光のもとで1

葉野りるは

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最終章 恋のあとさき

70話

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「翠葉、そろそろ着くわ」
 そろそろ、着く……?
「あ……」
 目を開けると、高級感漂う内装が目に飛び込んできた。
 リムジン――私、車に乗ってすぐ寝ちゃったんだ……。
 状況を把握して唖然とする。
 湊先生は大好きだし、助けてもらっているのも重々承知している。でも――とても恨まずにはいられない。
 貴重な時間を強制的に睡眠時間にあてられてしまったのだ。
 秋斗さんに会ったらなんと言ったらいいのか、何から話せばいいのか、まったく考えることができなかった。
 口にはしなかったけれど、目が物語っていたのかもしれない。
「悪かった、なんて言うと思う? 言わないわよ? ここまで連れてきただけありがたく思いなさい」
 湊先生に先手を打たれた。さらには、思いも寄らない言葉が飛び出す。
「私なんて、翠葉を連れ出したことでお父様にも紫さんにも怒られるのよっ!? それに比べたらこんな仕打ち……」
 今まで向けられたことのない形相で見据えられ、後ずさりしたい心境に駆られる。けれども、座っていては後ずさることもできない。
 そもそも、何を言える状況でも立場でもない。過ぎたことは諦めよう……。

 空港に着くと、リムジンは静かに停車した。
 点滴を外されドアが開く。と、外には警備員さんの手により用意された車椅子が待っていた。
「先生、ここからは歩いていきたい」
「だめ」
「どうしても?」
「どうしても。……行けばわかると思うけど、空港は広いの。ラウンジまで、私ですら十分近くかかるのよ」
 先生の足で十分と言うのなら、私の足ではもっとかかる。
 それは、マンションから学校までの距離で嫌と言うほど証明されていた。
 渋々車椅子に収まると、黒服の人ふたりに誘導されて空港内を移動し始める。
 湊先生と唯兄、私の車椅子を押す蒼兄が続き、最後尾にも警備の人がふたりいる。
 警護されていることを実感するのは紅葉祭以来初めてのことだった。
 空港内はそれほど混んでおらず、それでもまったく人がいないわけでもなく、あちこちに人が点在していた。
 人数にしてみたらそれなりにいるのだろう。けれど、空港という場所が広すぎてそれを感じさせない。
 初めて来た空港をじっくり見ることもなく、あれよあれよという間に秋斗さんが貸しきっているラウンジに着いてしまった。
 自動ドアの前には秋斗さんの警護についているであろう人たちがふたりいる。
「……先生っ」
「何?」
 自動ドアを前に湊先生が振り返る。
「ここからは、ひとりで行きたい……」
「…………」
「きっと長くはかからない。話が終わったらすぐに帰ります。だから……」
「……わかった。殴るのはあとにするわ。じゃ、私たちは隣のラウンジにいるから、終わったら電話――」
 先生は苦虫を噛み潰したような顔で、
「私の携帯壊れたから蒼樹か若槻に連絡しなさい」
「はい……」
「じゃ、あんたたちはこっち」
 壁際に並ぶ警備員さんの前を通り、湊先生は蒼兄と唯兄を伴って隣のラウンジへ向かって歩き出した。

