834 / 1,060
第十四章 三叉路
19話
しおりを挟む
久遠さんのサイトは、久遠さんが撮った写真やお仕事の近況報告のほかに投稿スペースがある。
そこはコメントと共に自分の写真をアップすることができるわけだけど、それらに返信コメントがつくことはない。それでも、投稿数はかなりの件数があり、久遠さんの写真以外の多数の作品を見ることができる。
私は過去に二回だけ投稿したことがあるのだけど、まさかそのふたつを覚えていてくれるとは思わなかったのだ。
久先輩は言いづらそうに言葉を継ぎ足す。
「『suiha』が投稿してきたものは――ごめん。色々と思うところがあって、コメントも画像もプライベートで保存かけさせてもらった」
「え……?」
「翠葉ちゃんさ、屋久島に行きたいってお父さんかお母さんに言ったことない?」
「あります……」
でも、どうしてそのことを久先輩が知っているの?
「俺の一冊目の写真集が屋久島な理由」
理由……?
「翠葉ちゃんが見たい、行きたいって言ったことがきっかけ。俺はオーナーに依頼されて屋久島に写真を撮りに行った。……つまり、翠葉ちゃんがいなかったら俺はあのタイミングで写真集を出せていたかわからないって話。シリアルナンバー〇四二五は俺の誕生日。翠葉ちゃんが手にした写真集は最初から翠葉ちゃんの手に渡るように手配されていたものなんだ。もっとも、俺の中で〇四二五の『suiha』が翠葉ちゃんとつながったのは高校で会ってしばらくしてからだったけど。オーナーの親友の娘さん――『suiha』は俺にとって特別な存在だったんだ」
そんなこと、知らなかった……。
私はお母さんに「高校の同級生にもらったの」としか聞いていなかったし、誰が自分の願いをかなえるためだけに写真集が作られたなどと思うだろう。
でも、今ならその同級生が静さんであるとわかる。
「私、静さんにお礼言わなくちゃ……」
「「善意だけと受け取らないようにっ」」
右と左、つまりは久先輩と唯兄に声を揃えて言われる。
「クゥ、気が合うね?」
「合いますねぇ~」
「しょせん、リィもクゥもオーナーに仕組まれただけだよ」
言いながら、唯兄はメールの送信を済ませて携帯を手に取った。
「あ、若槻っす。今、メールとデータの送信したんで確認してください。広告用のデザインが上がりしだい部長のチェックを済ませて澤村さんにデータ送信。送信直後に判決電話がくるって話だったんで、あとはそっちでよろしくです。――はーい、失礼しまーす」
唯兄……それでもね、私はあの写真集にとても救われたんだよ。
たくましく空に伸びる枝葉、自身を支えるべく深く太く伸びる根、陽のもとでキラキラ輝く姿や雨を受け止める大地。命あるものを見て、自分もこうありたい、と思えた。
一瞬一瞬に生けるものを切り取ったような写真たちに、いつだって勇気づけられた。
私にとって久遠さんの写真ってそういう存在なの。
だから、やっぱりお礼が言いたい。
「善意だけを見ないように」なんて言われてしまったけど、これは善意以外に何も含まないでしょう?
