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第3章
大人と子供 2
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「さてと」
気を静めるために、ユージンは両手を組んでから横の相棒を覗き見た。
「ヒエン様。さっきのセリフ、もう一度言ってくんねぇでございますか?」
ヒエンは棒読みで声を出す。
「『こんな内地で魚が出てくるとは思わんかった』」
「ソレじゃねえ! ノープランってやつだ。オメエ、臣長殿に向かって言ったよな? 『ウチに考えがある!』って。"考えがある"と"ノープラン"は絶対に結びつかねぇもんだぞ!」
「忘れんな。あの女に言うたんやない。オマエに向かって言うたんや」
「同じことだ。オレに言ったかもしれねぇが、臣長殿に聞かせるようにも言っただろ。……おい、まさか、あれは口から出まかせってオチじゃねぇだろな?」
「しょうもない。いちいちアホなこと訊くなや」
ヒエンはフンと鼻を鳴らす。
「そ、そうだよな」
その態度にユージンはホッと安堵の溜息をつく。
「全くまぎらわしいんだよ、オメエは」
「口から出まかせや。ハッタリに決まってるやん」
暫しの沈黙。
店内の喧騒。
失せる血の気。
澄まし顔の娘。
崩れる勝算。
「…………はああああああああぁ――ッ??????」
ヒエンのそのまさかの告白は、いったん安心してしまったユージンに強烈な衝撃と落胆を与えることとなった。
白髪の後頭部をハンマーで強打されたような気分に陥る。
目眩がしたユージンは、ゆっくり腰掛けから崩れ落ちそうになったものの何とか踏み留まった。
「どないしてん? えらい呼吸が乱れてるやんけ」
「……し、心臓も止まりそうだぜ」
「腐った肝臓もお供に連れてってや」
もはやキレずにはいられなかった。
「冗談言ってる場合かよッ! オレは真剣に話してんだッ!」
ユージンはカウンターをおもいきり叩いて激昂したが、ヒエンはまばたき一つせずに、
「『ちっとも腹が立たねえんだ』」
大男が言ったばかりの発言をマネしてみせる。
「撤回だッ、そんなもん!」
その怒号に、賑やかな店内は一気に静まりかえった。
ユージンはガバッと立ち上がって更に怒鳴り散らす。
「黙るんじゃねぇよ! テメエらにゃ全然関係ねぇんだ! 平民はそのまま楽しく酒飲んで馬鹿話して適当に浮かれてささやかな幸せに耽ってりゃいいんだッ!」
ヒエンはすこぶる落ち着き払っている。
「座れや、平民。八つ当たりはみっともないで」
「だ、誰のせいだ、この野郎!」
「おとなしく座らんとウチはもう喋らん。……ええんか?」
「こ……」
屈するしかないユージンは店主に「悪かったな」と詫びて静かに座った。
彼はさっきの自分の発言を大いに後悔した。
これほどまでに自分を怒らせる人物は、今までに遭遇したことがなかった。
誰も自分に対して悪態をつく命知らずはいなかったし、もしいたとしたら永遠にその減らず口を封じていただろうから。
ヒエンがもし女じゃなかったら、彼は間違いなく一人の人間を衝動的に殺めていた。
「ユージン。オマエは腕が立つ超一流の傭兵やろ?」
「ケッ、それがどうしたってんだ?」
「傭兵は完全フリー……金さえもろたら故郷を捨てて身内でさえも殺せる完璧なプロや」
