光のもとで1

葉野りるは

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26~41 Side 司 10話

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 翠は歯の根も合わないほどに震えていた。
 何があったっ!?
「御園生さん。これはさ、俺が約束を反故にしたことにはならないと思うんだけど」
 風間の言葉に、翠は震える身体を押さえつつなんとか首を縦に振った。
 約束って、何……。
 見えない話に余計苛立ちが増す。
「藤宮、この震えてるのどうにかできないの? 見てらんないんだけど。……それとも、俺がここにいるからだめなの?」
 そもそも、みんな俺をなんだと思ってる?
 俺は魔法使いでも翠の子守役でもなんでもない。強くも優しくもない単なる男だ。
 嫉妬すらコントロールできない強欲な人間。
「翠、風間に何を頼んだ?」
 翠はそれまで以上に目を見開いた。
 きっと、俺に「約束」のことを問われるとは思っていなかったのだろう。
 なぜ知っているかなんて、そんなの――見てきたからだ。ずっと、翠だけを見てきたから。
 なのに、どうして気づかない?
 何度となくこみ上げてくる感情に、そんな思いはいい加減に捨てろ、ともうひとりの自分が叱咤する。
「知ってたけどさ、おまえやっぱ鬼だろ? こんな震えてる子に何その対応」
「風間は黙ってろ」
 威圧するように睨んで見せたが、風間はそれで黙る男ではなかった。
「やだね。俺が彼女と何を話してたのかなんておまえに関係ねーじゃん」
 風間は翠に向き直ると、
「御園生さん、それこそ言わなくていい。頼まれたことは聞ける状態じゃなくなっちゃったけど、もうひとつの約束はちゃんと守るから安心して? 指きりの効力は消えないから」
 その言葉に翠は再度頷き、俺は「指きり」という言葉に反応する。
 さらに続くふたりのやり取りすら許容できそうにない。
 風間が立ち去り、早くこれらをどうにかしなくては、と思う。
「これら」とは、震えている翠と制御不能に陥った自分の感情のふたつ。
 自分の感情に関しては、翠がいればどうにかできる。
 ただ、翠に触れられればそれでなんとかなる、とそう思っていた。けど――
「……とりあえず、手」
 保険屋らしく手を差し出すものの、その手に翠の手が重ねられることはなかった。
 いつも、求められこそすれ、重ねてもらえなかったことは一度もない。
 心から何かが零れ落ちる瞬間。 
 それは容赦ない痛みを伴うものだった。
「何……俺もだめなわけ?」
 声が震えないように話すのがやっとだ。
 自然とトーンも低くなる。
 翠は何も答えず、震えながらボロボロと涙を零し泣いていた。そして、少しずつ息が上がり始めてもいる。
 このままだと過呼吸になる。
 ――こんな感情、自分の感情くらい自分の力でどうにかしろっ。今は……今は翠の身体が優先だ。
「海斗っ」
 きっと奈落のどこかにいる。
「な、なんでしょう……?」
 声のした方に向かって命令する。
「上のベスト脱げ」
「えっ?」
「早くしろ」
「ハイ」
 海斗のものなら許せる気がした。
 それと、万が一男性恐怖症の気だったとしても、海斗のものなら平気だと思えた。
 投げられたそれを無造作に翠の頭にかける。
 視界を遮ることができればそれで良かった。
 このくらいは許せよ……。
 思いながら、恐る恐る翠の頭に手を乗せる。
 海斗の体温が残るベストの下に、手の平におさまる頭を掴む。
 乗せるというよりは、逃げられないように掴んでいた。
「十数える。それで切り替えろ」
 何を切り替えるかは翠しだいだ。
「最終演目でステージに上がるのは二、三分後。それまでに態勢を立て直せ」
 それ以上は待てない。
 体調が悪いというのならともかく、今の翠は精神不安定というほうがしっくりくる。
 こんな状態でイベントに最後まで参加できなかった事実なんか残してみろ。それこそ、あとで深い傷となるに違いない。
 そうはさせない――だから、切り替えろ。
 普段、数を口にして気持ちをコントロールすることはない。
 頭の中で数えるだけで十分だったからだ。
 最近は翠に乞われて口にすることも多かったが、口にして思う。
 頭の中で唱えるよりも効果があるな、と。
 俺は翠に気持ちを切り替えろ、と言いつつ、自分の気持ちを切り替えるためにも数を数えていた。
 今の俺では翠に恐怖感を与えるだけだ。少しは自分を落ち着け自制しろ……。
 何度目かの十を数え終わるころ、指先から伝う震えがふ、と消えた。
「……落ち着いたか?」
 翠が頷いたのを確認してから手を離しベストを取る。
 数分ぶりに翠の顔を見て一呼吸つき、自分の中で譲れる部分と譲れない部分の確かな線引きをする。
「そんなに嫌ならさっきの件に関してはもう訊かない。だから……避けるのだけはよせ」
「っ……」
「正直、堪える……」
「ごめんっ」
「いい……。また泣かれたらたまらない」
 これだけは言わせてもらわないと自分がもたないと思った。
 幸い、その願いは聞き届けてもらえそうだ。
「俺を避けた理由は俺が問い質すから。それだけ? 違うなら今のうちに言っておけ」
 ほかにもあるなら今のうちに言っておけ。
 聞けるかどうかは別として、頭には入れておく。
「ツカサの――」
 言いかけてやめるの禁止……。
 視線でそう告げると、翠は続きを話し始めた。
「……ツカサの好きな人が誤解したら、勘違いしたら、ツカサは嫌な思いをするでしょう?」
 俺はその内容に唖然とする。
 まさか、こんなことを考えているとは思いもしなかった。
「姫と王子の出し物といっても、あんな映像流されたり、普段の噂でだって迷惑しているでしょう?」
 ちょっと待て……。
 勘違いまでは百歩譲ったとして、だ……。
「翠――俺を避けていた理由や手を取らない理由が、それ、とは言わないよな?」
「え……? そうだけど……」
 怒りと情けなさに震える自分は抑えられそうにない。
「――いい度胸だ。手ぇ出せ」
「えっ?」
「ふざけるな……」
 無理はさせない。そう思っていた自分などもうどこにもいない。
 さっき、翠が俺の手を取らなかったのは俺がだめだったわけではなく、そういう理由があったから?
 翠の手を有無を言わさずに掴み、
「ふざけるなっ。よく覚えておけっっっ。誰がこのバカで阿呆で人外の生き物を野放しにできると思ってるっ!?」
 俺も相当目を見開いているんだろうが、それは翠も変わらない。
 けれど、その口からまたしても予想を超える言葉が紡がれる。
「……バカと阿呆は認めてもいいよ。今も自爆しちゃった感満載だし……。でも、人外はひどいと思うっ」
「へぇ……」
 俺たちは結局こうなるようにできているのか?
 結局はもとの言い合いに戻ってしまう。
「翠は自分が人間らしい思考回路を持ち合わせているとでも思っているのか? もしくは、ごく一般的な感覚の持ち主だと豪語できるとでも?」
 笑みを浮かべ反論のしようがない言葉を浴びせると、翠は言葉に詰まった。
 そのくせ、目が反抗的……。
「即答もできず、そこに自信が持てない限りは人外で十分。……行くぞ」
 俺は翠の手を掴んだまま中央昇降機へ向かった。
 さらに強く手を引き、翠をすぐ近くまで引き寄せる。
「ほかの人間は?」
「……わからない。風間先輩とも指切りはできたんだもの」
 その言葉に発火装置が作動したようだが寸でのところで抑える。
「……海斗は上で動くことになるから使えない。佐野は?」
 不安そうに話す翠に告知だけはしておく。
「……たぶん大丈夫だと思うけど――」
「確認するから心構えだけしておけ」
「はい……」

