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第十三章 紅葉祭
23話
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奈落に下りると飲みかけのペットボトルをツカサに渡された。
それに口をつけ、周りの準備が整うのを待つ。
次はツカサの歌。
私がピアノの伴奏をするスピッツの「優しくなりたいな」。
この曲は伴奏に入る楽器が少ないことから、奏者全員がステージへ上がる。
今はその最終準備に入っていた。
「上がれますっ!」
吹奏楽部の人から声がかかると、私とツカサにも確認が回ってきて、昇降機が三つ同時に上げられた。
中央が私とツカサ、右にはフルート奏者、左はボンゴ奏者とスネア奏者。
ステージに上がると手早く楽譜をセットして、心を落ち着けるように腰を下ろした。
冷たいことを予想してペダルに足を乗せたけれど、意外なことに冷たい感触は得られない。それどころか、ほんわりと優しいあたたかさを感じた。
不思議に思ってピアノの下を覗き込むと、そこにはレトロな様相の暖房器具があった。
二本あるうちの一本が、オレンジ色の柔らかな光を放っている。
「遠赤外線ストーブを用意させた」
ピアノの傍らにツカサが立ち、暖房器具の正体を教えてくれる。
「寒いならもう一段階上げられるけど?」
「ううん、大丈夫」
大丈夫なんだけど……。
「ツカサ……。あの、どこで歌うの?」
この歌の主役ともいえるツカサがピアノの鍵盤側にいるのはおかしい。
ステージの中央がガラ空きなんて……とステージに目を向けると、
「どうしてボンゴもスネアもフルートもこっちを向いているの?」
「俺がここで歌うから」
「えっ!?」
「翠、リハーサルのときにも同じやり取りしたと思うけど?」
「頭は大丈夫か?」とでも言われそうな目で見られ思い出す。
リハーサルのときにも今とまったく同様のやり取りをした記憶がある。
私の頭、本当に本当に大丈夫なのかな……。検査ではなんの異常もなかったはずなのだけど……。
そんな私の不安をよそに、ツカサは私が座る椅子の右端に浅く腰掛けた。
私の右手稼動範囲を邪魔しないように少し斜め後ろ気味。
それは歌合せのときやリハーサルのときと何も変わらない。
この距離感は、お見舞いに来てくれたときの位置関係に近くて好き。
けど、今日はなんだかな……。
演奏中、視界に入らないだけでもいいことにしなくちゃだめかも……。
顔を上げ、パーカッションとフルート奏者に視線を送ると、アイコンタクトが返ってきた。
準備はOK。あとは私が音を鳴らせば曲が始まる。
最後にツカサに小さな声で確認した。
「いい?」
「いつでもどうぞ」
その返事を聞いてから、イヤーモニターに意識を集中させた。
この曲はピアノの前奏から始まり、途中まではツカサの歌とピアノ伴奏しかない。
途中からボンゴの音が加わり、フルートの音が加わる。
私は伴奏がシンプルなこの曲がとても好きだった。
間奏で加わるスネアの音がとても華やかに聞こえる。
何度も何度も一緒に練習した曲だから、歌詞も覚えている。
でも、朝陽先輩の言葉を聞く前と聞いたあとでは何かが違った。
ツカサはこれを誰に向けて歌っているのだろう……。
そんなことが気になって仕方ない。
ツカサに肘で軽くつつかれはっとする。
わっ、伴奏走ってるっ――!?
即座にほかの音とイヤーモニターに意識を戻し、態勢を立て直す。
私、今日は絶対におかしいと思うの。
今は伴奏に集中しなくちゃいけないのに……。
そう思って顔を上げると、フルート奏者の人と目が合って、にこりと笑いかけてくれた。
パーカッションのふたりを見ても同じような反応が返ってくる。
その表情の柔らかさに心が落ち着きを取り戻す。
……伴奏だけど演奏で、伴奏だけど合奏。
今はこの人たちと音を紡ぐことだけを考えよう。
都さんが言ったとおり、音楽だから――心の底から楽しもう。
ツカサが歌いやすいと思う音を奏でたい……。
歌が終わりストーブのスイッチを切ってからステージ中央へ向かうと、パーカッション奏者、フルート奏者から握手を求められた。
「またいつか、一緒に演奏しよう?」
そう言ってくれたのはフルート奏者の人だった。
「あはは、まだ名前覚えてないんでしょ?」
「っ……すみません」
「私は樋口要」
「俺は古藤義孝。俺たち三人とも二年だから、あと一年は一緒。また機会作ろうよ」
私が返事をする前に、
「昇降機に移動」
ツカサの一言で会話は中断される。
各々昇降機の位置につくと、ツカサが下に合図を送り昇降機が下がり始めた。
「練習では一度もとちらなかったのに、本番で何やってるんだか……」
頭を小突かれても何も言い返せない。
「このあともステージは続く。考えごとなんてしてたらどこかで致命的なミスをするかもな」
「やっ、そんな怖いこと言わないでっ!? 本当にごめん、もう考えごとなんてしないから」
思わず耳を塞いでしまったけど、ツカサの右手に左耳だけフリーにされてしまう。
「で、演奏中に何を考えていたわけ?」
「ツカサの好きな人?」
即答したのは自分なのに、自分の言葉に自分が驚いた。
ツカサも面食らっているけれど、そんなの私の比ではない。
今喋ったの誰っ!? 私っ!? 嘘っ、どうしてっ!?
