ひとりたりない

井川林檎

文字の大きさ
上 下
13 / 46

しおりを挟む
 総合病院で処方された薬は、婦人科というより、心療内科よりのものだった。処方を見た時、怜は微妙な気分になった。なるほど、あっさりと見立てられてしまい、不本意な気分はもちろんあるが、これで自分の状態を客観的に認めることができそうだ。
 自分は心を病んでいるのだ。
 体の不調は心の不調を治せば、なんとかなるのかもしれないーー納得できているわけではなかったが。
 
 薬のせいだろう、幾分ぼうっとした気分でテーブルに座っていた。
 朝食は、ジャムパンを一つ食べた。服薬は済ませている。総合病院の医師は、やぶではないらしい。ささくれだっていた不安定な気持ちが安定している。もしかしたら洋平が帰っているかも、と、焦るような気持ちで真夜中に目覚めることはなくなった。
 洋平は帰らないのだ。というより、洋平は、怜が今、上梨にいることすら知らないのだから、ここまでたどり着けるわけもない。
 (なんで、洋平が側に来るかもしれない、なんて期待をしてしまっていたんだろうか)
 やはり自分は、相当病んでいるのだと思う。

 薬で脳の最も神経質な部分はぼんやりと麻痺しているが、どういうわけか、世界がくっきりと鮮やかになった気がする。
 パンの甘い余韻が舌の上に残っている。苦いコーヒーで洗い流しながら、怜はふと、スマホを取り上げる。もやもやとしていたが、服薬のおかげで気持ちが変わった。なにを悩んでいたのだろう、と唖然としながら、三日前に届いたまま放置してあった、大友優からのメールに返信した。古い友人から連絡が来ることは、別におかしなことではない。返信をためらう理由はないのだと、怜は思った。

 久しぶりですね、元気でしたか。
 そんな重たい挨拶から始まったものの、メール文は次第に砕けたものになった。みんなこっちに戻っているの、知らなかったです。大友君は今どうしているんですか。ずっと上梨におられんですか。みんなで集まってゴハ
ンでも食べたいですね~。今、上梨で集まりやすいお店ってどこですか。

 大友優。モヤシ。
 六年の時の「嫌われ組」。これは確かに、ちょっとした黒歴史だとは思う。あれから三十年たち、良いトシになった今でも、自分が「嫌われ組」と名付けられたグループの一員だったことを知られるのは良い気分ではない。
 こういうものは、一生背負ってゆくものだ。
 (傷は軽くはない。傷つけた者の罪は大きい・・・・・・)

 一晩たったが、優からの返信はまだなかった。
 仕事で忙しいのかもしれない。優がどうしているかは分からないが、年齢的に家庭持ちになっている可能性は大きい。会社員ならば中間管理職として一番忙しい立場になっているかもしれないし、独立して開業しているのなら、なおさら多忙だろう。
 そうだ。多忙な年齢なのだ。最も脂が乗っている時期なのだ。あの当時の仲間たちは。
 田舎に逃げ帰り、現実逃避をしたり、不調な心や体を持て余して人生を見失ったりしているような暇人のほうが、イレギュラーなのだ。

 同級生たちと自分を比べてしまい、気分が落ちかけた。せっかく薬が効いているのに、ゆらゆらと眩暈がぶりかえしそうだ。怜は立ち上がった。気分転換に実家を覗いて来ようと思った。
 実家である大山家。妹夫妻は仕事で日中出ているが、老いた父母や姪のみいなは在宅だろう。みいなは小学六年だから、最後の夏休みだ。帰郷した時、宿題がつらいから手伝ってと甘えかけられたいたことを思い出した。
 「自由研究、悩んじゃうんだよ。理科っぽいのはもうネタ切れだしぃ」
 みいなは本気で困っているらしかった。
 「もうすぐ夏休みじゃん、みんなで自由研究なににするかって話してて。誰かと被っちゃったら、真似したとかじゃないけど、なんか変な感じになっちゃうから」
 
 どうやら、みいなの学年の女子の人間関係は微妙な感じらしい。いろいろと難しいのかもしれないと、怜は感じた。
 とにかく、みいなは「誰とも被らない自由研究テーマ」を探している。もう決まったのだろうか、と、怜は苦笑いしながら思う。なるほど、小学六年生は陰湿な年頃かもしれない。自分の時もーーああ、自分は当たり前の六年女子とはちょっと違う立場だったがーー色々、あった。「真似をした」とかではないが、誰か強者の、ちょっと気に障ったというだけで、悪口の対象になってしまう。
 決して、ずばぬけて優秀とか、目立ちたいとか、そんな意味でテーマに悩んでいるのではない。
 当たり障りなく、誰とも被らず、それなりにできているけれど、科学展に出品されるようなものではない、そんなものが望ましいのだ。