すべての選考作業が済んだのは七時を回ったころだった。
「リィ、俺、メインコンピューターのチェック行かなくちゃいけないから、俺の部屋で休んでてもらっていい?」
「あ……」
「ちょーっと待って! 姫様のカメラメンテ終わったからスタジオから取ってきます」
あーやさんが走って会議室を出ていった。
「リィ、俺が独断で動いていたことだけど、一緒にあーやに謝ってもらっていい?」
「それはもちろん……」
私たちはスタッフたちに挨拶を済ませ、会議室をあとにした。
「あーやはさ、シゲさん曰くすごく器用なカメラマンで、ほかのカメラマンの癖を掴んで吸収するのが早いんだって。だから、ここ数日はリィの写真を見て、なるべくリィの写真に近い写真が撮れるように研究してくれていたんだ」
嘘……。
「さらには二日間、ブライトネスパレスへ行って、リィ目線の勉強までしてくれた。あーやに提示した条件は、最初の二年はリィにかぶる作品を撮ってリメラルドを演じること。そのあとは自分のスタイルに戻して一年以内に紅林綾女の名前で写真集を出す。そういう条件で了承してもらった」
三年スパンの条件提示をされていたなんて申し訳なくて仕方がない。
「私――リメラルドを降りたほうが良かったのかな……? それは今からでも可能なの? リメラルドを降りても海斗くんたちと友達でいられるの?」
私は海斗くんたちとのつながりを絶たれるのが嫌だったから静さんの庇護下に入ることを選んだ。庇護下に入ることはそのままリメラルドを続けることとイコールになっていた。
だけど、提示されなかっただけで本当はリメラルドのみ降りる選択肢もあったのかな。
あーやさんは私の替えとはいえ、せっかくのチャンスを不意にしたことになるのだろうか。
「姫様っ! はい、カメラちゃんです」
気づくと目の前にあーやさんがいた。
「あーや、ごめんなさい。俺のわがままでピンチヒッターになってもらったのに」
「え? あ、嘘……若ったらそんなこと気にしてたの!? ってか、もしかして姫様もっ!?」
「リィは何も知らなかったんだ」
「そりゃそうでしょ。私に話が来たのも急だったし……。姫様は今日、そんな選択をさせられることすら知らなかったんでしょ?」
私は気まずく思いながら頷いた。
「仕方ないよ。それに、これはもともと私の仕事じゃなくて姫様の仕事だもん」
「でも、そのために私の写真の研究をしたり出張までしてくださったんですよね……?」
あーやさんはにこりと笑った。
「写真はさ、同じ被写体であっても撮り方は三者三様でしょう? だから、どんな写真を見ても勉強になる。それにほかのスタッフも言ってたけど、姫様の写真は視点が斬新で勉強になるんだ。自分の糧になりこそすれ、損はしてないよ。ましてやブライトネスパレスへ行って写真撮ってきたのだって、基本は撮ることが好きだから苦労よりも楽しかったって感じだし。自分だったらこう撮る。でも姫様ならこっちかな? って考えながらアングル変えるのは楽しかった」
邪気のない笑顔に救われる。
「だから気にしないっ!」
「「すみませんでした。それから、ありがとうございます」」
頭を下げ口にした言葉は唯兄と見事に重なった。
「くっ、あははははっ! ふたりとも律儀だねー? ほんっと、気にしなくていっから! 棚ボタチャンスもいいけどさ、やっぱりチャンスは自分の手で掴み取ってこそ、だよね? 実力で実績残していきたいよ」
何も口にできない私と唯兄を見ると、
「あー……んじゃさ」
と代替案を提示してくれた。
「私が個展開いたら絶対に来ること! 写真集を出したら絶対に買うこと! それでチャラ! んじゃね、お疲れ様っ!」
あーやさんは手を振って会議室へと戻っていった。
未来に明確なビジョンを持って行動している人が羨ましい――
パワフルでハキハキと喋り、自分のやりたいことや夢がはっきりしている。自分の力で夢を掴み取ろうとしている人。
私の目にあーやさんはそんなふうに映った。
地下から一階へ上がる道すがら、唯兄に訊かれる。
「三十九階の俺の部屋、行き方覚えてる?」
「あ、唯兄、それなんだけど……」
「ん?」
「私、少し駅の方に行ってきてもいいかな?」
「駅?」
「うん。ハープの弦も買いたいし、行きたい雑貨屋さんがあるの」
唯兄は腕時計を見たあと窓の外に視線を移した。
「もう暗いし時間も時間だから許したくないなぁ……」
「どうしてもだめかな? 楽器店は駅向こうだけど、ここからなら歩いて十五分もかからないし、帰りに雑貨屋さんに寄っても一時間半くらいで戻るから」
「ま、警護班はすでに配置についていることだし……。俺のほうでもGPS起動させるけどいい?」
「ん……」
「じゃ、気をつけて行っておいで」
「ありがとう!」
互いが笑顔になったあと、唯兄が「あ」と小さく声をあげた。
「リィ、マフラーしてないじゃん」
「うん。今日はオフタートルだから……」
「だめだめ。ちゃんと首元はあっためなさい。ほい、俺のスヌード」
唯兄は自分がしていたボルドーのスヌードを私の首にかけてくれた。
