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第7章 メメント・モリ

作戦

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 舞奈にとって、飯をくれるか否かは大人と子供を区別する基準のひとつだ。
 店に行く度に何がしか食わせてくれる張やスミスはもちろん大人だし、手料理を振舞ってくれる園香も大人っぽいと感じる。

 奈良坂から伝言を受け取った舞奈は、彼女にリコをまかせて支部にやって来た。
 フィクサーは、待っていた明日香とともに舞奈を食堂へ連れて行った。
 そして当然のように3枚の食券を取り出した。
 彼女は大人だ。

 メニューはフィクサーのおすすめで、新メニューのきしめん定食にした。
 ばあさんに食券を渡し、手早く準備されたトレイを受け取る。

 椀の中には出汁が香る汁に浸った麺。うどんに似て異なる平麺だ。
 麺の上には天ぷら。
 大葉と、大ぶりな海老の天ぷらが、はみ出んばかりに盛られている。
 椀の隣には味噌のかかったミニカツ丼。

 出汁の香りを楽しみつつ、机まで落とさないよう慎重にトレイを運ぶ。

「今回の調査について、諜報部から占術士ディビナーが1名、協力してくれることになった」
 先に座っていたフィクサーが言った。

 その隣に、すっきりセミロングの髪型をした色白の女子高生が座った。
 舞奈とは顔見知りの【デスメーカー】こと如月きさらぎ小夜子さよこだ。

 トレイに乗っているのは山菜そばとサラダ。
 魚肉を嫌う神術士みたいな食事だな、とふと思った。途端、

「……サチじゃなくて残念だったね」
 相変わらずのネガティブな物言いである。
「別に、そんなんじゃないよ」
 舞奈はむくれてそっぽを向く。

「諜報部が抱えている案件は調査段階でな、他の2人はともかくデスメーカーはこちらの調査に加わった方が本領を発揮できるとの判断だ」
 小夜子は優秀な呪術師ウォーロックだが、占術士ディビナーとしての彼女の最大の特徴は対象の生死を問わずに尋問可能なことだ。
 なので捕虜も死体も発生しない調査段階ではすることがない。
 まめな小夜子は事務員としても有能だが、そんなことをさせるくらいなら殺人事件の捜査に加わった方が、確かにましだ。

「そういうことだから、貴女ももうちょっとしっかりしてよね」
 舞奈の横に座った明日香が言った。

 先んじて支部を訪れた彼女は、待合室で待っていたらしい。
 ひとしきり携帯不携帯を責められた。
 小夜子は一緒になって責めたりはしなかったが、フォローしてもくれなかった。

 そしてフィクサーの判断で、麺がのびないうちに食べてから話すことになった。

 舞奈は出汁のよくしみたきしめんを頬張る。
 うどんともそばとも異なる平たい麺を噛みしめて、食感を楽しむ。

 大口を開けて、海老の天ぷらを喰らう。
 話によると、美佳がいた頃に契約したという魚っぽい顔の業者が、信じられないくらい大きな海老を安く大量に卸してくれるらしい。
 あまりに海老が大きく衣が足りない気がしたので、舞奈は天かすを増していた。

 明日香は上品にかき揚げを食する。
 小夜子は山菜をちびりちびりと食べながら辛気臭くそばをすする。
 フィクサーは麺控えめで、丼のご飯も少ない。糖質を控えているらしい。

 そして舞奈が丼を平らげ、他の3人が舞奈の食欲を見てお腹いっぱいになった頃合いを見計らい、フィクサーは数枚の写真を取り出した。

「先日の女子小学生誘拐及び珍走団殺害事件に使用されたライトバンの所有者が判明した。科学鑑定の結果、誘拐事件の犯人と同一人物だと判明された」
「お、そっくりだ」
 プリントアウトしたオークの絵と、目の前の写真を見比べる。

「けどさ、ひとつ聞いていいか?」
「もちろんだ」
「……どう見ても死んでるように見えるんだが」
 写真の中の男はフローリングの床の上に横たわっている。
 そして瞳孔は完全に開いている。

