光のもとで1

葉野りるは

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10~12 Side 明 01話

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 部活が終わると心地よい風が吹いていた。
 もっとも、今は十一月末。何をとってしても心地よい風というよりは冷たい風なわけだけど、身体を動かしたあとだからこそ心地よいと感じる。
 部活の連中とやいのやいのと騒ぎながら部室棟へ向かう途中、二階テラスになびく髪を見つけた。
「御園生っ!?」
 顔を確認する前に言葉を発した気がする。
 一種独特といえる長い髪で人物特定が可能。
 うちの学校には髪の長い女子なんか数え切れないほどいるけれど、御園生ほどに髪の長い女子はそうはいない。そして、あの頭の小ささと身体の華奢さ。コートを着ていても隠し切れない何か。
 今日、御園生は性教育を受けていたはず。
「終わったの今?」
 何が、とは言わずに問いかけると、御園生はコクリと頷いた。
 意識はこちらを向いているのに、どこか飽和状態に見えなくもない。それは、外灯が中途半端に顔を照らすからそう見えるのか……。
「今から帰る?」
 御園生はまたひとつ頷いた。
 たぶん、俺の周りにいる連中に気後れしているんだろう。このままだと一歩下がられてテラスから見えなくなりそう。
 そんなことを懸念して、さらに言葉を投げかけた。
「もう遅いから送ってく。七分で着替えてくるからちょっと待ってて?」
「えっ? いいよ、悪いよ」
 か細い声が届くと、「あ、喋った」と周りの連中が騒ぎ始めた。
「俺、あの子が話す声って生徒総会での会計読み上げと、紅葉祭の歌しか聞いたことないんだよね」
「何、普段喋んないの?」
「レア? 超レア? 俺たちラッキー?」
「佐野、紹介しろよ」 
 あれこれ言われてちょっと困る。俺が困るというよりも御園生が困るだろう。
「これも一回頷くだけで良かったのに」
 ちょっと零してみたけれど、御園生には聞こえただろうか。
 とりあえず、この暗くなった時間にひとりで帰すのは問題あり。
「ホント、ちょっぱやで着替えてくるからのんびり昇降口まで歩いててよ」
「え、佐野君っ!?」
 慌てる御園生の声を背で聞き走り出した。

 御園生の性格なら先に帰るということはない。申し訳ないと思いつつ、結局は俺を待っているだろう。
 御園生の足なら今はどこを歩いているか、そんなことを考えながら超ダッシュで着替えを済ませて部室を出た。
「今度紹介しろよっ!」
 さすがに先輩の言葉は無視できない。けど、紹介できるともしようとも思わない。そこで、俺はある人物の名前を借りることにした。
「俺じゃなくて藤宮先輩に断わったほうがよくないですか? 自分、あの先輩には睨まれたくないんですよね」
「おまえ、逃げるのうまいよなー」
 くくっ、と諦めのような笑いが生まれる。
「俺だって藤宮に睨まれるのはごめんだよ。だから佐野に頼んでんのにさ」
 とくにあとを引かない嫌みを返され、「んじゃ、お先です」と走り出した。
 きっと今ごろ靴に履き替え、あと三十秒で昇降口から出てくる。
 俺は御園生が下駄箱を閉める間際に昇降口へ滑り込んだ。
 気配に気づいた御園生が、「あ」と口を開ける。そして、
「部活、お疲れ様」
 とても穏やかな表情で言われた。
「ありがと。でも、御園生もね? お疲れ様」
「……ありがとう」
 飽和状態に見えたのは、やっぱり下手な照明の当たり具合からだったんだろうか。
「午後からぶっ通しでこの時間だろ?」
「うん……」
「大丈夫だった?」
 御園生が返事する前に少し言葉を継ぎ足す。
「いや、うんと……その、色々と」
 別に性教育自体が悪いものだと思っているわけじゃないし、口にするのが憚られるものだと思っているわけでもないんだけど、なんとなく……。
 照れ隠しに視線を逸らしてしまったけど、ゆっくりと御園生に視線を戻すと、
「大丈夫だったよ」
 穏やかで意思のある目が俺を見ていた。
「大丈夫だったよ。たぶん、佐野くんたちが受けた筆記試験は全部口頭で答えた。それから、最後にある実技試験もパスしてきた」
 地に足のついた声だった。
 意外に思ってしばし呆然としてしまったけど、御園生だから話せると思った。
 この手の話でも、相手が女子でも、御園生だから話せると――
「御園生、冷静。すごく落ち着いてる」
「うん……。途中、色んなことを思い出して泣いちゃったりもしたけれど、それが良かったのかな? 少しすっきりした。それと、知ることができて良かったと思う」
「そっか」
「うん」
 穏やかに見えたのは間違いじゃなくて、御園生はとても落ち着いていた。
 ただ、やっぱり面食らったのは俺と同じで、談笑しながら学園私道を下る。
 下り切ったところで、
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから……だから、公道に出たらバイバイしよう?」
 今は内面の心配はしていない。でも、その提案を呑めない理由があった。
「この辺、駅前と比べれば治安はいいと思う。でも、駅前と比べたら人気がない。何かあって声をあげても人がいないことのほうが多い。そういうのもちゃんとわかってたほうがいいよ」
「……ありがとう」
「そう、それでよし……なんてね。実のところ、数学教えてほしいところあるんだわ」
「そうだったの?」
「うん」
「でも、それなら学校で教えたのに」
「まぁ、いいじゃん。部活終わってちょっと一息つきたいってのもあるし、マンションのカフェで何か飲もうかな。明日は学校も部活も休みだし」
「あ、そうだね」
 本当はさ、純粋に心配だったんだ。
 もし、変な男に遭遇したとして、御園生は周りに人がいるいないに関わらず声すらあげられないんじゃないかって……。
 男性恐怖症が全面に出てしまったら、御園生は動けなくなる。紅葉祭でそれを目の当たりにしたから……。だから心配だったんだ。