「帰ってきたら俺の部屋ね? 仕事が先に終われば俺が駅まで迎えに行くし。……リィ、約束」
唯兄が目の前に右手を差し出し小指を立てる。だから、私も同じように右手を出すと小指を絡められた。
「知らない人にはついていかない。携帯はつながる状態にしておくこと」
「はい」
まるで小さな子が初めてお使いへ行くときのような約束を交わしてホテルを出た。
外の空気は寒いというよりも気持ちがいい。
あたたまりきった頬の温度が少しずつ下がっていくのがわかった。
駅までのメインストリートは様々な明かりが溢れている。
街路樹には青いLEDライトが瞬き、その向こうの車道では赤いテールランプと黄色いハザードランプがチカチカと点滅しては後続車に反射していた。
光で溢れる道を真っ直ぐ進むと駅にたどり着く。
エスカレーターを上がり駅ビルを通過すると左側には券売所があった。けれど、人がたくさんいるにもかかわらず、切符を買うために並ぶ人はほとんどいない。
券売所とは反対側の壁際、つまりはきちんと右側通行をしながら観察していると、見覚えのある手提げ袋が目に入った。
それは薄紫色のしっかりとした手提げ袋で金色のマークが入っている。
私が今までいた場所、ウィステリアホテルのものだ。
なんとなしに持っている人の顔を見ると、知っている顔だった。
「木田さんっ――」
私ははじかれたように足を踏み出した。
けれども行き交う人通りは思うように横断できない。
券売所にたどり着いたときには木田さんの姿はなかった。
私は慌ててお財布を取り出し、五百円玉を券売機に入れ適当なボタンを押した。
切符を手に急いで駅構内に入ったけれど、改札口付近に木田さんの姿は見当たらない。
どこっ――!?
辺りを見回すと、ホームに降りるエレベーターの中に木田さんがいた。私は反射的にエスカレーターへ向かいホームへ降りる。
ホームにはちょうど電車が滑り込んできたところで、人の列がいたるところにできていた。
エスカレーターからエレベーターの場所まで二十メートルほど離れているため、人垣で見通しは利かない。けれど、じっと目を凝らすと、薄紫色の手提げ袋が電車に入るのが見えた。
乗った――
そう確信を持ったとき、私は何を考えることなく電車に飛び乗った。
そこはコメントと共に自分の写真をアップすることができるわけだけど、それらに返信コメントがつくことはない。それでも、投稿数はかなりの件数があり、久遠さんの写真以外の多数の作品を見ることができる。
私は過去に二回だけ投稿したことがあるのだけど、まさかそのふたつを覚えていてくれるとは思わなかったのだ。
久先輩は言いづらそうに言葉を継ぎ足す。
「『suiha』が投稿してきたものは――ごめん。色々と思うところがあって、コメントも画像もプライベートで保存かけさせてもらった」
「え……?」
「翠葉ちゃんさ、屋久島に行きたいってお父さんかお母さんに言ったことない?」
「あります……」
でも、どうしてそのことを久先輩が知っているの?
「俺の一冊目の写真集が屋久島な理由」
理由……?
「翠葉ちゃんが見たい、行きたいって言ったことがきっかけ。俺はオーナーに依頼されて屋久島に写真を撮りに行った。……つまり、翠葉ちゃんがいなかったら俺はあのタイミングで写真集を出せていたかわからないって話。シリアルナンバー〇四二五は俺の誕生日。翠葉ちゃんが手にした写真集は最初から翠葉ちゃんの手に渡るように手配されていたものなんだ。もっとも、俺の中で〇四二五の『suiha』が翠葉ちゃんとつながったのは高校で会ってしばらくしてからだったけど。オーナーの親友の娘さん――『suiha』は俺にとって特別な存在だったんだ」
そんなこと、知らなかった……。
私はお母さんに「高校の同級生にもらったの」としか聞いていなかったし、誰が自分の願いをかなえるためだけに写真集が作られたなどと思うだろう。
でも、今ならその同級生が静さんであるとわかる。
「私、静さんにお礼言わなくちゃ……」
「「善意だけと受け取らないようにっ」」
右と左、つまりは久先輩と唯兄に声を揃えて言われる。
「クゥ、気が合うね?」
「合いますねぇ~」
「しょせん、リィもクゥもオーナーに仕組まれただけだよ」
言いながら、唯兄はメールの送信を済ませて携帯を手に取った。
「あ、若槻っす。今、メールとデータの送信したんで確認してください。広告用のデザインが上がりしだい部長のチェックを済ませて澤村さんにデータ送信。送信直後に判決電話がくるって話だったんで、あとはそっちでよろしくです。――はーい、失礼しまーす」
唯兄……それでもね、私はあの写真集にとても救われたんだよ。
たくましく空に伸びる枝葉、自身を支えるべく深く太く伸びる根、陽のもとでキラキラ輝く姿や雨を受け止める大地。命あるものを見て、自分もこうありたい、と思えた。
一瞬一瞬に生けるものを切り取ったような写真たちに、いつだって勇気づけられた。
私にとって久遠さんの写真ってそういう存在なの。
だから、やっぱりお礼が言いたい。
「善意だけを見ないように」なんて言われてしまったけど、これは善意以外に何も含まないでしょう?
