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本編

奇策

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 第三試合の対戦相手――涙雀商会の野球部は真っ白なユニフォームを着ていた。
 赤と白、源平合戦みたいだ。

 最悪の状態で、我が軍はこの日最後の試合を迎えていた。
 赤の平家は滅びた。ドリーム・レッズもここで終わってしまうのか。
 6を除く内野陣がみんなうつむいていたし、赤い瞳をギラつかせているハツメは完全に冷静さを欠いていた。闘志剥き出しで、三塁側ダッグアウトに控える藤堂さんを執拗に睨んでいる。
 雅さんも藤堂さんの存在に気づき、ダブルショックでもはや泣き出す一歩手前だ。

 この僕自身、沈んだ気持ちのまま一番大事な試合に挑もうとしていた。
 ハツメが無事戻って来たとはいえ、田崎さんもどんよりとしたこのドリーム・レッズの面々に不安を感じていることだろう。

 信じたくないけども、ハツメの話で全てがつながる。

 雅さんも翔姉さんも紫ちゃんも、我が身で罪を償うしかないのだ。
 どうして彼女達は仲間だったハツメを裏切ったのか……きっと、そうせざるを得なかった理由があるんだろう。ハツメがああならなかったら、他の誰かが……。

 どっちにしろ、再起を夢見た4人のアイドルは千手によってその人生をムチャクチャにされてしまった。

 後ろに立つ男――田崎はこの件にどこまで関与しているのだろう。
 口先ではファンを装っているが、ハツメを利用している事実に変わりはない。
 今の僕は完全に人間不信だ。
 まさに今、修羅の道に立っている。
 隣にハツメはいない。ハツメはハツメで独りもがいている。

 みんなもそうだ。個々がバラバラでもはや試合どころじゃない。
 仮に藤堂さん達に勝利したところで、喜びなんて一切ない。

 藤堂さんは三番バッターだった。

 彼以外にも油断はできない。みんな体格がいい。もしかしたら、彼らも藤堂さんと同じようにプロ経験者かもしれない。

 涙雀商会野球部の一番は意外にも左バッターだった。
 どういう意図なのかわからない。
 左対左の対戦はバッターが不利とされる中、ハツメのサイドアームは更に打つ側にとって都合が悪くなる。バッターは自分の背中からピッチャーの球が出るように見えてしまうため、どうしても体は開くし腰も引ける。当然、スイングだって遅れてしまう。
 無論、右バッターはクロスファイヤーで攻められると打ちづらい点もあるが、ボールのリリースポイントは左バッターに比べると格段に見えやすい。
 左打ちという不利をカバーできるほど、この一番バッターはそれだけ巧打者なのか?

 田崎さんがプレイボールを告げる。

 僕はギリギリ外角に構える。
 ……え、拳が離れて――セーフティバンドかッ!
 しまった! ハツメはもう投球動作に入っている。
 だが、312キロをどうやってバンドする? ポップフライになるだけだぞ。
 ハツメも相手の動作に気づいた。
 だが、投げるしかない。
 紫ちゃんは……? さすが! もう前に出てる。
 フライを避けるためバットのヘッドを立てる一番バッター。
 だが、空を切った。ワンストライク!

 やっぱりな。

 312キロなんて、バンドでもそうそう当てることはできない。
 ハツメに返球してから、僕は三塁ベンチを見て真意を探る。
 奇襲で終わらせるのか?
 それとも、打てないとわかって徹底してバンド作戦でくるのか……。
 打者が左なのは右バッターに比べて一塁ベースにより近い、即ち内野安打になりやすいから。
 たったそれだけの理由なのか。はたまた別の目的があるのか……。

 僕は紫ちゃんと雅さんを見た。

 うつむいている場合じゃない。翔姉さんもファーストのベースカバーを忘れるなよ。
 2球目は大きく外して構える。ウエストボールで相手の出方を見極めるためだ。
 ところが、ハツメは露骨にイヤな顔をした。ボール球など必要ないということか。

