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第4章 守る力・守り抜く覚悟

残り香

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「君が排除したというそれは、本当に泥人間の道士だったのかね?」
「本当にと言われると、ちょっと自信が……」
「おいおい、しっかりしたまえ」
 フィクサーは口をへの字に曲げる。

「うう、すいません……」
 奈良坂は凹む。

 立て付けの悪い会議机の、奈良坂の左右には舞奈と明日香。
 対面にはフィクサーとニュット。

 奈良坂は、先日の襲撃事件のことを報告していた。

「その、正確には排除したかどうかも定かではなく……」
「【鹿】よ……」
「うう、すいません……」
 フィクサーに睨まれ、奈良坂は凹む。

「【鹿】と同時に発見されたスーツは、間違いなく件の道士のものです。実際の状況はどうであれ、道士が排除されたのは間違いありません」
「えへへ~、そうですよね~」
 明日香のフォローに、奈良坂が相好を崩す。
 そんな事後報告の風景を見やり、舞奈は笑う。

 先日の、道士に率いられた泥人間・脂虫との死闘。
 その余波で学校の中庭は地獄絵図と化し、道士が1匹逃げた。
 だが駆けつけた小夜子と警備員らの尽力により、大きな問題には成らずに済んだ。

 中庭の惨事が混乱を引き起こさずに済んだのは、実のところ奈良坂のおかげだ。
 思春期まっただ中の小中高生にとって『パンツ丸出しの女子高生が校舎裏に埋まっていた』事件のインパクトは強い。
 だから生徒たちは中庭が多少汚れていた事なんて気にならなかったらしい。

 ちなみに話には尾ひれがついて、初等部に戻った舞奈が聞いた噂は『痴女が中庭を走り回って警備員に追われ、高等部の校舎裏で捕まった』だった。
 チャビーは『痴女に襲われた初等部の女子が倒れた』と聞いて、園香の事ではないかと心配していた。まあ、園香が事件に巻き込まれたのは間違いないのだが。

 テックはもっとひどい噂を聞いたらしい。

 逃げた道士は明日香が追い、消滅を確認した。
 どうやら奈良坂が窓から落ちた拍子に押しつぶしたらしい。
 だが肝心の本人がこの調子なので、真相は闇の中だ。

 舞奈の口元の笑みが、皮肉げに歪む。

 奪われた八坂の勾玉は発見されていない。
 赤いレリーフの結界を作った術者も魔道具アーティファクトも発見されていない。

 さらに、道士が変装していた議員や尼僧を、舞奈は昨日のテレビで見た。
 無論、生放送だ。

 倒された道士が使っていた『表の顔』を、別の泥人間が奪ったのだ。
 泥人間が人間社会に潜伏するための偽物の顔は、こうして受け継がれていく。

 だから、暗殺を仕掛けても意味がない。
 彼らを人間社会から放逐するためには、表の世界の政治を使って社会的に抹殺するしかない。それは別の部署の仕事だ。

 それでも、今回の襲撃者に参加した敵全員の消滅が確認されたのは間違いない。
 一通の脅迫状に端を発した一連の事件は、いちおうの終焉を迎えたことになる。

 だから、登下校時のサチの護衛も無事に完了。
 名残惜しいが、朝日旗のジャケットともお別れだ。
 後で諜報部に顔を出して、挨拶くらいしていこうと思った。

 そして翌日。
 舞奈は普段通りに登校していた。
 ただ、サチを護衛していた頃のクセで家を早く出すぎてしまった。
 なので少し遠回りして、開店前の商店街を通って学校に向かっている。

「いつもより空気がうまいな」
 思わず口元に笑みが浮かぶ。
 普段より街が活気づいて見えるのは、一仕事終えた達成感からだけではない。

 先日の襲撃であらわれた脂虫は、近場で路上喫煙していて動員されたらしい。
 そして道士に操られるまま少女を襲った彼らは、ひとり残らず排除された。
 彼らの死は諜報部・法務部により改ざんされ、事故として順番に処理される。
 なので、今のところこの界隈には歩き煙草をするものはいない。
 現に道端には吸い殻のひとつも落ちていない。

 さらに、こういった『事故』による犠牲者の遺族には、【機関】の息がかかった関連団体から相当額の見舞い金が支払われる。
 身近で悪臭を放っていた身勝手な同居人がいなくなり、さらに臨時の収入だ。
 街が浮かれるのも無理はない。
 空気を読んだいくつかの店は、プチフェアを開催していたりする。

 ちなみに舞奈の懐もそれなりに潤っていた。
 なんせ【機関】から請け負った護衛の依頼を契約通りに完遂したのだ。
 報酬も相応である。
 高価な特殊弾の代金を相殺し、張とアパートの管理人に常識的な範囲でツケを支払ってなお、手元には買い食いできる程度の小遣が残っている。

 仕入れ作業に追われるケーキ屋の、ショーウィンドーに飾られた無駄に高価そうなケーキを眺めながらも商店街を通り過ぎる。

 そして同じ方向に向かう小学生やら高校生やらがちらほらしはじめた頃。

「お。ゾマじゃないか」
 目の良い舞奈は、前を行く長身の少女を見つけた。
 小学生離れした熟れた身体をワンピースに包み、初等部指定の通学鞄を背負ってしずしずと歩く。手には体操服を入れるようなトートバック。

