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総合病院で処方された薬は、婦人科というより、心療内科よりのものだった。処方を見た時、怜は微妙な気分になった。なるほど、あっさりと見立てられてしまい、不本意な気分はもちろんあるが、これで自分の状態を客観的に認めることができそうだ。
自分は心を病んでいるのだ。
体の不調は心の不調を治せば、なんとかなるのかもしれないーー納得できているわけではなかったが。
薬のせいだろう、幾分ぼうっとした気分でテーブルに座っていた。
朝食は、ジャムパンを一つ食べた。服薬は済ませている。総合病院の医師は、やぶではないらしい。ささくれだっていた不安定な気持ちが安定している。もしかしたら洋平が帰っているかも、と、焦るような気持ちで真夜中に目覚めることはなくなった。
洋平は帰らないのだ。というより、洋平は、怜が今、上梨にいることすら知らないのだから、ここまでたどり着けるわけもない。
(なんで、洋平が側に来るかもしれない、なんて期待をしてしまっていたんだろうか)
やはり自分は、相当病んでいるのだと思う。
薬で脳の最も神経質な部分はぼんやりと麻痺しているが、どういうわけか、世界がくっきりと鮮やかになった気がする。
パンの甘い余韻が舌の上に残っている。苦いコーヒーで洗い流しながら、怜はふと、スマホを取り上げる。もやもやとしていたが、服薬のおかげで気持ちが変わった。なにを悩んでいたのだろう、と唖然としながら、三日前に届いたまま放置してあった、大友優からのメールに返信した。古い友人から連絡が来ることは、別におかしなことではない。返信をためらう理由はないのだと、怜は思った。
久しぶりですね、元気でしたか。
そんな重たい挨拶から始まったものの、メール文は次第に砕けたものになった。みんなこっちに戻っているの、知らなかったです。大友君は今どうしているんですか。ずっと上梨におられんですか。みんなで集まってゴハ
ンでも食べたいですね~。今、上梨で集まりやすいお店ってどこですか。
大友優。モヤシ。
六年の時の「嫌われ組」。これは確かに、ちょっとした黒歴史だとは思う。あれから三十年たち、良いトシになった今でも、自分が「嫌われ組」と名付けられたグループの一員だったことを知られるのは良い気分ではない。
こういうものは、一生背負ってゆくものだ。
(傷は軽くはない。傷つけた者の罪は大きい・・・・・・)
一晩たったが、優からの返信はまだなかった。
仕事で忙しいのかもしれない。優がどうしているかは分からないが、年齢的に家庭持ちになっている可能性は大きい。会社員ならば中間管理職として一番忙しい立場になっているかもしれないし、独立して開業しているのなら、なおさら多忙だろう。
そうだ。多忙な年齢なのだ。最も脂が乗っている時期なのだ。あの当時の仲間たちは。
田舎に逃げ帰り、現実逃避をしたり、不調な心や体を持て余して人生を見失ったりしているような暇人のほうが、イレギュラーなのだ。
同級生たちと自分を比べてしまい、気分が落ちかけた。せっかく薬が効いているのに、ゆらゆらと眩暈がぶりかえしそうだ。怜は立ち上がった。気分転換に実家を覗いて来ようと思った。
実家である大山家。妹夫妻は仕事で日中出ているが、老いた父母や姪のみいなは在宅だろう。みいなは小学六年だから、最後の夏休みだ。帰郷した時、宿題がつらいから手伝ってと甘えかけられたいたことを思い出した。
「自由研究、悩んじゃうんだよ。理科っぽいのはもうネタ切れだしぃ」
みいなは本気で困っているらしかった。
「もうすぐ夏休みじゃん、みんなで自由研究なににするかって話してて。誰かと被っちゃったら、真似したとかじゃないけど、なんか変な感じになっちゃうから」
どうやら、みいなの学年の女子の人間関係は微妙な感じらしい。いろいろと難しいのかもしれないと、怜は感じた。
とにかく、みいなは「誰とも被らない自由研究テーマ」を探している。もう決まったのだろうか、と、怜は苦笑いしながら思う。なるほど、小学六年生は陰湿な年頃かもしれない。自分の時もーーああ、自分は当たり前の六年女子とはちょっと違う立場だったがーー色々、あった。「真似をした」とかではないが、誰か強者の、ちょっと気に障ったというだけで、悪口の対象になってしまう。
決して、ずばぬけて優秀とか、目立ちたいとか、そんな意味でテーマに悩んでいるのではない。
当たり障りなく、誰とも被らず、それなりにできているけれど、科学展に出品されるようなものではない、そんなものが望ましいのだ。
六年女子の失踪事件のせいで、夏休みが早まったと聞いている。
念のためラインしてから実家に行こうと思った。妹の奈津に「今日そっち行くけれど、みいなちゃんどうしてる」とだけ送った。共働きの奈津夫婦はみいなに構うどころではないはずだ。怜は奈津に車を都合してもらっているし、多分この夏は、ほったらかしにされているみいなの子守をさせられるのだろうと覚悟していた。
時計を見ると八時をちょっと過ぎたところだ。
奈津は会社に向かっているかもしれない。返信はないかもしれない、まあいい、一応ラインはしたのだから、ふらっと実家を訪ねてみようか、と思った。その時、意外に早く奈津から反応が返ってきた。
「ありがとう、ぜひ来てください。みいなをお願いします」
面と向かったら、少々乱暴なくらいにフランクな奈津だが、ラインになると妙に敬語口調になるのがおかしい。
怜は何か引っかかる思いで、その文面を見直した。簡単にスタンプを返しながら、なにがこんなに気になるんだろうと考えた。
(なにか、改まっている)
