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第7章 メメント・モリ
戦闘2-1 ~戦闘魔術vsウアブ魔術
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満天の星が見下ろす古びた夜の街。
その一角で、明日香は真言を唱える。
奉ずる仏は魔力を統べる荼枳尼天。
右手には印。
頭には黒いつば付き三角帽子。
肩には髑髏の留め金が輝く戦闘クローク。
そして左手には大頭。
手にした大頭が魔力の輝きを放つ。
明日香が修めた戦闘魔術は大戦中に開発された魔術であり、3種の術を操る。
作りだした魔力を熱や電気に転化する【エネルギーの生成】。
魔力を物品に焼きつける【物品と機械装置の操作と魔力付与】。
魔力で空間と因果律を歪めることによる【式神の召喚】。
そんな魔術を操る戦闘魔術師は、次いで地蔵菩薩の真言を紡ぐ。
空間操作による結界創造を司る仏を奉ずる咒の締めを、「施設」とくくる。
途端、大頭は爆ぜるように激しく輝く。
そして魔力そのものへと還元して崩れ去る。
同時に、世界は変容した。
古びた街から色彩が消える。
アスファルトの地面が、平屋の家屋が、電柱が、信号機が、機械と臓物が混ざり合った金属質のオブジェへと変化する。
通りを這い回るパイプや蛇腹の合間で何かが脈打つ。
要所にはクロークの留め金を思わせる金属質な髑髏が浮かび上がる。
戦闘魔術において、戦術結界を生成する魔術は【拠点】と呼ばれる。
大量の魔力を焼きつけた大頭を魔力へと還元し、その強大な魔力によって空間を歪める【式神の召喚】の応用である。
異界と化した街に人影はない。
目前には、機械と臓物で形作られた金属質の路地だけが続く。だが、
「お初にお目にかかります。桂木楓さんですね?」
明日香は虚空に向かって語りかける。
すると呼びかけに応じ、路地に人影があらわれた。
光学迷彩の特徴である空気からにじみ出るような出現ではない。
ぶれた像が集まるようにあらわれる。
桂木紅葉が用いたウアブ呪術は魔神から魔力を借りて術と成す。
対してウアブ魔術は自ら魔力を生み出して3種の術を使う。
生みだした魔力を水や岩石、光に転化する【エレメントの創造】。
魔力で時空を歪ませて式神の身体を生成する【高度な生命操作】。
そして、時空を歪ませて強力な魔法的存在を生みだす【魔神の創造】。
エレメントを変成ではなく創造するウアブ魔術師は、透明化するために光を操るのではなく周囲の風景を投影する。魔術によるテレビモニターのようなものだ。
加えて【高度な生命操作】技術により対象の意識に介入し、術者を認識できなくさせることもできる。こちらは、いわば魔術的なジャミングだ。
即ち【消失のヴェール】。
その術が解かれたことで、楓を認識することができるようになったのだ。
(軽んじていい相手ではないようね)
明日香の瞳が細められる。
魔力によるジャミングは、見る側の魔力が圧倒していれば魔法消去の技術を応用して見破ることができる。
だが明日香は楓の隠形を破れなかった。
事前の情報によりそこにいることを知っていたから、呼び止めることができた。
あらわれたのは、ウェーブがかかった長い髪をした少女だ。
上品で整った美しい顔立ちをしている。
だが高嶺の花というには柔らかく親しみやすい雰囲気で、男女を問わずモテるタイプなのだろう。今のように険しい表情をしていなければ。
そんな彼女は高等部指定のセーラー服を着こみ、胸には古代エジプトのアンク。
「小学生? なぜ……あなたのような子供がここに? それにここは一体……?」
楓は明日香を見やって動揺する。
実際、彼女にとっては未知のものなのだろう。
高度な技術による隠形の最中に声をかけられることも。
街を変容させた戦術結界も。
そして相手が幼い少女であるという事実も。
