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第四話 運命
傷痕に沁みるのは
しおりを挟む「あだッ!」
背中を強打したノアを冷めた目で見下ろす……いや、見下すのは、鮮やかな赤毛のまとめ髪が目を引く女性だった。メリハリのある身体にダブルボタンの濃紺のワンピースがよく似合っている。胸元に光るのは双頭の竜の意匠が施された銀のブローチ。リュクスの公人に仕える秘書官の制服だ。
「やってくれたな、ハンナ……」
「リュクスの問題児の手綱をしっかり握るよう、外務省からきつく仰せつかっておりますので」
「チッ、結婚適齢期を逃したゴリラめ」
「うふふ、嫌ですわノア様ったら。昔から本当に口が達者なクソガキなんだから……」
真珠のブレスレットを外して拳に握り込めば、簡易拳鍔の出来上がり。武装で高めた覇気を容赦なくぶつける。「戦場の血薔薇」と呼ばれた国防省上がりの敏腕秘書官は、腕っぷしも文句なしに優秀である。
そんな茶番劇をする二人の横を、幼鳥がパタパタと足早に駆け抜けた。
「オト姉様! 純潔はご無事ですか!?」
サヨが勢いよくベッドに飛び乗った。涙目になる少女を受け止め、オトはわけもわからぬまま小さく頷く。たぶん、大丈夫なはず。あのまま熱が爆ぜていたらどうなっていたかわからないけれど。
「サヨ、どうしてあなたまで……それにここはどこなの?」
困惑する様子を見て、ハンナが元凶へ絶対零度の視線を送る。
「ノア様、もしや雛鳥様に何もご説明しておりませんの?」
「羽耳の神秘を前に説明なんてしてる場合か?」
「クズ……あっ、失礼。まるで倫理観が死んだ猿でございますね」
「それ言い直す意味あったか?」
丁寧に罵倒する秘書官を半目で睨む領事。一見破綻した力関係に見えるが、根底には親しさに似た感情も見え隠れしている。
仲が良いのか悪いのか分からない二人が睨み合う中、姉鳥の首に幼鳥がひしと抱きつく。
「ここは本島の総領事館です。オト姉様は、献上に選ばれました」
「献上……!? じゃあ、やっぱりこの人が……」
小柄な背中越しに、恐る恐るノアを――リュクスの領事を見上げる。
オトの視線に気づいた領事は、ハンナを睨んでいた瞳を柔和に細めて彫刻顔に微笑みを浮かべた。
「改めて、リュクス総領事館を預かるノア・ブランだ。君たち雛鳥を歓迎する」
匂い立つような色男が、ベッドの隅で縮こまるオトの右手を取る。演奏のために爪は手入れされているが、張りがなく骨ばったみすぼらしい手だ。長年リラを弾き続けて硬くなった指の腹を掬い、そのまま手の甲に薄い唇を押し当てた。
「ひぇっ」
「キャーッ!」
触れた場所からじゅわりと広がる熱に引き攣った声を上げるオト。刺激的な光景を目の当たりにして興奮気味なサヨ。初心な雛鳥たちを見上げて笑う悪い顔は、ぐうの音も出ないほど作り物めいていて、美しい。
大陸では手の甲や頬、額に唇で触れることが親愛の証になると聞いたことがある。そんな身に覚えのない感情を直接身体へ流し込まれているような気がして、オトはどうしようもなく落ち着かない。
だがふと、机に置かれたリラが目に入った。弦が切られたままの無残なリラが。
瞬間、オトの脳裏に鉄扇の痛みが蘇る。
――本っ当に憎らしい片羽だわ!
――せいぜい雄に媚びて優しくしてもらいなさいな、この醜雌鳥。
「っ……!」
羽耳にこびりついた罵倒が傷口に爪を立てるようだった。歌えない片羽の雛鳥が献上の役目を果たせるはずも、ましてや愛されるはずもないと。
「オト?」
「ごめん、なさい……」
急に震え上がったことを不思議がる領事の手を払い、傍らの幼鳥へ縋るように抱きつく。
姉鳥の心情を察してか、サヨもスンと鼻を鳴らした。
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