人を咥えて竜が舞う

よん

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第5章

テフスペリア大森林 18

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 波打ち際に立つユージンとヒエン。
 ヒエンは鹿皮のショートブーツを脱ぎ、裸足になっていた。
 彼らの背後には無数の落とし穴、それに畏敬と恨めしさが複雑に入り混じった視線を送る海衛兵達が早朝のテフランド湾に立ち尽くしている。
 落とし穴より手前で生け捕りをもくろむ……さすがユージンだとヒエンは感心した。
 確かに後ろで待機していたら、目の前のシーリザードはほぼほぼ落とし穴にはまって海衛兵の餌食となる。
 もしもシーリザードが人間だとわかれば、今後彼らはどういう気持ちで獲物に銛を突き刺すのだろう。
 自分達はこれからそれを証明する手助けをしようとしている。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 ヒエンはその考えを払拭するように、あえて明るく振る舞う。

「司令に無理言うて二日待たせてもろた甲斐あったな。しかも敵は一体のみ……。ラッキーすぎる。ナニワームなら複数が当たり前やで」
「だからって油断すんなよ。アイツは相当長い距離を泳いで、猛烈に腹を空かせてるんだ。それに向こうはオレらを食い殺す気でいるが、こっちの目的はあくまで生け捕りだ。数の上では二対一だが、勝敗は五分五分ってところだな」
「油断はせえへんけど不思議と怖くない。森で過ごした数日間に比べたら、海トカゲなんか屁でもないわ」
「下品だな」

 その声にユージンらしい勢いがない。
 陸を目指して不格好な犬掻きで泳いでいるシーリザードの表情は、まさに飢えたトカゲそのものだった。
 あんなバケモノに噛みつかれたら命はない。
 ほんの少し先の未来に雌雄が決している。
 深呼吸したヒエンは黒帯から束ねていたカタリウムの紐を抜き取り、それを解いて"ウケ"の構えをとった。

 カタリウムは人を選ぶ。

 そして、ヒエンは選ばれたのだ。

「……ヒエン」
「何や?」

 意識を集中していた矢先、声を掛けられたことにヒエンは多少ムッとした。

「オメエ、このミッションが成功したらどうすんだ? やっぱ、ナニワームに帰るのか?」
「今、ソレ訊かなあかんのか?」
「急に訊きたくなったんだ。死んでからじゃ訊けねぇからな」

 縁起でもないことをサラッと言ってのける。
 しかし、ヒエンはユージンが一昨日、指令室を出てからずっと元気がない原因を知っていた。

「ウチは一応、帰る予定でおる。……昨日、ダストとモブランが言うたんや。『ヒエンと一緒にナニワームで暮らしたい』て。アイツら、行き場所ないからな」

 その後、ヒエンはどうするか決めていない。
 小舟を盗んでキラースのいる竜観庁へ向かう途中に転覆して溺死するか、その海上でシーリザードに食われるか……。

(あかん! 戦う前に死に方考えてどうすんねん! ウチが死ぬんは今やないやろ!)

 ヒエンは「ハッ!」と腹から声を出して気合いを入れる。

 と、そこへ、

「オレも島に行っていいか?」

 ユージンの相変わらず覇気のない発言に、ヒエンはまたも心を乱される。

「アホか! オマエはザールに帰れ! いつか"飲み食い団"で言うてたやろ。ザール公に爵位もろて豪邸と自分の銅像建てて美女を侍らせて面白おかしく暮らしたい……もうすぐその夢が全部叶うやんけ。叶えたかったら目の前の敵に集中せえッ!」
「誰が帰るか、あんな所!」

 吐き捨てるようにユージンが言う。
 そこで会話は終了する。

 足をつけたシーリザードがいよいよ二足歩行で海面から離れ、二人を標的に息も乱れずまっすぐ歩いてくる。
 テフスペリア大森林で遭遇した熊と比較すれば小さいが、それでもユージンよりは大きい。
 全身が硬そうな藍色の鱗で覆われ、手足には水掻きがついている。
 頭が大きく、おまけに尻尾が生えていないので重心が不安定だ。
 爬虫類にしては足が長めだが、こうして見ると人間が着ぐるみを身につけているように見えなくもない。
 大きな口を開け、先が割れた赤紫色の舌が蛇のようにチラチラ蠢いている。
 腰を低く下したユージンはジリジリと間合いを詰めていくが、シーリザードは熊と違って尻ごみしない。
 ヒエンはユージンの左斜め後ろの位置から彼らの動向をさぐる。
 次に取るべきポジションは状況に応じて変わってくる。
 彼女が担う責任は重い。
 ヘタすれば、ユージンは死んでしまう。


「シャアアアアアアアアアアアァッ!」


 ヨダレを垂らしながら、獰猛なシーリザードがユージンに襲い掛かってきた。
 ユージンが右に変化する。
 必然、シーリザードは巨体をそっちへ傾ける。
 そこにヒエンが思いきり前に出て相手を挑発する。

