片羽のオトは愛を歌う

貴葵

文字の大きさ
上 下
2 / 33
第一話 セレニティの雛鳥

夢喰採り

しおりを挟む


「夢やうた
 つつ闇の水曲みわたへ落つるとも」

 照明が当たらない末席で竪琴リラの弦をはじくオトの位置からは、絢爛けんらんな舞台の様子が一望できる。

 さびれた夜の漁師小屋とは思えない、壮観な景色だった。
 たおやかな横笛と弦の繊細な音、それらを優美にまとめるつづみ拍子リズム
 重なり合う音楽に合わせて、華美な羽耳を持つ麗しい雛鳥ひなどりたちが着物をひるがして踊る。まるで四季に咲き誇る旬の花々が一堂に会したようなあでやかさだ。
 その中心で圧巻の奉唱ほうしょうを響かせる、一人の歌姫。豪奢な唐紅からくれないの着物に負けない美姫は、舞台装置の丸い吊り提灯ちょうちんの下、髪色と同じ淡い桃色の羽耳を堂々と広げて高らかに歌い上げる。
 彼女が歌を捧げていたのは、寝台に群がる黒い蝶。暗闇が「こいこい」と手招くように、大ぶりなはねがわさわさとうごめいた。

 人間を悪夢に閉じ込めて生命力を吸う妖虫ようちゅう夢喰むし

 月島クレセンティアにだけ生息する黒い蝶は、炎や香木の煙では追い払うことができない。はらえるのは、神鳥セレニティの加護を受けた雛鳥たちの歌声だけ。

空蝉うつせみくは空の鏡
 浮舟うきふねから不知火しらぬいを見よ
 いざなおう、神鳥かんどり有栖ありす

 玄関先の土間に設けられた客席では、母親と二人の幼子が夢喰採むしとりの儀を固唾かたずを飲んで見守っていた。寝台の上で黒い蝶に覆われているのは父親だ。
 夢喰採むしとりは死の夢境から目覚めさせるための儀式。夢喰むしたかられている間は恐ろしい悪夢に囚われ続け、命を吸い尽くされて死に至る。
 
 選ばれし乙女の主旋律に合わせて、周りの奏者もそれぞれの楽器を奏でながら喉の鳴管を鳴らした。神鳥かんどりに与えられた神秘的な器官から発せられる歌声には、夢喰むしを追い払う神通力が宿っている。
 伴奏を奏でていたオトも、意を決して息を吸い込んだのだけれど――。


 ――さえずれ、喉が裂けようと。
 ――鳴け、命尽きるまで。


「――ッ!」

 途端におぞましい記憶が蘇り、指をたがえた。吸い込んだ空気が声にならず、それどころかせ返ってしまう。演奏中に咳をしたオトを射殺さんばかりに睨む歌姫の眼光の鋭さも相まって、ヒュッといびつに喉が鳴った。

 洗練された演奏の中では、ほんのわずかな雑音も耳障りになる。
 これ以上余計な音を立てないように、歌うことを諦めて口をつぐむ。噛み癖がついた下唇に歯を立て、震える指で必死に弦をはじいた。
 そうしているうちに神楽鈴かぐらすずの音が激しくなり、曲はいよいよ終盤を迎える。

可惜夜あたらよ何処いずこ
 繊月せんげつおぼろに溶けて
 恋しや黎明れいめい
 うたへ、歌へ」

 美しい高音域をどこまでも伸ばして、伸ばして、伸ばして。
 その歌声に吸い寄せられた蝶たちが、寝台から一斉に飛び立つ。袖に控えていた幼鳥ようちょうたちが宙を舞う漆黒を見上げ、膝の上に乗せた籠の蓋を開けた。

 ババババババッ!

 鳥の羽音と聞き間違えそうなほどの轟音を立て、夢喰むしが四角い籠へ吸い込まれて行く。深淵の先まで見通せそうなほど黒々と豹変した籠の中へ最後の一匹が入るのを見届けて、蓋が閉められた。

「うぅ……」

 幕が下りた舞台に低い呻き声が響く。夢喰むしが祓われ、十日ぶりに父親が悪夢から解放されたのだ。母親が子どもの手を引いて寝台へ駆け寄る。眠りっぱなしで衰弱しているが、伸ばした手をしっかり握り返した様子に、堪えていた涙が溢れた。

