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最終章 恋のあとさき
74話
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翌朝、学校へ行くと桃華さんに尋ねられた。
「藤宮司には会えたの?」
「ううん、まだ……。でも、今日は会いに行ってくる」
話が聞こえたのか、前の席に座る海斗くんが振り返り、
「携帯であらかじめ連絡しておけばいいじゃん」
もっともな提案に苦笑せざるを得ない。
普通ならそれでいいのだろう。でも――
「携帯、使いたくないの……」
空港へ行ったあの日から、ツカサにもらった携帯ホルダーを使わせてもらっている。
制服の上に肩から斜めにかけていれば、コートの着脱時にもポケットからポケットへと移動させる必要もない。言われたとおり、ちゃんと毎日持ち歩いている。
でも、ツカサからのメールが届くことはないし、電話が鳴ることもない。
携帯は今も私にとって大切なものに変わりはないけれど、今は携帯ではなく本人に会いに行かなくてはいけない気がしていた。
「ふーん……。じゃ、情報提供をひとつ。あいつ、このくそ寒い冬でも毎朝六時には道場にいるよ」
「え……?」
「弓道場。この時期弓道部で朝稽古してるのなんて司くらい。ほかの部員が来るとしても七時以降」
「そう、なの……?」
「そっ。だから、今日会えなかったら明日の朝行ってみ? ただ、すっげー寒いから防寒対策万全でなっ!」
「うん、ありがとう」
朝六時の道場とはどれほど寒いのか……。
きっと、開け放たれた道場は外にいるも同然なのだろう。
板の間を思い浮かべるだけでも凍えてしまいそうだ。
でも、その中に凛と立つツカサの姿は容易に想像ができた。
袴姿の出で立ちで、足を肩幅に開き大きな弓を張力の限界まで引く。
そんな姿は一度しか見たことがない。けれども、真っ直ぐ的を見つめる目を今でもよく覚えている。
弓と矢を扱う一連の動作が何かの儀式のように思えた。
その、一つひとつの所作に名前や意味があることを教えてくれたのは秋斗さんだった。
ツカサのそれは息を呑むほどに美しく、気づけば引き込まれていた。
男の人を見てきれいだと思ったのは、初めてだったかもしれない。
会いたい――ツカサに、会いたい。
放課後、ホームルームが終わってからすぐに三階へ上がったけれど、ツカサの姿はなかった。
「あっれー? 翠葉じゃん、どうした?」
後ろのドアから出て来た嵐子先輩と優太先輩に声をかけられ、
「ツカサに用事があって……。でも、遅かったみたいです」
「あー……あいつ、ホームルームが終わるとすぐに部活行っちゃうからな」
それはツカサに限った話ではない。藤宮の生徒なら誰もがそうなのだ。
だからこそ余計に、携帯なしで捕まえることが困難だった。
「でも、携帯にかければ捕まるんじゃん?」
優太先輩に海斗くんと同じことを言われて苦笑い。
「ちょっと……アナログ的手法でがんばってみたくて」
そんなふうに答えると、ふたりは顔を見合わせ「がんばれっ!」と応援してくれた。そこで、
「あの……弓道部が何時ごろに終わるか知っていますか?」
「優太知ってる?」
「うちの学校七時までに完全下校って校則だから、七時前には終わるはずだよ」
「ありがとうございます」
「えっ、ちょっ……翠葉、まさか待つつもりっ!?」
「はい」
「「どこでっ!?」」
「……梅香館?」
ふたりは揃って首をフルフルと横に振った。
「嵐子、ついてってあげな」
「そうする……」
「え?」
まるで保護者の申し出をされた気分で訊き返すと、
「大学、ココとはちょっと雰囲気が違うんだ」
嵐子先輩が苦笑を貼り付けたまま教えてくれる。
「雰囲気……ですか? 以前、蒼兄に虫がいるとは教わったんですけど……さすがにこれだけ寒ければいないかなと思って……」
「……お兄さんの心中は察するけど、もっとわかりやすく的確に教えてあげなくちゃ意味ないよぉ……」
嵐子先輩がうな垂れた。
「え……? 私、何か間違った解釈してますか?」
「うん、だいぶ……。虫って……つまりはちゃらい男がいるって話だよ。内進生はそれなりに育ちのいい人多いけど、大学は外部からの人も多いから。頭はいいんだろうけど色んな人がいるのよ」
言われてびっくりした。
