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第8章 魔獣襲来
追憶 ~ピクシオンvs魔獣
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「先日に調査チームが遭遇した魔獣についてだが」
重々しい口調で、フィクサーが言った。
「その後の解析により、マンティコアであると判明した」
ここは打ち放しコンクリートの物々しい会議室。
古びた会議机には、執行人の少年たちがついている。
魔獣討伐のためのミーティング中である。
「委員長が聞いたら白目剥くような名前だな」
「……ギリシャやヨーロッパに伝わる怪物の名前よ。卑猥な意味なんかないわ」
会議室のぐらぐらする椅子に腰かけて、舞奈の軽口に明日香がつっこむ。
舞奈たちは、表向きには今回の作戦とは無関係だ。
だが舞奈たちの協力を完全にサプライズにして連携を欠くのも間抜けだとの判断で、いちおう作戦会議には参加することになった。
なので、今は部屋の後ろに並んだ椅子に座って会議を見物している。
側では【メメント・モリ】の2人も座っている。
側の壁にかけられたモニターには、巨大な魔獣の姿が映っている。
黒い翼を持つ、巨大な獣。
先日に舞奈たちを強襲した巨大な魔獣だ。
撮影したのは仕掛けられていたカメラである。
この映像を最後に、カメラは沈黙した。
「巣黒市近辺での魔獣との戦闘は3年前にケルベロスが出現して以来となる。討伐部隊の正規メンバーに魔獣との交戦経験のあるものはいないはずだ」
フィクサーの言葉に、その場にいる誰もがうなずく。
「だが魔獣は諸君らの知識にある通り、巨大かつ非常に強力な怪異だ。気を引き締めて任務に当たってほしい」
明日香と姉妹もうなずく。
彼らはこれから、それを倒さなければならない。
「中でも、マンティコアはその巨体と獣の身体能力に加え、【重力武器】の上位に当たる【重力術士】の大能力を所持している」
「ということは、あの翼は重力操作による疑似器官ですか」
「そうなのだ。高等魔術【重力浮遊】に相当する飛行能力の媒体なのだ」
明日香の発言に、能力の解析に関わったのであろうニュットが答える。
(ったく、これだから技術屋は)
舞奈は内心で毒づく。
大能力が内包する個々の能力を指し示す際には、西洋魔術の集大成である高等魔術に例えられる。呼び名がないと不便だからだ。
だが無知な舞奈からすると、無駄に用語を増やされてるようにしか思えない。
そんな舞奈を、隣に座った優秀な明日香は礼儀正しく無視した。
「加えて尾の先端から【尖弾の雨】相当の斥力場の弾丸を投射するのだ」
ニュットは続ける。
「威力は50口径ライフル弾に相当、それを放射状に100発ほど同時発射する」
「……どんなデタラメなショットガンだよそりゃ」
今度は声に出して毒づく。
自分たちは先日、その大能力ショットガンの猛攻を凌いだばかりだ。
「この攻撃に対して斥力場による防護は効果が薄い。力場同士が干渉し合って相殺されてしまうのだよ」
その言葉に、明日香は神妙にうなずく。
斥力場で弱い攻撃を凌ぐ【力盾】は明日香の主要な防御手段だ。
「防御面においても【力場の護殻】相当の斥力場障壁を張り巡らせているのだ。なので通常の攻撃魔法や物理攻撃は効果が薄い」
その台詞に舞奈は顔をしかめる。
「だが、これはあちしが【斥力刃】で強制的に解除できるのだ」
(そいつは何の術だ?)
