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第十三章 紅葉祭
56話
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桃華さんに見送られ、ツカサと歩き始めてすぐに後悔した。
一緒にいたくて「歩く」と即答してしまったけど、横に並んで一緒に歩いて――それで?
いつもなら、その日にあったことを話しながら歩くだろう。けれど、今はそれもできずにいた。
昨日のライブステージの話をしても深みにはまりそうだし、今日の話なんて――
未だに夢なのか現実なのか、はっきりと区別ができない。
あのとき、私は起きていたのか寝ていたのか……。
時間が経てば経つほどに、どちらなのか自信が持てなくてなってきていた。
何しろ、ツカサが普段と何も変わらなさ過ぎて判断に困る。
夢か現実か、とぐるぐると悩んでいると、隣から声をかけられた。
「何を考えている?」
「夢か現実か……」
「それってさっきのこと?」
うっかり答えてしまったことにも後悔したけれど、ツカサの質問の答えにも少し困る。
「さっき」というのは、私の考えている「さっき」と同じなのだろうか。
「別に困らせたいわけじゃないって言ったはずだけど」
ツカサは前方を見据えたまま、表情を変えずにそう言った。
それはつまり――
「夢、じゃない……?」
自分に訊いたのかツカサに訊いたのか、どちらとも判断できない問いかけ。
「何をどこから夢と勘違いしようとしているわけ?」
「……あ、鬼ごっこ大会の途中の出来事――私、どこから起きてた、かな?」
「……寝ていたのはほんの十分弱。少なくとも、アリスの夢じゃないって俺に否定したところからは起きていたものと解釈してるんだけど」
だから、それはつまり――
「私……キス、された?」
それが事実なら、のちに続く会話も現実だったことになる。
「……した。それに、恋愛の意味での好意とも伝えたけど? 三十七度六分で頭が朦朧としているとか言わないよな? 言うなら、今すぐ御園生さんに電話して迎えに来てもらうけど?」
「言わないっ。言わないけどっ――ただ、夢か現実かの区別がつかなかっただけ……。本当に、夢、じゃない?」
私の言葉は尻すぼみに小さくなっていく。
「……夢だと思っているなら再現するけど?」
その言葉に頬がカッと熱くなる。
「……嘘。キスは悪かったと思ってる。……でも、口にした言葉は嘘じゃないから」
私はこんな話をするだけでも心臓が強く脈打つのに、ツカサはどうしてそんなに平然としていられるのだろう。
「どうして……?」
「何が」
「どうしてそんなに普通なの?」
訊いていて泣きたくなる。
「……俺が気持ちを伝えたところで翠に好きな男がいる事実は変わらないだろ?」
ツカサから直に言われて涙が零れる。
ゆっくり歩いてきたけれど、坂道だからか半分も歩いたら息が上がっていた。
すぐにでも、私の好きな人はツカサだと言いたいのに、息継ぎがうまくいかない。
歩いている状態では無理そうだったから歩みを止めた。
「翠、具合が悪いなら無理はするな」
ツカサはかばんを手にしていない左手を差し出してくれる。
私はその手を乱暴に取り、「そうじゃなくて……」と短く言葉を足す。
息を整えつないだ手にぎゅ、と力をこめる。
そうでもしなかったら、言葉を発せそうにはなかった。
「そうじゃなくて――ツカサ、勘違いしてる」
私が好きなのはツカサ。
そう続けたいのに、どうしてか口にできない。
息を整えても、まだ心の準備ができていないのだ。
「翠……頼むから主語、述語、目的語は明確にしてくれないか? 今のだと、体調に関しての否定なのかその前の話題に関してなのかがわからない」
どこまでも冷静なツカサに悔しくなる。
「私は――私は、ツカサが好きでっ、ツカサに好きな人がいるって知ったときは泣くほどショックだったのにっ。……なのに、ツカサは私に好きな人がいるって知っても冷静で……。私は、ツカサに好きな人がいる事実は変わらないなんて、そんなふうに平然と言えないっっっ」