桃華さんはきっと、蒼兄の言った「虫」の意味をきちんと理解して話に応じていたに違いない。
まだ出逢ったばかりのころの会話を思い出し、恥ずかしくて頬に熱を持つ。
「嵐子、見て……翠葉ちゃん、こんなことで真っ赤なんだけど。どうしたらいい? このかわいい生き物」
「んー……食べていい? 優太、私この子食べてもいい? かわいくてむぎゅむぎゅするだけじゃ足りないんだけど」
「気持ちはわからなくもない。とりあえず、しっかりガードしてあげな」
優太先輩とは昇降口で別れ、私と嵐子先輩は桜香苑を抜けて大学敷地内にある梅香館へ向かった。
嵐子先輩は寒い寒いとジタバタしながら歩く。その様がコミカルでとてもかわいい。
「翠葉は寒くないのっ!?」
「寒いですよ?」
「全っ然そうは見えないっ! なんで笑ってられるの? 私なんてこんなに顔も手も強張ってるのにっ」
「あ……私、この冷たい空気が好きなんです。なんだかとても清浄な気がして」
「信じらんないっ。私、あったかい空気のほうが好きっ。夏にプールから上がってバスタオルに包まれるときの至福ったらないじゃん」
「あ、それはわかる気がします」
こんなふうに嵐子先輩とゆっくり話をするのは初めてだった。
生徒会で会うことは多かったけれど、仕事の話がほとんどだったし、肩を並べて歩くことなどまったくなかったから。
考えてみれば、後夜祭のときに図書棟へ誘導してもらって以来かもしれない。
「ね、翠葉は梅香館行って何するの? 本借りるの?」
「蔵書が充実しているので借りたいなとは思っているんですけど……来週から試験なので本を借りるのは試験後にします。今日はその下見、かな……? 嵐子先輩は?」
「私は優太の部活が終わるまでの時間潰し。試験勉強もしなくちゃいけないんだけど、頭の中はドレスのデザインでいっぱい。翠葉見てるとインスパイアされるのかな? あれこれ出てくる。でも今日は……」
チラリ、と嵐子先輩が私を見た。
「翠葉、ガールズトークしよう!」
「え?」
「恋バナしよ!」
嵐子先輩の突然の提案にびっくりしたものの、とてもタイムリーな話題に思えたからコクリと頷いた。
梅香館では話せないということもあり、大学敷地内にあるカフェでお茶とケーキをオーダー。
ガールズトークに恋バナと言われても、どんなふうに話をしたらいいのかがわからない。そもそも、こういうのはどうしたら話が始まるのだろう。どこから何を話し始めるのだろう。
何から……と考えていると、嵐子先輩が自分のことを話し始めた。
優太先輩と出逢ったときのこと、「好き」と自覚した瞬間や受験校を変えて藤宮へ来たこと――
「すごい……」
「そりゃもう必死で勉強がんばったよ。学校の先生に受験校変えるって言ったとき、絶対無理だからやめとけって言われたもん。万が一のことも考えて公立も受けさせられたし」
でも、それよりもはるかに気になることがある。それは――
「嵐子先輩はほかに好きな人がいたんですよね……? でも、優太先輩のことを好きになったんですか?」
ツカサを好きになったとき、私には秋斗さんのことを想う記憶が抜け落ちていた。
状況はまったく違うけれど、好きな人がいたのにほかの人を好きになるという感情の変化について、詳しく訊いてみたかった。
「んー、それなんだけど、自分でもよくわかんないんだよ。確かに同じクラスの男子が好きだったはずなんだ。でも、優太に会ったらビビッてきちゃったんだよね。学校違くてマンツーマンの塾だったからいつ会えるかもわからなくて、ただひたすら会えるの楽しみにしてた」
「好きな人がいてもほかの人を好きになっちゃうのは、おかしくない、ですか……?」
「んー……おかしいおかしくないって一概には言えないよ。ただ、仕方ないじゃん。気持ちがそう動いちゃったんだもん。それを何度も繰り返す人は問題ありだと思う。でも、人の気持ちってそんな簡単にコロコロ変わらないと思うよ?」
嵐子先輩が話してくれたことを一つひとつ反芻する。
「私……秋斗さんを好きだったはずなんです。でも――記憶がない間にツカサを好きになってしまって……。その気持ちに気づいた直後に記憶が戻って」
「あちゃ、そうだったのか」
「はい。もう、すごいパニックになってしまって……」
嵐子先輩は時折相槌を打ちながら聞いてくれていて、自然と自分の話をすることができた。
