99 / 531
第7章 メメント・モリ
調査2
しおりを挟む
「あら、お嬢ちゃんもお墓参りに来たの?」
婦人が気づいて声をかけてきた。
舞奈は返事を返そうとして、言葉に困る。
自分と彼女の関係がなんなのか、よくわからなかったからだ。
彼女とは、高等部の教室で一度会った。
教室を占拠した彼女たちを追い出すべくテロリストの扮装をして脅かしたのだ。
あのときのテロリストは実は自分だと、告白しても気まずいだけだろう。
かといって、彼女の息子である【雷徒人愚】の面々と親しかったわけでもない。
そもそも何人いたのかすら正式に把握していない。
舞奈は女の子に絡んでいた彼らをぶちのめして、目をつけられた。
幾度もウザ絡みされて、戦果を横取りされたりもした。
舞奈から掠め取った功績で、彼らはAランクに昇格した。
その結果、身の丈に合わない任務に駆りだされた彼らは揃って殉職した。
よく考えれば自業自得である。
だが舞奈に、実の母親の前で死者を貶める趣味はない。
逆に、舞奈が譲った剣によって、舞奈の知人である悟はあの事件を起こした。
婦人の息子を手にかけたアイオスは悟の愛人だ。
それにアイオスとは共闘したこともある。
その事実を話して詫びたとして、舞奈に八つ当たりして溜飲を下げるよりむしろ困るだろう。息子の仇の愛人の知人などと言われても、それはほぼ他人だ。
そもそも【機関】の業務には守秘義務がある。
迷う舞奈を人見知りだと思ったのか、婦人はぽつりと語りはじめた。
「ここにいるのはね、おばさんの息子なの」
寂しそうに笑う。
「小さい頃からやんちゃで手間ばかりかけて、高校生になってもちっとも落ち着かなくて、母さんに内緒でアルバイトをしてて、事故にあってね……」
婦人の頬を涙がつたう。
以前に教室で見た時より、薄化粧な気がした。
(【機関】からそう説明されたのか)
超法規機関である【機関】の作戦における殉職者は、法務部および諜報部の手によって事故や行方不明として処理される。
脂虫と扱いが同じである。
ひとつだけ異なるのは、悪臭をまき散らす人間型の怪異が周囲から疎まれ死を望まれるのと異なり、彼女の息子は母親に愛されていたということだ。
あんな奴らとつるんでいるのだから煙草くらい吸いそうなものだが、彼は(彼らは?)人間と怪異を隔てる一線を超えることがなかった。
いっそ彼が脂虫だったなら、臭い害畜がいなくなって彼女は喜んだだろうか。
だが、そう思うことも、そう思わないことも、何だかしっくりこない。だから、
「おばさんはトマト貰ったのか。トマトマンのトマトだな」
話題をそらすように、婦人が提げたビニール袋を見やる。
高校生の母親が児童向け番組など見ないだろうと、言った後で気づいた。
「あの子ね、トマト嫌いだったの。サラダに入れたら残すし、スープにしても嫌がるし、大変だったのよ」
だが、婦人はただ寂しそうに笑う。
「お墓の前にお供えしたら、食べてくれるかしら」
真新しい仏花が供えられた墓を、じっと見やる。
彼女は息子がいた幸せな時間に戻りたいのだろう。
それを責める権利は舞奈にはない。
舞奈もまた、美佳と一樹がいた暖かい場所に帰ろうとしていたから。
「この高枝切りバサミもね、ボクシングをしたいからって急に言われて、ホームセンターで買ったのよ。それが、あの子の形見になるなんてね」
ふと舞奈は、ハサミの柄が半ばでへし折れて修復されていることに気づいた。
それは明日香がアイオスの呪術を消去しようとして、へし折られた得物だ。
舞奈はやっと、彼女の息子と自分との接点を見つけた。
それは少しばかり無理のある解釈かもしれないが、彼は舞奈の命の恩人だ。
そう思うと、ようやく夫人の顔を真正面から見れた。
隠しきれないしわに齢と苦労を忍ばせるが、意外にも整った顔立ちの美人だ。
「お嬢ちゃんは、死んだ人はどこに行くのだと思う?」
「……虹の向うかな」
婦人に問われ、そう言って空を見上げる。
ずっと昔に、美佳からそう聞いた。
「あら、シスターさんも同じことを言ったのよ。雲の上には神様の国があって、みんなそこで楽しく暮らしてるって。そして、わたしたちを見守っているってね」