だが彼女はすぐに気づいたらしい。
目の前の少女が結界で自分を閉じこめた相手であることに。
「貴女も魔術師《ウィザード》なのですか?」
楓は問う。
「我々は【組合】のルールには反していないはずです」
「【組合】は今回の件を黙認していますよ。……あのご老体たちがその気になったのなら、もっと致命的な手段を使います」
明日香は答え、口元に笑みを浮かべる。
メメント・モリの正体は姉と妹の2人組だ。
その妹の紅葉は感情のままに動いていた。
それに対し、楓は魔術に関わる組織の存在を把握した上で、それと折り合いをつける形で一連の事件を引き起こしていた。
いわば、彼女こそがメメント・モリ事件の主犯だ。
「わたしは【機関】の仕事人として、貴女を止めに来ました」
「【機関】ですか? あの組織に誰かを止める力はないはずです」
楓の目が細められる。
「……でなければ、瑞葉が犠牲になるはずがなかった」
その言葉に潜む侮蔑に、明日香は気づいた。
紅葉は弟の死を嘆き、怒っていた。
だが楓は弟の死によって、弟が属していた【機関】の実力を推し量った。
怪異の手から市民を守るに値しない、不甲斐ない組織だと。
だから真なる正義を世に知らしめるために、自身の存在を誇示した。
その判断のすべてが間違っているとは、明日香も思わない。
あの巨大すぎる組織は、融通の利かなさのために多くのものを失ってきた。
だが【機関】よりなお不慣れな彼女らもまた、彼女が目指す正義にはなれない。
だから明日香は、戦闘クロークの内側から小型拳銃を取り出して構える。
無論、楓も退くつもりなどない。
「邪魔はさせません。……彼女を倒しなさい!」
号令と共に、道路の両端に何かが出現する。
それは異形の存在だった。
釣鐘状の身体に2本の足が生え、身体には1対の目と眉毛だけが描かれている。
それが左右に2体づつ。
「……メジェド神。魔神を創造できる域にまで達していますか」
明日香の口から感嘆が漏れる。
楓が魔術の修練に費やすことのできた期間は1年に満たない。
それは明日香が戦闘魔術を修めるのに要した時間より少ない。
にも拘らず、彼女はウアブ魔術の中でも難易度の高い【魔神の創造】の、その中でも実態を持った魔神を創り出す召喚魔法を行使した。
美術部に属していたという彼女の創造性が、魔力の礎となるイメージの確立にプラスに働いているのだろうか?
魔神とは【魔神の創造】によって創造する強力な式神だ。
多くは魔力を引き出すために利用される。
デミウルゴスのような魔王も、魔神の一種だ。
その中でも、メジェド神は簡易的に作成される小さな魔神だ。
諸惑星から呪術師に魔力を供給する魔神たちほどの力は持たず、その存在も不可侵ではない。明日香の式神と同程度の存在だ。
だが、それ故に術者を魔術的にサポートしつつ戦闘行動を行うこともできる。
そんな4柱のメジェド神の双眸が光る。
レーザー光線を照射する【力ある光の矢】の魔術。
陽光と熱核を統べるラー神とホルス神を習合したラー・ホルアクティのイメージを凝縮させ、【エレメントの創造】技術により収束して光線と化す。
だが明日香は脳裏に大自在天の咒をイメージする。
そして「防御」と締める。
慣れた術者は詠唱なしで少量の魔力を生み、簡易な術を行使できる。
明日香の両側にメジェドと同じ数の氷塊が出現し、光線を受け止める。
浮遊する氷の盾を作りだす【氷盾】の魔術。
それを強化された戦闘クロークの魔力を借りて、瞬時に4つ作りだしたのだ。
明日香は矢継ぎ早に帝釈天の咒を唱える。
その手元がパチパチと放電する。
氷の盾で減衰したレーザー光線を、真言と強固なイメージによって強化された電磁バリアで完全に防ぐ算段だ。
だがレーザーの出力が思いのほか弱かったらしい。
氷盾が周囲の水分を取りこんで修復する速度の方が上回る。
なので集めた魔力を活用すべく空いた左の手をかざし、「情報」と唱える。