私、何正直に答えているのっ!? 何か言ってごまかさなくちゃっ――
「ツカっ、違う――や、あのっ、えっと……朝陽先輩が、じゃない、あれ? あってるっ!?」
慌てれば慌てるほどに意味のわからないことばかりを口走る。
そんな私の真正面で、ツカサが深いため息をついた。
「翠、面白すぎるから少し落ち着け……」
「私は全然面白くないっ」
むしろ必死だ。
「あぁ、これで本人が面白がってたら白い目で見てやる。それこそ奇人扱いだ」
奈落に降りると香乃子ちゃんがブーツを持ってきてくれた。
「あれ? 翠葉ちゃん、また赤い?」
訊かれてさらに頬が熱くなる。
「……藤宮先輩、笑顔で翠葉ちゃんのこと覗き込んだりしましたか?」
「いや、してない。翠が勝手に百面相してるだけ」
そう答えると、ひとりさっさと昇降機を降りてしまった。
「翠葉ちゃん、今日はいつもに増して表情豊かだね?」
にこにこと話しかけてくれる香乃子ちゃんに和みつつ、さっき空太くんにも「百面相してる」と言われたことを思い出した。
私、今日、絶対におかしい……。
火照った顔を冷やしたいと思うのに、あいにく、今は自分の手も冷たくはない。
しかも、渡された飲み物はホットのお茶だった。
「このあとはダンス部がスクエアステージで踊るの。だから、第二部までは翠葉ちゃんは休憩」
そう言われて、私はパイプ椅子ではなく、ビーズクッションへ腰を下ろした。
決して血が下がっていたわけではないけれど、やっぱり床に座るほうが落ち着くし楽なのだ。
そこへ茜先輩が来て、
「私も一緒していい?」
「もちろんです」
椅子に座るかな、と思ったけれど、茜先輩は私の隣のスペースをうかがっていた。
腰を浮かせて半分スペースを空けると、にこりと笑ってその部分にちょこんと座る。
いくら大きなビーズクッションでも、ふたりで座ると互いの肩や腕があたり、上半身の重心がそこに集中するくらいには窮屈になる。
でも、相手の体重や触れるぬくもり、微妙な窮屈さが妙に居心地よく思えた。
「茜先輩。私、何か飲み物持ってきます!」
「七倉ちゃん、悪いからいいよ」
「やっ、全然悪くないですっ! 今、上で調理部がかりんジュースを配ってるので、それをいただいてきますねっ!」
「じゃ、お願いしようかな」
「はい! 翠葉ちゃん、私、ちょっと行ってくるね」
香乃子ちゃんは走りはせず、急ぎ足で会場へ続く階段に向かった。
「伴奏……走っちゃいました」
香乃子ちゃんの後ろ姿を見つつ、カミングアウト。
「うん、前半ちょっとね? すぐに立て直したけど、何かあった?」
「何かというほどのことではないはずなんですけど……」
茜先輩は不思議そうな顔で私の顔を覗き込む。
「朝陽先輩が――今日のツカサの歌は好きな人へ向けて歌っているものだと言っていて……。そしたら、急に歌詞の内容が気になって、相手が誰なのか気になって……」
本当にそれだけだった。ほかになんの理由もない。
「それだけなのに……ツカサに肘でつつかれるまで気づかないなんてどうかしてる」
思わず苦笑してしまう。
伴奏を合わせやすいように楽器の配置がしてあったし、耳から常にモニター音を拾うことができる状態だったのに。
私、何をしていたんだろう……。
あ……さっき一緒に演奏した樋口先輩たちにそのことを謝れなかった。
きっと、そのことを気にかけて、また一緒に演奏しよう、と声をかけてくれたのに。
やっぱり、今日の私はどうかしている。
「茜先輩……」
「ん?」
「今日の私は棒切れ以下かもしれません……」
なんて情けない一言だろうと思いつつ、そんな言葉を零した。
それに口をつけ、周りの準備が整うのを待つ。
次はツカサの歌。
私がピアノの伴奏をするスピッツの「優しくなりたいな」。
この曲は伴奏に入る楽器が少ないことから、奏者全員がステージへ上がる。
今はその最終準備に入っていた。
「上がれますっ!」
吹奏楽部の人から声がかかると、私とツカサにも確認が回ってきて、昇降機が三つ同時に上げられた。
中央が私とツカサ、右にはフルート奏者、左はボンゴ奏者とスネア奏者。
ステージに上がると手早く楽譜をセットして、心を落ち着けるように腰を下ろした。
冷たいことを予想してペダルに足を乗せたけれど、意外なことに冷たい感触は得られない。それどころか、ほんわりと優しいあたたかさを感じた。