「これは【力場の斬刃】と同等の効果を持つ攻撃魔法なのだよ」
(魔術用語を魔術用語で説明されてもわからん)
舞奈は口をへの字に曲げる。
ニュットは気にせず言葉を続ける。
「そして不幸中の幸いというべきか、マンティコアは新開発区内の特定地域をテリトリーと定め、侵入者にのみ攻撃を行うのだ」
「間違いないのだな?」
「うむ。あれからドローンを何機か使って確かめたのだよ」
フィクサーの問いにニュットが答える。
「その結果、奴のテリトリーはこの範囲だとわかったのだ」
ニュットは手元のパネルを操作してモニターを切り替える。
新開発区の地図だ。
相変わらず目印も何もないが、テリトリーと思しき円が描き足されている。
「以上の事柄を踏まえた上で、今回の作戦では魔道士の防御魔法で攻撃を無力化した後に、補助魔法により飛行能力を奪い、異能力者の近接攻撃により排除する」
「……ちょっと、よろしいですか」
楓が形式だけだけは丁重に、だが険のある口調で言った。
「わたしには戦力の出し惜しみをしているように思えるのですが?」
マンティコアの戦力は強大だ。
そんな相手に対し、異能力者たちが無謀な突撃を強いられていると思っているのだ。
たとえ眼鏡をかけても、仕事人《トラブルシューター》になっても、弟を死に追いやった【機関】への不信がすぐに消え去ることはない。そんな彼女に、
「その意見を否定することはできない」
フィクサーは普段と変わらぬ冷徹な視線を向ける。
「魔獣による実質的な被害がでていない現状では、執行部の人員による大規模な討伐部隊を編成できない。これは上層部の意向であるため覆すことはできない」
責任転嫁ともとれる物言いのフィクサーを、楓は睨む。
舞奈はやれやれと口を開く。
「それなら攻撃魔法を――いや大魔法を叩きこんだほうが手っ取り早くないか?」
「その通りです。そもそも、3年前にあらわれたという魔獣は貴女の言うやりかたで倒したのですか? 犠牲を払うことなく?」
勢いづく楓に対し、答えたのはニュットだった。
「あの時は少しばかり状況が特殊だったのだよ」
魔獣の出現という状況そのものの特殊性には触れぬまま、言葉を続ける。
「ケルベロスを排除したのは【機関】に属していない戦闘集団なのだ。奴らは非常に強力で、上層部の意向などお構いなしに独自の判断で動いていたのだ」
その言葉に、楓と紅葉は目を見開く。
少し前までは2人も同じ立場だった。
ただ違うのは、彼女らが【機関】から非常に強力だとの評価を得られるほどの存在にはなり得なかったことだ。
そんな2人に悟られぬよう、ニュットは遠慮がちに舞奈を見やる。
何かの許しを得ようとするように。
舞奈は何食わぬ顔でうなずく。
「奴らはケルベロスを拘束し、魔術で衛星軌道上に質量物を転移させ、落下させることによる運動エネルギーをぶつけて排除したのだ」
その言葉に、その場にいた全員が息を飲んだ。
「さらに着弾の直前に戦術結界を張り巡らせ、周囲への被害を防いだのだ」
「そんなことが……」
可能なのですか、と誰かが言った。
少年たちは魔道士が起し得る奇跡の強大さに、少女たちは魔道士の水準ですら規格外の所業に、言葉を失った。
例外は発言したニュット本人と、当時から【機関】にいたフィクサー。
そして舞奈だ。
ピクシオンは凄まじい技量を誇る魔術師と妖術師を擁し、3人ともが強力な魔法のドレスを着こんだ魔法少女であった。
その常軌を逸する強さは、いわば戦艦の火力を持つ兵士であった。
対して、この場に集まった魔道士たちは戦車に匹敵する歩兵だ。
それだけでも十分に人間のレベルを超えているのだが、戦車で戦艦は沈められない。
魔獣に対して、彼女たちは致命打にはなり得ない。
異能力者たちは普通に歩兵だ。
否、得物が剣や槍なのだから、戦力的には犬とかそのくらいだ。
だから鉱夫が巨大な岩を掘削するように、貧弱だが魔力をまとった得物を大勢で何度も叩きつけ、ダメージを蓄積させるのだ。
攻撃魔法による攻撃ではなく、近接攻撃による工事。
それが今回の作戦の意図だ。
無論、能力者だけでなく、魔道士の負担もかなりのものだ。
