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富山篇
クロノワール@カメダ珈琲
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「いると思った」
下足室にて。
ひと房のポニーテールを揺らしながら、待ち伏せしていたウケ子が僕に近づいてくる。
彼女の不可解な涙のせいで僕は巻き添えを食ったのだけれど、当人に反省の色はまるでない。それどころか、ニマニマ笑ってさえいる。
笑っている?
「随分と早かったね?」
「僕には喋ることなんてないから。錦織さんと違って」
「おぉ、やっとあたしの名前を覚えてくれた!」
「担任がそう呼んでたから」
「えー、何ソレ? "タンニン"はいくら何でもかわいそうじゃん。ちゃんと名前で呼んであげなって」
「自分だって"ニラちゃん"だろ」
「ヤタッ! ちゃんとツッコんでくれた! 一気に距離が縮まったカンジ!」
しまった、心の声が……と反省するも後の祭り。
彼女は鬼の首を取ったような喜びよう。
「もはやあたしに心を許したも同然だね。嘘泣きした甲斐があった!」
嘘泣き……だと?
「あ、でもウルッてきたのはホントだからね?」
「そこまでやる錦織さんの目的は?」
「どうせなら下の名前で呼んでくれてもいいんだよ、フミヒコくん?」
「それはない。てか、そこまで知らない」
「んじゃ、無知な少年に教えて進ぜよう。ヒノキだよ。檜舞台の檜に希望の希。"ヒノキキ"じゃないので間違えて覚えないように」
ウケ子じゃなかったか。
「知ったところで呼ばないから」
「ふふふーん、それはどうかな? そのうち呼ぶようにしてみせるから……でさ、どうしてあたしがここで待ち伏せしてるって思ったの?」
「そっちも心当たりがある筈だ」
「そっちはやめて。どうして名字から降格させるかな?」
眉に目に頬に唇にと不満の感情をこれでもかと寄せ、朝と同じように僕を睨みつけてくる。
もどかしい。呼び方なんてどうでもいい。
どうしてこうも能天気でいられるのだろうか? おそらく彼女も当事者なのに。
「キミにも見えてるんでしょ、アレが?」
そこで不意打ち。
彼女の視線の先、校舎の壁に隠れてここからは見えないけれど、その隔たりの向こうに浮かんでいるものを示しているのは明らかだ。
先手を打たれてしまったが、動揺まではしない。主導権は渡さないよ。
「そっちはいつから見えるの?」
「えー、いきなりソレ訊いちゃう? こんなところで立ち話も何だし、カメダでも行かない?」
「……カメダ」
「あのフミヒコが考えてる! 何かウケる!」
呼び捨て……。
「笑っていい話じゃないんだけど」
すると突然、錦織さんは真顔になる。
「そうよ。でも、笑わなきゃやってらんない……でしょ? しかもあたし達、今はたった二人しかいない同志なんだしさ。やっと巡り会えたんだもん。だからぁ、"地獄へ道連れ"。カメダへ連れ込み、同伴入店」
そう言って、彼女は僕の腕を組んだ。
Another One Bites The Dust
その邦題が『地獄へ道連れ』だ。
驚いた。この子もQueenを聴いている?