掌から稲妻が放たれ、左前方のメジェドを穿つ。
続けて後方のメジェドめがけて突き進む。
誘導する雷弾を放つ【鎖雷】の魔術だ。
雷光は次々に飛び火し、最後のメジェドを穿つと同時に、最初の1柱は塵に戻って消える。
「ああっ!? メジェドが!?」
楓は驚愕する。
明日香は笑う。
魔神といえど、簡易的に作られた存在なら攻撃魔法で破壊できる。
それでも流石は魔神。
焼き砕かれて塵に還ったのは2柱のみ。
1柱は釣鐘状の本体を焼かれ、1柱は顔面を削られたが辛うじて破壊を免れた。
あらわれた時と同じように、いくつかの像にぶれて消える。
戦闘能力を失ったので、術者へのサポートに専念するためだ。
楓は焦りながらも呪句を唱え、虚空に手をやる。
術者の手元に準備された武器を運ぶ【魔術の倉庫】によって、アスファルトの地面を割いて楓の得物があらわれる。
それは杖だった。先端にはジャッカルの頭部を模した装飾。
ジャッカルは、オシリス神と並んで死と再生を司るアヌビス神のシンボルだ。
そして二股にわかれた石突。
古代エジプトのウアス杖である。
明日香は再び帝釈天の咒を紡ぎ、「魔弾」と締める。
突きつけた掌から巨大な稲妻が放たれ、楓を飲みこむ。
即ち【雷弾・弐式】。
戦闘魔術の術の中でも最も初歩的で強力な雷撃術。
だが次の瞬間、ウアブ魔術師の身体は小さなドーム状の水の膜に覆われていた。
呪文もなく行使された【水の盾】。
創り出した水を盾にして術者を守る魔術だ。
アーティストが創造した水のドームは流れるように雷撃をいなし、勢いをそぐ。
ウアブ魔術が得意とする【エレメントの創造】は、呪術のそれとは異なり水や岩石を無から生み出す。だから水の防御魔法を使うのに水源は必要ない。
だが元美術部員の楓にとって魔術がアートなら、民間警備会社を実家に持つ明日香にとっての魔術は火砲だ。
明日香は「帝釈天よ」と唱え、稲妻にこもる魔力を鼓舞する。
勢いを増した稲妻はドームを穿つ。
破れた水のドームは魔力に還って消える。
だが同時に、楓の次なる呪文も完成していた。
かざした掌の先に岩塊があらわれ、雷撃を受け止める。
ゲブ神のイメージを凝縮して岩石を創り、盾と化す【石の盾】。
楓はさらに呪文を紡ぐ。
奉ずる神は再びゲブ神。
「これなら……!!」
盾をかざした楓の周囲に巨大な岩の塊が出現する。
即ち【石の巨槌】。
創造した岩塊をハンマーのように投擲する攻撃魔法。それが3連。
3つの巨岩が明日香めがけて飛来する。
「……無駄!」
明日香は【氷盾】の氷塊を操り、4枚を重ねて3つの岩塊をブロックする。
1枚の氷盾が岩塊をひとつ受け止め、逆に砕いて塵へと還す。
だが2つめの岩を止めると同時に砕けて消える。
最後の岩を2枚目の盾が止める。
3枚になった氷盾を再び展開しつつ、明日香は不動明王をイメージする。
そして魔術語。
明日香の目前に燃えさかる火の玉があらわれ、楓めがけて飛ぶ。
即ち【火球・弐式】。
楓は岩盾で防ぐ。
火球は盾に着弾すると同時に爆発し、岩石の塊をバラバラに破壊する。
渾身の防御魔法を無理やりに破られた楓の身体が吹き飛ばされる。
明日香は拳銃を構え、だが追撃はしない。
無詠唱で防御魔法を使える相手に小口径弾は効果がない。
隙があればいつでも撃てるという威圧感だけが銃の意義だ。
拳銃で牽制しながら、だが訝しむ。
予想より出力の低い【力ある光の矢】。
次いで用いた【石の巨槌】【石の盾】【水の盾】も、同等の術に比べて脆い。
強力な攻撃魔法や防御魔法こそが魔術師の特徴であるにも関わらず。
術を学んで日が浅いものの、楓は未熟ではない。
明日香を欺き通した【消失のヴェール】、小なりとはいえ魔神であるメジェド神を創り出した召喚魔法の腕前は本物だ。
だが攻撃魔法や防御魔法は平均以下。
アーティストである故に、習熟にもムラがあるのだろうか?
