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第十四章 三叉路
40話
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本社の方との挨拶が終わると、藤守さんはすぐに秋斗さんの家をあとにした。
また、秋斗さんとふたりだけの空間になる。
人がひとりいなくなっただけ。さっきと同じ状態に戻っただけなのに、私はひどく緊張していた。
緊張からか喉がひどく渇いた気がして、冷めてしまったハーブティーに手を伸ばし一口含む。
爽やかなミントティーが口に広がると、清涼感によって緊張を助長されてしまった気がした。
聞こえるはずがない。部屋に響くわけがない。
心臓の音が聞こえるほど秋斗さんの近くにいるわけでもない。
わかっていても心臓の鼓動がとても大きく感じられて、秋斗さんに聞こえてしまうのではないかと不安に思う。
すると、斜め上から声が降ってきた。
秋斗さんの優しい声が、「翠葉ちゃん」と私の名前を呼ぶ。
「少しずつ……少しずつ進もうよ」
少し、ずつ……?
「今ここで一気に全部話さなくていいと思う」
顔を上げると、秋斗さんの褐色の瞳に自分が映っていた。
「さっき話したのは抱えている悩みの一部だよね。きっと、片鱗みたいなもの。でも、それは小さく見えても俺と翠葉ちゃんにとっては小さくないし、とても重いものだよね? ……気持ちはさ、大切なものほどすぐには片付けられないと思うんだ。だから、今日はここまで」
諭すような話し方だったけれど、表情は違う。
まるで私の承諾を待っているように思えた。
「覚えていてくれる?」
何を……?
「君が自分を責めるのと同じように、自分の過去の行動を責めている人間がここにもいることを。君が自分を責めることを俺はつらいと思うし、俺が自分を責めることで君がつらくなる。……俺も忘れないから」
私が私を責めると秋斗さんがつらくなり、秋斗さんが秋斗さんを責めると私がつらくなる――
言葉にしてもらったらとてもわかりやすかった。
関係性がわかったところで問題が解決するわけではないけれど、モヤモヤしていたものが少しだけクリアになった気がする。
でも、一筋縄ではいかない理由がふたりともにある。
秋斗さんも私も、楽になりたいとは思っているのに許されることは望んでいない。
本当にどうしたらいいのかな……。
さっき秋斗さんが口にした言葉。
――「傷つけたことを忘れないように、心に刻み付けてずっと持ち続けることだと思う」。
パズルのピースが当てはまるみたいにピタリと心におさまった。
その気持ちを持ち続けることと、自分を責め続けることは違うのかな。
もし違うなら、何が違うのか……。
「翠葉ちゃんの家はそろそろご飯の時間じゃない?」
それは「おしまい」を促す言葉。
「秋斗さん、このあとご予定ありますか?」
「え? とくには何もないけど……」
「夕飯は?」
「あー……コンシェルジュにオーダーしようかな」
とくには何も考えていない、そんな感じの話しぶり。
「あの、お母さんが秋斗さんに予定がないのなら一緒にご飯を食べましょうって」
一気に話すと、秋斗さんはとても驚いた顔をした。
「碧さんが……?」
「はい」
秋斗さんは右手で額を押さえる。
「秋斗さん……?」
心配になって声をかけると、秋斗さんは手を滑らせ柔らかそうな髪をかき上げた。
明るい瞳は焦点を定めず宙を彷徨う。
その様は、戸惑っているように見える。
秋斗さんは近くの壁にもたれかかりうな垂れた。
「俺さ、色々あってから零樹さんには会いに行ってるんだけど、碧さんにはまだ会ってないんだよね」
言ったあと、追加でひとり言のようにポロポロと零す。
「……俺、人選間違えた? 零樹さんに会いに行けば絶対に責めてもらえると思っていたけど始終あんな調子だし――碧さんに会いに行ってれば責めてもらえたのか? あれ? それって今も有効? いや、それで娘に近づくなって言われたらどうすればいいんだ?」
自問自答を繰り返す秋斗さんに、
「秋斗さん、それは無効だと思います」
「え? 俺、声に出してたっ!?」
「はい、しっかりと……」
秋斗さんは口元を押さえ、壁に背を預けたままずるずるとしゃがみこむ。
「緊張……してるんですか?」
「そりゃ、しないほうがおかしいでしょ?」
少し考え納得する。でも――
私は秋斗さんに近づき、秋斗さんの正面に正座した。
「秋斗さん、大丈夫です。お母さんは秋斗さんのことを責めてはくれないと思うけど、私に近づくなとも言わないと思うので。だから、大丈夫です」
何がだめで何が大丈夫なのか、とても不明瞭な主張だったと思う。
それでも、あのあと私たちは一緒に九階へ下り、同じテーブルで夕飯を食べた。
私はルームウェアに着替えるためひとり遅れてテーブルに着いたのだけれど、ほんの数分の間に何があったのか、リビングでは唯兄とお母さんが笑っていて蒼兄は苦笑い。秋斗さんは脱力し、呆気に取られたような体だった。