不思議に思ってピアノの下を覗き込むと、そこにはレトロな様相の暖房器具があった。
二本あるうちの一本が、オレンジ色の柔らかな光を放っている。
「遠赤外線ストーブを用意させた」
ピアノの傍らにツカサが立ち、暖房器具の正体を教えてくれる。
「寒いならもう一段階上げられるけど?」
「ううん、大丈夫」
大丈夫なんだけど……。
「ツカサ……。あの、どこで歌うの?」
この歌の主役ともいえるツカサがピアノの鍵盤側にいるのはおかしい。
ステージの中央がガラ空きなんて……とステージに目を向けると、
「どうしてボンゴもスネアもフルートもこっちを向いているの?」
「俺がここで歌うから」
「えっ!?」
「翠、リハーサルのときにも同じやり取りしたと思うけど?」
「頭は大丈夫か?」とでも言われそうな目で見られ思い出す。
リハーサルのときにも今とまったく同様のやり取りをした記憶がある。
私の頭、本当に本当に大丈夫なのかな……。検査ではなんの異常もなかったはずなのだけど……。
そんな私の不安をよそに、ツカサは私が座る椅子の右端に浅く腰掛けた。
私の右手稼動範囲を邪魔しないように少し斜め後ろ気味。
それは歌合せのときやリハーサルのときと何も変わらない。
この距離感は、お見舞いに来てくれたときの位置関係に近くて好き。
けど、今日はなんだかな……。
演奏中、視界に入らないだけでもいいことにしなくちゃだめかも……。
顔を上げ、パーカッションとフルート奏者に視線を送ると、アイコンタクトが返ってきた。
準備はOK。あとは私が音を鳴らせば曲が始まる。
最後にツカサに小さな声で確認した。
「いい?」
「いつでもどうぞ」
その返事を聞いてから、イヤーモニターに意識を集中させた。
この曲はピアノの前奏から始まり、途中まではツカサの歌とピアノ伴奏しかない。
途中からボンゴの音が加わり、フルートの音が加わる。
私は伴奏がシンプルなこの曲がとても好きだった。
間奏で加わるスネアの音がとても華やかに聞こえる。
何度も何度も一緒に練習した曲だから、歌詞も覚えている。
でも、朝陽先輩の言葉を聞く前と聞いたあとでは何かが違った。
ツカサはこれを誰に向けて歌っているのだろう……。
そんなことが気になって仕方ない。
ツカサに肘で軽くつつかれはっとする。
わっ、伴奏走ってるっ――!?
即座にほかの音とイヤーモニターに意識を戻し、態勢を立て直す。
私、今日は絶対におかしいと思うの。
今は伴奏に集中しなくちゃいけないのに……。
そう思って顔を上げると、フルート奏者の人と目が合って、にこりと笑いかけてくれた。
パーカッションのふたりを見ても同じような反応が返ってくる。
その表情の柔らかさに心が落ち着きを取り戻す。
……伴奏だけど演奏で、伴奏だけど合奏。
今はこの人たちと音を紡ぐことだけを考えよう。
都さんが言ったとおり、音楽だから――心の底から楽しもう。
ツカサが歌いやすいと思う音を奏でたい……。
歌が終わりストーブのスイッチを切ってからステージ中央へ向かうと、パーカッション奏者、フルート奏者から握手を求められた。
「またいつか、一緒に演奏しよう?」
そう言ってくれたのはフルート奏者の人だった。
「あはは、まだ名前覚えてないんでしょ?」
「っ……すみません」
「私は樋口要」
「俺は古藤義孝。俺たち三人とも二年だから、あと一年は一緒。また機会作ろうよ」
私が返事をする前に、
「昇降機に移動」
ツカサの一言で会話は中断される。
各々昇降機の位置につくと、ツカサが下に合図を送り昇降機が下がり始めた。
「練習では一度もとちらなかったのに、本番で何やってるんだか……」
頭を小突かれても何も言い返せない。
「このあともステージは続く。考えごとなんてしてたらどこかで致命的なミスをするかもな」
「やっ、そんな怖いこと言わないでっ!? 本当にごめん、もう考えごとなんてしないから」
思わず耳を塞いでしまったけど、ツカサの右手に左耳だけフリーにされてしまう。
「で、演奏中に何を考えていたわけ?」
「ツカサの好きな人?」
即答したのは自分なのに、自分の言葉に自分が驚いた。
ツカサも面食らっているけれど、そんなの私の比ではない。
今喋ったの誰っ!? 私っ!? 嘘っ、どうしてっ!?
私、何正直に答えているのっ!? 何か言ってごまかさなくちゃっ――
「ツカっ、違う――や、あのっ、えっと……朝陽先輩が、じゃない、あれ? あってるっ!?」
慌てれば慌てるほどに意味のわからないことばかりを口走る。
そんな私の真正面で、ツカサが深いため息をついた。
「翠、面白すぎるから少し落ち着け……」
「私は全然面白くないっ」
むしろ必死だ。
「あぁ、これで本人が面白がってたら白い目で見てやる。それこそ奇人扱いだ」
奈落に降りると香乃子ちゃんがブーツを持ってきてくれた。
「あれ? 翠葉ちゃん、また赤い?」
訊かれてさらに頬が熱くなる。
「……藤宮先輩、笑顔で翠葉ちゃんのこと覗き込んだりしましたか?」
「いや、してない。翠が勝手に百面相してるだけ」
そう答えると、ひとりさっさと昇降機を降りてしまった。
「翠葉ちゃん、今日はいつもに増して表情豊かだね?」
にこにこと話しかけてくれる香乃子ちゃんに和みつつ、さっき空太くんにも「百面相してる」と言われたことを思い出した。
私、今日、絶対におかしい……。
火照った顔を冷やしたいと思うのに、あいにく、今は自分の手も冷たくはない。
しかも、渡された飲み物はホットのお茶だった。
「このあとはダンス部がスクエアステージで踊るの。だから、第二部までは翠葉ちゃんは休憩」
そう言われて、私はパイプ椅子ではなく、ビーズクッションへ腰を下ろした。
決して血が下がっていたわけではないけれど、やっぱり床に座るほうが落ち着くし楽なのだ。
そこへ茜先輩が来て、
「私も一緒していい?」
「もちろんです」
椅子に座るかな、と思ったけれど、茜先輩は私の隣のスペースをうかがっていた。
腰を浮かせて半分スペースを空けると、にこりと笑ってその部分にちょこんと座る。
いくら大きなビーズクッションでも、ふたりで座ると互いの肩や腕があたり、上半身の重心がそこに集中するくらいには窮屈になる。
でも、相手の体重や触れるぬくもり、微妙な窮屈さが妙に居心地よく思えた。
「茜先輩。私、何か飲み物持ってきます!」
「七倉ちゃん、悪いからいいよ」
「やっ、全然悪くないですっ! 今、上で調理部がかりんジュースを配ってるので、それをいただいてきますねっ!」
「じゃ、お願いしようかな」
「はい! 翠葉ちゃん、私、ちょっと行ってくるね」
香乃子ちゃんは走りはせず、急ぎ足で会場へ続く階段に向かった。
「伴奏……走っちゃいました」
香乃子ちゃんの後ろ姿を見つつ、カミングアウト。
「うん、前半ちょっとね? すぐに立て直したけど、何かあった?」
「何かというほどのことではないはずなんですけど……」
茜先輩は不思議そうな顔で私の顔を覗き込む。
「朝陽先輩が――今日のツカサの歌は好きな人へ向けて歌っているものだと言っていて……。そしたら、急に歌詞の内容が気になって、相手が誰なのか気になって……」
本当にそれだけだった。ほかになんの理由もない。
「それだけなのに……ツカサに肘でつつかれるまで気づかないなんてどうかしてる」
思わず苦笑してしまう。
伴奏を合わせやすいように楽器の配置がしてあったし、耳から常にモニター音を拾うことができる状態だったのに。
私、何をしていたんだろう……。
あ……さっき一緒に演奏した樋口先輩たちにそのことを謝れなかった。
きっと、そのことを気にかけて、また一緒に演奏しよう、と声をかけてくれたのに。
やっぱり、今日の私はどうかしている。
「茜先輩……」
「ん?」
「今日の私は棒切れ以下かもしれません……」
なんて情けない一言だろうと思いつつ、そんな言葉を零した。
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