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第9章 そこに『奴』がいた頃
計画
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学校を休んだ次の日。
舞奈は何事もなく登校して、放課後には情報処理室の机に頬杖をついていた。
舞奈たちが通う蔵乃巣学園は、近年でも珍しい公立の小中高一貫校だ。
情報処理室は高等部の校舎に入っているものの、学園の生徒であれば自由に出入りすることができる。
そして今の時間は舞奈たちは放課後だが、高等部も、中等部も授業中だ。
今、この部屋にいるのは舞奈と明日香、それにパソコンを操作しているテック。
テックもこの頃から同じクラスだった。
無口な彼女は当時から情報収集のスペシャリストで、舞奈たちは何度も彼女の手を借りて【機関】の任務を遂行していた。
学校を休んだ舞奈と普段通りに登校した明日香は、どちらも当然のように陽介の死にまつわる情報を集め、翌日には当然のようにここに集った。
「生存者が意識を取り戻したそうよ」
明日香は事務的な口調で、自分の調査結果を伝える。
あの部屋で発見された執行人たちのうち、ひとりは辛うじて生きていた。
「彼の話によると、あの男たちは執行人を生贄にして力を得ようとしていたらしいわ」
「……異能力者の異能力か」
「ええ。生き残りの彼は異能力を持っていないと思われたみたい」
「だから生贄にされなかったってわけか」
忌々しげに言う。
それが陽介だったらよかったのに、と、思わなかったと言えば嘘になる。
「それから、例の石の解析も終わったわ」
明日香は机の空いたところに石を置く。
彼女は元同僚に情報収集を依頼しただけでなく、自身も石を調査していた。
禍々しい血の色をした石。
倉庫ビルの最上階で、逃げた男たちが落としていった物だ。
奴らはそれを、賢者の石と呼んでいた。
それは陽介が異能力に目覚めた新開発区で、舞奈たちが泥人間を倒して手に入れた隕石でもあった。あの男の――滓田妖一の依頼によって。
「彼らが賢者の石だなんて呼ぶのももっともね」
明日香は表向きだけは冷静に調査結果を語る。
「この石、魔法の知識を蓄えるレコーダーみたいな代物だったのよ」
「レコーダーだと?」
オウム返しに問い返す舞奈に「ええ」と返し、言葉を続ける。
明日香が説明をしたがるのは、単にそうするのが好きなだけでなく物知りで、新たな情報を収集する術にも長けているからだ。
「記録された術の大半は道術よ。いくつかの攻撃魔法と脂虫を操る【三尸支配】、進行させて屍虫にする【僵尸変化】に、大屍虫にする【大尸変化】」
「……ここまでは普通だな」
「問題はここからよ」
明日香は一旦、言葉を切る。
舞奈は無言で続きをうながす。
「まずは異能力者を生贄にして脂虫を強化する外道の儀式」
その言葉に、思わず口元を歪める。
陽介は、あの場所にいた異能力者たちは、その儀式の生贄にされたのだ。
儀式についての知識を、あの不愉快な男――滓田妖一に渡したのは舞奈たちだ。
奴の依頼で、奴の望む知識が蓄えられた石を入手した。
「この儀式によって対象以外で近くにいる脂虫は屍虫に進行するわ。その際に放出される余剰魔力と、異能力者から摘出した内臓を使うみたい」
「……糞ったれ」
「その結果に得られるのは、大屍虫に匹敵する身体能力、そして異能力者の異能力」
「なるほどな、奴らは倉庫ビルで屍虫を増やしてたんじゃない。屍虫が増える儀式をしてたんだ。異能力者から異能力を横取りするためのな」
言って憎々しげに口元を歪める。
先日に戦った3人の男――カポエラ使いの巨漢、日本刀の着流し、甲冑。
それぞれ【虎爪気功】【雷霊武器】【装甲硬化】。
奴らは、この忌々しい儀式によって異能力を得た直後だったのだろう。
異能力者たちを生贄にして。
もし、あの時、舞奈たちがあの依頼を受けなければ、滓田は石を手に入れず、儀式も行われなかったのだろうか?
それともケーキ屋の前で奴を始末していたら、彼は生贄にならずに済んだだろうか?
あるいは別の要因が巡り巡って、結局は命を落としていたのだろうか?
