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第7章 メメント・モリ

真相

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 メメント・モリを追跡劇の末に逃した日の翌日。

「ったく桜の奴、人を気安くボディーガードに使いやがって」
 伊或いある町の古びた通りを、舞奈はぶつぶつ愚痴りながら歩いていた。
 朝っぱらから電話で呼び出されたのだ。

 桜の家に向かう途中、以前にも通った曰くありげな店の前を通りがかる。
 2階が住居になった店舗兼住宅らしい。
 ベランダには汚物のような色をした洗濯物が干してある。
 その下の薄汚い看板には、肥料や農薬を扱う園芸用品店と書かれている。
 看板の下に小さく書かれた胡散臭い補足や但し書きの、さらに下には張り紙。
 小さく張られた張り紙には『元気の出る水素水』の文字。
 舞奈は思わず訝しむ。

 そのとき、ふと漂ってきた異臭に周囲を見渡す。

 店舗の前に、歩道を半ば占領するように駐められた社用車。
 その陰で、豚が煙草をふかしていた。
 見たのは2度目だが、相変わらず臭くて醜い。
 嫌そうに見ていると、男も舞奈を睨みつけた。
 それでも気にしないように通り過ぎようとした、その時、

「ナァー」
 野良猫が車のボンネットに飛び乗った。
 猫は店を見やり、男を見やって不快げにひと鳴きする。
 舞奈はそんな臭い場所によく乗れるなと苦笑する。だが、

「テメェ! 何しやがる!!」
 男は叫び、いきなり猫を殴りつけた。
 猫は避けきれず、アスファルトの道路に叩きつけられる。

「そっちこそ何しやがる!」
 舞奈は猫に駆け寄り抱きあげる。
 どこかを痛めたのだろうか、猫は苦しげにひと鳴きする。

「文句があるのか!? その馬鹿猫が、俺の車に乗ったのが悪いんだろうが!?」
 男は逆切れして怒声をあげる。典型的な脂虫の反応だ。

「俺の! 俺の車を! 俺の大事な車を汚ねぇ足で汚しやがったんだぞ!!」
「そんなに大事なら金庫の中にでも仕舞っとけよ」
「なんだと! なんだ……なんだと! ガキのクセに!!」
 激高し、煙草を手にしたまま舞奈につかみかかろうする。
 大人の力なら女子小学生を組み伏せるのも容易いと思ったか。

 頭のイカれた脂虫など舞奈の前では雑魚だ。
 だが流石の舞奈も、私用で脂虫を殺せば始末書だ。
 面倒だなと思った目の前で、男は口から火を吹いて倒れた。

「……あ?」
「君! こっちだ!」
 手を引かれ、わけもわからず走る。
 そしてしばらくして立ち止まった。

「だいじょうぶだったかい?」
「ああ、命拾いしたよ」
 あえてどちらがとは言わずに答える。

 中等部指定のセーラー服を着た、ポニーテールの少女だ。
 控えめな胸元で、不思議な形のペンダントが揺れる。
 円とT字を組み合わせた、アンクと呼ばれる古代エジプトの十字架だ。
 珍しいアクセサリだなと話そうとしたら、ポニーテールの髪も揺れた。
 思わず昔の仲間を思い出し、ごまかすように口元を歪める。

「よかった」
 少女はそう言って笑みを浮かべる。
 凛とした佇まいが印象的だ。
 細身でスレンダーな体格もあって、男子より年下の女子に人気がありそうだ。

「その子は君の猫かい?」
 凛々しい少女は気づかうように覗きこむ。
「いんや。でも、さっきの脂……男にぶん殴られて怪我したみたいなんだ」
 答える舞奈の腕の中で、弱々しく猫が鳴く。
「そうなんだ、酷いことするなあ」
 少女は痛ましそうに猫を見やる。そして、

「そうだ。その子、わたしにまかせてくれないかな?」
「どうするつもりだい?」
「姉さんに……いや、馴染みの動物病院があるんだ。そこなら朝早くてもやってるし、君も学校があるだろう?」
 少女の言葉の端に引っかかるものを感じた。
 だが悪いようにする気はなさそうだ。

 舞奈は猫を少女に渡す。
 少女が猫に話しかけながら頭を撫ぜと、猫は安心したように身をまかせる。
 猫の扱いに慣れているのだろうか?

