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第9章 そこに『奴』がいた頃
平穏
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「まずはエビチリに小籠包アルよ」
2家族で囲んだテーブルの横にワゴンを並べ、張が手際よく料理を並べる。
「わーい、おいしそう!」
「ありがとうございます」
チャビーが子供みたいにはしゃぎ、チャビー父が礼儀正しく会釈する。
そんな2人をチャビー母が優しく見守る。
「料理はいっぱいあるから、じゃんじゃん食べるアルよ」
「はーい!」
「あっ、チャビーちゃん、エプロンしないとお洋服が汚れちゃうよ」
「あ、そっか」
園香は食器と一緒に並んだ紙エプロンを手に取り、チャビーの首にやさしくかける。
「えへへ、ありがとう、ゾマ」
母親がもうひとりいるみたいだ。
膝の上にいたネコポチが、エプロンの下から出てきて「にゃー」と鳴く。
チャビーは子猫の頭を優しく撫でる。
「園香も今日は遠慮くなく食べなさい」
「今日くらいは、お財布のことも気にしないで沢山食べるのよ」
園香にも、園香母がエプロンを差し出す。
「ありがとう、ママ、パパ」
留守がちな両親に代わって夕食を作っているのは園香だ。
なので今日の真神家は、母の日ならぬ園香の日だ。
園香はしとやかな手つきでエプロンをかける。
大胆な胸にかけられたエプロンは、チャビーのそれと違って立体的になった。
園香の胸を眺めていた舞奈を、園香父がギロリと睨む。
舞奈は「ひいっ」と首をすくめる。
そんな様子を見やって明日香は苦笑する。
――そして不意に、食べ終わった杏仁豆腐のスプーンを手に取り【魔道】のルーンを念ずる。即ち魔法消去の魔術【対抗魔術・弐式】。
桂木姉妹が何事かと驚きながら視線を追う。
テーブルの端から顔を出したネコポチの目前で、エビチリが跳ねた。
重力を操ってエビチリを引き寄せようとしていたらしい。
まったく油断も隙もない。
「チャビー、エビチリが転がってかないように気をつけてやってくれ」
今度は舞奈が苦笑する。
「ここのは生きが良いんだ」
「わっ、ホントだ」
エビチリはチャビーの小皿の上に落ちて、チャビーはそれをすくって食べる。
ネコポチは未練がましく「なぁー」と鳴いた。
「ごめんね、ネコポチ。ネコちゃんはエビを食べたらダメなの」
「なぁー」
下を向いて言ったチャビーは、子供の我儘に苦労する母親に似ていた。
まるで育児に真剣な母親のように、猫の世話や食事について調べたのだ。
そんなところに、
「おまたせアル。ネコポチちゃんのための特別な小籠包アルよ」
張が新たな皿をテーブルに置く。
ネコポチは元気に「にゃぁー」と鳴いてテーブルに跳び乗る。
そして自分のための料理を食んで、満足そうにひと鳴きする。
「そんなものまでやってたのか」
「楓ちゃんたちが買ってくれるって言うもんだから、頑張って考えたアルよ」
「……金に目がくらみやがって」
舞奈はやれやれと苦笑する。
「ねえ、ねえ、特別製って何が入ってるの?」
「猫ちゃんは辛いのが苦手だから、味がついてないアルよ。あと、ニラとかネギが入ってないアル」
「そうなんだ、すごいー」
「なぁー」
張の説明に、チャビーは感心して見せる。
猫もいっしょに返事する。
「……あ、そうだ」
チャビーは何か思いついた顔をして、
「ねえ、ママ。わたしもわたしのための特別なおかずが食べたいな! わたしの苦手なものが入ってないやつ!」
「……いや食えよ、ニンジン」
「好き嫌いは許しませんよ」
思わず舞奈とチャビー母が同時に突っこむ。
前言撤回。
まるで低学年の子供だ。
「あの、お母さん……」
園香がおずおずとチャビー母に声をかけた。
「チャビーちゃん、ニンジンを花やお星さまの形に切ってやわらかく煮れば嫌がらずに食べてくれるみたいです」
「まあ、ありがとう。今度、試してみるわね」
チャビー母は園香に感謝する。
「お、おう。園香はすごいな……」
舞奈は苦笑する。
たまに料理を手伝いに行ってると思ったら、園香はチャビーの食の好みまで把握していたらしい。これでは誰が誰のお母さんだかわからない。
