袋をこっちに近づけないでくれ」
 そう言って舞奈は笑う。
 そして3人は夜の街を歩きだし、

「……あ」
 舞奈は忘れていた大事なことを思いだした。

 そして同じ頃。
 所変わって繁華街のとある路地。

「ううっ、遅くなっちゃいました……」
 野暮ったいセミロングの髪を揺らし、奈良坂が早足に歩く。

 今まで始末書を書いていたのだ。
 提出する度に指摘された不備を直し終わったころには、すっかり日も暮れていた。
 なので楓たちと約束した中華料理屋へと急ぎ向かっていた。

 夜の街を歩きながら、奈良坂はなんとなく昔のことを思い出す。

 奈良坂の【機関】でのキャリアは小夜子より長い。舞奈がピクシオンで、小夜子が普通の中学生だった3年前、奈良坂はすでに執行人エージェントだった。
 だが仲間と共に挑んだエンペラー幹部の討伐作戦に失敗し、命からがら逃げた。
 そして追っ手に捕まり絶体絶命なところをピクシオンに救われた。

 奈良坂にとって、ピクシオンは憧れのヒーローだった。

 それから月日が経ちエンペラーの脅威が去った後、元ピクシオンのメンバーのひとりが仕事人トラブルシューターをしているという噂を聞いた。

 そして1年前、ある仕事人トラブルシューターがSランクになったとも。

 奈良坂は彼女について調べた。
 以前に転勤した先輩から、強い友人を作ったほうが長生きできると聞いたからだ。
 もし彼女と知り合いになれたのなら、これほど頼りになる味方もない。

 けど、それより、奈良坂は彼女の強さの秘密を知りたかった。
 もしそれを手に入れることができたなら、頼りない自分も彼女のように強くなれるかもしれないと思ったからだ。

 そしてピクシオンの戦いの顛末と、生き残った彼女の名を知った。

 志門舞奈。

 それが3年前から奈良坂のヒーローだった彼女の名前だ。
 そして数か月前、素行の悪い異能力者にからまれているところを、彼女に救われた。

 奈良坂には夢がある。
 それは、叶うべくもない無謀な夢だ。
 だから誰にも言ってない。

 それは、舞奈のように強く頼れる人間になることだ。

 舞奈とは、何の縁だか何度も共闘した。
 最近はささやかながらも舞奈の役にたっている実感がある。だから、

 ――わたしもいつか、舞奈さんみたいになれるかな?

 にへらと笑う。

 そうするうちに、目当ての中華料理屋の看板が見えた。

 奈良坂はほっとした。
 実は夕食会のために昼食を少なめにして、なおかつこの時間まで始末書を書いていたので、わりと空腹が限界にきているのだ。

 なので意気揚々と店の前まで走り寄り――

「――えっ?」
 愕然とした。
 太った店主が店のシャッターを閉めていたからだ。

「アイヤー! もう店じまいアルよ」
 店主は奈良坂を見つけ、眉をハの字に歪めて言った。

「えっ!? でも楓さんは……?」
「楓ちゃんのお友達アルか?」
 店主は首をかしげる。
 そしてコクコクとうなずく奈良坂を見やりつつ、

「楓ちゃんも舞奈ちゃんも来てたけど、もう帰ったアルよ」
「ええっ!? そんな……」
 奈良坂はその場に崩れ落ちる。

 腹がぐぅと鳴った。

「えっと、じゃあ、食べるものだけでも……」
「いや、だから、店じまいアルよ」
「それじゃあ、せめて残りものでも……!」
「ぜんぶ片づけちゃったアルよ」
 奈良坂は店主の太鼓腹にしがみつく。
 だが店主は困った声で答えながらも奈良坂の手を振りほどき、閉店作業に戻った。

「ぞんなぁぁ……」
 奈良坂は、すきっ腹をかかえながら涙ぐんだ。
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