「恩に着るよ。そういえばあんた……」
「なんだい?」
「……いや、なんでもない」
 少女が猫を撫でる仕草を、以前にどこかで見た気がした。
 だがそれが何処だったかを思い出せなかった。

 その後、舞奈は何事もなく桜を迎えに行った。
 そして、どうでもいい話を延々と聞かされながら登校した。

 そして放課後の、高等部校舎にある情報処理室。
 舞奈と明日香はテックに依頼し、取り逃がしたメメント・モリを探していた。

「舞奈と比べて上背があるなら初等部の生徒は除外。中等部か高等部の生徒ね」
「お、だいぶ絞れてきたな」
「……絞れてないわよ」
 口元に笑みを浮かべる舞奈に、明日香は冷たく言い放つ。
 端末の画面には生徒の氏名がずらりと並んでいる。

「テックも疲れたろう、水素水でもどうだ?」
 明日香の白い視線から逃れるように、鞄から不要になったペットボトルの水を取り出してテックに勧める。

「遠慮しとくわ」
「そんなに警戒しなくても、ただの水だよ」
「……そうじゃなくて、水道の水をそのまま飲むとお腹壊すから」
「それじゃしょうがないか」
 そう言ってペットボトルの中身を一気飲みする。
「……生ぬるいな」
 嫌そうにひとりごち、仕方なく明日香に向き直る。

「それより、この学校の生徒だってのは確かなんでしょうね?」
「ああ、ここの制服を着てた」
 見えない相手に対する舞奈のコメントに、だが明日香は素直にうなずく。
 舞奈は空気の流れで周囲の敵を把握し、近接戦では無敵の強さを誇る。
 それほどに鋭敏な感覚ならば、衣服の生地を識別することすら不可能ではない。

「それと、たぶん奴は魔道士メイジだ。【偏光隠蔽ニンジャステルス】しながら【断罪発破ボンバーマン】を使った」
「らしいわね。こっちは不自然な風で屋台の外に吹き飛ばされたし、突っこんできた車はハリボテを天使か式神でディテールアップした作り物よ」
「ハリボテだと? まあ、確かに鉄の車にしちゃあっさり飛び過ぎだったよな」
 舞奈は考える。

「……祓魔師エクソシストか? 奴らなら脂虫を爆破できるし、天使の筋肉で強化できるし、たしか光を操って透明になる術もあるはずだ」
 舞奈は自分の知識で相手の流派を推理する。
 だがテックは無言でキーボードを叩き、画面に何かを映し出す。

 トラックの事故現場だ。
 付近の防犯カメラをハッキングしたのだろう。

 アスファルトの道路が不自然にめくれ上がっている。
 事故の影響では有り得ない。
 横滑りしたトラックを押し止めるように、何らかの力で地面が隆起していた。
 地中に埋まった水道管やガス管を器用に避けて。

「それ、明らかに造物魔王デミウルゴスと関係ない呪術じゃない。風や大地、雷といったエレメントそのものを操作するのは普通の呪術師ウォーロックよ。古神術とかヴードゥー呪術とかの」
 呆れたように明日香が言った。

「けど普通の呪術師ウォーロックに天使は使えないはずだ」
 舞奈はむくれるが、明日香は構わず言葉を続ける。
「……天使とエレメントを両方操る流派が、ひとつだけあるわ」
 舞奈は無言で先をうながす。
 明日香は続ける。

「ウアブ呪術。貴女も知ってる流派よ」
「ああ、【組合C∴S∴C∴】の術者が奈良坂さんを治療してくれた術か」
「そっちは正確にはウアブ魔術。ウアブは呪術と魔術を内包するの」
 明日香は語る。
 舞奈とテックは拝聴する。

 ウアブ魔術とは、古代エジプトで栄えた魔術の流派だ。
 造物魔王デミウルゴスの礎となった魔神を創造する技術である。
 魔術によって創られた魔神たちは太陽系の各惑星に宿り、宇宙に満ちる魔力を分別して過酷な環境下でも容易に扱えるよう加工する。
 そんな魔神たちから魔力を借りて奇跡を起こすのがウアブ呪術だ。

 故にウアブ呪術は祓魔術エクソシズムと他の呪術の中間的な性質を持ち、3種に分類される。
 魔神の魔力を利用して風や水や大地を操る【エレメントの変成】。
 天使に似た擬似物質として顕現させる【擬似生命の変成】。
 そして、魔神の魔力を利用して動植物を操る【動植物との同調と魔力付与】。

「魔神の力を借りた【エレメントの変成】は強力よ。得意なのは風と水と大地。そして【動植物との同調と魔力付与】はバステト神の力を借りた猫との会話」
「猫か……」
 舞奈の脳裏を、今朝の出来事がよぎる。
 脂虫にからまれた猫と舞奈を颯爽と救った、凛々しい少女。
 だが気のせいだろうと思いなおす。

「……だいたい奴が呪術師ウォーロックだってなら、殺すにしろ商売をぶちこわすにしろ、もっと効率的なやりかたがあるんじゃなかったのか?」
 代わりに明日香をジト目で睨む。

 呪術師ウォーロックに限らず魔道士メイジなら、もっと安易で効率的な殺害手段がいくらでもある。
 そう言って魔道士メイジの犯行説を否定したのは明日香だ。
 だが舞奈も、その考え方そのものは正しいと思う。
 メメント・モリが術者なのだとしたら、なぜ姿を消して物理的に殺害するという手段にこだわるのだろうか?

「術を学んで日が浅いのかも。姿を消す【秘せられしヴェールヘペス・ハプ】は初歩の呪術よ」
「地面を裏返す術もか?」
「それは……」
 舞奈の反論に、明日香も思わず言い淀む。

「それに、魔法使いが人を殺しまくってるのに、魔法使いの組織は動かないの?」
「……ああ、【組合C∴S∴C∴】のことか」
 横から問いかけるテックに補足する。彼女に魔術や呪術について講義したことはないが、舞奈や明日香につき合っていれば嫌でも知ることになる。
 そんなテックに、明日香は得意げに語ってみせる。

「彼らにとって、この一連の事件で『人』なんて死んでないのよ」
「……?」
 テックは首をかしげる。
 舞奈は苦笑する。

 脂虫は万人に疎まれ憎まれている。だが【機関】が人にあらずとまで言い切る主な理由は、脂虫がアンデッドを操る術の対象になるからだ。
 だから術を学んだ術者は、脂虫の非人間性を自ずと理解する。
 メメント・モリが術者なら、躊躇なく脂虫を爆破したのも理解できる。

 そして、そんな術者のための組織が【組合C∴S∴C∴】である。
 だから彼らにとって、脂虫の命など文字通り虫ケラほどの価値しかない。
 誘拐犯も、珍走団も、先日の追跡劇で爆破された自転車喫煙も、殺したければ好きなだけ殺せばいいし、後始末は【機関】に任せればいい。

 脂虫は死んで当然の害畜だという見解はどちらの組織も同じだ。
 舞奈の見解も同じだ。

「あたしたち、別に悪党を追いかけてた訳じゃなかったのかもな」
 舞奈はボソリとひとりごちる。

 メメント・モリは、舞奈に追われる最中に脂虫を屠った。
 そして子供を救った。
 横滑りするトラックの先に子どもがいると気づき、躊躇なく。
 でなければ術が間に合わなかったはずだ。
 奴は道理をわきまえ、滅ぼすべき怪異を害して守られるべき者を守った。

 舞奈は再び、脂虫から猫と舞奈を救った少女のことを想う。

 そして、ふと思い出した。
 凛々しい彼女に会ったのは、今朝で2度目だ。
 最初は教会で墓参りをしているところを見かけた。
 高等部の制服を着た少女と一緒だった。
 その時も、彼女は猫を撫でていた。

 気のせいなんかじゃないと、本能が告げた。

「……明日香。ウアブみたいな魔術と呪術を、手分けして修めることは可能か?」
「可能も何も、Sランクや【組合C∴S∴C∴】の重鎮でもなければ、それが普通よ」
「そっか」
 明日香の答えに、舞奈は笑う。

 ウアブ魔術は魔神を創造する流派で、呪術と同様に3種の術を操る。
 作りだした魔力を水や岩石、光に転化する【エレメントの創造】。
 魔力で時空を歪ませて式神の身体を生成する【高度な生命操作】。
 そして、時空を歪ませて強力な魔法的存在を生みだす【魔神の創造】。

 ウアブ呪術の使い手は猫の目を通じて悪を暴き、風と水と大地の力を借りて裁きを与えることができる。
 魔術を使えば、怪我をした猫を癒すこともできるだろう。

「テック、リストから姉妹を抽出できるか? 上が高等部、下が中等部だ」
「何よ姉妹って?」」
「まかせて」
 スーパーハッカーが軽やかにキーボードを叩く。
 するとリストに残った名前は3人になった。

桂木かつらぎ かえで  高等部1年』
桂木かつらぎ 紅葉もみじ 中等部3年』
 名前の横に表示された顔写真は、やはり舞奈の知る少女のものだった。
 実業家を父に、デザイナーを母に持ち、両親共に海外で働いているため子供たちだけで駅前のマンションに住んでいるらしい。

「園香やチャビーとは別の意味で金持ちなのか」
 姉の楓は美術部に、妹の紅葉は女子バスケットボール部に所属していたが、どちらも1年前に辞めている。そして、

桂木かつらぎ 瑞葉みずは 1年前に退学 当時は中等部1年』
 姉妹には弟がいるらしい。

「下にもうひとりいるのか」
「正確には『いた』よ」
 テックは無表情に答え、別の情報窓を開く。

 それは【機関】の人員情報だ。
 姉妹の弟は【機関】の執行人エージェントだった。
 補足には、執行部に属するBランクの【偏光隠蔽ニンジャステルス】とある。

 そして表示されたコンディションは、殉職の赤。
 彼は1年前に脂虫がらみの作戦に参加して、部隊ごと全滅したらしい。

 その作戦のことを、舞奈はよく知っている。
 後始末をしたからだ。
 その日の夜空は泣きだしそうな雨雲に覆われていた。
 すべてが終わった後に嗚咽のように降りだしたことも、よく覚えている。
 そして、その日も水曜日だった。

「……そういうことかよ」
 口元に乾いた笑みが浮かぶ。

 1年前、ひとりの少年が逝った。超法規機関である【機関】の作戦における殉職者は法務部および諜報部の手によって事故や行方不明として処理される。
 2人の姉は弟の死の真相を探り、真実を知った。
 そして弟の無念を晴らすべく魔術と呪術を研鑽した。

 そして今、行動を開始した。
 弟の異能である【偏光隠蔽ニンジャステルス】に似た透明化の術を使い、弟が死んだのと同じ水曜日の夜に、弟を殺したのと同じ脂虫を殺した。
 そこにひとりの少年がいたことを示すように。

「魔術って、1年とかで使えるようになるものなの?」
「才能というか、適正があれば初歩の術くらいはなんとか」
 テックのもっともな問いに、明日香が答える。
 少なくとも明日香は【掃除屋】を始めた小4の頃には魔術師ウィザードだった。魔術の習得に何年も費やしてはいないだろう。

「たぶん、おまえのそれと同じだよ」
 舞奈はテックの手元を見やり、ひとりごちるように言う。
 端末ひとつで世界中から情報を集めるテックの技術も、舞奈から見れば魔法だ。

 テックに明日香や桂木姉妹の真似事はできない。
 だが明日香にもテックと同じことはできない。姉妹も恐らくそうだろう。
 異能力と違って誰でも使えそうなものだが、実際にものにできる者は一握りだ。

「つまり、あなたのそれと同じね」
 テックは舞奈の引き締まった腕に目をやる。明日香も見やる。
 舞奈は魔術を使えないし、電子機器を使いこなす知恵もない。
 だが一丁の銃だけで異能力に対抗し、機械を使わず空気の流れで敵の動きを読むことは舞奈だけの才能だ。
 だからこそ、かつて舞奈は美佳と一樹に出会えたのかもしれない。

「ここまで特定できたなら居場所も調べられるけど」
「その必要はないさ」
 テックの申し出を断る。
 そして訝しげに見やる明日香に目を向ける。

「奴の次のターゲットはわかってる。今度の水曜に勝負を決めたい。いろいろ準備もしたいしな。……構わないか?」
「手のこんだ舞台を用意するなんて珍しいわね。どういう風の吹き回しよ?」
 冷やかすように笑う。
 舞奈も口元に笑みを浮かべる。

「……明日香。おまえ、あたしと会う前、昔の仲間と何かあったろ?」
 言った途端に明日香は睨む。
 過去を詮索されるのが嫌なのだろう。
 舞奈だって嫌だ。
 だが何食わぬ顔で言葉を続ける。

「そいつらが目の前にあらわれたらどうする? 昔のこと、おまえのこと何もかも忘れてて、でも昔と同じ過ちを繰り返そうとしていたら」
 静かに語る。

 メメント・モリは力を手に入れ、誰の手も借りずに正義を成そうとしている。
 事情を知った今、舞奈にとって彼女たちは昔の仲間の現身だった。

 もしピクシオンが【機関】と共闘していたら、美佳と一樹は今でも舞奈の側にいたかもしれない。当時の【機関】にエンペラーに立ち向かう力はなかったが、それでも自分たち以外の協力者がいることが救いになったかもしれない。
 舞奈が明日香や友人たちに救われたように。

 だから舞奈も彼女たちを救いたかった。
 自分たち以外にも仲間がいると、伝えたかった。

「はいはい、わかったわよ」
 明日香の口元にも、やわらかな笑みが浮かぶ。
 本人は笑みを隠しきれてるつもりだろうが。

「ただし、無茶は厳禁よ」
「ああ、お互いにな」
 そう言って、2人の少女は笑みを向けあった。
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