空飛ぶ戦艦に等しい魔獣を地上に引きずり降ろし、その鋼鉄のような巨体を鉱夫たちが削り切るまで攻撃を防がなければならないのだ。
だが、それ以外に手段がない。
その事実を察したのか、楓も矛を収めた。
よくよく考えれば、そのほうが舞奈にとっても好都合だ。
あの近辺には舞奈の探している子猫が潜んでいるはずだ。
あまり派手な攻撃魔法を使わないほうがいいだろう。
「他に質問は?」
それ以上の不満の声があがらないのを確認し、
「では今回のブリーフィングを終了する」
フィクサーは会議を終わらせた。
少年たちは思い思いに席を立ち、退室する。
そんな中、舞奈はフィクサーを呼び止めた。
「ちょっと聞きそびれたことがあったんだが」
「何かね?」
フィクサーは片づけの手を止め、向き直る。
「こんだけ事が大きくなってるのに、あんたの所のSランクは出番なしか?」
何食わぬ口調で言った。
「というか、この支部にSランクなんて本当にいるのか?」
「――舞奈ちんに存在を危ぶまれるくらいなら、目論見は成功しているのだよ」
横からニュットが口を挟んできた。
舞奈は無言で先をうながす。
「戦闘技術だけで最強と認められた舞奈ちんとは違って、彼女は強力な魔術と呪術を併用することでSランクと見なされている。恐れられているのだよ」
だから目立たないようにしている、ということなのだろう。
だが舞奈は首をかしげる。
「諜報部の奴らなら、話せばわかるんじゃないのか?」
「問題なのは彼らではなく、上層部なのだ」
ニュットは糸目を細めて苦笑する。
「あの政治屋どもには、彼女の存在=核攻撃にしか考えられないのだよ。だから何かと制限をつけたがるし、今回の作戦にも参加が認められなかったのだ」
「核攻撃、か」
「威力だけを考えるならマンティコアといえど数発で排除できるのだ。なので今回の作戦が失敗した場合、最終手段として任務が下るはずなのだ」
「そいつは心強いよ」
そう言って、舞奈はやれやれと肩をすくめた。
その後、舞奈はてきとうに時間を潰し、貰った食券で夕飯を食べて帰宅した。
少し遅い時間になったが、幸運にも怪異と出くわすことはなかった。
そして日課の健康体操をこなして、風呂に入って寝た。
――そして、その夜。舞奈は夢を見た。
ピクシオンだった頃の夢だ。
「ハハハ、楽しませてくれる」
赤いドレスに身を包んだピクシオン・フェザーが笑う。
そんな彼女に、廃ビルを砕きながら巨大な獣が襲いかかる。
ケルベロスだ。
エンペラーはピクシオンを葬るべく、幹部に魔獣の鎖を与えた。
3つの首の、6つの眼がフェザーを捉える。
少女の全身より大きな顎を広げ、刃のような牙を剥きだしにして迫る。
だがフェザーは笑う。
和杖で牙をいなして跳び退る。
続けざまに迫る左の顎を右に跳んで避ける。
魔獣の牙がビル壁を砕く。
「手も足も出ないかピクシオン!」
ケルベロスの中央の頭の上で、戦斧を持った幹部が叫ぶ。
「これが誉れ高きエンペラー様から授かった魔獣ケルベロスの――」
不意に幹部の左肩が消し飛び、大柄な身体が宙を舞う。
側にある廃ビルの屋上で何かがきらめく。
幼いピクシオン・シューターが、ケルベロスを操る幹部を狙撃したのだ。
「た……たすけ……て……」
幹部はケルベロスの右の顎に咥えられ、うめく。
「……くだらん」
フェザーは幹部を冷ややかに見やる。
彼は完全に3つ首の魔獣を支配していたわけではないらしい。
巨大な顎が幹部をかみ砕く。
そして魔獣は鎖から解き放たれ、暴走した。
「くそっ! あいつをやっつけても止まらない!」
ビルの上で、フェザー譲りの悪態をつきつつシューターが叫ぶ。
「なに、予定通りだ。このまま計画通りに奴を殺る」
口元に獰猛な笑みを浮かべて答えつつ、フェザーは素早く符を撒き散らす。
咒を唱えると符は【不動火車法】の火雨と化して降り注ぐ。
フェザーは更に和杖を構えて【帝釈天法】の稲妻を叩きつける。
だが火雨と稲妻をまともにくらってすら、ケルベロスは無傷。
お返しとばかりに左右の首から長くのびる炎を噴く。
交差状に噴かれた炎を、フェザーは跳んで避ける。
そのまま廃ビルの屋上に跳び乗る。
