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第7章 メメント・モリ

メメント・モリの水素水

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――水素水~♪ 水素水~♪ メメント~モリ~の水素水~♪

 公園の片隅に、胡散臭い屋台が建っていた。
 屋台の横に雑に取り付けられたスピーカーが、音程の狂ったてきとうな歌をがなりたてる。

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。世にも珍しい水素水だよ!」
 悪い意味で手作り感満載な屋台で、紙袋をかぶった舞奈が通行人に声をかける。
 紫と青と緑で塗りたくられた紙袋の由来を聞かれたら、マスコットキャラクターの『水素くん』だと答える算段になっている。
 水素くんの手には、水素水が入ったペットボトル。

 その後で、同じ紙袋をかぶった明日香と小夜子がやる気なさそうにしている。
 平日の午後の公園は、人通りもまばらだ。
 通行人も胡散臭い屋台を物珍しげに見やるばかりで、立ち止まろうとはしない。

「水に良い言葉をかけて作った水素水。七割くらい優しさでできてるすごい水だ」
 舞奈は気にせず、てきとうな戯言を喋りつづける。
「飲んでよし、沸かして風呂にするもよし、塗料に混ぜればノリもよく色鮮やかですぐ乾く。それに、こうやって信管を入れて、呪文を唱えると奇跡がおこる」
 ペットボトルに鉄片を入れる。
「水素すいすい水素水ぃー♪ すいすい水素の水素水ぃー♪ 」
 だが何もおこらない。

――上から読んでも水素水~♪ 下から読んでも水素水~♪

 屋台の前を、営業回りの最中らしき禿頭のサラリーマンが通り過ぎる。

「水素すいすい水素水ぃー♪ (……おい明日香、早くやれよ)」
「(はいはい)」
 側の明日香が面倒くさそうに「(災厄ハガラズ)」とつぶやく。
 次の瞬間、ペットボトルが破裂した。
 舞奈はまともに水をかぶる。
 飛んでいったプラスチックのフタがサラリーマンの禿頭に当たる。

 無論、水を入れたペットボトルは祈ったからって破裂しない。
 金属片にルーンを刻み、1発だけの【雷嵐ブリッツ・シュトルム】をかけたのだ。

 派手な音に通行人の視線が集まるが、それだけ。
 後ろで小夜子がため息をつく。
 別に水を売るのが目的じゃないのだから人が来なくても構わないのだが、ここまで見向きもされないと面白くない。

「……強すぎだよ。水びたしになっただろ」
 舞奈は側の明日香をジト目で見やる。
「そういう術なのよ。知ってるでしょ?」
「リハーサルの時は、もうちょっと加減できてなかったか?」
 言いつつタオルで服を拭く舞奈に対して回答はなし。
 明日香は魔術を見世物にされるのが嫌なのだ。

――嗚呼、水素水♪ 嗚呼、水素水♪ すーい素、す――い――♪

「だいたい、この音程がはずれてるの誰の歌よ?」
「おまえが人の歌のこと言えるのか? 張に屋台するって言ったら、歌って吹きこんでくれたんだよ」
 別に明日香は答えが知りたかったわけじゃないのだろう。
 舞奈の言葉に「あっそう」と肩をすくめる。

 舞奈は紙袋をとって顔を拭く。
 ついでに一息つく。術でインチキできる2人と違って袋の中は蒸れるし、微妙に塗料の匂いが残っていて頭がクラクラしてくる。

「面が割れても知らないわよ」
「休憩くらいさせろよ。っていうか、知り合いが来るわけないだろ、こんな店に」
 そう言った突端、

「あー! マイちゃんだー! みんなのアイドル桜だよー」
「後ろにいるのは安倍さんと小夜子さん? すごーい! お店屋さんだ!」
 かしましい声に気づくと、桜とチャビーが走ってきた。
 変なところで勘の良いチャビーに見破られ、後の2人も仕方なく紙袋をとる。

