人を咥えて竜が舞う

よん

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第6章

チルの会議 6

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 夜が明けたらヒエンは見張り塔を登り、そこで竜を呼ぶ。
 デスプラン宰相始め主城の閣僚はそれを了承した。
 チルの計画が失敗に終わったところで礼儀知らずの田舎娘がシーリザードにされてしまうだけだし、チルの失脚にも繋がることから反対者は一人も出なかった。

 泣きじゃくっていたダストがようやく落ち着きを取り戻したのは、夜もとっぷり更けてからだった。
 説得に疲れたヒエンはベッドの上でグッタリ横になっている。

(誰が何と言おうがウチはもう行くことに決めた。あの憎たらしいチルの計画に乗るんは釈然とせんけども、確かにアイツの言うた通り、竜の棲む島は最高の死に場所や。そこで海トカゲにされんよう、クイーンの息吹きには十分注意せんとあかん。ケダモノの血がイヤで死にに行くのに本物のケダモノにされてもうたら本末転倒やで。……まあ、最悪の場合は火山の中に落ちて死ねばええし。これでウチはオカンの生涯を越えずに死ねる。……ただ、心残りはダストやな。モブランはまだ芯が強いから心配いらんけど、ダストは全てにおいて弱い。アイツはこの先、一人で生きていけるとは思えん。ユージン頼って、ザールの弓隊にでも編入できたらええけどな)

 カーテンの隙間から満月が見える。
 ギタイナの宿屋で見て以来、こんなにじっくり月を見るのは久しぶりだった。
 ナニワーム公国での生活など、遥か昔のことのように思える。
 懐かしくはあるが、あの頃には決して戻りたくない。
 どんなに幸せであっても二十歳までに死ぬ決意は変わらないし、同じ死ぬのであれば厭世的な気分が増してきている今の方がずっといい。

 乾いたノック音の後に、瞼をパンパンに腫らせたダストが夕食を載せたプレートを手に入って来る。
 折角の美しい顔が台無しである。

「冷めちゃったけど……」

 ダストはサイドボードの上にそれを置いた。

「オマエの分は?」

 ダストは力なく首を振る。
 食欲がないのか、用意されていなかったのか、もう食べたのか、どう解釈していいのかわからない首の振り方だった。
 ヒエンはベッドを離れて、独特な匂いのハーブティーを飲む。
 こんな時なのに不思議と食欲だけはある。
 パンと骨付きラムのローストとサラダをあっという間に平らげて、それをハーブティーで流し込んだ。

「本当に美味しそうに食べるね。母さんのシチューもそんな風に食べてくれた」
「どっちか言うたら、ウチはオマエのオカンの味の方が好きや。宮廷料理人の味付けはイマイチ合わん。このハーブティーもええ葉っぱ使てんねやろうけど、何か複雑な味覚やわ」
「そう? 僕は好きだよ」

 ティーポットを持ったダストが新たに注ぐ。

「母さんの味がするから」
「……そうか?」

 ヒエンは首を傾げながら二杯目のハーブティーに口をつける。
 ダストはカーテンを開けて、満月をじっくり観察する。

「もうずっと聞こえていないんだ」

 ヒエンは驚いて顔を上げる。

「それって【あの人達】の歌がか?」

 ダストがコクリと頷き、地下牢から戻ってきていたカタリウムの紐を手に取った。

「あの岩穴でコレを作って以来、僕の聴覚は特別じゃなくなった。カタリウムを呼び寄せる歌を歌ったせいなのか、カタリウムを殺してしまったからなのか、それとも、僕を導くフィルクを失ってしまったからなのかはわからないけど……」

 ヒエンは何と声を掛けるべきなのかわからなかった。 
 異常なまでのダストの聴覚は、彼にとって誇りであると同時に苦しみの源でもあったからだ。

「そんな辛そうな顔をしないで」

 ダストはニコリと微笑んだ。

「別に僕はどうとも思ってないんだ。ただ、このことをヒエンに報告したかっただけだよ」
「うん」

 ヒエンは曖昧に頷く。

「だから、僕はもう満月の虜にならない」
「……うん」

 ヒエンはまた同じく頷いただけだった。
 おかしいと自分自身で思う。
 他に何か言いようがあるだろう。

「ところで、ヒエン。最後に教えて欲しいんだ。……ヒエンはどうして自ら死のうと考えているのかを」
「それはやら…」

 ヒエンは喋ろうとしたが、うまく話をまとめられない。
 最後の晩だからこそダストには洗いざらい告白しようと思うのだが、何だか意識が飛びそうなまでに精神が鈍っている。
 それでも、要点だけは話そうと全神経を集中する。

「オカンが死んだんはウチが生まれてすぐやから、当然そのことは直接知らん。オジイ――ヤマト流捕縄術師範に無理やり訊いたんら。オトンがあまりにもウチにつれなかったからな。……タイルズ・スークは大陸出身の放浪の画家やった。それがウチのオトンら。オトンはナニワームに来てオカン――サナコ・ヤマトに一目惚れして即プロポーズした。けろ、オカンはまだ若あっかひ、年上の画家に興味なかったからそれを断っら」

