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第5章 過去からの呼び声

導き

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 園香と一夜を過ごした、日曜の朝。

 舞奈はシャワーを借りた後、朝早く真神邸を後にした。

 園香は午前中に帰ってくる両親と買い物に行く約束をしているらしい。
 出張帰りにずいぶんタイトなスケジュールを組む親だなとも思う。
 だが留守がちなことに負い目でもあるのだろう。園香の両親は愛娘にずいぶん甘く、休日は親子揃って出かけることが多い。
 園香の家は、娘ひとりの3人家族だ。

 舞奈は人気のない旧市街地の街を歩く。
 やがて新開発区を封鎖する守衛が見えてくる。

「おはようさん」
「あ、舞奈ちゃん、おはようございます。今日は早いですね」
旧市街地そっちから来たってことは、お泊まりかい?」
「……まあな」
 2人組の守衛に挨拶を返し、住み慣れた新開発区へ向かう。
 舞奈のアパートは新開発区の一角にある。

 乾いた風がジャケットを揺らす。
 すすり泣くような風音に口元を歪ませながら、舞奈は無言で瓦礫の街を歩く。

 そんな舞奈の左右で、空気が動く。

 その次の瞬間、空気からにじみ出るように黒い何かがあらわれた。
 漆黒の毛をした、大型犬ほどもある大きな獣だ。
 毒犬。
 新開発区にたびたび出現する、【偏光隠蔽ニンジャステルス】を持つ犬型の怪異だ。

 舞奈の真正面に出現した毒犬は、吠えながら襲いかかる。
 剥き出しになった鋭い牙が、朝日を浴びてぬらりと光る。

 だが舞奈は動じることなくトートバックから得物を取り出す。
 着替えと一緒に入れておいた拳銃ジェリコ941だ。
 冷たい鉄の銃口がギラリと光る。

 舞奈は片手で拳銃ジェリコ941を撃つ。
 毒犬の口腔をあやまたず穿つ。
 大口径弾45ACPが毒犬の身体を内側から粉砕し、毒犬は汚泥と化して消える。
 舞奈は笑う。

 その背後からも3匹。
 少女の背中めがけて雄叫びをあげながら飛びかかる。

「今日は早いじゃないか! まだ早朝だぞ」
 だが舞奈は軽口をたたきつつ、慣れた調子で後ろに撃つ。
 2匹が撃たれて溶け落ちる。

 毒犬を始めとする怪異は日中にはあらわれない。
 だが太陽が昇り切っていない朝方には、運が悪ければ出くわすことがある。
 舞奈と毒犬、どちらにとって不運なのかはさておいて。

 残された1匹――毒犬の中でもさらに大柄な1匹が肉薄する。
 少女の頭をかみ砕かんと、大きな口が裂けるように開かれる。

 だが舞奈は毒犬の牙を素早く避ける。
 その頭の横に銃底を叩きこみ、崩れたビル壁に叩きつける。
 巨大な獣が、それを上回る少女の筋力によって叩きのめされる。

 その頭に銃口を向け、容赦なく止めを刺す。
 最後の毒犬は汚泥と化して消えた。

「……ったく、せめて弾代になるようなものでも落とせよ」
 別に今は金には困ってないのに、怪異が消えた跡を見やって軽口をたたく。

 これが舞奈の日常だ。
 ただ仕事人トラブルシューターだからというだけではない。
 舞奈は新開発区の住人だ。
 怪異が人を襲う危険な街が、舞奈の街だ。

 3年前は美佳や一樹に付き添われてこの道を歩いた。
 廃墟の通りは、当時の舞奈にとっても普通の街の夜道ほどには危険だった。
 だが今や、この街に舞奈を害せる者はいない。
 舞奈を守れる者もいない。

 だから舞奈は、廃墟の街をひとり歩く。

 そして崩れかけたアパートの前で足を止める。
 新開発区は林坊りんぼう町の一角に、瓦礫にまみれて建つ廃屋のようなボロ家だ。
 その表札には、剥げかけた『コーポ LIMBO』の文字。

 瓦礫が転がる音に側を見やる。
 痩せた野良猫が物欲しげにこちらを見やっていた。
 力なく笑いかけると、猫はひと鳴きして走り去った。

 日曜の早朝だからか、管理人は寝ているらしい。
 だが別に起こさないようにしようとかの配慮はない。
 崩れかけた階段をギシギシ鳴らしながら2階に上がる。

 ドアの前に立ち、部屋の鍵を探してポケットをまさぐる。
 部屋の表札には、印刷された『志門舞奈』の文字。
 その横には、剥ぎ取られた表札の跡に落書きがしてある。

『もえぎみか』。
『かしんかずき』。

 3年前の舞奈が書いた、園児のような酷い字だ。

 苦笑しつつ、見つけた鍵でドアを開ける。
 ただいまも言わずリビングに向かい、安物のソファに座りこむ。
 舞奈はひとり暮らしだ。
 この部屋に、今や舞奈以外の住人はいない。

 ただ古びたローテーブルの上に、同じくらい古びた額縁が立てられている。
 額に入れられた古びた写真には3人の少女が写っている。

 舞奈はそのまま、ソファの上で自分の身体を抱きしめるようにうずくまった。

 園香は最高だった。
 しとやかな仕草も、優しげな微笑みも、柔らかな肌も、甘い吐息も、何もかも。
 身も心も園香で満たしてしまえば、過去など忘れてしまえると思った。
 想い出に苦しむことも、未来を恐れることもなくなると、そう思った。

 だが、天地が混ざり合い夢へと溶けていくような夜が明けた後。
 舞奈の心の中には、塞がれることのなかった心の穴と、何かを汚してしまった様なもやもやした罪悪感だけが残った。

「ミカ……」
 園香は美佳じゃない。誰も美佳の代りにはなれない。
 そんな当たり前のことに改めて気づいて、その事実を持て余して、舞奈はソファの上で膝を抱えたまま、かすれた声でひとりごちた。

「昨日、友だちん家に……泊ったよ」
 写真の中の少女は答えない。
 美佳のぬくもりを感じることのないこの世界は、牢獄のように冷たいままだ。
 だから、舞奈は囚人のように、そのままソファの上でうずくまっていた。

 どのくらいそうしていただろうか。

「……何だ?」
 舞奈はほのかな光で目をさました。

 光源を探してテーブルを見やる。
 淡い光を発していたのは、額縁の前に置かれたピンク色のブレスレットだ。

 ピクシオン・ブレス。
 かつて3人の少女がフェイパレスから授かった魔法のブレスレット。
 魔法少女に変身する【魔道衣の召喚サモン・メイジ・ドレス】の魔術を封じられた魔道具アーティファクトだ。

 舞奈は手元に残されたピクシオン・シューターのブレスを使うことも手放すこともできず、置きっぱなしにしていた。
 エンペラーが倒れ、美佳と一樹がいなくなった、あの日からずっと。

 ひび割れたグッドマイトのブレスは三剣悟が所有している。

 フェザーのブレスの行方は知らない。

「何で今頃、こいつが……?」
 ひとりごちる。

 そして、ふと思い出した。
 この腕輪が、同じ絆で結ばれた仲間の異変を伝えるためにも使われたことに。

 慌ててブレスをひっ掴み、ふるえる手で左腕にはめる。
 すると、脳裏に大まかな方向と距離が浮かび上がった。
 旧市街地の何処かだと思われる。

 舞奈は跳ねるように立ち上がり、玄関に向かって走り出した。
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