婦人も空を見上げる。
「初めて聞いたときは半信半疑だったけど、貴女も言うんだからきっと本当ね」
彼女はただ、そう信じたいのだろう。
舞奈も同じだ。
あの空の向うに、美佳や一樹がいたらどんなに素晴らしいだろうと思った。
仕事人を続けるうちに、そこに何人か加わった。
そして先日には悟や刀也、何人かの執行人。
だから、そうやってしばらく2人で空を見上げていた。
「それじゃ、おばさんはもう行くわ」
そう言って、婦人は少し笑った。
「貴女だって頑張ってるのに、おばさんだけが沈んてちゃダメだものね」
何でそんなことを言うのかと思った。
そして少しばかり長く空を見すぎたと思った。虹などかかっていないのに。
だが婦人の表情は、最初に会った時より少し柔らかくなっていた。
「ああ、そうだ。トマトはチーズといっしょにピザにすると美味しいよ」
「あらあら、ピザは試したことなかったわね」
そう言って笑い合ってから、婦人は霊園を後にした。
「おーい! しもん!」
入れ替わりにリコがやって来た。
ウサギのリュックサックは来た時より膨らんでいる。
「いっぱい貰って来たか?」
「おー! いっぱいもらったぞ! ……でもトマトはもうないって」
「んなもん、来年もらえばいいだろ」
拗ねたリコに言い放つ。
だが、その口元には笑みが浮かぶ。
リコにはそれができるのだから。
「そうだな。来年はランドセルいっぱいにトマトを入れて帰るぞ!」
「いやランドセルには教科書やノートを入れろよ」
リコは来年からは小学生だ。
「それに、蔵乃巣の初等部に来るんならランドセルじゃなくて通学鞄だぞ」
「なんだって!? ランドセルはないのか!?」
驚愕するリコに、舞奈は苦笑しながら背を向ける。
「ちょっくらシスターと話してくるから、大人しく待ってろよ」
「おー! まかせろ!」
リコの元気な返事に見送られて、教会のドアをくぐる。
「あら舞奈さん、いらっしゃい」
古びた椅子が立ち並ぶ質素な教会で、清楚で巨乳なシスターが出迎えた。
「ようシスター、おひさしぶり」
舞奈も挨拶を返す。
以前に彼女に会ったのは、新開発区の霊園予定地を調査する依頼を受けた時だ。
「明日香さんと、一緒にいた彼はお変わりありませんか?」
「……ああ、明日香の奴は相変わらずだよ。今日は当りもしない占いをするっつって、いっしょに聞きこみする約束をほっぽり出して家にこもってやがる」
刀也のことを誤魔化すように、軽薄に笑う。
だが、そんな舞奈を彼女はそっと抱きしめた。
修道服に包まれた豊満な胸が、舞奈の頬を包みこむ。
「……なんだよ急に」
言いつつも、その感触に抗えずに身をまかせる。
「舞奈さん、この世で命を全うした魂は、どこに行くのだと思いますか?」
「……知ってるよ。雲の上の天国だろ?」
「ふふ、何処かでお話ししたのでしたか」
シスターの心地よい笑声を聞きながら、刀也のことを気づかれたのだと悟った。
彼女にはかなわないなと舞奈は思った。
舞奈の知人に魔力を操る魔道士《メイジ》は多い。
だが魔力の源たる精神の力――人の心を癒す術を持つ者は数少ない。
おそらく先程の婦人も、息子を失った悲しみを彼女に癒されたのだろう。
「けど、もう大丈夫だよ」
舞奈が不敵な笑顔で言うと、シスターは自然に手をはなす。
彼女には何もかもがお見通しだ。
「今日は聞きたいことがあってきた」
「はい、何でしょう」
「讃原の派手な事件は【偏光隠蔽】の仕業だ。何か心当たりはないか?」
いつもの調子を取り戻した舞奈は、情報収集という本来の目的を思い出す。
「この件に関しちゃ、たぶんあたしの知ってる誰よりも、近所の人たちと親しいあんたに聞くのが正解だと思った」
「見えない殺人犯の噂ですか……」
シスターはしばし考え、そして何か思い当たったように舞奈を見やる。
「舞奈さんが知りたい情報なのかはわかりませんが」
「聞かせてくれ」
「はい。被害にあわれたオートバイの方々は……」
シスターは言い淀む。
舞奈は無言で先をうながす。
「近所の方に、その、疎まれていたようなんです。年配の方なのですが、言動も荒く、歩き煙草をされたり、排気音も気に障られる方が多いようで……」