「そちらの進捗はどうだ!?」
「いま計算がおわったところだ!」
戦場から少し離れた廃ビルの屋上で、シューターが叫び返す。
その側で、グッドマイトが瞳を開いた。
ケルベロスは魔法少女の攻撃魔法すら効果がない。
そんな魔獣に対し、ピクシオンたちは超高高度からの質量攻撃を計画した。
フェザーがケルベロスの注意を引き、その隙にグッドマイトが魔術を使い、自身の専用武器である魔法の盾を衛星軌道上に転移し、落下させる算段だ。
ピクシオンのドレスと同じ魔法で作られた魔法の盾は破壊されることはない。
そしてエイリアニストは角度を利用して人や物を転移させることができる。
そのために必要な転移先の座標と角度、ベクトルを、超高度な狂気を利用した洞察によって算出することができる。
計算を終えたグッドマイトは魔法の盾を瓦礫の隙間に押し入れる。
角度を使った転移術によって、盾は廃墟の街の廃ビルの屋上から消える。
そして衛星軌道上のデブリのひとつからあらわれた。
不可侵の盾はグッドマイトの計算通り、重力に引かれて落ちる。
「完了よ。10分後に落下するわ」
「了解した」
フェザーは魔獣の牙を縦横無尽にかわしつつ、印を組み咒を唱える。
戦術結界を召喚する【地蔵結界法】である。
計算では、衛星軌道上から落下した盾は着地と同時に戦略規模の大爆発と化す。
そして新開発区を更地にし、影響は隣町にまで及ぶ。
その大破壊をケルベロスの周囲のみに抑え、爆発のエネルギーを効率よく叩きつけるため、着弾の寸前に戦術結界を張り巡らせなければならない。
真言に呼応するように、赤いドレスの端が光のもやになって消えていく。
護摩を焚く代わりにドレスを還元して魔力としているのだ。
それは巨大な魔獣を前に、魔法少女の防御性能を捨てる自殺行為である。
だが迫りくる炎を、牙を、フェザーは口元に笑みすら浮かべて避ける。
戦術結界の展開が早すぎれば、結界は逆にケルベロスを守る盾となる。
もちろん、遅すぎれば魔獣を含めたすべてが破壊に飲みこまれて消える。
だがフェザーは卓越した戦闘センスによって、それを成そうとしていた。
ケルベロスの右の頭を銃弾が穿つ。
魔獣は猛撃を中断し、威嚇の咆哮をあげながら射手を探す。
だがそこには誰もいない。
フェザーは笑う。
シューターの狙撃による援護だ。
その直後に、グッドマイトがシューターを連れて転移した。
「撃ちまくってシューター。でもたまに狙って撃って」
「うん、わかった!」
廃ビルの屋上にグッドマイトとともに転移したシューターは、自身の背丈の5割増しほどもあるライフルを手にして答える。
ケルベロスの表皮は魔法の2丁拳銃を変化させたカービン銃では貫けない。
なのでシューターは対物ライフルを使い、グッドマイトが魔力をこめた狂気と混沌の弾丸を放っていた。
二脚を使って手慣れた動作で銃を構え、スコープを覗いて撃つ。
フェザーに当たらぬよう撃つ。
幼く未熟なシューターは、だが当時から卓越した射撃センスを持っていた。
次弾を装填するうちに、グッドマイトがシューターを抱きかかえて転移する。
怯んだ魔物のやぶれかぶれな攻撃を、フェザーは苦も無くかわす。
そうするうちに、空に何かがまたたいた。
魔法の盾が上空まで落ちてきたのだ。
「今よ! フェザー!」
グッドマイトはフェザーを補佐するべく魔術を使う。
ケルベロスの全身を無数の水の槍が縫い止め、淀んだ風が縛める。
シューターの狙撃が3つ首の魔獣の目のひとつを穿つ。
穿たれ、動きを封じられたケルベロスは、天に向かって3つの首で咆哮する。
その隙に、フェザーは驚異的な脚力で跳び退りつつ咒を締めくくった。
巨大な魔獣を囲むように、超巨大な円筒形のヴェールが形成される。
戦術結界を外側から見ると、黒みがかった半透明の遮蔽に見える。
その中に、何かが空気摩擦で輝きながら落下する。
衛星軌道上から落下してきた魔法の盾だ。
同時に円筒形の上部が塞がり、半透明のドームを形成する。
「シューター! 伏せて!」
グッドマイトはシューターを廃ビルの陰に押し倒す。
その側に、ドレスを失い変身が解除されたフェザーが転がりこむ。