「その通りだ。死因は後頭部を強打されたことによる陥没骨折。推定死亡時刻は一昨日の深夜とのことだ」
 ひき逃げ事件と同じ日だ。

「被害者は50代男性、無職」
「無職にしちゃあ羽振りがいいな」
「どうやら、せどりやデイトレードで生計を立てていたらしい」
「せどりってなんだ?」
「転売のことよ」
 横から明日香が答える。
「人さらいの転売屋ってのは被害者なのか?」
 舞奈は首をかしげる。
「そう思うのはもっともだが、いちおう今回は殺人事件の被害者だ」
 フィクサーは苦笑する。

「厳密には殺『人』ではないのでは……」
 今度は明日香がぼそりと呟く。

 写真の中の男は煙草をくわえていて、側には灰をまき散らした灰皿が転がっている。【機関】の規定では、肺にヤニを溜めこんだ臭い生き物は脂虫と呼ばれ、人間とは異なる怪異として扱われる。
 それが、舞奈たちが死んだ男の写真を見て平然としていられる理由でもある。
 普通の人間は脂虫の死に心を痛めたりはしない。

「彼の身柄も我々が確保し、デスメーカーに事情徴収を行ってもらった」
 フィクサーは気にせず話を続ける。
 そして携帯型の音楽プレーヤーを取り出す。
 死者に対する事情徴収という言葉に疑問を挟む者はいない。

 そして内臓スピーカーが、ややくぐもった声で話しはじめる。

『これよりナワリ呪術による事情徴収を開始します』
 くぐもっているが小夜子の声だ。

 小夜子はナワリ呪術の使い手だ。
 ナワリはかつて南米で栄えた呪術体系で、他の多くの呪術と同じように神々のイメージを呼び水にして天地に宿る魔力を操る。

 使える術は3種類。
 周囲の魔力を媒介して魔力の源である火水風地を操る【エレメントの変成】。
 トーテムとして自身に取りこむ【心身の強化】。
 そして、因果をずらす霊媒術を応用した【供犠による事象の改変】。

『殺害された当時の状況を教えてください』
 スピーカーから、柔らかい何かが穿たれ破壊される不吉な音が漏れる。

 即ち【心臓占いヨロナワティリ】。
 ナワリが得意とする【供犠による事象の改変】のひとつだ。
 質問を投げかけながら犠牲者の心臓をえぐり取って握りつぶし、したたる血に隠された啓示によって答えを得る術である。

 この術に対して、いかなるブラフも黙秘も効果がない。
 たとえ死んでいても心臓さえ破損していなければ情報を引き出すことができる。
 正に最強最悪の尋問術だ。
 この術によって心臓がひどく破損するので1度しか使えないこと以外は。

 倫理上の問題から人間や動物に対しては使用されないが、今回の相手は脂虫だ。
 だが舞奈は思わず「うへっ」とうめく。

 これが小夜子が辛気臭くサラダをつまんでいた理由だ。
 脂虫の心臓をもいだ直後に食欲は出ないし、カツやエビは食べたくない。
 他の3人も、舞奈が遅れて来なければこの後に食事だったはずだ。
 だが明日香は舞奈に感謝してくれたりはしなかった。

『……呪術による啓示がくだりました』
 再びスピーカーから小夜子の声。

 探知魔法ディビネーションによる情報は、術者にのみ知覚できる手段で提示させる。
 小夜子の場合、煙立つ鏡テスカトリポカと名乗る彼女にしか見えない何者かと対話するらしい。
 だから得られた情報を術者が口述したものが、公的な記録として残される。

 現代の機器こそ使っているが、やっていることは預言者の言葉を書にしたためて崇めた時代から変わっていない。

『誘拐した女子小学生を監禁するスペースを確保するべくマンションの自室に戻った際に、灰皿が飛来してきて後頭部を強打したそうです』
 そこで音声は停止した。

「その灰皿とやらに指紋は?」
「今回も指紋鑑定、科学鑑定ともに特定につながる手がかりは発見されていない」
「つまり【偏光隠蔽ニンジャステルス】ってことか」
 舞奈は舌打ちする。
 犯人へと繋がる手がかりは無になり、捜査は振出しに戻った。

「ごめんね、時間に余裕があれば明日香ちゃんの執事さんにも頼んだんだけど」
「いえ、そういう気遣いは無用ですので」
 小夜子の言葉に、明日香は苦笑する。

 明日香の執事は犠牲者を少しずつ斬り刻む尋問術の名人だ。
 だが人間相手にそんな残虐行為が許されるはずもなく、脂虫を尋問する機会を心待ちにしている。彼が尋問した後に心臓を占えば情報を得る機会は2回だ。
 だが執事氏の楽しい尋問ショーは数日かけて行われる。
 それに「犯人の姿を見ていない」という回答を2回もらっても仕方がない。

