へその緒JCT

よん

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四六篇

手紙

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 啓上

 ここで時節の挨拶を並べるのが常でしょうが、生憎アマゾンには季節の変化というものが殆どありません。蒸し暑くて実に多くの雨が降ります。だからこそ僕はこの地に長く留まっているわけですが。
 湿気を好む蛙にとってここは天国です。無論、"蛙王子"の僕にとっても。
 コスタリカからブラジル……気づけば僕は日本より長くこちら側で暮らしています。おかげで、箸の持ち方がずっと下手になりました。

 三年前、一彦とあなたの結婚式で久しぶりに日本へ戻ったことが昨日のことのように思えます。あなたの純白のウエディングドレスはとても素敵でした。1985年、新幹線で初めて出会ったあの時から今に至るまでずっとあなたに惹かれていた者にとって、それを招待席で見ることがどんなに辛いことか……いや、実を申せば拍子抜けするほど辛くありませんでした。理由は、あなたの選んだ伴侶が一彦だったからです。
 ご承知の通り、僕と一彦は一卵性双生児です。それもただの一卵性双生児ではありません。
 僕は次彦でありながら、ほぼ一彦のクローンなのです。
 つまり、あなたの夫はこの僕と言っても過言ではありません。ですから嫉妬という感情もなく清々しいほど二人を祝福できました。
 このあいだ頂戴した手紙に同封された写真、今も大切にしています。
 理玖ちゃん、良い名前ですね。一彦に似てなくてよかった(一彦自身もそう思ってます)。

 この手紙を一彦にではなく、あなたにしたためている理由はもはやおわかりでしょう。
 僕と一彦には完璧な意思の疎通というものが形成されています。こうして地球の反対側にいても、我々はお互いの考えていることがわかるので、こうした手紙というものがまるで意味を成さないのです。
 この手紙をあなたに渡すことも、僕の意思であり一彦の意思であるのです。

   "世界で一番のパーフェクトな一卵性双生児"

 僕達は何らかの組織によってこの宿命づけられた呪いから抗おうと、できるだけ距離を置こうと考えました。
 何故なら、僕達には各々のアイデンティティが確立されるべきだからです。それは至極当然な権利なのです。
 組織にすれば僕達なんぞ実験用のモルモットに過ぎないだろうけれど、残念ながら僕達はモルモットよりは少しだけ自我に芽生えているのです。必然、僕達はお互い全く別の道をと考えました。
 そうです。これは僕達にとっての挑戦なのです。その相手が何なのかはわかりませんが。

 僕と一彦がやりたいこと……新幹線であなたに言ったこと、覚えてますか? 確か、将来何をしたいかわからないって言ったと記憶してます。

 そうです。僕も一彦もあなたと違って、これといってやりたいことなんてなかったのです。ただ、漠然とお互い別の道を進もうと考えていたものの、それが何なのかはわからずじまいでした。

 おヘソがないなんて蛙みたい

 あなたが何気に言ったその一言で、僕の将来はいとも簡単に決定しました。
 一方、一彦の志す職業は、蛙の研究者とは全くかけ離れた職種を50ほど挙げてそれをクジで決めました。
 それがあなたの夫の現在の職業です。クジによっては今頃、一彦は北海道で酪農を営んでいたかもしれません。

 さて、ここからが本題です。

 僕にはがありません。

 1999年。
 母が亡くなって東京の実家に訪れた女性――宇田島貞子という人物が一彦に語った内容を、僕はここアマゾンで聞いていました。そのことはあなたも一彦に聞いて知っている筈なので割愛しますが、つまり僕は長く生きられないということです。
 彼女が言った"固着"……一彦にはそれが何なのかわからなかったでしょうが、長年生物研究に携わってきた僕にはすぐわかりました。無論、僕が理解したことは一彦にもすぐに伝わります。
 基本、爬虫類以下の生物は卵から孵化して幼体から成体に至るまで様々な形態に変化します。即ち変態です。
 僕の研究対象にある両生類の蛙は比較的単純な変態で成体になります。
 オタマジャクシは外鰓そとえらを失い、手足や肺を手に入れ尾のない成体カエルになります。
 ホヤの場合は蛙のようにオタマジャクシ型の幼体を持ちますが、このオタマジャクシは手足を生やすどころか岩などに付着し動くことを放棄するのです。
 それが"固着"なのです。成体はその見た目から貝に間違えられますが、れっきとした脊索動物です。
 宇田島女史は固着のことをその場では"蛹状態"などとお茶を濁しました。
 一彦にはそれが通用しましたが、僕はすぐにホヤの変態過程が思い浮かびました。