すべての選考作業が済んだのは七時を回ったころだった。
「リィ、俺、メインコンピューターのチェック行かなくちゃいけないから、俺の部屋で休んでてもらっていい?」
「あ……」
「ちょーっと待って! 姫様のカメラメンテ終わったからスタジオから取ってきます」
あーやさんが走って会議室を出ていった。
「リィ、俺が独断で動いていたことだけど、一緒にあーやに謝ってもらっていい?」
「それはもちろん……」
私たちはスタッフたちに挨拶を済ませ、会議室をあとにした。
「あーやはさ、シゲさん曰くすごく器用なカメラマンで、ほかのカメラマンの癖を掴んで吸収するのが早いんだって。だから、ここ数日はリィの写真を見て、なるべくリィの写真に近い写真が撮れるように研究してくれていたんだ」
嘘……。
「さらには二日間、ブライトネスパレスへ行って、リィ目線の勉強までしてくれた。あーやに提示した条件は、最初の二年はリィにかぶる作品を撮ってリメラルドを演じること。そのあとは自分のスタイルに戻して一年以内に紅林綾女の名前で写真集を出す。そういう条件で了承してもらった」
三年スパンの条件提示をされていたなんて申し訳なくて仕方がない。
「私――リメラルドを降りたほうが良かったのかな……? それは今からでも可能なの? リメラルドを降りても海斗くんたちと友達でいられるの?」
私は海斗くんたちとのつながりを絶たれるのが嫌だったから静さんの庇護下に入ることを選んだ。庇護下に入ることはそのままリメラルドを続けることとイコールになっていた。
だけど、提示されなかっただけで本当はリメラルドのみ降りる選択肢もあったのかな。
あーやさんは私の替えとはいえ、せっかくのチャンスを不意にしたことになるのだろうか。
「姫様っ! はい、カメラちゃんです」
気づくと目の前にあーやさんがいた。
「あーや、ごめんなさい。俺のわがままでピンチヒッターになってもらったのに」
「え? あ、嘘……若ったらそんなこと気にしてたの!? ってか、もしかして姫様もっ!?」
「リィは何も知らなかったんだ」
「そりゃそうでしょ。私に話が来たのも急だったし……。姫様は今日、そんな選択をさせられることすら知らなかったんでしょ?」
私は気まずく思いながら頷いた。
「仕方ないよ。それに、これはもともと私の仕事じゃなくて姫様の仕事だもん」
「でも、そのために私の写真の研究をしたり出張までしてくださったんですよね……?」
あーやさんはにこりと笑った。
「写真はさ、同じ被写体であっても撮り方は三者三様でしょう? だから、どんな写真を見ても勉強になる。それにほかのスタッフも言ってたけど、姫様の写真は視点が斬新で勉強になるんだ。自分の糧になりこそすれ、損はしてないよ。ましてやブライトネスパレスへ行って写真撮ってきたのだって、基本は撮ることが好きだから苦労よりも楽しかったって感じだし。自分だったらこう撮る。でも姫様ならこっちかな? って考えながらアングル変えるのは楽しかった」
邪気のない笑顔に救われる。
「だから気にしないっ!」
「「すみませんでした。それから、ありがとうございます」」
頭を下げ口にした言葉は唯兄と見事に重なった。
「くっ、あははははっ! ふたりとも律儀だねー? ほんっと、気にしなくていっから! 棚ボタチャンスもいいけどさ、やっぱりチャンスは自分の手で掴み取ってこそ、だよね? 実力で実績残していきたいよ」