 舞奈はやれやれと肩をすくめて、再び写真を見やる。
 誘拐犯が発見された自宅兼殺害現場で撮られたものであろう、フローリングの床に横たわる遺体の側に転がる数本のペットボトル。

 その陰にのたくる、赤い何か。
 それは文字だった。

『memento mori』
 流れるような美しい文体で、そう書かれていた。

「一体、こいつは何者だ? 何が目的で殺しまくった?」
 舞奈は腕組みして思慮に沈む。

 その日のメメント氏は女児誘拐の犯人を殺害した。
 そして車を奪って珍走団を殺害した。
 誘拐の濡れ衣は晴れたものの、殺しが2件だ。

「実はね、メメント・モリの犯行は以前から度々あったみたいなの」
「……は?」
 小夜子の言葉に間抜けな返事を返す。

「以前にサチが襲われた時に、泥人間に操られた脂虫が大量に死んだじゃない。その後始末のどさくさにまぎれて処理しちゃったみたいなのよ」
「おいおい……」
 予想の斜め上を行く新情報に、舞奈も思わず苦笑い。
 小夜子は机に書類を広げる。
 今までの事件の詳細らしい。

「メメント・モリが活動を開始したのもその頃よ。水曜日の夜にサインを添えて殺してたみたい」
 そう言われてみれば、今回の連続殺害事件が起きたのも水曜日の夜だ。
 メメント氏は水曜が好きなのか、嫌いなのか。

「最初は普通に刺殺してサインを書いてたんだけど、こちらで普通に処理しちゃってたからか、だんだんやりかたが派手になってエスカレートしていったようね」
「もうちょっと早く気づいてやれよ。これじゃ、せっかくのサインが形なしだ」
 小夜子の言葉に苦笑する。

「シリアルキラーかしら?」
 明日香が首をかしげる。
 微妙に疲れた表情なのは、同類と思しき執事のことを思い出したからだ。

「……待てよ、諜報部が処理してたってことは、全員が脂虫だってことか?」
「ああ、そういうことになるな」
 舞奈の言葉に、フィクサーも苦笑する。

 脂虫は人の姿をしているが、人ならぬ怪異だ。
 彼らの死は【機関】諜報部・法務部により、事故として順番に処理される。
 その事実を知っているのは【機関】とその関係者だけだが、その本質が悪であり異臭と犯罪をまき散らす彼らは誰からも憎まれ死を望まれている。

 シスターが危惧していた通り、異能力に目覚めた何者かが町の鼻つまみ者を片づけているのだろうか?
 舞奈が思案に沈んだ、その時、

 バァァァァン!!

「話は聞かせてもらったのだ!」
 ドアを豪快に引き開け、糸目の少女があらわれた。
 技術担当官《マイスター》ニュットである。

 そそくさと食堂のドアを閉めて、迷惑そうなばあさんに食券を渡してトレイを受け取り、舞奈たちの机にやってくる。

「そのメメント氏は過激で顕示欲の強いシリアルキラー。間違いないのだな?」
「まあ、そうらしいな」
 舞奈は引き気味に答える。

「その可能性が高いと言うだけで……」
 小夜子は嫌そうに書類を仕舞う。
 トレイにカレーうどんが乗っていたからだ。
 だがニュットは意に介さず、

「ならば、そいつを利用して挑発してやるのだよ」
「挑発って、どんな?」
 小夜子が答えた。
 執行人エージェントである彼女は、舞奈よりニュットの人となりに詳しいのだろう。
 早くも疲れたような表情をしていた。
 だがニュットはそんな小夜子に構わず、

「ちんどん屋に奴の名前をつけて練り歩くのだよ。ついでに下らない物売りでもしていれば、奴はきっと怒り狂って襲ってくるのだよ」
「はあ?」
 声を上げたのは明日香だが、フィクサーも似たような表情をしていた。
「売るって何をだよ?」
 舞奈は投げやりな口調で問いかける。

