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第9章 そこに『奴』がいた頃
新開発区
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「はい舞奈ちゃん、担々麺と餃子アルよ」
「お! 待ってました!」
カウンターの舞奈の前に、慣れた手つきで椀と皿が並べられる。
いつもと同じ熱々の担々麺を、いつもと同じ満面の笑みを浮かべてもりもり喰らう。
そんな舞奈を優しく見やり、張は再び厨房に戻る。
「明日香ちゃんは天津飯とエビチリ、アルね」
「ありがとうございます」
明日香の前にも調理が並ぶ。
「あ、取り皿も頼む」
「ちょっと、なに勝手に頼んでるのよ」
「何言ってんだ。おまえ、そんなに食えないだろ?」
小声で言い合う2人の前に、そっと小皿とレンゲが置かれる。
2人が食べる量なんて、付き合いの長い張はわかっている。
「それに今日は貰うだけじゃないぞ。代わりにサービス券をくれてやろうってんだ」
「……その半額券、まだ持ってたアルか」
「いや、商店街で配ってたぞ」
そんな舞奈を、明日香はレンゲで天津飯を掬いながらジト目で見やる。
「……何でもいいけど、いらないわよそんなもの」
「何だよ、遠慮するこたぁないだろ」
「財布に余計なもの入れたくないのよ」
「小せぇ財布だなあ」
舞奈は口をへの字に曲げる。
「その点、あたしのポケットは何でも入るぞ」
「はいはい」
無視して食事を続ける明日香の横で、舞奈はジャケットのポケットをまさぐる。
「あ、あれ……?」
「落としたアルか?」
「いや、そういう訳じゃないんだ。学校出る前に確認してから戻したはずなんだが」
「……落としたんじゃない。だから財布を使いなさいって言ってるでしょ」
明日香の非難を無視して、カウンターにポケットの中身を並べる。
丸まったハンカチ、チーかまのビニール、空薬莢、等々。
「ちょっと食事中に何やってるのよ」
明日香は露骨に顔をしかめる。
「うるさいなあ。すぐに出てくるから待ってろ」
舞奈は意地になってポケットをまさぐる。そのとき、
「ちーっす」
「おじゃましまーす」」
楽しげな声とともに、立てつけの悪い入り口のドアがガラリと開いた。
「アイヤー! 予約の皆さんアルね。よく来たアル!」
「あたしが来た時と、えらい愛想が違うじゃないか」
口をとがらせる舞奈を無視し、張は満面の笑顔で出迎える。
制服姿の少年たちが、がやがやと入ってきた。
揃えたようにもオーラがなく、不揃いでどうでもいい感じの容姿の少年たちだ。
「おおっ、舞奈ちゃんと明日香ちゃんも来てたでゴザルか」
「さっきぶりー」
先ほど路地で脂袋を持って行った諜報部の執行人たちだ。
「腕によりをかけて作るアルから、お腹いっぱい食べるアル」
「「はーい! ごちになりまーす」」
朗らかな張に楽しそうに答え、少年たちはテーブルを囲む。
「へえ、この店に客が来るなんて珍しいな」
舞奈の軽口を、張は礼儀正しく無視する。
「今日はマンティコア討伐戦の打ち上げなんだ」
代わりに肥え気味な少年が答えた。
「打ち上げって、おまえ……」
舞奈は思わず眉間にしわを寄せる。
異能力者の彼らは最初の討伐戦では作戦の中核を担ったものの、実際にマンティコアを倒した2度目の討伐戦では戦闘後に胴上げしに来ただけだ。
それが仲間内だけで打ち上げってのはどうなんだ? と思ってしまう。
「あ、そうだ。舞奈ちゃん、店の前でここの割引券を落としたかい?」
「ほら、落としたんじゃないの」
エビチリを掬いながら冷たくツッコむ明日香を睨み、少年たちを睨む。
「なんであたしが落としたって思うんだ?」
「まあ、これでも諜報部員だからね。そのくらいはわかるよ」
小太りなひとりが眼鏡もないのに眼鏡の位置を直すしぐさをして、明日香が少しむっとする。
「はい、これ」
少年は舞奈に1枚のサービス券を手渡した。