 六年女子の失踪事件のせいで、夏休みが早まったと聞いている。
 念のためラインしてから実家に行こうと思った。妹の奈津に「今日そっち行くけれど、みいなちゃんどうしてる」とだけ送った。共働きの奈津夫婦はみいなに構うどころではないはずだ。怜は奈津に車を都合してもらっているし、多分この夏は、ほったらかしにされているみいなの子守をさせられるのだろうと覚悟していた。

 時計を見ると八時をちょっと過ぎたところだ。
 奈津は会社に向かっているかもしれない。返信はないかもしれない、まあいい、一応ラインはしたのだから、ふらっと実家を訪ねてみようか、と思った。その時、意外に早く奈津から反応が返ってきた。

 「ありがとう、ぜひ来てください。みいなをお願いします」

 面と向かったら、少々乱暴なくらいにフランクな奈津だが、ラインになると妙に敬語口調になるのがおかしい。
 怜は何か引っかかる思いで、その文面を見直した。簡単にスタンプを返しながら、なにがこんなに気になるんだろうと考えた。
 (なにか、改まっている)
 みいなをお願いします。
 こんな言い方をするだろうか。

 怜の予想通り、大山みいなは今、困ったことになっていた。

**
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

恐怖劇場

白河甚平@壺
ホラー
あるいは戦争で、あるいは航空機事故で、食料はもちろん水すら思うように飲めない環境の中、目の前に死んでしまった肉体があったら、それはもうヒトではなく食肉としか見えなくなる。共食いしなくては生きられなかった人達が集まり、涙とヨダレにまみれてむさぼり喰った「あの味」が忘れられなくて、食肉会社を立ち上げた。人間を喰う地獄の鬼の集団、それは絶対に知られてはならない禁断の闇の組織なのである。

ゴーストバスター幽野怜

蜂峰 文助
ホラー
ゴーストバスターとは、霊を倒す者達を指す言葉である。 山奥の廃校舎に住む、おかしな男子高校生――幽野怜はゴーストバスターだった。 そんな彼の元に今日も依頼が舞い込む。 肝試しにて悪霊に取り憑かれた女性―― 悲しい呪いをかけられている同級生―― 一県全体を恐怖に陥れる、最凶の悪霊―― そして、その先に待ち受けているのは、十体の霊王! ゴーストバスターVS悪霊達 笑いあり、涙あり、怒りありの、壮絶な戦いが幕を開ける! 現代ホラーバトル、いざ開幕!! 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

ゾンビだらけの世界で俺はゾンビのふりをし続ける

気ままに
ホラー
 家で寝て起きたらまさかの世界がゾンビパンデミックとなってしまっていた!  しかもセーラー服の可愛い女子高生のゾンビに噛まれてしまう!  もう終わりかと思ったら俺はゾンビになる事はなかった。しかもゾンビに狙われない体質へとなってしまう……これは映画で見た展開と同じじゃないか!  てことで俺は人間に利用されるのは御免被るのでゾンビのフリをして人間の安息の地が完成するまでのんびりと生活させて頂きます。  ネタバレ注意!↓↓  黒藤冬夜は自分を噛んだ知性ある女子高生のゾンビ、特殊体を探すためまず総合病院に向かう。  そこでゾンビとは思えない程の、異常なまでの力を持つ別の特殊体に出会う。  そこの総合病院の地下ではある研究が行われていた……  "P-tB"  人を救う研究のはずがそれは大きな厄災をもたらす事になる……  何故ゾンビが生まれたか……  何故知性あるゾンビが居るのか……  そして何故自分はゾンビにならず、ゾンビに狙われない孤独な存在となってしまったのか……

この『村』を探して下さい

案内人
ホラー
 全ては、とあるネット掲示板の書き込みから始まりました。『この村を探して下さい』。『村』の真相を求めたどり着く先は……? ◇  貴方は今、欲しいものがありますか?  地位、財産、理想の容姿、人望から、愛まで。縁日では何でも手に入ります。  今回は『縁日』の素晴らしさを広めるため、お客様の体験談や、『村』に関連する資料を集めました。心ゆくまでお楽しみ下さい。  

きらさぎ町

KZ
ホラー
ふと気がつくと知らないところにいて、近くにあった駅の名前は「きさらぎ駅」。 この駅のある「きさらぎ町」という不思議な場所では、繰り返すたびに何か大事なものが失くなっていく。自分が自分であるために必要なものが失われていく。 これは、そんな場所に迷い込んだ彼の物語だ……。

【R18】彼等の愛は狂気を纏っている

迷い人
ホラー
職を失った元刑事『鞍馬(くらま)晃(あきら)』は、好条件でスカウトを受け、山奥の隠れ里にある都市『柑子市(こうじし)』で新たな仕事につく事となった。 そこにいる多くの人間が殺人衝動を身の内に抱えているとも知らず。 そして……晃は堕ちていく。

処理中です...