「なぁー」
小籠包から顔を上げて、子猫が鳴いた。
明日香はやれやれと肩をすくめた。
だが、その口元には笑みが浮かぶ。
チャビーの裏表のない素直さは、彼女の兄と少し似ていた。
――――――――――――――――――――
「やあ、明日香」
明日香が夜壁を連れて統零町の大通りを歩いていると、声をかけられた。
陽介だ。
「こんばんは、陽介さん。……あ、こちらは執事の夜壁です」
「お初にお目にかかります。今後ともよしなに」
明日香は普段通りに挨拶し、夜壁は慇懃に一礼する。
陽介は「執事!?」と驚いた表情で夜壁を見やる。
明日香を見やり、再び夜壁を見やり、
「どうも、こちらこそよろしく」
頭を下げる。
どうやら執事が珍しいらしい。
そんな彼の様子が微笑ましくて明日香は微笑む。
「そういえば、君も支部に用事?」
気を取り直して陽介は尋ねる。
も、ということは、彼は【機関】支部に用事なのだろう。
善良で礼儀正しい彼は、真面目な執行人になっていた。
「この近くの病院に用があるんですよ」
「誰かのお見舞い? でも、こんなところに病院なんてあったっけ?」
「いえ、親が経営しているんです」
「明日香って、お嬢様だったんだ。じゃ、ご両親の手伝いなの? 大変だなあ」
「いえいえ、病院付属の研究施設に仕事道具の作成を依頼していたので、様子を見に」
説明すればするほどわけがわからない様子で、陽介はしきりに首をかしげる。
明日香が当たり前に知っていて、彼が知らないことはまだまだある。
例えば明日香の親が民間警備会社の社長だということとか。
それに向かう先の病院も、会社事務所の付属だ。
それをどうやって説明しようかと思案していると、
「研究施設……? 仕事道具……?」
丁度よく彼のほうから話をふってくれた。
なので気持ちよく説明を始める。
「前回の戦闘で予想外の苦戦を強いられたため、魔力の増強を計画していたんです」
「前回って、泥人間を倒した後に屍虫が出てきたあれだよね?」
言いながら、陽介は自分が初めて異能力に目覚めた戦闘を思い出す。
「あれって、君の式神が俺を護衛してなかったら、ピンチにならなかったんじゃ……」
彼は明日香のフォローをしようとしたのだろう。だが、
「たとえ原因が何だろうと、ピンチはピンチです」
明日香は言って苦笑する。
陽介のそれは、それは実戦に臨む者としては相応しくない考え方だ。
「何の対策もしなければ、次に誰かを守った時に死ぬかもしれない。それは御免こうむりたいですからね」
「なるほど……」
明日香の言葉を、陽介は意外にも素直に聞き入れた。
情報を疑って検分することに慣れた明日香とは真逆な、彼の素直さ。
それは彼の弱点にもなり得るが、成長を速めているのも事実だ。
現に数日前は普通の高校生だった彼が、今や頼りないながらも一人前の執行人だ。
なので、もう少し彼に魔法について話そうと思った。
「そこで、ルーンを刻んだドッグタグを大量に使用することによる大規模魔法を開発していたのですが、魔力の確保という問題に行き当たりまして」
「魔力って、異能力の源になるっていう? 魔法でも使うんだ」
「ええ、魔法は異能力を擬似的に再現したものですから」
質問によって説明は脱線したけれど、明日香は気にせず答える。
疑問が出るのは好奇心を刺激された証拠だ。
明日香に対してこういう反応をする人は意外に少ない。
普段に付き合いがあるのは基本的な知識のある大人か、説明どころか事情を隠さなければいけないクラスメートのどちらかだ。
そのどちらでもない舞奈は、一足飛びに答えだけを聞きたがるので問題外だ。
なので気持ちよく説明を続ける。
夜壁は無言のまま側に控えている。
「魔力を入手する手段は流派によって様々で、例えば、以前の泥人間が使っていた道術は異能力の源となる魔力を利用します」
「異能力を魔法に? それって、俺も魔道士になれるってこと!?」
陽介は思わず口走る。
「そうですね。ご存じの通り、人間で異能力を使えるのは男性だけです。内なる魔力を異能力の形にして顕現させるには男性特有の強固な意志が必要になるからです」