一気に話したら、今度はそっちからの酸欠状態。
でも、この苦しいのは酸欠だからではなく、気持ちの問題な気がした。
両思いなのかもしれないけど、気持ちの温度差が悲しい。
半分以上は私の片思いな気がするから、だから悲しくて涙が出るんだ。
ツカサから次の言葉はなかなか発せられない。
息切れとしゃっくりを繰り返しながら恐る恐る顔を上げる。と、ツカサは凝視するように私を見ていた。
目が合うと、はっと我に返ったように口を開く。
「……翠、また言葉が足りてないと思う。俺の顔が好きの間違いだろ?」
「違うっ。間違ってないっ。どうしてそこを勘違いするのっ!? 私はツカサが――」
「好き」と続けようとしたら、その前にぎゅっと抱きしめられた。
頬がツカサの制服に触れていた。
「誰が冷静だって? 普通に見えるって?」
いつもより数段低い声が耳に届く。
「ツカサが……」
「その耳は飾り物か?」
そう言うと、ツカサは私の頭を胸の中央に移した。
「これが冷静な人間の鼓動だって言うなら冷静なんだろうな」
ツカサの鼓動は私と変わらないくらいの速さでドクドクと連打している。
「ツカ、サ……?」
信じられない気持ちでツカサの顔を見ると、白い肌が首までピンクに染まっていた。
青白い街灯の下なのに、ピンクに見える。
「あまり見るな」
ツカサは顔を背け、私の手を引いて歩きだす。
「冷静なら、あの場でキスなんてしていない。片思いだって認識している状態でキスする男が冷静なわけがない。……そのくらい察しろ」
「……本当、に?」
「本当かどうかは心拍数が物語ってると思うし、現時点でこれ以上の証明能力持ち合わせてないんだけどっ!? それに、あの状況でキスされて普通にしてる翠のほうが信じられない」
え……?
「全然普通じゃないよ……? ツカサが触れたところだけ妙に熱く感じるし、ただ飲み物を飲んでいるだけなのに顎のラインや喉仏に釘付けになるし、普通に話しているだけなのに唇が――」
そこまで話して言葉に詰まる。
恥ずかしくて、恥ずかしすぎて……。
昨日今日と、言わなくてもいいようなことまで喋るこの口が恨めしい。
ツカさは立ち止まり振り返る。
「唇が、何?」
手を引かれ、つんのめるようにしてツカサの前に立つ。
切れ長の目に至近距離で見つめられると、それだけで心臓が止まりそうだった。
「なんでも、ない……」
そう答えるのが精一杯。
お願い、これ以上はもう訊かないで――
懇願をこめてツカサを見上げると、
「そういう顔で見るな……。何を懇願されているのか勘違いしそうになる」
そう言うと、「あと少しでマンションだから、もう少しがんばって」と再度歩き始めた。
ガードレール下に広がるのはただの住宅街。だけど、今の私には宝石がちりばめられたようにキラキラと光って見える。
黒いビロードに、オレンジや赤い石が瞬いているように見えた。
空の星は、昨夜お父さんと見たものよりも輝きが弱い。それは、目に入る街灯やマンションの明かりが邪魔をしてのことだろう。
それでも、「特別」に思えるのはどうしてだろう……。
好きな人が隣にいるから? 隣にツカサがいるから……?
マンションに着くと、崎本さんに出迎えられた。
「おかえりなさいませ」
「はい、ただいま」
ツカサだけが言葉を返し、私はタイミングを失ってエントランスを通過してしまった。
エレベーターは静かに上昇を始める。九階に停まると、開いたドアを押さえた状態でツカサに携帯を催促された。
ポケットから出した携帯を渡すと、
「三十七度七分……」
「明日明後日はゆっくり休むから大丈夫」
そう言うと、つないでいた手にぎゅ、と力をこめられる。
「夢じゃないから……。だから、何かあってもなくても、いつでも連絡してきてかわまない」
言い終わると手を離された。
ずっとつながれていた手に触れる外気がやけに冷たく感じる。
そんな中、最後に渡されたかばんの持ち手だけにツカサの体温が残っていた。
一緒にいたくて「歩く」と即答してしまったけど、横に並んで一緒に歩いて――それで?