何も口にできない私と唯兄を見ると、
「あー……んじゃさ」
と代替案を提示してくれた。
「私が個展開いたら絶対に来ること! 写真集を出したら絶対に買うこと! それでチャラ! んじゃね、お疲れ様っ!」
あーやさんは手を振って会議室へと戻っていった。
未来に明確なビジョンを持って行動している人が羨ましい――
パワフルでハキハキと喋り、自分のやりたいことや夢がはっきりしている。自分の力で夢を掴み取ろうとしている人。
私の目にあーやさんはそんなふうに映った。
地下から一階へ上がる道すがら、唯兄に訊かれる。
「三十九階の俺の部屋、行き方覚えてる?」
「あ、唯兄、それなんだけど……」
「ん?」
「私、少し駅の方に行ってきてもいいかな?」
「駅?」
「うん。ハープの弦も買いたいし、行きたい雑貨屋さんがあるの」
唯兄は腕時計を見たあと窓の外に視線を移した。
「もう暗いし時間も時間だから許したくないなぁ……」
「どうしてもだめかな? 楽器店は駅向こうだけど、ここからなら歩いて十五分もかからないし、帰りに雑貨屋さんに寄っても一時間半くらいで戻るから」
「ま、警護班はすでに配置についていることだし……。俺のほうでもGPS起動させるけどいい?」
「ん……」
「じゃ、気をつけて行っておいで」
「ありがとう!」
互いが笑顔になったあと、唯兄が「あ」と小さく声をあげた。
「リィ、マフラーしてないじゃん」
「うん。今日はオフタートルだから……」
「だめだめ。ちゃんと首元はあっためなさい。ほい、俺のスヌード」
唯兄は自分がしていたボルドーのスヌードを私の首にかけてくれた。
「帰ってきたら俺の部屋ね? 仕事が先に終われば俺が駅まで迎えに行くし。……リィ、約束」
唯兄が目の前に右手を差し出し小指を立てる。だから、私も同じように右手を出すと小指を絡められた。
「知らない人にはついていかない。携帯はつながる状態にしておくこと」
「はい」
まるで小さな子が初めてお使いへ行くときのような約束を交わしてホテルを出た。
外の空気は寒いというよりも気持ちがいい。
あたたまりきった頬の温度が少しずつ下がっていくのがわかった。
駅までのメインストリートは様々な明かりが溢れている。
街路樹には青いLEDライトが瞬き、その向こうの車道では赤いテールランプと黄色いハザードランプがチカチカと点滅しては後続車に反射していた。
光で溢れる道を真っ直ぐ進むと駅にたどり着く。
エスカレーターを上がり駅ビルを通過すると左側には券売所があった。けれど、人がたくさんいるにもかかわらず、切符を買うために並ぶ人はほとんどいない。
券売所とは反対側の壁際、つまりはきちんと右側通行をしながら観察していると、見覚えのある手提げ袋が目に入った。
それは薄紫色のしっかりとした手提げ袋で金色のマークが入っている。
私が今までいた場所、ウィステリアホテルのものだ。
なんとなしに持っている人の顔を見ると、知っている顔だった。
「木田さんっ――」
私ははじかれたように足を踏み出した。
けれども行き交う人通りは思うように横断できない。
券売所にたどり着いたときには木田さんの姿はなかった。
私は慌ててお財布を取り出し、五百円玉を券売機に入れ適当なボタンを押した。
切符を手に急いで駅構内に入ったけれど、改札口付近に木田さんの姿は見当たらない。
どこっ――!?