「そして、最後の術はもっと厄介な代物よ」
それでも明日香は言葉を続ける。
「これ以上、何があるよ?」
「さっきの儀式の強化版。ある特定の条件に合致した異能力者の内臓と、さらに大量の余剰魔力を使って、対象に神の如く強大なパワーを付与する儀式よ」
そう言ってニヤリと笑う。
「そして生き残りの彼の話によると、滓田の目的は力を得ることによる【断罪発破】への対処、それに喫煙者の王国を築くことらしいわ」
「……臭そうな王国だな」
舞奈は顔をしかめて見せる。だが、
「なら確実に、その儀式とやらをやろうとするってわけか」
吐き捨てるように言いながら、先ほどの明日香と同じ、鮫のような笑みを浮かべる。
「なんたって力と臣民が一度に手に入るんだからな」
獲物を狙う狩人の瞳で石を見やる。
奴が禁断の儀式を行うのだとしたら、それは舞奈たちにとってのチャンスだ。
その邪悪な行為を【機関】は容認しないだろう。
だから奴を【機関】のルールに則り、世に仇成す怪異として始末することができる。
かつて舞奈たちは仕事人として、依頼を受けて奴に塩を送った。
同じように、今度は仕事人として奴を狩ることができる。
「けど儀式の会場に、あの野郎が本当に来るって保証はあるのか?」
「来るわよ。儀式は一定の条件を満たした場所と日時で行わなければならないし、儀式場に本人がいなければパワーを手に入れることができないもの」
明日香の口元に、蔑むような笑みが浮かぶ。
汚物を片づける業者の瞳で石を見る。
その向こうにいる滓田妖一を視る。
「それに、今の彼は他の人間を信用できないわ。分不相応な力を得てしまったから、自分が他者とは違う特別な存在だとしか思えない。だから会場にいるのは彼自身と怪異だけ。警察や業者に警備を委託することもしないわ」
「バケモノ屋敷ってわけか。そいつはわかりやすくていい」
そこを襲撃すれば、滓田妖一を――罪を犯した脂虫を確実に討つことができる。
不敵に笑う舞奈の隣で、
「こっちも終わったわ」
端末に向かっていたテックが顔をあげた。
「件の人権擁護団体、特亜から難民に偽装して怪異を密入国させてる」
「張の言った通りか」
「ええ。密入国させた怪異に不正労働させたり、密輸がらみでずいぶん稼いでるみたいね。件の団体がらみの裏帳簿がいくつか見つかったわ」
「クズによるクズのための、糞ったれな組織ってわけか」
テックの言葉に、舞奈は画面を睨んでみせる。
「それから明日香にはこれ」
テックは明日香にメモリーカードを渡す。
「ありがとう。有効に活用させてもらうわ」
ほくそ笑む明日香を尻目に、テックは画面に写真を表示させる。
「あと、その団体から来てる『難民』、この学校の高等部にもひとりいる」
「キムって奴か」
「たぶん泥人間の魔道士よ。整形によって人間に成りすましているのね。おそらく、陽介さんに屍虫をけしかけていたのも彼よ」
「へぇ、こいつが……」
何気ない調子で相槌を打ちつつ、画面の中の優男を凝視する。
ふと、銃の使い手が他者に対してできる、最も残虐な行為は何だろうかと考える。
「そして、この石から得られた知識を使って儀式を執り行おうとしているのも」
明日香は冷淡に言葉を続ける。
「それと、滓田妖一には4人の息子がいるわ」
テックは言いつつ画面に4枚の写真を表示させる。
「それぞれグループ配下の社長とかをしてるみたい」
「3人じゃなくて4人か?」
首をかしげる舞奈だが、4人の写真のうち2つには見覚えがある。
倉庫ビルで戦った男たちだ。
甲冑の中身がどんななのかは見ていないが、残る2人のどちらかだろう。
片づけた後に顔を確認してもいいし、捨て置いてもいい。
乾いた笑みを浮かべる舞奈を尻目に、
「それから」
テックは言葉を続ける。
「今度の日曜日に、滓田妖一は喫煙者を集めてセミナーを開催するわ。そこに本人と息子たちが集まるみたい。会場はここよ」
画面に地図を表示させる。
グループが所有しているオフィスビルだ。
「儀式に必要な条件と一致するわ」
「間違いなく奴らはここに来るってわけか」
ニヤリと笑う舞奈に「ええ」と答え、
「最後の儀には大量の余剰魔力が必要だから、強制的に進行させる範囲も広いわ」
明日香はテックのキーボードを奪い、地図の上に円を描く。
「この範囲内すべてが対象よ」
「確かに広いな」
「このビル、オフィス街の端っこにあって、隣に民家が連なってる。そこの脂虫が一斉に進行したら面倒なことになるんじゃないの?」
テックは不安げに問いかける。だが、
「そんな大事を仕掛けようとしてるってんなら、なおのこと奴を狩る大義名分になる」