説明に、陽介は興味深そうにうなずく。
明日香は気持ちよく言葉を続ける。
「ですが、魔力を多種の魔法として操るには、それとは対極な繊細さが要求されます」
「それじゃ、異能力者は魔法を使えないのか……」
使おうと思っていたのか。
そう思った。
そのときの明日香は、陽介と小夜子が幼馴染だったことをまだ知らなかった。
なので、彼が自分の魔術を見て学びたくなったのだろうと思った。
「普通はそうなんですが、陽介さんは繊細ですし、見こみはあるかもしれませんね。よろしければ師について学んでみますか?」
「できるの!?」
言った途端、陽介は目を丸くして驚いた。
「……まさか泥人間とかじゃないよね? その師匠って」
「さすがに怪異に友人はいませんよ。台湾の魔道士によって結成された組織が、怪異によって用いられていた道術を研究・再構成してより強力な流派へと作り替えたんです」
ここでも始まった明日香の説明を、陽介は礼儀正しく拝聴する。
「道術は【五行のエレメントの変換】を得意とし、火行を土行へ、土行を金行へ、金行を水行へ、そして水行を木行に変換することで多種の術を行使することが可能です」
「へえ……」
「台湾人の道士に知人がいますし、その気があるのでしたら声をかけてみますよ」
にこやかに話す明日香は、もちろん安請け合いをしている訳ではない。
知人の道士とは張のことだ。
信頼できる台湾人の彼は、今は怪異や異能にまつわる仕事の仲介人をしている。
だが前歴は執行人の道士だ。
だから、ある意味、彼の良き師になれるかもしれないと思った。
「早ければ……そうですね、3年もあれば基礎的な術を使えるようになると思います」
「さ、3年!?」
陽介は驚く。
まあ、普通はそうだろう。
彼は中等部の3年だ。3年後には高3か、あるいは進学か就職か。
それまでは学校だけが世界の全てなのに、将来のことなど考える中学生は稀だ。
だから彼も、3年という期間をどう捉えていいのかわからないのだろう。だから、
「もうちょっと考えてみるよ……」
そう言ってお茶を濁した。
明日香は構わず、
「どこまで話しましたっけ」
気にせず説明を続ける。
話がかなり脱線したせいで、元の話題を忘れそうになっていた。
「……そうそう、魔力の話でしたね。そして、ナワリ呪術と呼ばれる流派では天地に宿る魔力や、生贄を屠ることによって発生する魔力を利用します」
「生贄!?」
陽介は驚愕のあまりオウム返しに尋ねる。
当時の明日香は、小夜子が何者なのか、陽介とどんな関係なのかを知らなかった。
だから陽介は単に生贄という単語に反応したのだと思った。なので、
「ナワリ呪術の最大の特徴です。通常ならば綿密な詠唱と高度な精神集中を必要とする大魔法を、脂虫の心臓を使って簡単に行使することができるんです」
特に何か思うわけでなく、言葉を続けた。
「たしか【機関】にもひとり在籍していて、ずいぶんと重用されていると聞きます」
気持ちよく語る。
陽介の表情が少しこわばっていたことには気づかなかった。
「それらと異なり、理性と想像力のみを魔力と源とする戦闘魔術は魔力を効率的にパワーに変換できる反面、大量の魔力を発生させるのは不得意なのですよ。そこで、魔力を発生させる効果を持ったアイテムを作成し、常備することによって――」
そうやって明日香は心ゆくまで説明を続けた。
陽介は日が暮れるまで熱心に話を聞いてくれた。
その間、何度か思い悩む素振りを見せていたが、明日香は特に気にしなかった。
そして明日香が解説を堪能した後、陽介は支部の方向に走って行った。
どうやら急ぎの用事があったらしいい。
少し長話をしすぎたかなと思いながら、明日香はその背を見送る。
だが、この時期に新米の執行人が支部に呼ばれる理由がないことに気づいた。
事務手続きなら急ぐ必要はない。
「考えられるとすれば、何かの作戦のミーティング……?」
思わず首をかしげる。
だが、ここで考えても答えがわかるわけもない。
後で本人に聞いてみるのが確実だろう。
それでも作戦の内容によっては仕事人が相手でも話せない場合もある。
なので、特に深く考えることなく、自分の用事を済ますべく施設に向かった。