そして結界の中に魔法の盾が落下し、大爆発を引き起こした。
半透明のドームの内側がまばゆい光に包まれる。
その威力の大半が結界に阻まれて減衰している。
それでも溢れる光がまぶたを焼き、爆風が瓦礫を巻き上げる。
その恐ろしい数秒を、幼いシューターはグッドマイトのぬくもりをよりどころにして耐えた。
やがて光は止み、結界も解除された。
フェザーは一挙動で跳ね起き、グッドマイトはシューターとともに立ち上がる。
そして3人で、数分前までケルベロスがいた場所を見やった。
結界に閉じこめられた爆心地は瓦礫もビルの跡もない、更地になっていた。
圧倒的な破壊の渦に、すべて消し飛んでいた。
もちろんケルベロスの姿はなかった。
代わりに、魔獣を構成する魔力の拠り所になった1匹の犬が横たわっていた。
それが、強大な力を持つ魔獣を、それすら上回る圧倒的な力でねじ伏せた戦闘の結末だった。
それが、舞奈たちがこれから戦う相手との戦闘の、唯一の事例だった。
重々しい口調で、フィクサーが言った。
「その後の解析により、マンティコアであると判明した」
ここは打ち放しコンクリートの物々しい会議室。
古びた会議机には、執行人の少年たちがついている。
魔獣討伐のためのミーティング中である。
「委員長が聞いたら白目剥くような名前だな」
「……ギリシャやヨーロッパに伝わる怪物の名前よ。卑猥な意味なんかないわ」
会議室のぐらぐらする椅子に腰かけて、舞奈の軽口に明日香がつっこむ。
舞奈たちは、表向きには今回の作戦とは無関係だ。
だが舞奈たちの協力を完全にサプライズにして連携を欠くのも間抜けだとの判断で、いちおう作戦会議には参加することになった。
なので、今は部屋の後ろに並んだ椅子に座って会議を見物している。
側では【メメント・モリ】の2人も座っている。
側の壁にかけられたモニターには、巨大な魔獣の姿が映っている。
黒い翼を持つ、巨大な獣。
先日に舞奈たちを強襲した巨大な魔獣だ。
撮影したのは仕掛けられていたカメラである。
この映像を最後に、カメラは沈黙した。
「巣黒市近辺での魔獣との戦闘は3年前にケルベロスが出現して以来となる。討伐部隊の正規メンバーに魔獣との交戦経験のあるものはいないはずだ」
フィクサーの言葉に、その場にいる誰もがうなずく。
「だが魔獣は諸君らの知識にある通り、巨大かつ非常に強力な怪異だ。気を引き締めて任務に当たってほしい」
明日香と姉妹もうなずく。
彼らはこれから、それを倒さなければならない。
「中でも、マンティコアはその巨体と獣の身体能力に加え、【重力武器】の上位に当たる【重力術士】の大能力を所持している」
「ということは、あの翼は重力操作による疑似器官ですか」
「そうなのだ。高等魔術【重力浮遊】に相当する飛行能力の媒体なのだ」
明日香の発言に、能力の解析に関わったのであろうニュットが答える。
(ったく、これだから技術屋は)
舞奈は内心で毒づく。
大能力が内包する個々の能力を指し示す際には、西洋魔術の集大成である高等魔術に例えられる。呼び名がないと不便だからだ。
だが無知な舞奈からすると、無駄に用語を増やされてるようにしか思えない。
そんな舞奈を、隣に座った優秀な明日香は礼儀正しく無視した。
「加えて尾の先端から【尖弾の雨】相当の斥力場の弾丸を投射するのだ」
ニュットは続ける。
「威力は50口径ライフル弾に相当、それを放射状に100発ほど同時発射する」
「……どんなデタラメなショットガンだよそりゃ」
今度は声に出して毒づく。
自分たちは先日、その大能力ショットガンの猛攻を凌いだばかりだ。
「この攻撃に対して斥力場による防護は効果が薄い。力場同士が干渉し合って相殺されてしまうのだよ」
その言葉に、明日香は神妙にうなずく。
斥力場で弱い攻撃を凌ぐ【力盾】は明日香の主要な防御手段だ。
「防御面においても【力場の護殻】相当の斥力場障壁を張り巡らせているのだ。なので通常の攻撃魔法や物理攻撃は効果が薄い」
その台詞に舞奈は顔をしかめる。
「だが、これはあちしが【斥力刃】で強制的に解除できるのだ」
(そいつは何の術だ?)