「セレニティ様の恩寵おんちょうに、心からの感謝を……! 雛鳥の皆様、本当にありがとうございました!」

 鳴き笑う家族の様子に、オトは胸に手を当て、ほっと撫で下ろす。

 だが不意に、喉を裂く剃刀かみそりのような視線が突き刺さった。
 視線の元はわかっている。取り巻きのおどどりたちが「素晴らしい歌声だった」ともてはやす輪の中心。煌々こうこうと燃え盛る紅玉ルビーの瞳を吊り上げた歌姫はそれはもう恐ろしい形相で、まるでオトを捕食する蛇のよう。

「オトさん」
「はい……」

 蚊の鳴くような返事だった。
 オトはいつもそう。自信がこれっぽっちもなくて、惨めで。消えてしまいたいと思っても実行する勇気がない臆病者。その弱々しい態度が火を煽る風となり、自身に降りかかる火の粉を大きくする。

「カージュに戻ったら、わかっているわね?」
「は、い……」

 これからの仕打ちを思い浮かべ、噛み締めすぎた下唇からじわりと鉄の味が広がる。
 右の側頭から生えた焦げ茶色の羽耳はすっかり委縮し、しゅんと折り畳まった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ひとすじの想い

月夜野 すみれ
恋愛
鬼の少年・流(りゅう)は常に他の鬼に殺されそうになりながら戦って生きのびてきた。流は10歳くらいの子供らしい。 親はおらず、ずっと一人だった。流の腕には文字が書かれている。 襲ってくる鬼の中には流と同じように体に字が書かれている者がいた。 山の中で大ケガをして倒れた時、人間の少女に助けられた。 10歳くらいに見えるその少女・水緒は山奥の村で暮らしていた。 流は水緒の家で暮らし始める。 ある日、流の父に仕えている保科と名乗る鬼が現れ、流が狙われる理由を教えてくれた。 死ぬまで命を狙われ続けると聞かされ、一度は水緒の安全のためにと離れたものの、どうしても忘れることが出来なかった。 君想う。幾度も。君に恋焦がれ……。 カナ表記してますが「ぐる」は和語です。 >浄瑠璃・鑓の権三重帷子(1717)上「目代になる此の乳母はぐる也」 ネタも和語です(種の逆さ言葉)。 他のカナ表記も和語です。 アルファポリス、小説家になろうにも同じものを投稿しています。 アルファポリスとなろうは細切れ版です。

妖狐の寵愛~影無し少女の嫁入り~

奏白いずも
恋愛
影が無いことから冷遇され名前も与えられず、あやかしを狩ることだけを命じられた少女は人の側でいたいと毎夜刀を振るう。ところがある夜、強敵妖狐との遭遇に死を覚悟するが、勝手に連れ去られた挙句一方的に椿と命名されともに暮らすことに。戻る場所を失った椿はあやかし屋敷で朧と名乗る妖狐の命を狙うも殺せなければ妻となることを約束させられてしまい――妖しか人か、狭間で揺れる少女の物語。(旧・妖しな嫁入り)

婚約破棄される前に婚約破棄したい姫と、そんな姫を宥める婚約者の話

下菊みこと
恋愛
和風なお話が書いてみたかった…。 小説家になろう様でも投稿しています。

赤い箱庭

日暮マルタ
恋愛
学校からの帰り道、 具合を悪くした主人公サヤカは気付けば紅葉の美しい神社の境内に倒れていた。 そこで出会う主様という妖に、 まっすぐな愛情を向けられて戸惑うサヤカ。 そんな中、この世界に迷い込む人が現れ、 主様の言葉の真実を知る。 最初から好感度マックスの元神との恋愛、人外×少女の和風恋愛ファンタジー。

遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
巴 金香(ともえ このか)は寺子屋で教師手伝いをしている十九才。 母を早くに亡くし父親は仕事で留守であることが多く、家庭の愛情に恵まれずに育った。そのために自己評価の低いところがあり、また男性を少し苦手としている。そのため恋にも縁がなかった。 ある日、寺子屋に小説家の源清 麓乎(げんせい ろくや)が出張教師としてやってくる。 麓乎に小説家を目指さないかと誘われ、金香は内弟子として弟子入りすることに……。 【第一回 ビーズログ小説大賞】一次選考通過作品

17歳のばあちゃんへ...そして愛しい貴方へ。昭和にタイムスリップした私はばあちゃんになり恋をした

江戸 清水
恋愛
都内で一人暮らしの私は、朝起きると見慣れない部屋にワープしている これはいったい?昭和の戦時中と昭和40年代に出逢う人たちと共に 戦争、恋、仕事、事件、事故、を経験をする.....

処理中です...