光のもとで1

葉野りるは

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最終章 恋のあとさき

48話

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 写真撮影が終わると中庭を通って違う建物へと案内された。
 移動する間、蒼兄と唯兄は何も訊かず、何も話さず、ただ私の手を引いてくれていた。
 何も説明できていない。けれども、動揺しているのは誰の目にも明らかだったのかもしれない。
 たどり着いたのはガラス張りの建物。八角形の建物についていた名称はガーデンクォーツ。
 建物の入り口では新郎新婦に加え、両家のご両親にも出迎えられる。
 そうして入った建物は、まるで温室のように壁面がガラス張りの建物だった。角錐になっている天井もガラス。フロアの床だけが北欧の模様を模っていた。
 案内されたテーブルに着くと、
「会長とのご対面はどうだった?」
 突然お母さんに尋ねられた。
 フラワーシャワーのとき、お母さんとお父さんは私たちの対面にいた。きっと、話しているところを見ていたのだろう。
「……今はごめん。ちょっと、考えたくないの」
 朗元さんにもひとまず置いておくようにと言われた。それが正しいと思う。
 こんなにモヤモヤした気持ちのままでは湊先生たちのお祝いはできない。
 現に、私はまだ一度も「おめでとう」を言えてはいないのだから。
 けれど、気になることがある。
 私が初めて陶芸品に触れたのはウィステリアデパートのショップ、「ウィステリアガーデン」でのこと。そして、そこへ連れて行ってくれたのはほかでもないお母さん。
 当時、ガラス製品と木製品にしか興味のなかった私に、「陶芸品も見てみたら?」とコーヒーカップを手渡された。そのカップこそ、朗元さんの作品だったのだ。
「お母さん……」
「何?」
「お母さんは――」
 言いかけてやめたのは今さらな気がしたから。
 考えてみたら、会長を知っているお母さんとお父さんが朗元さんを知らないほうがおかしい。わざわざ訊くことではない。
 膝の上できつく握りしめていた手をほどき、さすり合わせる。
 何をこんなに緊張しているのか……。
「やっぱりなんでもない」と言おうとしたら、
「会長が朗元さんであることは知っていたわ」
 訊こうと思っていたことを一息に言われてしまった。そして、
「知ってて黙ってた」
 正面に座るお母さんは真っ直ぐ私を見て言った。
 私がどんな反応をしようと、どんな言葉を返そうと、この眼差しは変わらないのだろう。訊けば、黙っていた理由も教えてもらえると思う。でも、それが今である必要はない。
 そう思えば、首を縦に動かし頷くだけで十分だった。
 もともと、少し気になったから訊きたかっただけなのだ。知っていたのか知らなかったのかを。
 訊く前に答えがわかってしまったから訊かなかっただけで、その質問の先に何を言おうと思っていたわけでもない。
「どうして教えてくれなかったの?」なんて言うつもりはなかった。
 人が教えてくれなかったから知ることができなかったわけではない。「朗元」以上のことを尋ねなかったのは私。それ以上を知ろうとしなかったのは私なのだから。
 何においても「今さら」なのだ。

「ひとまず置いておく」というのは思っていたよりも難しかった。どうしても意識がそちらへ向いてしまう。何度、目の前にあるものを見ようとしても、意識だけが逸れていく。
「リィ」
 隣に座る唯兄にそっと声をかけられた。
「フロア、見てごらん?」
「え……?」
 唯兄は苦笑し、
「意識をこっちに戻すため」
 はっきりとそう言われた。
「いい? 入り口から時計回りね」
 唯兄の声を意識しながらフロアを見回す。と――
「……いない」
 フロアには朗元さんの姿がなかった。
「そう。今ここに会長はいない」
「どうして……?」
「理由は知らない。でも、いない」
 それで納得すれば良かったのに、私は近くを通りかかった御崎さんを捕まえた。気がついたら手が伸びていた。
「あのっ、朗元さんは?」
 御崎さんは少し驚いたように目を見開いたけれど、すぐに佇まいを直す。
「会長でしたらお部屋にお戻りになられました」
「……どうして、ですか?」
 一呼吸おかなかったら問い質すように訊いてしまっただろう。
「お休みになるためです」
「え?」
「明日はご自身が主賓でいらっしゃいますし、パーティーは朝から夜まで続きますので、本日は休み休み参加されるとうかがっております」
「……そう、なんですね。ありがとうございます。すみません、お仕事の邪魔をしてしまって……」
 私の言葉はひどく単調だった。
「すみません」なんて言っておきながら、謝罪の気持ちなど微塵もこもっていなかった。
 御崎さんのくれた答えを受け入れることができず、ぐるぐると違う考えが頭をめぐる。
「私のせい? 私が動揺したから?」
「リィ……」
「翠葉ちゃん、それは違うよ」
 思いもよらない声に背後を見上げる。
 そこには静さんが立っていた。
「会長は喘息持ちでね、冷たく乾燥した空気は身体に障るんだ。午前の挙式に出たら午後の披露宴は休む。それは事前に決まっていたことなんだ。その代わり、夜の晩餐会には出席する予定だよ」
 それは本当……?
 静さんを見つめると、
「私は嘘はつかない主義でね」
 にこりと笑顔を返され胸を撫で下ろした。

