へその緒JCT

よん

文字の大きさ
上 下
10 / 41
富山篇

クロノワール@カメダ珈琲

しおりを挟む
「いると思った」

 下足室にて。
 ひと房のポニーテールを揺らしながら、待ち伏せしていたウケ子が僕に近づいてくる。
 彼女の不可解な涙のせいで僕は巻き添えを食ったのだけれど、当人に反省の色はまるでない。それどころか、ニマニマ笑ってさえいる。

 笑っている?

「随分と早かったね?」
「僕には喋ることなんてないから。錦織さんと違って」
「おぉ、やっとあたしの名前を覚えてくれた!」
「担任がそう呼んでたから」
「えー、何ソレ? "タンニン"はいくら何でもかわいそうじゃん。ちゃんと名前で呼んであげなって」
「自分だって"ニラちゃん"だろ」
「ヤタッ! ちゃんとツッコんでくれた! 一気に距離が縮まったカンジ!」

 しまった、心の声が……と反省するも後の祭り。
 彼女は鬼の首を取ったような喜びよう。

「もはやあたしに心を許したも同然だね。嘘泣きした甲斐があった!」

 嘘泣き……だと?

「あ、でもウルッてきたのはホントだからね?」
「そこまでやる錦織さんの目的は?」
「どうせなら下の名前で呼んでくれてもいいんだよ、フミヒコくん?」
「それはない。てか、そこまで知らない」
「んじゃ、無知な少年に教えて進ぜよう。ヒノキだよ。檜舞台のひのきに希望の。"ヒノキキ"じゃないので間違えて覚えないように」

 ウケ子じゃなかったか。

「知ったところで呼ばないから」
「ふふふーん、それはどうかな? そのうち呼ぶようにしてみせるから……でさ、どうしてあたしがここで待ち伏せしてるって思ったの?」
「そっちも心当たりがある筈だ」
「そっちはやめて。どうして名字から降格させるかな?」

 眉に目に頬に唇にと不満の感情をこれでもかと寄せ、朝と同じように僕を睨みつけてくる。
 もどかしい。呼び方なんてどうでもいい。
 どうしてこうも能天気でいられるのだろうか? おそらく彼女もなのに。


「キミにも見えてるんでしょ、アレが?」


 そこで不意打ち。
 彼女の視線の先、校舎の壁に隠れてここからは見えないけれど、その隔たりの向こうに浮かんでいるものを示しているのは明らかだ。
 先手を打たれてしまったが、動揺まではしない。主導権は渡さないよ。
 
「そっちはいつから見えるの?」
「えー、いきなりソレ訊いちゃう? こんなところで立ち話も何だし、カメダでも行かない?」
「……カメダ」
「あのフミヒコが考えてる! 何かウケる!」

 呼び捨て……。

「笑っていい話じゃないんだけど」

 すると突然、錦織さんは真顔になる。

「そうよ。でも、笑わなきゃやってらんない……でしょ? しかもあたし達、今はたった二人しかいない同志なんだしさ。やっと巡り会えたんだもん。だからぁ、"地獄へ道連れ"。カメダへ連れ込み、同伴入店」

 そう言って、彼女は僕の腕を組んだ。


 Another One Bites The Dust


 その邦題が『地獄へ道連れ』だ。
 驚いた。この子もQueenを聴いている?

「まだ確定じゃない」

 僕を彼女の華奢な腕を振り払って、靴を履き替える。

「だからぁ、それを確認するために行くんだよ、カメダに」

 彼女は僕の上履きをしまい、テクテクと先を行く。


   ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 カメダは全国にチェーン展開している喫茶店だった。
 国道135号線からよく見える立地にあり、僕も毎日のように目にしているにも拘わらず全く気づかなかった。


 だってキミ、走ってる時の顔は苦しそうですらない。虚無そのものだ。
 だから、ちっともゴールに向かって走ってないもの。


 参ったな。
 担任のあの言葉がけっこう深く僕の心臓にグサリと突き刺さっている。
 地に足がつかないままジョギングを繰り返し、結果的に身長を伸ばし逞しい筋肉を身につけたわけだけれど、僕はあの日から少しもスタート地点から動いちゃいなかった。何一つ満たされちゃいないのがその証拠である。

「コレさ、あたしにとって最高のご褒美なんだよねぇ♪」

 ホクホク顔の彼女はそう言って、プレートいっぱいを占めるデザートに取り掛かる。こっちは満たされてるな。少なくとも、上辺だけは。

「ん~美味しっ! やっぱ、クロノワール最高!」

 Noir フランス語で黒。
 クロノワールクロ……黒のクリームにデニッシュ生地も黒っぽい。
 聞けば、生クリームの黒色は竹炭を混ぜたものらしい。

「本当にコーヒーだけでいいの? 体の大きいフミヒコには、赤味噌カツサンドなんてボリュームあって超おススメだよ。フミヒコがシェアしてくれるんなら、あたしも食べたいな」
「夕食の妨げになる。できれば、このコーヒーでさえ注文したくなかった。それより、議論に入ろう。無駄話はたくさんだ」
「"急いては事を仕損じる"……だから、あたしは校内からここへと場所を移したの。悩めるあたし達には無駄な時間こそ必要なんだよ。特にフミヒコには余裕が足りない気がするの」
「さっきから我慢してたんだけど、そろそろ限界だから言わせてもらう。気安く呼び捨てはやめてもらいたい」
「じゃ、逆要求。あたしのことは呼び捨てで」

 それで導いてる積もりか?

「断る。僕達はそこまでの間柄じゃない」
「……同志でも?」
「同志でも、だ。しかも、まだその確証はない」

 ハァーっと溜息をつき、スプーンとフォークをプレートに置いた彼女はぞんざいに窓を指さす。

umbilical cordへその緒……コレで満足?」

 僕は頷いた。グロテスクな浮遊物は今日も今日とて、僕ともう一人の誰かさんを見下ろしている。

「認めよう。僕達は同志だ。さっき、そっちに『いつから見える?』って訊ねたよね? それは答えなくていい。何故なら、僕もそれをよく知っているから。2017年5月11日だ」
「……日付けまで!?」

 彼女は目を丸くする。
 魚満上空に浮かんだ僕のへその緒に他のへその緒が結合したその日、たまたま爽子さんの誕生日だったからよく覚えている。

 そして、最初のへその緒が魚満上空に姿を見せた日も。

 2015年5月11日。
 同じく、爽子さんの誕生日。

 その日初めて、僕は爽子さんのことを想って自慰をした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

全ての悩みを解決した先に

夢破れる
SF
「もし59歳の自分が、30年前の自分に人生の答えを教えられるとしたら――」 成功者となった未来の自分が、悩める過去の自分を救うために時を超えて出会う、 新しい形の自分探しストーリー。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

戦艦大和、時空往復激闘戦記!(おーぷん2ちゃんねるSS出展)

俊也
SF
1945年4月、敗色濃厚の日本海軍戦艦、大和は残りわずかな艦隊と共に二度と還れぬ最後の決戦に赴く。 だが、その途上、謎の天変地異に巻き込まれ、大和一隻のみが遥かな未来、令和の日本へと転送されてしまい…。 また、おーぷん2ちゃんねるにいわゆるSS形式で投稿したものですので読みづらい面もあるかもですが、お付き合いいただけますと幸いです。 姉妹作「新訳零戦戦記」「信長2030」 共々宜しくお願い致しますm(_ _)m

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

SEVEN TRIGGER

匿名BB
SF
20xx年、科学のほかに魔術も発展した現代世界、伝説の特殊部隊「SEVEN TRIGGER」通称「S.T」は、かつて何度も世界を救ったとされる世界最強の特殊部隊だ。 隊員はそれぞれ1つの銃器「ハンドガン」「マシンガン」「ショットガン」「アサルトライフル」「スナイパーライフル」「ランチャー」「リボルバー」を極めたスペシャリストによって構成された部隊である。 その中で「ハンドガン」を極め、この部隊の隊長を務めていた「フォルテ・S・エルフィー」は、ある事件をきっかけに日本のとある港町に住んでいた。 長年の戦場での生活から離れ、珈琲カフェを営みながら静かに暮らしていたフォルテだったが、「セイナ・A・アシュライズ」との出会いをきっかけに、再び戦いの世界に身を投じていくことになる。 マイペースなフォルテ、生真面目すぎるセイナ、性格の合わない2人はケンカしながらも、互いに背中を預けて悪に立ち向かう。現代SFアクション&ラブコメディー

処理中です...