「これは【力場の斬刃】と同等の効果を持つ攻撃魔法なのだよ」
(魔術用語を魔術用語で説明されてもわからん)
舞奈は口をへの字に曲げる。
ニュットは気にせず言葉を続ける。
「そして不幸中の幸いというべきか、マンティコアは新開発区内の特定地域をテリトリーと定め、侵入者にのみ攻撃を行うのだ」
「間違いないのだな?」
「うむ。あれからドローンを何機か使って確かめたのだよ」
フィクサーの問いにニュットが答える。
「その結果、奴のテリトリーはこの範囲だとわかったのだ」
ニュットは手元のパネルを操作してモニターを切り替える。
新開発区の地図だ。
相変わらず目印も何もないが、テリトリーと思しき円が描き足されている。
「以上の事柄を踏まえた上で、今回の作戦では魔道士の防御魔法で攻撃を無力化した後に、補助魔法により飛行能力を奪い、異能力者の近接攻撃により排除する」
「……ちょっと、よろしいですか」
楓が形式だけだけは丁重に、だが険のある口調で言った。
「わたしには戦力の出し惜しみをしているように思えるのですが?」
マンティコアの戦力は強大だ。
そんな相手に対し、異能力者たちが無謀な突撃を強いられていると思っているのだ。
たとえ眼鏡をかけても、仕事人《トラブルシューター》になっても、弟を死に追いやった【機関】への不信がすぐに消え去ることはない。そんな彼女に、
「その意見を否定することはできない」
フィクサーは普段と変わらぬ冷徹な視線を向ける。
「魔獣による実質的な被害がでていない現状では、執行部の人員による大規模な討伐部隊を編成できない。これは上層部の意向であるため覆すことはできない」
責任転嫁ともとれる物言いのフィクサーを、楓は睨む。
舞奈はやれやれと口を開く。
「それなら攻撃魔法を――いや大魔法を叩きこんだほうが手っ取り早くないか?」
「その通りです。そもそも、3年前にあらわれたという魔獣は貴女の言うやりかたで倒したのですか? 犠牲を払うことなく?」
勢いづく楓に対し、答えたのはニュットだった。
「あの時は少しばかり状況が特殊だったのだよ」
魔獣の出現という状況そのものの特殊性には触れぬまま、言葉を続ける。
「ケルベロスを排除したのは【機関】に属していない戦闘集団なのだ。奴らは非常に強力で、上層部の意向などお構いなしに独自の判断で動いていたのだ」
その言葉に、楓と紅葉は目を見開く。
少し前までは2人も同じ立場だった。
ただ違うのは、彼女らが【機関】から非常に強力だとの評価を得られるほどの存在にはなり得なかったことだ。
そんな2人に悟られぬよう、ニュットは遠慮がちに舞奈を見やる。
何かの許しを得ようとするように。
舞奈は何食わぬ顔でうなずく。
「奴らはケルベロスを拘束し、魔術で衛星軌道上に質量物を転移させ、落下させることによる運動エネルギーをぶつけて排除したのだ」
その言葉に、その場にいた全員が息を飲んだ。
「さらに着弾の直前に戦術結界を張り巡らせ、周囲への被害を防いだのだ」
「そんなことが……」
可能なのですか、と誰かが言った。
少年たちは魔道士が起し得る奇跡の強大さに、少女たちは魔道士の水準ですら規格外の所業に、言葉を失った。
例外は発言したニュット本人と、当時から【機関】にいたフィクサー。
そして舞奈だ。
ピクシオンは凄まじい技量を誇る魔術師と妖術師を擁し、3人ともが強力な魔法のドレスを着こんだ魔法少女であった。
その常軌を逸する強さは、いわば戦艦の火力を持つ兵士であった。
対して、この場に集まった魔道士たちは戦車に匹敵する歩兵だ。
それだけでも十分に人間のレベルを超えているのだが、戦車で戦艦は沈められない。
魔獣に対して、彼女たちは致命打にはなり得ない。
異能力者たちは普通に歩兵だ。
否、得物が剣や槍なのだから、戦力的には犬とかそのくらいだ。
だから鉱夫が巨大な岩を掘削するように、貧弱だが魔力をまとった得物を大勢で何度も叩きつけ、ダメージを蓄積させるのだ。
攻撃魔法による攻撃ではなく、近接攻撃による工事。
それが今回の作戦の意図だ。
無論、能力者だけでなく、魔道士の負担もかなりのものだ。
空飛ぶ戦艦に等しい魔獣を地上に引きずり降ろし、その鋼鉄のような巨体を鉱夫たちが削り切るまで攻撃を防がなければならないのだ。
だが、それ以外に手段がない。
その事実を察したのか、楓も矛を収めた。
よくよく考えれば、そのほうが舞奈にとっても好都合だ。
あの近辺には舞奈の探している子猫が潜んでいるはずだ。
あまり派手な攻撃魔法を使わないほうがいいだろう。