「そっかそっか。退院前にそんな出来事があったんだね」
「秋斗さんにはきちんと話せたけれど、ツカサにはまだ会ってもいなくて……」
「それで今日、なんだね」
「はい……。携帯じゃなくて、ちゃんと会って話したくて――」
「うん、そのほうがいいよ。ちゃんと目ぇ見て好きって言ってやんな。そしたら留学もやめるかもしれないじゃん。第一、留学するとか私たちに一言も言ってないことがムカつくしね」
どうやら、ツカサは留学の話は誰にも話していないようだった。でも、そんなことすらツカサらしいと思ってしまう。
きっと、誰にも言わず、新学期が始まったら何事もなかったかのように姿を消すのだろう。想像ができるだけに悲しい。
「そんな顔しなくたって絶対大丈夫だってば。だって、司、絶対に翠葉のこと好きだもん」
「……それはどうでしょう。……私、長らくツカサの好意に甘えていたので――心底呆れられたんだなって実感しましたし……。それに、一度決めたことをこんなことで取りやめにするような人ではない気がします」
「……そーかなぁ?」
一昨日のツカサを思い出すだけで心臓が縮み上がる。
おそらく、思い直すなんてことはない……。
ツカサがいなくなることを考えただけで心臓が凍ってしまいそうだ。
カフェのあたたかな空気をゆっくりと吸い込み、
「嵐子先輩……前に教えてくれましたよね。好きな人に好きと伝えて誤解を解けばいいって……」
「うん、後夜祭のときにそんな話したね」
「それ、今も有効だと思いますか?」
「……思うよ。翠葉、がんばんなっ。さ、六時四十五分、そろそろあっちに戻ろう」
「はい」
嵐子先輩は私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれた。そして、部室棟まで来ると、優太先輩を迎えに校舎裏にある温水プールの方へと走っていった。
寒さがいっそう増した部室棟前にいたけれど、さすがにここで待ち伏せするのはどうかと思う。
運動部の人たちが一斉に引き上げてくるなら、それだけ多くの人の目に留まることになるだろう。
少し考え、ツカサが帰るルートを思い出す。
ツカサは大学の敷地を突っ切って藤山の自宅へ帰るはず……。それなら、私道入り口にある警備員室の前にいれば会える。
私は踵を返し、大学へ引き返すことにした。
「藤宮司には会えたの?」
「ううん、まだ……。でも、今日は会いに行ってくる」
話が聞こえたのか、前の席に座る海斗くんが振り返り、
「携帯であらかじめ連絡しておけばいいじゃん」
もっともな提案に苦笑せざるを得ない。
普通ならそれでいいのだろう。でも――
「携帯、使いたくないの……」
空港へ行ったあの日から、ツカサにもらった携帯ホルダーを使わせてもらっている。
制服の上に肩から斜めにかけていれば、コートの着脱時にもポケットからポケットへと移動させる必要もない。言われたとおり、ちゃんと毎日持ち歩いている。
でも、ツカサからのメールが届くことはないし、電話が鳴ることもない。
携帯は今も私にとって大切なものに変わりはないけれど、今は携帯ではなく本人に会いに行かなくてはいけない気がしていた。
「ふーん……。じゃ、情報提供をひとつ。あいつ、このくそ寒い冬でも毎朝六時には道場にいるよ」
「え……?」
「弓道場。この時期弓道部で朝稽古してるのなんて司くらい。ほかの部員が来るとしても七時以降」
「そう、なの……?」
「そっ。だから、今日会えなかったら明日の朝行ってみ? ただ、すっげー寒いから防寒対策万全でなっ!」
「うん、ありがとう」
朝六時の道場とはどれほど寒いのか……。
きっと、開け放たれた道場は外にいるも同然なのだろう。
板の間を思い浮かべるだけでも凍えてしまいそうだ。
でも、その中に凛と立つツカサの姿は容易に想像ができた。
袴姿の出で立ちで、足を肩幅に開き大きな弓を張力の限界まで引く。
そんな姿は一度しか見たことがない。けれども、真っ直ぐ的を見つめる目を今でもよく覚えている。
弓と矢を扱う一連の動作が何かの儀式のように思えた。
その、一つひとつの所作に名前や意味があることを教えてくれたのは秋斗さんだった。
ツカサのそれは息を呑むほどに美しく、気づけば引き込まれていた。
男の人を見てきれいだと思ったのは、初めてだったかもしれない。
会いたい――ツカサに、会いたい。
