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第5章 過去からの呼び声

追跡

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 ピクシオンブレスが光を放ち、もういないはずの仲間の『異変』を告げた。
 舞奈はアパートを飛び出して走る。

「――汝の行く先には暗雲が立ちこめておる」
 旧市街地の入口に差しかかったあたりで、不意に声をかけられた。
 思わず見やると、ビルの隙間に骸骨のような老婆が座りこんでいた。

「母なる声に耳を傾けたが最後、汝は底なし沼に引きずりこまれてすべてを……失うであろう。拒むことさえかなわぬ――」
 老婆は落ち窪んだ眼窩を舞奈に向け、不気味な笑みを浮かべる。
 舞奈は立ち止まり、無言で先をうながす。

「――そして死神とくろがねが、汝を冷たい牢獄に繋ぎ止めるであろう」
「そうかい」
 舞奈は言葉を終えた老婆に一瞥をくれると、そのまま走り出す。
 老婆は骨のような口元を不気味に歪めたまま微妙だにしない。

 だが舞奈は検問の手前で、急に跳び出してきた何者かとぶつかった。

「!? ……って、またおまえか!」
「あらぁン? 縁があるわねン」
 巨乳の修道女、シスター・アイオスだ。
 その背後の電柱の陰から、おどおどと顔を出したのは奈良坂だ。
 舞奈を見やってにへらと笑う。

執行人エージェントと怪人が仲良くデートか? っていうか、追試はどうした?)
 舞奈は顔をしかめ、だが目的を思い出す。

「おおっと、今はそれどころじゃないんだ」
 走り出す。
 それを押し留めたのはアイオスだ。

「邪魔すんな! あたしは他にやることがあるんだ……っておい、やめろ!」
 アイオスは舞奈の全身をまさぐる。
 ジャケットの袖をめくり上げる。
 そしてブラウスの上にはめられたブレスレットに目を向ける。

「似てるけど、これじゃないわよぉン。もうひとつの方ねぇン」
「もうひとつって何だ!? こいつと同じものを探してるのか!?」
「そうよぉン。奪われた魔道具アーティファクトを取り戻す途中なの。だから――」
「奇遇だな。あたしもそいつを追ってるんだ」
「ほ、ほんとうですか!」
 舞奈の言葉に奈良坂が顔を輝かせた。

「よかったです。舞奈さんがいればあの男にも勝てますよ……!」
 あの男というのが何者かを聞こうとして、何となくやめる。
 その答えによって舞奈の行動が変わることはないからだ。
 それに、何となく、それが誰なのかわかっていた。

「お嬢ちゃん、腕に覚えは……あるわよねぇン」
 一方、アイオスは舞奈を値踏みするように見やる。

「まあな」
 舞奈は口元に不敵な笑みを浮かべる。
 覚えも何も、以前に舞奈は彼女を捕えかけたのだ。

「それに、探し物の場所まで案内できる」
「分かったわ、お嬢ちゃン。一時休戦と行きましょう」
 アイオスは笑う。
 舞奈も笑う。

「お姉さン、これから移動のための術を使うから、邪魔しないでねぇン?」
「いいから、とっととしろ!」
 舞奈はパシッと下乳をはたいた。

 そして、数刻の後。

 月夜の空を、3人の女が飛んでいた。
 ギリシャの彫刻を思わせる見事な裸婦の背には、力強く羽ばたく天使の羽根。
 そして、またがるアイオスと奈良坂、舞奈。

「……こりゃまた結構な乗り物だな」
 空飛ぶ女に振り落とされぬよう腰に腕を回しつつ、舞奈は毒づく。
 巨乳の女は大好きだが、裸に剥いて乗り回す趣味はない。
 そのうえ、羽ばたく天使の背は乗り物酔いしそうな嫌な揺れ方をするのだ。

 祓魔師エクソシストが多用する【天使の召喚アンヴァカシオン・デュヌ・アンジュ】。
 デミウルゴスの魔力を【天使の力の変成】によって使い魔にする呪術だ。

 ノーマルな女子高生の奈良坂は真っ赤になってうつむいている。
 裸の女にまたがるのは初めてなのだろう。
 ひどいセクハラだ。

「ファイゼルって男が、ある魔道士メイジから3つのものを奪って逃げたのン」
 だがアイオスは慣れているのか何食わぬ顔で事情を説明する。
 舞奈は無言で先をうながす。

「2つは魔道具アーティファクト。ピクシオン・ブレスとやらと、草薙剣よン。そして3つ目は、草薙剣の使い手」
「……この前のはやっぱりファイゼルか。野郎、生きてやがったのか」
 舞奈は舌打ちする。