「故郷は捨てたが、自分の意思じゃねぇよ。今のところ身内を殺す機会は巡ってこない。だが、傭兵として生きていく以上、金を払う人間に仕えるのは至極当然のことだ」
「ウチは傭兵やない。しがない道場の未熟な師範代に過ぎんし、平民特有の節度も少しは持ち合わせてる。よって、金だけでは動かん」
ヒエンは静かにそう言った。
「そやから、二十万ギリドも受け取らんかったし、財産目的で引き受けたわけでもない」
「じゃあ、何で断らなかった?」
「単純な話や。ウチは女でアイツも女やからや」
ユージンはしばらくそれについて考えてみるが、明確な答えは見出せず。
「意味がわからねぇな」
「アイツは女やから、どうやったら女に屈辱を与えられるかを熟知してる。ウチはその屈辱をアイツからイヤっちゅうくらい味わった」
ユージンはようやくその意味がわかった。
キラースの存在だ。
恋愛に無頓着な彼から見ても、ヒエンがキラースに一目惚れしていたことは火を見るよりも明らかである。
ヒエンの実力を見極めるため、チルはキラースにヒエンを襲うよう指示した。
結果として不要となったが、チルはそれを少しも隠そうとしなかった。
ヒエンがキラースに惚れることは想定外だっただろうが、チルはその想いを瞬時に見抜き、巧みに利用して相手の心を揺さぶった。
そして、チルは知っていたのだ。
キラースが自分を一人の女性として密かに慕っていたことを。
その優位性がヒエンをますます踏みつける力として加わったのである。
「わかったよ。もうそれ以上は訊かねえ」
きょとんとした顔のヒエン。
「何や、もうええんか? まだサワリしか喋ってへんで?」
「とどのつまり、年上の女に惨敗喫したって話だろ。いいからソイツは永遠に封印しとけ。残酷過ぎて聞いちゃらんねぇわ」
ヒエンは寂しそうにうつむいた。
「そやな。小さいオッパイに封印しとく」
「僻むなって。……オメエが金を叩きつけて勝算もねぇのにシーリザードの生け捕りを引き受けた理由は大方わかったし、済んじまったことを今更とやかく言ってもしょうがねぇよ。肝心なのはこの先どうするかだ。やるか、やらないか……」
「やらない?」
「ああ」
ユージンは狡猾な笑みを浮かべる。
「この金だけもらってトンズラするってことだ」
あなたは私に負けを認めて、おめおめとナニワームの汚い田舎町へ逃げるのですか?
チルのあの蔑むような顔が脳裏からこびりついて離れない。
ヒエンにとってこのミッションをクリアしない限り、それは一生トラウマとしてついて回るものだ。
あり得ない。
逃げ出すくらいならこのまま異国の地で死んだ方がマシだ。
二十歳まであと少し……ちょうどいい!
「やるに決まってるやん」
「プライドのためか?」
「う……。『違う』って否定したいところやけど、適当な言葉が浮かばんからそれでもええわ」
「上等だ。オレだってトンズラなんかしたら今後の信頼問題にかかわる。誰もオレを傭兵として雇わないだろう。――おい、マスター!」
手招きして、一度は追い払った店主を呼ぶ。
「今度は何だい?」
「前祝いだ! 悪いが、やっぱりさっき開けた蜂蜜酒を持ってきてくれ。どうやら酔ってなかったらしい。頑丈な腎臓に感謝しなきゃな」
「いいけど、もう大声出さないでくれよ。他の客に迷惑だ」
眉をひそめて店主は瓶を取りに戻ろうとする。
「ちょい待って。ついでに下げてもうた魚料理もちょうだい。ウチ、アンタに感謝して食べるわ。あと、ミルクもお代わり」
ヒエンの注文に店主は微笑んで「かしこまりました」と応じた。
調理をした人間からすれば残さず全部食べてくれた方が嬉しいに決まってる。
「ユージン、忘れたらあかん。ウチらはここにおる人と同じ平民なんや。国王の愛人なんかに惑わされて金銭感覚が狂ってしもたら、そのうち自分自身が痛い目に遭うで」
「へへ、『国王の愛人』とは手厳しいな」
「事実やろ?」
「おそらく」
ユージンは戻ってきた蜂蜜酒をグビリとラッパ飲みして口元を拭う。
「その『国王の愛人』が何故国王の傍らにいねぇで、しかも白い服を着てないかわかるか?」
ヒエンもチルを見た瞬間からそのことは気になっていた。
「訊いたんか?」
「オレはオメエが来るまで三日半、あの客間にずっと閉じ込められてたんだ。質問の一つや二つくらいするさ。……臣長殿はな、国王であり聖生神でもある側近の巫女から家臣頭にまで成り上がったやり手だよ。政治にこそ直接手を下さねぇが、その実務を担ってるデスプラン宰相を簡単に黙らせることができるし、次期国王のジョーイ皇子に至ってはまるで赤ん坊扱いさ。信じられるか? 相手は聖生神の一人息子で五十前のオッサンなんだぜ」
「高慢女の虫酸が走る情報はいらん。……何や、メチャうまいやんけ!」
ユージンが突っ返した小魚に満足したヒエン、二匹まとめてフォークに突き刺した。
「今の国王は見た目、その魚と一緒なんだと」
ユージンは残っていたナッツをつまみながら、小声でそう表現した。
「皿の上に魚が存在してるように、国には王が君臨してる。だが、ただそれだけだ。魚は二度と泳がない。王も息こそしてるが、昏睡状態が一年以上も続い……おっと、コレ一応は内緒だからな」
妙やな、とヒエンは首をひねる。
「そんな重要な話を、何でチルはオマエみたいな酔っ払いに話したんや?」
「さあ? やっぱ、オレを信用してるからじゃねぇか?」
「あかんやん。現に内緒の話が今こうしてウチに伝わってるやんけ」
「ん? そういやそうだな」
ユージンはヒエンのグラスの色を見て思い出した。
「あ、臣長殿の服だったな。……オレは到着早々、気になって訊いたんだ。『白い服じゃなくていいのか?』って。そしたら、そこで国王の健康状態の話になってよ。そして彼女はこう付け加えたんだ。『聖生神様は民に力をお与えになることで同時に自らの御命を削っていらっしゃるのです。ならば、せめて私だけでも御辞退を申し出ようとこのような色のついた物を召しているのです。決して、自分だけオシャレを楽しもうという考えではありませんのよ』って笑いながら言いやがるんだ」
「何やソレ! 嘘バレバレやんか」
「本音を隠そうなんて思ってねぇのが不気味だ。臣長殿は国王としてのシバルウ十六世をどう思ってるかは定かじゃねぇが、そこに宗教が絡むとあからさまにシニカルな態度をとる」
やはり、何を考えているかわからない。
ただ、チルには何らかの思惑があって、それはシーリザードの生け捕りが重要なカギとなっていることはもはや間違いない。
そして皮肉にも、憎たらしいチルのためにヒエンはユージンと共に命を懸けてミッションを果たそうとしている。
明日にでも十六世が崩御したとして権力の全てがジョーイ皇子に渡り、彼にとって目障りでしかなかったチルの首を刎ねられようとも、ヒエンはやはりシーリザードを追い続けるだろう。
それが何の意味を成さないとしても、だ。
「話は変わるけどよ、オレは二年ばかり仕事でナニワームにいたんだ。今から十年以上前だが」
白カビのような無精髭を撫でながらユージンは唐突にそう告白した。
優秀な傭兵であるユージンならばナニワーム公に呼ばれても何ら不思議ではない。
「北か?」
「両方だ。主に前線で働いてたから南ナニワームでの任務が長かったが、まあ、そこでオレは八十以上のシーリザードを殺したな。たった二年で、オレがこれまで大陸で殺した数を優に上回っちまった。全くとんでもない危険な場所だぜ」
「ウチらは慣れてる。海トカゲにも竜の襲撃にも」
ユージンは特に感想も挟まない。
「小さな島だ。ヤマト流捕縄術の噂も当然ながら耳に入ってきたよ。護身術というが、攻撃性の高い武術だと聞いている。ナニワームが極端に強姦の被害が少ないのも、多くの女がその技を身につけているからだろう。だが、術士が相手にできるのはあくまで人間だけだ。……気を悪くしてもらいたくねぇが、麻縄と蹴りで暴漢を撃退できてもシーリザードには全く通用しねえからな」
ヒエンは一瞬だけ硬直するも話に乗った。
「ウチのオジイ――ソーウン・ヤマト師範は定期的に大陸へ渡ってナニワーム城の衛兵に稽古をつけてた。その間、ウチは留守を任され、弟子や年頃の女に基本的な技術を指導する。……それだけや。オマエの言う通り、ウチもオジイも海トカゲを捕まえたろうやなんて考えもせんかった。そんなん無謀すぎるわ」
「海衛兵がシーリザードを殺す方法は?」
「それくらいは知ってる。海岸沿いに無数の落とし穴を掘って、海からやって来る海トカゲを落っことす。兵は長い銛で突き刺すんやろ?」
「奴らはタフだ。それくらいでは簡単に死なねえ。突き刺さった銛もそのままに、深い穴をジリジリ根気強く這い上がって来る。穴から出てきたところを、待ち伏せた複数の海衛兵が剣や斧でやたらめったらに叩き斬るんだ。そこで奴らも尽き果ててしまうが、硬いウロコで覆われてるから武器はすぐダメになっちまう。喜ぶのは武器商人と鍛冶屋だ。あの職種の奴らはシーリザードのおかげで贅沢ができるんだからな」
「ユージンは嫌われたんちゃう? その人らに?」
ヒエンは海衛兵が銛でシーリザードを突き刺すように、最後の小魚を突き刺して口に入れた。
「まあな。オレはグラップラーだから武器屋にゃあまり縁がない」
ユージンは黒のギャンベゾンをバンバン叩いて、
「普通の海衛兵はこの上にプレートアーマーを装備してガッチガチに全身を守るんだ。そして、重たい剣や斧を振り回してシーリザードに攻撃を加えるんだが、オレからすりゃあんなの戦士でも兵でもねぇよ。ただの臆病者だ。部屋に迷い込んだ蜂を箒で追い出すババアとどう違うんだって話だぜ」
ふんふんと、ヒエンは興味深そうに身を乗り出す。
「それで、ユージンはどうやるんや?」
「タックルで突っ込むんだ。それしか知らねえ。プレートアーマー野郎がヨチヨチ歩きしてる間に、オレは一体のシーリザードを倒して馬乗りになる。後は関節をボキボキ折るだけさ」
「木の枝みたいやな」
「それよりはちょっと頑丈だが、まあそんなもんだ。……いくら大量の落とし穴を掘ったところでうまい具合に全部は落ちてくれねぇからな。オレの獲物は人間共が拵えたトラップを運よく通過した奴らだけだ」
「運よく?」
「ああ、そいつらはラッキーだぜ。痛みや苦痛も感じることなく、手足の自由が利かなくなったら最後は首の骨を折られてあっという間に死んじまうからな」
「手足ポキポキは十分痛い」
「抵抗しなきゃ首の骨だけで済ませてやることもできる。おそらく、死んだことすら気づかないだろう」
浴びるように大量の酒を飲んでいるが、この男が言ってることは間違いなく本当だ。
つぶらな目がナイフのように鋭く尖っている。
ヒエンはユージンの話を聞いて思わず武者震いした。
「悔しいけど、ウチにできるんは縛るだけやな」
「最初からオメエにそれ以上の働きは期待してねぇって。オレが相手を倒し、オメエが素早くシーリザードを縛る。生け捕りならばこの方法がベストであり唯一の方法だ。臣長殿もそう考えたからオレ達をチョイスしたんだな。だが、ここで一つ問題がある。……ヒエン、わかってんだろ?」
「さっきからそれを考えてたんや」
ヒエンは真剣な顔で頷き、そして言った。
「麻縄で拘束できるほど海トカゲのパワーは貧弱やない。代わりの素材は何も思いつかん。ホンマにノープランや。……あと一つ。補足しとくけど、ナニワームにも強姦魔はおるし、ヤマト流捕縄術が全ての人間に通用するわけでもない。技に溺れて不幸になった人間をウチは知ってる」
気を静めるために、ユージンは両手を組んでから横の相棒を覗き見た。
「ヒエン様。さっきのセリフ、もう一度言ってくんねぇでございますか?」
ヒエンは棒読みで声を出す。
「『こんな内地で魚が出てくるとは思わんかった』」
「ソレじゃねえ! ノープランってやつだ。オメエ、臣長殿に向かって言ったよな? 『ウチに考えがある!』って。"考えがある"と"ノープラン"は絶対に結びつかねぇもんだぞ!」
「忘れんな。あの女に言うたんやない。オマエに向かって言うたんや」
「同じことだ。オレに言ったかもしれねぇが、臣長殿に聞かせるようにも言っただろ。……おい、まさか、あれは口から出まかせってオチじゃねぇだろな?」
「しょうもない。いちいちアホなこと訊くなや」
ヒエンはフンと鼻を鳴らす。
「そ、そうだよな」
その態度にユージンはホッと安堵の溜息をつく。
「全くまぎらわしいんだよ、オメエは」
「口から出まかせや。ハッタリに決まってるやん」
暫しの沈黙。
店内の喧騒。
失せる血の気。
澄まし顔の娘。
崩れる勝算。
「…………はああああああああぁ――ッ??????」
ヒエンのそのまさかの告白は、いったん安心してしまったユージンに強烈な衝撃と落胆を与えることとなった。
白髪の後頭部をハンマーで強打されたような気分に陥る。
目眩がしたユージンは、ゆっくり腰掛けから崩れ落ちそうになったものの何とか踏み留まった。
「どないしてん? えらい呼吸が乱れてるやんけ」
「……し、心臓も止まりそうだぜ」
「腐った肝臓もお供に連れてってや」
もはやキレずにはいられなかった。
「冗談言ってる場合かよッ! オレは真剣に話してんだッ!」
ユージンはカウンターをおもいきり叩いて激昂したが、ヒエンはまばたき一つせずに、
「『ちっとも腹が立たねえんだ』」
大男が言ったばかりの発言をマネしてみせる。
「撤回だッ、そんなもん!」
その怒号に、賑やかな店内は一気に静まりかえった。
ユージンはガバッと立ち上がって更に怒鳴り散らす。
「黙るんじゃねぇよ! テメエらにゃ全然関係ねぇんだ! 平民はそのまま楽しく酒飲んで馬鹿話して適当に浮かれてささやかな幸せに耽ってりゃいいんだッ!」
ヒエンはすこぶる落ち着き払っている。
「座れや、平民。八つ当たりはみっともないで」
「だ、誰のせいだ、この野郎!」
「おとなしく座らんとウチはもう喋らん。……ええんか?」
「こ……」
屈するしかないユージンは店主に「悪かったな」と詫びて静かに座った。
彼はさっきの自分の発言を大いに後悔した。
これほどまでに自分を怒らせる人物は、今までに遭遇したことがなかった。
誰も自分に対して悪態をつく命知らずはいなかったし、もしいたとしたら永遠にその減らず口を封じていただろうから。
ヒエンがもし女じゃなかったら、彼は間違いなく一人の人間を衝動的に殺めていた。
「ユージン。オマエは腕が立つ超一流の傭兵やろ?」
「ケッ、それがどうしたってんだ?」
「傭兵は完全フリー……金さえもろたら故郷を捨てて身内でさえも殺せる完璧なプロや」
「故郷は捨てたが、自分の意思じゃねぇよ。今のところ身内を殺す機会は巡ってこない。だが、傭兵として生きていく以上、金を払う人間に仕えるのは至極当然のことだ」
「ウチは傭兵やない。しがない道場の未熟な師範代に過ぎんし、平民特有の節度も少しは持ち合わせてる。よって、金だけでは動かん」
ヒエンは静かにそう言った。
「そやから、二十万ギリドも受け取らんかったし、財産目的で引き受けたわけでもない」
「じゃあ、何で断らなかった?」
「単純な話や。ウチは女でアイツも女やからや」
ユージンはしばらくそれについて考えてみるが、明確な答えは見出せず。
「意味がわからねぇな」
「アイツは女やから、どうやったら女に屈辱を与えられるかを熟知してる。ウチはその屈辱をアイツからイヤっちゅうくらい味わった」
ユージンはようやくその意味がわかった。
キラースの存在だ。
恋愛に無頓着な彼から見ても、ヒエンがキラースに一目惚れしていたことは火を見るよりも明らかである。
ヒエンの実力を見極めるため、チルはキラースにヒエンを襲うよう指示した。
結果として不要となったが、チルはそれを少しも隠そうとしなかった。
ヒエンがキラースに惚れることは想定外だっただろうが、チルはその想いを瞬時に見抜き、巧みに利用して相手の心を揺さぶった。
そして、チルは知っていたのだ。
キラースが自分を一人の女性として密かに慕っていたことを。
その優位性がヒエンをますます踏みつける力として加わったのである。
「わかったよ。もうそれ以上は訊かねえ」
きょとんとした顔のヒエン。
「何や、もうええんか? まだサワリしか喋ってへんで?」
「とどのつまり、年上の女に惨敗喫したって話だろ。いいからソイツは永遠に封印しとけ。残酷過ぎて聞いちゃらんねぇわ」
ヒエンは寂しそうにうつむいた。
「そやな。小さいオッパイに封印しとく」
「僻むなって。……オメエが金を叩きつけて勝算もねぇのにシーリザードの生け捕りを引き受けた理由は大方わかったし、済んじまったことを今更とやかく言ってもしょうがねぇよ。肝心なのはこの先どうするかだ。やるか、やらないか……」
「やらない?」
「ああ」
ユージンは狡猾な笑みを浮かべる。
「この金だけもらってトンズラするってことだ」
あなたは私に負けを認めて、おめおめとナニワームの汚い田舎町へ逃げるのですか?
チルのあの蔑むような顔が脳裏からこびりついて離れない。
ヒエンにとってこのミッションをクリアしない限り、それは一生トラウマとしてついて回るものだ。
あり得ない。
逃げ出すくらいならこのまま異国の地で死んだ方がマシだ。
二十歳まであと少し……ちょうどいい!
「やるに決まってるやん」
「プライドのためか?」
「う……。『違う』って否定したいところやけど、適当な言葉が浮かばんからそれでもええわ」
「上等だ。オレだってトンズラなんかしたら今後の信頼問題にかかわる。誰もオレを傭兵として雇わないだろう。――おい、マスター!」
手招きして、一度は追い払った店主を呼ぶ。
「今度は何だい?」
「前祝いだ! 悪いが、やっぱりさっき開けた蜂蜜酒を持ってきてくれ。どうやら酔ってなかったらしい。頑丈な腎臓に感謝しなきゃな」
「いいけど、もう大声出さないでくれよ。他の客に迷惑だ」
眉をひそめて店主は瓶を取りに戻ろうとする。
「ちょい待って。ついでに下げてもうた魚料理もちょうだい。ウチ、アンタに感謝して食べるわ。あと、ミルクもお代わり」
ヒエンの注文に店主は微笑んで「かしこまりました」と応じた。
調理をした人間からすれば残さず全部食べてくれた方が嬉しいに決まってる。
「ユージン、忘れたらあかん。ウチらはここにおる人と同じ平民なんや。国王の愛人なんかに惑わされて金銭感覚が狂ってしもたら、そのうち自分自身が痛い目に遭うで」
「へへ、『国王の愛人』とは手厳しいな」
「事実やろ?」
「おそらく」
ユージンは戻ってきた蜂蜜酒をグビリとラッパ飲みして口元を拭う。
「その『国王の愛人』が何故国王の傍らにいねぇで、しかも白い服を着てないかわかるか?」
ヒエンもチルを見た瞬間からそのことは気になっていた。
「訊いたんか?」
「オレはオメエが来るまで三日半、あの客間にずっと閉じ込められてたんだ。質問の一つや二つくらいするさ。……臣長殿はな、国王であり聖生神でもある側近の巫女から家臣頭にまで成り上がったやり手だよ。政治にこそ直接手を下さねぇが、その実務を担ってるデスプラン宰相を簡単に黙らせることができるし、次期国王のジョーイ皇子に至ってはまるで赤ん坊扱いさ。信じられるか? 相手は聖生神の一人息子で五十前のオッサンなんだぜ」
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「今の国王は見た目、その魚と一緒なんだと」
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「あかんやん。現に内緒の話が今こうしてウチに伝わってるやんけ」
「ん? そういやそうだな」
ユージンはヒエンのグラスの色を見て思い出した。
「あ、臣長殿の服だったな。……オレは到着早々、気になって訊いたんだ。『白い服じゃなくていいのか?』って。そしたら、そこで国王の健康状態の話になってよ。そして彼女はこう付け加えたんだ。『聖生神様は民に力をお与えになることで同時に自らの御命を削っていらっしゃるのです。ならば、せめて私だけでも御辞退を申し出ようとこのような色のついた物を召しているのです。決して、自分だけオシャレを楽しもうという考えではありませんのよ』って笑いながら言いやがるんだ」
「何やソレ! 嘘バレバレやんか」
「本音を隠そうなんて思ってねぇのが不気味だ。臣長殿は国王としてのシバルウ十六世をどう思ってるかは定かじゃねぇが、そこに宗教が絡むとあからさまにシニカルな態度をとる」
やはり、何を考えているかわからない。
ただ、チルには何らかの思惑があって、それはシーリザードの生け捕りが重要なカギとなっていることはもはや間違いない。
そして皮肉にも、憎たらしいチルのためにヒエンはユージンと共に命を懸けてミッションを果たそうとしている。
明日にでも十六世が崩御したとして権力の全てがジョーイ皇子に渡り、彼にとって目障りでしかなかったチルの首を刎ねられようとも、ヒエンはやはりシーリザードを追い続けるだろう。
それが何の意味を成さないとしても、だ。
「話は変わるけどよ、オレは二年ばかり仕事でナニワームにいたんだ。今から十年以上前だが」
白カビのような無精髭を撫でながらユージンは唐突にそう告白した。
優秀な傭兵であるユージンならばナニワーム公に呼ばれても何ら不思議ではない。
「北か?」
「両方だ。主に前線で働いてたから南ナニワームでの任務が長かったが、まあ、そこでオレは八十以上のシーリザードを殺したな。たった二年で、オレがこれまで大陸で殺した数を優に上回っちまった。全くとんでもない危険な場所だぜ」
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ユージンは特に感想も挟まない。
「小さな島だ。ヤマト流捕縄術の噂も当然ながら耳に入ってきたよ。護身術というが、攻撃性の高い武術だと聞いている。ナニワームが極端に強姦の被害が少ないのも、多くの女がその技を身につけているからだろう。だが、術士が相手にできるのはあくまで人間だけだ。……気を悪くしてもらいたくねぇが、麻縄と蹴りで暴漢を撃退できてもシーリザードには全く通用しねえからな」
ヒエンは一瞬だけ硬直するも話に乗った。
「ウチのオジイ――ソーウン・ヤマト師範は定期的に大陸へ渡ってナニワーム城の衛兵に稽古をつけてた。その間、ウチは留守を任され、弟子や年頃の女に基本的な技術を指導する。……それだけや。オマエの言う通り、ウチもオジイも海トカゲを捕まえたろうやなんて考えもせんかった。そんなん無謀すぎるわ」
「海衛兵がシーリザードを殺す方法は?」
「それくらいは知ってる。海岸沿いに無数の落とし穴を掘って、海からやって来る海トカゲを落っことす。兵は長い銛で突き刺すんやろ?」
「奴らはタフだ。それくらいでは簡単に死なねえ。突き刺さった銛もそのままに、深い穴をジリジリ根気強く這い上がって来る。穴から出てきたところを、待ち伏せた複数の海衛兵が剣や斧でやたらめったらに叩き斬るんだ。そこで奴らも尽き果ててしまうが、硬いウロコで覆われてるから武器はすぐダメになっちまう。喜ぶのは武器商人と鍛冶屋だ。あの職種の奴らはシーリザードのおかげで贅沢ができるんだからな」
「ユージンは嫌われたんちゃう? その人らに?」
ヒエンは海衛兵が銛でシーリザードを突き刺すように、最後の小魚を突き刺して口に入れた。
「まあな。オレはグラップラーだから武器屋にゃあまり縁がない」
ユージンは黒のギャンベゾンをバンバン叩いて、
「普通の海衛兵はこの上にプレートアーマーを装備してガッチガチに全身を守るんだ。そして、重たい剣や斧を振り回してシーリザードに攻撃を加えるんだが、オレからすりゃあんなの戦士でも兵でもねぇよ。ただの臆病者だ。部屋に迷い込んだ蜂を箒で追い出すババアとどう違うんだって話だぜ」
ふんふんと、ヒエンは興味深そうに身を乗り出す。
「それで、ユージンはどうやるんや?」
「タックルで突っ込むんだ。それしか知らねえ。プレートアーマー野郎がヨチヨチ歩きしてる間に、オレは一体のシーリザードを倒して馬乗りになる。後は関節をボキボキ折るだけさ」
「木の枝みたいやな」
「それよりはちょっと頑丈だが、まあそんなもんだ。……いくら大量の落とし穴を掘ったところでうまい具合に全部は落ちてくれねぇからな。オレの獲物は人間共が拵えたトラップを運よく通過した奴らだけだ」
「運よく?」
「ああ、そいつらはラッキーだぜ。痛みや苦痛も感じることなく、手足の自由が利かなくなったら最後は首の骨を折られてあっという間に死んじまうからな」
「手足ポキポキは十分痛い」
「抵抗しなきゃ首の骨だけで済ませてやることもできる。おそらく、死んだことすら気づかないだろう」
浴びるように大量の酒を飲んでいるが、この男が言ってることは間違いなく本当だ。
つぶらな目がナイフのように鋭く尖っている。
ヒエンはユージンの話を聞いて思わず武者震いした。
「悔しいけど、ウチにできるんは縛るだけやな」
「最初からオメエにそれ以上の働きは期待してねぇって。オレが相手を倒し、オメエが素早くシーリザードを縛る。生け捕りならばこの方法がベストであり唯一の方法だ。臣長殿もそう考えたからオレ達をチョイスしたんだな。だが、ここで一つ問題がある。……ヒエン、わかってんだろ?」
「さっきからそれを考えてたんや」
ヒエンは真剣な顔で頷き、そして言った。
「麻縄で拘束できるほど海トカゲのパワーは貧弱やない。代わりの素材は何も思いつかん。ホンマにノープランや。……あと一つ。補足しとくけど、ナニワームにも強姦魔はおるし、ヤマト流捕縄術が全ての人間に通用するわけでもない。技に溺れて不幸になった人間をウチは知ってる」
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