放課後、ホームルームが終わってからすぐに三階へ上がったけれど、ツカサの姿はなかった。
「あっれー? 翠葉じゃん、どうした?」
後ろのドアから出て来た嵐子先輩と優太先輩に声をかけられ、
「ツカサに用事があって……。でも、遅かったみたいです」
「あー……あいつ、ホームルームが終わるとすぐに部活行っちゃうからな」
それはツカサに限った話ではない。藤宮の生徒なら誰もがそうなのだ。
だからこそ余計に、携帯なしで捕まえることが困難だった。
「でも、携帯にかければ捕まるんじゃん?」
優太先輩に海斗くんと同じことを言われて苦笑い。
「ちょっと……アナログ的手法でがんばってみたくて」
そんなふうに答えると、ふたりは顔を見合わせ「がんばれっ!」と応援してくれた。そこで、
「あの……弓道部が何時ごろに終わるか知っていますか?」
「優太知ってる?」
「うちの学校七時までに完全下校って校則だから、七時前には終わるはずだよ」
「ありがとうございます」
「えっ、ちょっ……翠葉、まさか待つつもりっ!?」
「はい」
「「どこでっ!?」」
「……梅香館?」
ふたりは揃って首をフルフルと横に振った。
「嵐子、ついてってあげな」
「そうする……」
「え?」
まるで保護者の申し出をされた気分で訊き返すと、
「大学、ココとはちょっと雰囲気が違うんだ」
嵐子先輩が苦笑を貼り付けたまま教えてくれる。
「雰囲気……ですか? 以前、蒼兄に虫がいるとは教わったんですけど……さすがにこれだけ寒ければいないかなと思って……」
「……お兄さんの心中は察するけど、もっとわかりやすく的確に教えてあげなくちゃ意味ないよぉ……」
嵐子先輩がうな垂れた。
「え……? 私、何か間違った解釈してますか?」
「うん、だいぶ……。虫って……つまりはちゃらい男がいるって話だよ。内進生はそれなりに育ちのいい人多いけど、大学は外部からの人も多いから。頭はいいんだろうけど色んな人がいるのよ」
言われてびっくりした。
桃華さんはきっと、蒼兄の言った「虫」の意味をきちんと理解して話に応じていたに違いない。
まだ出逢ったばかりのころの会話を思い出し、恥ずかしくて頬に熱を持つ。
「嵐子、見て……翠葉ちゃん、こんなことで真っ赤なんだけど。どうしたらいい? このかわいい生き物」
「んー……食べていい? 優太、私この子食べてもいい? かわいくてむぎゅむぎゅするだけじゃ足りないんだけど」
「気持ちはわからなくもない。とりあえず、しっかりガードしてあげな」
優太先輩とは昇降口で別れ、私と嵐子先輩は桜香苑を抜けて大学敷地内にある梅香館へ向かった。
嵐子先輩は寒い寒いとジタバタしながら歩く。その様がコミカルでとてもかわいい。
「翠葉は寒くないのっ!?」
「寒いですよ?」
「全っ然そうは見えないっ! なんで笑ってられるの? 私なんてこんなに顔も手も強張ってるのにっ」
「あ……私、この冷たい空気が好きなんです。なんだかとても清浄な気がして」
「信じらんないっ。私、あったかい空気のほうが好きっ。夏にプールから上がってバスタオルに包まれるときの至福ったらないじゃん」
「あ、それはわかる気がします」
こんなふうに嵐子先輩とゆっくり話をするのは初めてだった。
生徒会で会うことは多かったけれど、仕事の話がほとんどだったし、肩を並べて歩くことなどまったくなかったから。
考えてみれば、後夜祭のときに図書棟へ誘導してもらって以来かもしれない。
「ね、翠葉は梅香館行って何するの? 本借りるの?」
「蔵書が充実しているので借りたいなとは思っているんですけど……来週から試験なので本を借りるのは試験後にします。今日はその下見、かな……? 嵐子先輩は?」
「私は優太の部活が終わるまでの時間潰し。試験勉強もしなくちゃいけないんだけど、頭の中はドレスのデザインでいっぱい。翠葉見てるとインスパイアされるのかな? あれこれ出てくる。でも今日は……」
チラリ、と嵐子先輩が私を見た。
「翠葉、ガールズトークしよう!」
「え?」
「恋バナしよ!」
嵐子先輩の突然の提案にびっくりしたものの、とてもタイムリーな話題に思えたからコクリと頷いた。
梅香館では話せないということもあり、大学敷地内にあるカフェでお茶とケーキをオーダー。
ガールズトークに恋バナと言われても、どんなふうに話をしたらいいのかがわからない。そもそも、こういうのはどうしたら話が始まるのだろう。どこから何を話し始めるのだろう。
