光のもとで1

葉野りるは

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31~34 Side 唯 02話

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 あんちゃんの部屋で、俺はベッドに寝転がる。あんちゃんはパソコンチェアーに腰掛け、今日あったということの一端を聞かせてくれた。
「ずるいなぁ……」
「えぇっ!? 今、全部話したじゃん」
「だって、ずるいもんはずるいでしょー。俺も佐野っちあたりとメアド交換とかしとこっかな」
 結構マジで考えた。
「ま、それにしても面白いように話が進むよね。なんだってこんな状況のときに、クラスサイドでもそんなことになってるんだか……」
「本当に……」
 あんちゃんは少し重いため息をついた。
「だから、あまりにも翠葉が引き摺るようなら声はかけるつもり。まずは様子見。時間は必要だろうから……」
 ふと、碧さんの言葉を思い出す。

 ――「蒼樹はまだ翠葉離れができていないし、今はその過程だから、距離を取るのが難しいこともあるわ」。

 立ち位置、スタンス、距離――
「あんちゃん……リィとの距離、測りかねてたりする?」
「……そうだな、翠葉ほど大々的に悩んでるわけじゃないけど、どのくらいの距離が望ましいのか、考えてはいる」
「そっか……」
 コーヒーを一口飲むと、
「でも、唯がいるから結構気楽だよ」
「は?」
「俺がフォローしなくても、唯が気づけば唯がフォローするだろ?」
「まぁ、それはそうだけど……。でも、気づきポイントって異なるじゃん?」
「それはそれ……。ただ、フォローが必要な場面で俺が動けなかったら、間違いなく唯がフォローしてくれるだろ? そういう意味では頼りにしてる」
 にこりと笑って「頼むな」とか、どれだけ殺し文句なの……ったく。
「いーですよいーですよ。俺にできるのそのくらいだし」
 半ば適当に答えたら、「それは違う」とキッパリ否定された。
「唯だからできることで、唯だから頼めるんだ。唯じゃなきゃだめなんだよ」
 もう……この家族は――絶対に、俺を泣かせたいに違いない。
 ギリギリと奥歯に力をこめ、「風呂に入ってくる」なんて理由であんちゃんの部屋から撤退した。

 翌朝、廊下で物音がして目が覚めた。
 物音と言っても、それほどうるさかったわけでもなんでもない。ただ、朝という時間だからこそ響いて聞こえた、そんな音。
 乾燥に喉をやられた気がして、水を飲みに行くか……とぬくいベッドから抜け出た。
 廊下に出ると、階段の先にあるリィの部屋のドアが開いていた。そして、リィとあんちゃんの声が聞こえてくる。
「起きてたのか?」
「昨日、寝たのが早かったからかな? 四時半に目が覚めちゃったの」
 よし、今日はリィはお昼寝決定だ。脳内タスクに書き込みながら、最後の一段でストップ。
「蒼兄はこれからランニング?」
「そう」
「あ……今日はロード? それとも公園……?」
 あぁ、やっぱりこのクソ寒い中ランニングに行かれるんですね……。でも、なんで街中か公園かなんて訊くんですか? まさか、リィも一緒に行こうとか思ってません、よね?
「今日は公園に行こうかと思ってるけど……?」
「それ……ついて行ってもいい?」
 はあああああっっっ!?
「翠葉……わかってると思うけど、間違いなく寒いぞ?」
 よくぞ言ったっ! そうだ、あんちゃんはかまわんがリィはだめだっ。
「うん。そう思う……。――朝陽が、見たいの」
「朝陽なら俺がランニングから帰ってくる六時でも間に合う」
 ちょい待ったっ。そういう問題でもないからっ!
 まったくなんなんだよ、この兄妹の会話は。突っ込みどころ満載じゃないか……。これは俺が出ていって粛正してやらねば……。
 最後の一段を下りようとしたとき、
「翠葉?」
 あんちゃんの、疑問符つきの問いかけに、ピタリと動作を止めた。
「時間を……無駄に過ごしたくないの。冬の寒さを感じたい。霜の降りた土を見たり、草についた露を見たり、外の空気を吸いたい」
「昨日も訊いたけど……何かあったか?」
 なんだ……やっぱり一応は訊いたんじゃん。ま、問い詰めたり訊き出すってことはしてないって意味なんだろうけど。
「……ごめん、上手に話せない――」
 さぁ、あんちゃんどうします? うちのお姫様はかなり手強いですぜ?
 すると、トン、と音を立ててドアが閉まった。
 やば……俺、出て行くタイミング逃がしたっぽい?
「上手になんて話さなくていいよ。聞く時間がないわけじゃないし」
 仕方なく、ドア越しにふたりの会話を盗み聞く。ここまできて退散とかあり得ない。
「あの、ね……泣きたくないの。自分が弱いせいで……泣きたく、ないの」
 絞り出されたようなリィの声に目を瞑る。
 もう、泣いてるじゃん……。心の中でボロッボロに泣いてるじゃん。
 あんちゃん、うまく訊きだしなよ。今なら俺、除け者でもいいからさ。
 そう思うのと同時、あんちゃんがランニングを休むと言うと、リィが声を荒げた。
「それもやなのっ」
「翠葉?」
「自分のせいで人の予定や何かを狂わせるのもいや……。あと、ここに留まったままなのもいや」
 いやいや尽くし、か……。これは訊き出すのも宥めすかすのも難しいかな。
「じゃ、あと二十分したら出てきて。ちゃんとあったかい格好して、ジョギングコースから大体育館に行く道の分岐地点、そこで待ち合わせ」
「でも、そしたらいつもより走る時間短くなっちゃう……」
「大丈夫。いつもよりハイペースで走るから」
「え?」
「本気で走れば十キロ三十分台で走れる。あと二十分後に翠葉が家を出ればちょうどいい。そしたら翠葉にクールダウン付き合ってもらえる」
 はぁっ!? 十キロ三十分って、時速二十キロで走るってことっ!? それって普通? いやいやいやいや、一キロ三分ってどう考えたって速すぎでしょうっ!? あ、でもあくまでも三十分台だから、三十九分も三十分台の内?
 俺の驚きをよそにふたりの会話は収束へ向かう。
「その代わり、翠葉はちゃんと防寒対策してこいよ?」
「うん。お腹と背中にカイロ張って、タイツにレッグウォーマーと肘までの手袋とダウンコート着る」
 よっこらせっと……。
 俺は立ち上がり様に声を発した。
「残念。ふたつ漏れてる」
 ドアを静かに開くと、リィとあんちゃんのびっくりした顔がこっちを向いていた。
「マフラーとイヤーマフがついたら完璧」
 あとで訊きたいもんだ。これで家を出たあと、俺に連絡をするつもりがあったのかなかったのか。まさかとは思うけど、リィとふたりで早朝散歩するつもりだったのなら、俺はちょっと面白くない。
「俺だけ除け者とかやめてよね。……寂しいじゃん」
「っ……」
 リィだけが反応する。あんちゃんは想定済みって感じ。
「別に除け者にしたつもりはないよ。ただ、俺が起きてきたら翠葉が起きてたからさ。その流れで話しててこうなってるだけ」
 知ってるよ、聞いてたから。……なんて言わないけど。