みいなをお願いします。
こんな言い方をするだろうか。
怜の予想通り、大山みいなは今、困ったことになっていた。
**
自分は心を病んでいるのだ。
体の不調は心の不調を治せば、なんとかなるのかもしれないーー納得できているわけではなかったが。
薬のせいだろう、幾分ぼうっとした気分でテーブルに座っていた。
朝食は、ジャムパンを一つ食べた。服薬は済ませている。総合病院の医師は、やぶではないらしい。ささくれだっていた不安定な気持ちが安定している。もしかしたら洋平が帰っているかも、と、焦るような気持ちで真夜中に目覚めることはなくなった。
洋平は帰らないのだ。というより、洋平は、怜が今、上梨にいることすら知らないのだから、ここまでたどり着けるわけもない。
(なんで、洋平が側に来るかもしれない、なんて期待をしてしまっていたんだろうか)
やはり自分は、相当病んでいるのだと思う。
薬で脳の最も神経質な部分はぼんやりと麻痺しているが、どういうわけか、世界がくっきりと鮮やかになった気がする。
パンの甘い余韻が舌の上に残っている。苦いコーヒーで洗い流しながら、怜はふと、スマホを取り上げる。もやもやとしていたが、服薬のおかげで気持ちが変わった。なにを悩んでいたのだろう、と唖然としながら、三日前に届いたまま放置してあった、大友優からのメールに返信した。古い友人から連絡が来ることは、別におかしなことではない。返信をためらう理由はないのだと、怜は思った。
久しぶりですね、元気でしたか。
そんな重たい挨拶から始まったものの、メール文は次第に砕けたものになった。みんなこっちに戻っているの、知らなかったです。大友君は今どうしているんですか。ずっと上梨におられんですか。みんなで集まってゴハ
ンでも食べたいですね~。今、上梨で集まりやすいお店ってどこですか。
大友優。モヤシ。
六年の時の「嫌われ組」。これは確かに、ちょっとした黒歴史だとは思う。あれから三十年たち、良いトシになった今でも、自分が「嫌われ組」と名付けられたグループの一員だったことを知られるのは良い気分ではない。
こういうものは、一生背負ってゆくものだ。
(傷は軽くはない。傷つけた者の罪は大きい・・・・・・)
一晩たったが、優からの返信はまだなかった。
仕事で忙しいのかもしれない。優がどうしているかは分からないが、年齢的に家庭持ちになっている可能性は大きい。会社員ならば中間管理職として一番忙しい立場になっているかもしれないし、独立して開業しているのなら、なおさら多忙だろう。
そうだ。多忙な年齢なのだ。最も脂が乗っている時期なのだ。あの当時の仲間たちは。
田舎に逃げ帰り、現実逃避をしたり、不調な心や体を持て余して人生を見失ったりしているような暇人のほうが、イレギュラーなのだ。
同級生たちと自分を比べてしまい、気分が落ちかけた。せっかく薬が効いているのに、ゆらゆらと眩暈がぶりかえしそうだ。怜は立ち上がった。気分転換に実家を覗いて来ようと思った。
実家である大山家。妹夫妻は仕事で日中出ているが、老いた父母や姪のみいなは在宅だろう。みいなは小学六年だから、最後の夏休みだ。帰郷した時、宿題がつらいから手伝ってと甘えかけられたいたことを思い出した。
「自由研究、悩んじゃうんだよ。理科っぽいのはもうネタ切れだしぃ」
みいなは本気で困っているらしかった。
「もうすぐ夏休みじゃん、みんなで自由研究なににするかって話してて。誰かと被っちゃったら、真似したとかじゃないけど、なんか変な感じになっちゃうから」
どうやら、みいなの学年の女子の人間関係は微妙な感じらしい。いろいろと難しいのかもしれないと、怜は感じた。
とにかく、みいなは「誰とも被らない自由研究テーマ」を探している。もう決まったのだろうか、と、怜は苦笑いしながら思う。なるほど、小学六年生は陰湿な年頃かもしれない。自分の時もーーああ、自分は当たり前の六年女子とはちょっと違う立場だったがーー色々、あった。「真似をした」とかではないが、誰か強者の、ちょっと気に障ったというだけで、悪口の対象になってしまう。
決して、ずばぬけて優秀とか、目立ちたいとか、そんな意味でテーマに悩んでいるのではない。
当たり障りなく、誰とも被らず、それなりにできているけれど、科学展に出品されるようなものではない、そんなものが望ましいのだ。
六年女子の失踪事件のせいで、夏休みが早まったと聞いている。
念のためラインしてから実家に行こうと思った。妹の奈津に「今日そっち行くけれど、みいなちゃんどうしてる」とだけ送った。共働きの奈津夫婦はみいなに構うどころではないはずだ。怜は奈津に車を都合してもらっているし、多分この夏は、ほったらかしにされているみいなの子守をさせられるのだろうと覚悟していた。
時計を見ると八時をちょっと過ぎたところだ。
奈津は会社に向かっているかもしれない。返信はないかもしれない、まあいい、一応ラインはしたのだから、ふらっと実家を訪ねてみようか、と思った。その時、意外に早く奈津から反応が返ってきた。
「ありがとう、ぜひ来てください。みいなをお願いします」
面と向かったら、少々乱暴なくらいにフランクな奈津だが、ラインになると妙に敬語口調になるのがおかしい。
怜は何か引っかかる思いで、その文面を見直した。簡単にスタンプを返しながら、なにがこんなに気になるんだろうと考えた。
(なにか、改まっている)
みいなをお願いします。
こんな言い方をするだろうか。
怜の予想通り、大山みいなは今、困ったことになっていた。
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