(あれ、今日体育の日だっけ? 体操服なんか持ってきてないぞ……)
 舞奈は苦笑する。
 だが、そんなことは体育の時間に考えればいい。それより、

「おーい、ゾーマー」
 園香の背中に向かって声をかける。
 近くを歩く生徒たちが驚いて見やる。

 園香との距離は離れているが、声に気づいたか立ち止まった。
 少し眠そうなのろのろした動作で振り返る。

 舞奈は口元に笑みを浮かべる。
 園香も舞奈をしばし見やって楽しげな笑みを返す。そして――

 ――一目散に走り去った。

「……へ?」
 舞奈は笑顔の表情のまま固まった。
 今、何が起こったのかわからなかった。

「……今の、ゾマだったよな? みゃー子じゃなくて」
 道行く生徒たちが怪訝そうに見やる中、舞奈は呆然と立ち尽くしていた。

 それでも我に返って登校し、初等部の教室。

「お、明日香にチャビーじゃないか。早いな」
「あ! マイおはよー」
 教室に入ると、向かい合わせに座った明日香とチャビーが顔を上げた。

 明日香も護衛のために速めに家を出ていた癖が残っているのだろう。
 チャビーはそれにつき合わされて算数の特訓中らしい。
 わりといい迷惑だ。
 なのに当の明日香は自分の事を棚に上げて、

「……護衛はもう終わりよ?」
 そんなことを言った。
 舞奈が朝日旗のジャケットを着ていたからだ。

「そんな恰好をしてたって、サチさんに貴方とデートする暇はないわよ」
「わかってるよ、そんなこと」
 舞奈は口をへの字に歪めて明日香を見やる。

 一連の襲撃において、執行人《エージェント》、民間人ともに被害はなかった。
 だが、泥人間が襲撃に使用した脂虫が大量に死んだ。
 デスメーカーの消費分をあわせると、1年前の大清掃作戦以来の大量死である。

 無論、脂虫の生死などを気に病む人間はいない。
 悪臭と犯罪をまき散らす脂虫を【機関】は怪異と見なしている。
 彼らの死は、各支部の諜報部・法務部の手によって穏便に処理される。

 そしてサチはその諜報部に属している。
 脂虫が大量死した後は、彼らの死を処理する仕事でてんてこ舞いだ。

 脂虫を消す業務の流れは、占術士ディビナーが脂虫の個人情報を突き止め、一般の事務員が各方面に手を回して失踪・事故の記録を捏造し、関連団体を経由して口止め料を含めた見舞金を振舞うというシンプルなものだ。

 だが今回は数が多い。
 煙草の税収から捻出されるという見舞い金の財源が足りているのかと他人事ながら心配になるし、公務員なのに残業・徹夜という事態すらあり得るらしい。
 まあ、害獣の駆除という、これ以上なく保健所らしい仕事である。

 そんな死と穢れにまみれた業務に、サチが何の役に立つのかはわからない。
 だが、少なくとも学校帰りにデートしてる場合じゃないことは確かだ。

「けどな、そのサチさんに言われたんだよ。もう1日だけ、こいつを着てろって」
「あらそう。よかったわね、親身に占ってくれて」
「おまえなあ……」
 明日香の軽口にやれやれと肩をすくめる。

 そして視線に気づいて振り返った。

「よっ、ゾマじゃないか。おはよう」
 園香がじっと舞奈を見ていた。
 朝の一件もあるし、正直なところ声の掛け方がわからなかった。
 それでも何食わぬ顔で挨拶する。
 困惑を悟られないようにするのは割と得意だ。

 だが改めて園香を見やって、絶句した。

 園香は、舞奈とおそろいのジャケットを羽織っていた。
 ジャケットにはでかでかと英国旗が描かれている。
 朝には着ていなかった。
 ひょっとして、トートバックの中身はこれだったのだろうか?

「お、おはよう、マイちゃん。……その、似合う……かな?」
 問われた舞奈は返答に困る。

 すごく珍妙な格好だと思った。
 舞奈だって依頼がなければ着ないようなジャケットを、何故に彼女は好き好んで羽織っているのだろうか?

 よく見れば英国旗は手縫いだ。
 もしかして寝ないで縫ったのだろうか?
 何故に!?

「ま、まあ、おまえは何着ても可愛いよ」
 とりあえず、嘘ではないし貶してもいない無難な答えを見つけ出す。
 正確には質問の答えになっていないのだが、褒められたのは嬉しいのだろう。
 園香は恥じらうように笑う。
 その笑みが、薄紅色の花が咲いたように艶やかに感じられた。

「あら、お揃いじゃない」
 明日香が冷やかすように言ってきた。
 舞奈は明日香を睨みつけ、

「……ああ、そういうことか」
 サチが言った言葉の意味を理解した。

 そういえば少し前から、園香は舞奈に何度も誘いをかけていた。
 けれど舞奈は、サチの護衛に気を取られて、そのことをすっかり忘れていた。
 だからサチが気を利かせたのだろう。

「なあゾマ。今日、空いてるか?」
 そう言って笑いかける。

「実はさ、まとまった金が入ったんだ。帰りにケーキかなんか食いたいんだが」
 その言葉に、園香は咲き乱れるように満面の笑みを浮かべた。

 余談だが、下校の際、園香の上着がクレアひとりに大好評だった。
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