「他に質問は?」
それ以上の不満の声があがらないのを確認し、
「では今回のブリーフィングを終了する」
フィクサーは会議を終わらせた。
少年たちは思い思いに席を立ち、退室する。
そんな中、舞奈はフィクサーを呼び止めた。
「ちょっと聞きそびれたことがあったんだが」
「何かね?」
フィクサーは片づけの手を止め、向き直る。
「こんだけ事が大きくなってるのに、あんたの所のSランクは出番なしか?」
何食わぬ口調で言った。
「というか、この支部にSランクなんて本当にいるのか?」
「――舞奈ちんに存在を危ぶまれるくらいなら、目論見は成功しているのだよ」
横からニュットが口を挟んできた。
舞奈は無言で先をうながす。
「戦闘技術だけで最強と認められた舞奈ちんとは違って、彼女は強力な魔術と呪術を併用することでSランクと見なされている。恐れられているのだよ」
だから目立たないようにしている、ということなのだろう。
だが舞奈は首をかしげる。
「諜報部の奴らなら、話せばわかるんじゃないのか?」
「問題なのは彼らではなく、上層部なのだ」
ニュットは糸目を細めて苦笑する。
「あの政治屋どもには、彼女の存在=核攻撃にしか考えられないのだよ。だから何かと制限をつけたがるし、今回の作戦にも参加が認められなかったのだ」
「核攻撃、か」
「威力だけを考えるならマンティコアといえど数発で排除できるのだ。なので今回の作戦が失敗した場合、最終手段として任務が下るはずなのだ」
「そいつは心強いよ」
そう言って、舞奈はやれやれと肩をすくめた。
その後、舞奈はてきとうに時間を潰し、貰った食券で夕飯を食べて帰宅した。
少し遅い時間になったが、幸運にも怪異と出くわすことはなかった。
そして日課の健康体操をこなして、風呂に入って寝た。
――そして、その夜。舞奈は夢を見た。
ピクシオンだった頃の夢だ。
「ハハハ、楽しませてくれる」
赤いドレスに身を包んだピクシオン・フェザーが笑う。
そんな彼女に、廃ビルを砕きながら巨大な獣が襲いかかる。
ケルベロスだ。
エンペラーはピクシオンを葬るべく、幹部に魔獣の鎖を与えた。
3つの首の、6つの眼がフェザーを捉える。
少女の全身より大きな顎を広げ、刃のような牙を剥きだしにして迫る。
だがフェザーは笑う。
和杖で牙をいなして跳び退る。
続けざまに迫る左の顎を右に跳んで避ける。
魔獣の牙がビル壁を砕く。
「手も足も出ないかピクシオン!」
ケルベロスの中央の頭の上で、戦斧を持った幹部が叫ぶ。
「これが誉れ高きエンペラー様から授かった魔獣ケルベロスの――」
不意に幹部の左肩が消し飛び、大柄な身体が宙を舞う。
側にある廃ビルの屋上で何かがきらめく。
幼いピクシオン・シューターが、ケルベロスを操る幹部を狙撃したのだ。
「た……たすけ……て……」
幹部はケルベロスの右の顎に咥えられ、うめく。
「……くだらん」
フェザーは幹部を冷ややかに見やる。
彼は完全に3つ首の魔獣を支配していたわけではないらしい。
巨大な顎が幹部をかみ砕く。
そして魔獣は鎖から解き放たれ、暴走した。
「くそっ! あいつをやっつけても止まらない!」
ビルの上で、フェザー譲りの悪態をつきつつシューターが叫ぶ。
「なに、予定通りだ。このまま計画通りに奴を殺る」
口元に獰猛な笑みを浮かべて答えつつ、フェザーは素早く符を撒き散らす。
咒を唱えると符は【不動火車法】の火雨と化して降り注ぐ。
フェザーは更に和杖を構えて【帝釈天法】の稲妻を叩きつける。
だが火雨と稲妻をまともにくらってすら、ケルベロスは無傷。
お返しとばかりに左右の首から長くのびる炎を噴く。
交差状に噴かれた炎を、フェザーは跳んで避ける。
そのまま廃ビルの屋上に跳び乗る。
「そちらの進捗はどうだ!?」
「いま計算がおわったところだ!」
戦場から少し離れた廃ビルの屋上で、シューターが叫び返す。
その側で、グッドマイトが瞳を開いた。
ケルベロスは魔法少女の攻撃魔法すら効果がない。
そんな魔獣に対し、ピクシオンたちは超高高度からの質量攻撃を計画した。
フェザーがケルベロスの注意を引き、その隙にグッドマイトが魔術を使い、自身の専用武器である魔法の盾を衛星軌道上に転移し、落下させる算段だ。
ピクシオンのドレスと同じ魔法で作られた魔法の盾は破壊されることはない。
そしてエイリアニストは角度を利用して人や物を転移させることができる。
そのために必要な転移先の座標と角度、ベクトルを、超高度な狂気を利用した洞察によって算出することができる。
計算を終えたグッドマイトは魔法の盾を瓦礫の隙間に押し入れる。
角度を使った転移術によって、盾は廃墟の街の廃ビルの屋上から消える。
そして衛星軌道上のデブリのひとつからあらわれた。
不可侵の盾はグッドマイトの計算通り、重力に引かれて落ちる。
「完了よ。10分後に落下するわ」
「了解した」
フェザーは魔獣の牙を縦横無尽にかわしつつ、印を組み咒を唱える。
戦術結界を召喚する【地蔵結界法】である。
計算では、衛星軌道上から落下した盾は着地と同時に戦略規模の大爆発と化す。
そして新開発区を更地にし、影響は隣町にまで及ぶ。
その大破壊をケルベロスの周囲のみに抑え、爆発のエネルギーを効率よく叩きつけるため、着弾の寸前に戦術結界を張り巡らせなければならない。
真言に呼応するように、赤いドレスの端が光のもやになって消えていく。
護摩を焚く代わりにドレスを還元して魔力としているのだ。
それは巨大な魔獣を前に、魔法少女の防御性能を捨てる自殺行為である。
だが迫りくる炎を、牙を、フェザーは口元に笑みすら浮かべて避ける。
戦術結界の展開が早すぎれば、結界は逆にケルベロスを守る盾となる。
もちろん、遅すぎれば魔獣を含めたすべてが破壊に飲みこまれて消える。
だがフェザーは卓越した戦闘センスによって、それを成そうとしていた。
ケルベロスの右の頭を銃弾が穿つ。
魔獣は猛撃を中断し、威嚇の咆哮をあげながら射手を探す。
だがそこには誰もいない。
フェザーは笑う。
シューターの狙撃による援護だ。
その直後に、グッドマイトがシューターを連れて転移した。
「撃ちまくってシューター。でもたまに狙って撃って」
「うん、わかった!」
廃ビルの屋上にグッドマイトとともに転移したシューターは、自身の背丈の5割増しほどもあるライフルを手にして答える。
ケルベロスの表皮は魔法の2丁拳銃を変化させたカービン銃では貫けない。
なのでシューターは対物ライフルを使い、グッドマイトが魔力をこめた狂気と混沌の弾丸を放っていた。
二脚を使って手慣れた動作で銃を構え、スコープを覗いて撃つ。
フェザーに当たらぬよう撃つ。
幼く未熟なシューターは、だが当時から卓越した射撃センスを持っていた。
次弾を装填するうちに、グッドマイトがシューターを抱きかかえて転移する。
怯んだ魔物のやぶれかぶれな攻撃を、フェザーは苦も無くかわす。
そうするうちに、空に何かがまたたいた。
魔法の盾が上空まで落ちてきたのだ。
「今よ! フェザー!」
グッドマイトはフェザーを補佐するべく魔術を使う。
ケルベロスの全身を無数の水の槍が縫い止め、淀んだ風が縛める。
シューターの狙撃が3つ首の魔獣の目のひとつを穿つ。
穿たれ、動きを封じられたケルベロスは、天に向かって3つの首で咆哮する。
その隙に、フェザーは驚異的な脚力で跳び退りつつ咒を締めくくった。
巨大な魔獣を囲むように、超巨大な円筒形のヴェールが形成される。
戦術結界を外側から見ると、黒みがかった半透明の遮蔽に見える。
その中に、何かが空気摩擦で輝きながら落下する。
衛星軌道上から落下してきた魔法の盾だ。
同時に円筒形の上部が塞がり、半透明のドームを形成する。
「シューター! 伏せて!」
グッドマイトはシューターを廃ビルの陰に押し倒す。
その側に、ドレスを失い変身が解除されたフェザーが転がりこむ。
そして結界の中に魔法の盾が落下し、大爆発を引き起こした。
半透明のドームの内側がまばゆい光に包まれる。
その威力の大半が結界に阻まれて減衰している。
それでも溢れる光がまぶたを焼き、爆風が瓦礫を巻き上げる。
その恐ろしい数秒を、幼いシューターはグッドマイトのぬくもりをよりどころにして耐えた。
やがて光は止み、結界も解除された。
フェザーは一挙動で跳ね起き、グッドマイトはシューターとともに立ち上がる。
そして3人で、数分前までケルベロスがいた場所を見やった。
結界に閉じこめられた爆心地は瓦礫もビルの跡もない、更地になっていた。
圧倒的な破壊の渦に、すべて消し飛んでいた。
もちろんケルベロスの姿はなかった。
代わりに、魔獣を構成する魔力の拠り所になった1匹の犬が横たわっていた。
それが、強大な力を持つ魔獣を、それすら上回る圧倒的な力でねじ伏せた戦闘の結末だった。
それが、舞奈たちがこれから戦う相手との戦闘の、唯一の事例だった。
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