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第十四章 三叉路
27話
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私は朗元さんの言葉を胸に歩きだす。
大理石の床は一歩踏み出すたびにコツ、と硬質な音を立てた。
フロントを通り過ぎると床はふかふかの絨毯に変わる。
今度は踏み出すたびに沈み込むのを感じながら、足を交互に踏み出した。
気持ち――それは未知の世界だ。
関係をリセットする方法ならあった。
とても手っ取り早い方法をここに来る前、静さんに提示された。
それはいっぺんに何もかもを失う方法だった。
関係を絶つ、という方法はこれ以上にない方法だろう。
でも、私はそれを選ぶことはできなかった。
失いたくなかったから。
海斗くんもツカサも秋斗さんも。湊先生や栞さん、誰も失いたくなかった。
みんなを失わず、みんなと一緒にいられる方法を考えた。
その答えは数式を解くよりも簡単に出てきた。
答えはわかっていても方程式はぼやけたまま。
何から何を引いたら気持ちがリセットできるのかなんてわからない。
でもね、本当はわかっていたの。答えが「ゼロ」になる方法。
方程式の中に「ゼロ」を組み込み掛ければいいだけ。
大丈夫、気持ちはぶれない――
よく耳にするよね。二兎追うもの一兎得ず、って。
私の今の状況はこれに当てはまるのかな、当てはまらないのかな。
だって、ふたりのどちらとも失いたくないんだもの……。
「好き」という気持ちは放棄する。だから……どうか、私からふたりを取り上げないで。
これ以上の欲張りは言わないから――
部屋に戻ると手早く帰り支度を済ませた。
備え付けの電話でフロントへかけると、電話に出た人はすぐ木田さんにつないでくれた。
「藤倉へ帰ろうと思うのですが、特急列車は駅に行ったら普通に切符が買えるものでしょうか」
私は恥ずかしいくらいに何も知らない。
ここに来るとき、切符を買ってくれたのは木田さんだった。
私はホームにある券売機が今まで見たことのある券売機とは違うと思いながら側にいただけ。
もっと言うなら、支倉という駅が藤倉のいくつ先にある駅なのか、何線との乗り換え駅であるのか、そんなことも知らない。
私は幸倉駅から藤倉駅までの駅名しか知らないのだ。
自分の世界の狭さを改めて知って嘆いたところで何が変わることはない。
それなら、これからは知る努力を――
『今からですと、急げば四時十五分の列車に乗れます。その次は四時四十分になります』
「今すぐ出ます。あ……木田さん、表通りに出たらバス停はありますか……?」
駅までは一時間ちょっとかかる。路線バスだともう少しかかってしまうだろうか……。
『駅までは私が送らせていただきます。それから、切符もこちらで手配いたしますのでご安心ください』
「あのっ……送っていただけるのは嬉しいです。でも、切符は自分で買いたくて――」
『かしこまりました。お嬢様、今すぐフロントにお越しいただけますか?』
「はい」
『それではネットでの切符購入の方法と券売機で買う方法の二通りお教えできますね』
木田さんの温和な話し方と声にほっとした。
「ありがとうございます」
『お待ちしております』
電話を切り、忘れ物がないことを確認してから部屋を出た。
フロントでは木田さんが待っていてくれて、仕事で使われているノートパソコンを私側に向けてくれる。
「まずはこちらのサイトにアクセスしていただき会員になります。今日は会員になるところは省き、私の名前でログインしてあります。まず、行き先を確認し、停車駅の確認を済ませてから乗りたい列車にチェックを入れます。そして、予約ボタンをクリック。これで四時十五分発、支倉駅行きの列車を予約できました。あとはこの予約ナンバーを控えておきます」
木田さんはディスプレイに表示された数字の羅列をメモすると私に差し出した。
「あとは駅の券売機での操作になります。では、参りましょうか」
「木田さんっ……木田さんがパレスを離れても大丈夫ですか? お仕事に差し支えありませんか?」
木田さんはにこりと微笑む。
「大丈夫です。今、このパレスには副総支配人がふたりおりますので心配はご無用です」
「重ね重ね、本当にすみません」
