正夢

星名雪子

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第1話

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異常な暑さでなぎさは目を覚まし、辺りを見回して驚愕きょうがくした。

「な、なにこれ……」

一面が火の海だった。渚は咄嗟とっさにワンピースのポケットを漁ってミニタオルを取り出し、口元をおおった。もう一度辺りを見回す。隣の部屋から激しく炎が噴き出している。その脇から出口へと繋がる短い通路にわずかな通り道があった。そこへ向かう為に立ち上がろうとするも驚きと恐怖で腰が抜けて上手く立てない。

「ど、どうしよう………このままじゃ焼け死ぬ……」

ブルブルと全身を震わせ、力の限り叫んだ。

「だ、誰かー!助けてー!」

何度叫んでみても応答はない。誰も助けには来ない。こんな炎の中では彼女の声など外には届かないのだ。涙で視界がにじんで見えた。煙を深く吸い込んでしまい、激しく咳き込む。

「あ、熱い……っ苦しい……っ」

彼女は絶望し、力無くその場に倒れ込んだ。その時だった。
 
「渚!」

突然、自分の名前を呼ばれ、渚は微かに目を開けた。すぐ近くで誰かが自分の名前を呼び続けている。だが、彼女の意識はそこで途絶えた。
 
目を開けると見知らぬ男性が渚の顔を覗き込んでいた。年齢は彼女よりも少々上だろうか。心配そうな表情を浮かべている。黒髪は短く、銀縁の細い眼鏡を掛け、スーツに身を包んでいる。渚はゆっくりと体を起こし、辺りを見回した。

目の前にある建物の一階、その一室は黒焦げ。消防隊員は走り回り、複数の怪我人は一般人(偶然居合わせた医療関係者かもしれない)から応急手当を受けており、沢山の野次馬が口々に騒ぎ立てて現場は混乱、騒然そうぜんとなっていた。

「良かった……!もうすぐ救急車が来るはず。怪我はない?」

男性は渚の顔や手足を確認した。奇跡的にも無傷だった。渚は黒く汚れてしまったワンピースに目をやり、次に波打つ長く明るい茶色の髪に手をやり、ボサボサになっていることに気付いて男性に尋ねた。
 
「……何が起きたんですか……?」

「君は炎の中に倒れてたんだ」

「……えっ……私、何で助かったんですか……?」

「さっきここを通りかかった時、微かに君の叫び声が聞こえたんだ。でも、誰も気づいてない。消防隊もまだ到着してない。居ても立っても居られなくて僕が飛び込んだんだよ」
 
渚はハッとした。

「あ、あなたは大丈夫なんですか?!火傷やけどとかしてないんですか?!」

「ああ、大丈夫だよ」
 
彼は額に浮かんだ汗を拭いながら安堵あんどしたように、にこりと笑った。その手はところどころ赤くなっており、軽い火傷をしていた。

「助けてくれて本当にありがとうございました」

「いえいえ。きちんと助けることができて良かったよ。あ、救急車が来たみたいだ」

到着した救急隊員に渚の症状や状況を説明した後、男性は渚に言った。

「では、僕はこれで」

「あ、あなたも病院に行った方が……」

彼女が男性の腕の火傷を見ながら心配そうに言うと彼は言った。

「大丈夫ですよ。後で行きますから」

微笑みながらそう言うと会釈えしゃくをして足早に去って行った。

「急いでるのかな……」

渚は自分の足元に何かが落ちていることに気付いた。青いネックストラップと顔写真付きの社員証、それにシンプルなロゴが入ったシルバーのライターだった。表面は少しザラついておりレトロな雰囲気が漂っている。ビンテージものかもしれない。

「これはあの人の……?」


***


渚はそこでハッと目を覚ました。それは彼女が子供の頃から繰り返し見ている悪夢である。

29歳の渚は大手自動車メーカーの子会社で事務の仕事をしている。大きなたれ目とふんわりとした笑顔が特徴で、車好きが高じてかつて整備士を目指していた経歴を持ち、頭も切れる事からその仕事ぶりは高く評価されている。

5歳の時に病気で母親を亡くし、父親に育てられた。初めて悪夢を見たのは小学生の頃。あまりにもリアルな夢に激しく動揺した。それから毎日ではないにしろ時折ときおり、その夢を見るようになった。目覚める度に彼女はその意味を考えた。

「『きちんと』ってどういうこと?何で私の名前を知ってるの?それに……あのビンテージライターは?」

渚はこの夢を見ることが好きではなかった。火事の恐怖で見る度にうなされ、時には全身、汗びっしょりになってしまうからだ。毎晩、眠りにつく度に見ないように願った。しかし、年を重ねていくにつれ回数は増えていった。だから、助けてくれた男性を始め、いくつかの疑問点や違和感をどうしても無視することができなくなってしまった。

中学生の頃、夢の内容をノートに書き出して自分なりに推理を試みた。自分は成長した姿だということ、男性が自分を知っていること、彼が去った後に残されたビンテージライター……が、答えは出なかった。

「誰なんだろう……知り合い?でもあんな人、親戚しんせきにはいないし……」

彼女にとってあの夢は悪夢だった。しかし、不思議とあの男性にだけは不気味だとか怖いとかそういう負の感情は抱かなかった。そして、社会人になる頃には違う感情が芽生えていた。名前さえも知らないあの男性に。

「……思い込みの恋に落ちたんだ、きっと。時間が経てば忘れるはず」

そう言い聞かせた。だが、忘れるどころか想いは強くなる一方だった。

「でも、好きになったところでどうにもならないじゃん……だって彼は……」

(夢の中の人間)

口には出さずに渚はそう自分に言い聞かせた。彼は現実には存在しないのだ。それでも渚はいつか正夢になって欲しいと願っていた。例えそれが悪夢であったとしても。
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