 このドアの向こうに秋斗さんがいる――
 ドアのセンサーが反応しないギリギリの位置に立ち、何度も深呼吸を繰り返した。
 何から話そう……。何から――
 少し考えて、悩みだす頭を強制的に空っぽにする。
 何も考えちゃだめ。じゃないと、このドアの向こうへ行けない。
 歩け……歩け、翠葉――
 ぐ、と奥歯に力を入れて、一歩を踏み出した。
 鈍い音を立てて自動ドアが開き視界が開ける。
 全面ガラス張りのフロアにブルーの絨毯が目に眩しい。
 ラウンジ内には白い布張りのソファセットが等間隔に並べられていた。そのうちのひとつにふたつの人影――
「どうして……」
 観葉植物の向こうにいたのはツカサ。
 どうしてツカサもいるの……?
 ふたりはこちらを見て座っていた。まるで人が来ることをわかっていたように。
 自動ドアの線を越えられずに立ち止まっていると、
「お嬢様、お入りください」
 蔵元さんに声をかけられ促されるままに中へ入ると、蔵元さんは私と入れ替わりでラウンジを出ていった。
 閉まるドアを見届けてからふたりへ視線を戻し、ゆっくりとふたりのもとへ歩みを進める。
「司の勝ちだな」
 秋斗さんの言葉に足を止めた。
「今日、ここへ翠葉ちゃんが来るか来ないか、俺は来ないほうに賭けた。司は来るほうに賭けた」
「か、け……?」
「最初はそんなつもりなかったんだけどね、俺も司に嵌められた人間」
 嵌める……? な、に? どういうこと?
「別に、賭け自体に意味はないし、賭けの勝敗で何かを取引する予定もない。俺は、翠が来るか来ないかを知りたかっただけだ」
 言うだけ言って、ツカサはラウンジを出ていってしまった。
 突然のことに動転していると、秋斗さんに声をかけられる。
「それで……? 翠葉ちゃんは何をしにここへ来たの?」
 私は秋斗さんまで二メートルというところで立ち止まり、
「あの……」
「うん」
「メール……送っても、返ってきちゃって……。電話もつながらなくて……」
「うん」
「でも、伝えたいことがあって……。秋斗さんに、会いに、来ました」
「うん」
 言うことを考えてこなかっただけに、一言ずつしか話せない。けれど、秋斗さんは一つひとつに返事をしてくれる。
 ちゃんと聞いているよ、と言われている気がした。ちゃんと伝えたいと思った。
「私、好きな人がいます」
「うん」
「……ツカサが、好きです」
「うん」
「だから――秋斗さんの気持ちには応えられません……」
「……応えてくれたよ。今、答えをくれた」
 その言葉に泣きそうになる。ぐ、と堪えても涙腺は言うことを聞いてはくれない。
「でもっ……秋斗さんのことも好きでしたっ」
「うん」
「好きって言ってもらえて嬉しかった……。秋斗さんを好きになって、すごくドキドキしました。人を好きになるってこういう気持ちなんだって知りました。本当に……本当に好きだったんです」
「うん」
「でも――記憶が戻ったら……どうして、どうしてツカサを好きになってしまったんでしょう? それがわからなくて……」
 昨日から泣いてばかりだ。いい加減打ち止めになってもいいころなのに、涙は止まらない。
 何度も何度も涙を拭っていると、ふわり――大好きな香りに包まれる。
 気づけば、私は秋斗さんの腕の中にいた。
「全部知ってるよ。四月から、ずっと見てきたんだ。君が司に恋をして、それが面白くなくて俺が横取りした。でも、君はちゃんと俺を見てくれた。君からの好意はきちんと感じられた。俺が焦りすぎて、君を急かしすぎて、色々うまくいかなくなっちゃったけど――あのとき、確かに俺は翠葉ちゃんから『好き』って気持ちをもらっていたよ」
「ごめんなさい……。秋斗さん、ごめんなさい……」
「謝らないで。君は十分悩んだし苦しんだ。もう楽になっていいよ。もう、これ以上は苦しまないでほしい」
「ごめんなさい。ずっと言えなくて、きちんと返事ができなくて、こんなに長い間――ごめんなさい」
「……答えをくれてありがとう。会いに来てくれてありがとう」
 いっそう強く抱きしめられた。
「私、秋斗さんのことは尊敬しています。好きな人ではないけれど、大切な人です。これからもずっと……」
 だから、どこにも行かないで――
 その言葉だけは言えなかった。酷なことだとわかったから。
 佐野くんが教えてくれた。
 傷つかない人はいない――それはきっと私も……。
 私が傷つかない方法もない。何かを失う痛みを伴う。だから、不可抗力で仕方のないことなのだ。
「ねぇ、翠葉ちゃん。君はひとつ決定的な思い違いをしてるんだけど、それ、訂正させてもらっていいかな?」
「何を、ですか……?」
「俺ね、君にきれいさっぱり振られても諦めるつもりはないんだ」
「……え?」
「司が好きならそれでいい。司を好きな君を愛する。いつか君が司に愛想を尽かすのを手をこまねいて待っていることにする。……あぁ、待ってるだけっていうのは性に合わないな。司に遠慮せず、今までどおりアプローチはするだろうね」
 顔が見えるほどに離れると、秋斗さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「俺は君から離れるつもりも諦めるつもりも毛頭ないんだ」
 唖然としていると、
「意外? 残念? 困る?」
 首を横に振るのが精一杯だった。
「本当? じゃぁ、キスしてもいい?」
「それはだめっ」
 言って、私は飛びのいた。
 その拍子に心臓がトク、と止まる。
 不整脈――そう思ったときには意識を失っていた。
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