舞奈はニヤリと笑う。
「ええ。そもそも、そういう事態に対処するための【機関】よ」
明日香も不敵な笑みで答えた。
そして放課後。
住宅街の一角にあるファミレスは、時間のせいか人気がない。
その4人掛けのテーブルで、野暮ったい眼鏡の女性がカレーライスを食していた。
フィクサーである。
普段のようなサングラスではないのは、彼女が支部の代表として、執行人たちの遺族に耐えがたい事実を報告していたからだ。
「へえ、執行人を牛耳る氷の女もファミレスでカレー食ったりするんすね。親しみが持てていいなあ」
「ご合席よろしいですか?」
女が是非とも言わぬうちに、小学生の2人連れが向かいの席に腰かけた。
学校帰りとおぼしき小さなツインテールの少女と、長い黒髪の少女。
舞奈と明日香だ。
「【掃除屋】か。こんなところに何の用かね?」
短い平穏を邪魔されたフィクサーは迷惑そうに2人を見やる。
だが2人は気にせず笑みを返す。
サングラスをかけた冷徹な姿に見なれていると、どこか野暮ったい今の彼女は変装のようにも見える。
「そりゃ、もちろん仕事の打診をしに来たんだよ。最近、飯屋のツケがたまってるんでデカイ仕事でもしようと思って」
舞奈は内心を覆い隠すように、軽薄に笑う。
明日香は冷徹に、封筒に収められた資料を手渡す。
ウェイトレスが注文を取りに来た。
フィクサーはフルーツパフェをひとつ頼む。
厨房は暇なのか、ウェイトレスはすぐに戻ってきた。
舞奈と明日香の前に、それぞれパフェを並べる。
フィクサーは名残惜しげにパフェを見やる。
パフェに乗った赤い苺がゆらめく炎に見えて、舞奈の口元に乾いた笑みが浮かぶ。
2人がパフェを食べる僅かな間に、フィクサーは資料に目を通す。
「滓田妖一が怪異と結託し、【機関】の異能力者を殺害したというのか」
「それだけじゃない」
舞奈はパフェから顔を上げる。
「奴は近々、ビジネス街にある企業ビルに喫煙者を集めて胡散臭いセミナーをするらしい。けどセミナーなんてのは見せかけだ。奴はそこで最後の儀式を執り行う」
その言葉に、フィクサーは頷く。
「実のところ、諜報部が以前から彼を調査していた。その結果、確かに不審な行動がいくつか確認されている」
フィクサーの瞳が冷徹に光る。
「加えて彼は脂虫だ。本来ならばセミナー参加者全員を怪異として排除可能だ」
「そいつは丁度いいじゃないか」
舞奈の瞳が剣呑に光る。
「丁度あたしも自分のランクをはっきりさせたいって思ってたところだ」
口元が鮫のような笑みを形作る。
舞奈はSランクへの打診を受けている。
未曾有の危機に際して人知を超えた偉業を成し、上層部全員が反論の余地なく最強だと認めれば、晴れて【機関】における最強の座を手にすることができる。
屍虫や大屍虫がひしめくセミナー会場に少人数で殴りこみ、事件の首謀者を排除することができれば間違いなくSランクだ。
正直なところ、これまではランクなんてSでもAでもどっちでもいいと思っていた。
そんなことにこだわるのは下らないと思っていた。
だが今ならSランクになってみるのも悪くはないと思える。
薄汚い欲望のために心優しい執行人を手にかけた奴の命を、同じように踏みにじって下らないランク上げに使ってやったら、少しは気が晴れるんじゃないかと思う。
「だが」
フィクサーは冷徹な声色で言った。
「滓田妖一の排除は容認できない。儀式によって進行した施設内外の屍虫については支部の総力を挙げて対処しよう。だが滓田本人に手出しはできない」
その言葉に、舞奈は呪い殺そうとするかのように鋭く睨む。
それでもフィクサーは淡々と言葉を続ける。
「滓田妖一は政界・財界にコネクションを持っている。彼の損失による各方面への影響を考慮すると、彼の行為を黙認する以外にない。これは上層部の意向でもある」
「――だとっ」
椅子を蹴って立ち上がる舞奈を、だが明日香が手で制す。
そして席を立つ。
「……トイレかよ」
そう言って、せめてもの腹いせに下品な笑みを浮かべてみせる。
そんな舞奈をキッと睨みつけつつ、明日香は化粧室に向かった。
化粧室のドアを閉め、他に人がいないのを確認して携帯電話を取りだす。
メールを送る。
文面も添付された資料も、事前に準備しておいたものだ。
数秒後に着信。
相手は非通知。
だが明日香にはそれが誰だかわかる。
だから不穏な笑みを浮かべ、焦らすように間をおいてから電話に出る。
「お久しぶりです、大佐」
彼は上層部の一員だ。
実は【機関】は明日香の古巣だ。知った顔の数人はいる。
『アンジェなのか!? こ、これは一体、どういうことだ!?』
