片羽のオトは愛を歌う

貴葵

文字の大きさ
上 下
25 / 33
第六話 大陸人の歌姫

悪夢の襲来

しおりを挟む


 個室で無事元の姿へ戻ったアルベルトが、怒気を隠しもせず出てくる。

「一発ぶち込んでもいいか?」
「いいぞ、軍法会議の真っただ中へ連れてってやる」

 腰の拳銃へ手を伸ばす幼馴染を鼻で笑うノア。私情の発砲は一発だろうと重罪だ。どうせできないと高を括った鳩尾みぞおちに、拳銃ではなく弾丸を並べて加工したメリケンサックがめり込む。

「ブフッッッ!!」
「アルベルト様! それはもしや、わたくしが現役時代に女だからとナメられた時に使っていたバレットナックル……!?」
「勇退した英傑の置き土産だ。大事に使わせてもらっている」
「はうぅっ……う、嬉しいですぅ……!」

 歴代の返り血が染みついたアルベルトの拳鍔けんつばを見て頬を染めるハンナ。二人はかつて同じ部隊にいた元同僚である。
 うっとりと瞳を蕩けさせた秘書官の足元で、ノアが腹を抱えてうずくまった。

「クソッ、ゴリラが二体に……!」
「ノア様! 大丈夫ですか?」

 膝をついたオトが心配そうにのぞき込む。純粋に身を案ずる姿はまるで礼拝室に飾られた乙女像のよう。感極まって淑やかな胸へひしと抱きついたノアを、軍靴とハイヒールが容赦なく叩きのめした。



 ∞



 用事が済み、一人だけボロボロになった領事を連れて門へ向かう最中。
 坂の脇道にある船着場が騒がしいことに気づき、四人は足を向けた。

『キース! しっかりしろ!!』

 人だかりの中心にいたのは、ノアとオトに険悪な態度を見せていた門番だった。余裕のない大陸語で声で呼びかける人影には、隙間なく黒いはねたかっている。

『――ッ、全員退避! 警報発令、急げ!』

 夢喰むしを視認し、アルベルトが声を張る。はっとした軍人たちがそれぞれの持ち場へ急いだ。残されたのは隊を預かる艦長と、横たわる男を涙ながらに抱きしめる門番だけ。

『いつたかられた』
『海洋巡視中の仮眠時かと……』
『所属不明船に気を取られて見張りを怠ったな? 始末書は後で貰おう』

 アルベルトよりも年高な艦長は、青い顔を苦々しく歪めた。
 クレセンティアの海域を数日間に渡り巡視する隊員たちは、浅い眠りの中で厳しい船上生活を送っている。少しでも気を抜いて欠伸でもしようものなら、どこからともなく現れた黒い蝶に覆われてしまうから。先日命を落とした隊員もそうだった。

『グレイ、キースを離すんだ。規定に則り海へ送り出す』
『ッ……!』

 アルベルトにグレイと呼ばれた門番は、大柄な身体をビクつかせて首を横に振る。夢喰むしが覆い尽くした身体を抱き、日に焼けた頬を涙で濡らした。

『お前の兄が亡くなった時に皆で決めただろう。初期症状を過ぎてしまうと献上一人では助けられない。これ以上被害を広げないために、海へ還すんだ』
『でもっ……キースは俺の弟だ……! 兄に続いて弟まで失うなんて、納得できません! それに、こいつはまだ生きてるんですよ!?』
『キースの命を吸い終わればまた別の者を襲う。そうなる前になるべく遠くへ送り出すしかない。艦長、小船の準備を』
『そんなっ……嫌です! ……っ、嫌だ!!』

 助からない者のために献上まで失うわけにはいかない。助かるはずの命まで助からなくなってしまう。前回の悲劇でそれを学んだ彼らは、手遅れになった仲間を小船に一人乗せて海へ放つと決めていた。
 取り乱すグレイの目の前で、艦隊から小船が降ろされる。

「――ッ、献上ォ!!」
「っ!?」

 グレイの喉が張り裂けんばかりのクレセンティア語で呼ばれ、身体を強張らせた。
 話している内容はわからなかったが、グレイの悲痛な表情から大体の状況は察することができる。そして、彼が自分へ向ける憎悪の意味も。

「歌え! 歌えよ! それがお前らの存在意義だろうが!!」
「っ、ぁ……」
「オト様、聞かなくて良いです」

 青褪めた表情で震え上がったオトをハンナがとっさに抱き寄せる。羽耳を手で塞ぎ、抑えの利かない悲しみと怒りの暴言を遠ざけた。だが、言葉の刃はその切れ味を増すばかり。

「何でお前らはそんなに無力なんだ! 何がセレニティの雛鳥だ! どうして俺たちを助けてくれない! 助けろよ、なぁ!! 歌え、歌えって!!!」


 ――鳴け、さえずれ、叫べ、歌え。


 ぶわりと蘇った記憶に、歯がかちりと音を立てる。呼吸が浅く速いものへと変わり、心音が鼓膜を包んだ。

(やっぱり、私じゃ――……!)