「マイちゃん、みんな、こんにちは」
「あ、舞奈さん。こんにちはー」
 その後ろから園香と奈良坂もやって来た。

「4人そろって、お出かけかい?」
「ええっと、そういうわけではなくて……」
 奈良坂がまごまご答える。
 その側で園香が微笑む。
「ただのお散歩だよ。スーパーでお夕飯の買い物してたら奈良坂さんと桜ちゃんに会ったから、お話してたの」
 そう言って笑う園香の腕には、舞奈もよく行くスーパーの買い物袋。
 奈良坂が桜と一緒なのは家が近いからだ。
 そして奈良坂は幾度か園香の護衛をしているので、2人も顔見知りだ。
 そんな風に友人同士が絆を深め合うのが、なんだか嬉しかった。だから、

「へえ、なんだか親子連れみたいだな」
 思わずそんな感想を漏らす。
「えへへ、お母さんみたいに見えますかねぇ」
「……いや園香がな」
 相好を崩す奈良坂に、舞奈は苦笑して見せる。
 それに買い物袋を提げているのは園香だけだ。
 奈良坂と桜はスーパーに何をしに行ったのだろうか?

「マイちゃんったら、桜の大人の色気にメロメロなのね」
「だから、おまえでもねぇよ」
 凹凸が少ないくせにマセた桜が似合わないセクシーポーズなどとって見せる。
 変質者に誘拐された数日後にこの言動である。
 彼女の中では件の事件も(自分の)武勇伝になっているのだろう。
 やれやれまったく、ある意味で最強の小学生だ。

「ねえねえ小夜子さん、何を売ってるの?」
 一方、中身も外身も子供のチャビーは商品をかぶりつきで見ていた。
「……水素水よ」
 小夜子の家はチャビーの家の近所だから、もちろん顔見知りだ。
 お隣さんなので、園香よりある意味で親密だ。
 なのに小夜子の口調が重々しいのは、胡散臭い商品のことを無邪気なチャビーに話したくないからだ。

 そんな風に内輪で盛りあがっていると。

「お、テックじゃないか。こっちだこっち!」
 柄にもなく公園にやって来たテックに声をかける。
 テックがSNSをやっているというので、そいつを使って屋台の存在を広めてもらう手筈になっているのだ。

「……そっちなのは見ればわかるわ」
 どことなく引き気味に、嫌そうな感じでテックは言う。
 無口で無表情なテックは目立つのが嫌いだ。
 そして手製の屋台は悪い意味で目立ちまくりだ。

「……おまえも来たならこっち来いよ」
 みゃー子がこちらに尻を向けて、隠れる人のゼスチャーをしていた。
 声をかけるとニャーニャー鳴きながら飛んでくる。

 かしましい女子小学生が集まってくると、何とはなしに人の目も集まる。

「写真を撮るから店の前を空けて」
「え? 桜の写真を撮りたいの?」
「おまえじゃないから、隅で座っててくれ」
 そう言って舞奈が桜をどかす間に、テックは屋台から離れて携帯を取り出す。
 元来アウトドアが苦手な上に、人目が気になるので早く撮って帰りたいようだ。
 だが、

「どうしたテック?」
「SNSで大人のフリしてるから、ハイアングル気味に撮りたいんだけど……」
「上から撮るのか? そんなんで大人が撮ったように見えるかね」
 やれやれと愚痴りながらも周囲を見渡す。
「ベンチかなんかが近くに……ないな」
 近くに乗れそうなものはない。

「肩車でもするか。テック、どのくらいの高さにしたいんだ?」
「身長2メートルくらいの大男が撮った感じで」
「……何故そんな奴のふりをしようとした」
 それでも肩車すれば何とかなるかなと頭の中で計算を始めたその時、

「ニャー!」
 みゃー子がどこからともなく棒を取り出す。
「お、自撮り棒か」
 みゃー子にしてはまともな手段だ。

 そう思った舞奈の前でみゃー子は2本目の棒を取り出す。
 靴を脱ぎ、靴下を脱いでテックの携帯を足の指でつかむ。
 そして2本の棒を突き立てた上に逆立ちをして、足で写真を撮ってみせた。

「……棒の使い方はそうじゃないだろ」
 舞奈は苦笑する。
 だがみゃー子の雑技団顔負けのパフォーマンスに、やじ馬が集まってきた。

 これ幸いにと桜が歌う。
 桜は目立てるチャンスを逃さない。

 そんな様子をチャビーと園香がニコニコと見やる。
 山の手住まいで育ちの良い2人は、友人が楽しそうだと自分も嬉しい。
 チャビーが楽しそうだから、小夜子も仕方なく笑う。