「来い、海トカゲ!」

 シーリザードの動きがピタッと止まる。
 しかし、まだ完全にこっちを向くまでには至らない。
 ヒエンはユージンに目で合図を送ると、大胆にもその場に仰向けになった。
 上から襲われたら全く抵抗できない。
 カタリウムの紐を横に張ることすら放棄してしまった。

「そんな酒まみれのオッサンより、ウチの方が柔らかくて美味しいでッ!」

 目の前の御馳走に対してシーリザードは標的を変え、ユージンに背を向けた……かに思えた。

 敵の死角に入ったユージンが勇猛果敢にタックルを仕掛ける。
 罠だった。
 シーリザードは最初からユージンを狙っていたのだ。
 瞬時に踵を返し、大口を更に開けて兜をかぶったユージンの頭に食いつこうとする。
 しかし、ユージンは構わず突っ込む。

(今やッ!)

 寝ころんでいたヒエンがここぞとばかり腹筋で上半身を起こし、砂地を滑るようなスライディングでシーリザードの長い足に自分の足を引っ掛けた。
 グリーブが敵の脛に痛打を与える。

「グガアアアアアアァ――ッ?」

 態勢を崩したシーリザードがうつ伏せに倒れた。
 勢いよく走り込んでいたユージンがその背中目掛けフライング・ボディプレスをお見舞い、続けざまに左足首を取って見事なアンクル・ホールドを極めた。
 体を反らせたシーリザードが悲鳴を上げる。
 既に、その頭の位置に移動していたヒエンが紐を張る。

「海トカゲ! 神妙にお縄頂戴せえッ!」

 カタリウムの紐を轡にして噛ませ、右、次いで左の手首を巻いてから両手首をクロスに縛りつける。
 更に、大きく前に突き出ている上顎と下顎をグルグルに巻いて硬く結ぶ。
 次に、もう一本のカタリウムの紐で右足首とユージンが極めている左足首を巻きつけて首に持っていき、二重巻き結びで硬く縛った。
 縛られたシーリザードは懸命にもがくだけで何の抵抗もできない。
 一瞬の捕物劇だったが"作品"としては極めて最悪だ。
 標的一人に二本も紐を用いることなどヤマト流捕縄術ではあってはならない。
 まして二人掛かりだ。

 ともあれ勝負あった。

 呆気なく彼らはチルに与えられたミッションを成し遂げたが、これはユージンとヒエンだけの功績ではない。
 ダスト、モブラン、ルーザンヌ、……それにフィルクの力がなければ二人はシーリザードの生け捕りを試みることさえできなかった。

「パターンCやったな」

 ヒエンはユージンに右手を差し出す。
 安堵の息をついたユージンは黒いガントレットで彼女の右手を強く握る。
 二人はパターンEまでを想定していた。

「一番、安全な仕留め方だったな。仰向けからのマウントだったら腕の一本くらいなくなっててもおかしくなかったぜ」

 シーリザードが動けないと見るや、海衛兵がワッと歓声を上げ近寄って来る。
 その中には、ずっと後ろで戦況を見守っていたダストとモブランもまじっていた。

「ヒエン」
「何や?」

 彼らが近づくまで、ユージンはどうしても言っておきたかった。

「確かにシーリザードの生け捕りには成功した。フィナーレとしちゃ上出来だぜ。だがこの先、オレ達には素晴らしいグランド・フィナーレが待っているとはとても思えねぇんだが」
「不思議やな」
「何がだ?」

 ユージンは顔をしかめてヒエンを見る。

「ウチも今、ソレ言おうと思っててん」

 水平線に浮かぶ太陽にヒエンが目を細める。

「……朝日が不吉に見えるわ。ダストに手ぇ握られて見た朝日はメッチャ綺麗やったのに」
「悪かったな! このオレで!」
「あ……」

 ユージンはヒエンの手を振り解いて、歓喜に沸く海衛兵やダストとモブランを無視してそのままモスグリーンの建物へと向かう。
 呆気にとられるダストとモブランは「ユージン、どうしたの?」と、ヒエンの顔を見上げる。
 ヒエンは「何でもない」と二人を安心させて、ギュッと抱き寄せた。

(言い方マズかったな。別にユージンとダストを比べたんちゃうのに……)

 イヤな雰囲気のまま、パーティの長い長い冒険はこうして終わろうとしている。
 ザールの近況をジャンリ司令に聞いて以降、ユージンは繊細で気難しくなっていた。
 ヒエンのあれくらいの失言でさえも、以前の彼ならば冗談で返してきたはずだった。

(アイツ、マジで揺れてるんやな。ザールに戻るか戻らへんか……)

「グランド・フィナーレ」

 ヒエンが無意識にそう呟く。

「え?」

 ダストとモブランがまたヒエンの顔を見る。
 ヒエンは何も言わないまま、昇りゆく朝日をぼんやり眺め続けていた。
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