 過去のトラウマに屈服しそうになった、その時……。

「オトはどうしたい?」

 小刻みに震える手を握ったノアが問う。やけに明瞭な声は、オトの視線を釘付けにする。

「わ、私、やっぱりできな――」
「できるかできないかではなく、本当はどうしたい? 自分にできることしかしてはいけないなんてことはないはずだ」

 指の間を固く握り込み、優しくも力強い視線でオトを見つめる。彼に導かれるように、命を吸い取られる家族を抱いて泣き喚くグレイを見た。

 彼らが何のために島へ来て、何と戦っているのか。大陸人がクレセンティアの開国を支援するためにどれほど尽力してくれているか。何も知らなったオトへ、ノアが一つずつ教えてくれた。彼らを救うことが島を守ることにも繋がると。

 弟と引き離そうとする仲間へ激しく抵抗する彼を嘲笑うように、黒いはねがはためく。太ましい顎を止めどなく伝う涙に、何も感じないわけがない。

「――助けたい、です」

 胸のうちに湧いた感情を吐露する。ノアを助けた時だってそうだった。名も知らぬ誰かのために震える心を叱咤して、どれだけ無様だろうと歌った。命のためなら、オトは歌える。

「そう言ってくれると、信じていた」

 微笑んだノアは、グレイを取り囲む集団へ足を向ける。

「いい加減にしろ、グレイ! お前だけが辛いなどと思うな!!」

 悲痛に顔を歪めたアルベルトが振り上げた拳をノアが掴む。驚いて振り返った幼馴染へ、珍しく真剣な眼差しで告げた。

「彼を海へ送るのは延期だ。総領事館へ移送する準備をしろ。俺の小鳥が歌うそうだ」
「歌うって、この量を一人でなんて……!」

 前任の献上が命と引き換えに歌っても、祓いきることはできなかったのに。アルベルトが凛々しい眉をひそめる。

「大陸人の命を守るのが領事の務め。彼女はそのことをよく理解してくれている。つまり、これは俺たちの仕事だ」

 一心不乱に抵抗して泣いてばかりだったグレイが顔を上げる。いけ好かない領事の隣に片羽の少女が寄り添った。今にも倒れそうなほど血の気の引いた顔で、それでも目の前の命をしっかりと見据えて。

「私が献上だからではなく、あなたが大陸人だからでもなく……たった一つの尊い命のために、どうか歌わせてください」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

愛していないと離婚を告げられました。

杉本凪咲
恋愛
公爵令息の夫と結婚して三年。 森の中で、私は夫の不倫現場を目撃した。

側室は…私に子ができない場合のみだったのでは?

ヘロディア
恋愛
王子の妻である主人公。夫を誰よりも深く愛していた。子供もできて円満な家庭だったが、ある日王子は側室を持ちたいと言い出し…

愛されていないはずの婚約者に「貴方に愛されることなど望んでいませんわ」と申し上げたら溺愛されました

海咲雪
恋愛
「セレア、もう一度言う。私はセレアを愛している」 「どうやら、私の愛は伝わっていなかったらしい。これからは思う存分セレアを愛でることにしよう」 「他の男を愛することは婚約者の私が一切認めない。君が愛を注いでいいのも愛を注がれていいのも私だけだ」 貴方が愛しているのはあの男爵令嬢でしょう・・・? 何故、私を愛するふりをするのですか? [登場人物] セレア・シャルロット・・・伯爵令嬢。ノア・ヴィアーズの婚約者。ノアのことを建前ではなく本当に愛している。  × ノア・ヴィアーズ・・・王族。セレア・シャルロットの婚約者。 リア・セルナード・・・男爵令嬢。ノア・ヴィアーズと恋仲であると噂が立っている。 アレン・シールベルト・・・伯爵家の一人息子。セレアとは幼い頃から仲が良い友達。実はセレアのことを・・・?

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

【完結】本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

処理中です...