シスターの声が沈みがちなのは、死者を悪しきざまに言うのが嫌だからだ。
それに恐らく、善良な住人たちが隣人の死をせせら笑うのも嫌なのだろう。
たとえ脂虫の正体を知らずとも、普通の人間は脂虫を嫌い死を望む。
だが善良なシスターにとってはそれすらも悲しい。
「さんきゅ。参考にするよ」
「こんなことしかお話しできずに恐縮です。舞奈さんもご無理をなさらないよう」
「心配するなって!」
そう言い残し、入るときには浮かんでいなかった笑みを浮かべて教会を出る。
おそらく先程の婦人と同じように。
「ようリコ、大人しくしてたか――って、何の騒ぎだ?」
舞奈が少し話しているうちに、ずいぶん人が増えていた。
何故か桜がミカン箱の上で踊っている。
ミカン箱の前にはリコがいて、桜の妹の幼女2人と、奈良坂と、何故か先ほど別れたはずの婦人がいる。
みんな桜の歌を笑顔で聞いていた。
アイドルを目指しているという桜の歌は、割と残念な部類に入る。
それでも舞奈の口元には笑みが浮かぶ。
救えなかった少年の母親と、救うことができた少女と、そもそも裏の世界に関わりのない少女たちが一緒に笑う。
そんなちぐはぐな様が、天国でも地獄でもないこの世界の縮図のように思えた。
「あ、しもんだ! はなしはおわったのか?」
リコの手には、先ほどまではなかったビニール袋。
見やると婦人の手に袋はない。
婦人はそれを、墓前に供えるより、ピザにするより、物欲しげな子供にあげることを選んだのだろう。
「ちゃんと礼、言ったか?」
「うん! リコはれいぎただしいにんげんなんだ」
リコは笑う。
婦人も笑う。
「マイちゃんってば、桜の歌を聞きにこんな所まで来てくれたのね!」
「どういう解釈をしたらそう思えるんだ?」
ミカン箱の上から投げキスをよこす桜の妄言に苦笑する。
「奈良坂さんは、今度は桜の護衛か?」
「あ、いえ、桜ちゃんは友達の妹さんなんです」
奈良坂はにへらと笑う。
「そっかー、桜と奈良坂さんは知り合いだったのか」
「えへへ、そうなんですよ。桜ちゃん、真面目で良い子ですよね」
「奈良坂さんからはそう見えるか……」
桜の本性に気づいていない奈良坂の素直さに、思わず舞奈は目をそらす。
そしてふと、霊園に新しい参拝者が訪れていることに気づいた。
ウェーブがかかったロングヘアの女子高生と、ポニーテールの女子中学生。
舞奈の知らない顔だ。だが何となく気になった。
どちらも蔵乃巣学園指定のセーラー服を着ている。姉妹だろうか?
2人がいるのは、婦人がいた場所の近くにある小さな墓の前だ。
高校生の方が花を供え、2人の少女はは寄り添うように祈る。
少女たちの足元に野良猫が寄り添い、中学生の方がしゃがみこんで猫を撫でる。
ポニーテールが揺れる。
その様に、舞奈は彼女たちが気になった理由を悟った。
なんとなく昔の仲間を思い出すのだ。
美佳と一樹があんなことになっていなかったら、今頃はあの2人と同じくらいの年頃になっていたはずだ。
それが意味のない感傷だと知りながら、舞奈は見ず知らずの2人を見ていた。
「ねぇねぇ、マイ、これから家に遊びに来ない?」
桜の声に、現実に引き戻される。
遊んでる暇はないと断ろうかと考えたが、よく考えれば聞きこむあてもない。
それなら桜の家で話を聞いた方がマシかもしれない。
それに、もうすぐ昼時だ。ついでに昼飯をご馳走になれるかもとの算段もある。
なので、リコと奈良坂と一緒に桜の家に行くことにした。
そして舞奈たち6人は、平屋の古家が並ぶ大通りをかしましく歩く。
桜の家のある伊或町は、昭和の香り漂う旧市街地でもひときわ古い下町だ。
寂れた小さな八百屋や電器屋、何の店だからよくわからない店舗や、店だか倉庫だかも不明なトタン壁の建物等々、山の手とは真逆の意味で見ていて飽きない。
そんな中、
「舞奈ちゃん、あの店だよ。いっつも桜のこと見てくるキモイ店」
桜は立ち並ぶ店舗のひとつを指さす。
何の店だか知らないが、他の店舗と比べても胡散臭く、確かに曰くありげだ。
店の前には、社用車とおぼしき白い軽四輪が道路にはみ出すように止めてある。
その陰で、男が煙草をふかせていた。
通りの反対側まで漂う異臭に、6人は顔をしかめて不平をこぼす。