――否。楓の魔術は、生命と魔術/呪術を司るイシス神、死と再生を司るオシリス神の術に傾倒している。
(そういうこと……)
明日香は気づいた。
彼女が魔術を修めたきっかけは、弟の死だ。
瑞葉少年の謎めいた失踪について調べるうちに知ったのだ。
怪異と異能力、魔術と呪術、そして弟が脂虫との戦闘で殉職していた事実。
それらを一度に。
その結果、それまで平和な日常の中に居場所を持っていた彼女が、真っ先に魔術を用いた復讐を考えついたとは思えない。
なにより国内にはオカルトの資料は数限りなくある。
しがらみのない状態から術を学ぼうとすれば、現存するほぼすべての魔術、妖術あるいは呪術から目的に合わせた流派を選択できる。
力を求めるなら別の流派を選ぶだろう。
小夜子のようなナワリ呪術は殺した脂虫を贄にして更なる力を得られる。
技術担当官が修めたルーン魔術ならば、戦闘魔術と同様に破壊的なエネルギーを操ることができる。芸術的なセンスを活かすならケルト魔術も選択肢だ。
そんな中でのウアブの特徴は【高度な生命操作】。
生命力を鼓舞し、式神に似た擬似器官で欠損を補填し、擬似生命すら創造する。
おそらく彼女は、その魔術で弟を蘇らせたかったのだろう。
三種の神器を使って想い人と再会しようとした三剣悟のように。
だから生命を統べるイシス神と、再生を司るオシリスについて深く学んだ。
その2柱の術を極めるべくイメージを鍛えた。
だが知識は時に残酷だ。
学問として未分化である故に秘術への希望を抱く余地のある古神道とは違う。
生命の操作を最大の特徴とするウアブを、その中でもイシスとオシリスの魔術について学べば、理解せざるを得ない。
死者を蘇らせる手段などないと。
魔術をもってしても不可能なのだから、その望みを叶える手段は存在しないと。
だから彼女は、得た力を使って2つ目の望みを果たすしかなかった。
それは弟を殺した脂虫どもを、この世界から消し去ることだ。
脂虫の本性を知りながらその存在を黙認している【機関】に邪魔されずに。
『memento mori』
死を想えと言う、慟哭のようなメッセージを添えて。
「――邪魔はさせません」
明日香の前で、楓は亡霊のように立ち上がる。
「瑞葉を失い、【機関】に欺かれ、日常を捨てて――わたしたちには、もう、これ以外の道などないのだから」
整った美しい顔に、額から流れる血が線を引く。
だが、それすら気にならぬ様子で、楓は明日香を真正面から見つめる。
「我が最強の魔術で、貴女を倒して進みます」
そう言って、胸元のアンクをわしづかみにする。
楓の背後に、先ほど姿を消した半壊したメジェド神が2柱、加えて温存していたらしい4柱が出現する。
そして楓は呪文を唱える。
奉ずる神はイシス。生命と魔術/呪術を司る女神。
6柱のメジェドが塵と化して魔力に還元し、手にしたアンクに集まる。
魔神を分解した圧倒的な魔力の渦が楓の身体を包みこむ。
「まさか、その術は――!?」
その一角で、明日香は真言を唱える。
奉ずる仏は魔力を統べる荼枳尼天。
右手には印。
頭には黒いつば付き三角帽子。
肩には髑髏の留め金が輝く戦闘クローク。
そして左手には大頭。
手にした大頭が魔力の輝きを放つ。
明日香が修めた戦闘魔術は大戦中に開発された魔術であり、3種の術を操る。
作りだした魔力を熱や電気に転化する【エネルギーの生成】。
魔力を物品に焼きつける【物品と機械装置の操作と魔力付与】。
魔力で空間と因果律を歪めることによる【式神の召喚】。
そんな魔術を操る戦闘魔術師は、次いで地蔵菩薩の真言を紡ぐ。