それはカウンターの上のハンカチと同じ感じにくしゃくしゃによれていた。
舞奈のポケットに入っていたのは一目瞭然だ。
「そりゃご立派な観察眼だ」
舞奈は不貞腐れながら、サービス券といっしょにカウンターに並んだゴミをポケットに押しこむ。明日香は無言で食事を続ける。
そんなやり取りを横目に、他の少年たちは、がやがやとテーブルに向かう。
「あ、そうそう、後で領収書お願いしまーす」
「わかってるアルよ」
「……高校生のうちから経費で飲み食いなんかしてると、ロクな大人にならんぞ」
「小学生のうちからツケで飲食するよりましアルよ」
今度は図星を指された舞奈は、むくれて餃子を口に放りこむ。
けれど、そんな舞奈に張は優しげな笑みを向ける。
(舞奈ちゃんにも、年上の友達がたくさんできたアルね)
そしてテーブルでオタトークを始めた少年たちを見やる。
(そういえば、あれから1年になるアルか……)
舞奈を、少年たちを見やりながら、張は遠い目をして笑う。
3年前の傷跡を、舞奈は新たな仲間との絆にりゆっくりと癒していった。
同様に、1年前に出会い、そして失った大事なものの代わりを、見つけつつあった。
――――――――――――――――――――
胸糞の悪くなるような男の依頼を受けた翌日。
舞奈と明日香は下校後、新開発区に向かった。
依頼人が気に入らなくても、仕事は仕事だ。
讃原町の外れを通り、物々しい軍関係者が闊歩する統零町の大通りを歩く。
まあ明日香は統零に、舞奈はその先に家があるのでいつもの下校ルートだ。
そして、その先の寂れた通りを抜けると検問に差し掛かる。
「舞奈ちゃんに明日香ちゃん、2人そろって仕事かい?」
馴染みのスキンヘッドの守衛が気さくに声をかけてくる。
「まあな、いつもの泥人間退治だ」
「また泥人間が出現してるのか。2人とも気をつけてね」
「おう! おっちゃんたちも見張りよろしくな」
慣れた調子で世間話などしてから、普段通りに廃墟の街に足を踏み入れる。
新開発区。
こんな廃墟の街なのに、その歴史は意外にも浅い。
事の始まりはバブル華やかりし頃だ。
当時の巣黒市は陳腐化と停滞にあえいでいた。
だから現状を打破すべく、隣にレジャータウンを作ろうという計画が持ち上がった。
周辺住民や各種団体の反対を押し切り、手付かずだった古い森を切り開いたらしい。
新しい街は巣黒市から名を借りて、出巣黒須市と名付けられた。
そして希望をこめて新開発区と呼ばれるようになった。
対して古臭い巣黒市は、旧市街地と呼ばれるようになった。
だが、ロクな計画もなしに強行された都市計画には様々な障害が立ちふさがった。
関係者の何人かが不可解な理由で消息を絶ったりもした。
そしてバブルがはじけると、開発計画も立ち消えになった。
区画整理もそこそこに乱立し、半端に入店・入居が決まったビルの数々を残して。
街として機能した期間がないせいか、本来の市名より新開発区という俗称のほうが通りがいい。たとえ今や新しくはなく、開発されることなど永久にあり得ないとしても。
もちろん、学校や中華料理屋といったまっとうな施設は旧市街地にある。
そして危険な新開発区は立ち入りが禁止されている。
まあ、舞奈の家はその新開発区にあるのだから、危険だとか言われても今さらだ。
なので普段通りに警戒しつつ、明日香と並んで廃墟を歩いていると、
「うわあっ!?」
悲鳴が聞こえた。
「人の悲鳴!?」
「あたしたちが来た方向だ!」
舞奈は声のした方向に走り出す。
2人はすぐに悲鳴の主を見つけた。
廃ビルの陰で、ボロをまとった泥人間が何かを襲っていた。
振り上げた鉄パイプはパチパチと放電している。【雷霊武器】だ。
襲われているのは、その足元でうずくまっているのは学ランの少年だ。
泥人間はその頭上に放電する得物を振り下ろそうとして――
「――させるかよ!」
舞奈は素早く拳銃を構える。
銃声。
襲撃者の腐った頭に風穴が開く。