いつもなら、その日にあったことを話しながら歩くだろう。けれど、今はそれもできずにいた。
昨日のライブステージの話をしても深みにはまりそうだし、今日の話なんて――
未だに夢なのか現実なのか、はっきりと区別ができない。
あのとき、私は起きていたのか寝ていたのか……。
時間が経てば経つほどに、どちらなのか自信が持てなくてなってきていた。
何しろ、ツカサが普段と何も変わらなさ過ぎて判断に困る。
夢か現実か、とぐるぐると悩んでいると、隣から声をかけられた。
「何を考えている?」
「夢か現実か……」
「それってさっきのこと?」
うっかり答えてしまったことにも後悔したけれど、ツカサの質問の答えにも少し困る。
「さっき」というのは、私の考えている「さっき」と同じなのだろうか。
「別に困らせたいわけじゃないって言ったはずだけど」
ツカサは前方を見据えたまま、表情を変えずにそう言った。
それはつまり――
「夢、じゃない……?」
自分に訊いたのかツカサに訊いたのか、どちらとも判断できない問いかけ。
「何をどこから夢と勘違いしようとしているわけ?」
「……あ、鬼ごっこ大会の途中の出来事――私、どこから起きてた、かな?」
「……寝ていたのはほんの十分弱。少なくとも、アリスの夢じゃないって俺に否定したところからは起きていたものと解釈してるんだけど」
だから、それはつまり――
「私……キス、された?」
それが事実なら、のちに続く会話も現実だったことになる。
「……した。それに、恋愛の意味での好意とも伝えたけど? 三十七度六分で頭が朦朧としているとか言わないよな? 言うなら、今すぐ御園生さんに電話して迎えに来てもらうけど?」
「言わないっ。言わないけどっ――ただ、夢か現実かの区別がつかなかっただけ……。本当に、夢、じゃない?」
私の言葉は尻すぼみに小さくなっていく。
「……夢だと思っているなら再現するけど?」
その言葉に頬がカッと熱くなる。
「……嘘。キスは悪かったと思ってる。……でも、口にした言葉は嘘じゃないから」
私はこんな話をするだけでも心臓が強く脈打つのに、ツカサはどうしてそんなに平然としていられるのだろう。
「どうして……?」
「何が」
「どうしてそんなに普通なの?」
訊いていて泣きたくなる。
「……俺が気持ちを伝えたところで翠に好きな男がいる事実は変わらないだろ?」
ツカサから直に言われて涙が零れる。
ゆっくり歩いてきたけれど、坂道だからか半分も歩いたら息が上がっていた。
すぐにでも、私の好きな人はツカサだと言いたいのに、息継ぎがうまくいかない。
歩いている状態では無理そうだったから歩みを止めた。
「翠、具合が悪いなら無理はするな」
ツカサはかばんを手にしていない左手を差し出してくれる。
私はその手を乱暴に取り、「そうじゃなくて……」と短く言葉を足す。
息を整えつないだ手にぎゅ、と力をこめる。
そうでもしなかったら、言葉を発せそうにはなかった。
「そうじゃなくて――ツカサ、勘違いしてる」
私が好きなのはツカサ。
そう続けたいのに、どうしてか口にできない。
息を整えても、まだ心の準備ができていないのだ。
「翠……頼むから主語、述語、目的語は明確にしてくれないか? 今のだと、体調に関しての否定なのかその前の話題に関してなのかがわからない」
どこまでも冷静なツカサに悔しくなる。
「私は――私は、ツカサが好きでっ、ツカサに好きな人がいるって知ったときは泣くほどショックだったのにっ。……なのに、ツカサは私に好きな人がいるって知っても冷静で……。私は、ツカサに好きな人がいる事実は変わらないなんて、そんなふうに平然と言えないっっっ」
一気に話したら、今度はそっちからの酸欠状態。
でも、この苦しいのは酸欠だからではなく、気持ちの問題な気がした。