舞奈も嫌な顔をしつつ、男を見やる。
がっしりした体格の、豚に似た男だ。
豚男は脂虫に特有な濁った眼で、確かに桜を見ていた。
舞奈の陰に隠れる桜を目で追う。
舞奈が睨みつけると、逆切れするように「なんだテメェ」と大声を上げる。
だが凄みを利かせると怯んで目をそらす。
横柄だが臆病な、典型的な脂虫だ。
悪臭と犯罪をまき散らす脂虫を【機関】は人ではなく怪異と定めている。
だから必要ならば射殺しても問題はない。
だが、流石に桜の目の前で片づけるわけにもいかないだろう。
代わりにテックからもらったオークの絵を取り出して、
「これと似てるな。お前を誘拐した奴とは違うのか?」
「違う人だよ。桜をさらったのは、もっと豚みたいなおじさんだったのー」
「いや、あいつも十分に豚だろ」
冗談めかして舞奈が言うと、桜は笑う。
つられるように桜の妹たちも、リコも笑う。
「あ、そういえば、舞奈さんって携帯持ってますか?」
やぶからぼうに奈良坂が言った。
「呼び出しの指示があったんですけど、繋がらないから見かけたら伝言するようにって言われてたんです」
「……何故、今、それを言う」
舞奈は睨む。
桜の家の昼飯は豪華ではないが、量だけはひたすら多い。
「それは……その、ひらめいたんですよ。今」
奈良坂は恐縮する。
忘れていたらしい。
彼女の執行人としての将来に、若干の不安を覚える。
だが今さら何か言っても仕方がないだろう。
それに舞奈も人のことは言えない。新開発区ではどうせ電波が届かないから、バッテリーを節約するため携帯の電源を切ってあったのだ。
「なので、至急、支部まで来てほしいとのことです」
「至急って、何があったんだ?」
舞奈の問いに、奈良坂はのほほんと答えた。
「はい。誘拐事件の犯人が見つかったそうです」
婦人が気づいて声をかけてきた。
舞奈は返事を返そうとして、言葉に困る。
自分と彼女の関係がなんなのか、よくわからなかったからだ。
彼女とは、高等部の教室で一度会った。
教室を占拠した彼女たちを追い出すべくテロリストの扮装をして脅かしたのだ。
あのときのテロリストは実は自分だと、告白しても気まずいだけだろう。
かといって、彼女の息子である【雷徒人愚】の面々と親しかったわけでもない。
そもそも何人いたのかすら正式に把握していない。
舞奈は女の子に絡んでいた彼らをぶちのめして、目をつけられた。
幾度もウザ絡みされて、戦果を横取りされたりもした。
舞奈から掠め取った功績で、彼らはAランクに昇格した。
その結果、身の丈に合わない任務に駆りだされた彼らは揃って殉職した。
よく考えれば自業自得である。
だが舞奈に、実の母親の前で死者を貶める趣味はない。
逆に、舞奈が譲った剣によって、舞奈の知人である悟はあの事件を起こした。
婦人の息子を手にかけたアイオスは悟の愛人だ。
それにアイオスとは共闘したこともある。
その事実を話して詫びたとして、舞奈に八つ当たりして溜飲を下げるよりむしろ困るだろう。息子の仇の愛人の知人などと言われても、それはほぼ他人だ。
そもそも【機関】の業務には守秘義務がある。
迷う舞奈を人見知りだと思ったのか、婦人はぽつりと語りはじめた。
「ここにいるのはね、おばさんの息子なの」
寂しそうに笑う。
「小さい頃からやんちゃで手間ばかりかけて、高校生になってもちっとも落ち着かなくて、母さんに内緒でアルバイトをしてて、事故にあってね……」
婦人の頬を涙がつたう。
以前に教室で見た時より、薄化粧な気がした。
(【機関】からそう説明されたのか)
超法規機関である【機関】の作戦における殉職者は、法務部および諜報部の手によって事故や行方不明として処理される。
脂虫と扱いが同じである。
ひとつだけ異なるのは、悪臭をまき散らす人間型の怪異が周囲から疎まれ死を望まれるのと異なり、彼女の息子は母親に愛されていたということだ。
あんな奴らとつるんでいるのだから煙草くらい吸いそうなものだが、彼は(彼らは?)人間と怪異を隔てる一線を超えることがなかった。
いっそ彼が脂虫だったなら、臭い害畜がいなくなって彼女は喜んだだろうか。