今使っているのよりひとまわり小さい中口径弾とはいえ、並の弾丸よりは強い。
だから頭を穿たれた泥人間の身体が溶け、汚泥と化して崩れ落ちる。
鉄パイプが瓦礫の上を転がる。
「あんた! だいじょうぶか!?」
舞奈は少年に駆け寄る。
「あ、ありがとう……」
少年は震える唇から礼の言葉をしぼりだし、
「今のはいったい……?」
少しだけ冷静さを取り戻した表情で問いかけてきた。
「……ん? 泥人間。異能力を操る最下級の怪異だ」
舞奈はジャケットの内側のホルスターに拳銃を収めながら答える。
言い淀んだのは当たり前のことを聞かれ、質問の意味が一瞬わからなかったからだ。
だが少年は、舞奈の答えに納得した様子ではなさそうだ。
というか軽いショック状態で、話をあまり聞いていない。
せっかく答えてやったのにと舞奈は少しむっとする。
まあ、特に戦闘慣れした風でもない普通の少年だ。
怪異に殺されかけたら普通はそうなるだろう。
だが明日香は特に配慮もせずに問いつめる。
「こちらからも質問をよろしいでしょうか。出巣黒須市への一般人の立ち入りは禁止されているはずですが、貴方はどうしてここに?」
「それは、その、この前のお礼をしようと思って……」
詰問めいた口調に、少年はしどろもどろになりながら答える。
「この前って、どの前よ……?」
舞奈は思わず小首をかしげる。
そしてしばし悩んだ後、
「ああ! 旧市街地に屍虫が出た時の兄ちゃんか」
少年の顔を思い出した。
「元気そうで何よりだ。けどお礼言うくらいで新開発区まで来るこたないだろ? 下手したら死んでたんだぞ」
「それに、あの時、ハンカチ落としてたから返そうと思って……」
言いつつ綺麗にたたまれたハンカチを差し出す。
「誰のハンカチだ……? って、あたしのか」
舞奈はハンカチを綺麗にたたんだり、ましてやアイロンをかけたりすることはない。 だから自分のハンカチがそう言う状態だと、すぐには自分のだとわからない。
そんな舞奈を明日香はジト目で見やり、
「ちょっと、大丈夫なの?」
「心配ない。この兄ちゃんにあたしの持ち物は掏れないよ。落としたんだ」
「だから! その落としたことに対して大丈夫かって聞いてるのよ」
明日香の冷たい視線を礼儀正しく無視し、舞奈は少年に向き直る。
「通路に見張りが立ってたはずだが、止められなかったのか?」
「異能力者と勘違いしたんじゃないかしら?」
「勘違いって……。ご自慢の能力チェッカーはどうしたよ?」
「封鎖してるのは普通の兵隊なのよ? 学校の制服を着てれば素通りよ」
「ったく、雑な仕事しやがって。それじゃ見張りの意味ないだろ」
舞奈は舌打ちする。
そしてやれやれと苦笑しながら少年に向き直る。
「しゃあない。あたしたちはちょっとこの先までバイトに行くんだ。見てくかい?」
「何考えてるのよ!? 一般の人を巻きこむ気じゃないでしょうね!?」
「じゃ、この兄ちゃんひとりで旧市街地まで帰らせるのか?」
舞奈は明日香に言い募る。
「すると仕事を片づけて帰る途中で、今みたいに怪異に襲われて食い散らかされた兄ちゃんを見つけるだろうな」
「そんな決めつけなくても……」
か細く抗議する少年に、ジト目を向ける。
「すまんが事実だ。あんたひとりじゃ検問まで帰れない。泥人間が複数出たら逃げられないし、新開発区にはもっとヤバい奴だっている」
「それは……」
「そうだけど……」
明日香と一緒に、少年もうなだれて口ごもる。
兄妹想いの人の良い彼に、きつい物言いをするのに抵抗がない訳じゃない。
だが事実だ。先ほどのが毒犬だったら、悲鳴をあげる間もなく殺られていた。
だからといって彼を検問まで送って行くのも面倒だ。
「それでも気分よく金を受け取って、美味い晩飯が食えるのか?」
「……はいはい、わかったわよ」
明日香は肩をすくめると、座りこんだままの陽介を見やる。
正直なところ、舞奈は何となく彼と行動を共にしたかった。