「まだ確定じゃない」
僕を彼女の華奢な腕を振り払って、靴を履き替える。
「だからぁ、それを確認するために行くんだよ、カメダに」
彼女は僕の上履きをしまい、テクテクと先を行く。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
カメダは全国にチェーン展開している喫茶店だった。
国道135号線からよく見える立地にあり、僕も毎日のように目にしているにも拘わらず全く気づかなかった。
だってキミ、走ってる時の顔は苦しそうですらない。虚無そのものだ。
だから、ちっともゴールに向かって走ってないもの。
参ったな。
担任のあの言葉がけっこう深く僕の心臓にグサリと突き刺さっている。
地に足がつかないままジョギングを繰り返し、結果的に身長を伸ばし逞しい筋肉を身につけたわけだけれど、僕はあの日から少しもスタート地点から動いちゃいなかった。何一つ満たされちゃいないのがその証拠である。
「コレさ、あたしにとって最高のご褒美なんだよねぇ♪」
ホクホク顔の彼女はそう言って、プレートいっぱいを占めるデザートに取り掛かる。こっちは満たされてるな。少なくとも、上辺だけは。
「ん~美味しっ! やっぱ、クロノワール最高!」
Noir フランス語で黒。
クロノワール……黒のクリームにデニッシュ生地も黒っぽい。
聞けば、生クリームの黒色は竹炭を混ぜたものらしい。
「本当にコーヒーだけでいいの? 体の大きいフミヒコには、赤味噌カツサンドなんてボリュームあって超おススメだよ。フミヒコがシェアしてくれるんなら、あたしも食べたいな」
「夕食の妨げになる。できれば、このコーヒーでさえ注文したくなかった。それより、議論に入ろう。無駄話はたくさんだ」
「"急いては事を仕損じる"……だから、あたしは校内からここへと場所を移したの。悩めるあたし達には無駄な時間こそ必要なんだよ。特にフミヒコには余裕が足りない気がするの」
「さっきから我慢してたんだけど、そろそろ限界だから言わせてもらう。気安く呼び捨てはやめてもらいたい」
「じゃ、逆要求。あたしのことは呼び捨てで」
それで導いてる積もりか?
「断る。僕達はそこまでの間柄じゃない」
「……同志でも?」
「同志でも、だ。しかも、まだその確証はない」
ハァーっと溜息をつき、スプーンとフォークをプレートに置いた彼女はぞんざいに窓を指さす。
「umbilical cord……コレで満足?」
僕は頷いた。グロテスクな浮遊物は今日も今日とて、僕ともう一人の誰かさんを見下ろしている。
「認めよう。僕達は同志だ。さっき、そっちに『いつから見える?』って訊ねたよね? それは答えなくていい。何故なら、僕もそれをよく知っているから。2017年5月11日だ」
「……日付けまで!?」
彼女は目を丸くする。
魚満上空に浮かんだ僕のへその緒に他のへその緒が結合したその日、たまたま爽子さんの誕生日だったからよく覚えている。
そして、最初のへその緒が魚満上空に姿を見せた日も。
2015年5月11日。
同じく、爽子さんの誕生日。
その日初めて、僕は爽子さんのことを想って自慰をした。
下足室にて。
ひと房のポニーテールを揺らしながら、待ち伏せしていたウケ子が僕に近づいてくる。
彼女の不可解な涙のせいで僕は巻き添えを食ったのだけれど、当人に反省の色はまるでない。それどころか、ニマニマ笑ってさえいる。
笑っている?
「随分と早かったね?」
「僕には喋ることなんてないから。錦織さんと違って」
「おぉ、やっとあたしの名前を覚えてくれた!」
「担任がそう呼んでたから」
「えー、何ソレ? "タンニン"はいくら何でもかわいそうじゃん。ちゃんと名前で呼んであげなって」
「自分だって"ニラちゃん"だろ」
「ヤタッ! ちゃんとツッコんでくれた! 一気に距離が縮まったカンジ!」
しまった、心の声が……と反省するも後の祭り。
彼女は鬼の首を取ったような喜びよう。
「もはやあたしに心を許したも同然だね。嘘泣きした甲斐があった!」
嘘泣き……だと?
「あ、でもウルッてきたのはホントだからね?」
「そこまでやる錦織さんの目的は?」
「どうせなら下の名前で呼んでくれてもいいんだよ、フミヒコくん?」
「それはない。てか、そこまで知らない」
「んじゃ、無知な少年に教えて進ぜよう。ヒノキだよ。檜舞台の檜に希望の希。"ヒノキキ"じゃないので間違えて覚えないように」
ウケ子じゃなかったか。
「知ったところで呼ばないから」
「ふふふーん、それはどうかな? そのうち呼ぶようにしてみせるから……でさ、どうしてあたしがここで待ち伏せしてるって思ったの?」
「そっちも心当たりがある筈だ」
「そっちはやめて。どうして名字から降格させるかな?」
眉に目に頬に唇にと不満の感情をこれでもかと寄せ、朝と同じように僕を睨みつけてくる。
もどかしい。呼び方なんてどうでもいい。
どうしてこうも能天気でいられるのだろうか? おそらく彼女も当事者なのに。
「キミにも見えてるんでしょ、アレが?」
そこで不意打ち。
彼女の視線の先、校舎の壁に隠れてここからは見えないけれど、その隔たりの向こうに浮かんでいるものを示しているのは明らかだ。
先手を打たれてしまったが、動揺まではしない。主導権は渡さないよ。
「そっちはいつから見えるの?」
「えー、いきなりソレ訊いちゃう? こんなところで立ち話も何だし、カメダでも行かない?」
「……カメダ」
「あのフミヒコが考えてる! 何かウケる!」
呼び捨て……。
「笑っていい話じゃないんだけど」
すると突然、錦織さんは真顔になる。
「そうよ。でも、笑わなきゃやってらんない……でしょ? しかもあたし達、今はたった二人しかいない同志なんだしさ。やっと巡り会えたんだもん。だからぁ、"地獄へ道連れ"。カメダへ連れ込み、同伴入店」
そう言って、彼女は僕の腕を組んだ。
Another One Bites The Dust
その邦題が『地獄へ道連れ』だ。
驚いた。この子もQueenを聴いている?