「……元気の出る水素水」
 声をあげたのは、意外にも小夜子だった。
 明日香とフィクサーは困惑する。

「ペットボトルの水に『メメント・モリの元気の出る水素水』と名づけて売れば、挑発の意図は伝わると思うわ」
 最初から否定されることを前提にした上目使いが小夜子らしい。だから、

「いいんじゃないのか?」
 舞奈は口元に笑みを浮かべる。
「おお、なるほどなのだ。さすがは小夜子ちん、諜報部きっての切れ者なのだよ」
 何がなるほどなのか知らないが、ニュットも賛成して見せた。

「そんなので、犯人がのこのこ出てくると思ってるの?」
 明日香の矛先は舞奈に向かう。
 だが舞奈は涼しい顔で、

「じゃ、おまえは『安倍明日香の水素水』なんて名前で商売の真似事されても、気にしないっていうのか?」
 その言葉に、明日香は露骨に嫌そうに見やる。
 それを見やって舞奈は笑う。
 試してみた舞奈自身も軽くイラついたからだ。

「それじゃ、決まりなのだ」
「……ま、まあ、そういう作戦で行くのなら、こちらからも協力しよう」
 フィクサーはやや戸惑いながらも、そう言った。

 そして日曜日の夕方。

「おお、いい感じじゃないか」
「まあ悪くはないわね」
「……」
 ペンキで汚れた舞奈と明日香、小夜子の前には屋台が立っていた。
 屋台には微妙なペイントが施されている。
 技術担当官《マイスター》ニュットが驚くような手際の良さで遺棄する予定の屋台車を確保してくれたので、それを3人で塗りなおして水素水の屋台にしたのだ。

 だが3人の中に絵心のあるものはいなかった。
 面倒なのでデザインに関する意見もまとめなかった。

 舞奈は「モリだから緑で塗ろう」と言った。
 変なところで頭の固い舞奈は、モリと聞いたら森以外に考えが及ばない。

 明日香は「水だから青で塗るべきよ」と言った。
 単純に濃い寒色系の色が好きなのだ。

 小夜子は「水素とか、なんだか怖くて紫っぽいイメージだよね」と言った。
 ネガティブ思考の彼女は、だいたいどんなものにも怖くて紫っぽい印象を持つ。

 そんな3人が、特に意見の調整をすることなく塗り上げた。
 それは、紫色の空とぐんじょう色の海が描かれた代物だった。
 そこに緑字で『メメント・モリの元気の出る水素水』と書かれていた。

 暗い色の空は塗りムラが人の顔に見える。
 逆に海は平たんすぎて、冷たい牢屋の床みたいだ。
 あげくに元気よく塗りたくられた緑色の文字がたれている。
 舞奈の文字はけっこう雑で、『メメン』の『ン』の字が『ソ』に見える。
 色々な意味で関わってはいけない雰囲気が、全体から漂っていた。
 とうてい物を売るための屋台には見えない。

 だが顔中をペンキで汚した3人は、労働した達成感に包まれていた。

「これが都会のセンスなのね。……なんだかゾワゾワするわ」
 業務が終わってひやかしに来たサチは、屋台を見やってそう言った。
 ゾワゾワするというのは悪寒の同類だが、サチが言うと褒め言葉に聞こえる。

「ユニークな作品ですね。皆さんの個性がよくでています」
 一緒に来ていた中川ソォナムも、曇りのない笑顔で言った。
 あまり面識のないチベットの少女は、聞いた話ではよかった探しの名手らしい。

 ニュットは面白ければ何でもいいというスタンスだ。

 フィクサーは意外にも、こういう方面では結果より努力を重視するようだ。
 加えて脂虫を八つ裂く高ストレス作業に従事する小夜子が規定のカウンセリングをサボり気味なので、作品を褒めてフォローすることにしたらしい。
 それ以外の理由で「空に浮かんだ顔が笑顔に見える」などと言いだしたら、割と本気で過労を心配しなければいけない。

 そして諜報部の暗躍によって、営業許可の取得と場所取りは済んでいた。

 なので、週明けにはこの酷い屋台が公園の一角に建つことになった。

「へへっ、明日にはきっと乾いてるよな。放課後からこいつで商売だ」
 舞奈はニヤリと笑った。
 謎の達成感に後押しされて、明日香と小夜子もうなずいた。
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