一度キャンセルした藤山散策は日曜日に再設定され、私は朝からそわそわしながら過ごしていた。
あまりにも落ち着きがなかったからか、蒼兄にソファに座るよう促される。
「司と紅葉を見に行くんだろ?」
「うん……」
「なんでそんなに困った顔?」
「……だって、気まずいんだもの」
「気まずいだけ? 司と一緒に紅葉見れるの、嬉しくない?」
「……紅葉を見るのは楽しみ。ずっと藤山の紅葉を見に行きたいと思っていたから。でも……」
「でも?」
「……ツカサと何を話したらいいのかわからない」
「……そっか。でも、会ってみたら意外と普通に話せるものかもよ? この間だって秋斗先輩と普通に話せたんだろ?」
「うん……」
そう言われてみればそうだ……。
秋斗さんと話すまでもこんな気持ちだった。
けれど、会ってみたら意外と普通に話せて、最後には笑って一緒に夕飯を食べることができた。
もしかしたらツカサとも普通に話せるかもしれない。
「リィ、そんなに気まずいならカメラ持ってっちゃいなよ」
「え……?」
「会話に困ってすることもなかったらもっと困るよ? それならカメラ持ってっちゃいな。写真撮ってるときだけは気にしないでいられるでしょ?」
「……それはどうかな? 写真撮りたいって言い出せるかもわからないもの」
「えええっ!? そんなに話せてない感じなのっ!?」
私は深刻さを伝えるために慎重に頷き、唯兄に勧められるままにカメラを持って家を出た。
家から大学までは蒼兄が一緒。
駐車場から大学へ抜け、ツカサと待ち合わせしている私道入り口まで蒼兄はついてきてくれた。
待ち合わせの場所を遠目に確認できるところまで来ると、すでにツカサが到着していることに気づく。けれど、ツカサは私たちに気づいていなかった。
それは数メートルという距離になっても変わらず、遠くを見ていたツカサはため息をついて足元に視線を落とす。
「何? ため息なんかついて。遅刻、はしてないよな?」
蒼兄が腕時計を確認するも、時計はまだ一時を指してはいない。
「あぁ、少し考えごとをしてました。何考えているんだかわかりかねる年寄りが身内にいるもので」
私と蒼兄は意味がわからず顔を見合わせる。そして、
「じゃ、俺は大学にいるから」
隣にいた蒼兄が一歩下がった。
それだけで一気に不安が押し寄せてくる。でも、蒼兄は留まってくれそうにはない。
「何かあれば電話しておいで。俺も私道に入る許可は得ているから」
いつものようにおまじないをしてくれたけど、今日はそれだけでは足りなかった。
少しずつ遠くなる蒼兄の背中を見ていると、
「いい加減進行方向向いたら?」
背後から声をかけられ、慌てて返事をしてツカサのあとを追った。
歩き始めたものの、隣には並べない。
私は一、二歩先を歩くツカサの足元を見ながら無言で歩いていた。
蒼兄、お話できないよ……。何を話したらいいのかわからない。
秋斗さんとはどうして話せたんだろう。
話すことがあったから?
それもあるかもしれない。
でも、違う。あれは秋斗さんの気遣い、優しさだ。
会話が完全に止まってしまわないように、秋斗さんが誘導してくれていた。だから会話が続いていたに過ぎない。
今まで、ツカサと一緒にいるときに何か話さなくちゃ、と思うことはなかった。互いが無言でもあまり気にならなかった。でも今は、靴音しか鳴らないこの空気が凶器のように思える。
一歩一歩歩くたびに身体を切り刻むような、そんな感じ。
ツカサの足が角度を変えたとき、ふと自分の視線も上がる。
すぐそこに庵があった。
けれども、ツカサが歩みを止める気配はない。
「ツカサ、おじいさんにお声かけなくてもいいの?」
「許可ならあらかじめ取ってある。それを誰が自己都合でキャンセルしてくれたんだっけ?」
「ごめん……でも、ちゃんと連絡は入れたよ?」
「別にすっぽかされたとは言ってないけど?」
ようやく見つけた話題もすぐに終わってしまう。
会話が続かない……。
お弁当を食べているときも私とツカサの間に会話はない。
その代わり、周りにいる海斗くんや飛鳥ちゃん、誰かしら話している人がいて、そんな雰囲気にいつも救われていたんだ――
また、秋斗さんとふたりだけの空間になる。
人がひとりいなくなっただけ。さっきと同じ状態に戻っただけなのに、私はひどく緊張していた。
緊張からか喉がひどく渇いた気がして、冷めてしまったハーブティーに手を伸ばし一口含む。
爽やかなミントティーが口に広がると、清涼感によって緊張を助長されてしまった気がした。
聞こえるはずがない。部屋に響くわけがない。
心臓の音が聞こえるほど秋斗さんの近くにいるわけでもない。
わかっていても心臓の鼓動がとても大きく感じられて、秋斗さんに聞こえてしまうのではないかと不安に思う。
すると、斜め上から声が降ってきた。
秋斗さんの優しい声が、「翠葉ちゃん」と私の名前を呼ぶ。
「少しずつ……少しずつ進もうよ」
少し、ずつ……?