 曲が流れ、涼先生と湊先生がホール中央で曲に合わせて踊りだす。
 スティーヴィー・ワンダーの「I just called to say I love you」。
 大好きな曲だからアーティスト名も曲名も覚えていた。
 もともとはポップな感じの曲だけど、今は弦楽器によってしっとりと演奏されている。
 メロディーも好きだけれど、何よりも歌詞が好き。
 お父さんから娘に、娘からお父さんに。どちらであってもすてきな選曲だと思う。
 これは私の勝手な想像だけど、涼先生と湊先生が普段からこんなやりとりをしているとは思えない。どちらかと言うなら、皮肉めいた会話のほうが想像しやすい。
 間接的に伝えるにしても、なかなか素直になれないような……そんなイメージ。
 でも、結婚式当日なら……? 普段より少しだけ素直になれたりするのかな。
 なかなか口にはできないけれど、いつだって想ってる。愛してる――
 そんな想いを通わせながら踊っているように見えた。
 曲が終わるとパートナーが替わる。湊先生の次なるパートナーは静さん。
 こちらは、「ティファニーで朝食を」という映画に使われていた曲、「ムーンリバー」に合わせてのダンスだった。
 ずっとインストだと思っていたけれど、本当はインストではなく歌だったみたい。
 初めて目にした歌詞には「愛」という言葉は使われていない。人生を共に歩むという内容でもない。けれど、たどりつくところは同じ。そんな歌。
 きっと、湊先生と静さんらしいスタンスでこれからの人生を歩むのだろう。
 結婚して何が変わるわけでもない、と最後の最後まで湊先生が主張しているかと思うと少しおかしい。
 ふたりは、ゆったりとしたワルツをとても息の合った調子で踊る。
 夢のような光景を見ていたら、できる気がした。気持ちを、切り替えられる気がした。

 ダンスが終わると、湊先生はウェディングブーケを持って園田さんのもとへと歩み寄る。
「これは陽子に」
「え……?」
「次は陽子の番でしょ」
 半ば押し付けるようにブーケを渡すと、園田さんは頬を少し赤らめ、はにかみ笑顔で澤村さんを見た。澤村さんはとても優しい表情で園田さんを見つめ返す。
 ふたりの雰囲気は普段ホテルで見かけるものとは違った。もしかしたら、園田さんと澤村さんは結婚するのかもしれない。そんな空気。
「湊、ありがとう……。それから、本当におめでとう」
 園田さんと湊先生が抱擁を交わすところだってカメラ班は逃さない。パシャリと撮っては壁際へ下がる。
 集合写真を撮ったあと、綾女さんからカメラを返された。けれど写真どころではなく、カメラは今も椅子の下。カゴの中に入ったまま電源も入れず、レンズカバーすら外していない。
 天井からは赤と白を基調とした、ハニカムペーパーで作られた大きさ様々な球体が吊るされていてとてもかわいい。建物の入り口には大きなクリスマスツリーもあった。
 でも、不思議と撮りたいという気持ちは生まれない。そう思う余裕がないのか、未だ混乱の中にいるのか……。
「翠葉、大丈夫か?」
 蒼兄が心配そうな顔で私を見ていた。
「うん。大丈夫……」
 口にして思わず苦笑い。
「ごめん……。大丈夫に見えないから訊かれてるんだよね」
 ごまかせないものをごまかせると思うほどバカでもなくなった。
「少し疲れたのかも。……でも、今はがんばる。その代わり、レストランでの夕飯は辞退しようかな」
「そうか……」
 何か言いたそうな蒼兄に、「ごめんね」と心の中で謝る。
 蒼兄は私の心と身体の両方を心配してくれている。わかっていながら、私は片方にしか答えなかった。
「蒼兄、少し休めば大丈夫だから」
 少し時間が経てば気持ちも落ち着くと思うから。
 そんな意味をこめて言うと、「失礼します」とツカサに似た声が割り込んだ。
 気づけば、すぐ近くに涼先生が立っていた。
「体調はいかがですか? 疲れてはいませんか?」
 涼先生は私と目線を合わせるために床に膝をつく。
「昨夜、注射を打っていただいてからはなんとなく楽な気がします」
「そうですか? たった今、あまり大丈夫ではないという会話が聞こえたのですが」
 その顔で無駄に微笑まないでください、とお願いしたくなる。瞳の奥まで見透かすような目もツカサと同じ。
 この目にはその場凌ぎの嘘は通用しない。それなら、正直に話したほうがいい。
 ただ……たった今、蒼兄に答えたこととは正反対のことを口にするのが憚られる。重い気持ちを引き摺りつつ、
「……体調、というよりも気持ち的なものです。だから、大丈夫です」
 言った直後、ごめんなさいの視線を蒼兄に送ると、肩を竦めて苦笑を返された。
「それは義父のことでしょうか?」
「ギフ」を「義父」に変換するのに少し時間がかかった。
「義父とは、陶芸作家朗元のことです」
 補足され、目を逸らした時点で肯定したも同然。勝ち負けを争っていたわけではないけれど、なんとなく負けた気分。
「私からお教えすることもできたのですが……」
 その言葉に視線を戻す。
「義父が話すタイミングを計っているようでしたので……。驚かせてしまって申し訳ございません」
「朗元さんが……?」
 タイミングを計っていた……?
「えぇ。義父も黙っているつもりはなかったようです」
「……実は、さっき朗元さんに謝られてしまいまいました。驚かせてすまないって……」
「そうでしたか」
「はい」
 私と涼先生の周りだけ、場にそぐわない空気が漂う。ここだけ切り取ったみたいにほかの音が聞こえなくなった。
「御園生さんは義父を責めておいでですか?」
 考えをまとめながらゆっくりと息を吐き出す。
「朗元さんと藤宮の会長が同一人物だったことには驚きました。でも、そのことを自分が知らなかったからといって、誰かを責めることはできません」
 もし、私が朗元さんを責めることができるとしたら、私の気持ちを試したことだけ。……ツカサを試したことは、私が勝手に怒っているだけだから責められることではない。
「安心しました」
「え……?」
「もし、この件で御園生さんが悲しい思いをすることがあれば、秋斗と司が黙ってはいないでしょうからね」
 クスリと笑って恐ろしいことを口にする。
「あのっ……私、今はちょっと混乱しているけれど、でも――救われたんです……。朗元さんに会って、話を聞いてもらって……。だから、悲しくはないです」
 忘れてはいけない。私は二度も朗元さんに救われた。
 デパートで会ったときも白野のパレスでも、私は朗元さんに話を聞いてもらって救われた。今はただ――
「少し、混乱しているだけなので……」
「そうですか……。もし、考えに行き詰まることがありましたらいつでもいらしてください。私のところへでも真白さんのところへでも」
 そう言って、涼先生は真白さんのもとへと戻っていった。

