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第十四章 三叉路
26話
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「さっきの話の続きじゃが――」
「あのっ」
人の話を遮るのは好きじゃない。
咄嗟に声を発してしまったのは怖かったから。
今、朗元さんが話してくれようとしていることは、私がとても知りたいことだ。
でも、それが人の一意見だとしても聞くのが怖い。
聞いたところでその考えを受け入れられるかもわからない。
――違う。本当は、それを聞いて気持ちがぶれるのが怖いだけ。
もし、少しでも自分を正当化されるようなことを言われたら、その甘い言葉に流されてしまいそうだから。
私は大まかに概要を説明しようと試みた。
「高校生になってからふたりの人に出逢いました。最初に惹かれたのは一学年上の先輩かもしれません。でも、私が初めて『好き』と認識したのは九歳年上の人でした。その人も私のことを好きと言ってくれたけど、そのときは幸せを手に入れるのが怖くて、その手を取ることができませんでした。……それが、朗元さんに初めてお会いしたときに相談した内容です」
「ふむ」
「私はその人の手を取ることはなかったけど、その人はとても優しくて、とても大人で、私の気持ちを汲んでくれました」
「それは付き合うには至らなかったということじゃろうか?」
「はい。……最初はお断わりしました」
「最初は……? それはどうしてかの?」
朗元さんは詳しく話すように、と合いの手を入れてくる。
私は少し考え、結局は自分も簡単に話すことなどできないことに気づいた。
「詳しく話すと、本当に長くなってしまうのですが……」
「かまわぬ。むしろ、状況をわからずしてわしの主観は述べられん。時間は気にするでない」
朗元さんは、「続きを」と先を促した。
「その人は大きな会社の重役に就くことを約束されている人でした。私はそういうことにとても疎くて、ある人が教えてくれたんです。その人とお付き合いする資格が私にはないことを。健康体で元気な赤ちゃんを産める人じゃないとだめだって」
「それを真に受けたのかえ?」
「真に受けたというよりは、納得してしまったんです」
「納得?」
「はい。私はそれまで誰かを好きになったこともなければ、誰かとお付き合いをしたこともありません。私の中では付き合うことと結婚をイコールで考えることはできなかったんです。でも、その人は付き合うことのその先に結婚を考えてくださっていて……。私はそこまで思考も心も追いつかなかったんです。それに加え、元気な赤ちゃんを産めるかなんて、本当に未知の域で……。私には持病がありますし、子どもを産むこと以前に、自分の身体で手一杯な状態です。――結婚は、互いの人生を背負うものだと思うから、私には無理だなって思ってしまったんです」
「それが断わった理由かの?」
「はい」
「じゃが、『最初は』ということは、そのあとがあるんじゃな?」
「はい。その人はそのあとも気持ちを伝え続けてくれました。どんな私でもいいと言って……。とても嬉しかったです。だからお付き合いすることにしました。でも――やっぱりだめだったんです」
「どうしてかの?」
「朗元さん、笑わないでくださいね?」
私はほんの少し笑みを添える。
「もちろんじゃ」
「すごく好きな人なのに、怖くなっちゃったんです」
朗元さんはとても不思議そうな顔をした。
「手をつなぐ、抱きしめられる、キスをする……」
口にするだけでも恥ずかしい。
「最初は驚いたりびっくりするだけだったんですけど、どうしてか、途中から全部が怖くなってしまって……」
「……『性』に関するものかの?」
「はい。……もし、私がその人と同じ年だったら受け入れられるものだったのでしょうか……」
「それは難しいのぉ……。人はそれぞれじゃからの。しかし、その輩はそんなにしつこく迫ったのかの?」
「いえ、そんなことはないと思います。ただ、私が過剰に反応してしまっただけで……」
キスマークをつけられて擦過傷を起こすなんてそんな人、私以外にはいないのではないだろうか。
好きではない人につけられたのならともかく、好きな人につけられたものだったというのに……。
「その人が年上だからというだけではなく、その人には覚悟があったのだと思います。真剣に、こんな私を結婚相手に考えてくれるくらいには……。だから、身体の関係を持つことにも覚悟があったと思います。それに対して――私は覚悟なんてまったくなかったんです。その時点で全然釣り合ってなかった」
泣きそうになるのを必死で堪える。
唇を噛むと、口の中に血の味が広がった。