事態が深刻ならば、どうせフィクサーから【掃除屋】相手に依頼が来るからだ。
だが明日香の危惧は当たっていた。
だから数刻の後、打ちっぱなしコンクリートの会議室で、
「最近多発している屍虫の発生事件についての情報がリークされた。これによると、首謀者は旧市街地の倉庫街にある廃ビルで何らかの儀式を執り行う予定らしい」
フィクサーは居並ぶ執行人たちに向けて、上層部の命を伝えていた。
「諸君らの任務は、ビル内部の屍虫の殲滅、及び首謀者の排除だ」
他の少年たちと一緒に、陽介もフィクサーの指示にうなずいた。
そしてこの作戦は、こちらも明日香の予想通り、仕事人にすら口外できない最高機密の作戦だった。
そして、その翌日。
執行人の状況など知る由もない初等部の教室で、
「おはよう舞奈ちゃん、チャビーちゃん。いっしょに学校来るなんて珍しいね」
並んで登校してきた2人を見やり、先に来ていた園香が首をかしげた。
「おはようゾマ! マイってば、わたしの家にお泊まりしてるんだよ!」
「そうなんだ。酸性雨でアパートを締め出されちゃって」
チャビーが元気よく答え、舞奈が苦笑しながら補足する。
「そっか、もうそんな季節なんだね」
その説明で園香は普通に納得した。
舞奈たちが3年の時にも、やっぱり新開発区には毒の雨が降った。
「あの時はごめんね、マイちゃん。パパが……」
最初は園香の家に泊めてもらう算段だった。
だが園香の父親に猛反対された。
なので期間中、舞奈は教会から登校していた。
「いいってことよ」
言いつつ舞奈は園香の尻を触る。
「もう、マイちゃんったら」
園香は顔を赤らめる。
完全に舞奈の自業自得である。
そんな2人を楽しそうに見ていたチャビーは、
「ねね、今日はみんなでわたしの家でご飯食べようよ!」
唐突にそんなことを言いだした。
「うんうん、楽しそうだね」
「いいんじゃないのか」
いきなりな話だと思ったけれど、反対する理由も特にない。
そんなところに、今度は明日香がやって来た。
「おはよう、みんな揃ってどうしたの?」
「あ! 安倍さんだ! あのね!」
そうやって、あれよあれよという間にチャビー宅で食事会が開かれることになった。
2家族で囲んだテーブルの横にワゴンを並べ、張が手際よく料理を並べる。
「わーい、おいしそう!」
「ありがとうございます」
チャビーが子供みたいにはしゃぎ、チャビー父が礼儀正しく会釈する。
そんな2人をチャビー母が優しく見守る。
「料理はいっぱいあるから、じゃんじゃん食べるアルよ」
「はーい!」
「あっ、チャビーちゃん、エプロンしないとお洋服が汚れちゃうよ」
「あ、そっか」
園香は食器と一緒に並んだ紙エプロンを手に取り、チャビーの首にやさしくかける。
「えへへ、ありがとう、ゾマ」
母親がもうひとりいるみたいだ。
膝の上にいたネコポチが、エプロンの下から出てきて「にゃー」と鳴く。
チャビーは子猫の頭を優しく撫でる。
「園香も今日は遠慮くなく食べなさい」
「今日くらいは、お財布のことも気にしないで沢山食べるのよ」
園香にも、園香母がエプロンを差し出す。
「ありがとう、ママ、パパ」
留守がちな両親に代わって夕食を作っているのは園香だ。
なので今日の真神家は、母の日ならぬ園香の日だ。
園香はしとやかな手つきでエプロンをかける。
大胆な胸にかけられたエプロンは、チャビーのそれと違って立体的になった。
園香の胸を眺めていた舞奈を、園香父がギロリと睨む。
舞奈は「ひいっ」と首をすくめる。
そんな様子を見やって明日香は苦笑する。
――そして不意に、食べ終わった杏仁豆腐のスプーンを手に取り【魔道】のルーンを念ずる。即ち魔法消去の魔術【対抗魔術・弐式】。
桂木姉妹が何事かと驚きながら視線を追う。
テーブルの端から顔を出したネコポチの目前で、エビチリが跳ねた。
重力を操ってエビチリを引き寄せようとしていたらしい。
まったく油断も隙もない。
「チャビー、エビチリが転がってかないように気をつけてやってくれ」
今度は舞奈が苦笑する。
「ここのは生きが良いんだ」
「わっ、ホントだ」
エビチリはチャビーの小皿の上に落ちて、チャビーはそれをすくって食べる。
ネコポチは未練がましく「なぁー」と鳴いた。
「ごめんね、ネコポチ。ネコちゃんはエビを食べたらダメなの」
「なぁー」
下を向いて言ったチャビーは、子供の我儘に苦労する母親に似ていた。
まるで育児に真剣な母親のように、猫の世話や食事について調べたのだ。
そんなところに、
「おまたせアル。ネコポチちゃんのための特別な小籠包アルよ」
張が新たな皿をテーブルに置く。
ネコポチは元気に「にゃぁー」と鳴いてテーブルに跳び乗る。
そして自分のための料理を食んで、満足そうにひと鳴きする。
「そんなものまでやってたのか」
「楓ちゃんたちが買ってくれるって言うもんだから、頑張って考えたアルよ」
「……金に目がくらみやがって」
舞奈はやれやれと苦笑する。
「ねえ、ねえ、特別製って何が入ってるの?」
「猫ちゃんは辛いのが苦手だから、味がついてないアルよ。あと、ニラとかネギが入ってないアル」
「そうなんだ、すごいー」
「なぁー」
張の説明に、チャビーは感心して見せる。
猫もいっしょに返事する。
「……あ、そうだ」
チャビーは何か思いついた顔をして、
「ねえ、ママ。わたしもわたしのための特別なおかずが食べたいな! わたしの苦手なものが入ってないやつ!」
「……いや食えよ、ニンジン」
「好き嫌いは許しませんよ」
思わず舞奈とチャビー母が同時に突っこむ。
前言撤回。
まるで低学年の子供だ。
「あの、お母さん……」
園香がおずおずとチャビー母に声をかけた。
「チャビーちゃん、ニンジンを花やお星さまの形に切ってやわらかく煮れば嫌がらずに食べてくれるみたいです」
「まあ、ありがとう。今度、試してみるわね」
チャビー母は園香に感謝する。
「お、おう。園香はすごいな……」
舞奈は苦笑する。
たまに料理を手伝いに行ってると思ったら、園香はチャビーの食の好みまで把握していたらしい。これでは誰が誰のお母さんだかわからない。
「なぁー」
小籠包から顔を上げて、子猫が鳴いた。
明日香はやれやれと肩をすくめた。
だが、その口元には笑みが浮かぶ。
チャビーの裏表のない素直さは、彼女の兄と少し似ていた。
――――――――――――――――――――
「やあ、明日香」
明日香が夜壁を連れて統零町の大通りを歩いていると、声をかけられた。
陽介だ。
「こんばんは、陽介さん。……あ、こちらは執事の夜壁です」
「お初にお目にかかります。今後ともよしなに」
明日香は普段通りに挨拶し、夜壁は慇懃に一礼する。
陽介は「執事!?」と驚いた表情で夜壁を見やる。
明日香を見やり、再び夜壁を見やり、
「どうも、こちらこそよろしく」
頭を下げる。
どうやら執事が珍しいらしい。
そんな彼の様子が微笑ましくて明日香は微笑む。
「そういえば、君も支部に用事?」
気を取り直して陽介は尋ねる。
も、ということは、彼は【機関】支部に用事なのだろう。
善良で礼儀正しい彼は、真面目な執行人になっていた。
「この近くの病院に用があるんですよ」
「誰かのお見舞い? でも、こんなところに病院なんてあったっけ?」
「いえ、親が経営しているんです」
「明日香って、お嬢様だったんだ。じゃ、ご両親の手伝いなの? 大変だなあ」
「いえいえ、病院付属の研究施設に仕事道具の作成を依頼していたので、様子を見に」
説明すればするほどわけがわからない様子で、陽介はしきりに首をかしげる。
明日香が当たり前に知っていて、彼が知らないことはまだまだある。
例えば明日香の親が民間警備会社の社長だということとか。
それに向かう先の病院も、会社事務所の付属だ。
それをどうやって説明しようかと思案していると、
「研究施設……? 仕事道具……?」
丁度よく彼のほうから話をふってくれた。
なので気持ちよく説明を始める。
「前回の戦闘で予想外の苦戦を強いられたため、魔力の増強を計画していたんです」
「前回って、泥人間を倒した後に屍虫が出てきたあれだよね?」
言いながら、陽介は自分が初めて異能力に目覚めた戦闘を思い出す。
「あれって、君の式神が俺を護衛してなかったら、ピンチにならなかったんじゃ……」
彼は明日香のフォローをしようとしたのだろう。だが、
「たとえ原因が何だろうと、ピンチはピンチです」
明日香は言って苦笑する。
陽介のそれは、それは実戦に臨む者としては相応しくない考え方だ。
「何の対策もしなければ、次に誰かを守った時に死ぬかもしれない。それは御免こうむりたいですからね」
「なるほど……」
明日香の言葉を、陽介は意外にも素直に聞き入れた。
情報を疑って検分することに慣れた明日香とは真逆な、彼の素直さ。
それは彼の弱点にもなり得るが、成長を速めているのも事実だ。
現に数日前は普通の高校生だった彼が、今や頼りないながらも一人前の執行人だ。
なので、もう少し彼に魔法について話そうと思った。
「そこで、ルーンを刻んだドッグタグを大量に使用することによる大規模魔法を開発していたのですが、魔力の確保という問題に行き当たりまして」
「魔力って、異能力の源になるっていう? 魔法でも使うんだ」
「ええ、魔法は異能力を擬似的に再現したものですから」
質問によって説明は脱線したけれど、明日香は気にせず答える。
疑問が出るのは好奇心を刺激された証拠だ。
明日香に対してこういう反応をする人は意外に少ない。
普段に付き合いがあるのは基本的な知識のある大人か、説明どころか事情を隠さなければいけないクラスメートのどちらかだ。
そのどちらでもない舞奈は、一足飛びに答えだけを聞きたがるので問題外だ。
なので気持ちよく説明を続ける。
夜壁は無言のまま側に控えている。
「魔力を入手する手段は流派によって様々で、例えば、以前の泥人間が使っていた道術は異能力の源となる魔力を利用します」
「異能力を魔法に? それって、俺も魔道士になれるってこと!?」
陽介は思わず口走る。
「そうですね。ご存じの通り、人間で異能力を使えるのは男性だけです。内なる魔力を異能力の形にして顕現させるには男性特有の強固な意志が必要になるからです」
説明に、陽介は興味深そうにうなずく。
明日香は気持ちよく言葉を続ける。
「ですが、魔力を多種の魔法として操るには、それとは対極な繊細さが要求されます」
「それじゃ、異能力者は魔法を使えないのか……」
使おうと思っていたのか。
そう思った。
そのときの明日香は、陽介と小夜子が幼馴染だったことをまだ知らなかった。
なので、彼が自分の魔術を見て学びたくなったのだろうと思った。
「普通はそうなんですが、陽介さんは繊細ですし、見こみはあるかもしれませんね。よろしければ師について学んでみますか?」
「できるの!?」
言った途端、陽介は目を丸くして驚いた。
「……まさか泥人間とかじゃないよね? その師匠って」
「さすがに怪異に友人はいませんよ。台湾の魔道士によって結成された組織が、怪異によって用いられていた道術を研究・再構成してより強力な流派へと作り替えたんです」
ここでも始まった明日香の説明を、陽介は礼儀正しく拝聴する。
「道術は【五行のエレメントの変換】を得意とし、火行を土行へ、土行を金行へ、金行を水行へ、そして水行を木行に変換することで多種の術を行使することが可能です」
「へえ……」
「台湾人の道士に知人がいますし、その気があるのでしたら声をかけてみますよ」
にこやかに話す明日香は、もちろん安請け合いをしている訳ではない。
知人の道士とは張のことだ。
信頼できる台湾人の彼は、今は怪異や異能にまつわる仕事の仲介人をしている。
だが前歴は執行人の道士だ。
だから、ある意味、彼の良き師になれるかもしれないと思った。
「早ければ……そうですね、3年もあれば基礎的な術を使えるようになると思います」
「さ、3年!?」
陽介は驚く。
まあ、普通はそうだろう。
彼は中等部の3年だ。3年後には高3か、あるいは進学か就職か。
それまでは学校だけが世界の全てなのに、将来のことなど考える中学生は稀だ。
だから彼も、3年という期間をどう捉えていいのかわからないのだろう。だから、
「もうちょっと考えてみるよ……」
そう言ってお茶を濁した。
明日香は構わず、
「どこまで話しましたっけ」
気にせず説明を続ける。
話がかなり脱線したせいで、元の話題を忘れそうになっていた。
「……そうそう、魔力の話でしたね。そして、ナワリ呪術と呼ばれる流派では天地に宿る魔力や、生贄を屠ることによって発生する魔力を利用します」