空間操作による結界創造を司る仏を奉ずる咒の締めを、「施設」とくくる。
途端、大頭は爆ぜるように激しく輝く。
そして魔力そのものへと還元して崩れ去る。
同時に、世界は変容した。
古びた街から色彩が消える。
アスファルトの地面が、平屋の家屋が、電柱が、信号機が、機械と臓物が混ざり合った金属質のオブジェへと変化する。
通りを這い回るパイプや蛇腹の合間で何かが脈打つ。
要所にはクロークの留め金を思わせる金属質な髑髏が浮かび上がる。
戦闘魔術において、戦術結界を生成する魔術は【拠点】と呼ばれる。
大量の魔力を焼きつけた大頭を魔力へと還元し、その強大な魔力によって空間を歪める【式神の召喚】の応用である。
異界と化した街に人影はない。
目前には、機械と臓物で形作られた金属質の路地だけが続く。だが、
「お初にお目にかかります。桂木楓さんですね?」
明日香は虚空に向かって語りかける。
すると呼びかけに応じ、路地に人影があらわれた。
光学迷彩の特徴である空気からにじみ出るような出現ではない。
ぶれた像が集まるようにあらわれる。
桂木紅葉が用いたウアブ呪術は魔神から魔力を借りて術と成す。
対してウアブ魔術は自ら魔力を生み出して3種の術を使う。
生みだした魔力を水や岩石、光に転化する【エレメントの創造】。
魔力で時空を歪ませて式神の身体を生成する【高度な生命操作】。
そして、時空を歪ませて強力な魔法的存在を生みだす【魔神の創造】。
エレメントを変成ではなく創造するウアブ魔術師は、透明化するために光を操るのではなく周囲の風景を投影する。魔術によるテレビモニターのようなものだ。
加えて【高度な生命操作】技術により対象の意識に介入し、術者を認識できなくさせることもできる。こちらは、いわば魔術的なジャミングだ。
即ち【消失のヴェール】。
その術が解かれたことで、楓を認識することができるようになったのだ。
(軽んじていい相手ではないようね)
明日香の瞳が細められる。
魔力によるジャミングは、見る側の魔力が圧倒していれば魔法消去の技術を応用して見破ることができる。
だが明日香は楓の隠形を破れなかった。
事前の情報によりそこにいることを知っていたから、呼び止めることができた。
あらわれたのは、ウェーブがかかった長い髪をした少女だ。
上品で整った美しい顔立ちをしている。
だが高嶺の花というには柔らかく親しみやすい雰囲気で、男女を問わずモテるタイプなのだろう。今のように険しい表情をしていなければ。
そんな彼女は高等部指定のセーラー服を着こみ、胸には古代エジプトのアンク。
「小学生? なぜ……あなたのような子供がここに? それにここは一体……?」
楓は明日香を見やって動揺する。
実際、彼女にとっては未知のものなのだろう。
高度な技術による隠形の最中に声をかけられることも。
街を変容させた戦術結界も。
そして相手が幼い少女であるという事実も。
だが彼女はすぐに気づいたらしい。
目の前の少女が結界で自分を閉じこめた相手であることに。
「貴女も魔術師《ウィザード》なのですか?」
楓は問う。
「我々は【組合】のルールには反していないはずです」
「【組合】は今回の件を黙認していますよ。……あのご老体たちがその気になったのなら、もっと致命的な手段を使います」
明日香は答え、口元に笑みを浮かべる。
メメント・モリの正体は姉と妹の2人組だ。
その妹の紅葉は感情のままに動いていた。
それに対し、楓は魔術に関わる組織の存在を把握した上で、それと折り合いをつける形で一連の事件を引き起こしていた。