「今ここで一気に全部話さなくていいと思う」
顔を上げると、秋斗さんの褐色の瞳に自分が映っていた。
「さっき話したのは抱えている悩みの一部だよね。きっと、片鱗みたいなもの。でも、それは小さく見えても俺と翠葉ちゃんにとっては小さくないし、とても重いものだよね? ……気持ちはさ、大切なものほどすぐには片付けられないと思うんだ。だから、今日はここまで」
諭すような話し方だったけれど、表情は違う。
まるで私の承諾を待っているように思えた。
「覚えていてくれる?」
何を……?
「君が自分を責めるのと同じように、自分の過去の行動を責めている人間がここにもいることを。君が自分を責めることを俺はつらいと思うし、俺が自分を責めることで君がつらくなる。……俺も忘れないから」
私が私を責めると秋斗さんがつらくなり、秋斗さんが秋斗さんを責めると私がつらくなる――
言葉にしてもらったらとてもわかりやすかった。
関係性がわかったところで問題が解決するわけではないけれど、モヤモヤしていたものが少しだけクリアになった気がする。
でも、一筋縄ではいかない理由がふたりともにある。
秋斗さんも私も、楽になりたいとは思っているのに許されることは望んでいない。
本当にどうしたらいいのかな……。
さっき秋斗さんが口にした言葉。
――「傷つけたことを忘れないように、心に刻み付けてずっと持ち続けることだと思う」。
パズルのピースが当てはまるみたいにピタリと心におさまった。
その気持ちを持ち続けることと、自分を責め続けることは違うのかな。
もし違うなら、何が違うのか……。
「翠葉ちゃんの家はそろそろご飯の時間じゃない?」
それは「おしまい」を促す言葉。
「秋斗さん、このあとご予定ありますか?」
「え? とくには何もないけど……」
「夕飯は?」
「あー……コンシェルジュにオーダーしようかな」
とくには何も考えていない、そんな感じの話しぶり。
「あの、お母さんが秋斗さんに予定がないのなら一緒にご飯を食べましょうって」
一気に話すと、秋斗さんはとても驚いた顔をした。
「碧さんが……?」
「はい」
秋斗さんは右手で額を押さえる。
「秋斗さん……?」
心配になって声をかけると、秋斗さんは手を滑らせ柔らかそうな髪をかき上げた。
明るい瞳は焦点を定めず宙を彷徨う。
その様は、戸惑っているように見える。
秋斗さんは近くの壁にもたれかかりうな垂れた。
「俺さ、色々あってから零樹さんには会いに行ってるんだけど、碧さんにはまだ会ってないんだよね」
言ったあと、追加でひとり言のようにポロポロと零す。
「……俺、人選間違えた? 零樹さんに会いに行けば絶対に責めてもらえると思っていたけど始終あんな調子だし――碧さんに会いに行ってれば責めてもらえたのか? あれ? それって今も有効? いや、それで娘に近づくなって言われたらどうすればいいんだ?」
自問自答を繰り返す秋斗さんに、
「秋斗さん、それは無効だと思います」
「え? 俺、声に出してたっ!?」
「はい、しっかりと……」
秋斗さんは口元を押さえ、壁に背を預けたままずるずるとしゃがみこむ。
「緊張……してるんですか?」
「そりゃ、しないほうがおかしいでしょ?」
少し考え納得する。でも――
私は秋斗さんに近づき、秋斗さんの正面に正座した。
「秋斗さん、大丈夫です。お母さんは秋斗さんのことを責めてはくれないと思うけど、私に近づくなとも言わないと思うので。だから、大丈夫です」
何がだめで何が大丈夫なのか、とても不明瞭な主張だったと思う。
それでも、あのあと私たちは一緒に九階へ下り、同じテーブルで夕飯を食べた。
私はルームウェアに着替えるためひとり遅れてテーブルに着いたのだけれど、ほんの数分の間に何があったのか、リビングでは唯兄とお母さんが笑っていて蒼兄は苦笑い。秋斗さんは脱力し、呆気に取られたような体だった。
一度キャンセルした藤山散策は日曜日に再設定され、私は朝からそわそわしながら過ごしていた。
あまりにも落ち着きがなかったからか、蒼兄にソファに座るよう促される。
「司と紅葉を見に行くんだろ?」
「うん……」
「なんでそんなに困った顔?」
「……だって、気まずいんだもの」
「気まずいだけ? 司と一緒に紅葉見れるの、嬉しくない?」
「……紅葉を見るのは楽しみ。ずっと藤山の紅葉を見に行きたいと思っていたから。でも……」
「でも?」
「……ツカサと何を話したらいいのかわからない」
「……そっか。でも、会ってみたら意外と普通に話せるものかもよ? この間だって秋斗先輩と普通に話せたんだろ?」
「うん……」
そう言われてみればそうだ……。
秋斗さんと話すまでもこんな気持ちだった。
けれど、会ってみたら意外と普通に話せて、最後には笑って一緒に夕飯を食べることができた。
もしかしたらツカサとも普通に話せるかもしれない。
「リィ、そんなに気まずいならカメラ持ってっちゃいなよ」
「え……?」
「会話に困ってすることもなかったらもっと困るよ? それならカメラ持ってっちゃいな。写真撮ってるときだけは気にしないでいられるでしょ?」
「……それはどうかな? 写真撮りたいって言い出せるかもわからないもの」
「えええっ!? そんなに話せてない感じなのっ!?」
私は深刻さを伝えるために慎重に頷き、唯兄に勧められるままにカメラを持って家を出た。
家から大学までは蒼兄が一緒。
駐車場から大学へ抜け、ツカサと待ち合わせしている私道入り口まで蒼兄はついてきてくれた。
待ち合わせの場所を遠目に確認できるところまで来ると、すでにツカサが到着していることに気づく。けれど、ツカサは私たちに気づいていなかった。
それは数メートルという距離になっても変わらず、遠くを見ていたツカサはため息をついて足元に視線を落とす。
「何? ため息なんかついて。遅刻、はしてないよな?」
蒼兄が腕時計を確認するも、時計はまだ一時を指してはいない。
「あぁ、少し考えごとをしてました。何考えているんだかわかりかねる年寄りが身内にいるもので」
私と蒼兄は意味がわからず顔を見合わせる。そして、
「じゃ、俺は大学にいるから」
隣にいた蒼兄が一歩下がった。
それだけで一気に不安が押し寄せてくる。でも、蒼兄は留まってくれそうにはない。
「何かあれば電話しておいで。俺も私道に入る許可は得ているから」
いつものようにおまじないをしてくれたけど、今日はそれだけでは足りなかった。
少しずつ遠くなる蒼兄の背中を見ていると、
「いい加減進行方向向いたら?」
背後から声をかけられ、慌てて返事をしてツカサのあとを追った。
歩き始めたものの、隣には並べない。
私は一、二歩先を歩くツカサの足元を見ながら無言で歩いていた。
蒼兄、お話できないよ……。何を話したらいいのかわからない。
秋斗さんとはどうして話せたんだろう。
話すことがあったから?
それもあるかもしれない。
でも、違う。あれは秋斗さんの気遣い、優しさだ。
会話が完全に止まってしまわないように、秋斗さんが誘導してくれていた。だから会話が続いていたに過ぎない。
今まで、ツカサと一緒にいるときに何か話さなくちゃ、と思うことはなかった。互いが無言でもあまり気にならなかった。でも今は、靴音しか鳴らないこの空気が凶器のように思える。
一歩一歩歩くたびに身体を切り刻むような、そんな感じ。
ツカサの足が角度を変えたとき、ふと自分の視線も上がる。
すぐそこに庵があった。
けれども、ツカサが歩みを止める気配はない。
「ツカサ、おじいさんにお声かけなくてもいいの?」
「許可ならあらかじめ取ってある。それを誰が自己都合でキャンセルしてくれたんだっけ?」
「ごめん……でも、ちゃんと連絡は入れたよ?」
「別にすっぽかされたとは言ってないけど?」
ようやく見つけた話題もすぐに終わってしまう。
会話が続かない……。
お弁当を食べているときも私とツカサの間に会話はない。
その代わり、周りにいる海斗くんや飛鳥ちゃん、誰かしら話している人がいて、そんな雰囲気にいつも救われていたんだ――
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