「まだ確定じゃない」
僕を彼女の華奢な腕を振り払って、靴を履き替える。
「だからぁ、それを確認するために行くんだよ、カメダに」
彼女は僕の上履きをしまい、テクテクと先を行く。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
カメダは全国にチェーン展開している喫茶店だった。
国道135号線からよく見える立地にあり、僕も毎日のように目にしているにも拘わらず全く気づかなかった。
だってキミ、走ってる時の顔は苦しそうですらない。虚無そのものだ。
だから、ちっともゴールに向かって走ってないもの。
参ったな。
担任のあの言葉がけっこう深く僕の心臓にグサリと突き刺さっている。
地に足がつかないままジョギングを繰り返し、結果的に身長を伸ばし逞しい筋肉を身につけたわけだけれど、僕はあの日から少しもスタート地点から動いちゃいなかった。何一つ満たされちゃいないのがその証拠である。
「コレさ、あたしにとって最高のご褒美なんだよねぇ♪」
ホクホク顔の彼女はそう言って、プレートいっぱいを占めるデザートに取り掛かる。こっちは満たされてるな。少なくとも、上辺だけは。
「ん~美味しっ! やっぱ、クロノワール最高!」
Noir フランス語で黒。
クロノワール……黒のクリームにデニッシュ生地も黒っぽい。
聞けば、生クリームの黒色は竹炭を混ぜたものらしい。
「本当にコーヒーだけでいいの? 体の大きいフミヒコには、赤味噌カツサンドなんてボリュームあって超おススメだよ。フミヒコがシェアしてくれるんなら、あたしも食べたいな」
「夕食の妨げになる。できれば、このコーヒーでさえ注文したくなかった。それより、議論に入ろう。無駄話はたくさんだ」
「"急いては事を仕損じる"……だから、あたしは校内からここへと場所を移したの。悩めるあたし達には無駄な時間こそ必要なんだよ。特にフミヒコには余裕が足りない気がするの」
「さっきから我慢してたんだけど、そろそろ限界だから言わせてもらう。気安く呼び捨てはやめてもらいたい」
「じゃ、逆要求。あたしのことは呼び捨てで」
それで導いてる積もりか?
「断る。僕達はそこまでの間柄じゃない」
「……同志でも?」
「同志でも、だ。しかも、まだその確証はない」
ハァーっと溜息をつき、スプーンとフォークをプレートに置いた彼女はぞんざいに窓を指さす。
「umbilical cord……コレで満足?」
僕は頷いた。グロテスクな浮遊物は今日も今日とて、僕ともう一人の誰かさんを見下ろしている。
「認めよう。僕達は同志だ。さっき、そっちに『いつから見える?』って訊ねたよね? それは答えなくていい。何故なら、僕もそれをよく知っているから。2017年5月11日だ」
「……日付けまで!?」
彼女は目を丸くする。
魚満上空に浮かんだ僕のへその緒に他のへその緒が結合したその日、たまたま爽子さんの誕生日だったからよく覚えている。
そして、最初のへその緒が魚満上空に姿を見せた日も。
2015年5月11日。
同じく、爽子さんの誕生日。
その日初めて、僕は爽子さんのことを想って自慰をした。
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