ひとりたりない

井川林檎

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 7月12日。
 上梨小学校六年の女子児童が、失踪した。
 事件性が疑われており、その日のうちに警察が動き始めた。上梨小学校は、保護者らに協力を呼びかけ、登下校時の見守り、付き添いを強化し、下校時間を早めている。

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 大山みいなは、この件についてはむしろ、ラッキーだと思う一人にすぎない。
 失踪したーー本当にそうとしか言いようがなかったーー早瀬花音とはクラスが違う上に、春の運動会で一緒だった赤団で、応援合戦の準備をさんざんさぼられたり、下級生の世話を全部押し付けられたりした記憶が強かった。したがって、みいなにとって早瀬花音は、どちらかといえば「いないほうが良い」相手の一人なのだった。
 みいなにとって、早瀬花音がいなくなったことよりも、学校の授業が一時間繰り上げられ、下校時間が早まったことの方が重要だ。
 ただでさえ夏休み前なのだ。自由な時間はいくらでも欲しい。

 「あの子陰で嫌われてたんよ」
 女子トイレが色々な意味で人間関係の要になったのは、多分、四年生くらいからではないだろうか。そこは教師の目が届かない上に、なにか秘密の空気が漂う。学校の怪談で出てくる舞台のひとつでもある。
 (なんでいつも、女子トイレなんだろう。男子トイレじゃないんだろう)
 不吉なものが出てくるのは!

 二時間目の休み時間だった。
 「つれション」が始まったのは、トイレが社交場となるずっと前からだと思う。もしかしたら一年生の頃からひそかに「つれション」は行われていた。もちろん「つれション」なんかしない子もいるが、そういう子は、集団の中にある暗黙の了解の「なにか」から確実にはぶられていた。
 みいなは、時折そういう、「なにか」からはぶられる子が、羨ましいと感じることがあるが、そんなことは間違っても口には出せない。
 (怖いんだから、みんな)

 三日前に失踪した女の子について、女子たちは噂を絶やさない。
 それはプールの授業中のことだ。水の中に入り、一度プールサイドにあがり、点呼した時には、確かに早瀬花音は存在した。あの、ねちっとした目つきで、弱い相手を物色し、笑いものにする種をどん欲に求めていた。たまたま早瀬花音の隣に並んでいるのが、誰からも相手にされない横山由紀奈だった。早瀬花音は腕を突き出し、横山由紀奈のぶよついたスクール水着の脇をおし、それ以上自分に近づくな、においがうつるから、と小声で脅迫を続けていた。その様子は、横山由紀奈の右隣にいた金山奈央も覚えていた。
 「あっちいけって、花音ちゃんずっと言い続けて、それが聞こえていました。横山さんはずっと無言でどんどん押されて、わたしの体にあたるので、正直、困っていました」
 金山奈央の証言は、いささか感情的なものではあったが多分に事実が含まれていた。その証言により、一度プールサイドにあがった時点での早瀬花音の無事は確認できる。
 問題は、そのあとだ。
 六年生は一組二組全員で並び、プールサイドを歩いて移動した。飛び込みをして25メートルを泳ぐためだ。がやがやと歩いて四列に別れた時、改めて確認のため、名前を呼ばれた。呼ばれた者は手をあげて返事をしなくてはならなかった。夏休み直前に行われる、水泳大会の予行演習だった。
 「早瀬さん」
 と、呼ばれたが、返事がなかった。先生は再度、呼んだ。沈黙が落ちた。その時、児童たちが異変に気付いた。

 早瀬花音が、いなくなっていた。
 さっきまで確かにいたのに。

 「早瀬さん、どこですか」

 プールの中にも、更衣室にも、プール横のトイレにも、早瀬花音はいなかった。
 ロッカーには脱ぎ捨てられた下着や衣類、バスタオルなどが、そのまま残っていた。
 水着と水泳帽のまま、早瀬花音はどういうわけか、消えた。

 消滅した。

 「えー、ほんと。早瀬さんって、一組のボスみたいな女子じゃん。嫌われてたのぉ」
 女子たちの噂話は尽きない。
 みいなはハンカチで手を拭きながら、その「輪」の中にとどまっている。この「輪」からはみ出してはならない。だからみいなは、笑っている。相槌を打っている。

 「恨まれてたんじゃないのぉ」
 そう言い放った中村多美は、眼鏡の奥の目を細くさせ、奇妙に嬉しそうに見えた。

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