いわば、彼女こそがメメント・モリ事件の主犯だ。
「わたしは【機関】の仕事人として、貴女を止めに来ました」
「【機関】ですか? あの組織に誰かを止める力はないはずです」
楓の目が細められる。
「……でなければ、瑞葉が犠牲になるはずがなかった」
その言葉に潜む侮蔑に、明日香は気づいた。
紅葉は弟の死を嘆き、怒っていた。
だが楓は弟の死によって、弟が属していた【機関】の実力を推し量った。
怪異の手から市民を守るに値しない、不甲斐ない組織だと。
だから真なる正義を世に知らしめるために、自身の存在を誇示した。
その判断のすべてが間違っているとは、明日香も思わない。
あの巨大すぎる組織は、融通の利かなさのために多くのものを失ってきた。
だが【機関】よりなお不慣れな彼女らもまた、彼女が目指す正義にはなれない。
だから明日香は、戦闘クロークの内側から小型拳銃を取り出して構える。
無論、楓も退くつもりなどない。
「邪魔はさせません。……彼女を倒しなさい!」
号令と共に、道路の両端に何かが出現する。
それは異形の存在だった。
釣鐘状の身体に2本の足が生え、身体には1対の目と眉毛だけが描かれている。
それが左右に2体づつ。
「……メジェド神。魔神を創造できる域にまで達していますか」
明日香の口から感嘆が漏れる。
楓が魔術の修練に費やすことのできた期間は1年に満たない。
それは明日香が戦闘魔術を修めるのに要した時間より少ない。
にも拘らず、彼女はウアブ魔術の中でも難易度の高い【魔神の創造】の、その中でも実態を持った魔神を創り出す召喚魔法を行使した。
美術部に属していたという彼女の創造性が、魔力の礎となるイメージの確立にプラスに働いているのだろうか?
魔神とは【魔神の創造】によって創造する強力な式神だ。
多くは魔力を引き出すために利用される。
デミウルゴスのような魔王も、魔神の一種だ。
その中でも、メジェド神は簡易的に作成される小さな魔神だ。
諸惑星から呪術師に魔力を供給する魔神たちほどの力は持たず、その存在も不可侵ではない。明日香の式神と同程度の存在だ。
だが、それ故に術者を魔術的にサポートしつつ戦闘行動を行うこともできる。
そんな4柱のメジェド神の双眸が光る。
レーザー光線を照射する【力ある光の矢】の魔術。
陽光と熱核を統べるラー神とホルス神を習合したラー・ホルアクティのイメージを凝縮させ、【エレメントの創造】技術により収束して光線と化す。
だが明日香は脳裏に大自在天の咒をイメージする。
そして「防御」と締める。
慣れた術者は詠唱なしで少量の魔力を生み、簡易な術を行使できる。
明日香の両側にメジェドと同じ数の氷塊が出現し、光線を受け止める。
浮遊する氷の盾を作りだす【氷盾】の魔術。
それを強化された戦闘クロークの魔力を借りて、瞬時に4つ作りだしたのだ。
明日香は矢継ぎ早に帝釈天の咒を唱える。
その手元がパチパチと放電する。
氷の盾で減衰したレーザー光線を、真言と強固なイメージによって強化された電磁バリアで完全に防ぐ算段だ。
だがレーザーの出力が思いのほか弱かったらしい。
氷盾が周囲の水分を取りこんで修復する速度の方が上回る。
なので集めた魔力を活用すべく空いた左の手をかざし、「情報」と唱える。
掌から稲妻が放たれ、左前方のメジェドを穿つ。
続けて後方のメジェドめがけて突き進む。
誘導する雷弾を放つ【鎖雷】の魔術だ。
雷光は次々に飛び火し、最後のメジェドを穿つと同時に、最初の1柱は塵に戻って消える。
「ああっ!? メジェドが!?」