胸糞悪い依頼人から受けた不快な依頼も、それとは正反対に純粋で善良な彼がいっしょなら少しばかり楽しくなるだろうと思った。
「なんか、ごめん……」
相手が気分を害したかもと思えば素直に詫びる。
そんな当然のことを当然にできる彼は、やはり依頼人とは真逆な人間だ。
だから依頼人に当てつけるように、舞奈は彼に笑みを向ける。
「それはいいですから、以降はわたしたちの指示に従っていただきます」
明日香は少年に手を差し出す。
「うん、わかったよ」
彼は明日香の手を借り、微妙な表情で立ち上がる。
小学生の手を借りるのが気に入らないのかもしれない。
だが、そこまで気にしてはいられない。
「僕は日比野陽介。この近くの、蔵乃巣学園の高等部に通っている」
「奇遇ですね」
少年の自己紹介に、明日香も笑みを浮かべる。
「わたしは安倍明日香。貴方と同じ蔵乃巣学園の初等部の4年生です」
「あたしは志門舞奈だ」
舞奈もニヤリと笑う。
「よろしく、舞奈ちゃん、明日香ちゃん」
「舞奈……ちゃん……」
「ごめん、嫌だった?」
「嫌って訳じゃないんだが、何か緊張感がないというか気が抜けるというか……」
珍しくモゴモゴ言って眉にしわを寄せる。
この頃の舞奈は職業柄、大人と対等に接することが多いせいか、ちゃんずけは大人が子供にするものだという先入観を持っていた。
例外は園香くらいか。
なので高校生にちゃんずけされると、急に小さくなったみたいで妙な気分だ。
「だいたい、あたしはあんたより強いだろ」
「じゃあ、舞奈さん?」
「……呼び捨てで頼む」
言ってから、少しばかり強引だったかと思いなおす。
「いや、呼び方にこだわりがあるんなら構わないが」
だが陽介は気にするふうでもなく笑顔を向ける。
「それじゃあ、よろしく、舞奈、明日香」
「ああ。よろしくな、兄ちゃん」
「よろしくお願いします、日比野さん」
そうやって廃墟の街に似つかわしくない挨拶を交わす。
そして、3人は廃墟の奥に向かって歩き出した。
「お! 待ってました!」
カウンターの舞奈の前に、慣れた手つきで椀と皿が並べられる。
いつもと同じ熱々の担々麺を、いつもと同じ満面の笑みを浮かべてもりもり喰らう。
そんな舞奈を優しく見やり、張は再び厨房に戻る。
「明日香ちゃんは天津飯とエビチリ、アルね」
「ありがとうございます」
明日香の前にも調理が並ぶ。
「あ、取り皿も頼む」
「ちょっと、なに勝手に頼んでるのよ」
「何言ってんだ。おまえ、そんなに食えないだろ?」
小声で言い合う2人の前に、そっと小皿とレンゲが置かれる。
2人が食べる量なんて、付き合いの長い張はわかっている。
「それに今日は貰うだけじゃないぞ。代わりにサービス券をくれてやろうってんだ」
「……その半額券、まだ持ってたアルか」
「いや、商店街で配ってたぞ」
そんな舞奈を、明日香はレンゲで天津飯を掬いながらジト目で見やる。
「……何でもいいけど、いらないわよそんなもの」
「何だよ、遠慮するこたぁないだろ」
「財布に余計なもの入れたくないのよ」
「小せぇ財布だなあ」
舞奈は口をへの字に曲げる。
「その点、あたしのポケットは何でも入るぞ」
「はいはい」
無視して食事を続ける明日香の横で、舞奈はジャケットのポケットをまさぐる。
「あ、あれ……?」
「落としたアルか?」
「いや、そういう訳じゃないんだ。学校出る前に確認してから戻したはずなんだが」
「……落としたんじゃない。だから財布を使いなさいって言ってるでしょ」
明日香の非難を無視して、カウンターにポケットの中身を並べる。
丸まったハンカチ、チーかまのビニール、空薬莢、等々。
「ちょっと食事中に何やってるのよ」
明日香は露骨に顔をしかめる。
「うるさいなあ。すぐに出てくるから待ってろ」
舞奈は意地になってポケットをまさぐる。そのとき、
「ちーっす」
「おじゃましまーす」」
楽しげな声とともに、立てつけの悪い入り口のドアがガラリと開いた。
「アイヤー! 予約の皆さんアルね。よく来たアル!」
