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第四部 まほろば
その3 嘆きの小部屋
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きい、き。きい。
「マ、マ」
無我の魂は何が幸せか不幸か分からない。本能で温もりと愛を求める。その在りかを獣がにおいを嗅ぎつけるように知る。
「見てみますか、汚れてしまうけれど」
二階の寝室に荷物を落ち着けた後、由紀子が三階に誘った。言われずとも、そのつもりだった雅代はすぐに部屋から出てきた。
ほんのりと明るい藪家荘の二階の通路。どこから外光が入るのだろうと思ったら、天井に明かり取りの小窓があった。うすぼんやりとした明るさだが、それくらいが、この屋敷には似合っていた。
「増設した部分なんですって、あの階段室」
由紀子は説明した。通路のどんづまりにある扉は無機質で、そっけなかった。
ぎいと重い音を立てて扉が開き、薄暗い階段室のひんやりした空気が流れだした。ぱちんとスイッチを入れると階段室に照明がついた。急な螺旋階段が上へ上へとのぼっている。
とんとんと足音を立てて、由紀子は上る。その後を、雅代も手すりを握りながら上る。
雅代には聞こえているのだった。
三階の小部屋から、ゆりかごが軋む寂し気な音や、母親を呼び求める幼い声。そればかりか、すすり泣く女の泣き声も感じ取れた。
(でも、違う)
今、雅代が感じているものは、いわゆる霊障ではない。あくまで、この古い家に染みついている記憶であり、言うなれば家自身の音というべきか。
雅代が気がかりなのは、どちらかというと、天井から吊るされたロープに手をかける、自殺者の女のほうだ。由紀子には直接的なアプローチをかけてはいないようだが、未だ濃厚な未練、怨恨の思いが漂っている。それは強烈なものであり、この藪家荘に住み続ける限り、いずれ何らかの影響を及ぼしそうだった。
「キ、テ」
ああ、聞こえた。
雅代はぐっと手すりを握りしめ、同時に丹田に力を込めた。気を付けていないと不意打ちを喰らいそうだ。
自らを縊り殺した女性の魂が、恨めしそうに手招きをしている。その声が、聞こえている。
それはーーきい、き、きい。マ、マ。ママあーーゆりかごと、幼い声の背後から聞こえてくるようで、恐らく女の霊が宿る場所は、ここから近いのだろうと雅代は見当をつけた。
「ここです。すごく汚いから気を付けてください」
ぎしい。不快な音を立てて古い扉が開き、由紀子は中に入っていった。
雅代も続いた。ものすごい埃が部屋を覆っている。これでは埃のベールにくるまれているようなものだ。その薄いベールの向こう側に、ぼんやりと曇った小窓がついており、そこから外の光が差し込んでいるのだった。
(ああー―ここ)
雅代は目をすぼめる。
古い家具や不要物に埋もれた、埃だらけの小部屋。
遙か昔、ここは不幸な女と幼い子供が暮らす場所だった。きい、き、きい、き。ゆりかごを揺らす女の白い手。俯いた白いうなじ。赤い襦袢が乱れた裾から零れ落ち、素足が無造作に折り曲げられている。
女は不思議な微笑みを浮かべて愛おし気にゆりかごを見つめるが、ゆりかごは空なのだった。
(赤ちゃんが、死んでしまった。けれど、それを受け入れられなかった)
そんなふうに、雅代は解釈した。女は美しかったが、明らかにバランスを崩している。気のふれた妾は、人目に触れてはならない。
このお妾が、この後どうなってしまったか、そこまでは雅代には分からない。ただ、むせかえるほどの母性と、それを求める頑是ない無我を感じるだけだった。
(その時代ではハイカラな気質だった女は、最初から子供に、自分の事をママと呼ばせるつもりでいた)
「ママがお歌をうたうから、ねんね、ねんねよ」
きい、き。きい、き。
雅代は目を閉じた。きつく閉じた。ぐっと息を詰め、丹田に蓋をした。
藪家荘に焼き付けられた記憶は強烈で、おそらくこの家は自分の意思を持っているのではないかと思われた。そんなものに取り込まれてはならない。