 隣を歩く御園生を見ると、穏やかな表情は一変してひどく緊張した面持ちだった。
「御園生?」
「えっ? あ……なんだっけ?」
「いや、とくに何を話してたわけじゃないけど……どうした?」
 はじかれたように顔を上げた御園生は、また視線を落とした。
 唇に力が入っているのは寒さからではない気がする。
「何か」はあるのだろう。けど、それを御園生が俺に話すかはわからない。
 自分が踏み込めるものなのか、何かしら判断材料が欲しいところだけど、こういうとき、御園生は話すなら全部を話し、話さないのなら何も話さない。
 だから、出方を待つしかなかった。
「佐野くん、今日、うちでお夕飯を食べて行きませんか?」
 いきなりの誘いに面食らう。しかも、なんで敬語……?
「もれなく蒼兄もついてきます」
 それは嬉しいけど……。
「いいの? いや、でも、急にって迷惑じゃない?」
「そんなことないよ」
 御園生がこんなことを言い出すのには理由があるはず。少なくとも、御園生さんを引き合いに出してまで俺に来てほしい理由が。
 間違いなく何かに困ってるんだ。それを話してもらえるのかはまだわからないけど、これはきっと御園生なりのSOS。
 助けを求められたことが嬉しかった。だから、快諾した。
 自分でも意外だったのは、御園生さんがいるからということよりも、御園生に助けを求められたことのほうが嬉しかったこと。
 御園生はわかってるのかな。手を伸ばしてもらえることの嬉しさを。
 そんな思いつめた顔で何を抱えているんだろう。御園生さんや藤宮先輩は知ってるんだろうか……。

 すぐにゲストルームへ上がるのかと思いきや、御園生は迷わずカフェラウンジへ入っていく。
 もともとそこで教えてもらうつもりだったけど、真っ直ぐ帰らない時点で「家」に問題がある気がした。
 行けばわかるものなのかな……。
 そんなことを考えながら数学を見てもらったけど、御園生の教え方は相変わらず丁寧で、順を追って教えてくれるからあとで見直すときにもとても有効。
 六時を回ると御園生の携帯が鳴り始めた。
「……一階のカフェラウンジ。――佐野くんに数学を教えていたの」
 一言話すたびに御園生の表情は歪んでいく。とても言いづらそうに、後ろめたそうに……。
 どうしてなのかはわからないけど、今から行く場所に「何か」があるのだと確信した。
 携帯の通話を切っても張り詰めた空気は解除されることなく、こちらにまでひしひしと伝わってくる。
 そして、ただでさえ血色の悪い顔色に拍車がかかった。
「じゃ、行こうか」
「御園生……顔色悪い」
 無理を押すように席を立った御園生に、声をかけずにはいられなかった。
 声をかけたところで行き先は変わらない。もしかしたら、ここで話してくれるかもしれない。
 そんな期待が少しあった。だけど――
「え……そう?」
 御園生はまるで何もないかのような返事をした。
 こういう答え方をするとき、御園生は絶対に話さない。わかっていても、俺は一歩踏み込むことを決意した。
「何かある?」
 単刀直入に訊くと、御園生は口を固く引き結んでから言葉を発した。眉根を寄せ、より一層険しい顔で「……あっちゃだめなの」と。
「何それ」
「あっちゃだめだけど、普通に振舞えない気がするから、だから――ごめん。佐野くん、助けて」
 話してはくれない。でも、助けてって言われた。
 きっと心からのSOS。今、ここにいる俺にしか頼めないこと。
 自分に何ができるのかなんてわからない。概要を知らないわけだから。でも、助けを求めてもらえたことに意味があった。
「助けて、って初めて言われた」
「……え?」
 御園生は意識してないけど、俺は意識せずにはいられない。
「助けて、って初めて御園生に言われた。……だから、理由を教えてくれなくても助けるよ」
 御園生の戦場はきっと家の中にあるのだろう。なら、そこについていく。
 願わくば、どうしたら助けられるのかは教えてほしい。
「どうすれば助けられるの? どうすれば助けることになるの?」
 返事は複雑を極めていた。
「ただ、いてくれるだけでいいの」
「それだけでいいの?」
 エレベーターの扉の方を向いていた御園生は頷き、そのあと俺に向き直って頭を下げた。
「ごめんね。蒼兄をエサにして、釣るような真似して――ごめんね……」
「事実、御園生さんには釣られる。でも、御園生に助けてって言われたことのほうが貴重。やっとだよ……もう冬、あと数日で十二月。その言葉を聞くまで八ヶ月以上もかかった」
 どうにかして御園生の緊張をほぐしたいと思った。でも、それは叶わなかったな……。
 八ヶ月かかってようやくSOS出してもらえるようになったけど、俺が安心材料になることはないのかもしれない。それでも、俺を必要としているってどれだけ切羽詰まった状態なのか――
 俺は御園生の背を見ながらゴクリと唾を飲みこんだ。
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