だが、そう思うことも、そう思わないことも、何だかしっくりこない。だから、
「おばさんはトマト貰ったのか。トマトマンのトマトだな」
話題をそらすように、婦人が提げたビニール袋を見やる。
高校生の母親が児童向け番組など見ないだろうと、言った後で気づいた。
「あの子ね、トマト嫌いだったの。サラダに入れたら残すし、スープにしても嫌がるし、大変だったのよ」
だが、婦人はただ寂しそうに笑う。
「お墓の前にお供えしたら、食べてくれるかしら」
真新しい仏花が供えられた墓を、じっと見やる。
彼女は息子がいた幸せな時間に戻りたいのだろう。
それを責める権利は舞奈にはない。
舞奈もまた、美佳と一樹がいた暖かい場所に帰ろうとしていたから。
「この高枝切りバサミもね、ボクシングをしたいからって急に言われて、ホームセンターで買ったのよ。それが、あの子の形見になるなんてね」
ふと舞奈は、ハサミの柄が半ばでへし折れて修復されていることに気づいた。
それは明日香がアイオスの呪術を消去しようとして、へし折られた得物だ。
舞奈はやっと、彼女の息子と自分との接点を見つけた。
それは少しばかり無理のある解釈かもしれないが、彼は舞奈の命の恩人だ。
そう思うと、ようやく夫人の顔を真正面から見れた。
隠しきれないしわに齢と苦労を忍ばせるが、意外にも整った顔立ちの美人だ。
「お嬢ちゃんは、死んだ人はどこに行くのだと思う?」
「……虹の向うかな」
婦人に問われ、そう言って空を見上げる。
ずっと昔に、美佳からそう聞いた。
「あら、シスターさんも同じことを言ったのよ。雲の上には神様の国があって、みんなそこで楽しく暮らしてるって。そして、わたしたちを見守っているってね」
婦人も空を見上げる。
「初めて聞いたときは半信半疑だったけど、貴女も言うんだからきっと本当ね」
彼女はただ、そう信じたいのだろう。
舞奈も同じだ。
あの空の向うに、美佳や一樹がいたらどんなに素晴らしいだろうと思った。
仕事人を続けるうちに、そこに何人か加わった。
そして先日には悟や刀也、何人かの執行人。
だから、そうやってしばらく2人で空を見上げていた。
「それじゃ、おばさんはもう行くわ」
そう言って、婦人は少し笑った。
「貴女だって頑張ってるのに、おばさんだけが沈んてちゃダメだものね」
何でそんなことを言うのかと思った。
そして少しばかり長く空を見すぎたと思った。虹などかかっていないのに。
だが婦人の表情は、最初に会った時より少し柔らかくなっていた。
「ああ、そうだ。トマトはチーズといっしょにピザにすると美味しいよ」
「あらあら、ピザは試したことなかったわね」
そう言って笑い合ってから、婦人は霊園を後にした。
「おーい! しもん!」
入れ替わりにリコがやって来た。
ウサギのリュックサックは来た時より膨らんでいる。
「いっぱい貰って来たか?」
「おー! いっぱいもらったぞ! ……でもトマトはもうないって」
「んなもん、来年もらえばいいだろ」
拗ねたリコに言い放つ。
だが、その口元には笑みが浮かぶ。
リコにはそれができるのだから。
「そうだな。来年はランドセルいっぱいにトマトを入れて帰るぞ!」
「いやランドセルには教科書やノートを入れろよ」
リコは来年からは小学生だ。
「それに、蔵乃巣の初等部に来るんならランドセルじゃなくて通学鞄だぞ」
「なんだって!? ランドセルはないのか!?」
驚愕するリコに、舞奈は苦笑しながら背を向ける。
「ちょっくらシスターと話してくるから、大人しく待ってろよ」
「おー! まかせろ!」
リコの元気な返事に見送られて、教会のドアをくぐる。
「あら舞奈さん、いらっしゃい」
古びた椅子が立ち並ぶ質素な教会で、清楚で巨乳なシスターが出迎えた。
「ようシスター、おひさしぶり」
舞奈も挨拶を返す。
以前に彼女に会ったのは、新開発区の霊園予定地を調査する依頼を受けた時だ。
「明日香さんと、一緒にいた彼はお変わりありませんか?」
「……ああ、明日香の奴は相変わらずだよ。今日は当りもしない占いをするっつって、いっしょに聞きこみする約束をほっぽり出して家にこもってやがる」
刀也のことを誤魔化すように、軽薄に笑う。
だが、そんな舞奈を彼女はそっと抱きしめた。