「そのころ、私はとても体調が悪くて、学校に通えなくなることが怖くて、私の頭は体調と学校のことでいっぱいでした。それ以外のことを考える余裕がまったくなくなってしまったんです」
だから秋斗さんは――
「その人はそういった私の状況も全部理解したうえで、『付き合う』ということをなかったことにしてくれました」
自分がどれだけ大切に想われていたのかを痛感する。
私はいつだってその優しさに甘えていた。なのに、私はひどいことばかりをしてきた。
「私、体調が悪くなるととても醜くなるんです。見かけも心も……うっかり口にしたことで人を傷つけてしまえるくらいに。だから極力言葉を交わしたくなくて、家族も誰もかれもを遠ざけていました」
朗元さんは私の目を見てじっと話を聞いてくれていた。
まるで教会の牧師様のよう。即ち、私は懺悔室を訪れる訪問者。
そう、これらは懺悔のような告白だった。
ひとつひとつ自分のしてきたことを見つめて言葉にすることで、より深く自分に刻み込む。
「入院する必要があるほど体調が悪くなったとき、家族や先生、色んな人から入院するように説得を受けました。でも、私は入院することも治療することも怖くて、それを拒否し続けました。……実は、一度入院して留年したことがあるんです。だから、余計に入院するのが怖くて……」
説得に来てくれた人みんなに改めて謝りたくなる。そして、誰よりも秋斗さんに謝りたくて仕方がない。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい――
「そのとき、好きな人も説得に来てくれました。でも、私はとてもひどい方法でその人を遠ざけました。その人が好きだと言ってくれた髪の毛を、その人の前で切ったんです。それをあげるからもう来ないでほしいと」
これ以上目を開けていたら涙が零れてしまう。
私は静かに目を閉じた。涙が零れないように、目に蓋をした。
「優しい兄に怒鳴れるほどひどいことをしたと、今ならわかります。でも、そのときはそれが最善の方法だと思っていました」
人を傷つけたくないというのは建前に過ぎず、本当は自分が傷つきたくなくて、自分が楽になるための最善の方法だった。
呼吸が乱れないよう、深く呼吸をして息を整える。
朗元さんは話の腰を折ることなく聞いてくれていた。
そのあとも、私は過去の出来事をひとつひとつトレースし、起こったことすべてを言葉にしていった。
記憶をなくすことになったいきさつも何もかも。
すべてを話し終えたとき、確認のように尋ねられた。
「記憶が戻ったときに好きだった人間が違った……か」
「はい」
「じゃが、今はその先輩とやらと想いが通っておるんじゃろう?」
言われて、胸がぎゅっと締め付けられる気がした。
「でも、付き合っているわけではありません。ただ、互いを好きだと知っただけです」
「今度はその手を取らぬつもりか?」
「はい……」
朗元さんは口髭をいじって唸る。
「お嬢さんは自分に厳しいうえに欲がないのぉ……」
それは違う……。
「朗元さん、違います。私は自分にとても甘いし欲張りです」
「とてもそうは見えぬがの」
私は自分の手に視線を落とした。
「もし、ひとりを選んだらどうなるでしょう」
「ひとりはあぶれるのぉ。三、という数字はそういう宿命じゃ」
「私はそれを受け入れられません。でも、あぶれない方法がひとつありました」
「ほう、どんな方法じゃ?」
「最初から偶数になることを望まなければいい。ただ、それだけです」
「……ふむ。極論じゃが、理論的には成立するのぉ。じゃから誰の手も取らぬ、か」
「はい……。ふたりとも、とても……とても大切な人なんです。恋愛感情でひとりを選んでひとりを失うなんてできないくらいに」
「……お嬢さんは自分の気持ちを殺すつもりかの?」
「いえ、私は選んだだけです。自分の気持ちを殺すとかそういうことではなくて、どちらも手放したくないという選択をしました。これは、何も……誰も失わないための選択です」
今の自分に一番正直な選択。そのはずだった――
すべてを話し終えたとき、時刻は一時を回っていた。
私たちは遅めのランチを一緒に食べ、レストランをあとにした。
フロント脇のロビーに出ると、木田さんが朗元さんに声をかけた。
「お迎えのお車がいらしています」
「ふむ……。お嬢さんはどうするのかの?」
「え……?」
「藤倉へ戻るのなら一緒に戻るかの?」
「……いえ。私は電車で帰ります。そしたら、家出ではなく旅行になるらしいので」
にこりと笑って見せると、朗元さんもにこりと笑った。
「お嬢さん、次に会うたときに教えてくれぬかの」
「何を、ですか?」
「お嬢さんの恋愛感情がどう変化したか、を」
「え……?」
「わしは『好き』という感情が意思でどうこうできるものとは思えんでのぉ……。じゃから、次に会うたときに教えておくれ」
私はその言葉に何も返せないまま、朗元さんの背中を見送った。
「あのっ」
人の話を遮るのは好きじゃない。
咄嗟に声を発してしまったのは怖かったから。
今、朗元さんが話してくれようとしていることは、私がとても知りたいことだ。
でも、それが人の一意見だとしても聞くのが怖い。
聞いたところでその考えを受け入れられるかもわからない。
――違う。本当は、それを聞いて気持ちがぶれるのが怖いだけ。
もし、少しでも自分を正当化されるようなことを言われたら、その甘い言葉に流されてしまいそうだから。
私は大まかに概要を説明しようと試みた。
「高校生になってからふたりの人に出逢いました。最初に惹かれたのは一学年上の先輩かもしれません。でも、私が初めて『好き』と認識したのは九歳年上の人でした。その人も私のことを好きと言ってくれたけど、そのときは幸せを手に入れるのが怖くて、その手を取ることができませんでした。……それが、朗元さんに初めてお会いしたときに相談した内容です」
「ふむ」
「私はその人の手を取ることはなかったけど、その人はとても優しくて、とても大人で、私の気持ちを汲んでくれました」
「それは付き合うには至らなかったということじゃろうか?」
「はい。……最初はお断わりしました」
「最初は……? それはどうしてかの?」
朗元さんは詳しく話すように、と合いの手を入れてくる。
私は少し考え、結局は自分も簡単に話すことなどできないことに気づいた。
「詳しく話すと、本当に長くなってしまうのですが……」
「かまわぬ。むしろ、状況をわからずしてわしの主観は述べられん。時間は気にするでない」
朗元さんは、「続きを」と先を促した。
「その人は大きな会社の重役に就くことを約束されている人でした。私はそういうことにとても疎くて、ある人が教えてくれたんです。その人とお付き合いする資格が私にはないことを。健康体で元気な赤ちゃんを産める人じゃないとだめだって」
「それを真に受けたのかえ?」
「真に受けたというよりは、納得してしまったんです」
「納得?」
「はい。私はそれまで誰かを好きになったこともなければ、誰かとお付き合いをしたこともありません。私の中では付き合うことと結婚をイコールで考えることはできなかったんです。でも、その人は付き合うことのその先に結婚を考えてくださっていて……。私はそこまで思考も心も追いつかなかったんです。それに加え、元気な赤ちゃんを産めるかなんて、本当に未知の域で……。私には持病がありますし、子どもを産むこと以前に、自分の身体で手一杯な状態です。――結婚は、互いの人生を背負うものだと思うから、私には無理だなって思ってしまったんです」
「それが断わった理由かの?」
「はい」
「じゃが、『最初は』ということは、そのあとがあるんじゃな?」
「はい。その人はそのあとも気持ちを伝え続けてくれました。どんな私でもいいと言って……。とても嬉しかったです。だからお付き合いすることにしました。でも――やっぱりだめだったんです」
「どうしてかの?」
「朗元さん、笑わないでくださいね?」
私はほんの少し笑みを添える。
「もちろんじゃ」
「すごく好きな人なのに、怖くなっちゃったんです」
朗元さんはとても不思議そうな顔をした。
「手をつなぐ、抱きしめられる、キスをする……」
口にするだけでも恥ずかしい。
「最初は驚いたりびっくりするだけだったんですけど、どうしてか、途中から全部が怖くなってしまって……」
「……『性』に関するものかの?」
「はい。……もし、私がその人と同じ年だったら受け入れられるものだったのでしょうか……」
「それは難しいのぉ……。人はそれぞれじゃからの。しかし、その輩はそんなにしつこく迫ったのかの?」
「いえ、そんなことはないと思います。ただ、私が過剰に反応してしまっただけで……」
キスマークをつけられて擦過傷を起こすなんてそんな人、私以外にはいないのではないだろうか。
好きではない人につけられたのならともかく、好きな人につけられたものだったというのに……。
「その人が年上だからというだけではなく、その人には覚悟があったのだと思います。真剣に、こんな私を結婚相手に考えてくれるくらいには……。だから、身体の関係を持つことにも覚悟があったと思います。それに対して――私は覚悟なんてまったくなかったんです。その時点で全然釣り合ってなかった」
泣きそうになるのを必死で堪える。
唇を噛むと、口の中に血の味が広がった。
「そのころ、私はとても体調が悪くて、学校に通えなくなることが怖くて、私の頭は体調と学校のことでいっぱいでした。それ以外のことを考える余裕がまったくなくなってしまったんです」
だから秋斗さんは――
「その人はそういった私の状況も全部理解したうえで、『付き合う』ということをなかったことにしてくれました」
自分がどれだけ大切に想われていたのかを痛感する。
私はいつだってその優しさに甘えていた。なのに、私はひどいことばかりをしてきた。
「私、体調が悪くなるととても醜くなるんです。見かけも心も……うっかり口にしたことで人を傷つけてしまえるくらいに。だから極力言葉を交わしたくなくて、家族も誰もかれもを遠ざけていました」
朗元さんは私の目を見てじっと話を聞いてくれていた。
まるで教会の牧師様のよう。即ち、私は懺悔室を訪れる訪問者。
そう、これらは懺悔のような告白だった。
ひとつひとつ自分のしてきたことを見つめて言葉にすることで、より深く自分に刻み込む。
「入院する必要があるほど体調が悪くなったとき、家族や先生、色んな人から入院するように説得を受けました。でも、私は入院することも治療することも怖くて、それを拒否し続けました。……実は、一度入院して留年したことがあるんです。だから、余計に入院するのが怖くて……」
説得に来てくれた人みんなに改めて謝りたくなる。そして、誰よりも秋斗さんに謝りたくて仕方がない。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい――
「そのとき、好きな人も説得に来てくれました。でも、私はとてもひどい方法でその人を遠ざけました。その人が好きだと言ってくれた髪の毛を、その人の前で切ったんです。それをあげるからもう来ないでほしいと」
これ以上目を開けていたら涙が零れてしまう。
私は静かに目を閉じた。涙が零れないように、目に蓋をした。
「優しい兄に怒鳴れるほどひどいことをしたと、今ならわかります。でも、そのときはそれが最善の方法だと思っていました」
人を傷つけたくないというのは建前に過ぎず、本当は自分が傷つきたくなくて、自分が楽になるための最善の方法だった。
呼吸が乱れないよう、深く呼吸をして息を整える。
朗元さんは話の腰を折ることなく聞いてくれていた。
そのあとも、私は過去の出来事をひとつひとつトレースし、起こったことすべてを言葉にしていった。
記憶をなくすことになったいきさつも何もかも。
すべてを話し終えたとき、確認のように尋ねられた。
「記憶が戻ったときに好きだった人間が違った……か」
「はい」
「じゃが、今はその先輩とやらと想いが通っておるんじゃろう?」
言われて、胸がぎゅっと締め付けられる気がした。
「でも、付き合っているわけではありません。ただ、互いを好きだと知っただけです」
「今度はその手を取らぬつもりか?」
「はい……」
朗元さんは口髭をいじって唸る。
「お嬢さんは自分に厳しいうえに欲がないのぉ……」
それは違う……。
「朗元さん、違います。私は自分にとても甘いし欲張りです」
「とてもそうは見えぬがの」
私は自分の手に視線を落とした。
「もし、ひとりを選んだらどうなるでしょう」
「ひとりはあぶれるのぉ。三、という数字はそういう宿命じゃ」
「私はそれを受け入れられません。でも、あぶれない方法がひとつありました」
「ほう、どんな方法じゃ?」
「最初から偶数になることを望まなければいい。ただ、それだけです」
「……ふむ。極論じゃが、理論的には成立するのぉ。じゃから誰の手も取らぬ、か」
「はい……。ふたりとも、とても……とても大切な人なんです。恋愛感情でひとりを選んでひとりを失うなんてできないくらいに」
「……お嬢さんは自分の気持ちを殺すつもりかの?」
「いえ、私は選んだだけです。自分の気持ちを殺すとかそういうことではなくて、どちらも手放したくないという選択をしました。これは、何も……誰も失わないための選択です」
今の自分に一番正直な選択。そのはずだった――
すべてを話し終えたとき、時刻は一時を回っていた。
私たちは遅めのランチを一緒に食べ、レストランをあとにした。
フロント脇のロビーに出ると、木田さんが朗元さんに声をかけた。
「お迎えのお車がいらしています」
「ふむ……。お嬢さんはどうするのかの?」
「え……?」
「藤倉へ戻るのなら一緒に戻るかの?」
「……いえ。私は電車で帰ります。そしたら、家出ではなく旅行になるらしいので」
にこりと笑って見せると、朗元さんもにこりと笑った。
「お嬢さん、次に会うたときに教えてくれぬかの」
「何を、ですか?」
「お嬢さんの恋愛感情がどう変化したか、を」
「え……?」
「わしは『好き』という感情が意思でどうこうできるものとは思えんでのぉ……。じゃから、次に会うたときに教えておくれ」
私はその言葉に何も返せないまま、朗元さんの背中を見送った。
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