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第9章 そこに『奴』がいた頃

依頼 ~魔道具の奪取

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「おーい、張! 来たぞー」
「おじゃまします」
 3人の天女と『太賢飯店』の店名が描かれた看板の下。
 舞奈と明日香は返事も待たず、赤いペンキが剥げかけたドアをガラリと開ける。

 諜報部の執行人エージェントたちと別れた後、2人は張の店にやってきた。
 今日の夕食は中華である。
 魔獣討伐の報奨をもらい、珍しく舞奈の懐に余裕があるからだ。

「アイヤー、2人ともよく来たアルね」
 饅頭顔に満面の笑みを浮かべて張が出迎える。
「舞奈ちゃんも大口の仕事の後はお金持ちの顔アルね。じゃんじゃん食べるアル」
 メニューを手渡す張に、

「担々麺と餃子」
「……。」
 舞奈は見もせず注文する。
 張は眉を八の字に歪めて落胆して見せる。

「仕方がないだろ。溜まってた家賃だって払わなきゃならないんだ」
 舞奈も負けじと愚痴を言う。

 隣で明日香はメニューを広げて注文を選ぶ。
 なので手持無沙汰になった舞奈はカウンターを見渡す。
 なじみの店のカウンターは、いつもと同じように自分たち以外に客はいない。
 だが、その代わりに、

「客が来ないからって、なに荷物を置きっぱなしにしてるんだよ」
 隅に紙袋が置かれていた。

「……っていうか、何だあれ?」
「ああ、それアルか」
 調理しながら張が答える。

「消臭剤アルよ」
「消臭剤だと? 張、まさか……」
 舞奈はジト目で張を見やる。
 明日香もこっそり非難の視線を向ける。

「アイヤー、それは勘違いアルよ」
 張はあわてて釈明する。

「この店は完全禁煙アル。もう例外はないアルよ」
「あるのかないのかどっちなんだよ」
 舞奈はやれやれと肩をすくめる。

(まったく、そう願いたいものだ)
 人のいないテーブル席を横目で睨みつける。
 そして、ふと思う。

 もし、あの時、喫煙を理由に張が依頼者を追い返していたら、あの痛ましい事件は起きなかったのだろうか?
 舞奈が始末していたら、奴は巻きこまれずに済んだのだろうか?
 あるいは別の要因が巡り巡って、結局は命を落としていたのだろうか?

 そんな舞奈を見やって、明日香は肩をすくめる。

 舞奈は無人のテーブル席に置かれた消臭剤を睨む。
 過去に失った沢山の大事なものの中から、あの日の情景を探し出そうとするように。

――――――――――――――――――――

 路地裏で屍虫を倒し、張から少ないながらも報酬をもらった翌日。

 舞奈はいつも通りに登校し、席でだらしなくつっぷしていた。
 小4の当時も、ホームルーム前にすることなんて小5の今と大差ない。

「マイおはよー」
「おはよう、マイちゃん」
 チャビーがツインドリルを楽しげにゆらせて挨拶する。
 園香もたわわな胸をゆらせて続く。
 2人とはこの頃も同じクラスだった。

「おはよう、ゾマ」
 舞奈もむくりと顔をあげて、今と同じあくびまじりの挨拶を返す。

 だが、ひとつだけ違うのは、チャビーの姿を見やって少し驚いたこと。

「それにチャビーも、元気そうでなによりだ!」
「うん! 今日は胸も苦しくないし、すごく元気!」
「そりゃよかった」
 元気いっぱいチャビーの返事に、思わず舞奈も笑みを浮かべる。

 当時のチャビーは心臓を患っていた。
 だから病欠したり発作を起こして早退したりしていた。
 そんな彼女が元気に登校してきたのが素直にうれしかった。

「マイちゃん、眠たかったの? 邪魔しちゃってごめんね」
 言いつつ園香は席の横を通り抜けようとする。そして、

「……ひゃんっ。もうっ、マイちゃんったら」
 不意に尻を押える。
 頬を赤らめてはいるが、まんざら嫌がっている表情ではない。

「スマン、つい寝ぼけて」
 舞奈は手をワキワキ動かしながら軽薄な笑みを浮かべてみせる。
 手癖の悪い舞奈は、この頃から女生徒の尻を触るという不埒な癖があった。

 スパコーンッ!

「うわっ!? 何しやがる!?」
「それはこっちの台詞よ。朝っぱらから何してるのよ」
 鈴の音のような声で文句を言われた。
 背後でハリセンを振り抜いていたのは明日香だった。

「安倍さんおはよー」
「おはよう、明日香ちゃん」
「2人ともおはよう」
 当時から今と変わらずクールで生真面目な友人は、睨む舞奈を尻目に園香とチャビーに挨拶する。

「そうそう、日比野さん。来てたんなら丁度いいわ。このまえ教えてもらったハリセンを折ってみたんだけど、どうだったかしら?」
 日比野さんとはチャビーのことだ。
 明日香の相手を名字で呼ぶ癖も相変わらずだ。

 けどチャビーはそんなことより友人と話ができるのが嬉しいらしい。

「うんうん! すっごくいい音してたよ!」
 無邪気に笑いかける。

「ならよかったわ」
「おまえら、人の頭で好き放題に遊びやがって……」
 後頭部をさすりながら、舞奈はブツブツと愚痴る。
 だがチャビーはそんな舞奈に構わず、

「テックちゃんが来た。おはよー」
「待ってチャビーちゃん。テックちゃんもおはよう」
 ドアから無表情に入ってきたクラスメートのところに飛んで行った。
 園香もあわてて友人を追う。

 テックもこの頃から同じクラスだ。
 無口な彼女は当時から情報収集のスペシャリストで、舞奈たちは何度も彼女の手を借りて【機関】の任務を遂行していた。

 ちなみに、みゃー子とは別のクラスだった。
 なので当時の舞奈は、授業中には当然のように徘徊して放課中には叫びながら走り回る生徒がいるなんて信じていなかった。

「2人ともおはよう。チャビー、今日は調子いいの?」
 テックも言葉少なく挨拶を返す。

「うん! すっごく元気!」
 たまにしか登校できないチャビーは、友人に挨拶するのが楽しくて仕方がない。

「病弱なんだか、元気なんだか」
 舞奈はチャビーの背中を見やってひとりごちる。
 その口元には穏やかな笑みが浮かぶ。

 そんな舞奈の後頭部を、明日香がハリセンの先端で小突く。

「……気に入ったのか? それ」
 上目づかいに友人を睨む舞奈に、明日香はニヤリと笑いかける。

「今日、授業が終わってから時間ある?」
「なんだよ?」
「張さんが話があるんですって。たぶん依頼よ」
「お、屍虫退治の翌日に次の仕事か。張の奴、羽振りがいいなあ」
 舞奈もニヤリと笑みを返す。
「張さんの羽振りのせいかは知らないけど」
 明日香は苦笑してみせる。

 今も当時も、仕事人トラブルシューターは怪異に対する数少ない対抗手段だ。
 だから、怪異や異能がらみの災厄に見舞われる程度に不運だが仕事人トラブルシューターの存在を知り得る程度に幸運な被害者から、厄介事を解決するよう望まれることもある。

「ま、仕事人トラブルシューターってのは飽きの来ない楽しい仕事だ」
 舞奈の瞳に剣呑な、そして不敵な光が宿る。
 この頃から、舞奈は学校での生活と同じくらい仕事人トラブルシューターの仕事を楽しんでいた。

 そして夕方。

「こんばんは、張さん」
「来たぞー」
「アイヤー。舞奈ちゃん、明日香ちゃん、よく来たアルね。千客万来アルよ」
 馴染みの中華料理屋で、今と変わらず太った張が出迎えた。
 信頼できる台湾人の彼は、この頃も変わらず裏仕事の仲介人だ。
 禿頭を光らせた張は饅頭のような顔に愛想笑いを浮かべ、ドジョウ髭を揺らす。

 赤を基調に中華模様や飾り紙で装飾された薄暗い店内には、普段ならばかき入れ時だというのに客はいない。だが、

「……この店は禁煙じゃなかったのか?」
 店に入った瞬間、舞奈は顔をしかめてギロリと張を睨みつける。

 焦げた糞のような臭いが店内に充満していたからだ。
 友人ほど露骨ではないが、明日香も抗議の視線を向ける。

「いや、そうアルけど……」
 張は2人にすまなさそうな顔をしてみせる。
「今回の依頼人は特別あるよ。とにかく羽振りが良いから、後で完全消臭しても余裕で元が取れるアルよ。舞奈ちゃんたちも粗相のないように頼むアルよ」
「……へいへい」
 だが舞奈はしかめっ面を隠そうともしない。
 張はそれ以上構わず、2人を席に案内した。

「お待たせしてすまないアル。こちらが仕事人トラブルシューターの舞奈ちゃんと明日香ちゃんアル」
「こんな子供がか? 本当に任せられるのかね?」
 横柄に答えたのは、仕立ての良さそうな背広を着こんだ中年男だ。

 ヤニで歪んだ醜い顔に、くわえ煙草。
 確認するまでもなく脂虫だ。
 つい先日に張の依頼で片づけた屍虫の同類だ。

 人に似て人ではない脂虫を、この場で射殺することは容易い。
 仕事人トラブルシューターによるそれは、殺害ではなく排除とみなされる。
 脂虫の身分は諜報部が穏便かつ無慈悲に剥奪し、事故死として処理する。

 だが、当時の【機関】は業務外の突発的な脂虫の排除に今ほど寛容ではなかった。

 それに今の彼は張の依頼人だ。
 どうせ張は大金に目がくらんだのだろうが、だからといってこちらから手を出すわけにもいかないだろう。

 だから舞奈は男をギロリと睨む。
 男も何食わぬ顔で舞奈を見返す。

「これは失礼。煙草の臭いは嫌いかね?」
 口先だけで詫びつつ、これ見よがしに煙草をふかす。
 脂ぎった手首で不格好な腕時計が光る。ゴテゴテ装飾された品のない玩具だ。

 脂虫の例に漏れず、彼も人間を苛立たせる異能力の使い手のように振舞っていた。

 だから舞奈は男を睨みつけながら、しかめっ面のまま向かいに座る。
 その横に、冷ややかな表情の明日香が座る。

「要件は何だ?」
 子供にため口を叩かれるとは思っていなかったのだろう、男の顔が怒りに歪む。
 だが舞奈の鋭い一瞥に怯み、冷静さを取り戻す。

「先日、出巣黒須《ですくろす》市に隕石が落ちたのは知ってるだろう? それを手に入れてほしい」
 テーブルには張が腕を振るった数々の料理が並んでいる。
 普段ならば依頼の話もそこそこに舌鼓をうつところだ。

 だが舞奈たちも、男も、手をつける素振りすら見せない。
 舞奈は糞を嗅ぎながら飯を食う趣味はないからだ。
 男は料理の味などわからず、料理人の心遣いなど気にも留めないからだろう。

「そんな恰好して、あんたは学者か何かか?」
「隕石に興味を持つのは学者でなければならないなどという法律はないだろう?」
 男は目前の小学生を見下すように、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
 舞奈は無言で先をうながす。

「夜空を流れる、あの赤い石に、わたしは魅せられてしまったのだよ。あの石が、わたしに宇宙の神秘をもたらしてくれるであろうとな」
「そりゃよかった」
 自分語りを一蹴する。そして、

「けど隣町くらい、子どもにお使いを頼まずに自分で行きゃいいだろ?」
 男のヤニで歪んだ口元を見やり、ニヤニヤと笑みを浮かべてみせる。

「綺麗な百合でも眺めながらな」
「ちょっと、舞奈ちゃん!」
 張の制止に舌打ちする。

「怒らせたのなら謝罪しよう。私も少し大人げなかったようだ」
 男は舞奈を見やり、小皿の縁で煙草をねじ消す。

「新開発区には怪異と呼ばれる超常の怪物が闊歩していると聞いている。道端に咲くただの百合すら超常の力をもって人を害するとな」
 そう言って舞奈を睨む。
 舞奈は涼しい顔で見返す。

 新開発区に蠢く怪異は、泥人間や毒犬のようなわかりやすい化け物だけではない。
 無害な虫でしかない錆喰い虫や、むしろ有益な花の形をしたものもいる。

 怪異の百合は泥人間と同様に一輪にひとつの異能力を持つ。
 そのうちのひとつ【断罪発破ボンバーマン】は脂虫を爆発させる。
 つまり男にとって、今の舞奈の言葉は自殺を勧められたに等しい。

「どうやら嫌われてしまったようだな」
 言葉だけは慇懃に、だが威圧するように舞奈を見やる。

 金と権力で他者を屈服させる術を心得た、不快だが無視することもできない視線。
 小学生が相手でも、彼はそのやり方を変えるつもりはないらしい。

 だが舞奈は動じず、何食わぬ顔で男を見返す。

 明日香は冷ややかに成り行きを見守る。

「だが私は君たちの戦闘能力を見こんで仲介人に十分な金を払っている。つまりビジネスだ。気に入らなくても、君たちは私の依頼を完遂する責任がある。違うかね?」
 残念ながら、この見解そのものは舞奈も同じだ。
 上辺だけの正論で他人に何かを強いるやり方も、この手の輩の常套手段だ。

 舞奈は無言で先をうながす。
 男は肩をすくめて、

「仲介人の彼が調べたところ、石は泥人間と呼ばれる怪異の手に渡ったようだ。それを奪取してもらいたい」
「石と怪異の場所は?」
「それなら調査済みアルよ。こちらアルね」
 明日香の問いに、愛想笑いを浮かべた張が答える。
 一触即発の険悪な空気の中、ある意味いい面の皮である。

 そんな彼はいそいそと資料を取り出し、明日香に手渡す。
 明日香は冷たい無表情で、舞奈は仕方なしといった感じで資料に目を落とす。

 その間に、男はまたしても料理の乗った小皿の端で煙草をもみ消す。
 この店には灰皿がないからだ。
 料理に手をつけていない舞奈だが、それを見やって嫌そうに舌打ちする。
 男は何食わぬ顔で舞奈を見返す。

 それでも張は2人に状況を説明し、2人も一応は依頼を引き受ける運びになった。

「もう一度言うが、私は彼に十分すぎる報酬を支払った。君たちには――」
「――何度も言われなくたって、報酬分の仕事はするよ」
「なら結構。それでは失礼する」
 男は新しい煙草に火をつけると、横柄な態度を崩さぬまま店を出ていった。

「……糞ったれ、百合に爆発させられちまえ」
 舞奈は忌々しげにひとりごちる。

「料理、作り直すアルよ」
「……いんや、また今度にするよ」
 そして張の言葉に不愉快そうに答え、席を立った。
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