楓は驚愕する。
明日香は笑う。
魔神といえど、簡易的に作られた存在なら攻撃魔法で破壊できる。
それでも流石は魔神。
焼き砕かれて塵に還ったのは2柱のみ。
1柱は釣鐘状の本体を焼かれ、1柱は顔面を削られたが辛うじて破壊を免れた。
あらわれた時と同じように、いくつかの像にぶれて消える。
戦闘能力を失ったので、術者へのサポートに専念するためだ。
楓は焦りながらも呪句を唱え、虚空に手をやる。
術者の手元に準備された武器を運ぶ【魔術の倉庫】によって、アスファルトの地面を割いて楓の得物があらわれる。
それは杖だった。先端にはジャッカルの頭部を模した装飾。
ジャッカルは、オシリス神と並んで死と再生を司るアヌビス神のシンボルだ。
そして二股にわかれた石突。
古代エジプトのウアス杖である。
明日香は再び帝釈天の咒を紡ぎ、「魔弾」と締める。
突きつけた掌から巨大な稲妻が放たれ、楓を飲みこむ。
即ち【雷弾・弐式】。
戦闘魔術の術の中でも最も初歩的で強力な雷撃術。
だが次の瞬間、ウアブ魔術師の身体は小さなドーム状の水の膜に覆われていた。
呪文もなく行使された【水の盾】。
創り出した水を盾にして術者を守る魔術だ。
アーティストが創造した水のドームは流れるように雷撃をいなし、勢いをそぐ。
ウアブ魔術が得意とする【エレメントの創造】は、呪術のそれとは異なり水や岩石を無から生み出す。だから水の防御魔法を使うのに水源は必要ない。
だが元美術部員の楓にとって魔術がアートなら、民間警備会社を実家に持つ明日香にとっての魔術は火砲だ。
明日香は「帝釈天よ」と唱え、稲妻にこもる魔力を鼓舞する。
勢いを増した稲妻はドームを穿つ。
破れた水のドームは魔力に還って消える。
だが同時に、楓の次なる呪文も完成していた。
かざした掌の先に岩塊があらわれ、雷撃を受け止める。
ゲブ神のイメージを凝縮して岩石を創り、盾と化す【石の盾】。
楓はさらに呪文を紡ぐ。
奉ずる神は再びゲブ神。
「これなら……!!」
盾をかざした楓の周囲に巨大な岩の塊が出現する。
即ち【石の巨槌】。
創造した岩塊をハンマーのように投擲する攻撃魔法。それが3連。
3つの巨岩が明日香めがけて飛来する。
「……無駄!」
明日香は【氷盾】の氷塊を操り、4枚を重ねて3つの岩塊をブロックする。
1枚の氷盾が岩塊をひとつ受け止め、逆に砕いて塵へと還す。
だが2つめの岩を止めると同時に砕けて消える。
最後の岩を2枚目の盾が止める。
3枚になった氷盾を再び展開しつつ、明日香は不動明王をイメージする。
そして魔術語。
明日香の目前に燃えさかる火の玉があらわれ、楓めがけて飛ぶ。
即ち【火球・弐式】。
楓は岩盾で防ぐ。
火球は盾に着弾すると同時に爆発し、岩石の塊をバラバラに破壊する。
渾身の防御魔法を無理やりに破られた楓の身体が吹き飛ばされる。
明日香は拳銃を構え、だが追撃はしない。
無詠唱で防御魔法を使える相手に小口径弾は効果がない。
隙があればいつでも撃てるという威圧感だけが銃の意義だ。
拳銃で牽制しながら、だが訝しむ。
予想より出力の低い【力ある光の矢】。
次いで用いた【石の巨槌】【石の盾】【水の盾】も、同等の術に比べて脆い。
強力な攻撃魔法や防御魔法こそが魔術師の特徴であるにも関わらず。
術を学んで日が浅いものの、楓は未熟ではない。
明日香を欺き通した【消失のヴェール】、小なりとはいえ魔神であるメジェド神を創り出した召喚魔法の腕前は本物だ。
だが攻撃魔法や防御魔法は平均以下。
アーティストである故に、習熟にもムラがあるのだろうか?