両思いなのかもしれないけど、気持ちの温度差が悲しい。
半分以上は私の片思いな気がするから、だから悲しくて涙が出るんだ。
ツカサから次の言葉はなかなか発せられない。
息切れとしゃっくりを繰り返しながら恐る恐る顔を上げる。と、ツカサは凝視するように私を見ていた。
目が合うと、はっと我に返ったように口を開く。
「……翠、また言葉が足りてないと思う。俺の顔が好きの間違いだろ?」
「違うっ。間違ってないっ。どうしてそこを勘違いするのっ!? 私はツカサが――」
「好き」と続けようとしたら、その前にぎゅっと抱きしめられた。
頬がツカサの制服に触れていた。
「誰が冷静だって? 普通に見えるって?」
いつもより数段低い声が耳に届く。
「ツカサが……」
「その耳は飾り物か?」
そう言うと、ツカサは私の頭を胸の中央に移した。
「これが冷静な人間の鼓動だって言うなら冷静なんだろうな」
ツカサの鼓動は私と変わらないくらいの速さでドクドクと連打している。
「ツカ、サ……?」
信じられない気持ちでツカサの顔を見ると、白い肌が首までピンクに染まっていた。
青白い街灯の下なのに、ピンクに見える。
「あまり見るな」
ツカサは顔を背け、私の手を引いて歩きだす。
「冷静なら、あの場でキスなんてしていない。片思いだって認識している状態でキスする男が冷静なわけがない。……そのくらい察しろ」
「……本当、に?」
「本当かどうかは心拍数が物語ってると思うし、現時点でこれ以上の証明能力持ち合わせてないんだけどっ!? それに、あの状況でキスされて普通にしてる翠のほうが信じられない」
え……?
「全然普通じゃないよ……? ツカサが触れたところだけ妙に熱く感じるし、ただ飲み物を飲んでいるだけなのに顎のラインや喉仏に釘付けになるし、普通に話しているだけなのに唇が――」
そこまで話して言葉に詰まる。
恥ずかしくて、恥ずかしすぎて……。
昨日今日と、言わなくてもいいようなことまで喋るこの口が恨めしい。
ツカさは立ち止まり振り返る。
「唇が、何?」
手を引かれ、つんのめるようにしてツカサの前に立つ。
切れ長の目に至近距離で見つめられると、それだけで心臓が止まりそうだった。
「なんでも、ない……」
そう答えるのが精一杯。
お願い、これ以上はもう訊かないで――
懇願をこめてツカサを見上げると、
「そういう顔で見るな……。何を懇願されているのか勘違いしそうになる」
そう言うと、「あと少しでマンションだから、もう少しがんばって」と再度歩き始めた。
ガードレール下に広がるのはただの住宅街。だけど、今の私には宝石がちりばめられたようにキラキラと光って見える。
黒いビロードに、オレンジや赤い石が瞬いているように見えた。
空の星は、昨夜お父さんと見たものよりも輝きが弱い。それは、目に入る街灯やマンションの明かりが邪魔をしてのことだろう。
それでも、「特別」に思えるのはどうしてだろう……。
好きな人が隣にいるから? 隣にツカサがいるから……?
マンションに着くと、崎本さんに出迎えられた。
「おかえりなさいませ」
「はい、ただいま」
ツカサだけが言葉を返し、私はタイミングを失ってエントランスを通過してしまった。
エレベーターは静かに上昇を始める。九階に停まると、開いたドアを押さえた状態でツカサに携帯を催促された。
ポケットから出した携帯を渡すと、
「三十七度七分……」
「明日明後日はゆっくり休むから大丈夫」
そう言うと、つないでいた手にぎゅ、と力をこめられる。
「夢じゃないから……。だから、何かあってもなくても、いつでも連絡してきてかわまない」
言い終わると手を離された。
ずっとつながれていた手に触れる外気がやけに冷たく感じる。
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