「生贄!?」
陽介は驚愕のあまりオウム返しに尋ねる。
当時の明日香は、小夜子が何者なのか、陽介とどんな関係なのかを知らなかった。
だから陽介は単に生贄という単語に反応したのだと思った。なので、
「ナワリ呪術の最大の特徴です。通常ならば綿密な詠唱と高度な精神集中を必要とする大魔法を、脂虫の心臓を使って簡単に行使することができるんです」
特に何か思うわけでなく、言葉を続けた。
「たしか【機関】にもひとり在籍していて、ずいぶんと重用されていると聞きます」
気持ちよく語る。
陽介の表情が少しこわばっていたことには気づかなかった。
「それらと異なり、理性と想像力のみを魔力と源とする戦闘魔術は魔力を効率的にパワーに変換できる反面、大量の魔力を発生させるのは不得意なのですよ。そこで、魔力を発生させる効果を持ったアイテムを作成し、常備することによって――」
そうやって明日香は心ゆくまで説明を続けた。
陽介は日が暮れるまで熱心に話を聞いてくれた。
その間、何度か思い悩む素振りを見せていたが、明日香は特に気にしなかった。
そして明日香が解説を堪能した後、陽介は支部の方向に走って行った。
どうやら急ぎの用事があったらしいい。
少し長話をしすぎたかなと思いながら、明日香はその背を見送る。
だが、この時期に新米の執行人が支部に呼ばれる理由がないことに気づいた。
事務手続きなら急ぐ必要はない。
「考えられるとすれば、何かの作戦のミーティング……?」
思わず首をかしげる。
だが、ここで考えても答えがわかるわけもない。
後で本人に聞いてみるのが確実だろう。
それでも作戦の内容によっては仕事人が相手でも話せない場合もある。
なので、特に深く考えることなく、自分の用事を済ますべく施設に向かった。
事態が深刻ならば、どうせフィクサーから【掃除屋】相手に依頼が来るからだ。
だが明日香の危惧は当たっていた。
だから数刻の後、打ちっぱなしコンクリートの会議室で、
「最近多発している屍虫の発生事件についての情報がリークされた。これによると、首謀者は旧市街地の倉庫街にある廃ビルで何らかの儀式を執り行う予定らしい」
フィクサーは居並ぶ執行人たちに向けて、上層部の命を伝えていた。
「諸君らの任務は、ビル内部の屍虫の殲滅、及び首謀者の排除だ」
他の少年たちと一緒に、陽介もフィクサーの指示にうなずいた。
そしてこの作戦は、こちらも明日香の予想通り、仕事人にすら口外できない最高機密の作戦だった。
そして、その翌日。
執行人の状況など知る由もない初等部の教室で、
「おはよう舞奈ちゃん、チャビーちゃん。いっしょに学校来るなんて珍しいね」
並んで登校してきた2人を見やり、先に来ていた園香が首をかしげた。
「おはようゾマ! マイってば、わたしの家にお泊まりしてるんだよ!」
「そうなんだ。酸性雨でアパートを締め出されちゃって」
チャビーが元気よく答え、舞奈が苦笑しながら補足する。
「そっか、もうそんな季節なんだね」
その説明で園香は普通に納得した。
舞奈たちが3年の時にも、やっぱり新開発区には毒の雨が降った。
「あの時はごめんね、マイちゃん。パパが……」
最初は園香の家に泊めてもらう算段だった。
だが園香の父親に猛反対された。
なので期間中、舞奈は教会から登校していた。
「いいってことよ」
言いつつ舞奈は園香の尻を触る。
「もう、マイちゃんったら」
園香は顔を赤らめる。
完全に舞奈の自業自得である。
そんな2人を楽しそうに見ていたチャビーは、
「ねね、今日はみんなでわたしの家でご飯食べようよ!」
唐突にそんなことを言いだした。
「うんうん、楽しそうだね」
「いいんじゃないのか」
いきなりな話だと思ったけれど、反対する理由も特にない。
そんなところに、今度は明日香がやって来た。
「おはよう、みんな揃ってどうしたの?」
「あ! 安倍さんだ! あのね!」
そうやって、あれよあれよという間にチャビー宅で食事会が開かれることになった。
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