――否。楓の魔術は、生命と魔術/呪術を司るイシス神、死と再生を司るオシリス神の術に傾倒している。
(そういうこと……)
明日香は気づいた。
彼女が魔術を修めたきっかけは、弟の死だ。
瑞葉少年の謎めいた失踪について調べるうちに知ったのだ。
怪異と異能力、魔術と呪術、そして弟が脂虫との戦闘で殉職していた事実。
それらを一度に。
その結果、それまで平和な日常の中に居場所を持っていた彼女が、真っ先に魔術を用いた復讐を考えついたとは思えない。
なにより国内にはオカルトの資料は数限りなくある。
しがらみのない状態から術を学ぼうとすれば、現存するほぼすべての魔術、妖術あるいは呪術から目的に合わせた流派を選択できる。
力を求めるなら別の流派を選ぶだろう。
小夜子のようなナワリ呪術は殺した脂虫を贄にして更なる力を得られる。
技術担当官が修めたルーン魔術ならば、戦闘魔術と同様に破壊的なエネルギーを操ることができる。芸術的なセンスを活かすならケルト魔術も選択肢だ。
そんな中でのウアブの特徴は【高度な生命操作】。
生命力を鼓舞し、式神に似た擬似器官で欠損を補填し、擬似生命すら創造する。
おそらく彼女は、その魔術で弟を蘇らせたかったのだろう。
三種の神器を使って想い人と再会しようとした三剣悟のように。
だから生命を統べるイシス神と、再生を司るオシリスについて深く学んだ。
その2柱の術を極めるべくイメージを鍛えた。
だが知識は時に残酷だ。
学問として未分化である故に秘術への希望を抱く余地のある古神道とは違う。
生命の操作を最大の特徴とするウアブを、その中でもイシスとオシリスの魔術について学べば、理解せざるを得ない。
死者を蘇らせる手段などないと。
魔術をもってしても不可能なのだから、その望みを叶える手段は存在しないと。
だから彼女は、得た力を使って2つ目の望みを果たすしかなかった。
それは弟を殺した脂虫どもを、この世界から消し去ることだ。
脂虫の本性を知りながらその存在を黙認している【機関】に邪魔されずに。
『memento mori』
死を想えと言う、慟哭のようなメッセージを添えて。
「――邪魔はさせません」
明日香の前で、楓は亡霊のように立ち上がる。
「瑞葉を失い、【機関】に欺かれ、日常を捨てて――わたしたちには、もう、これ以外の道などないのだから」
整った美しい顔に、額から流れる血が線を引く。
だが、それすら気にならぬ様子で、楓は明日香を真正面から見つめる。
「我が最強の魔術で、貴女を倒して進みます」
そう言って、胸元のアンクをわしづかみにする。
楓の背後に、先ほど姿を消した半壊したメジェド神が2柱、加えて温存していたらしい4柱が出現する。
そして楓は呪文を唱える。
奉ずる神はイシス。生命と魔術/呪術を司る女神。
6柱のメジェドが塵と化して魔力に還元し、手にしたアンクに集まる。
魔神を分解した圧倒的な魔力の渦が楓の身体を包みこむ。
「まさか、その術は――!?」
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