「知り合いなのぉン?」
「……まあな」
「それで、わたしとアイオスさんは【組合C∴S∴C∴】から魔道具アーティファクトの奪還と、ファイゼルさんの討伐を依頼されたんです」
 奈良坂がおずおずと説明を引き継ぐ。

「【組合C∴S∴C∴】絡みか、なるほどな」
 ようやく合点がいった。

 魔道士メイジから奪われたものを取り返すのは【組合C∴S∴C∴】の理念に適っている。
 それに【機関】とは異なる価値観を持つ【組合C∴S∴C∴】の老人たちならば、執行人エージェントと怪人にコンビを組ませて仕事を依頼するくらいの事は平気でやってのける。
 以前にアイオスが園香を守ったのも【組合C∴S∴C∴】の差し金だろう。

「それに、魔道具アーティファクトを奪われた魔道士メイジってのはわたしの知り合いなのよン」
「それとファイゼルさんは、【機関】の規定では未登録怪人になるんです。だから討伐に成功すればランクも上がるんじゃないかなーって……」
 そう言って、奈良坂はにへらと笑う。
 彼女にも向上心のようなものはあるんだと、ちょっとだけ安心した。

「わかったよ。で、そいつの目的は分かるか?」
「は、はい……」
 答えたのも奈良坂だ。

「草薙剣には、他の魔力や異能を吸収する力があるんです。だから彼は、ピクシオン・ブレスの魔力を剣に吸収させて、利用するつもりなんだと思います」
 勉学はともかく、その方面の知識は確かなようだ。
 さすがは執行人エージェントといったところか。
 あるいは【弁才天法サラスヴァティナ・ダルマ】が今度こそ成功したのかもしれない。

「へぇ、詳しいな」
 笑いかける。奈良坂は誉められ慣れていないのか、うつむいて照れ笑いした。

「ひとつ聞いていいか?」
 舞奈はふと気になり、側を飛ぶアイオスに声をかける。

「知り合いの魔道士メイジってのは、何者だ?」
「それは、ヒ、ミ、ツ」
 言いつつ頬を赤らめる。

「恋人なのか?」
「まあ、そんなところかしらねン」
「サトに……三剣悟か」
「ちょっと!? ……って、分かるわよね。刀也君と知り合いだったみたいだし」
 妖艶なシスターは生娘のようにうっとりした表情で、夢見るように答える。
 舞奈の口元に乾いた笑みが浮かぶ。

 消えた女を求め続けるよりマシな生き方なんて、世の中にはいくらでもある。
 舞奈より大人だった悟は、そのうちのひとつを見つけたのだろう。

 けれど、本当にそうなのだろうか?
 舞奈が美佳を慕っていたのと同じくらい、悟は美佳を愛していた。
 もう一度、美佳と会えるのだとしたら。
 彼からその言葉を聞いたのは、つい先日のことだ。

 あるいは彼は、美佳を忘れるためにアイオスに溺れようとしているのだろうか?
 舞奈が園香に対してそうしたように。
 そう思うことが、自分の弱さを棚上げして他人を貶めるように思えた。だから、

「……サト兄をよろしくな」
 口元に寂しげな笑みを浮かべ、ボソリとつぶやく。
 悟の側にはアイオスがいる。
 もはや、美佳のいない日々を持て余しているのは自分ひとりだ。

「子供のクセに、生意気言っちゃってン」
 側を飛ぶ女はひとりごち、
「じゃ、お嬢ちゃンは、何のためにブレスを追うのよ?」
 問いかける。

「……気にいらないんだよ」
 舞奈は虚空を睨みつけ、口元を歪める。
「ミカのブレスを、何処の馬の骨とも知れない馬鹿に好き勝手させてたまるか」
「頭の固いお嬢ちゃンねぇ。それ、子供じゃなくてパパの台詞よン」
「ほっとけ」
 舞奈は吐き捨て、だが口元に笑みを浮かべる。

 側に胸の大きな大人の女がいて、側に仏術の使い手がいる。
 美佳はもっと淑やかだし、一樹はもっと力強い。
 だが、舞奈にはこの状況が、自分がピクシオン・シューターだったあの頃の再現のように思えた。夢にまで見た過去の。

 だが、幸せな時間は唐突に終わった。

「……着いたよ。あそこだ」
 舞奈は眼下を見やり、起立する鉄骨のタワーを指し示す。
 旧市街地にあるテレビ塔だ。

 その展望台には、2つの人影。

 天使は音もなく降下する。
 そして舞奈達が飛び降りると同時に消えた。
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