 テックは人混みが嫌なので、携帯を回収して屋台の隅に隠れる。
 明日香はやれやれとため息をつく。

 舞奈と友人たちの関係は、美佳と一樹を失った幼い舞奈が、失った仲間の影を求めてあがくうちに築きあげたものだ。
 やがて月日が過ぎ、舞奈は2人のいない現実と折り合いをつけることができた。
 あがき続けた2年間でつかんだ何かを命綱にして。
 そして友人たちは、今でも舞奈の友人だ。
 舞奈は友人たちに多くのことを隠しているけれど、それでも友人だ。

 そんな友人たちが舞奈の前で笑う。
 舞奈の知らぬところで、互いに絆を深め合っている。
 その事実が、孤独だった舞奈がつかんだ何かを彼女たちと共有している証のように思えて、嬉しかった。

 だから、眩しそうに笑った。

 そして、その夜。

 窓から駅周辺を見渡せる高級マンションの一室。
 パソコンのモニターの中に、SNSに投稿された胡散臭い屋台の写真が写る。

 モニターの前に、華奢で白い手がかざされる。
 ひとりごちるように神の名――陽光を司るアメン・ラーの名をそらんじる。
 すると視界から自身の手が消え、モニターが見える。

 モニターの側には古びた額縁。
 額縁には、2人の少女と幼い少年を写した写真が入れられている。

 集中が解け、額縁の前に再び手の甲があらわれる。

 この力を正しいことのために使わなければならない。
 悪を正さなければならない。
 あの日の悲劇を繰り返さないために。

 そのために情報を集めるべく、SNSを巡回していた。
 同時に、力を正しくふるうべく大人らしい考え方を身につけたいと思っていた。

 SNSに投稿する者たちの大半は、正しさとも大人らしさとも無関係だ。

 だが、中には尊敬にたる言動を見せる者もいる。
 TECHというハンドルネームの人物も、そのひとりだ。
 アイコンの画像からして、サングラスをかけた髭面の大男という大人らしさだ。
 プレイヤーの外見情報を使ってプレイするVRゲームのキャラクターらしい。
 エディットもできるそうだが、彼のそれは自画像だと思った。根拠はないが。

 そんな彼は言動も大人だ。
 PCに関する専門的な話題を口数少なく語り、たまにミリタリーや世事の話題に触れることもある。

 そんな彼が、一枚の写真を投稿した。
 公園に出ていた屋台の画像らしい。
 近所の公園だ。ひょっとしてTECH氏は近くに住んでいるのかと喜んだが、コメントからは地元なのか旅先からかはわからない。
 迂闊に自分の情報を漏らさないところも大人だ。

 写真は高めのアングルからしっかりした構図で撮られている。
 何気に撮ったのであろう写真からも、彼の大人らしさが感じられる気がした。

 それはともかく、屋台のデザインは珍妙で、ふざけているとしか思えなかった。
 そして、そこに書かれていたのは。

『メメソト・モリの』
『元気の出る水素木』
 その文字を見た瞬間、怒髪天をついた。

 メメント・モリとは、ラテン語で「死を想う」という意味を持つ。
 その崇高な意味を持つ単語を、ふざけた屋台の名前にするなんて!
 しかも字が汚くてちゃんと読めない。
 公共の往来でそんな屋台を出す無思慮な輩を、許すわけにはいかない!
 そう思った。だが、

>まあ、なんだその、世の中にはいろんな奴がいるな

 TECH氏本人が写真につけたコメントを見て、冷静さを取り戻す。

 彼のような尊敬できる大人は、ふざけたものを見ても怒ったりはしない。
 それがクールな大人というものだ。
 だいたい、その屋台はふざけているだけで、別に倒すべき悪とは関係ない。
 それに売り子は小学生だ。
 大人(になりたい人)が真面目に怒っても仕方がないだろう。

 そう思ってページを変えかける。だが、

『元気の出る水素木』
 屋台に書かれた文字に再び目を止める。
 そして、店先に並んだ胡散臭いペットボトルに目を止める。
 別の写真には、どういう仕掛けかペットボトルが破裂する様が収められている。

「まさか、彼女たちは『奴』の……!?」
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