不腐桃(未完)

よん

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 視線を感じる……。
 誰だろう、少なくとも轡猿のそれではない気がする。
 瞼を閉じた状態のまま人の気配を察したつばめは深い眠りに落ちる直前、無意識ながらフルウィッグを外したことを思い出した。
 それだけならばかまわないのだが、フレアスカートを履いている中途半端な女装は決して見られたくない姿だった。特別に腹も立たなければ羞恥心も抱かなかったが、さりとていつまでも無様な醜態を晒し続けたくはない。
 つばめは意図的にパッチリと目を開き、ベッド脇に腰掛ける相手を突き刺すように見据えた。
 虚を衝かれた地味な中年女。ベージュのセーターに紺のチノパン……違う、とつばめは思う。
 これまでに抱いてきた年増女達とは明らかに人種が異なる。この人物がカナヤマだろうか……?
「よく眠れましたか?」
 既に平常心を取り戻している女がそう訊いてきた。
「いつからここにいたんです?」
 つばめは女のどうでもいい質問を無視して質問で返す。女装した少年の性別を超えたその声に内心驚くも、女はそれを表に出さず相手のペースに合わせていく。
「……そうね、小一時間ほど前でしょうか」
「ここの鍵は?」
「持ってませんが、ノックをしたら解錠の音がしました。……とても不思議なんです。中にいるのはあなた一人なのに、あなたはベッドで熟睡中……だとしたら、一体誰がドアを開けたのでしょう?」
 轡猿だ。けれども、それをあなたに説明したところでどうせ理解できないと、つばめはまたも女を置き去りにして先へと進む。
「もう一つ。入口付近に男性の死体が転がってませんでしたか?」
「いいえ」
 ならばそれも轡猿が処理したのだろうが、女の冷静すぎる反応につばめはやや面食らう。普通、死体と聞けば少なからず動揺する筈だが……。
 どうやら、この女はそれなりの修羅場を経験しているに違いない。そもそも、そうでなければ素性の知らない男が滞在するホテルを訪れたりしない。
 気に入らなかった。自分の無防備な姿を小一時間も観察されたこともあるが、それ以上に目の前にいる女の落ち着き払った態度がつばめには我慢ならなかった。
 起き上がりざま、少年は中年女の両肩に手を置いて何の前触れもなくそっと唇を重ねて反応を窺ってみる。目こそ逸らすものの、女に拒む気配はまるでない。舌を絡めてもそれを受け入れている。但し、絡め返してはこなかったが……。
(読めないな)
 つばめは女を解放し、漸く「カナヤマさんですね?」と訊ねる。
「慣れてらっしゃいますね。もしも『違う』って言ったらどうする積もりだったんです? 確認する前にキスするなんてあなたは相当の遊び人だわ」
「僕が能動的に性交することは後にも先にもありません。相手を悦ばせるためだけに存在するセックスマシーンですから」
「私が悦ぶように見えますか?」
「悦ばせる自信はありますね。通常の行為は勿論のこと、お望みならアナルに挿入しますし、あなたの尿だって飲んでみせますよ」
 女は呆れたように首を振る。
「私にそのようなアブノーマルな趣味はありません。……大体、私のようなおばさんがあなたのような若くて綺麗な男の子とこうしたシチュエーションで相対していること自体、まともではないと考えてます」
「それでも事実、あなたはあなたの意思でここに来ている。その経緯はわかりませんが、騙された風でもないですよね?」
「ええ、騙されたわけではありません。”ある方”に『あんたはこれから初対面の男とセックスをする』と告げられましたから」
「にもかかわらず、カナヤマさんはここを訪れた。……それだけであなたは十分に変態の素質アリですよ。みっともないから、いい年こいてカマトトぶらないでください。はっきり言ってあげます。あなたはドスケベな淫乱女なんですよ」
 唇を噛み、思わず俯くカナヤマこと池田希美子。
「……濡れました。あなたがここで私を待っていると聞いて」
「認めましたね。でも、誤解しないでください。僕は別にあなたを非難しているわけじゃありませんから。実はそういう淫らな女性としか性交をしたことがないので、あなたに先程までのような態度を取られると僕はどうしていいかわからなくなって混乱してしまうんです」
「混乱ならば、私もずっとしています。まるで悪い夢を見続けているようだわ」
「『ずっと』ってどのくらいですか?」
 そうね、と希美子は頭の中でいろいろ整理する。
「私がそれを意識し出したのは娘を出産してからです。……でも、その呪われた出産も26年前に仕組まれたことだったって、岡山市ここに来る道中で知らされました」
「異論を唱える積もりはありませんが、そういうのって『ずっと』とは言いませんよ。僕の『ずっと』は文字通りこの世に誕生してから『ずっと』ですから」
 希美子の反応はわりかし鈍い。
「それはお気の毒。でも、それを聞いたところで意外性はありませんね。何となく、あなたにはそのような雰囲気が漂ってますから。……申し遅れました。私の本当の名前はカナヤマではなく池田希美子です。あなたのことは何てお呼びしたら?」