相手は開口一番、焦った口調でそう言った。
大佐と呼ばれた中年男は、古い友人に挨拶を返す余裕もないらしい。
一方、捨てたはずの名前で無遠慮に呼ばれた明日香は顔をしかめる。
だが軽い口調で話しを続ける。
「大佐と滓田妖一氏との通信記録がどこかからか漏れていたようです」
その情報を探った者の名を、滓田と【機関】上層部の1人が繋がっていた事実への憤りと一緒に胸の中に秘めたまま、冷淡に言葉を続ける。
「大佐は滓田妖一からの個人的な融資と引き換えに、怪異の不正な入国を黙認し、あまつさえ【機関】の作戦を漏らしていた。そうですね?」
『な、何の目的だ!? わたしを脅迫するつもりか!?』
男の怒声に焦りが滲む。
だが明日香は彼の罪をにこやかに黙認する。
「とんでもありません。わたしは大佐に協力を申し出ようとしているのです」
『きょ……協力だと?』
「ええ。大佐の共犯者である滓田妖一が、数日後に行われるセミナーに偽装した儀式を行うことはご存知かと思います。その際に彼を排除します」
脅して協力を強制するのではない。互いの利益のためにこちらが協力する。
表向きだけは、そういう風に話を進める。
『なんだと!?』
だが電話の声は、明日香の申し出に納得などしていない様子だ。
それでも明日香は気にせず言葉を続ける。
「物理的な排除は【掃除屋】が責任をもって完遂します。大佐には彼の社会的な排除を担当していただきます。そうすれば大佐の罪を知る者はいなくなります」
『何を言ってるのかね君は!? 政界・財界にコネのある人物への攻撃がどれほど危険で面倒なのか、わからない君ではないだろう!?』
男の怒声に、明日香は無言で先をうながす。
『……なあ、アンジェ。お互いに譲歩しようじゃないか?』
手のひらを返したような猫なで声。
『他の望みなら何でも聞こう。君が望むなら執行人への復帰も考えんこともない』
その申し出に、明日香は口元の冷酷な笑みを隠さぬまま、
「そういえば、大佐は直近の攻撃部隊の人選にも口出しされていたようですね。奴らが攻撃部隊を壊滅させやすいようメンバーに脂虫を加えた。立派な背任行為ですが、この事実が執行人たちに知れたら、彼女らは大佐に対して何を思うでしょうか?」
『な――!? ま、まて! そ、それ以上を口に出すな!』
恐怖に裏返った男の声が電話口からあふれる。
「わたしがいない間に面子も随分変わりましたね。あの頃からいるのは技術担当官だけですか。定着率の低さも相変わらずです」
世間話のように言いながら、明日香は口元の笑みを更に酷薄に歪める。
「執行部の主力だけでも【炎術師】椰子実つばめに【懲戒担当官】郷田狼犬」
まずは上層部が誇る……否、恐れるSランクの名を語る。
「それに【尊師ゴーガン】小泉可憐、【人体工作】紅林ソーニャに【死体作成人】如月小夜子ですか。核攻撃の使い手から残虐行為の専門家まで、よりどりみどりですね」
そのすべてを敵に回す気があるのか? と暗に問う。
「そう言えば件の作戦で、デスメーカーはボーイフレンドを亡くされたとか」
彼女らをそうさせる手札が、自分にはあると脅迫する。
そうまでしておいて、
「お時間を取らせてしまって申しわけございません。これで失礼します」
あっさりと交渉を終わらせる。
――否、一方的な要求をつきつけて会話を切り上げる。
「実は、フィクサーを待たせているんですよ」
彼が早急に従わざるを得ない最後の一言を残して。
『フィクサーだと!? まっ……!! アンジェ――』
断末魔のような悲鳴に無慈悲な止めを刺すように、通話を切る。
すがるような着信を無視して、のびをして顔を洗って化粧室を出る。
のんびりテーブルに向かうと、パフェを食い終わった舞奈が顔をあげた。
「遅いぞ。どんだけデカい糞してやがった」
途端にカレーを頬張っていたフィクサーが渋面になる。
嫌そうな顔で口の中のものを飲みこみ、明日香を見やる。
「先ほど上層部から指示が下った。【掃除屋】に滓田妖一の排除を依頼する」
「そういうことらしい」
舞奈はニヤリと笑う。
明日香も何食わぬ顔で笑みを返す。
古い知り合いは英断を下したらしい。
フィクサーは上層部の唐突な指示に首を傾げながらも、会計表を持って席を立つ。
「もう行っちゃうのかい?」
「ああ、これから街に溢れだす予定の屍虫への対抗策を講じなければならないのでな」
「それじゃ、そっちは頼むよ」
「無論だ」
フィクサーは答える。
氷の女と評された【機関】の調整役の表情で。
「そうそう、今後は、業務上の相談があるときには支部に来ていただきたい」
「へいへい、気をつけますよ。あと、パフェごちっす」
