光のもとで1

葉野りるは

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31~34 Side 唯 03話

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 外は予想以上に寒かった。
 転んだら痛いだろうな、なんて思いながらコンクリの縁石を平均台のノリで歩く。
 とくに段差があるわけじゃない。ただ、「ここしか歩かない」と決めて歩くだけ。
 それは意外と楽しく、平地なのにバランス感覚が問われる何か。
 ちょっとふらついてバランスが崩れたところでごまかしジャーンプ。
 どさくさに紛れてリィの手を取る。
「幸倉に帰ってきたから日課が再開できるね」
 リィは嬉しそうにコクリと頷いた。 
「待ち合わせってどこ?」
「あそこ……」
 リィが指差す方を見ると、前方からあんちゃんが走ってくるところだった。
「うっわ……スライドでかっ」
 前方にいたはずの人間が、あっという間に通り過ぎた。
 さすが、毎分三キロは伊達じゃない。
「久しぶりに本気で走ったっ」
 最後は、タッタッタ、と音を立てて停止。それはさながら、車を停車させるときのポンピングブレーキのよう。
 その場で一度屈伸をすると再度歩き始める。
 リィはそれを知っていたのだろう。気づけばあんちゃんの隣に並んで歩いていた。
 自分だけが置いてけぼりをくらっている状況にびっくり。
 慌ててふたりに駆け寄り、リィを真ん中に三人手をつなぐ。
「で? どのくらい走ったの?」
「十キロには及ばず。……九キロ弱くらい?」
「爽やか一〇〇パーセントでできてます」。そんな笑顔が返され、気分は追撃された戦闘機。
「ぐはっ……御園生唯芹はあんちゃんを超人と認識しました」
 もう、数字に換算するのがバカらしい。こうなったら超人一括りで十分。
「毎朝十キロ走るのは中学のときの習慣だから別になんともないけど……唯も走ってみるか?」
 爽やかさを全面に押し出し誘われても断固拒否。絶対やですっ。
「全力で遠慮させていただきますっ。一メートルたりとも走りたくございませんっ」
 ガンガンに走って来たあとだっていうのに、ミスター爽やかの息遣いはそこまで荒くない。呼吸は規則正しく、多少大袈裟に息をしている程度。それは少しずつ音が小さくなり、気づけば通常のそれとなっていた。
 あたりはまだ暗く、公園の外灯もついたままだけど、この暗く重い感じは周りの景色に付随するものじゃない。
 さて……誰がこの空気を看破する? 俺? 俺ですか?
 心の中で押し問答していると、ミスター爽やかがあんちゃんに戻って口を開いた。
「翠葉。さっきも言ったけど、別に上手になんて話さなくていいよ? 聞く時間はたくさんあるから」
 リィが口を開くまでには少し時間がかかった。
 左手に力がこめられたのと同時に声を発する。
「……私の言動で、友達に嫌な思いさせちゃったの。……佐野くんと桃華さんと香乃子ちゃん――言葉にして教えてくれたのは三人だけど、もっとたくさんの人に嫌な思いをさせてるんだと思う。でも、どうしても身動きが取れなくて……」
「……概要だけ? 肝心の内容は話してくれないの?」
 佐野っちと桃華嬢の件は知ってる。けど、紅葉祭実行委員でリィの付き人やってくれてたカノコちゃんの件は知らない。それはあんちゃんも同じなはず。
「今抱えてるものが原因で胃に負担かかってんじゃないの? 話して楽になるなら話せばいいのに。これで不整脈まで出てきたら目も当てらんないよ?」
「唯、ストップ。それじゃ翠葉が話せない」
「でもっ……」
 わかってるよ……。こういう訊き方をしないためにあんちゃんが口を噤んでたことは。知ってるからこその俺じゃないかな? だって、リィはここまで追い詰めないと言わないじゃん。
「翠葉……話そうとしてもっと苦しくなるなら言わなくていい。話したら楽になるとは限らないから、話せるようになったらでもかまわないよ。ただ、苦しくてどうにもならないとき、絶対そこに俺たちはいるから」
 リィの目に涙が溢れた。表面張力はあとどのくらいもつだろう。そんな長くはもたないだろうな。あと五秒……。
「蒼兄……私、そういう優しさに甘えて、甘えすぎて……友達なくしちゃったかもしれない」
 搾り出された声は悲痛を極め、リィはぎゅっと目を瞑る。
 すると、いくつかの涙が頬を伝うことなくコンクリに吸い込まれた。
 俺はあんちゃんに目配せをする。と、あんちゃんはリィが吐き出したものを吸い込むように息を吸った。
「……翠葉。桃華と佐野くんから伝言がある」
「っ……!?」
 リィはびくっと肩を震わせたものの、俯いた顔を上げはしない。あんちゃんはそれを確認して次を話し始めた。
「翠葉があまりにも落ち込んでるようだったら伝えてくれって言われてた」

――「私たちは友達だから、たまにきついことを言うかもしれない。でも、それで友達をやめるとか離れるとか、そういうことは考えてない。佐野も同じ。私も佐野も、どうでもいい人間が相手なら何も言わずに離れてる」。

 あの子たちらしいよね。俺なんかよりリィのフォローが上手なんじゃないかと思う。十六歳やそこらでここまで根回しができるんだから末恐ろしいよ。
 リィはカチコチのまま歩いていた。
 そろそろかな、そろそろだな。あぁ、見えてきた。
 前方に見える山は、朝陽でくっきりと稜線が浮かび上がっている。
「リィ、顔上げてごらん」
 リィは肩ごと揺らして拒絶の意を伝えてきたけど、
「いいから、あーげーるーっ」
 俺はつないだ手を離し、両手でリィの頭を支えて前を見るように力を加えた。
「見えた? 朝陽だよ」
 リィが見たいって言った朝陽だよ。ほら、また新しい一日が始まる。
「リィ、ごめん……。なんか最近のリィは危なっかしすぎて見てらんなかったんだ。でも、それでこんなふうに訊くんじゃもっと困らせちゃうよね」
「そんなこと――」
 ない、とは続けられないでしょ? それでいいよ。
「家族の前でくらい、もっと肩の力抜いていいんじゃない?」
 あんちゃんに場所を譲ると、リィの細い肩に両手を乗せ、マフラーの上からマッサージを始めた。
 それもなんだかなぁ、と思うけど、今のリィには必要な気がしたから何も突っ込まない。
 俺ね、朝陽が見れる時間まで仕事してたことなんて数え切れないほどあるけど、朝陽を拝んだことはあまりないんだ。ホテルの俺の部屋は西側にあるから朝陽とは無縁なんだよね。
 こんなふうに朝陽を見たのは――そうだ、家族を亡くして以来かな。
 あのときは、時の無常を身を切り刻まれる思いで見ていた。
 今は、まったく違うシチュエーションで、まったく違う気持ちで朝陽を臨んでいる。
 ……いいね、きれいだ。何もかも忘れて新しく何かを始めようって気になるくらいには、きれいだ。
 こんなふうに思えるようになった俺は、きっと前へ進めてる。

 静かな公園に携帯の呼び出し音が鳴る。発信源はリィのポケット。
 リィが携帯を取り出すと、手袋をしているがゆえに通話ボタンを押せない奇特な人になっていた。それを笑って代わったのがあんちゃん。
「もしもし」
 出たとたんにあんちゃんが携帯を遠ざける。
 携帯からは、
『なんで蒼樹が出るの!? 翠葉は!?』
 耳をつんざく勢いで、碧さんの声が聞こえてきた。
「お、お母さんっ。私、ここにいるっ。蒼兄たちと一緒にいるっ。手袋してたから通話ボタンが押せなくて、蒼兄が出てくれただけっ」
『唯も一緒っ?』
「い、一緒っす。あのですね、今、ものすっごい朝陽がキレイなんですよ」
 やばい、んなこと言ってる場合じゃない。これはそんな言葉に流されてはくれない何か。
『出かけるなら出かけるで置き手紙くらいしていきなさいっ』
 一際大きな怒声だった。
「「「ごめんなさい」」」
 送話口に向かって三人の声が揃う。
『もうっ……三人一緒にいるならいいわ。でも、寒いから早く帰ってらっしゃい。みんなでホットケーキ作るんでしょ?』
「……だって。俺も寒くなってきたし、そろそろ帰ろっか」
 あんちゃんが冷や汗交じりの笑みを見せ、俺たちは帰路についた。
「怒られちゃったね」
 俺が言うと、
「怒られたのに……嬉しいの?」
 リィに不思議がられた。
 そっか……俺、嬉しそうな顔してるんだ? 自覚してちょっと考える。
「俺、実の両親にも学校のセンセたちにもあんま怒られたことないからね。ほら、手のかからない優等生だったから」
 そんな真面目くさった顔で話したわけじゃないのにリィは申し訳なさそうに黙りこくってしまう。反対にあんちゃんはザックリと切り込んでくださった。
「頭はいいんだろうけど、俺から見たらそんないい子には見えないけどな? だって、ハッカーやってて秋斗先輩に捕まったんだろ? 今じゃ悪さはしてないんだろうけど、それでもいたずらっ子にしか見えないって」
「あんちゃん、言ってくれるねぃ。でも、その通りかな? 俺、ハッカーってよりは性質の悪いクラッカーだったし。親やセンセ達が思ってるようなイイコじゃなかったよ」
 相変わらず三人並んでの会話。
 ほらほら、リィも参戦なさいって。
「リーィ? ここは暗くなるところじゃないでしょ?」
「そうそう。唯は怒られて喜んでる奇特な人間なわけだし」
 何おぅっ!? 奇特なのは十キロ三十分で走るとか言ってるあなたよ、あなたっ!
「でも……」
 リィのか細い声に耳を傾け、心も傾ける。
「心配されて叱られるのってさ、幸せなことだと思うよ。親の愛情を確認したくてわざとそういう問題行動をとる子どもがいるっていうけど、それ……わからなくないかなって思った。俺は今幸せ。過去が不幸だったとは思ってないけど、今、幸せなんだ。……幸せ、なんだよ」
 リィ、この幸せはリィもいて成り立ってるってことを知って?
 もっと俺に踏み込んでよ、あんちゃんみたいにさ。それと、もっと俺に踏み込ませて?
 リィと目が合うと、ニッと口角を引き上げて見せる。
「願わくば、兄妹喧嘩とかしたいかも? リィともあんちゃんともね。くっだらないケンカして仲直りすんの。それが今の俺の夢」
 ふたりはすごくびっくりした顔をした。きっと、このふたりはそんな大喧嘩をしたことなんてないだろう。だからさ、俺も交えて初ケンカとかしようよ。そんで、ケンカ記念日とか盛大に祝ったりしない?
「待ってるからね? リィが目ぇ吊り上げて俺に文句言ってくる日を」
「あ……それ、俺も便乗したい」
 ほらほら、あんちゃんも乗ってきた。
 リィは俺とあんちゃんを交互に見る。そんなとき、俺とあんちゃんはにこりとしか笑わない。
「思ってること、もっと口にしなよ。少なくとも、俺とあんちゃんは言われて困るなんてことないと思うよ?」
「そうそう。相手を傷つけようがケンカしようが、どんなことがあっても家族であることには変わりないし」
「切ろうと思ってもそうそう切れないもの。それが家族でしょ?」
 左手に力をこめると、
「……大、好き……。唯兄も蒼兄も……大好きっ」
 自分が握りしめた以上の力で左手を握り返された。
 俺、やっぱ、今幸せだと思うよ。虚勢でもなんでもなく、本当に――
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