何から……と考えていると、嵐子先輩が自分のことを話し始めた。
優太先輩と出逢ったときのこと、「好き」と自覚した瞬間や受験校を変えて藤宮へ来たこと――
「すごい……」
「そりゃもう必死で勉強がんばったよ。学校の先生に受験校変えるって言ったとき、絶対無理だからやめとけって言われたもん。万が一のことも考えて公立も受けさせられたし」
でも、それよりもはるかに気になることがある。それは――
「嵐子先輩はほかに好きな人がいたんですよね……? でも、優太先輩のことを好きになったんですか?」
ツカサを好きになったとき、私には秋斗さんのことを想う記憶が抜け落ちていた。
状況はまったく違うけれど、好きな人がいたのにほかの人を好きになるという感情の変化について、詳しく訊いてみたかった。
「んー、それなんだけど、自分でもよくわかんないんだよ。確かに同じクラスの男子が好きだったはずなんだ。でも、優太に会ったらビビッてきちゃったんだよね。学校違くてマンツーマンの塾だったからいつ会えるかもわからなくて、ただひたすら会えるの楽しみにしてた」
「好きな人がいてもほかの人を好きになっちゃうのは、おかしくない、ですか……?」
「んー……おかしいおかしくないって一概には言えないよ。ただ、仕方ないじゃん。気持ちがそう動いちゃったんだもん。それを何度も繰り返す人は問題ありだと思う。でも、人の気持ちってそんな簡単にコロコロ変わらないと思うよ?」
嵐子先輩が話してくれたことを一つひとつ反芻する。
「私……秋斗さんを好きだったはずなんです。でも――記憶がない間にツカサを好きになってしまって……。その気持ちに気づいた直後に記憶が戻って」
「あちゃ、そうだったのか」
「はい。もう、すごいパニックになってしまって……」
嵐子先輩は時折相槌を打ちながら聞いてくれていて、自然と自分の話をすることができた。
「そっかそっか。退院前にそんな出来事があったんだね」
「秋斗さんにはきちんと話せたけれど、ツカサにはまだ会ってもいなくて……」
「それで今日、なんだね」
「はい……。携帯じゃなくて、ちゃんと会って話したくて――」
「うん、そのほうがいいよ。ちゃんと目ぇ見て好きって言ってやんな。そしたら留学もやめるかもしれないじゃん。第一、留学するとか私たちに一言も言ってないことがムカつくしね」
どうやら、ツカサは留学の話は誰にも話していないようだった。でも、そんなことすらツカサらしいと思ってしまう。
きっと、誰にも言わず、新学期が始まったら何事もなかったかのように姿を消すのだろう。想像ができるだけに悲しい。
「そんな顔しなくたって絶対大丈夫だってば。だって、司、絶対に翠葉のこと好きだもん」
「……それはどうでしょう。……私、長らくツカサの好意に甘えていたので――心底呆れられたんだなって実感しましたし……。それに、一度決めたことをこんなことで取りやめにするような人ではない気がします」
「……そーかなぁ?」
一昨日のツカサを思い出すだけで心臓が縮み上がる。
おそらく、思い直すなんてことはない……。
ツカサがいなくなることを考えただけで心臓が凍ってしまいそうだ。
カフェのあたたかな空気をゆっくりと吸い込み、
「嵐子先輩……前に教えてくれましたよね。好きな人に好きと伝えて誤解を解けばいいって……」
「うん、後夜祭のときにそんな話したね」
「それ、今も有効だと思いますか?」
「……思うよ。翠葉、がんばんなっ。さ、六時四十五分、そろそろあっちに戻ろう」
「はい」
嵐子先輩は私の歩調に合わせてゆっくり歩いてくれた。そして、部室棟まで来ると、優太先輩を迎えに校舎裏にある温水プールの方へと走っていった。
寒さがいっそう増した部室棟前にいたけれど、さすがにここで待ち伏せするのはどうかと思う。
運動部の人たちが一斉に引き上げてくるなら、それだけ多くの人の目に留まることになるだろう。
少し考え、ツカサが帰るルートを思い出す。
ツカサは大学の敷地を突っ切って藤山の自宅へ帰るはず……。それなら、私道入り口にある警備員室の前にいれば会える。
私は踵を返し、大学へ引き返すことにした。
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