 披露宴とは言うものの、まったくもってそんな雰囲気ではない。
 挙式はそれなりの形式に則ってやったのだろう。けれど、披露宴は私が思い描いていたものとはずいぶん異なる。
 最初の涼先生と湊先生のダンスはラストダンスというらしい。そのあとの新郎とのダンスがファーストダンス。欧米では、披露宴の始めにこういったダンスがあるのが一般的とのこと。
 ブーケトスをしなかった理由は、園田さんの結婚が決まっていたからか、ゲストの中に未婚女性が私と園田さんしかいなかったからだろう。
 そのほか、主役が高砂に座るでもなければ司会もいない。ケーキカットやキャンドルサービスがあるでもない。当然、お父さんやお母さんへ向けて手紙を読むシーンもなく、主賓の祝辞も友人のスピーチも何もなかった。唯兄曰く、「型破りすぎる披露宴」。
 昨夜の晩餐会のように運ばれてきた料理を歓談しながら美味しくいただく。それだけ。
 何か違うことがあるとすれば、まだ明るい時間であることとみんなが昨日よりも数段ドレスアップしていることくらい。
 一通り料理を食べ終わると大きなケーキが運ばれてきた。
 けれど、それにはたくさんのロウソクが立てられていて、火が灯されている。つまり、ケーキカットのために用意されたものではなく、湊先生の誕生日のために用意されたケーキだということ。
 考えてみれば、乾杯の音頭も「ハッピーバースデー」だった。
「らしいっちゃらしいけどね」
 くく、と唯兄が笑う。
 私と蒼兄が唯兄を見ると、
「だってさ、湊さんって結婚式とかまともに祝われるの嫌がりそうじゃん。恥ずかしくて死ねるとか言いそう」
「でも、自分の誕生日なら普通に祝われるってこと?」
 蒼兄の言葉に唯兄が大きく頷いた。
「普通に考えてみてよ。オーナーの結婚式ならもっと大々的にやってもおかしくないじゃん。それをこんな内々で済まそうってところに作為性を感じるよね」
 言いながらグラスを空けた唯兄に影が落ちる。
「あんた、ほんっとにいい勘してるわね? 大当たりよ。そんなあんたにはバースデーソングを歌わせてあげるわ」
 湊先生はにこりと笑って唯兄の膝の上にマイクを落とした。
 思わぬところで唯兄の歌を聴くこととなる。聞き慣れた声に音程とリズムがつくだけで同一人物の声とは思えないほど。
 美声――なんて思っていられたのは束の間。急に一オクターブ上げ裏声で歌い始めた。
 音程を外さないボーイソプラノのような声に、その場の人は様々な反応を示す。
 私と蒼兄は絶句した。お母さんは口に手を当てて目を白黒とさせ、お父さんはしばらくしてから拍手を始めた。
 この場には藤宮警備の社長さんもいるのに、そういったことはまったく気にしていないみたい。
「ひょっとして、唯酔ってる?」
 私たち家族が気づいたのは、唯兄の目がとろんとして、軟体動物のような動きをするようになってからだった。

 唯兄はお父さんと蒼兄に抱えられてゲストルームに帰還。
 泥酔した唯兄をロフトへ上げるのは危ないから、と唯兄は一階のベッドに寝かされた。
「無邪気な顔して寝てるわね」
 お母さんが唯兄の額にかかる髪をかき上げる。と、つるっとしたキレイなおでこが露になった。
「口元しまりないし……」
 蒼兄が軽く頬を引張る。
「なんか……こぉ……叩きたくなるおでこだな?」
 言いながらお父さんがペシッと叩いたけれど起きる気配はない。
 初めて見たときにも中性的な顔立ちとは思ったけれど、
「女の子みたい」
 おでこもほっぺも、羨ましくなるほどのマシュマロ肌。あどけない寝顔はお姉さん――芹香さんを思い出す。
 言われるまで気づかなかったけれど、唯兄とお姉さんは本当によく似ているのだ。違うのは髪の毛の長さだけ、と言いきれるほどに。
 お父さんじゃないけど、触りたい心を触発されて人差し指で頬をつついてみる。と、急に「もぉ飲めませぇんっ」と喚いた。
「や、もう飲ませないから安心して休みなさいって」
 苦笑しながら真面目に答える蒼兄がおかしい。
「でも、アレね? 酔った唯は零にちょっと似てるわ」
 お母さんの言葉に蒼兄と頷く。
「えぇ!? 俺ってこんな?」
 お父さんは不服そうな声を挙げたけれど、すぐに口元を緩ませ、
「ま、こんなかわいく見えるならいっかぁ」
「いや、唯より父さんのほうが性質悪いだろ?」
「えっ!?」
 慌てるお父さんに、
「「だって、翠葉に絡むでしょ?」」
 お母さんと蒼兄が声を揃えた。
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