「名前はありません」
「……え?」
「言ったでしょう? 。けれど、現に僕はこうしてあなたと喋っています。ここに混乱の大元があるんです」
 それを聞いた希美子がハッとする。
「妙なことを伺いますけど……あなたの頭には角が生えていますか?」
「ツノ? いいえ。通常、それは人間とは無縁な部位です」
「私は角を生やした人間を知っています」
「人間は角を生やしません。失礼ながら、その方は人間ではなく”鬼”じゃありませんか?」
「かもしれませんね。その人物もまた、あなた同様に。けれども、名前くらいはちゃんとあります」
「だとすれば、僕が会うべき人物はあなた――イケダキミコさんではなく、その方かもしれません。いや、きっとそうだ」
「あなたの話を伺った今、私もそんな気がしています。けれども、”得体の知れない力”はどうしても、駒である私をここへ導かなければならなかったようです」
「その”力”とは、全身に灰色の毛を生やした猿のことですか?」
「どうでしょうか? 私が見たその老人はどうやら仮の姿らしいので何とも申せません。ところで、全身に灰色の毛を生やした猿とは……?」
「僕にずっと憑いている妖魔ですよ。僕はそいつが振ったダイスの目で動く単なる駒に過ぎません。昨晩までは東京の六本木で軟禁生活を送っていました。そこを抜け出し、岡山でイケダキミコさんに会うことも全てそいつが決めたことです」
「若しくは、ギリシャの青空市場でも会った日焼けの目立つ老人……」
……ギリシャ?
 イケダキミコが言うその老人とは果たして轡猿のことだろうかと、つばめは思案する。
 恐らく違うだろう。姿こそ自在に消せるものの、長年共に過ごした轡猿に変身能力があるなどついぞ聞いたことがない。
 だが、所詮それは憶測の域を出ない。それよりもイケダキミコから知り得る情報の方が確実だと、つばめはそれの収集に努める。
「どうです? お互い”得体の知れない力”の駒同士、相手の命令のままセックスをする前にもう少しだけ話しませんか? 多分、セックスをしてしまったら手遅れのような気がするので」
「わかりますよ。事が済めば私は殺されてしまいますから」
 言葉を濁した積もりのつばめは、イケダキミコが既にそれを覚悟していたことに驚かされた。
「あなたはそれを承知でここに来たのですか?」
「ええ。私にはここへ来る以外の選択肢はありませんでしたもの。帰る家と愛する人を同時になくしてしまったので、今となっては死ぬしかないんです」
「羨ましいです」
「……何が?」
「僕も死んで一刻も早く解放されたいんです。でも、轡猿はまだ僕を殺してはくれません」
「では、私があなたを殺してあげましょうか? 一人殺そうが二人殺そうが同じことですから」
 これだ、とつばめは思う。”死体”という言葉に少しも怯まなかったこの女は、もはや人の命を奪うことに何の抵抗も覚えていない。
「あなたの命を奪ってしまえば、四人目になる可能性があります」
「可能性?」
「ええ。二人に関しては明確に殺したという記憶がないからです。……そのうちの一人は角を生やした人物ですが」
「生きてますよ」
「え?」
 つばめの自信に満ちたその断言に、希美子は瞠目して相手を捉える。
「角の生えてない人物はわかりませんが、生えている方は確実に生きています。ただの駒に過ぎないあなたに”得体の知れない力”が主要キャストの抹殺を許す筈がない。ついでに『僕を殺す』という有難い提案も残念ながら不可能ですね。轡猿はまだまだこの僕を利用し続けますから」
 それを受けて希美子は苦笑する。
「では、脇役である私の役割は何なのでしょう? あなたに抱かれて殺されること……いや、そうじゃない! !」

「モモヒメ……モモヒメ……」

 つばめは何度も何度もその名を繰り返す。
 初めて耳にした文字の並びでありながら、どことなく懐かしくも感じてしまう。


 もしかしたら、僕はその人物に会うため今まで存在していたのかもしれない……。


 是非ともそうであってほしい。
 生きる目的があるならば、死を望む理由なんて一つもないのだから。

 そうとわかれば、いつまでもこんなところで愚図愚図していられない。
 さっさと役目を果たして、轡猿に次なるダイスを投じてもらわないと……。

 つばめは目の前の女の左手を握り、強引に快楽のベッドへといざなう。

「あ……」
「キミコさん。今からこの僕があなたを最高に気持ちよくしてあげます。潮を吹き目玉をひん剥き絶頂を感じたまま、痴態を晒しながらあなたは死んでいくのです」

 チノパンのチャックを素早く下ろし、キスより先につばめの繊細な指が希美子の女陰を優しく攻めてくる。

「こ、殺して……気持ちよく……」

 希美子の愛液でタップリ濡れた指を舐め取りながら、瞬時に女の属性を見抜いたつばめは言う。

「黙れ、このメス豚!」


 
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