「お気になさらず。さぁ、駅へ向かいましょう」
木田さんに促され建物の外に出ると、エンジンがかかった車が待っていた。運転席には従業員であろう人が乗っている。
木田さんは私を後部座席に乗せると昨日と同じように助手席に乗り込んだ。
「車に乗ってしまえばあとは車が運んでくれます。一時間ほどかかりますが――道は混んでないようですね。問題なく予約した列車に乗れます」
木田さんはカーナビの渋滞情報を見ていた。
カーナビの隅には現在の時間と到着時刻と思われる数字が表示されている。
「特急券の購入方法は二通りあります。ひとつは今のインターネットを使う方法、もうひとつは直接駅の券売機や窓口で購入する方法。インターネットで予約をしても、結果的には券売機での操作がありますので、二度手間といったら二度手間なのですが、確実に乗れるか乗れないのかが事前にわかります。一方、券売機や窓口で買う場合は席が埋まっていたら次発か次々発、と席が空いている列車になります。
つまりは先行予約のようなものだろうか。
「ですが、ネット予約したものは発車十五分前までに発券機で発券しなければキャンセル扱いになってしまいます」
私は頭の中のメモ帳にそれらを書きとめた。
パレスの敷地を出ると、車は高速道路とは反対方向へ走り始めた。
記憶が確かであれば、車で来たときは高速道路を下りてから二十分ほどでパレスに着いた。
それを考えると、パレスへのアクセスは車のほうがしやすいのかもしれない。
駅までの道すがら、牧場があった。ほかにも観光地らしく美術館やオルゴール館の看板をいくつも目にした。
コンビニはところどころにあるけれど、日用品や食材を買えるようなスーパーはほとんど見ない。
道を歩く人はおらず、みんながみんな車での移動。
ここは車がないと日常生活が困難そうだ。
窓から見える景色を流し見ていると、いつの間にか交通量が増えていた。
あ……駅前通り?
右側に見える駅は昨夜とは違う様相をしていた。
無駄に広いとは言えない。大きな観光バスが何台も停まっており、一番から三番までの路線バスも出たり入ったりしている。
タクシーも忙しなく出入りしており、一般車レーンにも四台の車が停まっている。
そして、お弁当屋さんやお土産屋さんの前では呼び込みのために人が声を張っていて、とても活気ある駅の顔をしていた。
車が停車すると運転手さんにお礼を言ってから車を降り、木田さんについて広いロータリーを突っ切る。
エスカレーターで改札階へ上がると木田さんは真っ直ぐ券売所へと向かった。
何台かある券売機には人が四、五人ずつ並んでいたけれど、五分と経たないうちに順番が回ってきた。
券売機を前に、木田さんはひとつひとつ丁寧に教えてくれる。
「このパネルの特急券という表示を押します。次はこちらです。私たちは予約をしておりますので、先ほど控えた番号を入力します」
すると特急券が発券された。
「これは特急券のみですので、このあと乗車券を購入します。お金を入れたら支倉駅乗り換えのボタンを押します。そうしましたらパネルに藤倉というボタンが出ますのでそれを押しましょう」
言われるままにタッチパネルを押していくと、乗車券とおつりがでてきた。
そのあと、木田さんは自分用に入場券を購入してホームまで一緒に来てくれた。
約束したとおり、ホームから蒼兄に連絡を入れる。
「蒼兄……?」
『うん、今どこ?』
「今、白野駅。四時十五分発の特急に乗るよ。支倉で乗り換えて藤倉に着くのは六時前くらいかな?」
『支倉まで迎えに行くよ』
「ううん、もう切符も買ったの。だから、藤倉に迎えにきてもらえる?」
『わかった、気をつけてな……。あ、一応支倉に着いたら連絡して?』
「うん、わかった」
電話を切ると木田さんに向き直る。
「本当にお世話になりました」
「いいえ、またいつでもお気軽にお越しください」
「はい。次は逃げる場所としてではなく、ちゃんと目的地として遊びに来ます」
木田さんはにこりと笑う。
「私はパレスがお嬢様の『逃げ場』になれたことを光栄に思っております」
「え……?」
「窮地に立たれたときに思い出していただけることほど嬉しいことはございません」
木田さんの笑顔と言葉は魔法だと思う。
心をあたためてくれたり軽くしてくれたり――大好き。
「また、来ます……」
「はい、お待ちしております」
私は時間どおりに着いた特急列車に乗り、藤倉への帰途についた。
大理石の床は一歩踏み出すたびにコツ、と硬質な音を立てた。
フロントを通り過ぎると床はふかふかの絨毯に変わる。
今度は踏み出すたびに沈み込むのを感じながら、足を交互に踏み出した。
気持ち――それは未知の世界だ。
関係をリセットする方法ならあった。
とても手っ取り早い方法をここに来る前、静さんに提示された。
それはいっぺんに何もかもを失う方法だった。
関係を絶つ、という方法はこれ以上にない方法だろう。
でも、私はそれを選ぶことはできなかった。
失いたくなかったから。
海斗くんもツカサも秋斗さんも。湊先生や栞さん、誰も失いたくなかった。
みんなを失わず、みんなと一緒にいられる方法を考えた。
その答えは数式を解くよりも簡単に出てきた。
答えはわかっていても方程式はぼやけたまま。
何から何を引いたら気持ちがリセットできるのかなんてわからない。
でもね、本当はわかっていたの。答えが「ゼロ」になる方法。
方程式の中に「ゼロ」を組み込み掛ければいいだけ。
大丈夫、気持ちはぶれない――
よく耳にするよね。二兎追うもの一兎得ず、って。
私の今の状況はこれに当てはまるのかな、当てはまらないのかな。
だって、ふたりのどちらとも失いたくないんだもの……。
「好き」という気持ちは放棄する。だから……どうか、私からふたりを取り上げないで。
これ以上の欲張りは言わないから――
部屋に戻ると手早く帰り支度を済ませた。
備え付けの電話でフロントへかけると、電話に出た人はすぐ木田さんにつないでくれた。
「藤倉へ帰ろうと思うのですが、特急列車は駅に行ったら普通に切符が買えるものでしょうか」
私は恥ずかしいくらいに何も知らない。
ここに来るとき、切符を買ってくれたのは木田さんだった。
私はホームにある券売機が今まで見たことのある券売機とは違うと思いながら側にいただけ。
もっと言うなら、支倉という駅が藤倉のいくつ先にある駅なのか、何線との乗り換え駅であるのか、そんなことも知らない。
私は幸倉駅から藤倉駅までの駅名しか知らないのだ。
自分の世界の狭さを改めて知って嘆いたところで何が変わることはない。
それなら、これからは知る努力を――
『今からですと、急げば四時十五分の列車に乗れます。その次は四時四十分になります』
「今すぐ出ます。あ……木田さん、表通りに出たらバス停はありますか……?」
駅までは一時間ちょっとかかる。路線バスだともう少しかかってしまうだろうか……。
『駅までは私が送らせていただきます。それから、切符もこちらで手配いたしますのでご安心ください』
「あのっ……送っていただけるのは嬉しいです。でも、切符は自分で買いたくて――」
『かしこまりました。お嬢様、今すぐフロントにお越しいただけますか?』
「はい」
『それではネットでの切符購入の方法と券売機で買う方法の二通りお教えできますね』
木田さんの温和な話し方と声にほっとした。
「ありがとうございます」
『お待ちしております』
電話を切り、忘れ物がないことを確認してから部屋を出た。
フロントでは木田さんが待っていてくれて、仕事で使われているノートパソコンを私側に向けてくれる。
「まずはこちらのサイトにアクセスしていただき会員になります。今日は会員になるところは省き、私の名前でログインしてあります。まず、行き先を確認し、停車駅の確認を済ませてから乗りたい列車にチェックを入れます。そして、予約ボタンをクリック。これで四時十五分発、支倉駅行きの列車を予約できました。あとはこの予約ナンバーを控えておきます」
木田さんはディスプレイに表示された数字の羅列をメモすると私に差し出した。
「あとは駅の券売機での操作になります。では、参りましょうか」
「木田さんっ……木田さんがパレスを離れても大丈夫ですか? お仕事に差し支えありませんか?」
木田さんはにこりと微笑む。
「大丈夫です。今、このパレスには副総支配人がふたりおりますので心配はご無用です」
「重ね重ね、本当にすみません」
「お気になさらず。さぁ、駅へ向かいましょう」
木田さんに促され建物の外に出ると、エンジンがかかった車が待っていた。運転席には従業員であろう人が乗っている。
木田さんは私を後部座席に乗せると昨日と同じように助手席に乗り込んだ。
「車に乗ってしまえばあとは車が運んでくれます。一時間ほどかかりますが――道は混んでないようですね。問題なく予約した列車に乗れます」
木田さんはカーナビの渋滞情報を見ていた。
カーナビの隅には現在の時間と到着時刻と思われる数字が表示されている。
「特急券の購入方法は二通りあります。ひとつは今のインターネットを使う方法、もうひとつは直接駅の券売機や窓口で購入する方法。インターネットで予約をしても、結果的には券売機での操作がありますので、二度手間といったら二度手間なのですが、確実に乗れるか乗れないのかが事前にわかります。一方、券売機や窓口で買う場合は席が埋まっていたら次発か次々発、と席が空いている列車になります。
つまりは先行予約のようなものだろうか。
「ですが、ネット予約したものは発車十五分前までに発券機で発券しなければキャンセル扱いになってしまいます」
私は頭の中のメモ帳にそれらを書きとめた。
パレスの敷地を出ると、車は高速道路とは反対方向へ走り始めた。
記憶が確かであれば、車で来たときは高速道路を下りてから二十分ほどでパレスに着いた。
それを考えると、パレスへのアクセスは車のほうがしやすいのかもしれない。
駅までの道すがら、牧場があった。ほかにも観光地らしく美術館やオルゴール館の看板をいくつも目にした。
コンビニはところどころにあるけれど、日用品や食材を買えるようなスーパーはほとんど見ない。
道を歩く人はおらず、みんながみんな車での移動。
ここは車がないと日常生活が困難そうだ。
窓から見える景色を流し見ていると、いつの間にか交通量が増えていた。
あ……駅前通り?
右側に見える駅は昨夜とは違う様相をしていた。
無駄に広いとは言えない。大きな観光バスが何台も停まっており、一番から三番までの路線バスも出たり入ったりしている。
タクシーも忙しなく出入りしており、一般車レーンにも四台の車が停まっている。
そして、お弁当屋さんやお土産屋さんの前では呼び込みのために人が声を張っていて、とても活気ある駅の顔をしていた。
車が停車すると運転手さんにお礼を言ってから車を降り、木田さんについて広いロータリーを突っ切る。
エスカレーターで改札階へ上がると木田さんは真っ直ぐ券売所へと向かった。
何台かある券売機には人が四、五人ずつ並んでいたけれど、五分と経たないうちに順番が回ってきた。
券売機を前に、木田さんはひとつひとつ丁寧に教えてくれる。
「このパネルの特急券という表示を押します。次はこちらです。私たちは予約をしておりますので、先ほど控えた番号を入力します」
すると特急券が発券された。
「これは特急券のみですので、このあと乗車券を購入します。お金を入れたら支倉駅乗り換えのボタンを押します。そうしましたらパネルに藤倉というボタンが出ますのでそれを押しましょう」
言われるままにタッチパネルを押していくと、乗車券とおつりがでてきた。
そのあと、木田さんは自分用に入場券を購入してホームまで一緒に来てくれた。
約束したとおり、ホームから蒼兄に連絡を入れる。
「蒼兄……?」
『うん、今どこ?』
「今、白野駅。四時十五分発の特急に乗るよ。支倉で乗り換えて藤倉に着くのは六時前くらいかな?」
『支倉まで迎えに行くよ』
「ううん、もう切符も買ったの。だから、藤倉に迎えにきてもらえる?」
『わかった、気をつけてな……。あ、一応支倉に着いたら連絡して?』
「うん、わかった」
電話を切ると木田さんに向き直る。
「本当にお世話になりました」
「いいえ、またいつでもお気軽にお越しください」
「はい。次は逃げる場所としてではなく、ちゃんと目的地として遊びに来ます」
木田さんはにこりと笑う。
「私はパレスがお嬢様の『逃げ場』になれたことを光栄に思っております」
「え……?」
「窮地に立たれたときに思い出していただけることほど嬉しいことはございません」
木田さんの笑顔と言葉は魔法だと思う。
心をあたためてくれたり軽くしてくれたり――大好き。
「また、来ます……」
「はい、お待ちしております」
私は時間どおりに着いた特急列車に乗り、藤倉への帰途についた。
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