 つまり、

 さすがに、どのようにして僕がホヤの要素を取り入れているかまではわかりませんが、それでも自分の体ですから予兆めいたものを感じずにはいられません。間違いなく、それが臍帯として活用されていることも。
 だって、今も生い茂る密林の僅かな隙間から空に浮かぶ巨大なへその緒が確認できるのですから(固着とへその緒の異常性……これが結びつかないとは到底考えられません)。
 間違いなく、僕の中で何かが起こっているのです。
 それが宇田島女史の話していたことなのは疑う余地もありません。彼女の娘のように、僕もいわゆるサナギジョウタイになろうとしているのがはっきりとわかります。
 いや、それが"固着"と呼ばれるものならば、僕は近々堅い被嚢ひのうで覆われると予想します。僕はその中に納まり死んでしまうかもしれません。
 これは宇田島女史の娘やその他の二人の被験者にも当てはまることです。

 強がりでも何でもなく、僕は少しも死を恐れてはいません。
 元来、僕は存在すべき命ではないのです。
 でも幸いにも僕の代わりに、一彦がいます。一彦が生き続けてさえいれば僕はそこにいるのです。ですから固着だろうが蛹だろうが、僕はこの先起こるであろう変態を堂々と受け入れる覚悟があります。
 ただ一つ未練があるとすれば、僕は己の死をあなたのいる地球の反対側で迎えなければならないことです。

 僕にはフロリダの大学で知り合ったジョンという旧友がいます。
 コスタリカからブラジルで長きに渡り行動を共にしてきた、信頼できる人物です。また、蛙研究の第一人者として世界的に有名な人物でもあります。
 だからといって僕の特殊性についてまでは打ち明けていませんが、それでも一つのことを彼に依頼しました。
 それはある日を境に僕が行方不明になって、そこで何か得体の知れない物が残されていたならば、それを日本の富山という土地に送って欲しいとお願いしました。
 ジョンはこの奇妙な依頼に大変戸惑いながらも、最終的には承諾してくれました。
 持つべきものは友人ですね。本当に感謝します。


 僕は固着後、自分がどういう姿になっているのか想像できません。
 だから、あなたにお願いがあるのです。

 どうか、その得体の知れない物に、優れた彫刻家であるあなたに魂を刻んでもらいたいのです。

 僕はあなたにとって唯一無二の蛙王子でいたい。

 厚かましくもリクエストがあります。
 できれば、ニホンヒキガエル……前足が四本指、後足が六本指の四六のガマとして彫ってもらえませんか?
 個人的に僕の一番好きな蛙です。ただ、珍しくはないので研究の価値はありません。

 僕はあなたの作品としてこの世に残りたいのです。
 それこそが僕の本望であります。



 今、一彦はバーボン片手にQueenを聴いています。
 仕事が忙しいのはわかるけど、少しは育児を手伝ってあげればいいのに。


 Bohemian Rhapsody


 ママ、ううぅ
 死にたくないよ
 僕は時々願うんだ 
 いっそ僕なんて生まれてこなければと……



 何て哀しい歌なんだろね。
 まるでこの僕の気持ちを表しているみたいだ。

 母の死に僕は会いに行けなかった。いや、行かなかったんだ。


 やれやれ、最後の最後に余計なことを書いてしまいました。

 
 それでは、固着後にお目にかかれますことを楽しみにしております。



                 敬具
               
                         (四六篇 完)
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