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第一話 セレニティの雛鳥
夢喰採り
しおりを挟む「夢や謳へ
つつ闇の水曲へ落つるとも」
照明が当たらない末席で竪琴の弦を弾くオトの位置からは、絢爛な舞台の様子が一望できる。
寂れた夜の漁師小屋とは思えない、壮観な景色だった。
嫋やかな横笛と弦の繊細な音、それらを優美にまとめる鼓の拍子。
重なり合う音楽に合わせて、華美な羽耳を持つ麗しい雛鳥たちが着物を翻して踊る。まるで四季に咲き誇る旬の花々が一堂に会したような艶やかさだ。
その中心で圧巻の奉唱を響かせる、一人の歌姫。豪奢な唐紅の着物に負けない美姫は、舞台装置の丸い吊り提灯の下、髪色と同じ淡い桃色の羽耳を堂々と広げて高らかに歌い上げる。
彼女が歌を捧げていたのは、寝台に群がる黒い蝶。暗闇が「こいこい」と手招くように、大ぶりな翅がわさわさと蠢いた。
人間を悪夢に閉じ込めて生命力を吸う妖虫、夢喰。
月島にだけ生息する黒い蝶は、炎や香木の煙では追い払うことができない。祓えるのは、神鳥の加護を受けた雛鳥たちの歌声だけ。
「空蝉が行くは空の鏡
浮舟から不知火を見よ
誘おう、神鳥の有栖」
玄関先の土間に設けられた客席では、母親と二人の幼子が夢喰採りの儀を固唾を飲んで見守っていた。寝台の上で黒い蝶に覆われているのは父親だ。
夢喰採りは死の夢境から目覚めさせるための儀式。夢喰に集られている間は恐ろしい悪夢に囚われ続け、命を吸い尽くされて死に至る。
選ばれし乙女の主旋律に合わせて、周りの奏者もそれぞれの楽器を奏でながら喉の鳴管を鳴らした。神鳥に与えられた神秘的な器官から発せられる歌声には、夢喰を追い払う神通力が宿っている。
伴奏を奏でていたオトも、意を決して息を吸い込んだのだけれど――。
――囀れ、喉が裂けようと。
――鳴け、命尽きるまで。
「――ッ!」
途端におぞましい記憶が蘇り、指を違えた。吸い込んだ空気が声にならず、それどころか噎せ返ってしまう。演奏中に咳をしたオトを射殺さんばかりに睨む歌姫の眼光の鋭さも相まって、ヒュッと歪に喉が鳴った。
洗練された演奏の中では、ほんのわずかな雑音も耳障りになる。
これ以上余計な音を立てないように、歌うことを諦めて口を噤む。噛み癖がついた下唇に歯を立て、震える指で必死に弦を弾いた。
そうしているうちに神楽鈴の音が激しくなり、曲はいよいよ終盤を迎える。
「可惜夜は何処
繊月の朧に溶けて
恋しや黎明
謳へ、歌へ」
美しい高音域をどこまでも伸ばして、伸ばして、伸ばして。
その歌声に吸い寄せられた蝶たちが、寝台から一斉に飛び立つ。袖に控えていた幼鳥たちが宙を舞う漆黒を見上げ、膝の上に乗せた籠の蓋を開けた。
ババババババッ!
鳥の羽音と聞き間違えそうなほどの轟音を立て、夢喰が四角い籠へ吸い込まれて行く。深淵の先まで見通せそうなほど黒々と豹変した籠の中へ最後の一匹が入るのを見届けて、蓋が閉められた。
「うぅ……」
幕が下りた舞台に低い呻き声が響く。夢喰が祓われ、十日ぶりに父親が悪夢から解放されたのだ。母親が子どもの手を引いて寝台へ駆け寄る。眠りっぱなしで衰弱しているが、伸ばした手をしっかり握り返した様子に、堪えていた涙が溢れた。
「セレニティ様の恩寵に、心からの感謝を……! 雛鳥の皆様、本当にありがとうございました!」
鳴き笑う家族の様子に、オトは胸に手を当て、ほっと撫で下ろす。
だが不意に、喉を裂く剃刀のような視線が突き刺さった。
視線の元はわかっている。取り巻きの踊り鳥たちが「素晴らしい歌声だった」と囃す輪の中心。煌々と燃え盛る紅玉の瞳を吊り上げた歌姫はそれはもう恐ろしい形相で、まるで蛙を捕食する蛇のよう。
「オトさん」
「はい……」
蚊の鳴くような返事だった。
オトはいつもそう。自信がこれっぽっちもなくて、惨めで。消えてしまいたいと思っても実行する勇気がない臆病者。その弱々しい態度が火を煽る風となり、自身に降りかかる火の粉を大きくする。
「カージュに戻ったら、わかっているわね?」
「は、い……」
これからの仕打ちを思い浮かべ、噛み締めすぎた下唇からじわりと鉄の味が広がる。
右の側頭から生えた焦げ茶色の羽耳はすっかり委縮し、しゅんと折り畳まった。
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