片羽のオトは愛を歌う

貴葵

文字の大きさ
上 下
31 / 33
終幕 清らかなまま愛して

片羽の行方

しおりを挟む
「――で、俺のところに来たと」

 夜中に扉を叩いてやってきた浴衣姿のオトが緊張気味にうなずく。
 ノアは前髪を掻きむしり、理性を保つことに努めた。普通の男女なら流れに身を任せることもできるが、相手は雛鳥だ。純潔を失えば神通力を失って夢喰むしを祓えなくなる。

(領事と献上が寝室を共にした記録は本物だが、まさか先任たちは全員修行僧なのか?)

 煩悩で気が遠くなったこめかみを指で押さえる。とりあえず中に入れたのはいいが、さて、これからどうしよう。

「やっぱり、私では献上のお役目を果たせませんか……?」

 歓迎されている雰囲気ではないことを察したオトが自信なさげにうつむく。彼女が考えているお役目とは、魔除けの置物のようなもの。一晩男の本能との対話に徹しなければならないノアの苦行など知る由もない。
 だがシュンとした羽耳を見て、じくじくと罪悪感に蝕まれた。このまま帰したらきっと酷く傷つけてしまう。

「そんなことない。オトが来てくれて助かった」

 純粋無垢な小鳥を傷つけるくらいなら、修行僧にでも仙人にでもなろう。今まさに健全な共寝の火蓋が切って落とされた。

「だが毎日は大変だから、三日に一度くらいにしような」
「? わかりました」

 さっそく弱気な突きジャブが牽制する。何のことかわかっていないオトが可愛くて理性の消耗が著しい。果たして朝までもつのか、もう不安になってきた。



 ∞



 ベッドに入ってもギンギンに冴え渡った視界で隣を見やる。天井の模様を眺める金色の瞳に間接照明の淡い光が揺れる。眠れないのはお互い様らしい。
 思えば、二人きりでゆっくりと時間を過ごすのは初めてだ。せっかくなら有効活用してみるべきか。そこでノアは、ずっと抱いていた疑問をぶつけてみることにした。

「オト、聞いてもいいか?」
「何でしょう?」
「――左の羽耳は、どうしたんだ?」

 失った羽耳を指摘され、華奢な身体が途端に強張ったのがわかる。すかさず布団の下で一回り小さな手を握った。

「言いたくないなら言わなくていい。君を傷つけたいわけじゃないんだ」
「いえ……ノア様にはお伝えしておきたいです」

 もぞりと身体を動かし、二人はひと一人分の空間を保ったまま向かい合う。そしてぽつりぽつりと過去を語り出した。

「私の生まれは本島の街から外れた小さな村です。自然の中で暮らすちょっとした集落でした。島にはそういう村が他にもたくさんあります」

 クレセンティアを構成するのはカージュの小島と総領事館や島主の屋敷が置かれた本島の首都、そして点在する小さな村々。本島は人の足で休みなく十日間ほど歩き続ければ一周できる。そのほとんどを自然が占めているため、人口は十万人にも満たない。

「羽耳を持って生まれた赤子は、離乳してすぐ供物と一緒にカージュへ送られます。でも私は十歳になるまで村で隠匿されていました」
「隠匿?」
「私が生まれた年は凶作で、供物を用意することができなかったんです。それとは別に、毎年カージュには作物や織物などを納めないといけません。苦境に立たされた村の長は、私を村のためだけに歌わせようとしました」

 神獣の加護で悪夢から守護する見返りに供物を提供させる。カージュにとっては必要な物資に違いないが、問答無用の取り立ては無理な年貢と同じだ。
 運よく雛鳥が生まれた村は、これを好機と考えた。自分たちだけの歌姫を育て上げれば、カージュに依存することなく安眠を得られる。密かに洞穴ほらあなの中に祭壇を作り、そこへ母親から取り上げた幼いオトを放り込んだ。鳴け、さえずれ、歌えと強要して。

「毎晩村人たちが集まって、夢喰むし避けに歌を聴きに来るんです。歌わないなんてことは許されませんでした。いえ、むしろ歌うことしか許されなくて……」

 光の当たらない洞穴ほらあなの奥で両足首を枷に繋がれ、外の日差しに目を細めていた。たまに聞こえる子どもたちのはしゃぎ声に焦がれ、鳥の鳴き声に憧れ。

 ある日、一匹の夢喰むしたかられた子どもを抱えた母子がやってきた。オトが歌って悪夢を祓うと「よかった、本当によかった」と目尻をしとどに濡らして歓喜する母親。その横顔が脳裏へ強烈に焼きついた。