修道服に包まれた豊満な胸が、舞奈の頬を包みこむ。
「……なんだよ急に」
言いつつも、その感触に抗えずに身をまかせる。
「舞奈さん、この世で命を全うした魂は、どこに行くのだと思いますか?」
「……知ってるよ。雲の上の天国だろ?」
「ふふ、何処かでお話ししたのでしたか」
シスターの心地よい笑声を聞きながら、刀也のことを気づかれたのだと悟った。
彼女にはかなわないなと舞奈は思った。
舞奈の知人に魔力を操る魔道士《メイジ》は多い。
だが魔力の源たる精神の力――人の心を癒す術を持つ者は数少ない。
おそらく先程の婦人も、息子を失った悲しみを彼女に癒されたのだろう。
「けど、もう大丈夫だよ」
舞奈が不敵な笑顔で言うと、シスターは自然に手をはなす。
彼女には何もかもがお見通しだ。
「今日は聞きたいことがあってきた」
「はい、何でしょう」
「讃原の派手な事件は【偏光隠蔽】の仕業だ。何か心当たりはないか?」
いつもの調子を取り戻した舞奈は、情報収集という本来の目的を思い出す。
「この件に関しちゃ、たぶんあたしの知ってる誰よりも、近所の人たちと親しいあんたに聞くのが正解だと思った」
「見えない殺人犯の噂ですか……」
シスターはしばし考え、そして何か思い当たったように舞奈を見やる。
「舞奈さんが知りたい情報なのかはわかりませんが」
「聞かせてくれ」
「はい。被害にあわれたオートバイの方々は……」
シスターは言い淀む。
舞奈は無言で先をうながす。
「近所の方に、その、疎まれていたようなんです。年配の方なのですが、言動も荒く、歩き煙草をされたり、排気音も気に障られる方が多いようで……」
シスターの声が沈みがちなのは、死者を悪しきざまに言うのが嫌だからだ。
それに恐らく、善良な住人たちが隣人の死をせせら笑うのも嫌なのだろう。
たとえ脂虫の正体を知らずとも、普通の人間は脂虫を嫌い死を望む。
だが善良なシスターにとってはそれすらも悲しい。
「さんきゅ。参考にするよ」
「こんなことしかお話しできずに恐縮です。舞奈さんもご無理をなさらないよう」
「心配するなって!」
そう言い残し、入るときには浮かんでいなかった笑みを浮かべて教会を出る。
おそらく先程の婦人と同じように。
「ようリコ、大人しくしてたか――って、何の騒ぎだ?」
舞奈が少し話しているうちに、ずいぶん人が増えていた。
何故か桜がミカン箱の上で踊っている。
ミカン箱の前にはリコがいて、桜の妹の幼女2人と、奈良坂と、何故か先ほど別れたはずの婦人がいる。
みんな桜の歌を笑顔で聞いていた。
アイドルを目指しているという桜の歌は、割と残念な部類に入る。
それでも舞奈の口元には笑みが浮かぶ。
救えなかった少年の母親と、救うことができた少女と、そもそも裏の世界に関わりのない少女たちが一緒に笑う。
そんなちぐはぐな様が、天国でも地獄でもないこの世界の縮図のように思えた。
「あ、しもんだ! はなしはおわったのか?」
リコの手には、先ほどまではなかったビニール袋。
見やると婦人の手に袋はない。
婦人はそれを、墓前に供えるより、ピザにするより、物欲しげな子供にあげることを選んだのだろう。
「ちゃんと礼、言ったか?」
「うん! リコはれいぎただしいにんげんなんだ」
リコは笑う。
婦人も笑う。
「マイちゃんってば、桜の歌を聞きにこんな所まで来てくれたのね!」
「どういう解釈をしたらそう思えるんだ?」
ミカン箱の上から投げキスをよこす桜の妄言に苦笑する。
「奈良坂さんは、今度は桜の護衛か?」
「あ、いえ、桜ちゃんは友達の妹さんなんです」
奈良坂はにへらと笑う。
「そっかー、桜と奈良坂さんは知り合いだったのか」
「えへへ、そうなんですよ。桜ちゃん、真面目で良い子ですよね」
「奈良坂さんからはそう見えるか……」
桜の本性に気づいていない奈良坂の素直さに、思わず舞奈は目をそらす。
そしてふと、霊園に新しい参拝者が訪れていることに気づいた。
ウェーブがかかったロングヘアの女子高生と、ポニーテールの女子中学生。
舞奈の知らない顔だ。だが何となく気になった。
どちらも蔵乃巣学園指定のセーラー服を着ている。姉妹だろうか?
2人がいるのは、婦人がいた場所の近くにある小さな墓の前だ。
高校生の方が花を供え、2人の少女はは寄り添うように祈る。
少女たちの足元に野良猫が寄り添い、中学生の方がしゃがみこんで猫を撫でる。
ポニーテールが揺れる。
その様に、舞奈は彼女たちが気になった理由を悟った。
なんとなく昔の仲間を思い出すのだ。
美佳と一樹があんなことになっていなかったら、今頃はあの2人と同じくらいの年頃になっていたはずだ。
それが意味のない感傷だと知りながら、舞奈は見ず知らずの2人を見ていた。
「ねぇねぇ、マイ、これから家に遊びに来ない?」
桜の声に、現実に引き戻される。
遊んでる暇はないと断ろうかと考えたが、よく考えれば聞きこむあてもない。
それなら桜の家で話を聞いた方がマシかもしれない。
それに、もうすぐ昼時だ。ついでに昼飯をご馳走になれるかもとの算段もある。
なので、リコと奈良坂と一緒に桜の家に行くことにした。
そして舞奈たち6人は、平屋の古家が並ぶ大通りをかしましく歩く。
桜の家のある伊或町は、昭和の香り漂う旧市街地でもひときわ古い下町だ。
寂れた小さな八百屋や電器屋、何の店だからよくわからない店舗や、店だか倉庫だかも不明なトタン壁の建物等々、山の手とは真逆の意味で見ていて飽きない。
そんな中、
「舞奈ちゃん、あの店だよ。いっつも桜のこと見てくるキモイ店」
桜は立ち並ぶ店舗のひとつを指さす。
何の店だか知らないが、他の店舗と比べても胡散臭く、確かに曰くありげだ。
店の前には、社用車とおぼしき白い軽四輪が道路にはみ出すように止めてある。
その陰で、男が煙草をふかせていた。
通りの反対側まで漂う異臭に、6人は顔をしかめて不平をこぼす。
舞奈も嫌な顔をしつつ、男を見やる。
がっしりした体格の、豚に似た男だ。
豚男は脂虫に特有な濁った眼で、確かに桜を見ていた。
舞奈の陰に隠れる桜を目で追う。
舞奈が睨みつけると、逆切れするように「なんだテメェ」と大声を上げる。
だが凄みを利かせると怯んで目をそらす。
横柄だが臆病な、典型的な脂虫だ。
悪臭と犯罪をまき散らす脂虫を【機関】は人ではなく怪異と定めている。
だから必要ならば射殺しても問題はない。
だが、流石に桜の目の前で片づけるわけにもいかないだろう。
代わりにテックからもらったオークの絵を取り出して、
「これと似てるな。お前を誘拐した奴とは違うのか?」
「違う人だよ。桜をさらったのは、もっと豚みたいなおじさんだったのー」
「いや、あいつも十分に豚だろ」
冗談めかして舞奈が言うと、桜は笑う。
つられるように桜の妹たちも、リコも笑う。
「あ、そういえば、舞奈さんって携帯持ってますか?」
やぶからぼうに奈良坂が言った。
「呼び出しの指示があったんですけど、繋がらないから見かけたら伝言するようにって言われてたんです」
「……何故、今、それを言う」
舞奈は睨む。
桜の家の昼飯は豪華ではないが、量だけはひたすら多い。
「それは……その、ひらめいたんですよ。今」
奈良坂は恐縮する。
忘れていたらしい。
彼女の執行人としての将来に、若干の不安を覚える。
だが今さら何か言っても仕方がないだろう。
それに舞奈も人のことは言えない。新開発区ではどうせ電波が届かないから、バッテリーを節約するため携帯の電源を切ってあったのだ。
「なので、至急、支部まで来てほしいとのことです」
「至急って、何があったんだ?」
舞奈の問いに、奈良坂はのほほんと答えた。
「はい。誘拐事件の犯人が見つかったそうです」
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
召喚されたけど要らないと言われたので旅に出ます。探さないでください。
udonlevel2
ファンタジー
修学旅行中に異世界召喚された教師、中園アツシと中園の生徒の姫島カナエと他3名の生徒達。
他の三人には国が欲しがる力があったようだが、中園と姫島のスキルは文字化けして読めなかった。
その為、城を追い出されるように金貨一人50枚を渡され外の世界に放り出されてしまう。
教え子であるカナエを守りながら異世界を生き抜かねばならないが、まずは見た目をこの世界の物に替えて二人は慎重に話し合いをし、冒険者を雇うか、奴隷を買うか悩む。
まずはこの世界を知らねばならないとして、奴隷市場に行き、明日殺処分だった虎獣人のシュウと、妹のナノを購入。
シュウとナノを購入した二人は、国を出て別の国へと移動する事となる。
★他サイトにも連載中です(カクヨム・なろう・ピクシブ)
中国でコピーされていたので自衛です。
「天安門事件」
【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
人質から始まった凡庸で優しい王子の英雄譚
咲良喜玖
ファンタジー
アーリア戦記から抜粋。
帝国歴515年。サナリア歴3年。
新国家サナリア王国は、超大国ガルナズン帝国の使者からの宣告により、国家存亡の危機に陥る。