辺りを見回すと、ホームに降りるエレベーターの中に木田さんがいた。私は反射的にエスカレーターへ向かいホームへ降りる。
ホームにはちょうど電車が滑り込んできたところで、人の列がいたるところにできていた。
エスカレーターからエレベーターの場所まで二十メートルほど離れているため、人垣で見通しは利かない。けれど、じっと目を凝らすと、薄紫色の手提げ袋が電車に入るのが見えた。
乗った――
そう確信を持ったとき、私は何を考えることなく電車に飛び乗った。
1
お気に入りに追加
351
あなたにおすすめの小説
足りない言葉、あふれる想い〜地味子とエリート営業マンの恋愛リポグラム〜
石河 翠
現代文学
同じ会社に勤める地味子とエリート営業マン。
接点のないはずの二人が、ある出来事をきっかけに一気に近づいて……。両片思いのじれじれ恋物語。
もちろんハッピーエンドです。
リポグラムと呼ばれる特定の文字を入れない手法を用いた、いわゆる文字遊びの作品です。
タイトルのカギカッコ部分が、使用不可の文字です。濁音、半濁音がある場合には、それも使用不可です。
(例;「『とな』ー切れ」の場合には、「と」「ど」「な」が使用不可)
すべての漢字にルビを振っております。本当に特定の文字が使われていないか、探してみてください。
「『あい』を失った女」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/572212123/802162130)内に掲載していた、「『とな』ー切れ」「『めも』を捨てる」「『らり』ーの終わり」に加え、新たに三話を書き下ろし、一つの作品として投稿し直しました。文字遊びがお好きな方、「『あい』を失った女」もぜひどうぞ。
※こちらは、小説家になろうにも投稿しております。
※扉絵は管澤捻様に描いて頂きました。
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
Bグループの少年
櫻井春輝
青春
クラスや校内で目立つグループをA(目立つ)のグループとして、目立たないグループはC(目立たない)とすれば、その中間のグループはB(普通)となる。そんなカテゴリー分けをした少年はAグループの悪友たちにふりまわされた穏やかとは言いにくい中学校生活と違い、高校生活は穏やかに過ごしたいと考え、高校ではB(普通)グループに入り、その中でも特に目立たないよう存在感を薄く生活し、平穏な一年を過ごす。この平穏を逃すものかと誓う少年だが、ある日、特A(特に目立つ)の美少女を助けたことから変化を始める。少年は地味で平穏な生活を守っていけるのか……?
学園のマドンナの渡辺さんが、なぜか毎週予定を聞いてくる
まるせい
青春
高校に入学して暫く経った頃、ナンパされている少女を助けた相川。相手は入学早々に学園のマドンナと呼ばれている渡辺美沙だった。
それ以来、彼女は学校内でも声を掛けてくるようになり、なぜか毎週「週末の御予定は?」と聞いてくるようになる。
ある趣味を持つ相川は週末の度に出掛けるのだが……。
焦れ焦れと距離を詰めようとするヒロインとの青春ラブコメディ。ここに開幕
人生負け組のスローライフ
雪那 由多
青春
バアちゃんが体調を悪くした!
俺は長男だからバアちゃんの面倒みなくては!!
ある日オヤジの叫びと共に突如引越しが決まって隣の家まで車で十分以上、ライフラインはあれどメインは湧水、ぼっとん便所に鍵のない家。
じゃあバアちゃんを頼むなと言って一人単身赴任で東京に帰るオヤジと新しいパート見つけたから実家から通うけど高校受験をすててまで来た俺に高校生なら一人でも大丈夫よね?と言って育児拒否をするオフクロ。
ほぼ病院生活となったバアちゃんが他界してから築百年以上の古民家で一人引きこもる俺の日常。
――――――――――――――――――――――
第12回ドリーム小説大賞 読者賞を頂きました!
皆様の応援ありがとうございます!
――――――――――――――――――――――
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
異世界日帰りごはん【料理で王国の胃袋を掴みます!】
ちっき
ファンタジー
異世界に行った所で政治改革やら出来るわけでもなくチートも俺TUEEEE!も無く暇な時に異世界ぷらぷら遊びに行く日常にちょっとだけ楽しみが増える程度のスパイスを振りかけて。そんな気分でおでかけしてるのに王国でドタパタと、スパイスってそれ何万スコヴィルですか!
フェル 森で助けた女性騎士に一目惚れして、その後イチャイチャしながらずっと一緒に暮らす話
カトウ
ファンタジー
こんな人とずっと一緒にいられたらいいのにな。
チートなんてない。
日本で生きてきたという曖昧な記憶を持って、少年は育った。
自分にも何かすごい力があるんじゃないか。そう思っていたけれど全くパッとしない。
魔法?生活魔法しか使えませんけど。
物作り?こんな田舎で何ができるんだ。
狩り?僕が狙えば獲物が逃げていくよ。
そんな僕も15歳。成人の年になる。
何もない田舎から都会に出て仕事を探そうと考えていた矢先、森で倒れている美しい女性騎士をみつける。
こんな人とずっと一緒にいられたらいいのにな。
女性騎士に一目惚れしてしまった、少し人と変わった考えを方を持つ青年が、いろいろな人と関わりながら、ゆっくりと成長していく物語。
になればいいと思っています。
皆様の感想。いただけたら嬉しいです。
面白い。少しでも思っていただけたらお気に入りに登録をぜひお願いいたします。
よろしくお願いします!
カクヨム様、小説家になろう様にも投稿しております。
続きが気になる!もしそう思っていただけたのならこちらでもお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる