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第三話 鳥籠を開けて
壊された音
しおりを挟む折檻殿に入れられて四日目の朝。
ようやく赦しが下り、オトはふらつきながら外へ出た。
丸三日閉じ込められた社殿の中はがらんとしている。仕置きの道具があるわけでも、中で体罰を受けるわけでもない。この建物に入ると、セレニティの力で全ての音を奪われるのだ。歌の練習をする雛鳥たちの声、外を歩く音、自分の呼吸音や服が擦れる音でさえも。無音は最恐の狂気と成り得る。初日に正気を失う者も多い。
アタラは告鳥に嘘の申告をしたことで、結局一日だけ共に折檻を受けた。
先に外へ出た彼はどうしているだろうか。ちゃんと謝罪をしなければ。
そんなことを考えて壁伝いに庭を歩いていたオトの頭上に、前触れなく大量の水が降りかかった。
「きゃっ……!」
「お勤めご苦労様、片羽女~。喉乾いたでしょ? 埃を絞った汚水だけど、それ飲んでもいいよぉ」
「あんたのせいでアタラ様まで折檻されたって本当?」
「うちらの楽徒の足まで引っ張らないでよ、疫病神」
物見の塔の二階から桶をひっくり返した三人が、ずぶ濡れになったオトを見下ろして嘲笑した。この様子だと、オトが多くの夢喰を祓ったことは伏せられているらしい。
疲労困憊の精神とすでに底を尽きた体力へ、さらなる悪意の追い打ち。歯向かう気力もない。それに……。
(私がアタラを巻き込んだのは、本当だもの……)
壁に手をついて再び歩き出す。頭上から「つまんないヤツ」と吐き捨てられた。
ずぶ濡れにされた身なりを整えるため、東の居住区へ向かう。果てなく感じる廊下を気力だけで歩き続けた先に、悲痛な嘆願が響き渡った。
「やめて! それはオト姉様の大切な楽器なの!」
居住区の端に位置する、最も日当たりが悪く寒い部屋。その中心に春華の精のような歌姫が佇む。畳を踏む彼女の足元には、無残に弦を切られたリラが転がっていた。
「オト姉様……」
狭い部屋の暗がりで涙を流して震えるサヨが、こちらに気がついた。美しい顔を怒気で歪めたメルヴィも、ゆっくりと振り返る。
彼女は小汚い襤褸雑巾へ大股で近づくと、困惑する横面へ扇子を思い切り振り抜いた。左頬を直撃した衝撃と痛みに、声すら上げられず倒れ込む。
「本当に卑しい醜雌鳥だわ! 雄に現を抜かしてよその楽徒に軽んじられるなんて、あたくしの顔にどれだけ泥を塗れば気が済むの!?」
雄とは、おそらくアタラのこと。大陸人のことは誰にも口外していない。
それからもメルヴィの怒りは収まらず、耳が痛くなるような罵詈雑言を浴びせ続けた。あまりの激昂っぷりに、元気が取り柄のサヨも部屋の隅で羽耳を塞ぎ、縮こまる。「ごめんなさい、もうしません」と懺悔する悲痛な涙声が枯れるまで、手の付けられない癇癪は続いた。
やがて嵐が去った部屋の中で、サヨのすすり泣く声だけが聞こえる。
「オト姉様、ご、ごめんなさいっ……! 楽器、壊されちゃった……うぅぅっ……!」
「サヨ……」
酷く重く感じる身体に鞭を打ち、這うようにしてサヨに近づく。
短く切り揃えた鳶色の髪を胸に抱き、ひりひりと痛む頬を頭に添えた。
「怪我はない? 怖かったよね、ごめんね……」
「ふっ、うぅっ……うわぁぁあああん!」
緊張の糸が切れて泣きじゃくる少女の背中を何度も撫でた。濁った金の瞳から涙がしとしとと零れ落ちる。曇った脳裏に過るのは、ツツジ並木の出逢い。
――片方しかないから何だって言うんだ。
――助けてくれたこと、礼を言う。
憐みや信仰ではない真っ直ぐな言葉をかけられたあの時。生まれて初めて、対等に見てもらえた気がした。それは相手が見ず知らずの大陸人で、オトが役立たずの半端者であることを知らないから。
もしかしたら、誰かの役に立てるかもしれない。
もしかしたら、誰かに必要としてもらえるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いてしまっていたことに、今さら気がついた。傷つくことは慣れているはずなのに、胸が苦しくて仕方がない。三日三晩閉じ込められている間に引いてしまった喉の痛みが、今は恋しい。
底なしの悲しみへ沈溺しそうになったその時。荘厳な鐘の音がカージュに響き渡る。
「鐘楼……」
力なくオトが言う。それは雛鳥を呼び集める合図。招集の号令に逆らうことはけして許されない。
二人は鈍く感じる身体に鞭を打ち軽く身なりを整え、重い足取りで本殿へ向かった。
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