「あたしが来た時と、えらい愛想が違うじゃないか」
口をとがらせる舞奈を無視し、張は満面の笑顔で出迎える。
制服姿の少年たちが、がやがやと入ってきた。
揃えたようにもオーラがなく、不揃いでどうでもいい感じの容姿の少年たちだ。
「おおっ、舞奈ちゃんと明日香ちゃんも来てたでゴザルか」
「さっきぶりー」
先ほど路地で脂袋を持って行った諜報部の執行人たちだ。
「腕によりをかけて作るアルから、お腹いっぱい食べるアル」
「「はーい! ごちになりまーす」」
朗らかな張に楽しそうに答え、少年たちはテーブルを囲む。
「へえ、この店に客が来るなんて珍しいな」
舞奈の軽口を、張は礼儀正しく無視する。
「今日はマンティコア討伐戦の打ち上げなんだ」
代わりに肥え気味な少年が答えた。
「打ち上げって、おまえ……」
舞奈は思わず眉間にしわを寄せる。
異能力者の彼らは最初の討伐戦では作戦の中核を担ったものの、実際にマンティコアを倒した2度目の討伐戦では戦闘後に胴上げしに来ただけだ。
それが仲間内だけで打ち上げってのはどうなんだ? と思ってしまう。
「あ、そうだ。舞奈ちゃん、店の前でここの割引券を落としたかい?」
「ほら、落としたんじゃないの」
エビチリを掬いながら冷たくツッコむ明日香を睨み、少年たちを睨む。
「なんであたしが落としたって思うんだ?」
「まあ、これでも諜報部員だからね。そのくらいはわかるよ」
小太りなひとりが眼鏡もないのに眼鏡の位置を直すしぐさをして、明日香が少しむっとする。
「はい、これ」
少年は舞奈に1枚のサービス券を手渡した。
それはカウンターの上のハンカチと同じ感じにくしゃくしゃによれていた。
舞奈のポケットに入っていたのは一目瞭然だ。
「そりゃご立派な観察眼だ」
舞奈は不貞腐れながら、サービス券といっしょにカウンターに並んだゴミをポケットに押しこむ。明日香は無言で食事を続ける。
そんなやり取りを横目に、他の少年たちは、がやがやとテーブルに向かう。
「あ、そうそう、後で領収書お願いしまーす」
「わかってるアルよ」
「……高校生のうちから経費で飲み食いなんかしてると、ロクな大人にならんぞ」
「小学生のうちからツケで飲食するよりましアルよ」
今度は図星を指された舞奈は、むくれて餃子を口に放りこむ。
けれど、そんな舞奈に張は優しげな笑みを向ける。
(舞奈ちゃんにも、年上の友達がたくさんできたアルね)
そしてテーブルでオタトークを始めた少年たちを見やる。
(そういえば、あれから1年になるアルか……)
舞奈を、少年たちを見やりながら、張は遠い目をして笑う。
3年前の傷跡を、舞奈は新たな仲間との絆にりゆっくりと癒していった。
同様に、1年前に出会い、そして失った大事なものの代わりを、見つけつつあった。
――――――――――――――――――――
胸糞の悪くなるような男の依頼を受けた翌日。
舞奈と明日香は下校後、新開発区に向かった。
依頼人が気に入らなくても、仕事は仕事だ。
讃原町の外れを通り、物々しい軍関係者が闊歩する統零町の大通りを歩く。
まあ明日香は統零に、舞奈はその先に家があるのでいつもの下校ルートだ。
そして、その先の寂れた通りを抜けると検問に差し掛かる。
「舞奈ちゃんに明日香ちゃん、2人そろって仕事かい?」
馴染みのスキンヘッドの守衛が気さくに声をかけてくる。
「まあな、いつもの泥人間退治だ」
「また泥人間が出現してるのか。2人とも気をつけてね」
「おう! おっちゃんたちも見張りよろしくな」
慣れた調子で世間話などしてから、普段通りに廃墟の街に足を踏み入れる。
新開発区。
こんな廃墟の街なのに、その歴史は意外にも浅い。
事の始まりはバブル華やかりし頃だ。
当時の巣黒市は陳腐化と停滞にあえいでいた。
だから現状を打破すべく、隣にレジャータウンを作ろうという計画が持ち上がった。
周辺住民や各種団体の反対を押し切り、手付かずだった古い森を切り開いたらしい。