 まあいい。どうせ当たらないんだ。

 僕は紫ちゃんに前へ出るよう指示を出して、外角の高めに構えた。

 当然、ポップフライ狙いだ。
 構えに納得したハツメが大きく振りかぶる。
 もうこの段階でバッターはバンドの構えに入っている。
 何と、バットに当たった。
 だが、転がせない。
 僕は素早くマスクを外す。
 狙い通り、高々と上がったキャッチャーフライ。

 ……ひとまずワンアウト!

 ホッとした僕は紫ちゃんにボール回しの球を投げる。
 紫ちゃんはそのボールを翔姉さんへ(6は落とすのでスルー)、翔姉さんは雅さんへ、そして雅さんはボールを丁寧に両手で拭いてからハツメへと戻す。
 これで少しはみんなの緊張もほぐれるかと思ったが、ハツメに笑顔はない。
 そう、ハツメは三振を取りたいのだ。その三振が初めて奪えなかった。
 もし、涙雀商会野球部が性懲りもなくバンド作戦を続けてきたら、ますます彼女のイライラは募っていく。これじゃ、みんなの緊張がほぐれるワケがない。
 これが藤堂さんの狙いだったら厄介だな。
 点を取るのを諦めて嫌がらせに走ったとしたら、それは十分過ぎるほど効果を発揮している。

 二番バッターも左打席に入る。こちらは早々とバンドの構え。
 だが、油断させてヒッティング――バスターに切り替えるかもしれない。
 ここで1球ウエストできれば相手の考えがわかるのだが、ストライクが投げたくてしょうがないハツメがそれに応じてくれるだろうか。
 立ち上がって思いっきり高めを要求したものの、やはりガンを飛ばされてしまった。
 しょうがない。また高めのストライクを要求する。
 初球、ファールチップ。
 2球目、空振り。

 さてと、ここでスリーバンドやってくるか?

 まさかな……。

 観客もどよめいている。
 遊び心のない出場者に、非難の声がちらほら飛ぶ。
 ハツメはウエスト禁止主義なので、やむなく3球勝負。
 やっとまともにバットに当たるも大ファール。スリーバンド失敗。
 記録上、これで二番バッターは三振となる。
 だが、ハツメはこんな後味の悪い三振で満足しやしない。
 何の山場も起こらないまま、いよいよ藤堂さんの打順となる。

 元ドリーム・レッズメンバーの登場に場内は騒然となったが、ブーイングはない。
 表向きは円満退団だからか。

 藤堂さんはヘルメットを取り、主審の田崎さんに「お久しぶりです」と頭を下げる。
 田崎さんはこの裏切り者に対して「やあ、いらっしゃい」と動揺も見せず和やかに返した。
 集音マイクがなかったらこの限りではないだろう。
 そして、藤堂さんは「やあ」と僕に例のウインクをする。

「もう負けそうだ」
「一度くらいまともにバット振ってくださいよ。ハツメの機嫌が悪くなるばかりです」
「いや、振っても当たらないからオレもバンドでいくよ」

 予告バンドである。ここまで敵に手の内を明かされたら気味が悪い。

 1球目、バックネットまで飛ぶファール。
 このまま、またバンド失敗で三振かポップフライに終わりそうだな。

 それにしても少し気になる……。

 バットの角度だ。
 藤堂さんもそうだが、さっきからずっとバンドがまともすぎる。
 普通は三塁線か一塁線を転がすか、もしくはピッチャー横をプッシュ気味に狙って誰もいないところに飛ばしたりするのだが、彼らのバンドは正直すぎて、仮にうまくボールを前に転がしたところでピッチャーの真正面にしか……




 二つの照準器がミットの位置を正確に捉え、この左腕が312キロでそこに投げる




 ――ッ!?

 ま、まさか! !?


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