 あんちゃんが家を出ると、俺は着替えるために二階へ上がった。
 バサバサ着替えてすぐ一階へ下りるとコーヒーを求めてキッチンへ向かう。
 慣れた手つきでコーヒーを準備するも、寒さで身体がガタガタ震えだす。
 やば、マジ寒い……。こんなとこにいたら凍死するっ。
 俺は急いでリィの部屋に避難した。
 俺、こんな寒い中、よく盗み聞きとかできたよな。
 ひとり感心しながらヒーター近くに腰を下ろす。
「こんな寒い中、よくランニングとか行く気になるよね? リィもだよ。なんでこんな時間に散歩かなぁ……あー、さむっ」
 スティックシュガーを四本まとめてカップに入れ、ちょっとかわいらしい陶器のスプーンでくるくる撹拌。
「唯兄……その格好で外に出るの?」
 雪国に赴く勢いで着込んでいるリィと比べたら、俺の格好はかなり軽装に見えたことだろう。
 現時点では、綿素材のタートルに半袖のざっくりニットを着ているだけだから。
「リビングにダウンジャケットとストール、帽子が置いてある。あと手袋もね」
 ダウンは素肌に近い状態で着たほうがあったかい。だから、中に着込むのは必要最低限。
 追加情報をもってしても、リィは心配そうな顔を改めない。だから、ちょっと恵んでもらうことにした。
「リィ、できれば俺にもカイロを恵んでください」
 差し出されたのは貼るタイプの大きなカイロ。
「ポケットに入れる用の貼らないカイロはないの?」
 リィは「あ」って顔をして、すぐさまクローゼットからがさごそと取り出した。けれど、その数はふたつ。
「ブッブー。二個じゃ足んない。四つが正解です」
「え?」
「リィのポケットにも入れるから」
 取り出したカイロ四つを袋から出し、リィのポッケにもスタンバイ完了。
 すると、少し前の会話が突然再開した。
「蒼兄のランニングは習慣なんだよ。走らないと一日のリズムが狂うみたい」
 リィ独特の変則リズムに反射神経のみで対応。
「じゃ、雨の日は大変だ」
「んー……前は雨の日でも走りに行ってたよ? 今でこそ毎回じゃないけど、それでも時々行ってる」
「ますますもって理解に苦しむ……」
「唯兄は一日の始まりに必ずすることってある?」
「んーーー……ベッドの上で伸び? そのほか必ずっていうと……コレ」
 カップを指差し、「カフェインと糖分摂取」と答えた。
「じゃぁ、それ。蒼兄にとってのカフェインと糖分がランニングなの」
「ふーん。……俺は天と地がひっくり返ってもコレの代替案がランニングになることはないけど、あんちゃんがって言うなら納得。で、リィは?」
「私?」
 コーヒーをすすりながらリィを見ると、思い切り首を傾げていた。
「基礎体温を計る、かなぁ……?」
 いや、お嬢さん……。
「それは体調管理に必要なことであって、リィがやりたくてやってるわけじゃないでしょ? それ以外にはないの?」
 突っ込むと、リィはゆっくりと窓のほうを見た。
「空……」
「ん?」
「ずっとね……朝起きたら空を見るのが日課だったの」
 リィは窓に手を伸ばし、ペタリ、と窓に手の平をくっつけた。すると、リィの手を模るように周りが白く曇る。
 それだけ外が寒いってこと。
「だった、か……。マンションのあの部屋じゃできないもんね」
 リィはゆっくりとこちらを振り返った。まるで「どうして?」というような目で。
 気づくよ、そのくらいのことなら言われなくても。
「メリットデメリットってなんにでもあるよね。通学が楽になっても毎日の日課ができないとか」
「でも……身体を起こしてリビングまで行けば空は見ることができたよ」
「けど、ここから見える風景と九階の窓から見える風景は全然別物でしょ?」
 腕時計を見ると、ちょうど二十分経ったところだった。
「うっし、二十分経ったから行こうっ!」
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