新しい街は巣黒市から名を借りて、出巣黒須市と名付けられた。
そして希望をこめて新開発区と呼ばれるようになった。
対して古臭い巣黒市は、旧市街地と呼ばれるようになった。
だが、ロクな計画もなしに強行された都市計画には様々な障害が立ちふさがった。
関係者の何人かが不可解な理由で消息を絶ったりもした。
そしてバブルがはじけると、開発計画も立ち消えになった。
区画整理もそこそこに乱立し、半端に入店・入居が決まったビルの数々を残して。
街として機能した期間がないせいか、本来の市名より新開発区という俗称のほうが通りがいい。たとえ今や新しくはなく、開発されることなど永久にあり得ないとしても。
もちろん、学校や中華料理屋といったまっとうな施設は旧市街地にある。
そして危険な新開発区は立ち入りが禁止されている。
まあ、舞奈の家はその新開発区にあるのだから、危険だとか言われても今さらだ。
なので普段通りに警戒しつつ、明日香と並んで廃墟を歩いていると、
「うわあっ!?」
悲鳴が聞こえた。
「人の悲鳴!?」
「あたしたちが来た方向だ!」
舞奈は声のした方向に走り出す。
2人はすぐに悲鳴の主を見つけた。
廃ビルの陰で、ボロをまとった泥人間が何かを襲っていた。
振り上げた鉄パイプはパチパチと放電している。【雷霊武器】だ。
襲われているのは、その足元でうずくまっているのは学ランの少年だ。
泥人間はその頭上に放電する得物を振り下ろそうとして――
「――させるかよ!」
舞奈は素早く拳銃を構える。
銃声。
襲撃者の腐った頭に風穴が開く。
今使っているのよりひとまわり小さい中口径弾とはいえ、並の弾丸よりは強い。
だから頭を穿たれた泥人間の身体が溶け、汚泥と化して崩れ落ちる。
鉄パイプが瓦礫の上を転がる。
「あんた! だいじょうぶか!?」
舞奈は少年に駆け寄る。
「あ、ありがとう……」
少年は震える唇から礼の言葉をしぼりだし、
「今のはいったい……?」
少しだけ冷静さを取り戻した表情で問いかけてきた。
「……ん? 泥人間。異能力を操る最下級の怪異だ」
舞奈はジャケットの内側のホルスターに拳銃を収めながら答える。
言い淀んだのは当たり前のことを聞かれ、質問の意味が一瞬わからなかったからだ。
だが少年は、舞奈の答えに納得した様子ではなさそうだ。
というか軽いショック状態で、話をあまり聞いていない。
せっかく答えてやったのにと舞奈は少しむっとする。
まあ、特に戦闘慣れした風でもない普通の少年だ。
怪異に殺されかけたら普通はそうなるだろう。
だが明日香は特に配慮もせずに問いつめる。
「こちらからも質問をよろしいでしょうか。出巣黒須市への一般人の立ち入りは禁止されているはずですが、貴方はどうしてここに?」
「それは、その、この前のお礼をしようと思って……」
詰問めいた口調に、少年はしどろもどろになりながら答える。
「この前って、どの前よ……?」
舞奈は思わず小首をかしげる。
そしてしばし悩んだ後、
「ああ! 旧市街地に屍虫が出た時の兄ちゃんか」
少年の顔を思い出した。
「元気そうで何よりだ。けどお礼言うくらいで新開発区まで来るこたないだろ? 下手したら死んでたんだぞ」
「それに、あの時、ハンカチ落としてたから返そうと思って……」
言いつつ綺麗にたたまれたハンカチを差し出す。
「誰のハンカチだ……? って、あたしのか」
舞奈はハンカチを綺麗にたたんだり、ましてやアイロンをかけたりすることはない。 だから自分のハンカチがそう言う状態だと、すぐには自分のだとわからない。
そんな舞奈を明日香はジト目で見やり、
「ちょっと、大丈夫なの?」
「心配ない。この兄ちゃんにあたしの持ち物は掏れないよ。落としたんだ」
「だから! その落としたことに対して大丈夫かって聞いてるのよ」
明日香の冷たい視線を礼儀正しく無視し、舞奈は少年に向き直る。
「通路に見張りが立ってたはずだが、止められなかったのか?」
「異能力者と勘違いしたんじゃないかしら?」
「勘違いって……。ご自慢の能力チェッカーはどうしたよ?」
「封鎖してるのは普通の兵隊なのよ? 学校の制服を着てれば素通りよ」
「ったく、雑な仕事しやがって。それじゃ見張りの意味ないだろ」
舞奈は舌打ちする。
そしてやれやれと苦笑しながら少年に向き直る。
「しゃあない。あたしたちはちょっとこの先までバイトに行くんだ。見てくかい?」
「何考えてるのよ!? 一般の人を巻きこむ気じゃないでしょうね!?」
「じゃ、この兄ちゃんひとりで旧市街地まで帰らせるのか?」
舞奈は明日香に言い募る。
「すると仕事を片づけて帰る途中で、今みたいに怪異に襲われて食い散らかされた兄ちゃんを見つけるだろうな」
「そんな決めつけなくても……」
か細く抗議する少年に、ジト目を向ける。
「すまんが事実だ。あんたひとりじゃ検問まで帰れない。泥人間が複数出たら逃げられないし、新開発区にはもっとヤバい奴だっている」
「それは……」
「そうだけど……」
明日香と一緒に、少年もうなだれて口ごもる。
兄妹想いの人の良い彼に、きつい物言いをするのに抵抗がない訳じゃない。
だが事実だ。先ほどのが毒犬だったら、悲鳴をあげる間もなく殺られていた。
だからといって彼を検問まで送って行くのも面倒だ。
「それでも気分よく金を受け取って、美味い晩飯が食えるのか?」
「……はいはい、わかったわよ」
明日香は肩をすくめると、座りこんだままの陽介を見やる。
正直なところ、舞奈は何となく彼と行動を共にしたかった。
胸糞悪い依頼人から受けた不快な依頼も、それとは正反対に純粋で善良な彼がいっしょなら少しばかり楽しくなるだろうと思った。
「なんか、ごめん……」
相手が気分を害したかもと思えば素直に詫びる。
そんな当然のことを当然にできる彼は、やはり依頼人とは真逆な人間だ。
だから依頼人に当てつけるように、舞奈は彼に笑みを向ける。
「それはいいですから、以降はわたしたちの指示に従っていただきます」
明日香は少年に手を差し出す。
「うん、わかったよ」
彼は明日香の手を借り、微妙な表情で立ち上がる。
小学生の手を借りるのが気に入らないのかもしれない。
だが、そこまで気にしてはいられない。
「僕は日比野陽介。この近くの、蔵乃巣学園の高等部に通っている」
「奇遇ですね」
少年の自己紹介に、明日香も笑みを浮かべる。
「わたしは安倍明日香。貴方と同じ蔵乃巣学園の初等部の4年生です」
「あたしは志門舞奈だ」
舞奈もニヤリと笑う。
「よろしく、舞奈ちゃん、明日香ちゃん」
「舞奈……ちゃん……」
「ごめん、嫌だった?」
「嫌って訳じゃないんだが、何か緊張感がないというか気が抜けるというか……」
珍しくモゴモゴ言って眉にしわを寄せる。
この頃の舞奈は職業柄、大人と対等に接することが多いせいか、ちゃんずけは大人が子供にするものだという先入観を持っていた。
例外は園香くらいか。
なので高校生にちゃんずけされると、急に小さくなったみたいで妙な気分だ。
「だいたい、あたしはあんたより強いだろ」
「じゃあ、舞奈さん?」
「……呼び捨てで頼む」
言ってから、少しばかり強引だったかと思いなおす。
「いや、呼び方にこだわりがあるんなら構わないが」
だが陽介は気にするふうでもなく笑顔を向ける。
「それじゃあ、よろしく、舞奈、明日香」
「ああ。よろしくな、兄ちゃん」
「よろしくお願いします、日比野さん」
そうやって廃墟の街に似つかわしくない挨拶を交わす。
そして、3人は廃墟の奥に向かって歩き出した。
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※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
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