そして彼女が去った後、舞奈は明日香を見やる。
「どんな手品を使ったんだよ?」
「なんのことかしら?」
「上層部の連中が、あんなにあっさり手の平を返すなんて普通じゃないだろ」
「さあ? 上層部も一枚岩じゃないってことじゃないかしら」
明日香はにこやかな笑みを浮かべて、とぼける。
「それより珍しいじゃないの。貴女が男の敵討ちなんて」
「女に敵討ちされたって、きっとあいつは喜ばないよ。ただな――」
舞奈は口元を歪める。
「ただ、気に入らないんだ」
そう言って、舞奈は窓の外に広がる空を見上げる。
その方向には新開発区があるはずだ。
明日香は無言で肩をすくめる。
そして友人と一緒に、新開発区の空を見やった。
舞奈は何事もなく登校して、放課後には情報処理室の机に頬杖をついていた。
舞奈たちが通う蔵乃巣学園は、近年でも珍しい公立の小中高一貫校だ。
情報処理室は高等部の校舎に入っているものの、学園の生徒であれば自由に出入りすることができる。
そして今の時間は舞奈たちは放課後だが、高等部も、中等部も授業中だ。
今、この部屋にいるのは舞奈と明日香、それにパソコンを操作しているテック。
テックもこの頃から同じクラスだった。
無口な彼女は当時から情報収集のスペシャリストで、舞奈たちは何度も彼女の手を借りて【機関】の任務を遂行していた。
学校を休んだ舞奈と普段通りに登校した明日香は、どちらも当然のように陽介の死にまつわる情報を集め、翌日には当然のようにここに集った。
「生存者が意識を取り戻したそうよ」
明日香は事務的な口調で、自分の調査結果を伝える。
あの部屋で発見された執行人たちのうち、ひとりは辛うじて生きていた。
「彼の話によると、あの男たちは執行人を生贄にして力を得ようとしていたらしいわ」
「……異能力者の異能力か」
「ええ。生き残りの彼は異能力を持っていないと思われたみたい」
「だから生贄にされなかったってわけか」
忌々しげに言う。
それが陽介だったらよかったのに、と、思わなかったと言えば嘘になる。
「それから、例の石の解析も終わったわ」
明日香は机の空いたところに石を置く。
彼女は元同僚に情報収集を依頼しただけでなく、自身も石を調査していた。
禍々しい血の色をした石。
倉庫ビルの最上階で、逃げた男たちが落としていった物だ。
奴らはそれを、賢者の石と呼んでいた。
それは陽介が異能力に目覚めた新開発区で、舞奈たちが泥人間を倒して手に入れた隕石でもあった。あの男の――滓田妖一の依頼によって。
「彼らが賢者の石だなんて呼ぶのももっともね」
明日香は表向きだけは冷静に調査結果を語る。
「この石、魔法の知識を蓄えるレコーダーみたいな代物だったのよ」
「レコーダーだと?」
オウム返しに問い返す舞奈に「ええ」と返し、言葉を続ける。
明日香が説明をしたがるのは、単にそうするのが好きなだけでなく物知りで、新たな情報を収集する術にも長けているからだ。
「記録された術の大半は道術よ。いくつかの攻撃魔法と脂虫を操る【三尸支配】、進行させて屍虫にする【僵尸変化】に、大屍虫にする【大尸変化】」
「……ここまでは普通だな」
「問題はここからよ」
明日香は一旦、言葉を切る。
舞奈は無言で続きをうながす。
「まずは異能力者を生贄にして脂虫を強化する外道の儀式」
その言葉に、思わず口元を歪める。
陽介は、あの場所にいた異能力者たちは、その儀式の生贄にされたのだ。
儀式についての知識を、あの不愉快な男――滓田妖一に渡したのは舞奈たちだ。
奴の依頼で、奴の望む知識が蓄えられた石を入手した。
「この儀式によって対象以外で近くにいる脂虫は屍虫に進行するわ。その際に放出される余剰魔力と、異能力者から摘出した内臓を使うみたい」
「……糞ったれ」
「その結果に得られるのは、大屍虫に匹敵する身体能力、そして異能力者の異能力」
「なるほどな、奴らは倉庫ビルで屍虫を増やしてたんじゃない。屍虫が増える儀式をしてたんだ。異能力者から異能力を横取りするためのな」
言って憎々しげに口元を歪める。
先日に戦った3人の男――カポエラ使いの巨漢、日本刀の着流し、甲冑。
それぞれ【虎爪気功】【雷霊武器】【装甲硬化】。
奴らは、この忌々しい儀式によって異能力を得た直後だったのだろう。
異能力者たちを生贄にして。
もし、あの時、舞奈たちがあの依頼を受けなければ、滓田は石を手に入れず、儀式も行われなかったのだろうか?
それともケーキ屋の前で奴を始末していたら、彼は生贄にならずに済んだだろうか?
あるいは別の要因が巡り巡って、結局は命を落としていたのだろうか?
「そして、最後の術はもっと厄介な代物よ」
それでも明日香は言葉を続ける。
「これ以上、何があるよ?」
「さっきの儀式の強化版。ある特定の条件に合致した異能力者の内臓と、さらに大量の余剰魔力を使って、対象に神の如く強大なパワーを付与する儀式よ」
そう言ってニヤリと笑う。
「そして生き残りの彼の話によると、滓田の目的は力を得ることによる【断罪発破】への対処、それに喫煙者の王国を築くことらしいわ」
「……臭そうな王国だな」
舞奈は顔をしかめて見せる。だが、
「なら確実に、その儀式とやらをやろうとするってわけか」
吐き捨てるように言いながら、先ほどの明日香と同じ、鮫のような笑みを浮かべる。
「なんたって力と臣民が一度に手に入るんだからな」
獲物を狙う狩人の瞳で石を見やる。
奴が禁断の儀式を行うのだとしたら、それは舞奈たちにとってのチャンスだ。
その邪悪な行為を【機関】は容認しないだろう。
だから奴を【機関】のルールに則り、世に仇成す怪異として始末することができる。
かつて舞奈たちは仕事人として、依頼を受けて奴に塩を送った。
同じように、今度は仕事人として奴を狩ることができる。
「けど儀式の会場に、あの野郎が本当に来るって保証はあるのか?」
「来るわよ。儀式は一定の条件を満たした場所と日時で行わなければならないし、儀式場に本人がいなければパワーを手に入れることができないもの」
明日香の口元に、蔑むような笑みが浮かぶ。
汚物を片づける業者の瞳で石を見る。
その向こうにいる滓田妖一を視る。
「それに、今の彼は他の人間を信用できないわ。分不相応な力を得てしまったから、自分が他者とは違う特別な存在だとしか思えない。だから会場にいるのは彼自身と怪異だけ。警察や業者に警備を委託することもしないわ」
「バケモノ屋敷ってわけか。そいつはわかりやすくていい」
そこを襲撃すれば、滓田妖一を――罪を犯した脂虫を確実に討つことができる。
不敵に笑う舞奈の隣で、
「こっちも終わったわ」
端末に向かっていたテックが顔をあげた。
「件の人権擁護団体、特亜から難民に偽装して怪異を密入国させてる」
「張の言った通りか」
「ええ。密入国させた怪異に不正労働させたり、密輸がらみでずいぶん稼いでるみたいね。件の団体がらみの裏帳簿がいくつか見つかったわ」
「クズによるクズのための、糞ったれな組織ってわけか」
テックの言葉に、舞奈は画面を睨んでみせる。
「それから明日香にはこれ」
テックは明日香にメモリーカードを渡す。
「ありがとう。有効に活用させてもらうわ」
ほくそ笑む明日香を尻目に、テックは画面に写真を表示させる。
「あと、その団体から来てる『難民』、この学校の高等部にもひとりいる」
「キムって奴か」
「たぶん泥人間の魔道士よ。整形によって人間に成りすましているのね。おそらく、陽介さんに屍虫をけしかけていたのも彼よ」
「へぇ、こいつが……」
何気ない調子で相槌を打ちつつ、画面の中の優男を凝視する。
ふと、銃の使い手が他者に対してできる、最も残虐な行為は何だろうかと考える。
「そして、この石から得られた知識を使って儀式を執り行おうとしているのも」
明日香は冷淡に言葉を続ける。
「それと、滓田妖一には4人の息子がいるわ」
テックは言いつつ画面に4枚の写真を表示させる。
「それぞれグループ配下の社長とかをしてるみたい」
「3人じゃなくて4人か?」
首をかしげる舞奈だが、4人の写真のうち2つには見覚えがある。
倉庫ビルで戦った男たちだ。
甲冑の中身がどんななのかは見ていないが、残る2人のどちらかだろう。
片づけた後に顔を確認してもいいし、捨て置いてもいい。
乾いた笑みを浮かべる舞奈を尻目に、
「それから」
テックは言葉を続ける。
「今度の日曜日に、滓田妖一は喫煙者を集めてセミナーを開催するわ。そこに本人と息子たちが集まるみたい。会場はここよ」
画面に地図を表示させる。
グループが所有しているオフィスビルだ。
「儀式に必要な条件と一致するわ」
「間違いなく奴らはここに来るってわけか」
ニヤリと笑う舞奈に「ええ」と答え、
「最後の儀には大量の余剰魔力が必要だから、強制的に進行させる範囲も広いわ」
明日香はテックのキーボードを奪い、地図の上に円を描く。
「この範囲内すべてが対象よ」
「確かに広いな」
「このビル、オフィス街の端っこにあって、隣に民家が連なってる。そこの脂虫が一斉に進行したら面倒なことになるんじゃないの?」
テックは不安げに問いかける。だが、
「そんな大事を仕掛けようとしてるってんなら、なおのこと奴を狩る大義名分になる」
舞奈はニヤリと笑う。
「ええ。そもそも、そういう事態に対処するための【機関】よ」
明日香も不敵な笑みで答えた。
そして放課後。
住宅街の一角にあるファミレスは、時間のせいか人気がない。
その4人掛けのテーブルで、野暮ったい眼鏡の女性がカレーライスを食していた。
フィクサーである。
普段のようなサングラスではないのは、彼女が支部の代表として、執行人たちの遺族に耐えがたい事実を報告していたからだ。
「へえ、執行人を牛耳る氷の女もファミレスでカレー食ったりするんすね。親しみが持てていいなあ」
「ご合席よろしいですか?」
女が是非とも言わぬうちに、小学生の2人連れが向かいの席に腰かけた。
学校帰りとおぼしき小さなツインテールの少女と、長い黒髪の少女。
舞奈と明日香だ。
「【掃除屋】か。こんなところに何の用かね?」
短い平穏を邪魔されたフィクサーは迷惑そうに2人を見やる。
だが2人は気にせず笑みを返す。
サングラスをかけた冷徹な姿に見なれていると、どこか野暮ったい今の彼女は変装のようにも見える。
「そりゃ、もちろん仕事の打診をしに来たんだよ。最近、飯屋のツケがたまってるんでデカイ仕事でもしようと思って」
舞奈は内心を覆い隠すように、軽薄に笑う。
明日香は冷徹に、封筒に収められた資料を手渡す。
ウェイトレスが注文を取りに来た。
フィクサーはフルーツパフェをひとつ頼む。
厨房は暇なのか、ウェイトレスはすぐに戻ってきた。
舞奈と明日香の前に、それぞれパフェを並べる。
フィクサーは名残惜しげにパフェを見やる。
パフェに乗った赤い苺がゆらめく炎に見えて、舞奈の口元に乾いた笑みが浮かぶ。
2人がパフェを食べる僅かな間に、フィクサーは資料に目を通す。
「滓田妖一が怪異と結託し、【機関】の異能力者を殺害したというのか」
「それだけじゃない」
舞奈はパフェから顔を上げる。
「奴は近々、ビジネス街にある企業ビルに喫煙者を集めて胡散臭いセミナーをするらしい。けどセミナーなんてのは見せかけだ。奴はそこで最後の儀式を執り行う」
その言葉に、フィクサーは頷く。
「実のところ、諜報部が以前から彼を調査していた。その結果、確かに不審な行動がいくつか確認されている」
フィクサーの瞳が冷徹に光る。
「加えて彼は脂虫だ。本来ならばセミナー参加者全員を怪異として排除可能だ」
「そいつは丁度いいじゃないか」
舞奈の瞳が剣呑に光る。
「丁度あたしも自分のランクをはっきりさせたいって思ってたところだ」
口元が鮫のような笑みを形作る。
舞奈はSランクへの打診を受けている。
未曾有の危機に際して人知を超えた偉業を成し、上層部全員が反論の余地なく最強だと認めれば、晴れて【機関】における最強の座を手にすることができる。
屍虫や大屍虫がひしめくセミナー会場に少人数で殴りこみ、事件の首謀者を排除することができれば間違いなくSランクだ。
正直なところ、これまではランクなんてSでもAでもどっちでもいいと思っていた。
そんなことにこだわるのは下らないと思っていた。
だが今ならSランクになってみるのも悪くはないと思える。
薄汚い欲望のために心優しい執行人を手にかけた奴の命を、同じように踏みにじって下らないランク上げに使ってやったら、少しは気が晴れるんじゃないかと思う。
「だが」
フィクサーは冷徹な声色で言った。
「滓田妖一の排除は容認できない。儀式によって進行した施設内外の屍虫については支部の総力を挙げて対処しよう。だが滓田本人に手出しはできない」
その言葉に、舞奈は呪い殺そうとするかのように鋭く睨む。
それでもフィクサーは淡々と言葉を続ける。
「滓田妖一は政界・財界にコネクションを持っている。彼の損失による各方面への影響を考慮すると、彼の行為を黙認する以外にない。これは上層部の意向でもある」
「――だとっ」
椅子を蹴って立ち上がる舞奈を、だが明日香が手で制す。
そして席を立つ。
「……トイレかよ」
そう言って、せめてもの腹いせに下品な笑みを浮かべてみせる。
そんな舞奈をキッと睨みつけつつ、明日香は化粧室に向かった。
化粧室のドアを閉め、他に人がいないのを確認して携帯電話を取りだす。
メールを送る。
文面も添付された資料も、事前に準備しておいたものだ。
数秒後に着信。
相手は非通知。
だが明日香にはそれが誰だかわかる。
だから不穏な笑みを浮かべ、焦らすように間をおいてから電話に出る。
「お久しぶりです、大佐」
彼は上層部の一員だ。
実は【機関】は明日香の古巣だ。知った顔の数人はいる。
『アンジェなのか!? こ、これは一体、どういうことだ!?』
相手は開口一番、焦った口調でそう言った。
大佐と呼ばれた中年男は、古い友人に挨拶を返す余裕もないらしい。
一方、捨てたはずの名前で無遠慮に呼ばれた明日香は顔をしかめる。
だが軽い口調で話しを続ける。
「大佐と滓田妖一氏との通信記録がどこかからか漏れていたようです」
その情報を探った者の名を、滓田と【機関】上層部の1人が繋がっていた事実への憤りと一緒に胸の中に秘めたまま、冷淡に言葉を続ける。
「大佐は滓田妖一からの個人的な融資と引き換えに、怪異の不正な入国を黙認し、あまつさえ【機関】の作戦を漏らしていた。そうですね?」
『な、何の目的だ!? わたしを脅迫するつもりか!?』
男の怒声に焦りが滲む。
だが明日香は彼の罪をにこやかに黙認する。
「とんでもありません。わたしは大佐に協力を申し出ようとしているのです」
『きょ……協力だと?』
「ええ。大佐の共犯者である滓田妖一が、数日後に行われるセミナーに偽装した儀式を行うことはご存知かと思います。その際に彼を排除します」
脅して協力を強制するのではない。互いの利益のためにこちらが協力する。
表向きだけは、そういう風に話を進める。
『なんだと!?』
だが電話の声は、明日香の申し出に納得などしていない様子だ。
それでも明日香は気にせず言葉を続ける。
「物理的な排除は【掃除屋】が責任をもって完遂します。大佐には彼の社会的な排除を担当していただきます。そうすれば大佐の罪を知る者はいなくなります」
『何を言ってるのかね君は!? 政界・財界にコネのある人物への攻撃がどれほど危険で面倒なのか、わからない君ではないだろう!?』
男の怒声に、明日香は無言で先をうながす。
『……なあ、アンジェ。お互いに譲歩しようじゃないか?』
手のひらを返したような猫なで声。
『他の望みなら何でも聞こう。君が望むなら執行人への復帰も考えんこともない』
その申し出に、明日香は口元の冷酷な笑みを隠さぬまま、
「そういえば、大佐は直近の攻撃部隊の人選にも口出しされていたようですね。奴らが攻撃部隊を壊滅させやすいようメンバーに脂虫を加えた。立派な背任行為ですが、この事実が執行人たちに知れたら、彼女らは大佐に対して何を思うでしょうか?」
『な――!? ま、まて! そ、それ以上を口に出すな!』
恐怖に裏返った男の声が電話口からあふれる。
「わたしがいない間に面子も随分変わりましたね。あの頃からいるのは技術担当官だけですか。定着率の低さも相変わらずです」
世間話のように言いながら、明日香は口元の笑みを更に酷薄に歪める。
「執行部の主力だけでも【炎術師】椰子実つばめに【懲戒担当官】郷田狼犬」
まずは上層部が誇る……否、恐れるSランクの名を語る。
「それに【尊師ゴーガン】小泉可憐、【人体工作】紅林ソーニャに【死体作成人】如月小夜子ですか。核攻撃の使い手から残虐行為の専門家まで、よりどりみどりですね」
そのすべてを敵に回す気があるのか? と暗に問う。
「そう言えば件の作戦で、デスメーカーはボーイフレンドを亡くされたとか」
彼女らをそうさせる手札が、自分にはあると脅迫する。
そうまでしておいて、
「お時間を取らせてしまって申しわけございません。これで失礼します」
あっさりと交渉を終わらせる。
――否、一方的な要求をつきつけて会話を切り上げる。
「実は、フィクサーを待たせているんですよ」
彼が早急に従わざるを得ない最後の一言を残して。
『フィクサーだと!? まっ……!! アンジェ――』
断末魔のような悲鳴に無慈悲な止めを刺すように、通話を切る。
すがるような着信を無視して、のびをして顔を洗って化粧室を出る。
のんびりテーブルに向かうと、パフェを食い終わった舞奈が顔をあげた。
「遅いぞ。どんだけデカい糞してやがった」
途端にカレーを頬張っていたフィクサーが渋面になる。
嫌そうな顔で口の中のものを飲みこみ、明日香を見やる。
「先ほど上層部から指示が下った。【掃除屋】に滓田妖一の排除を依頼する」
「そういうことらしい」
舞奈はニヤリと笑う。
明日香も何食わぬ顔で笑みを返す。
古い知り合いは英断を下したらしい。
フィクサーは上層部の唐突な指示に首を傾げながらも、会計表を持って席を立つ。
「もう行っちゃうのかい?」
「ああ、これから街に溢れだす予定の屍虫への対抗策を講じなければならないのでな」
「それじゃ、そっちは頼むよ」
「無論だ」
フィクサーは答える。
氷の女と評された【機関】の調整役の表情で。
「そうそう、今後は、業務上の相談があるときには支部に来ていただきたい」
「へいへい、気をつけますよ。あと、パフェごちっす」
そして彼女が去った後、舞奈は明日香を見やる。
「どんな手品を使ったんだよ?」
「なんのことかしら?」
「上層部の連中が、あんなにあっさり手の平を返すなんて普通じゃないだろ」
「さあ? 上層部も一枚岩じゃないってことじゃないかしら」
明日香はにこやかな笑みを浮かべて、とぼける。
「それより珍しいじゃないの。貴女が男の敵討ちなんて」
「女に敵討ちされたって、きっとあいつは喜ばないよ。ただな――」
舞奈は口元を歪める。
「ただ、気に入らないんだ」
そう言って、舞奈は窓の外に広がる空を見上げる。
その方向には新開発区があるはずだ。
明日香は無言で肩をすくめる。
そして友人と一緒に、新開発区の空を見やった。
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