 親は子を慈しむもの。なら自分がもっと苦しい目に遭えば、母親が助けに来てくれるかもしれない。胸に灯ったのは仄暗い希望。手頃な大きさの石を岩肌に擦りつけ、密かに研いだ。何日も何十日も何年もかけて研ぎ澄まされたいびつな石刃の切れ味は、あまり良いものではなかったけれど。

「左の羽耳は、自分で切り落としたんです。心配したお母さんに助けに来てほしくて。でも……」

 大切な羽耳を一つ失ったと報せを聞いた母は、洞穴ほらあなに寝かされた娘の元を訪れた。だが与えられたのは優しい抱擁ではなく、鬼気迫る平手打ち。


 ――あんたが歌えなくなったら、私たちの生活はどうなっちまうと思ってんだ!


 雛鳥を生んだ功労として、オトの家族は村から多大な恩恵を受けていた。カージュに捧げる供物と比べたら微々たるものだが、それでも裕福に生きていくには十分な施しだ。名も知らない弟と妹が生まれ、家族は幸せに暮らしているらしい。それを脅かしたオトが憎くて堪らないと顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。母は肩を上下させながら腫れあがった右頬をなぞり、解けない呪いを吐いた。


 ――私たちのために、死ぬまで歌っておくれ。


「それからしばらくして、村の異変に気づいたカージュから告鳥つげどり様たちがやって来ました。セレニティ様の雛鳥を私物化した罪で村は焼かれ……生き残ったのは、私だけです」

 今あるリラだけを抱えて、オトは告鳥つげどりたちと海の鳥居をくぐった。だが無理に歌い続けた後遺症で鳴官は傷つき、トラウマに囚われたままの歌えない片羽として虐げられ続ける日々。そんな痛みが、ようやく終わったのだ。

「……羽耳の痕に触れてもいいか?」

 ただ、慈しみたいと思った。本当にそれだけ。だがオトは涙を浮かべて首を振る。

「手当が疎かになってしまったので、皮膚が引き攣ってしまってとても醜いんです。きっと気分を悪くされてしまいます」

 誰にも見られたくなくて、いつも髪を下ろして隠していた。サヨにだって触らせたことはない。ノアに見せて、もし少しでも嫌悪の表情を浮かべられたら――……そんなの、堪えられない。

「なら、俺も秘密も教えてやる」
「ノア様の、秘密……?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々
恋愛
 姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。  残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。    サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。  誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。  けれど私の心は晴れやかだった。  だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。  ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。

逃げるための後宮行きでしたが、なぜか奴が皇帝になっていました

吉高 花
恋愛
◆転生&ループの中華風ファンタジー◆ 第15回恋愛小説大賞「中華・後宮ラブ賞」受賞しました!ありがとうございます! かつて散々腐れ縁だったあいつが「俺たち、もし三十になってもお互いに独身だったら、結婚するか」 なんてことを言ったから、私は密かに三十になるのを待っていた。でもそんな私たちは、仲良く一緒にトラックに轢かれてしまった。 そして転生しても奴を忘れられなかった私は、ある日奴が綺麗なお嫁さんと仲良く微笑み合っている場面を見てしまう。 なにあれ! 許せん! 私も別の男と幸せになってやる!  しかしそんな決意もむなしく私はまた、今度は馬車に轢かれて逝ってしまう。 そして二度目。なんと今度は最後の人生をループした。ならば今度は前の記憶をフルに使って今度こそ幸せになってやる! しかし私は気づいてしまった。このままでは、また奴の幸せな姿を見ることになるのでは? それは嫌だ絶対に嫌だ。そうだ! 後宮に行ってしまえば、奴とは会わずにすむじゃない!  そうして私は意気揚々と、女官として後宮に潜り込んだのだった。 奴が、今世では皇帝になっているとも知らずに。 ※タイトル試行錯誤中なのでたまに変わります。最初のタイトルは「ループの二度目は後宮で ~逃げるための後宮でしたが、なぜか奴が皇帝になっていました~」 ※設定は架空なので史実には基づいて「おりません」

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【完結】フェリシアの誤算

伽羅
恋愛
前世の記憶を持つフェリシアはルームメイトのジェシカと細々と暮らしていた。流行り病でジェシカを亡くしたフェリシアは、彼女を探しに来た人物に彼女と間違えられたのをいい事にジェシカになりすましてついて行くが、なんと彼女は公爵家の孫だった。 正体を明かして迷惑料としてお金をせびろうと考えていたフェリシアだったが、それを言い出す事も出来ないままズルズルと公爵家で暮らしていく事になり…。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...