 中央昇降機にはすでに佐野の姿があった。
「佐野、実験に付き合え」
「えっ!? なんのですかっ!?」
「佐野、悪ぃ……。ちょっと頼むよ」
 海斗が苦笑しながら寄ってきた。
「まさか藤宮先輩までエスコート代わってほしいとか言いませんよねっ!?」
 それはつまり――翠が、「エスコートを代わってほしい」旨を佐野に伝えていたということか?
 この分だと高崎にも声をかけたのだろう。それでふたりに断わられたら――
 ほかに翠が声をかけられる人間は限られいている。
 生徒会男子はみんな歌を歌う都合上頼むことはできない。
「ふーん……風間に頼んだことってこれか」
 翠が肯定の反応を見せた。
「翠は俺に隠しごとはできない星のもとに生まれたんだな」
 謎がひとつ解けて清々した。
 もう訊き出すのはやめると言った直後だっただけに、愉快でたまらない。
 佐野にちょっとした感謝を覚え、口端が上がるのは止められそうになかった。

 実験の結果、佐野に対する拒絶反応はクリア。
 最後のステージ、皆で手をつなぐ場では佐野が翠の右側につくことになった。
 一連の出来事を奈落で見ていた男が翠に近づくことはないだろう。
 だから、今さらほかを牽制する必要はなかった。
 それと俺だけではない、と佐野の反応を見てほっとした。
 翠が手を重ねようとした瞬間に手を引いた佐野。
 プレッシャーには慣れている人間がその手を引いた。
 なんでもないことのようにその場を仕切ってはいたが、その行動にすごくほっとしていた。
 相手が友人だろうと、相手に拒絶されるのは怖いと思う。
 そんな感情を認めていい気がして、ほっとした……。

 昇降機の準備が整い、ほかのステージからもスタンバイOKの連絡が入る。
 朝陽が会長にスタンバイOKの旨を伝えると、次は放送委員が動いた。
「モニター音出します! 打ち合わせどおり、カウント八拍目で演奏スタート。同時に昇降機を上げてください」
 放送委員の声が響き、カウントが終わると同時に温度ある音が走りだした。
 俺が握る翠の左手は、冷たすぎることも熱すぎることもなく、表情も落ち着いたものだった。
 持ち直した、と安堵する。
 昇降機を降りるとフリースペースへ移動し、続々と上がってくる人間を迎えては握手を交わす。
 翠のもとには女子しか寄りつかない代わりに、俺のところへ来るのは「同情」がうかがえる顔をした男ばかり。
 今日の自分は翠に振り回されっぱなしだった。
 そんなことを思いつつ、歌を口ずさんでは隣の翠に視線を向ける。
 最終便で佐野が上がってきて、翠の右側に並んだのを見たら肩の荷が下りた気がした。
 観覧席にいる人間たちは奈落での出来事を知らない。
 それだけに、最終演目をまるで祝うように楽しんでいた。
 まぁ、実際に「祭り」なわけだけど、俺にとっては散々な「祭り」だった気がする。
 さっきまで泣いていた翠は隣で笑っているし……。
 俺の視線に気づいた翠は、少し考えてからにこりと笑った。
 その「少し」の間すら気になる自分をどうにかしたい……。
 俺自身は、疲労と落胆でこの日のステージを終えた――
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