自分自身にバリアを張り、雅代は目を開いた。幻想は消えており、そこにはただの、埃塗れの汚い小部屋があるのみだった。
「これです」
がたがたと音をたてて、小さな家具を由紀子が引っ張り出してきた。顔も手も埃だらけにして、嬉しそうに笑っている。
恐ろしく古いゆりかごだった。ぶわっと埃が舞い、雅代は袖で口を押えた。ごめんなさい、と、由紀子が詫びた。
「きっとこのゆりかごです。軋んでいたのは」
そう言うと、由紀子は愛おし気にゆりかごを撫でた。
埃をこっぽりと被ったゆりかごの中には、古い赤い布団の切れ端が見える。大昔、ここで眠っていた赤ん坊は、女の子だったのだろう。
「どうするの、それ」
ものすごい埃を避けて、後ずさりながら、雅代は言った。
由紀子は微笑みながらゆりかごを撫で、「下におろそうと思うんです」と言った。
「寂しそうで、なんだか可哀そうで。わたしの部屋で一緒に寝るようにしたら、きっと落ち着いてくれるんじゃないかって」
由紀子はにこにことしていた。それは、まるで本物の幼子のことを言っているかのようなのだった。
**
一方で、首を吊った霊の方は、きわめて近い場所で訴え続けていた。
ぎゅうぎゅうと喉元が閉まりそうな威圧を感じ、雅代はますます丹田に力を込めた。
最初は、この部屋で自殺に及んだのかと思った。
だが、いくら目をすぼめてみても、この部屋に見えるのは、大昔の、寂し気な母親の後姿ばかりである。
「こっちにお部屋があるんですが開かないんです。風山さんが、開かない方がいいだろうって言っていたから、触らないんですけれど」
由紀子が指さす方向は、埃塗れの壁だった。
雅代は部屋の中を進み、壁に手を這わせた。なるほど、引き戸になっているようだ。この向こう側に部屋がもう一つ、あるのだろう。
そしてーーびりびり、びりびり、あああ、キテ、キテエエエエエ、エエエエエー―引き戸に触れると、おぞましいほどの念が指先に伝わった。それで、雅代は確信した。
「そうね、ここから向こうは行かない方がいいと思う」
低い声で雅代は言った。
引き戸に触れた指を庇いながら。
「後日、風山さんが、絶対に人が入ることがないよう、板と釘で封鎖しにくるみたい」
由紀子は言った。雅代は黙っていた。
しくしく、しく。
引き戸の向こう側では、すすり泣く声が籠っている。
コナイー―キテ、クレナイー―約束シタノニー―しくしく、しく。
がたがた。がた。
引き戸が揺れた気がした。
由紀子は気が付いていないようだ。ひたすら、ゆりかごの埃を払うことに専念している。
茫然と、雅代は引き戸を見つめた。
がた。
やはりそうだ。引き戸が、揺れている。まるで、向こう側から助けを求めるかのように。
がたがたがたがたがたがたがたがた・・・・・・。
(ここで、何かがあったことは確か)
雅代は謎解きをする気は毛頭なかった。ただ、そこに良くないものがあることを知っただけで十分だった。
そっと、床にしゃがみこんでゆりかごを吹き清めている由紀子の後姿を見た。
できるだけ早くに、ここから出るべきだと、雅代は改めて思った。
**
白く細い手足は踊るように歩く。
柔らかな髪の毛は肩のあたりで揺れ、振り向いては見上げる瞳は無邪気な恋慕に溢れていた。
声をかけてきたのは少女のほうだった。
「うちに帰りたくないの。お金も欲しいけれど、ただでは貰えないから、だから」
薄暗い坂道の中に、白いコートを纏い、ふわりと舞い降りるように立っていた。
一瞬、此の世のものではない何かを見たかと思い、あわててブレーキを踏んだ。すんでのところで車は停止し、少女は死ぬ手前で、陰のある微笑みを浮かべて立ちふさがった。
時刻は遅かった。
「乗りなさい」
と、車の中に入れた。少女は項垂れて助手席に座った。スカートから覗くひざは、ストッキングが破れていた。
「うちに帰りたくないの。どこでもいいから、ね」
少女はそっと白い手を伸ばし、ハンドルを握る腕に這わせた。
よしなさい、と叱ったら、意外にしおらしく、すっと手をひっこめた。
家に帰ることができない事情のある娘が、一夜の宿と日銭をかせぐために、男に体を売る。
いつの時代になっても、こういうことはあるものだ。しかし、そんなものに手を出したなら、もう終わりであろう。
社会人としても。
男としても。
「そこに古い家があるだろう。あそこなら温かに過ごすことができる。家に帰ることができるようになるまでの間だ。そのかわり、誰にも見つからないようにしてくれよ」
これは人様のものなんだからな。
俺はここを管理させてもらっているだけなんだから。
本来は、こんなことに使うわけにはいかないんだが、しょうがない、今だけだ。
少女は大きな目をしていた。
潤んだ目は綺麗で、微かに赤らんだ頬は愛らしかった。
**
(あれを、警察に届けるべきだったんだ)
それは、もう十年以上前のことだ。
少女の失踪事件はもう、町の人々の記憶から薄れている。
(俺は、どうかしていたんだ)
がたん、がた。藪家荘の三階の、物置部屋の隣の小部屋。
埃に塗れた壁にある、引き戸の存在を、今まで誰も気づかなかった。なのに、坂東由紀子が引き戸に興味を持ってしまった。
「ああ、触らないで。そっちのほう、床が落ちやすくなっているから」
とっさに、よくあんな言葉が出たものだ。
由紀子はそれで、はっと手を引っ込めたし、恐らくこれでもう、引き戸の向こう側を一人で探検しようは思わないだろう。
もちろん、あの部屋には何もない。
死体が残っているわけでもないし、少女の持ち物が転がっていることもない。
だが、そこで人が自殺をし、おぞましい風景を見てしまったという記憶が、風山修吾を怯えさせた。あの部屋は開かずの間である。絶対に、開いてはならない部屋である。できれば、その存在すら気づかれたくはなかった部屋である。
幸い、あの一件以来、藪家荘に住もうという奇特な人間は、そうそう現れなかった。
気まぐれに借りて住んでみても、気味が悪いといって、すぐに退居している。今に至るまで、誰もあの部屋の事を気付きもしなかったのだ。
それなのに。
**
風山修吾は、自分には、家庭を持ち、幸せをはぐくむ資格がないと思っている。
その理由は、十年以上前の出来事に根差していた。
「マ、マ」
無我の魂は何が幸せか不幸か分からない。本能で温もりと愛を求める。その在りかを獣がにおいを嗅ぎつけるように知る。
「見てみますか、汚れてしまうけれど」
二階の寝室に荷物を落ち着けた後、由紀子が三階に誘った。言われずとも、そのつもりだった雅代はすぐに部屋から出てきた。
ほんのりと明るい藪家荘の二階の通路。どこから外光が入るのだろうと思ったら、天井に明かり取りの小窓があった。うすぼんやりとした明るさだが、それくらいが、この屋敷には似合っていた。
「増設した部分なんですって、あの階段室」
由紀子は説明した。通路のどんづまりにある扉は無機質で、そっけなかった。
ぎいと重い音を立てて扉が開き、薄暗い階段室のひんやりした空気が流れだした。ぱちんとスイッチを入れると階段室に照明がついた。急な螺旋階段が上へ上へとのぼっている。
とんとんと足音を立てて、由紀子は上る。その後を、雅代も手すりを握りながら上る。
雅代には聞こえているのだった。
三階の小部屋から、ゆりかごが軋む寂し気な音や、母親を呼び求める幼い声。そればかりか、すすり泣く女の泣き声も感じ取れた。
(でも、違う)
今、雅代が感じているものは、いわゆる霊障ではない。あくまで、この古い家に染みついている記憶であり、言うなれば家自身の音というべきか。
雅代が気がかりなのは、どちらかというと、天井から吊るされたロープに手をかける、自殺者の女のほうだ。由紀子には直接的なアプローチをかけてはいないようだが、未だ濃厚な未練、怨恨の思いが漂っている。それは強烈なものであり、この藪家荘に住み続ける限り、いずれ何らかの影響を及ぼしそうだった。
「キ、テ」
ああ、聞こえた。
雅代はぐっと手すりを握りしめ、同時に丹田に力を込めた。気を付けていないと不意打ちを喰らいそうだ。
自らを縊り殺した女性の魂が、恨めしそうに手招きをしている。その声が、聞こえている。
それはーーきい、き、きい。マ、マ。ママあーーゆりかごと、幼い声の背後から聞こえてくるようで、恐らく女の霊が宿る場所は、ここから近いのだろうと雅代は見当をつけた。
「ここです。すごく汚いから気を付けてください」
ぎしい。不快な音を立てて古い扉が開き、由紀子は中に入っていった。
雅代も続いた。ものすごい埃が部屋を覆っている。これでは埃のベールにくるまれているようなものだ。その薄いベールの向こう側に、ぼんやりと曇った小窓がついており、そこから外の光が差し込んでいるのだった。
(ああー―ここ)
雅代は目をすぼめる。
古い家具や不要物に埋もれた、埃だらけの小部屋。
遙か昔、ここは不幸な女と幼い子供が暮らす場所だった。きい、き、きい、き。ゆりかごを揺らす女の白い手。俯いた白いうなじ。赤い襦袢が乱れた裾から零れ落ち、素足が無造作に折り曲げられている。
女は不思議な微笑みを浮かべて愛おし気にゆりかごを見つめるが、ゆりかごは空なのだった。
(赤ちゃんが、死んでしまった。けれど、それを受け入れられなかった)
そんなふうに、雅代は解釈した。女は美しかったが、明らかにバランスを崩している。気のふれた妾は、人目に触れてはならない。
このお妾が、この後どうなってしまったか、そこまでは雅代には分からない。ただ、むせかえるほどの母性と、それを求める頑是ない無我を感じるだけだった。
(その時代ではハイカラな気質だった女は、最初から子供に、自分の事をママと呼ばせるつもりでいた)
「ママがお歌をうたうから、ねんね、ねんねよ」
きい、き。きい、き。
雅代は目を閉じた。きつく閉じた。ぐっと息を詰め、丹田に蓋をした。
藪家荘に焼き付けられた記憶は強烈で、おそらくこの家は自分の意思を持っているのではないかと思われた。そんなものに取り込まれてはならない。
自分自身にバリアを張り、雅代は目を開いた。幻想は消えており、そこにはただの、埃塗れの汚い小部屋があるのみだった。
「これです」
がたがたと音をたてて、小さな家具を由紀子が引っ張り出してきた。顔も手も埃だらけにして、嬉しそうに笑っている。
恐ろしく古いゆりかごだった。ぶわっと埃が舞い、雅代は袖で口を押えた。ごめんなさい、と、由紀子が詫びた。
「きっとこのゆりかごです。軋んでいたのは」
そう言うと、由紀子は愛おし気にゆりかごを撫でた。
埃をこっぽりと被ったゆりかごの中には、古い赤い布団の切れ端が見える。大昔、ここで眠っていた赤ん坊は、女の子だったのだろう。
「どうするの、それ」
ものすごい埃を避けて、後ずさりながら、雅代は言った。
由紀子は微笑みながらゆりかごを撫で、「下におろそうと思うんです」と言った。
「寂しそうで、なんだか可哀そうで。わたしの部屋で一緒に寝るようにしたら、きっと落ち着いてくれるんじゃないかって」
由紀子はにこにことしていた。それは、まるで本物の幼子のことを言っているかのようなのだった。
**
一方で、首を吊った霊の方は、きわめて近い場所で訴え続けていた。
ぎゅうぎゅうと喉元が閉まりそうな威圧を感じ、雅代はますます丹田に力を込めた。
最初は、この部屋で自殺に及んだのかと思った。
だが、いくら目をすぼめてみても、この部屋に見えるのは、大昔の、寂し気な母親の後姿ばかりである。
「こっちにお部屋があるんですが開かないんです。風山さんが、開かない方がいいだろうって言っていたから、触らないんですけれど」
由紀子が指さす方向は、埃塗れの壁だった。
雅代は部屋の中を進み、壁に手を這わせた。なるほど、引き戸になっているようだ。この向こう側に部屋がもう一つ、あるのだろう。
そしてーーびりびり、びりびり、あああ、キテ、キテエエエエエ、エエエエエー―引き戸に触れると、おぞましいほどの念が指先に伝わった。それで、雅代は確信した。
「そうね、ここから向こうは行かない方がいいと思う」
低い声で雅代は言った。
引き戸に触れた指を庇いながら。
「後日、風山さんが、絶対に人が入ることがないよう、板と釘で封鎖しにくるみたい」
由紀子は言った。雅代は黙っていた。
しくしく、しく。
引き戸の向こう側では、すすり泣く声が籠っている。
コナイー―キテ、クレナイー―約束シタノニー―しくしく、しく。
がたがた。がた。
引き戸が揺れた気がした。
由紀子は気が付いていないようだ。ひたすら、ゆりかごの埃を払うことに専念している。
茫然と、雅代は引き戸を見つめた。
がた。
やはりそうだ。引き戸が、揺れている。まるで、向こう側から助けを求めるかのように。
がたがたがたがたがたがたがたがた・・・・・・。
(ここで、何かがあったことは確か)
雅代は謎解きをする気は毛頭なかった。ただ、そこに良くないものがあることを知っただけで十分だった。
そっと、床にしゃがみこんでゆりかごを吹き清めている由紀子の後姿を見た。
できるだけ早くに、ここから出るべきだと、雅代は改めて思った。
**
白く細い手足は踊るように歩く。
柔らかな髪の毛は肩のあたりで揺れ、振り向いては見上げる瞳は無邪気な恋慕に溢れていた。
声をかけてきたのは少女のほうだった。
「うちに帰りたくないの。お金も欲しいけれど、ただでは貰えないから、だから」
薄暗い坂道の中に、白いコートを纏い、ふわりと舞い降りるように立っていた。
一瞬、此の世のものではない何かを見たかと思い、あわててブレーキを踏んだ。すんでのところで車は停止し、少女は死ぬ手前で、陰のある微笑みを浮かべて立ちふさがった。
時刻は遅かった。
「乗りなさい」
と、車の中に入れた。少女は項垂れて助手席に座った。スカートから覗くひざは、ストッキングが破れていた。
「うちに帰りたくないの。どこでもいいから、ね」
少女はそっと白い手を伸ばし、ハンドルを握る腕に這わせた。
よしなさい、と叱ったら、意外にしおらしく、すっと手をひっこめた。
家に帰ることができない事情のある娘が、一夜の宿と日銭をかせぐために、男に体を売る。
いつの時代になっても、こういうことはあるものだ。しかし、そんなものに手を出したなら、もう終わりであろう。
社会人としても。
男としても。
「そこに古い家があるだろう。あそこなら温かに過ごすことができる。家に帰ることができるようになるまでの間だ。そのかわり、誰にも見つからないようにしてくれよ」
これは人様のものなんだからな。
俺はここを管理させてもらっているだけなんだから。
本来は、こんなことに使うわけにはいかないんだが、しょうがない、今だけだ。
少女は大きな目をしていた。
潤んだ目は綺麗で、微かに赤らんだ頬は愛らしかった。
**
(あれを、警察に届けるべきだったんだ)
それは、もう十年以上前のことだ。
少女の失踪事件はもう、町の人々の記憶から薄れている。
(俺は、どうかしていたんだ)
がたん、がた。藪家荘の三階の、物置部屋の隣の小部屋。
埃に塗れた壁にある、引き戸の存在を、今まで誰も気づかなかった。なのに、坂東由紀子が引き戸に興味を持ってしまった。
「ああ、触らないで。そっちのほう、床が落ちやすくなっているから」
とっさに、よくあんな言葉が出たものだ。
由紀子はそれで、はっと手を引っ込めたし、恐らくこれでもう、引き戸の向こう側を一人で探検しようは思わないだろう。
もちろん、あの部屋には何もない。
死体が残っているわけでもないし、少女の持ち物が転がっていることもない。
だが、そこで人が自殺をし、おぞましい風景を見てしまったという記憶が、風山修吾を怯えさせた。あの部屋は開かずの間である。絶対に、開いてはならない部屋である。できれば、その存在すら気づかれたくはなかった部屋である。
幸い、あの一件以来、藪家荘に住もうという奇特な人間は、そうそう現れなかった。
気まぐれに借りて住んでみても、気味が悪いといって、すぐに退居している。今に至るまで、誰もあの部屋の事を気付きもしなかったのだ。
それなのに。
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風山修吾は、自分には、家庭を持ち、幸せをはぐくむ資格がないと思っている。
その理由は、十年以上前の出来事に根差していた。
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