 だんだん呂律が回らなくなってきた。
 強烈な睡魔がヒエンを襲うが、それでも何とか話を進めていく。

「オカンが十九の時のある日、誘拐された少女を救出するべく貧しい漁村に出向いた。けど、そこには大勢の男がオカンを狙って待ち伏せしれた。少女は囮……罠やっらんら。オカンはそれまで何人も痴漢を撃退してたから逆恨みされたんやろ思う。いくら捕縄術の使い手れも、オカン一人では太刀打ちれきん人数らっら。オカンは複数の男に強姦され、そして産まれたんらこのウチら」
「……そうだったんだ」

 ダストが憐れみの表情でヒエンを見つめている。
 今晩が最後だと思えば、ヒエンは抵抗なく己の闇の部分を話すことができた。
 迫りくる眠気を追いやりながら懸命に口を開く。

「オカンの精神はそん時に壊された。自分が誰なんかもわからんようになってたらしい。そんな風になっても、オトンはオカンのことを想い続けてらんや。オトンの熱意に負けたオジイは、オカンの意思とは関係なく結婚を認めら。婿養子のオトンはオカンを手厚く介護しながら、産まれてくる子供の父親が自分でないとわかってれもそれを受け入れら。親子三人で仲良う暮らすことを夢見てたんら」

 そこまで喋りながら本当に眠りそうになった。
 妙だと思いながらとにかく早く話してしまおうとヒエンは気合いを入れる。

「けど、夢は夢れ終わった。……オカンはウチを産んだ直後、麻縄で首を吊って自殺してしもた。それで全部パァや。オトンはウチを避けるように、オカンの死後はただの一度も家へ帰ってこんかった。……絵を描きなららその辺で野宿したり何度も島を出たりしとっらら。ウチがこの大陸に来る直前にもまたどっかフラッと行っれしもたわ。旅の前に挨拶くらいしときたかったのに」
「それは誰のせいでもないよ。ヒエンが責任を感じる必要はない」
「誰のせいでもないのはわかっれる。そやけど、ハタチまでならウチはオカンとそっくりのままら。ウチはそっくりのまま死にらい。ケダモノろ血がウチを支配するまれに死んどからあかんねん。……オトンもウチの死を望んれる。ウチはもうこれ以上、オトンを苦しめたあない」

 ダストはしばらく何も言わなかった。
 ただただ、ヒエンの瞳をじっと見つめている。
 ヒエンは恥ずかしくなって視線を逸らす。

「その考え方は不健康だよ。絶対に間違ってる。ヒエンはこれからも生きなくちゃいけない。……僕のためにも生き続けて欲しいんだ」

 ダストはヒエンの両肩に手を置き、次第に顔を近づけてくる。

「……?」
「ヒエンが好きなんだ。好きで好きで狂いそうだよ。……正直に言うね。今すぐ、ヒエンにキスしたい」
「……ッ!?」

 ヒエンは身をかわそうとしたが、思うように体が動かない。

? 嘘やろッ? ダストに限ってそんな……)

 油断していた。
 道理で舌が動かないはずだ。
 そうだった。
 真面目で泣き虫のダストも、サナコを襲った奴らと生物学上は同じ男なのだ。

「無理だよ。【あの人達】の歌が聞こえなくなった以上、僕には母さんの眠り薬が必要なくなった。だから、ハーブティーに溶かしてヒエンに飲んでもらったんだよ」
「ら、らめぇ……」

 抵抗するヒエンを簡単にベッドへ押し倒し、ダストは耳元で囁く。


「安心して。本気でキスしたりしないから」


 ヒエンはダストの高鳴る心臓音に驚いた。
 彼自身、自分の行動に無理しているのがわかる。

「理性がコントロールできる間に僕は出て行く。だから、朝までグッスリ休んでね。オヤスミ」

(出て行く? ダスト……まさか、オマエ……ウチの代わりに火山島へ行く気か?)

 クロンの教えを受け、ギタイナが作った強力な眠り薬が急激に効いてくる。
 もはや言葉を発することさえできなくなっていた。

「ヒエン、お願いがあるんだ」

 涙声のダストはヒエンに背を向けたまま静かに話す。

「もし僕が無事に帰ってきたら、その時は……」

 うまく聞き取れなかった。
 何も言わないままダストが寝室を後にしたかもしれないが、意識朦朧の中では判然としない。


 独りぼっちの寝室に耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。
 寝ている場合ではない。
 今すぐにでもベッドから離れて、部屋を出て行くダストを引き留めないと手遅れになってしまう。
 脳が体に必死の命令をするも、その脳も次第に働かなくなってきている。


 ヒエンが深い眠りに就く直前に見た満月は残酷なまでに美しく輝いていた。
 仮に人類が滅亡し、竜や精霊がこの世界に再び君臨したとしても、あの月は普遍的な明かりを授けるために夜空へ浮かび続けることだろう。
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