アーリア大陸を二分している超大国との戦いは、全滅覚悟の死の戦争である。
だからこそ、サナリア王アハトは、帝国に従属することを決めるのだが。
当然それだけで交渉が終わるわけがなく、従属した証を示せとの命令が下された。
命令の中身。
それは、二人の王子の内のどちらかを選べとの事だった。
出来たばかりの国を守るために、サナリア王が判断した人物。
それが第一王子である【フュン・メイダルフィア】だった。
フュンは弟に比べて能力が低く、武芸や勉学が出来ない。
彼の良さをあげるとしたら、ただ人に優しいだけ。
そんな人物では、国を背負うことが出来ないだろうと、彼は帝国の人質となってしまったのだ。
しかし、この人質がきっかけとなり、長らく続いているアーリア大陸の戦乱の歴史が変わっていく。
西のイーナミア王国。東のガルナズン帝国。
アーリア大陸の歴史を支える二つの巨大国家を揺るがす英雄が誕生することになるのだ。
偉大なる人質。フュンの物語が今始まる。
他サイトにも書いています。
こちらでは、出来るだけシンプルにしていますので、章分けも簡易にして、解説をしているあとがきもありません。
小説だけを読める形にしています。
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
柩の中の美形の公爵にうっかりキスしたら蘇っちゃったけど、キスは事故なので迫られても困ります
せりもも
BL
エクソシスト(浄霊師)× ネクロマンサー(死霊使い)
王都に怪異が続発した。怪異は王族を庇って戦死したカルダンヌ公爵の霊障であるとされた。彼には気に入った女性をさらって殺してしまうという噂まであった。
浄霊師(エクソシスト)のシグモントは、カルダンヌ公の悪霊を祓い、王都に平安を齎すように命じられる。
公爵が戦死した村を訪ねたシグモントは、ガラスの柩に横たわる美しいカルダンヌ公を発見する。彼は、死霊使い(ネクロマンサー)だった。シグモントのキスで公爵は目覚め、覚醒させた責任を取れと迫って来る。
シグモントは美しい公爵に興味を持たれるが、公爵には悪い評判があるので、素直に喜べない。
そこへ弟のアンデッドの少年や吸血鬼の執事、ゾンビの使用人たちまでもが加わり、公爵をシグモントに押し付けようとする。彼らは、公爵のシグモントへの気持ちを見抜いていた。
もふもふ相棒と異世界で新生活!! 神の愛し子? そんなことは知りません!!
ありぽん
ファンタジー
[第3回次世代ファンタジーカップエントリー]
特別賞受賞 書籍化決定!!
応援くださった皆様、ありがとうございます!!
望月奏(中学1年生)は、ある日車に撥ねられそうになっていた子犬を庇い、命を落としてしまう。
そして気づけば奏の前には白く輝く玉がふわふわと浮いていて。光り輝く玉は何と神様。
神様によれば、今回奏が死んだのは、神様のせいだったらしく。
そこで奏は神様のお詫びとして、新しい世界で生きることに。
これは自分では規格外ではないと思っている奏が、規格外の力でもふもふ相棒と、
たくさんのもふもふ達と楽しく幸せに暮らす物語。
転生先の異世界で温泉ブームを巻き起こせ!
カエデネコ
ファンタジー
日本のとある旅館の跡継ぎ娘として育てられた前世を活かして転生先でも作りたい最高の温泉地!
恋に仕事に事件に忙しい!
カクヨムの方でも「カエデネコ」でメイン活動してます。カクヨムの方が更新が早いです。よろしければそちらもお願いしますm(_ _)m
エラーから始まる異世界生活
KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。
本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。
高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。
冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。
その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。
某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。
実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。
勇者として活躍するのかしないのか?
能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。
多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
初めての作品にお付き合い下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる